バカとダ・カーポと桜色の学園生活   作:慈信

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第八十四話

 

「さて、これからどうするかね……」

 

「そうだね」

 

 第3のアジトに逃げ込んで数時間が経ち、朝から追いかけられた僕たちはこの日初めてまともな食事をとっていた。

 

「ここもいつ見つかるのかわからない以上、何か手を打つべきなのじゃろうが……」

 

「やっぱさ、こっちから討って出るか? 土屋とかが気配消して押しかければ俺たちだけでもなんとかなるんじゃないのか?」

 

「ダメだ。あいつの付き人がどれだけの実力を持ってるかが把握できてない以上、下手な行動は却って自殺行為だ」

 

「なら、夜中に全員で特攻するとか……」

 

「いくらなんでも──」

 

 無理だろうと続けようとしたのだろうが、その言葉を遮るように声が響く。

 

「あの方は、そんなに甘い人ではありませんわ」

 

『──っ!?』

 

 突然聞こえてきたこの場にいる誰のでもない声にその場の空気が緊張によって固まった。

 

「この声、まさか……フローラ?」

 

「姫様」

 

 ムラサキさんの呟きに答えるように、暗がりからひとりの女性が出てきた。

 

 ……何故か服を濡らし、ひどくやつれたような雰囲気になって。

 

「え? 何で!? 何も鳴らなかったよな!?」

 

 どのアジトでも、侵入者が来れば警報が鳴る筈なのに、それが全く鳴らなかった事に渉だけでなく、僕らも驚いた。

 

「警戒網を突破してくるとは、侮れんな」

 

「けど、それにしては……」

 

「フローラ……あなた、濡れてない?」

 

「え? ええ……」

 

「それに、最初に見た時より随分やつれてるような……」

 

 ムラサキさんと小恋ちゃんの言うとおり、フローラさんは服を水で濡らし、最初にあった時と比べて随分とくたびれてるような感じだ。

 

「面目ありません。先程、トラップに引っかかりまして」

 

 視線を泳がせながらフローラさんは少々恥ずかしそうに告白する。

 

「トラップって……」

 

 僕は先程トラップを作成していた杏ちゃんとムッツリーニに視線を送る。

 

「ぶい」

 

「……完璧とは言えないが、一矢報いた」

 

「いや、何をしたのさ!」

 

 Vサインを送る杏ちゃんとサムズアップするムッツリーニに思いっきりツッコんだ。

 

「まさか……あのような原始的なトラップが仕掛けられてるとは思わず……油断しました。

 おまけに、あんなおぞましいものまで……」

 

「トラップの基本は、相手の裏をかくことよ……」

 

「……アレを見て、平気でいられるものなど、多くはない」

 

「おみそれしました」

 

「ムッツリーニ……一体、何を?」

 

「……肝試しの時の──」

 

「オーケーわかった理解したもういいよ」

 

 肝試しですぐにわかった。確かにアレを見せられて平気でいられる奴なんていやしない。

 

 フローラさんがやつれてるだけで済んでるのは、リオのもとで精神的にも鍛えられてるからその程度ですんでるのだろう。

 

「で? 何しに来た?」

 

 雄二が威嚇するような目を向けながら尋ねる。

 

 ついでに視線で何があっても逃げられるよう、常に警戒しておけと合図を送って。

 

「エリカさま……」

 

 落ち着いた声でフローラさんがムラサキさんに向けて話しかける。

 

「リオ様は、本気で皆様を拘束し、エリカ様を……国に連れ帰るつもりでいらっしゃいます」

 

「それは、わかってるわ」

 

「いいえ。姫様はリオ様の事をわかっておられません。あの方は、とても恐ろしい方なのです」

 

「フローラ?」

 

「おい、それはどういう意味だ?」

 

 ムラサキさんと雄二が訝しげに声をあげる。

 

「リオは、皆様の安全など考えてはおりません! 相手が姫様であろうと、何をするか──!」

 

 フローラさんの口から強い口調でリオを攻める言葉が漏れ出る。というか、今リオのことを呼び捨てに?

 

「フローラ」

 

 強いものではないが、フローラさんを諌めるようなムラサキさんの声が小さく響く。

 

 それにより、フローラさんは自分の失言に気づいたのか、すぐに深々とムラサキさんに頭を下げる。

 

「あ、申し訳ありません、姫様。ですが……私は……そんなリオ様が恐ろしく……また、信用できないのです」

 

 苦いものを吐き出すように、フローラさんは厭悪じみた表情で語る。

 

「でも、フローラさんはリオの……」

 

「確かに、私はリオ様の付き人をしておりますが、それもクエイシー家の家訓故。私は今でも……姫様の味方です」

 

 言われてみれば、ムラサキさんも彼女の事を実の姉妹みたいだと言っていたな。

 

「その言葉……信じてもいいんですか?」

 

 フローラさんが僕を一瞥すると、その瞳の中に鋭い何かが見えた気がしたが、それも一瞬のうちになりを潜め、顔が穏やかなものに戻っていた。

 

「もちろんです。私は、誰よりも姫様をお慕い申し上げております」

 

「リオの付き人が仲間になってくれるんだったら、すげー心強いじゃん!」

 

「そうだな……。色々と向こうの動きも知ることができるかもしれないし、逃げる時に手心を加えてもらえるかもしれないな」

 

 渉と杉並君がフローラさんに聞こえるように話し合ってると、

 

「……姫様のお願いでしたら、喜んで」

 

 すまし顔でそう返した。

 

「ですが、まずは……なんとか姫様が、こちらに残れるように私が説得を試みます」

 

「いえ、フローラに迷惑をかけるつもりはありませんわ。兄様の付き人たるあなたが、兄様に諌言などしたら──」

 

「構いません。姫様のためでしたら──」

 

「フローラ……」

 

 確かに、直属の臣下から逆らうような事を言われればどんな仕打ちがくるか。

 

 けど、逆にそれだけ近い関係の人からの諌言は大きな意味を持つとも言える。

 

「そもそもあの方は、人の上に立つ器ではありません」

 

「フローラ……そんなことを言うものではありません。兄様は、とても優秀な方です」

 

「それは私も存じております。あの方は、とても優秀です。恐らく、今の国王以上に賢く強い王となるでしょう」

 

 顔だけでもイケメンなのに、その上頭も良くて運動もすごい。正に非の打ち所がないな。

 

 同じ男なのに、そこまで完璧だと流石に心の広い僕でも嫉妬に駆られてしまうな。

 

「ですが、あの方は人を統べる者として、最も大切なものを持っていません」

 

「そうか? 完璧っぽく見えたけどな」

 

「渉君から見たら、きっと誰でも完璧っぽく見えちゃうんじゃない?」

 

「明久からもな」

 

「「うるさいよ!」」

 

「でも、大切なものって?」

 

 小恋ちゃんが尋ねるとフローラさんは目を細めて語りだす。

 

「リオは、人の心というものを……か論じておられます。いいえ、近いしていないのではないかと感じる時さえあります。常に冷静で利を見て判断をする。けれど、利を取るためなら平気で無情な決断をなすような人間なのです」

 

「でも、国王って立場なら仕方ないんじゃないのか? 国のトップが冷静さを欠いたら悲惨だろう?」

 

 義之の言う通り、確かに残忍だと取られることもあるかもしれないが、国の頂にいる人間が頭を働かせなければ国民を守れるはずもないのだから、時には非情な判断を下すことも必要なこともあるだろう。

 

「そうだな。それに、為政者たるもの、時には無情な決断を迫られることもあるだろう」

 

「雄二の卑怯極まりない判断とかね」

 

「黙れ、捨て駒が」

 

「確かに、時にはそれも必要でしょう。ですが、人を切り捨てることになんの躊躇も見せないというのは──非常に危険な人物だということです」

 

 フローラさんがきっぱりと言い放った。

 

「つまり、ババア長みたいな奴ってこと?」

 

「ああ、それは確かに危険だな」

 

 僕と雄二はお互い頷きあった。あれもまた人間を捨てることに躊躇いもない危険な妖怪だからね。

 

 フローラさんの口から聞く限り、かなりの禹行舜趨で国の上に立っているようだ。

 

「そんな人よりも、私はエリカ様に次の──」

 

「フローラ! それ以上、口にするではない!」

 

 強い口調で、ムラサキさんが叱責する。

 

「姫様が、リオ様を家族として敬う気持ちは存じております。ですが──!」

 

「私の言うことが聞こえなかったのですか?」

 

 一国の姫としての威厳を保ちながら、同時に家族に対する愛情も出しながら言葉を紡ぐ。

 

「王家に連なる者を、それ以上侮辱してはなりません。それ以上……あなたの口から、兄様を非難する言葉を……聞かせないで」

 

「姫様……」

 

 そりゃあ、自分の兄が姉も同然の人から非難されるような姿なんて、見たくはないよね。

 

「わかり……ました。では、姫様……このフローラ、クエイシー家の名にかけて、リオ様を説得してみせます」

 

「ありがとう、フローラ。でも、あまり無理をするものではないわ」

 

「お心遣い、感謝いたします」

 

 フローラさんは深々と頭を下げると、くるりと踵を返す。

 

「ひとつ、質問よろしいかな?」

 

 そこに杉並君が不意に声をかける。

 

「何か?」

 

「リオは、この場所の事を、まだ知らないのだな?」

 

「当然です。知っていれば、すぐにでも追手を差し向けてくるでしょう」

 

「ふむ、了解した」

 

 杉並君が言うと同時かそれよりも早くフローラさんは部屋を出た。と、同時に何かに引っかかったのか、金属がぶつかるような音が聞こえたけど。

 

「……ブイ」

 

 誇らしげに杏ちゃんがVサインをする。

 

 いや、出ていく時くらい罠を外すか、場所教えてあげなよ。

 

「でも、これでなんとかなる……のか?」

 

 渉の言葉に、すぐには答えられなかった。

 

「どうだろうな。簡単に説得に応じてくれるような者とは思えないがね」

 

 まあ、そんな簡単に説得できれば僕らもこんな逃走なんて繰り返したりはしない。

 

「でも、僕たちよりかはまだ可能性はあるんじゃない? リオに話を聞いてもらえればもしかしたら」

 

「本当なら、私が自分で伝えなければいけないのに……」

 

「この行動だけでもムラサキさんの考えは向こうもわかってはいるだろうし、今はまだこっちから出向く時じゃなし。

 とりあえずは、フローラさんに期待してみよ」

 

「そうね……」

 

 ムラサキさんの表情は暗いままだ。

 

 まあ、フローラさんがああは言っても、説得に応じてくれる可能性なんてどれほどのものかを

 ムラサキさんなら感じ取れるよね。

 

 それからはリオの追手は来なかったため、僕らは束の間かもしれない時間を睡眠で占めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日で逃走4日目……。

 

 みんなの顔には疲労が見えていた。そりゃあ、普通は体験することのない逃亡生活を続けているんだ。

 

 昨日は散々追いかけられた上に、ここには簡易的なシャワーと寝具があるとはいえ、十分に疲れを取れるようなものがないのだから、仕方ない。

 

 とはいえ、追手が来れば否応なしに動かなければならないのだから、休める時にはきっちり休み、すぐに動けるようにならなければいけない。

 

 朝食の間も、今それぞれの思い思いで休んでるこの時も、つい追手を警戒してゆっくりと休むというのは無理な状態だ。

 

 まあ、一部例外はいるんだけどね……。

 

「……ただいま」

 

「……戻った」

 

「ん? 何処か行ってたの?」

 

「ええ。ちょっとトラップを仕掛けてみた。今度のは少しばかり……実践的よ」

 

「じ、実践……?」

 

「ひとつはロープトラップ。引っかかれば逆さ吊りになるような代物よ」

 

 また古典的なトラップを仕掛けたものだ。

 

「……それと、軍隊式のトラップも少々織り交ぜてみた」

 

「だ、大丈夫なのかな? 主に罠にはまった人」

 

 この2人が考えたトラップとなると、最悪死人が出るのではと思ってしまう。

 

「ついでに、いくつか嫌がらせに古典的なものもひとつ仕掛けておいたわ」

 

「古典的? いや、さっき言ってたロープのも結構古典的だと思うけど──」

 

「姫様」

 

 僕の声を遮るように、この場にいない人の声が入ってきた。

 

「……フローラね。どうしました?」

 

 ムラサキさんが声をかけると、扉からフローラさんがゆっくりと姿を現す。

 

「リオ様のことで、姫様のお耳にいれておかねばならないことがあります」

 

 今回も警報らしい警報は鳴らなかったね。ただし──

 

『『『………………』』』

 

 全員の視線がフローラさんの頭部へと向けられている。

 

「何か?」

 

「ああ、えっと……」

 

「何ていうか……」

 

 何故かフローラさんの頭の上に、黒板消しが乗っかっていた。

 

 多分、あれが杏ちゃんの言ってた古典的なトラップだろう。確かにあれも十分古典的だ。

 

「…………」

 

「そ、それで……兄様は一体何を?」

 

 ムラサキさんも頭部の黒板消しは気になるも、見なかった事にして話の続きを促す。

 

「はい。姫様には残念なお話なのですが……今、姫様が使っておられる、この隠蔽型地下建造物ですが──」

 

「ふん、地下アジトと呼んでほしいものだな」

 

「もしくは秘密基地、な」

 

「お前らは黙ってろよ」

 

「──その全ての位置を、リオ様がおさえました」

 

 杉並君と渉の言葉を無視しとフローラさんがとんでもないことを口にした。

 

「は? 全て……?」

 

 義之も、フローラさんの言葉に信じられないような顔をした。

 

 確かにかなり早い段階で前回と前々回使ったアジトをおさえられたけど、この短期間にその全てをおさえられたのか?

 

 確か、杉並君が言うには52はあったって聞いた気がしたけど……。

 

「ひょっとして、ここも……?」

 

「はい。ここを含めて、全てです」

 

「ほほう。よもや、全てのアジトの場所をおさえるとはな……」

 

 流石の杉並君も、驚きに目を見張っていた。

 

「お、おい、じゃ、じゃあ……」

 

「逃げないとマズイ……ってことだな」

 

 雄二も冷静に言うが、内心どう行動を取ればいいかまとまりきってないのだろう。

 

 あちこちに目を泳がせ、必死に何かを考えてるような顔になってる。

 

「って、洒落にならねーぞ、それ! 早く逃げる準備しねえと。いや、すぐにでも逃げよう!」

 

「落ち着いてください」

 

 渉が慌てているところにフローラさんが冷静に口を入れる。

 

「リオ様は、地下建造物の位置を把握しただけにすぎません。皆様の逃げ場をなくすために、一斉に占拠するつもりではありますが、今はまだ体勢を整えている状態です」

 

「じゃあ、今のところは踏み込んではこないってこと?」

 

「それに、全部の地下室のうち、どの地下室に私たちがいるか……とかはわかってないってことよね?」

 

「そうね。彼女は全部のアジトをおさえたと言っただけ。私たちの位置を特定したとは言ってないわ」

 

「あ、そういえば……」

 

 そういえばそうだったね。

 

「はい、そうなります。このタイプの地下建造物に潜伏してることはわかっても、そのどれにいるかまではまだ……」

 

「作戦開始時間は決まってるのか?」

 

 雄二がフローラさんに尋ねる。

 

「作戦の開始時間は、13:00(ひとさんまるまる)。姫様たちは、それまでに安全な場所にお逃げください」

 

「安全な場所と言われても……」

 

「アジトの全てを抑えられておる以上、もう安全な場所など、ないのじゃろう?」

 

「ここ以外に安全な場所って……」

 

 みんな必死に頭を捻るが、それらしい場所は思いつかなかったようだ。

 

「私からお伝えできるのは……ここまでです」

 

 役目を終えたとばかりにフローラさんは深々と頭を下げる。

 

 その拍子に、彼女の頭の上に乗っかっていた黒板消しがずり落ちた。

 

「「「あ……」」」

 

「……では、姫様。ご武運をお祈りします」

 

 何事もなかったかのようにフローラさんは踵を返した。

 

「あ、ありがとう、フローラ。働きに感謝します」

 

 ムラサキさんも、ここにいるみんなも何も見なかったことにしてフローラさんを見送る。

 

「では、失礼します」

 

 フローラさんが出ていってから、室内はしばし沈黙した。

 

「……しかし、安全な場所ねぇ」

 

 義之がどうしたものかと口を開いた。

 

「ぶっちゃけ、俺たちが逃げ込めるような場所、残ってるのか?」

 

 渉が疑問を投げてからみんなも考えるが、首を捻るばかりで中々思い浮かばないようだ。

 

 地下アジトでダメとなると、リオを追い返すどころかまともな逃走だってかなわない。

 

「いや、もうひとつ……もうひとつだけ、心当たりはある。確実ではないが……ほかに手はない、か」

 

 杉並君の言葉に全員が視線を集中させる。

 

「じゃあ……」

 

「ああ。早速、撤収準備を始めるぞ。今度の場所は期待できないからな。必要なものは、忘れるなよ」

 

 杉並君の号令に従い、自分たちが使っていた小部屋で荷物をまとめていく。

 

 杉並君の言った場所がどのようなものか、そしてリオに見つからない場所なのか不安になりながらついていく。

 


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