バカとダ・カーポと桜色の学園生活   作:慈信

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第六十五話

 

 放課後……ななかちゃんの過去と桜が枯れるまで持っていた能力を知った後で僕とななかちゃんは水越病院へと足を運んだ。

 

 もちろん、来た理由はここで入院しているゆずちゃんの事だ。心を読む力が失った直後でいきなり対人というのはキツイものがあるかもしれない。

 

 でも、純粋に相手を想って話す事を覚えてもらわなくちゃいけない。ななかちゃん自身のためにも。

 

「あ、ななかちゃんに明久君」

 

「あ、慎さん……こんにちは」

 

「こ、こんにちは」

 

「こんにちは。今日もお見舞いに来てくれたのかな。ありがとう」

 

「いえ」

 

「えっと……ゆずちゃんは?」

 

「ああ、今は診察を受けているよ。困った事に、今日も診察から逃げ出そうとしていたところを捕まったんだってさ。ハハハ」

 

 どうやらゆずちゃんは今診察中のようだ。

 

 診察から逃げるあたりは普通の子供なのだな。いつも元気すぎるくらいに大笑いしている印象が強い所為かイマイチ想像しづらかった。

 

「ハハハハ……本当に困ったもんだよ」

 

 ……なんだか、慎さんの表情が暗い気がする。

 

「えと……慎さん? 何かあったんですか?」

 

 能力がなくてもこの手の空気に敏感なななかちゃんは慎さんに尋ねる。

 

「あー、うん……さっきお医者さんに呼ばれてね……ゆずの事でちょっと。……2人はゆずのお友達だから、ちゃんと話した方がいいね。実は、ゆずの奴、手術を受けないと治らない病気なんだ」

 

 慎さんは突然そんな風に言い出した。

 

「え?」

 

「うそ……」

 

 これには僕もななかちゃんも驚いた。会いに行く度にあんなに元気に走り回ったり突撃かましてきたりするゆずちゃんが……そんなに重い病気を抱えてたなんて。

 

 手術をしないと治らない……あれくらいの小さな女の子からすればそれはどんなに恐い事か。

 

「それと、その手術も……あまりいいとは言えないんだ」

 

「良くないっていうのは……一体?」

 

「助かる確率が低いって事さ」

 

「っ!?」

 

「そ、そんなに……?」

 

「こればっかりはね……」

 

 慎さんの話じゃ、この水越病院でゆずちゃんのような難病を持った患者が助かった確率が一番高かったらしいと。

 

 だから、本島の病院からこの初音島の病院へと移ったらしい。腕の立つ医者と、なによりこの島ならではの自然な環境が難病を治したとかで。

 

「そんなに……重い病気なんですか?」

 

「そ、そんな風には見えないです……だって、ゆずちゃん、すごい元気で……」

 

 ななかちゃんも信じられない気持ちが強いのか、声が荒れてきている。

 

「あの子も、それが全部わかってるから、あそこまで元気でいられるんだ」

 

「え?」

 

「元気に笑って、恐い恐い病気を自分で吹き飛ばそうと必死に生きているんだよ」

 

「……っ!」

 

「…………」

 

 慎さんの話を聞き、廊下に重い沈黙が流れる。どう言葉をかけたらいいかわからなくなる。

 

『あはははははははは!』

 

 その時、病室の方からいつもと同じ、元気すぎるくらいのゆずちゃんの笑い声が聞こえた。

 

「本当に、あの元気な笑いで病気が逃げていってほしいよ」

 

 それに関しては僕も同じ気持ちだった。あんなに小さくても、病気の事は嫌でも理解できるはずだ。

 

 それでも、ゆずちゃんはあんなにも元気に笑って病気と闘っているというのに。

 

「でも、じゃ、すぐにでもゆずちゃん、手術を受けなきゃ」

 

「…………」

 

「今すぐにでもしなきゃ、手遅れになったら!」

 

「待ってななかちゃん。その手術だって助かる確率は低いっていうんだよ? ゆずちゃん自身の気持ちもつかないまま先走っても……」

 

「そうだけど!」

 

「……ごめんね、2人共」

 

 慎さんが申し訳なさそうに謝ってきた。

 

「ゆず本人、それを知ってて……手術を受けたがらないんだ」

 

「……ゆずちゃんが?」

 

「ああ。本人も嫌がってるうちは、無理に手術を受けさせてもいい事はないだろうって……今はまだ様子見になってるんだ。もちろん、すぐにでも手術を受けて助かる確率に賭けたいのは山々なんだけどね。でも僕自身、どうしていいのかわからなくてね」

 

 慎さんの口調はとても穏やかだが、内心ではゆずちゃんに何もできない自分の事がよっぽど悔しいのだろう。

 

 一人娘が泣かずに一生懸命生きてるのに自分は何もできない……それが嫌なんだろう。

 

 手術が成功する見込みが高いのならゆずちゃんもすぐに受けていただろう。でも……そうじゃないから、怖くて……ゆずちゃんはずっと怯えてるんだ。

 

「ごめんね、お見舞いに来てくれたのに、こんな暗い話をしちゃって。診察ももうすぐ終わりそうだけど、行くかな?」

 

「……お願いします」

 

 正直、辛い事情を聞いて見舞いどころじゃないと思うけど……それらを全部受け止めて、僕らもゆずちゃんと同じくらい笑って、元気をあげなきゃ。

 

 すぐには無理でも……ゆずちゃんが手術を受ける決心を後押しできればいいと思った。この時は……。

 

 

 

 

 

 

 

 診察が終わってお医者さんが出ていったと同時に僕とななかちゃんはゆずちゃんの病室へと入っていった。

 

 慎さんはお医者さんと病気についての話があるとかでお医者さんについていって席を外している。

 

 ゆずちゃんも最初はいつも通りの挨拶を交わしてきたのだが、今日は何のお遊びもしてない。

 

 見ればななかちゃんの表情が非常に険しいものになっている。ななかちゃんは、ゆずちゃんの手術の事を考えているのだろう。

 

「ななか、きょうはげんきないな~。どうしたー?」

 

 あまり喋ってないななかちゃんにゆずちゃんが心配そうに尋ねた。

 

「そう? 私は元気だよー」

 

「そうか? ならいいけど~。そうだ、にいちゃん、ごほんよんでー」

 

 そう言ってゆずちゃんは僕に絵本を手渡してきた。なになに? 題名は、『さくらひめのでんせつ』?

 

 題名からしてこの島ならではのおとぎ話か何かだろう。本が結構古いのを見るとゆずちゃんのお気に入りなんだろう。

 

「オーケー」

 

「やったー!」

 

「……ねえ、ゆずちゃん」

 

「んー?」

 

 唐突に、ななかちゃんが静かに喋り始めた。もしかしてななかちゃん、手術の事を言うつもりじゃ。

 

「ゆずちゃんの病気の事なんだけどね」

 

 それを聞くと、ゆずちゃんの表情が一変した。でも、すぐに笑顔になってななかちゃんを見た。

 

「あー、ななかもきいたのか~」

 

 あははは、と朗らかに笑う。これだけを見るとそんなに大きい病気と理解しているようには見えない。

 

「笑ってる場合じゃないよ、ゆずちゃん」

 

「ん?」

 

「手術を受けないとダメだよ」

 

 ゆずちゃんがそれを聞いて驚いた。いつも和やかに笑うななかちゃんの真剣な表情と言葉に驚いたのだろう。

 

「どうしたんだ、ななか?」

 

「どうしたって、心配だから言ってるんでしょ!」

 

「ななかちゃん、あまり強く言っても……」

 

「だって……」

 

 ななかちゃんが心配なのはわかってる。でも、今ゆずちゃんにそれを言っても受け付けてくれるかどうか。

 

 ゆずちゃんは事態が飲み込めてないのか、僕とななかちゃんを交互に見ていた。

 

「……ね、ゆずちゃん。手術、頑張って受けよう?」

 

「それは無理だ」

 

 即答だった。僕らが鉄人に対してあれこれ言う時と同じかそれ以上の速さである意味感心してしまう。

 

「無理って……どういうこと?」

 

「しゅじゅつ、しっぱいするかもしれないからな」

 

「で、でもそれは……このまま放っておいた方が悪くなっちゃうよ? そんなのダメだよ」

 

「でもしっぱいしたら、とうちゃんひとりになっちゃうからなー」

 

「……え?」

 

「しゅじゅつ、しっぱいしたらとうちゃんはひとりになる。でも、しゅじゅつしなければすぐにはわるくならない。とうちゃんがひとりにならなくてもいいように、とうちゃんをささえてくれるひとがでてくるまで……しゅじゅつはうけない」

 

「……ゆずちゃん」

 

「とうちゃん、さびしがりやなんだー。ゆずがいないとなにもできない」

 

 そう言ってゆずちゃんはいつもと違って、寂しそうな顔をした。

 

 ゆずちゃん……手術が恐いというのもだけど、君はお父さんの事も気にかけて手術を躊躇っているのか。

 

「だめかー?」

 

 ダメと、すぐにでも言いたい。ここでお父さんを悲しませないためにも、すぐにでも手術を受けた方がいいと言いたい。

 

 でも、ゆずちゃんのお父さんを想う気持ちもわかるから。

 

「ダメじゃないよ。ゆずちゃんの気持ちは、すごいわかるから」

 

「なぁ?」

 

「…………嘘だよ」

 

「え?」

 

「な、ななかちゃん……?」

 

「嘘だよ……だって、お父さんはゆずちゃんの事をすごく心配しているんだよ。それなのに、お父さんを理由にするのは卑怯だよ」

 

「ななかちゃん、それは……」

 

「本当は恐いだけじゃない。手術を受けるのが恐いだけでしょ!」

 

「…………」

 

 ななかちゃんの言葉にゆずちゃんが初めて動揺して、笑顔が崩れた。

 

「お父さんはゆずちゃんに手術を受けてほしいって思ってるんだよ。それで、早く良くなってほしいって思ってるんだよ? それなのに、ゆずちゃんは心配している相手の気持ちもわからないの? 弱虫だよ! どうしてわかってくれないの!」

 

「…………」

 

 ゆずちゃんはななかちゃんの言葉に唖然としていた。

 

「な、ななかちゃん、落ち着いて……」

 

「……てけ」

 

「え?」

 

「でてけ!」

 

 ゆずちゃんが僕の持ってた絵本を取り上げて投げつけてきた。

 

「でてけ、でてけ、でてけでてけ──っ!」

 

 ゆずちゃんの顔からは笑みは消え去り、代わりに怒りや悲しみを露わにして傍に置いてあった絵本やぬいぐるみを滅茶苦茶に投げつけてくる。

 

「ちょっ、ゆずちゃ……」

 

「ゆずちゃん、待って。話を……」

 

「でてけ、でてけ! ななかなんかだいっきらいだ────っ!」

 

「……っ!」

 

「でてけ────────!」

 

 これでは、まともに話を聞ける状態じゃない。僕はななかちゃんを連れて病室を出て行く。

 

「でてけ! もうくるな──っ!」

 

 ゆずちゃんの拒絶の言葉を背に受けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕達は、まだ寒さの残ってる空の下を歩いていた。

 

 あの後、騒ぎを聞きつけた看護師さんにゆずちゃんを任せることになった。

 

 どうにか看護師さんがゆずちゃんを押さえる事はできたけど、ゆずちゃんと僕達の間に大きな溝を作ったのは確実だろう。

 

「……ダメだね、私……」

 

 帰り道の途中、ななかちゃんがポツリと呟いた。

 

「ゆずちゃんに、早く元気になってもらいたかっただけなのに」

 

「まあ……ななかちゃんの言う事が間違いってわけじゃないと思うよ。でも、ゆずちゃんの気持ちもわかるんだ。あんなに小さい子に病気の重さを知るだけでもとても恐ろしい事だろうし……それが恐いと思うのは当然だよ」

 

「……そう、だよね。私……ゆずちゃんの気持ち、考えてなかった…………やっぱり、心が読めなくちゃ、私なんて……」

 

 ななかちゃんはゆずちゃんに言った言葉を悔やむように拳を握る。

 

「私……嫌われちゃったかな」

 

 ななかちゃんが本当に辛そうに呟く。

 

「……嫌われた、わけじゃないと思うよ。ただ……いきなり言われた事でショックが大きかったんだと思うよ。多分、ゆずちゃんも本当は治すために手術を受けなきゃいけないのは理解してたんだと思うよ。でも……やっぱり病気は恐いから……死ぬのが恐いから、無意識のうちにその事を目に入れないようにしてたんだと思う」

 

「…………」

 

「……今日は帰ろう。ゆずちゃんの事に関しては、もう少し時間を置いて考えよう。ななかちゃんも……今は心の整理が必要だろうから」

 

「……明久君」

 

「ん?」

 

 ななかちゃんが僕の名前を呼ぶと同時に僕の服の裾を指で掴んできた。

 

「……明日……一緒に……」

 

 か細い声でそう言った。今日は色々あったわけだし……不安になってもしょうがない。

 

「うん。そうしよう」

 

 これからのためにも、今はななかちゃんの不安をどうにかしなきゃね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 枯れない桜が枯れた翌日の週末。外は雪だった。

 

 その中で、僕はななかちゃんとデートしている。昨日、今まで自分の半身とも言える力を失い、ゆずちゃんとも喧嘩をしてしまった。

 

 その事から不安になっているななかちゃんを少しでも元気づけられればと思った。

 

 そして僕は今待ち合わせ場所であるCDショップの中にいた。

 

「明久君……」

 

 消えそうなほど小さな声で呼ばれた。振り返ると私服姿のななかちゃんがいた。

 

「あ、ななかちゃん。待ってたの?」

 

「……ううん、今来たところ。遅くなった、かな……」

 

「ううん。僕もほんの数分前に来たところだし」

 

「…………」

 

 昨日に引き続いてななかちゃんの表情は暗いままだった。それから何かに怯えるように僕の服を掴んでくる。

 

「ななかちゃん、どうかした?」

 

「…………なんでもないよ」

 

 口では言うが、やはり表情が優れていない。

 

「……何処か、別の場所に移動する?」

 

 僕はななかちゃんに店の外に行く事を促すが、

 

「…………」

 

 ななかちゃんが掴んでいる服を強く引っ張って首を振った。

 

「……大丈夫? どこか具合が悪いとか?」

 

「な……なんでもない……」

 

「本当に、大丈夫?」

 

「大丈夫」

 

 不安たっぷりの声で呟いた。とりあえず店の外には出るけど、ななかちゃんの表情は暗いままだ。

 

「とりあえず……こんなに綺麗な雪なんだし、高台とかに行こうか?」

 

「う、うん……」

 

 ななかちゃんは僕にくっつきっぱなしで、少しも離れようとしなかった。

 

 そして、過剰なまでに周囲を気にしているようだった。

 

「ななかちゃん……」

 

「……怖いの」

 

「…………」

 

「みんなが……私の悪口を言っている気がして……」

 

「…………」

 

 仕方もない。ななかちゃんは今までずっと人の心を読みながら生きていたんだ。

 

 それがななかちゃんを支えていた。その支えがなくなった今、ななかちゃんの心は今にも崩れそうなほど罅だらけになっているに違いない。

 

 その所為か、僕にくっついて今までの習慣なのか、必死に僕の心を読もうとしているのが表情でわかる。

 

 こうなると人ごみは避けた方がいいのかもしれない。

 

「それじゃ、行こうか」

 

「……うん」

 

 そして、僕達は高台へ行くために、できるだけ人通りの少ない場所から行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高台に着くと、今日の天気が雪だったためか、人がいなかった。

 

 人がいないからか、ななかちゃんも徐々に落ち着きを取り戻しているようだ。

 

 ただ……やっぱり不安な表情はぬぐい去れないままになっていた。

 

「雪景色が綺麗だなぁ……今までが桜ばかりだったけど、今は真っ白になってて綺麗だよ」

 

「…………」

 

 ななかちゃんは僕にしがみついたまま僕と同じ景色を眺めていた。

 

 どうにかならないかなと思った所に、甘いクリームと果物の匂いが漂ってきた。

 

 匂いにつられて視線を移すと、クレープの屋台が出ていた。

 

「ななかちゃん、ちょっと待ってて。クレープ買ってくるから」

 

「え?」

 

「味は、何がいいかな? いちごか、チョコか……」

 

「だ、だめ……」

 

「あぁ、でも……キウイかパイナップルも捨てがたいし……」

 

「だめ……だめ……」

 

「……って、ななかちゃん?」

 

「だめぇっ!」

 

 突然、ななかちゃんが大きな声を出して僕に強くしがみついた。

 

「え? な、ななかちゃん?」

 

「だめぇ……離れちゃ、だめぇ……」

 

 ひどく怯えた様子で、今にも泣きそうな子供のように言われた。

 

 彼女の不安がここまでひどくなっていたとは。

 

「わ、わかったよ……大丈夫。離れたりしないから、ね?」

 

 僕は彼女を包むように抱いてそっと座らせる。

 

「明久君……明久君……」

 

「大丈夫だから……何処にも行かないから。もう離れないよ」

 

 僕はななかちゃんを愛惜するように、震えるななかちゃんをずっと抱いたままその場所を動かないまま、その日を過ごした。

 

 ななかちゃんの事……思った以上に深刻なのかもしれない。

 

 僕ひとりで、いつまでも支えられそうにない。どうにかしないと……。

 

 

 

 

 

 

 

「──と、いう事があってさ」

 

「ふむ、なるほどの。それほど深刻な事になっておったか」

 

「随分とキツイな……」

 

 デートを終えてななかちゃんを送り帰した後、芳乃家に戻って秀吉と義之にはななかちゃんの現状を伝えた。

 

 とりあえずななかちゃんの力の事は抜いて過去の事もほんの少しだけ打ち明けた。

 

「まさか、白河がそのような過去を持っておったとはの」

 

「まあ、白河が可愛いのは事実だからな。そういうモテモテな事もあれば嫉妬で苛められるなんて事もあるよな。女の嫉妬ってのは結構怖いもんだしな」

 

「姫路や島田がこういう時に限ってはいい例じゃの」

 

「ん? 何でそこで姫路さんと美波が出てくるの?」

 

 あの2人が嫉妬なんてするのだろうか? 僕には常に殺気ばかりだったけど。

 

「……とりあえず、そこは置いとこう。問題はどうやって白河を立ち直らせるか、だな」

 

「う、うむ……出来る限り早い方がいいじゃろう。お主らは近いうちにオンエアコロシアムというものに出るのじゃろ?」

 

「ああ、そういえばそれもあった……」

 

「枯れない桜とななかちゃんの事で忘れてたよ」

 

 色々あったからイベント事に関しては頭から離れていたよ。

 

「しかし……いい案が浮かばねえな。あの人に苛められるだとかどうなら苛めてる奴にちょっくら説教すれば終わりだろうけど、今回はな……」

 

「小さな友人を怒らせてしまい、更に小さい頃の嫌な記憶が蘇って他人に対して過剰な恐怖を抱いておる……下手に刺激すれば逆効果になりかねんぞい」

 

「かといって……人と接しない事には前進は望めないだろうしなぁ」

 

 困った状況だ。ただアレコレ説教じみた事を言うだけなら簡単なのだが、ななかちゃんの心に刻み込まれた恐怖はそう簡単にぬぐい去れるものではない。

 

 ちょっと対人方法を享受する程度じゃ回復できそうにない。

 

「どうにか心の内とか関係なく相手と話せるよう、背中を押せればいいんだけど……」

 

「今の状態では、それは無理じゃろうな」

 

 困った……人と話すどころか、近づくだけで恐怖心が身体を支配する今の段階ではどうすることもできそうにない。

 

 誰か優秀な精神科かカウンセラーでもいればいいけど、生憎両方初音島にはないようだ。

 

 もう八方塞がりだ。こればっかりは時間に任せるしかないのかと思っていた時。

 

「……何をしてるの?」

 

「あ、霧島さん。お帰り」

 

「……ただいま」

 

「おお、戻っておったのか。して……雄二は何処におるのじゃ?」

 

「そういえば、いつもくっついてるのに……」

 

「雄二なら……」

 

「む~! むむ~!」

 

「なるほど、いつものですか。では、夕飯までどうぞごゆっくり」

 

「……行ってくる」

 

「むむ~!!」

 

 雄二が僕に向かってアイコンタクトを試みてきた。

 

 え~っと、何々? 『テメェ、この状態の俺を放っておくつもりか! このままじゃ俺の人生が終わっちまう!』か。

 

 うむ、僕もアイコンタクトを返して……『雄二の人生なんて、既に霧島さん色に染まりつつあるんだからもう今更じゃん』。

 

「むがが──っ!!」

 

 『薄情者ぉ──!』か。『今まで受けた僕の気持ちを思い知れ』。よし、アイコンタクトによる会話はこれで終了。

 

「ふぅ……」

 

「なあ、木下。あいつらはあれだけ通じ合ってなんでお互い見捨てたり陥れたりするんだ?」

 

「さぁの……そればかりは儂にはわからん」

 

「はぁ……白河もあれだけ通じ合える能力でもあれば話は違っただろうけどな」

 

 実はつい最近までななかちゃんは人の心を読める能力を有していた、とは言えまい。

 

 普通なら信じられないだろうけど、ここにいる人達って、こういうの信じやすい感じがするからなぁ。

 

 にしても、心を読めるかぁ……。確かに、それだけ気持ちが通じ合えるくらいの間柄を持つ者がいれば話は別なんだろうな。

 

 残念ながら恋人でも僕はそこまでななかちゃんの気持ちを感じる事はできても理解するには足りないしなぁ。

 

 どうにか相手と向き合うという行為がどういったものかを教えてあげられればいいんだけど。

 

「……あ」

 

 そうだ。もしかしたらいけるかもしれない方法が、ひとつある。

 

「どうしたのじゃ、明久?」

 

「……秀吉、ちょっと協力してもらいたい事があるんだけど」

 

 できるかわからないけど、方法はこれしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 週が明けて学園へと向かう途中の桜並木……じゃないか。もう桜はないから。

 

 桜は枯れて……代わりに週末に降っていた雪が木の枝と道路にまだ積もっていた。

 

 誰も歩いていない通学路をひとり歩いていた。

 

 誰もいないのは人通りの少ない時間を選んでというわけじゃない。もちろん、今日はそうしようとしていた。

 

 でも、今朝早くに明久君からメールが来た。何だろうと思って携帯を見るとそこには、『大事な話があるから、朝の6時に、学校の屋上に来て』という内容だった。

 

 大事な話か……ゆずちゃんの事? バンドの事? それとも、今の私の事?

 

 私だって……できることなら正面から向き合えるようになりたい。

 

 でも……どうしても昔の事とかが頭から離れなくて、みんなの私を見る目がどれも汚く見えちゃう。

 

 どうしたらいいのかという考えを頭の中で無限ループさせながら私は学園へと足を運んだ。

 

 それからは校舎に入り、屋上へ向かっていき、いざ屋上の入口が見えた時だった。

 

『……だ? ……さ』

 

『ちょっと…………しがあ……』

 

「ん?」

 

 扉に手をかけようとしたところで声が聞こえた。今のは、明久君と……坂本君かな。

 

 何か話してるみたい。でも、何で私を呼びつけておいて坂本君と話してるんだろう。

 

 私は話の内容が気になって扉の前で聞き耳を立てる。

 

『……話って、何のことだ?』

 

『いや、なんていうかさ……いい加減に素直になれって思ってさ』

 

『は? どういう意味だ?』

 

『どういうって……霧島さんの事だよ』

 

『……いきなり朝っぱらからこんな所に呼びつけておいて何だと思ったら、んなくだらねえ事のために呼んだのか? 悪いが俺は戻るぞ。それに、翔子の事はテメェには関係ねえだろ』

 

『関係ないわけないだろ! 初めての試召戦争からずっと霧島さんはお前に好きって言ってるのに、何でお前はずっと答えを言わないんだよ! 霧島さんはずっとお前の答えを待ってるっていうのに、何でお前は彼女の想いから逃げ続けてるんだよ!』

 

『うっせえんだよ! 翔子の気持ちは勘違いだって言ってんだ! アイツの気持ちは向ける相手が違うんだよ!』

 

『ふざけんな! 霧島さんは小学生の頃からずっと雄二の事を好きだって言ってんだ! それを勘違いの一言で切り捨てんじゃねえよ!』

 

 どうやら明久君は坂本君と霧島さんの関係について話してるようだった。

 

 そういえば、霧島さんはずっと坂本君にアプローチをかけてたんだっけ。ただ、ちょっとそのアプローチのレベルが高いけど。

 

 でも、それでも坂本君はずっと霧島さんの想いに応えてなかった。明久君はそれについて問うてるみたい。

 

『だぁ、うっせえな! 翔子の気持ちも俺がどう答えようが、テメェには関係のねえ事だって言ってんだろうが!』

 

『だったら答えろよ、今すぐ! 彼女の目の前で! 言えないのか! 理由が何かはわからないけど、お前は彼女から逃げてるだけの腰抜けだ! 霧島さんの好意を受け止めるのが怖いだけのただの腰抜けだ!』

 

『っ! んだと、テメェ!』

 

 ドゴッ! という音と共に誰かが倒れこむ音が聞こえた。

 

『いちいちうっせえんだよ! んなもん、テメェに言われなくたってわかってんだよ!』

 

『だったら!』

 

『けど、今の俺にはアイツに言う言葉がねえんだ! 今の俺にはな!』

 

『…………』

 

『アイツに勘違いだとわからせて、別の生き方を与えるには試召戦争しかなかった……。だが、こっちにはそんなシステムはねえ。だからもうアイツに何て言えばいいのかわからねえんだよ』

 

『……じゃあさ、せめてまずは霧島さんと向き合って考えてみろよ』

 

『…………』

 

『そんで、改めて自分の心に素直になってみろよ。答えはそれから考えたっていいだろ……』

 

『…………ふん』

 

 それからしばらくすると扉が開いて明久君が通ってきた。頬を腫らした状態で。

 

「明久君っ!?」

 

「あ、ななかちゃん。来てたんだね」

 

「そうじゃなくて、どうしたの? こんなところで坂本君と……」

 

「うん。いい機会だからななかちゃんに教えようと思ったんだ。人と正面から向き合うっていうのが何なのかを」

 

「…………」

 

「ただ自分の気持ちを言ったって、昨日のゆずちゃんみたいなようになったり、今みたいに雄二に殴られたりってような状況にもなったりする事もあるよ。でもね、そうやって喧嘩していく事で、初めて互いの気持ちを理解する事だってある」

 

「…………」

 

「確かに昨日ななかちゃんが言った通り、ゆずちゃんは手術から逃げるために慎さんの事を言い訳に使ったかもしれない。でも、それが全くの嘘ってわけでもないと思うんだ」

 

「……え?」

 

「そりゃあ、手術が失敗して死んじゃうかもしれないってのは本心だろうし……大好きなお父さんをたったひとりにしちゃうかもしれないってのも、ゆずちゃんなりに色々考えた事なんじゃないかって思うんだ」

 

「…………」

 

「ななかちゃんは、ゆずちゃんの本心はどうなんだって事ばかりに気がいっちゃってゆずちゃんの怖さばかり感じちゃったんじゃないかな? でもね、本心っていうのは決して一本筋ってわけでもないんだ。怒りを抱いていながらも、深いところではそれは相手を想っての事だってあるだろうり……人と繋がるのが怖い……それでも、どうにか繋がりたい。人の心って、そんなもんじゃないかな」

 

「…………」

 

「だからさ、ななかちゃん。歌を唄おうよ」

 

「え?」

 

 明久君が突然変な事を言った。歌って……何で今そんな事を?

 

「僕達のバンドで……オンコロでななかちゃんの歌をゆずちゃんに向けて届けるんだよ。ゆずちゃんに向けて、心から声を張り上げて。ゆずちゃんもきっと、聞いてくれるよ。それを信じて、唄うんだよ。そうやって、ななかちゃんの気持ちを全部歌に乗せてゆずちゃんに届けるんだ」

 

 ゆずちゃんに、届ける……。自分の気持ちを乗せて……。

 

「歌でゆずちゃんに想いを届けて、それからまたゆずちゃんに改めてななかちゃんが、心からの言葉を送るんだよ。また喧嘩になったとしても、くじけずに……何度だって、ななかちゃんの言葉で、伝えるんだよ」

 

「…………うん」

 

 明久君の言葉に、頷いた。明久君が教えてくれた……体を張って。

 

 坂本君の気持ちをその身で受け止めて、それを私に見せて、人の想いの伝え合いというものを教えてくれた。

 

 明久君が必死に教えてくれた事を、無駄にしないためにも、私自身のためにも、

 

「私、唄うよ。それで……もう一度ゆずちゃんとお話したい。謝って、励まして……それから、これからの事を」

 

「うん、それでいいんだよ。それが、ななかちゃんの気持ち。その気持ちを伝えて、ようやく始まるんだ」

 

「うん」

 

「それじゃあ、今日からオンコロに向けて猛特訓だ。随分と休んじゃったからね」

 

「最初は明久君が悩んでたからなんだけどね」

 

「うぐ……それについては、ごめん」

 

「あはは」

 

 もう不安なんて消えた。きっと、伝えられる。明久君といれば。

 

 胸の奥に渦巻いていたものが消え、代わりに暖かいものが生まれたのを感じながら私は明久君と校舎を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ、ようやく戻ったかの」

 

「……どうにか白河の不安は取り除けたようだ」

 

 屋上の扉で2人の会話を聞きながら儂らはほっとした。

 

 ちなみにここにいるのは儂とムッツリーニの2人だけじゃ。昨日、明久から頼まれた。

 

 ここで儂が雄二のフリをし、喧嘩を繰り広げる演技を依頼されたのじゃ。白河の元気を取り戻すために。

 

 結果はどうやらうまくいったようじゃの。

 

「一時はどうなることかと思ったが、これで少しは前に進めるじゃろ」

 

「……乞うご期待」

 

「うむ」

 

 儂らが頷きあったところで、

 

『うおおおおぉぉぉぉぉ!!』

 

『……雄二、桜が枯れた今こそ、子作りしてもう一度桜を咲かせる』

 

『そんなんで桜が咲くわけねえだろぉ!』

 

『……できる。私と雄二の愛なら』

 

『そこに愛なんてねええぇぇぇぇ!』

 

 校外で雄二と霧島がいつもの追いかけっこをしていたようじゃ。

 

「やれやれ、さっきの明久の台詞通り、雄二ももう少し自分の心と向き合えぬのかの」

 

「……素直じゃない」

 

 今度はこちらの方に手を回す必要があるのやもしれん。これからも儂は苦労が続くのじゃろうかと溜息をつきながら空を眺めた。

 


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