世の中には人の邪魔をすることが生きがいの神様が絶対にいると思う。
寮に戻ってクラスメイト達と合流しようとアリーナを出たところで、俺の名前を呼ぶ声がした。
今度は何だと思い声のした方向を見れば、手を振りながら金髪の女生徒が駆け寄ってくる。誰かと思えばそばかす顔のハミルトン、二組の代表にして鈴のルームメイトだ。
「よかった! 間に合った……」
「どうしたのハミルトンさん?」
「うん、甲斐田君にちょっと用があって」
間違いなく鈴絡みだろうが、一夏ではなく俺か。
「いいけど何?」
「えっと、ここじゃなくて別のところまで来て欲しくて……」
「なるほど、じゃあ行こうか一夏」
「あっ、甲斐田君だけで」
「僕だけ?」
となるともう答えは一つしかない。
「ふーん、じゃあ先に帰ってるぞ」
「僕もすぐに戻るって伝えておいて」
「了解」
「ちょっと待った! それはダメだ!」
よく分からないところで夜竹さんが割って入ってきた。
「甲斐田君が行っちゃたらあたし織斑君と二人きりになるじゃないか! あたしはまだ命が惜しいんだ!」
「おい俺は殺人鬼か!」
「そうじゃなくて、戻った時に命がないって言ってるの! ただでさえ今さっきのでレポート提出が義務づけられてるのに、二人で歩いて戻ったりしたら確実に命の保証がない!」
「何それ怖いんだけど」
篠ノ之さん達か。
確かにあっさり夜竹さん一人で行かせるのを許したなと思ったが、裏でそんな取り決めをしていたとは。
この分ではレポートを読んだ上で俺から裏付けまで取る気だろう。最近になって連中は一夏と離れて行動できるところまで成長したのかと思っていたが、どうやら別な方向に進化してしまっているようだ。裏では恐怖政治が敷かれている。
まさか俺の独裁政権であるかのように見せかけて、実は一部の特権階級による寡頭体制だったというオチではあるまいな。
「夜竹さん、僕からもきちんと言っておくよ」
「やだよ! あたしは行かないよ! どうせ金髪にネチネチ言われた挙句ポニーテールからぶった切られるだけなんだし!」
「それ全然伏せてないから」
参った。夜竹さんが完全に拗ねてしまった。
撮影機材を抱えたまま地面に座り込みそうな勢いだ。ちなみにこの人は俺達が持とうかと言っても素人は触るなと自分で持っていた。
「か、甲斐田君……」
「困ったな」
「それなら俺一人で行けばいいのか?」
「それはそれで今度は一夏の身に危険がある。一般の人が乗り越えて突っ込んで来るかもしれないし、一夏が一人で行動するとか今までなかったから何が起こるか分からない」
「え、俺そこまで信用ないの?」
「一夏じゃなくて、一夏の周囲がって話だよ。仕方ない、少しの間一夏達はここで待っててもらおうか。そんなにかからないよね?」
「た、多分。一言だけって言ってたから」
「オーケー。じゃあちょっと行ってくる」
「どうやらお困りのようだね!」
夜竹さんがこの状況も実は一夏と二人きりであることに気づく前に行ってしまおうとしたら、後ろからよく分からない声がかかった。
振り返ると、よく見知ったというかさっき助けてもらった警備の人が、得意げな顔で腕を組んで仁王立ちしている。
「えっ、あたし逮捕されちゃうの!? まだ何もしてないのに!」
「あら、逮捕されたい?」
「滅相もございません!」
「あの、これ以上ややこしいことはご免被りたいんですが」
「あ、そんなこと言っちゃう? せっかく織斑君を車で寮まで送ってあげようと思ったのに」
「マジで!?」
「まじまじ」
それは非常に助かる。一夏も夜竹さんも身の安全が保証される。
「よかったね夜竹さん。さすがにこれなら文句は言われないと思うよ」
「だ、大丈夫かな?」
「別に一人で歩いて帰ってもいいけど」
「……乗る。機材を後ろに置いて助手席ならきっと大丈夫に違いない。大丈夫であって欲しい」
最後が少し弱気だが、とりあえず問題はクリアされた。
これで俺も心置きなく鈴と会話をできる。
「あ、俺はいいとしても智希はどうなんだ? この後智希一人で歩いて大丈夫なのか?」
「だって甲斐田君だよ? 試合に出てるわけでもないし、寄ってくる人なんかいないって」
「いや、そういうことじゃない。智希を一人にしたら何やらかすか分からないだろ。見張っとかないと」
「確かにそれもそうだね」
「何この人達納得してるの」
「嘘嘘。ちゃんと甲斐田君にはあたしがついてるから。車が戻ってきたら甲斐田君も寮まで送ってあげるよ」
一夏とノリを合わせて俺をからかったのは気に食わないが、どうやら俺と一夏を期間中は警護することに決まったのだろう。
今さらという気がしないでもないが、俺や一夏が自分から危険に突っ込んでいくようではそうせざるを得ないというところか。一夏のことはともかく俺としては行動の自由を奪われたようであまり嬉しくない。さすがにさっきは自分でも軽率だったと反省しよう。
「ごめん、だいぶ待たせたね。行こうか」
「ううん。こっちよ」
一夏達が警備の車に乗るのを確認して、俺はハミルトンと歩き出した。
警備の人は中まではついてこず、出口で待っていてくれるようだ。
「智希、明日の試合が終わったら一夏にきちんと謝るわ」
開口一番、鈴はそう言った。
真っ直ぐに俺を見て、何の迷いもない目だ。鈴は自分の中で気持ちの整理をつけることができたのだろうか。
「ふーん」
「……もちろん一夏だけじゃないわ。一組のイギリスの代表候補生にも謝るし、クラスの人とか千冬さんとか迷惑かけた人達にちゃんと謝って回る」
自分が何をしたかは俺が煽った時点ではっきり自覚している。その時はとても受け止められないという感じだったが、ここにきて自分の力でそれができたのか。はたまた。
「それは鈴の問題だよ。鈴がそう決めたのなら僕がどうこう言うことじゃない」
「そうじゃなくて、智希にあたしの気持ちを伝えておきたかったの。わざわざあそこまでして言ってくれたんだから、こっちもちゃんと返しておくべきだと思った」
「あそこまでって僕何したっけ?」
「先生に聞いたわよ。千冬さんまで騙してあたしのところに来たそうじゃない。あたしが逃げて会わないからってそこまでされたら、さすがにあたしだって大人気なかったって反省するし感謝もするわよ」
煽りに行ったのに感謝されるとはこれいかに。
もちろん鈴が真っ直ぐな人間だという証である。
「別に僕は鈴に感謝されようとか思ってないし、何かを要求するつもりもないけどね」
「あたしがしたいからしてるだけよ。まず何より最初に智希に言うべきだと思った。それだけ」
この前の不安そうな表情はどこへやら、今の鈴は完全に元通りだ。
試合で三連勝して自信を取り戻したか。
人間心に余裕ができればきちんと考えて自分と向き合うことができるのだろう。
「別に僕自身は何かされたってわけでもないし、鈴を恨んでるとか特別何かを思うことはないよ」
「そ、そう。それはよかった」
本当は思い切り恨んでいるが。専用機持ちどころか代表候補生でもないハミルトンなら普通に勝てたのに余計なことをしてくれたと。
だが恨み事は言わない。別に鈴のためを思ってではなく、今後のためだ。戦後処理を考えると、ここで俺自身が余計な波風を立ててしまうのは愚策もいいところである。
それは今このタイミングで鈴が俺のところに来たという事実からもはっきりしている。
「そうだね、それなら今僕から言えることがあるとすれば、気持ちが固まったのなら今すぐにでも一夏のところに謝りに行けばってことくらいかな」
「はあ!? そ、そんなことできるわけないじゃない! 明日の試合もあるっていうのに!」
「どうして? 謝るだけなら一瞬だよ? さすがに一夏だってそれくらいの時間は割いてくれるよ」
「そ、そうかもしれないけど……でも……」
振ってみたら案の定、鈴は動揺し始めた。明らかに今俺に言われて初めて気づいたという様子だ。これはもう間違いないだろう。俺や一夏の知っている鈴であれば気がつかないはずはないし、一度こうと決めたら迷うこともない。
「何言ってるんだ。今謝っちゃえば心置きなく明日の試合をやれるじゃない。このままの状態は鈴だって嫌でしょ? もう気持ちははっきりしてるんだから後は行動するのみだ。そしてそれは鈴の十八番だと僕は思ってるけど」
「で、でも、明日の試合があるのにあんなこと言っちゃったらおかしくなるというか……そうだ! 智希はあたしの気持ち分かってるんでしょ! だったらこういうのは試合の後にすべきだって理解できるわよね!?」
「ああ、もしかして鈴は明日の試合で一夏に勝てると思ってるの?」
完全に思考の外にあるという風情で、鈴は俺に向かってぽかんと口を開けた。
「え?」
「別に鈴の思ったことが現実になるだけなんだから、今謝るのも後で謝るのも一緒じゃないかな」
「智希……あたしあんたの言ってることの意味が分かんない」
「意味も何もそのままだよ。鈴の危機感は合ってたってこと。いや、むしろ今謝っておいた方が試合はチャレンジャー精神でやる気出るんじゃない?」
「智希ごめん……本当に意味分かんない……」
鈴は呆然とした表情で俺を見る。
視界の端でハミルトンまでが理解できないという顔をしていた。
「鈴の試合は全部見たけどさ、勝ったとはいえあれで自信つけちゃった? だとしたらきっとそれは過信だね」
「それはどこをどう考えてもこっちのセリフなんだけど。あんなお笑いみたいな試合ばっかで、どうやったらあたしに勝てるとか思えるの? 確かに一夏らしいとは思うけど、実力差があり過ぎる相手にはちょっとしたラッキーごときじゃ勝てるわけないのよ? それにあたしがそれを許すと思うの?」
「なるほど、確かに今なら一夏に勝てると思って喧嘩を売ったんだから、勝てると信じてるのは当然の話か」
「はあ!?」
一気に鈴のボルテージが上昇する。
精神的に優位だという気持ちがあるからだろう。織斑先生ほどは怖くない。やはり俺はあの天敵に対して苦手意識を持っているようだ。
「違うの? だから喧嘩を売ったんでしょ?」
「そんなわけないじゃない! あんた、あたしの気持ちが分かってるんじゃなかったの!?」
「嫉妬だよね」
「……そうよ! 一夏の反則レベルの才能に対してよ! 何よあれ! あんなのありえないんだけど!」
そしてついに鈴は本心を吐き出した。ハミルトンが驚愕の表情を浮かべている。
「じゃあどうしてその機会を二週間後のリーグマッチにしたの? どうしてその場で喧嘩を売らなかったの? オルコットさんの時みたいに、一夏にちょっと面貸せよって言えばいいじゃないか。一夏だって専用機持ちだ。場所さえあれば勝負はできるんだから」
「え?」
鈴が固まる。
「大勢の人の前で倒してみせるという見せしめ? 自分だけじゃなくて他人にも認めさせたいっていう虚栄心? それともせめて準備期間ぐらいは与えてやろうという哀れみ?」
「え? え?」
鈴が頭を抱えて混乱を始める。
今の今まで考えたこともない俺の言葉が鈴の頭の中を蹂躙している。
何しろ鈴は自分の行動を衝動による合理性のないものだと考えていただろうから。
「か、甲斐田君……」
「そういえばハミルトンさんも関係者だね。だったら分かるんじゃない? あっという間に国際問題とか、いくらなんでも早過ぎるとは思わなかった?」
思い当たることがあったであろうハミルトンが息を呑む。
あれは俺が工作する暇もないほどのスピードだった。
「と、智希……教えて。どういうこと? あたしのこの気持ちは何なの?」
「外野が余計なことをしたってだけで、鈴の気持ちは本物だよ。一夏に嫉妬の気持ちを抱いたのも、耐えられないから喧嘩を売ろうと思ったのも、それは鈴の本心だ」
「じゃあ智希の言ったことは何なの?」
「鈴の気持ちから出た行動は、全部レールの上に乗ったものだったということ。意味分かるよね?」
「……そういうこと」
鈴は下を向いて数秒考えた後、顔を挙げて俺を見た。その瞳には強い怒りが込められている。
「ごめん智希! この話はまた後で!」
「鈴、間違えるな」
駆け出そうとして、鈴はこちらを振り返る。
「これは全部、鈴の気持ちに則った話だ。起こったことはどうあれ、鈴の気持ちに変わりはない。そしてそれはきっとけじめをつけなければならないことだ」
「……そうね。智希の言う通りだと思うわ。どのみちあたしは一夏に伝えなければならない。だけどね」
そこで鈴は一度言葉を切る。
目を閉じて上を向き、きっと何事かを想像して、それから俺を見る。
「それでも、今のあたしが一夏に負けるとは全然思わない」
鈴は強烈な意志を俺に残して走って行った。
「甲斐田君、お願いがあるんだけど、いい?」
「何?」
「リーグマッチが終わったら、あたしの国の人と会ってもらえないかな?」
「いいよ。どのみち一度は話しておく必要があるし」
「ありがとう」
俺の視線を受けて、ハミルトンが嬉しそうに微笑んだ。
早くてもリーグマッチが終わった後だろう、と考えていたらそれはすぐにやって来た。
天井にあるスピーカーから織斑先生の声が聞こえる。声の主は俺の名前を呼んでいた。とうに日も暮れた時間なのに来客だと。
「甲斐田君……まだ何かやってたの?」
「いったいどこまで手を広げるつもりですか?」
「もうわたくしごときの頭では把握しきれないスケールですわ……」
鷹月さんが、四十院さんが、オルコットまで、恒例の信じられないものを見るような目になっている。
俺としても自分から踏み込んでしまった以上は仕方ない。
試合前にやるか試合後にやるか迷ったのだが、結果が出た後では有耶無耶にされてしまうかもしれないと思い試合前に動くことを俺は選んだ。
鈴の方からやって来たという事実は向こうは既に勝利を確信し、次を見ているということを意味する。そして俺はそこに対話の可能性を見たという話だ。
「勝てるならこの際一気に片を付けたいと思うのは贅沢かな?」
「お気持ちは分からないでもありませんが……」
「それは今しなければならないことかって話よね。何したのかは知らないけれど」
「私としてはまず何より勝利を得ることが肝要だと思いますが……」
それは俺も思った。勝ってもいないうちから先へ先へと考えていては、鬼が笑いながら狸の皮を剥ぎ取って持って行ってしまうかもしれない。
それでも向こうからやって来て、しかもそれが俺達にとって悪い未来を示していないとあれば、泥沼に突っ込むよりも今のうちに手打ちをしておきたいと考えてしまうのもまた人情だ。
戦争をするメリットはややこしい問題を一気に片付けられることだと言ったのは誰だったか。
「ま、やっちゃったものは仕方ない。しばらく抜けるね」
「やっちゃったんだ……」
「もう少し熟慮をしてからの行動を……」
「甲斐田さんは意識して慎重さを持った方がよいのではないかと……」
恨みがましい指揮班の声を背にしながら、俺は寮の会議室を後にした。
ロビーに出ると織斑先生が待っていた。
そして隣にもう一人、目つきの鋭い女性が立っている。スーツではあるがその綺麗な立ち姿から軍人系の人だろう。
「来たか。紹介しよう。中国の候補生管理官、楊麗々(ヤン レイレイ)だ」
「甲斐田智希です」
「初めまして。楊麗々です。こんな時間に押しかけて申し訳ありません」
その切れ味鋭そうな見た目に反して、意外と声は柔らかかった。
手を差し出してきたので握り返すと、変な力はこもっていない。敵意がないことでも示したいのだろうか。
「では奥の個室で話をしてもらうとしようか」
「寮に個室なんかあったんですね」
「通称説教部屋とも言う」
「もしかして僕がその対象ですか?」
「お前が望むならこの後特別に時間を設けよう。何しろ罪には事欠かないからな」
「謹んで遠慮させていただきます」
危うい会話をしながらも俺は織斑先生の後をついていく。
しかし話をしてもらうか。
当事者同士で話せということなのだろうが、俺としては変に介入されるよりはありがたい。
その説教部屋は寮一階の奥にあった。
今まで知らなかったのも当然だ。この近くに宿直の先生の部屋があるので、俺としても用もないのに近寄りたくはない。何しろ織斑先生が高い確率で存在しているのだから。
部屋の中は説教部屋と呼ばれるだけあって殺風景だった。机一つに椅子二つ。説教部屋と言うよりは取調室だろうか。
「では今から三十分だ。悪いが不意のしかも非常識な時間の来客に対して茶を出すつもりはない」
「お構いなく」
無表情に中国の管理官を見て、織斑先生は部屋を出て行った。
意外と俺に気を遣ってくれているのだろうか。わざわざ力関係を見せていくとは。
「さて、時間もないので始めさせてもらおう。改めて、この忙しい中夜の急な訪問に応えてくれたことに感謝する」
「いえ、そのうち来るだろうなと思っていたので。ただ今日の今日とは思いませんでしたが」
「ふむ、聞いていた通り話はできそうだな。やはり凰鈴音を通じたこちらへのメッセージという話でいいのだな?」
「はい。僕としても昼に鈴が来てくれたことで穏便に済ませることができそうだと感じたので」
まずお互いに友好的であろうという姿勢を見せたことで部屋の空気が弛緩する。
もちろんお互いの言い分はあるのだろうけれど。
「そうか。ではまずこちらから要望を述べさせてもらう。明日の試合で凰に勝たせてもらうことはできないだろうか」
「八百長を持ちかけられるとはさすがにびっくりです。でもわざわざそんなことを言う必要はあるんですか? 誰の目にも実力差は歴然としていると思いますよ?」
「君が親切心を発揮していなければ今も私はそう考えていただろう。だからこそ今後を見据えて凰を君のところへ送ったのだからな。しかし黙っていればいいのにそれこそわざわざこちらへ教えてくれた以上は、楽観的に考えるようなことなどもうない」
なるほど親切心か。確かに向こうからすれば何も知らずに本番で目論見が全部ひっくり返るところだったのだから、相当な冷や汗をかいたのかもしれない。
「そうですか。では返答として当然お断りさせていただきます。こちらとしても勝つつもりでここまで準備を進めてきましたし、そもそも貸しのある相手に対して譲歩する理由がありません」
「そうか。了解した」
「あっさりですね」
「駄目もとの話だ。こちらに対して何か対価となる要求でもあればと思ったが、ないのであれば仕方ない。時間もないのに不毛な交渉を続けるつもりはない」
確かに無駄に引っ張られても困る話だ。俺も相手も話したいのはそういうことではないし。
「それならば本題、今後の話をしていいですか?」
「勿論だ」
「ではお聞きします。あなたは、いや中国は今後僕や一夏に対して敵対する意思を持つつもりがあるのでしょうか?」
「そのようなことは一切ない。むしろ友好的に接してもらいたいと考えている」
「じゃあなんでこんなことしたんですか?」
鈴を本人が気がつかないまま煽って、無理矢理割り込んで来て一夏に喧嘩を売るなど何か恨みでもあるのかと普通は思う。あるいは俺達男自体が気に入らない女性上位主義者か。
「凰のためにはやむを得なかった」
「そう言うと思ってました。一夏への依存心が酷すぎるからよくないって話でいいですか?」
「ほう、一から説明する必要がないというのは楽でいいな。君の言う通りだ。知っての通り凰は自身の動機をほとんど織斑君へと傾けている。もはや執念の域にある」
「離れてくれれば少しは薄れるかと思ったんですけどね」
「むしろ距離が離れたことによってより強固なものになったのだろうと私は考えている」
やはり俺に限らずあれはどう考えても普通じゃないと思うのだろう。
「だが織斑君が一般人ならそれでもよかった。何しろあの織斑千冬の実弟だ。我々としても快く日本へと送り出し、見事捕まえて帰ってきてくれることを期待していた」
「やっぱり狂っちゃいましたか。鈴の人生が」
「その通りだ。ISを起動させた男性が織斑千冬の実弟だと分かった時点で、凰が今のようになってしまうことは予想していた。織斑千冬を見てきた我々からすれば、凰が感じたことはごく自然な感情なのだ」
「ああ、なるほど。どうして一夏の実力を知る前から動いていたんだろうかって疑問だったんですが、千冬さんと重ねて考えていたんですね」
「……やはり君は本当に目ざといな。であれば包み隠さず話そう。織斑君の存在が発覚した時点で、我々は凰を日本へと送るのを中止しようと最初は考えた。凰は同年代の中でもその実力は抜きん出ている。潰れると分かっていてみすみす見過ごすような真似はできないからな。しかし本人の懇願もあり当初の予定通り凰を日本のIS学園へと進ませることに決定したのだ」
聞きながら、建前でも綺麗な会話というのはできるものだなと俺は感心した。いや建前だからこそか。
包み隠さずも何も鈴を日本へ送らないとかそんなことあるわけがない。
男性IS操縦者二人と友人関係など、どう考えてもフル活用したくなる人材だ。中国はいかに鈴を有効活用すべきか一生懸命考えたに決まっている。
「だからせめて専用機をあげて入学を遅らせてまで特訓させたというわけですか」
「正確には凰に箔をつけてやりたかった。織斑一夏君の隣に立つにふさわしい人間として送り出してあげたかったのだ。だが君も知っての通り逆にそれが凰を刺激してしまったのだから、我々としても完全な失敗であり凰には本当に申し訳ないと思っている」
確かに鈴に専用機を与えていなければ一夏には今よりも勝ち目がなかったのだから、中国は大失敗をしたと言えるだろう。
またこの際新型機のお披露目をしようなどと色気を出し過ぎた結果とも言えそうだ。
「それについては僕も謝らなければなりません。そんなあっという間に鈴が爆発するとは夢にも思っていなかったんですから。たった三日間とはいえ表面上はうまく行っていたので、僕は完全に油断していました」
「君が気に病むことは何もない。何しろ我々も予想していなかった急な速さだったのだからな。むしろその際にリーグマッチのことを口にしてしまい凰の意識をそこに向けてしまったのはこちらだ。責められるべき非は我々にある」
俺語訳。
(というかさあ、俺が気づかないうちにやるとかお前ら一晩で一気に煽ったろ。やるならもうちょっと自然にやれよ)
(わりーわりー。ちょっと火をつけたら大爆発しちゃった)
白々しい会話万歳。
「でもだからってその感情を爆発させる機会はリーグマッチでなくてもいいんじゃないですか? いくら鈴の視界が狭くなっていたからと言っても」
「それについては我々が欲をかいてしまったと素直に非を認め謝罪する。凰の入学が間に合わなかった為リーグマッチの事は諦めていたのだが、思わぬところで転がってきたためつい飛びついてしまった。君がどこまで理解しているかは分からないが、リーグマッチの価値を考えれば参加できるとなれば少々無理をしてでもと思うのは当然のことなのだ。別にこれは我々の国に限ったことではない」
この言い回しは実に参考になる。
俺の中では、中国は鈴の態度を見て今でなければ一夏には勝てないと判断し無理矢理割って入ったとしか思えない。
だがこの人は自らの罪を認めているようで、実は偶然だったと強調している。さらに一般論へと話を拡大し焦点をぼやけさせようとしている。
相手をけむに巻く手段として今度俺も使ってみよう。
「うーん、どのみち鈴が一夏に喧嘩を売るのは間違いないことですし、起こってしまった以上はもうどうしようもありませんね」
「そうだな。遅かれ早かれいずれ起きた出来事だ。大切なのはどう対処し、これからどうしていくかだと私は思う」
ようやく公的な認識の合意を取ることができた。
そして次からがお互い一番気にしていること。
「分かりました。多少の疑問は残りますが時間もないのでもういいです。それよりも大事なのは鈴のことです。まだ友人としてですが、一夏は鈴のことをとても心配しています。僕だってもちろんそうです。大切な友人ですから。リーグマッチが終わったら一夏も交えてきちんと話をしようと思いますが、あなた方も鈴の心のケアをしていただけませんか?」
「それは君に言われるまでもない話だな。凰はわが国の未来を担う非常に優秀な人材だ。こんなことで失ってしまうなど絶対にあってはならない。わが祖国の名誉にかけて、これからも全力で凰を支えて行くことははっきりと明言しておきたい」
よかったな鈴、今後も期待してくれるそうだ。
「それを聞けて安心しました。では未来の話として、明日の結果がどうあれ中国は鈴を通じて僕達と友好的な関係を築いて行ってもらえるということでいいでしょうか?」
「それは願ってもない話だ。今回の件で我々は君達の心証が悪くなることを覚悟していた。是非ともその方向でいてもらえると嬉しい」
結局のところ、俺が言いたかったのはこの一言である。
中国側にとって、これは最悪の事態がなくなったことを意味する。最悪の事態とは鈴が負けた上全てを明らかにされて世界から非難され、また鈴ではなく自分達が俺と一夏の恨みを買うことだ。そのため彼らは決して表に出ようとせず、全て鈴個人の問題として通そうとしてきた。
だが俺は黒幕としての中国の存在を看破してしまっている。その上鈴に勝つ算段まで立てているとあれば、気がつかないうちに俺に好き勝手されてしまう可能性があった。
それを親切にもわざわざ教えて手を差し伸べるところまでしたのだから、感謝してこれ以上余計なことはするなよと俺は釘を差したというわけだ。
おそらく、中国はここまで何もかもうまく行っていなかった。
鈴が俺達の友人であることを把握したときから計画は始まっていたのだろう。やってきたことを見るに、鈴は俺や一夏のISにおける指導的役割を期待されていたようだ。そしてそこから影響力を行使するつもりだったに違いない。ただ一夏と同じクラスでは本人は嬉しいだろうが、中国としては鈴が織斑姉弟の影に埋もれてしまうのでよろしくない。だからあえて別のクラスに入れてもらい、鈴は鈴でIS学園内での立場を確立させようとした。クラス代表となりリーグマッチにおいて内外に鈴の実力を見せつけ、もし一夏が出てくるようならついでに力関係を明確にしておくつもりだったのだろう。
ところが機体の問題か鈴の問題か新型機が間に合わず、せっかく鈴を二組に入れたものの入学自体が遅れてリーグマッチの機会を失う。やっと送り出せたと思えば今度は一夏が規格外の才能を発揮しそうで、鈴がフラストレーションとも相まってパニックを起こしかけている。
六月の個人戦まで待っていては一夏の才能が花開いて何もかも手遅れになると恐れを抱き、今しかないと強引な手段に出たというところだろうか。
しかしリスクを冒した成果は上々で、鈴は自信を取り戻し、新型機のお披露目もできた。一夏の試合を見てこれなら勝てると確信し、ならば先を見てまずは俺の機嫌でも取っておこうと鈴を俺のところへ送った。
ところが俺が、全部分かってますよははは、あと鈴にも勝つんで残念でしたね、とメッセージを送ったものだから、大慌てでここまでやってきたのだろう。アポイント無しで夜に寮まで押しかけるというのはどう考えても余裕のある行動ではない。
そして一方俺は中国の責任を一切追求せず、あくまで鈴個人の問題だということで通して理解を示してみせた。
これでもし甲斐田は実は理解していないとか弱気だなどと勘違いをして調子に乗るようなら俺も容赦はしない。織斑先生や今回の被害者ハミルトンとカナダを巻き込んで、それから鈴も煽って全部表に引っ張り出してやる。
ここまで俺が向こうの矛盾や弱みを一切追求しなかった意味が分からないようであれば、それはもう話にならない。
そうだ、話が終わったら織斑先生に一言伝えてその方向からも釘を差しておいてもらおう。
「あ、でもそちらに対して貸し一つっていうのは変わりませんからね。何かあって困ったら遠慮なく引っ張り出させてもらいますので」
「これは手厳しいな。なんでもとは言えないが、可能な範囲においてはできる限り協力させてもらおう。何かある時は凰を通して言ってもらえればいい」
俺達は立ち上がり、笑顔で握手を交わす。
果たしてこの人にとって俺は友好関係を築いてもいいと思えるような利用価値のある相手だろうか、それともただの世間知らずな学生だろうか。
世間的な話として、俺自身にISを動かせる男以上の意味はない。今のところ。
価値があるのは一夏であり、これから一夏が成し遂げていくであろう事柄だ。
「そう言えば男性IS操縦士四人のうち君だけ所属国が決まっていないな。我が国はどうだろう。凰という友人もいるし悪くない話だと思うが」
「それは僕が決めることではないので。それにデータが欲しいだけであればIS委員会のもので十分じゃないでしょうか。調査内容についても口を出せるみたいですし」
「そういう意味ではない。他の国はどうだか知らないが、我が国は自分の価値を自分で創造することのできる人間が求められている。君にはいい環境だと個人的には思う」
「外から見てると中国って実力主義はいいんですけどそれが極端というか、自信のない人間にはちょっと尻込みする国ですね」
「それは我が国の一面ではあるが全てではない。できれば一度その目で見てもらいたものだな」
「そうですね、生きているうちには行くこともあるでしょう」
お世辞をもらえるようであれば最初としては上出来か。
「やはり自分の生まれた国の方がいいものか?」
「日本は一夏が所属しているのでもうないでしょうけどね」
「君の生まれはアメリカだと聞いているぞ。いや、君にとっての祖国は日本なのかもしれないが」
「ああ、生まれってことですか。小学生までの話ですし、友人関係なんかを考えても気持ち的には日本ですね」
「そうか。これは個人的な感情だが、過去の大国よりも我が国の方があらゆる面で優っていると言っておきたい。ことIS関係においては特にだ。それにあの国は今や男性が暮らすには厳しい国だろう。まして君のような自我の強い人間にとってはなおさらだ」
「そういうのはIS委員会に言ってください。僕はどの国がいいかとか聞かれたことすらないんですから」
「それは自己主張していくべき事柄ではないだろうか」
「いやー、あの人達絶対決める気ないですよ」
話しながら部屋を出ると、織斑先生が宿直室から出てきた。
相変わらず何を考えているか読めない無表情で俺と中国の管理官を見る。
「終わったようだな。次は絶対にないと思え」
「心得ております」
「ならいい。帰れ」
「はい。甲斐田君、今日はありがとう」
「こちらこそ」
一礼して、中国の管理官は颯爽と帰って行った。
「さて智希」
「ここで名前呼びですか」
「正直お前が気づくとは思わなかった。なぜ分かった?」
「だって鈴らしくないじゃないですか」
「なるほどな」
無表情が崩れて、人間らしい笑顔が出てくる。
周囲に生徒がいないこともあり、今は織斑先生ではなく千冬さんか。
「どうやらお前もあの場所で人間らしい心を得ることができたようだな」
「それは千冬さんにだけは言われたくなかった」
どうして人間気が緩むとつい失言をしてしまうのだろう。
間髪入れず俺の頭に衝撃が響き渡る。
出席簿より痛みが頭の芯に来なくてよかったと思ってしまったのはどう考えても間違っていた。