──箱庭2105380外もん居住区画 第360工房。
「……うまく呼び出せたかな? 黒ウサギ」
「ええ、ジン坊ちゃん」
黒ウサギと呼ばれた15・6歳の少女と、ジンと呼ばれた少年が薄暗い空間で話し合っていた。
黒ウサギの頷きにジンは短くため息をつくと、黒ウサギは自分の口に人差し指を当てて愛らしい表情を浮かべる。
「まあ、後は運任せノリ任せって奴でございますね。あまり悲観的になるのは良くありませんよ? 表面上は素敵な場所だと取り繕わないと。初対面で『実は私達のコミュニティ、全壊末期の崖っぷちなんです!』などと伝えてしまうのは簡単ですが、それではメンバーに加わるのも警戒されてしまうと黒ウサギは思います」
黒ウサギの言葉にジンは不安そうな表情を浮かべながらも同意して頷いた。
「何から何まで任せて悪いけど……彼らの迎え、お願いできる?」
「任されました」
ピョコン、と黒ウサギが跳ねてある場所へと向かうために扉に手をかける。
「ところで、彼らの来訪は……本当に僕らのコミュニティを救ってくれるだろうか?」
「……。さあ? ですが、
踊るようにくるりとその場でスカートを靡かせて振り返り、いたずらっぽく笑いながら黒ウサギは言う。
「彼ら4人は……人類最高クラスのギフト保持者だ、と」
「ぶあっくしゅ! ……ふい~……風邪、かな? まだ夏の終盤だけど……」
20××年の夏末期。涼風が舞う空の真下で吉井明久はくしゃみをした。
「う~……それにしてもババアの奴、いきなり電話で『ちょっと手伝ってもらいたいことがあるからすぐに来な。報酬は学食1週間分無料で手を打ってやるよ』なんて寄越して、一体何なんだよ。まあ、学食1週間分無料っていうのは魅力的だけど」
明久は今朝方ババア……もとい、文月学園の学園長である藤堂カヲルから手伝いをしてほしいと連絡があり、部活動を行っている生徒よりも更に早い、時間帯にして5時半過ぎの早朝だった。
明久は眠気を我慢し、憂鬱な気分に耐えながらも文月学園に向かって足を運んでいた。
それから半時して文月学園へと到着した。校門前にはひとつの人影が見えた。
「あ、おはようございます」
「む、おはよう。随分と早朝から来たな……何を企んでいる、吉井?」
「げ、鉄人」
「西村先生と呼ばんか」
明久の目の前に現れた筋骨隆々の男性。スーツの上から見ても眼前にいる者を圧倒するであろうその鍛えられた見事な筋肉を身に纏う男の名は西村宗一。
通称鉄人と全校共通でその名が広まっている男である。その理由のひとつにその鍛え抜かれた身体と、トライアスロンを趣味としている部分にある。
そして彼は明久の所属する2年Fクラスの担任であり、また生活指導室、通称『地獄の補習室』の主とも言われている。
「で、何を企んでいる?」
「何も企んでませんよ。ただ、学園長から手伝いをしろと呼び出されて来ただけです」
「む、学園長からか? そういえば、忙しそうにしていらしたな。うむ、ならさっさと行って手伝ってこい」
「は~い」
鉄人に促され、明久は学園長室へと向かって言った。
「失礼しま~す」
明久は学園長室の扉を開けて一声かけて中へと入る。
「一声かける前にノックをして返事を待てと何度も言ってるんだけどね」
中に入ると長い白髪の老婆が机に座った状態で明久と向かい合っていた。
この老婆こそ、この文月学園の学園長である藤堂カヲル。この学園の最大の特徴である『試験召喚システム』の最高責任者である。
「それで、ババア長。ご用件は一体?」
「はぁ……あんたにはちょっとばかり実験を頼みたいのさ」
学園長の言葉を聞いた直後、明久は一歩どころか、部屋の隅まで身を引いた。
「何だい、その反応は?」
「するに決まってるでしょ! ババア長が実験する度に僕達がどれだけ酷い目にあったと思ってるんですか!」
「それについては悪かったと思ってるよ。何かあればすぐに召喚を取り消しさせれば……」
「将来の姿のシミュレーションとして使った召喚獣の服を脱がせただけじゃんか!」
詳しくは省くが、明久は以前進路を決めるのに困った際、学園長の好意で召喚主の将来の姿をシミュレーションするシステムの実験を明久達の課したが、結局明久達の社会的地位を更に下げる結果に終わってしまったのだ。
「召喚するのは体育館で、立会いには西村先生を付ける。以前のような失敗はさせないよ。流石にこれ以上学園のイメージを下げたくないしね」
「う……それなら……」
学園のイメージを下げる原因に心当たりのありすぎる明久はバツが悪そうに頷いた。
それに、鉄人がいればまあ、多少なりとも心強くはある。自分の召喚獣の強さが平均よりも下とはいえ、人間以上の身体能力を持つ召喚獣と生身で渡り合える男ならまず大事にはなるまい。
そう割り切った明久はこの仕事を引き受けることにした。
「わかったならこれを持って体育館に行くさね」
「……これは?」
学園長が明久に差し出したのは蒼い腕輪だった。
「そうだな。名称は『蒼天の腕輪』とでもしとこう。そいつはあんたが付けてる白金の腕輪と同様、召喚獣に特殊能力をつけるための腕輪さね」
「え? じゃあ、『
「ああ。ただし、どんな能力が付くかは召喚者によって違うがね。後、そいつには白金の腕輪のデータも入って、坂本の奴と同じように召喚フィールドを発生させることもできるさね。しかも、フィールドを展開させながらも召喚できるオマケ付きさ」
「マジでっすか!?」
明久はこれまでの眠気が一気に覚めるくらい驚いた。
白金の腕輪とは明久とここにはいない坂本雄二の所有しているもので、明久の腕輪には『
『
そして代理召喚は点数を何点か消費することによってランダムで選ばれた教科の小規模召喚フィールドを展開する機能がある。
つまり、明久が受け取った『蒼天の腕輪』には雄二の代理召喚とまだ見ぬ特殊能力の2つの機能が付いているということだ。
試召戦争でAクラスの設備を手に入れることを目指す明久にとってはかなりお得なものだった。
「わかったならさっさと実験に行くよ、クソジャリ」
「はいはいっと」
明久は新機能の付いた腕輪が手に入ったことに舞い上がりながら体育館へと足を運ぶ。
体育館にて。その中には明久と学園長、そして鉄人がそれぞれ少し離れた状態で待機していた。
「それじゃあ、早速始めとくれ。まずは召喚フィールドだ。キーワードは坂本の物と同じ『
「了解。それじゃあ、
明久がキーワードを口にすると彼を中心に小規模の召喚フィールドが発生した。
「そして……
更に召喚を行い、明久の足元に幾何学模様が展開され、その中心から明久の召喚獣が誕生した。
「うむ……召喚フィールドについては問題なさそうさね。それじゃあ、もうひとつの機能を試してみな」
「えっと……どうやって発動させるんですか?」
「またキーワードを言うのさ。キーワードは『
「はい。
明久がキーワードを口にすると召喚獣を中心に蒼い光が発生し、明久をも巻き込んだ。
「うわっ! 何!?」
明久は突然の光に目を閉じ、光が収まってから恐る恐る目を開けるとそこには召喚獣がいなくなっていた。
「あれ? 召喚獣がいない? ……ババア長、召喚獣がいなくなったんですけど……透明にでもなったんですか──って、どうしたんです? 鉄人まで」
明久が学園長に視線を向けると、学園長は心底驚いたように明久を見ていた。少し離れていた鉄人も同様の反応を示していた。
明久は2人の反応に首を傾げるばかりだった。
「あの……どうしたんです?」
「……吉井……自分の身体をよく見ろ」
「へ?」
鉄人に言われて明久は自分の身体を見る。
今までと違い、制服が全開した状態でその下には赤いインナーを着込んでおり、足元には木刀が転がっていた。
「あれ? 僕の服、こんなだっけ? ていうかなんで木刀が……ていうか、これって……召喚獣の着ていたものじゃ?」
言ってから気づいた。明久が身につけているのは明久の召喚獣の装備なのだ。
それが何故か明久の身体に投影されていた。
「えっと……学園長。これは一体?」
流石の鉄人も不安に思いながら学園長に問いかけた。
「ふむ……どうやら『蒼天の腕輪』があんたに付加させた能力は召喚者と召喚獣を一体化させる能力みたいだね」
「へ? それってつまり?」
「はぁ……要するにあんたは人間でありながら召喚獣と同じ。あんた以外の召喚獣にも触れることができるのさ」
「え? それって……戦うのが召喚獣から僕に成り代わっただけってこと!?」
「そういうことさね。更にあんたが直接戦うわけだからダメージは今までとは比べ物になんないだろうね」
「ええぇぇぇぇ!? 何それ! 折角特殊な能力が付いたと思ったら更に僕の状況を悪くしただけじゃないか!」
「ま、『蒼天の腕輪』がそういう機能にしたらしいから諦めるんだね」
「なぁしてええぇぇぇぇ!!」
自分にとって地獄一直線でしかない『蒼天の腕輪』の機能に明久は絶叫した。
「はぁ……今日も散々だ」
明久はため息をつきながら教室へと入った。
結局、あの後も学園長の実験に協力しなければならないため、1時間を体育館で過ごした。
「まあ、一応召喚フィールドの機能は使えるからもらっちゃったけど」
実験が終わってからも学園長が明久の試召戦争で使用してデータを集めてほしいと言われ、『蒼天の腕輪』はそのまま明久が所有することになったのだった。
とりあえず、召喚フィールド展開の機能は使えそうなのでないよりはマシだと思い、渋りながらも受け取った。
実験による疲れを残しながら明久は自分の席(卓袱台と座布団だが)に座る。
それと同時に妙な物が目に入った。
「ん? 何これ?」
拾い上げるとそれは手紙のようだった。ご丁寧に封をして大切に保存した状態で明久の卓袱台の上に置かれていた。
その表面には『吉井明久殿へ』と名指しして置かれていた。
「ま、まさかラブレター? いや、ここは確率的に脅迫状だったり……」
普通は脅迫状の確率の方が低いはずなのだが、ここ文月学園では常識そのものが足蹴されるカオスな場所。
明久も脅迫状が届いた前例もあるし、ラブレターもあったにはあったが、それもそれでとんでもない事件を起こしたことがあるために、素直に喜べないでいた。
「とにかく、ここは誰にも見つからないよう──」
「よう、明久」
「うわっ!?」
突然の声に驚いて思わず声を上げてしまった。
「何だ? こんな時間から学校か? 今日は槍の雨か?」
「ゆ、雄二……」
明久は目の前にいる人物、坂本雄二に警戒心MAXだった。そして不自然に見えないように手紙をこっそりポケットに入れた。
「何で明久がこんな時間に学園にいるんだ?」
「そ、それは今朝ババア長から実験手伝えって電話が来て」
「ババアの実験か? おいおい、何で俺に一声かけねえんだよ?」
「え? 言えば手伝って──」
「折角明久の不幸を楽しめると思ったってのによ」
「ああ、そうくると思ってたよ!」
明久の不幸をとことん愛し、楽しみ尽くす。それがこの男、坂本雄二である。
「で、明久。今ポケットに入れた奴はなんだ?」
「うぐ……」
そして、手紙のことも既に気づいていた。
「まさか、またラブレターか?」
「知らないよ。まだ中身見てないし。今までのことを考えると、脅迫状って線も高いし」
「ふ~ん。まあ、どっちにしても俺はお前の不幸を楽しませてもらうぜ」
「ちょっと。もしこれがラブレターだったらまだ僕にも春が訪れるかもしれない──」
「へ~? ラブレターねぇ」
「え?」
再びした第3者の声に明久は滝の如き汗を流しながら恐る恐る振り返った。
「アキぃ……今すぐその手紙と指を差し出しなさい」
「おかしい! そこは手紙を差し出しなさいだけでいいはずだ!」
明久に暴言を吐くのは島田美波。明久のクラスメートであり、Fクラスの数少ない女子のひとりだ。
そして、美波は明久の隠している手紙を指ごとよこせと言ってきた。
『吉井がラブレターだと!?』
『よろしい! ならば死刑だ!』
『『『殺っ! 殺っ! 殺っ!』』』
それに引き続いて更に黒いローブに身を包んだ集団が明久を囲んだ。
彼らはFクラス男子メンバーで構成された異端審問会、通称『FFF団』。他人の幸福を敵に学園にはびこるカップルを根絶やしにすることを目的とした組織。
また、カップルを作ろうとする者も生きて返さぬ殺戮集団だ。
「って、君達はいつの間にここに来たの!? さっきまで気配なかったよね!? 大体、まだラブレターなんて決まったわけじゃないし!」
「ならさっさと寄越しなさい」
「いや、美波関係ないよね! これ僕に名指しで来たんだし!」
「ごちゃごちゃ言わないでさっさと手を……じゃなかった。手紙を出しなさい!」
「手!? 美波、今『手を』って言ったよね!? 僕の腕を完膚無きまでに叩き折るつもり!?」
明久の行く先には地獄しかなかった。
「くっそぉ! 前回の二の舞になってたまるかぁ!」
明久は背後の開いたままの窓から身を乗り出し、そこから飛び出して校庭へと飛び降りた。
ちなみに明久達のいるFクラスの教室は2階だ。そんな所からよく飛び降りられるなと思うだろうが、それが明久クオリティというものだ。
『野郎っ! 窓から飛び降りやがった!』
『B班とC班は別ルートで待ち伏せしろ! A班は俺に続いて奴を追うぞ!』
『『『おおぉぉぉぉ!!』』』
「だあもう! 何でいつもこうなんだよ!」
こんな地獄ばかりの世界なんてこりごりだ。そう思いながら明久は迫り来る邪悪から逃げ出そうと駆け出す。
「はあ……まさか、今度は僕がここに隠れるとは」
現在、明久がいるのは体育館にある女子更衣室。
屋内スポーツの部活をしている女子が使用している場所だが、今回は運良く室内スポーツの部活はどこも休みだったようで誰もいなかった。
さて、と更衣室の窓から現在の状況を覗いてみた。
『畜生! あの野郎、何処に隠れた!?』
『探せ! 見つけ次第、奴を手紙もろとも処分する!』
『アキぃ……ウチを差し置いて幸せになろうだなんて甘いのよ』
「……なんて状況」
明久はつくづく自分の置かれてる状況に絶望する。普段から地獄、地獄、地獄、時々平穏、また地獄と不幸が大半を占めてる生活。
そんな中でよく精神崩壊を起こさず生きていられると我ながら感心していた。
「……そういえば、手紙の内容は何だろう?」
まだ見つかっていない今のうちに手紙の中身を確認することにした。
明久は封筒を破って中にある一枚の紙を取り出した。そして、その中にある文章を読み上げる。
『悩み多し異才を持つ少年少女に告げる。その才能を試すことを望むのならば、己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、我らの”箱庭”に来られたし』
それを読んで明久は首を傾げる。
「何? この意味深な文章。才能? 箱庭? しかも世界の全てを捨てるって一体……って、うわっ!?」
事態は突然変化した。
明久の視界が急に捻れ、気づけば別の空間が広がっていた。
何故か
眼前に広がる風景に明久は心底驚いた。目に見える地平線は、世界の果てを彷彿とさせる断崖絶壁。そして下に見えるは、縮尺を見間違おうほどの天幕に覆われた都市。
その他にも都会っぽい所やジャングルのような所も様々な姿をした土地が見える。そこで明久も理解した。
自分が投げ出されたのは、完全無欠に異世界だと。
「なぁしてええぇぇぇぇ!?」
そして、それに気づいて絶叫していた。