バカとダ・カーポと桜色の学園生活   作:慈信

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第七十一話

 

「じゃあ、義之。僕は一旦学園に顔出してくるから」

 

「ああ、こっちは俺がなんとかするよ」

 

「うん。じゃあ、また後で」

 

 明久はそう言い残して音姉の部屋から出て行き、部屋には俺の音姉だけになった。

 

 静寂の空気の中ではエアコンの音だけが響き、カーテンの向こうから夕陽が漏れていた。

 

 修学旅行の3日目の昼頃、由夢から音姉が倒れたと聞き、俺と明久はすぐさま初音島へ全速力で駆けつけていった。

 

 そして学園の保健室へ駆け込んでみれば音姉がいつにない疲れきった顔でベッドの上に横たわっていた。

 

 水越先生の話によれば、修学旅行初日から天枷のロボット疑惑が既に広まりきっており、数多の生徒からのからかいやイジメを鎮めるのに休む暇もなかったらしい。

 

 いくら音姉やまゆき先輩が一流と言っても、全校生徒相手では対処しきれない。

 

 そこに更に追い打ちをかけるように生徒から……主に天枷のクラスメイト達からロボットが傍にいるなんてありえない、ロボットが人間と暮らす事がどうかしてるなどと、数え上げればキリがないくらいの苦情が押し寄せてきたらしい。

 

 あの事故から何かしらの動きがある事はみんな覚悟の上だったが、休日だったあの日の事故から既に学園中にまで広がったのは予想外だった。

 

 今更ロボットじゃないと言っても、周りのみんなの疑念はなくならないだろうし、かといってばらせば天枷が今度こそ処分されるかもしれない。

 

 そんなこんなで心身共に疲労の溜まった音姉は遂に今日倒れてしまったというわけだ。

 

「悪いな、音姉……」

 

 俺は申し訳ない気持ちで音姉の髪をそっと撫でた。

 

「ん……」

 

 音姉の口から声が漏れた。どうやら今ので起きてしまったようだ。

 

 音姉の瞼がゆっくりと開いていき、数秒視線を泳がせて俺の方を向いて止まった。そこから更に数秒かかって俺を認識したらしい。

 

「……お、弟……君?」

 

「悪い、起こしちゃったか?」

 

「え……? 何で弟君が? 修学旅行は……?」

 

「由夢から音姉が倒れたって聞いたから、明久と一緒に速攻で帰ってきた」

 

「え、そんな……」

 

「気にすんなって。どうせ後一日で終わりの旅行なんだ。今日戻ってきたからといって、そう大差ないって」

 

 音姉の気が沈みそうになるのを感じてすぐに気にしないように言った。

 

 水越先生から聞いた事情じゃ、倒れるのはしょうがないし、ここに来たのは俺の意思だ。そこは間違わないでほしかった。

 

「それより具合はどうだ? だいぶ疲れたって聞いたから」

 

「うん、もう平気。弟君の顔見たからかな?」

 

「ば、馬鹿言ってんなよ」

 

 いきなり何を言い出すかと思えば、またそんな恥ずかしい事を。

 

「あ~、お姉ちゃんに馬鹿って言った……」

 

「ん~……熱は、ないな」

 

「風邪なんて引いてません」

 

「そりゃそっか。体調管理しっかりしてるもんな、音姉は」

 

「……カッコ悪いとこ、見せちゃったね。ここまで運んできて、重かったんじゃないの?」

 

 穏やかな笑顔でそう聞いてきた。

 

「明日はきっと筋肉痛だな。特に両腕が……」

 

「む、それは私が重かったって事!?」

 

「さっき自分でそう言ったんじゃないか」

 

「普通は重くなかったよって言うべきだよ」

 

「まあ、半分は冗談だけどさ。体重はどうあれ、交代でやっても学園から運ぶの相当重労働だったんだぞ」

 

 距離が距離なんだからむしろ感謝してほしいところだ。

 

 けど、体重が重いなどと冗談でも言われたのが気に入らなかったのか、頬を膨らませて抗議していた。

 

 こんだけ普段通りの表情ができるのなら安心だ。

 

「とりあえず、だいぶ楽になったみたいだな」

 

「あ、うん……弟君がそばにいてくれたからかな?」

 

 またそんな事を。しかも照れながら視線をそらせる仕草が妙に可愛く感じてしまう。

 

「しかし、無理しすぎだろ。天枷の事を頼むって言ったのは俺だけど、倒れるまで我慢しなくたって」

 

「うん、ごめん」

 

「たく……あんま心配させるなよ」

 

「心配……してくれたんだ」

 

「当たり前だろ」

 

「えへへ……」

 

 音姉は何故か幸せそうな笑みを浮かべる。

 

「あのなぁ、人に心配かけておいて何幸せそうに笑う?」

 

 怒ったフリをりながら、こっちも自然と口元が緩んでしまう。

 

「ん、ごめん」

 

「たく……」

 

「……約束、覚えてくれてたんだ」

 

「え?」

 

 約束? 約束って何の事だ? 旅行前に何か約束なんてしたっけか?

 

「あ、ううん。なんでもない。ごめんね、変な事言って」

 

「はぁ……まぁ、もう平気みたいだし。元気の出るスープでも作っておくか──っと……」

 

 料理をしにいこうと立ち上がると、目の前がぐらりと揺れたような感覚に襲われ、危うく倒れそうになる。

 

「弟君……?」

 

「大丈夫……ちょっと、立ちくらみしただけ。音姉の無事を見たら、気が緩んだかな?」

 

「で、でも……」

 

「大丈夫だって。大急ぎで帰ってきたからちょっと疲れただけ。じゃあ、また後でな」

 

 俺はそう言って音姉の部屋から出ていった。

 

 さて、音姉の無事も確認できたことだし、旅行も途中で切っちまったものは仕方ねえ。ここはいっそ開き直るか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……それで、どうなんですか? 天枷さんの方は……?」

 

 僕は音姫さんの事を義之に任せ、学園の保健室に行き、今水越先生と天枷さんの事について話し合っていた。

 

「正直、かなりしんどい状況だというのは確かね。彼女がロボットではないかという噂がかなり広まってしまった」

 

「なんとかならないんでしょうか?」

 

「どうにもならないわ。噂を鎮圧しようとしても、手が回らないし……かと言って、彼女の正体を明かしてしまえば、

 余計騒ぎを大きくするだけだわ」

 

「でも、このままでも騒ぎは大きくなるだろうから、いっその事天枷さんの事を話して、わかってもらえば……」

 

「確かに、君達は彼女の正体を知っても、彼女の存在を受け入れてくれた。それには感謝してもしたりないくらいさ。でもね、誰も彼もがみんな君達と同じ考えだと思わない方がいいわ。君だって、現代社会を学んでいるなら少しはわかるはずでしょ? ロボットを忌避してる人は少なくないし……中には、憎んでる人だっているわ」

 

「憎んでる……」

 

 憎しみという言葉で、昨夜の委員長の態度を思い出した。

 

「こっちとしても、対策は検討しているさ。美夏の事は、もうしばらく待ってほしい。

 その間は、引き続き彼女を頼む。いいかな?」

 

「……わかりました」

 

 正直言えば、僕も手伝いたいと言いたいところだったけど、僕はこういった頭脳労働なんて向かないし、ムッツリーニみたいに情報操作ができる腕もない。

 

 できる事なんてかなり限られている。こんな時、もう少しちゃんと勉強してればと本気で思う。

 

 なんて言っても結局は後の祭り、だったか。こんな事愚痴っても何も始まらないし、僕は僕のやることを全力でなすのみだ。

 

「……と、その前に……ななかちゃんに連絡だ」

 

 彼女に何も言わずに、しかも約束をすっぽかす形で帰ってしまったんだ。怒ってるだろうな、ななかちゃん。

 

 僕は恐る恐る携帯のボタンを押して、ななかちゃんにかける。さて、懺悔の時間の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん……そう……。……それはわかったけど、せめて一言言ってほしかったな~。…………ふ~ん。その言葉、忘れないでおいてね♪」

 

 明久と別れた後の班行動で、白河の携帯が鳴り、それに出たら明久と桜内が修学旅行をすっぽかして初音島に帰ったという報告らしかった。

 

 なんでも、向こうで音姫先輩が過労によって倒れたらしく、それを聞いた明久達が飛んでいったようじゃ。

 

 まったく、明久らしいというか……しかも桜内までも。仕方のないやつじゃ。

 

 白河の奴も、明久から事情を聞いて仕方ないなという風に振舞っている。まあ、明久のお人好しは今に始まった事じゃないからの。

 

「うん……音姫先輩に、早くよくなってくださいって伝えておいて。……うん、じゃあ」

 

「どうじゃ? 明久の方は?」

 

「うん、音姫さんの方は大丈夫そうだって。修学旅行の方はもう無理そうだから、こっちは自分に任せてそっちはそっちで自分達の分まで楽しんでいってだって」

 

「そうか。音姫先輩が倒れたからと聞いて心配する気持ちはわかるから仕方ないにしても、明久が初音島に戻ってしまって残念じゃったの。個人行動の際、デートする予定だったのじゃろ?」

 

 明久は特に楽しみにしておったのに、運が悪かったのぉ。

 

「うん。でも、あれが明久君だから仕方ないなぁって気持ちもあるから……しょうがないから個人行動じゃ私は小恋とのデートに変更しようかな」

 

 まあ、月島も桜内が帰ってしまったから少なからず残念がってることじゃろう。

 

「じゃあ、そういう事だから私はここで」

 

「うむ。儂も個人的な用がある故、ここで失礼する」

 

 儂と白河はこの場で別れ、それぞれの行動を取る事になった。

 

「さて、儂もそろそろ行くかの。時間もそうあるわけではないからの」

 

 時計を見ると、午後2時を過ぎたところ。宿に戻る時間が7時と聞いておるから……そんなに長いというわけにもいかんの。

 

 儂は携帯を取り出して操作をし、ある者へ電話をかけた。

 

「……む、少しばかりいいかの? ……うむ、そうじゃ。時間も時間じゃから、なるべく急いで行きたいのじゃが。……うむ、少々遠めになってしまうが、よいかの? ……うむ。では、すぐ近くの駅で待っておるぞ」

 

 儂は携帯を切って、待ち合わせ場所へ急ぎ足で向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ……では、ゆくとするかの」

 

「うん」

 

 いざ一番近い駅へ着いてしばらくすると茜……ではなく、藍と合流し、早速出発するとした。

 

「ところで、ひとつ無粋な質問じゃろうが、体調はどうじゃ? 何か変化はあるかの?」

 

「体調は悪くないよ。何しろ、茜ちゃんの身体だもん」

 

「ああ……言い方を変えるのじゃ。調子はどうじゃ?」

 

「もう、最悪だよ。なんだか、この世界から存在を拒絶されちゃってるみたい。変な孤独感が私を包んでるっていうか。いっそ、このまま消えちゃった方が楽って感じ」

 

「それは……大丈夫なのかの? 茜の身体の方に異常は出ないものかの?」

 

「や……だから、肉体的苦痛はないんだよ。ただ、今にも消えちゃいそうなあやふや感が私を包んでるっていうか……あ~、どう言えば伝わるかな~?」

 

 藍はどうしたものかと首を横に振りながら悩んでおった。

 

「無理に儂に付き合わずとも、休んでもよかったのではないか?」

 

「いいよ。というか、こうして秀吉君と歩いていた方が楽。問題なのは、体の方じゃなくて心の方だから」

 

「うむ……」

 

 二重人格……というわけではないが、その手の感覚は儂にはわからんの。

 

 藍には身体がなく、今はこうして茜の中におるから存在しておるのじゃが、本来は心……つまりは魂だけの存在じゃな。

 

 それが消えてしまうというのがどんなものなのか、儂にはわからんが、こうしてる間にも藍の存在は徐々に消えつつある。

 

 こんな事で藍の心が元に戻るとは思えんが、儂にやれる事はとことんやってみるしかないの。

 

「それで、どうしたの? 茜ちゃんじゃなくて、私を指名して誘ってくるなんて」

 

「……なんとなく、とにかくお主との時間をとことん楽しいものにしてみたいと思ての」

 

 藍の言葉に、儂は正直な気持ちを伝えた。茜のためだという事もあったり、消えてしまうかもしれない藍の心をどうにかしたいという事もあるが……一番は今この時を、藍との時間を大切に過ごしたいと思っておる。

 

「……そっか」

 

 儂の言葉で、藍も儂の心の内がわかったのか、それ以上は何も言ってこなかった。

 

「それじゃあ、行くかの」

 

「うん、それはいいんだけど……この電車の行き先って……」

 

「うむ、これから儂らが向かうのは……京都じゃ」

 

 そう言って儂は藍の手を引っ張り、電車に乗って京都へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都に着いてからは儂はまず、源光庵というところに行った。

 

 そこまでポピュラーなスポットではないようで駅にあったガイドにはちょこっとしか載っておらんかったが、ここにあるものを見て儂は最初にここから行こうと思ったのじゃ。

 

「へぇ~……なんか、木とか多いよね。屋根とかあんまり見えなかったし」

 

「元々は大徳寺の徹翁国師が隠居所として開いた寺らしいからの。さて、こっちじゃ」

 

 儂は藍を引っ張ってある場所へと案内した。

 

「お、ここじゃ」

 

「えっと、この窓は?」

 

「うむ、四角いのが『迷いの窓』、丸いのが『悟りの窓』というものらしい。別にこの窓自体に意味はないのじゃが、ここから見えるものを眼に焼き付けておきたいと思ての」

 

「…………」

 

 藍は迷いの窓と悟りの窓から見える枯山水庭園をじっと見つめておった。

 

「……よし、ここが終われば次は……」

 

 儂は引き続き、藍を引っ張っていろんな所へと向かっていく。

 

 源光庵の次はポピュラーなスポット、金閣寺へと訪れる。

 

「はぁ~……見事にまっきんきんだね~」

 

「じゃのぉ」

 

 来てみれば実物は写真で見るよりも正面が輝かしく見えるものじゃのう。これはなんとも歴史と存在感が伝わってくるようじゃの。

 

 あのような立派なものが池のほとりに建ってるのじゃからの。もはや神秘的な何かさえも感じるの。

 

「では、次じゃな」

 

 ある程度金閣寺を回ると、次の場所へと少し急ぎ目に向かう。時間も時間じゃからあまりゆっくりとはしていられんからの。

 

 そして次は清水の舞台へと向かった。その途中にある市街地も、本堂に行くまでの景色も中々によかった。

 

 拝観料を払い、断崖の上の本道に行けばそれは素晴らしい眺望であった。

 

 儂らはその風景をバックに通りすがりの者に頼み込んで記念撮影をしたり、神社でお参りなども楽しんだりした。

 

「……ふう」

 

「結構真剣にお願いしたね。何を願ったの?」

 

「うむ…………なんてことはない、これからの人生を楽しめるようにといったとこかの」

 

「あは♪ 秀吉君らしいね」

 

「……うむ」

 

 その人生の中に、藍もいればと思ったりもした。

 

 藍の存在があとどれだけ保つのかは定かではないが、その期間がずっと続けばと思わずにはいられん。

 

 茜の事もあるし、儂も藍の存在を知ったとなっては茜と同様、消えてほしくはない。

 

「あ、秀吉君。あそこ、恋みくじだって」

 

「む?」

 

 儂が暗い考えにふけてると、藍が恋みくじを出してる社務所を指差した。

 

 うむ、割と並んでおるの。しかも、並んでいる者達のほとんどが女子というのがの。やはり女子はその手のものが気になるといった

 ところなのかの。

 

「せっかくだし、行ってみよ?」

 

「流石に、あれだけの女子の中に入るのは気がひけるの」

 

「大丈夫だって。秀吉君なら傍目から見れば女子にしか見えないもん」

 

「……その言葉は男として傷つくのじゃが」

 

 まったく……。いつもの事じゃが、何ゆえ儂はどこに行っても女子に間違われるのじゃ。

 

 確かに姉上と一卵双生児並みに似ておることは否定せんが、これでも立派に男らしく生きていると自負しとるのじゃが。

 

 結局、儂は藍に付き合って恋みくじを引く事になった。くじを購入する際、巫女さんからバイトの誘いを受けたが。

 

 うむ……巫女服は中々着る機会がないから試してみたい感があるが、ずっと京都にというわけにもいかんしの。

 

 ……今度時代劇やおとぎ話用に巫女服や振袖の購入も考えてみようかの。

 

「…………ふぅ」

 

「む、結果はどうだったかの?」

 

「それ聞くのマナー違反だよ」

 

「うむ……それもそうじゃの」

 

 確かに、女子におみくじ……それも、恋愛関連のくじの結果を聞くのは野暮というものじゃの。

 

「それで、秀吉君の結果はどうだったの?」

 

「お主はダメで、儂はよいのか…………まあ、結果だけ述べるなら末吉じゃの」

 

「これはまた微妙だね」

 

「うむ……」

 

 儂が引いた恋みくじは末吉。そこにはこう書かれておった。

 

『このおみくじを引いたものの前に大きな壁が立ちふさがるだろう。勇気を持って、目の前にいるものの心を救わんがために努力すべし』

 

 ……目の前の心を救わんがために、か。おみくじに説かれるまでもなく、儂とてそのために思い出作りを考えた。

 

 今回の事が、藍の……茜の心を救うきっかけになってくれればと祈っておるが。

 

 この後は流石に時間も迫ってきたので、奈良の宿で戻り、お互いクラス別のスペースへと別れていった。

 

 


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