「………………」
僕は昨日からあることが気になって仕方がなかった。
何が気になるかって言うと、夕べの事故の事だ。車が一軒の家に派手に突っ込んだやつで、幸いその家の人は留守だったのでそこまで大事にはなっていなかった。
だからあの事故に関してはもうそこまで気にはしていなかった。
僕が本当に気になっていたのはその事故の現場にいた人だ。
芳乃さくらさん……。今じゃ僕らの保護者な人だ。あの事故現場にいたからって別に不思議でもないかもしれない。
さくらさんは忙しいって言ってたし……会議以外にももしかしたら色んな場所を見回りに行ってただけかもしれないし。
そんなに変な事でもないと思うのに……昨日からさくらさんの事が妙に気になる。
何故あの現場にいたのか……そして、何で事故現場を見た時にあんな悲痛な表情を浮かべていたのだろうか。
あれは物が壊れて悲しいとかじゃなくて、なんていうか……罪を感じているような感じだった。
「……い……おい、あ……」
今度会ったら確かめたいけど、最近のさくらさんは家にいる時間が極端に短くなってるからな。
そういえば、よく思い出してみたらさくらさんが家に帰る回数が少なくなってきているのは年明けの……それも事故が多発を始めてからだった気がする。
「あき……!」
あの事故とさくらさん……ムッツリーニが聞いた噂の人が本当にさくらさんだっていうなら、この島で多発している事故とどういった関係があるんだろう。
さくらさんはなんでいつも事故現場にいるんだろう。
「おい、明久!」
「……え?」
「え? じゃねえよ。お前、またミスってるぞ」
「え? …………あ」
しまった、忘れてた。今僕は音楽室でオンコロに向けてバンドの練習をしている最中だったじゃん。
朝っぱらから昨日の事が気になって全く集中していなかった。
「ご、ごめん……ついぼーっとして」
「はぁ……もうミスったのこれで何度目だよ? お前どうかしたのか? 見てて滅茶苦茶悩んでるって顔してたが」
義之がギターを肩から外しながら聞いてきた。
悩んでるのはどうやらみんなに筒抜けのようだ。だけど、昨日のアレが何だったのかもわからないからあまり言わない方がいいだろう。
それに、義之もさくらさんの家族みたいなものだ。さくらさんの事がわかるまで余計な事は言わない方がいいだろう。
「いや、ごめん。昨日遅くまでゲームしてて、どうにも攻略しづらいダンジョンがあったからどう攻略したものかってので頭いっぱいで」
僕がそういうとみんながその場でコケた。
「おいおい……ゲームに熱中するのはわかるが、今はこっちの方に集中してくれよ。オンコロまでそこまで時間あるわけじゃねえんだからよ」
「あはは……本当、ごめんって」
「頼むぞ、明久」
「ははは……」
僕は乾いた笑いを浮かべ、再びオンコロに向けて練習を始めた。
だが、やはりいつまでたっても昨日の事が頭から離れず、今日の練習は失敗の連続だった。
「はぁ……」
「元気出して、明久君。たまにはああいう日もあるよ」
帰り道のこと……。僕は校門を出た瞬間から溜息の連続だった。
結局今日の練習は思うようにいかず、更に失敗の連続で渉にかなり怒られてしまった。
義之や小恋ちゃんは何かあったんじゃないかと心配してくれたけど、あの事はやはりまだ言うわけにはいかないだろう。
「ねえ、やっぱり何かあったんじゃないの?」
「うぅ……」
いくら彼女とはいえ、ななかちゃんにも簡単に教えられないんだよなぁ。
僕もさくらさんがどうしてあそこにいたのか理由がまだよくわからないし。やっぱり言うわけにはいかないよね。
だから、どうにか無理やりにでも誤魔化せれば……。
「ああ、昨日夜──」
「嘘はもういいから」
「──遅くまでゲーム……まだ何も言ってないよね?」
「隠しても明久君の場合、表情に全部出てるんだもん。自分は今絶賛お悩み中ですって」
「うぅ……そんなに表情に出してる?」
「うん。子供でもわかるくらい」
そんなに悩みが顔に出ているのか……。
「私にも言えないの?」
ななかちゃんが悲しそうな瞳で僕を見る。
正直、ものすごい罪悪感がこみ上げてくるけど、やっぱりアレの事は今は僕の胸の中にしまっておく事にしよう。
「ごめん……今は自分で考えてみたいから。ちょっと色々あるかもしれないけど、近いうちに答え見つけるから」
「…………そっか。じゃあ今は待ってあげる」
「ははは、ありがと」
正直、答えがいつ見つかるかなんてわからないけど……きっと探し出してみせる。
「じゃあ、今日も行こうか」
「今日も? …………あ、ひょっとしてゆずちゃんのとこ?」
「うん♪」
「いいかもね。あの子と会えば少しは道開けそうだし」
今のは僕の心からの言葉だ。あの子の前だと悩むのが馬鹿らしいって考えになる。
今の僕の心も洗ってくれるかもしれないし、もしかしたら何か答えを見つけるきっかけになるかもしれない。
「じゃあ、行こっか」
「うん」
僕達2人は手を繋ぎ、水越病院へと足を運んでいった。
「ゆずちゃん、今日も飛び出してくるかなぁ?」
「あはは、どうかな」
初対面の時から彼女の特攻で僕の胃袋が一瞬ピンチになったくらいだからなぁ。
また挨拶と一緒にドカンなんて事があってもおかしくない気もする。
そんな予感を頭に浮かべた時だった。
「ですから、その遊びはダメだって言ったでしょうお父さん!」
「え?」
「何だろう?」
ゆずちゃんのいる病室から誰かが怒鳴る声が聞こえてきた。
僕とななかちゃんは互いを見合ってそろりと扉をちょこっと開けて中を覗いた。
「何度言ったらわかるんですか!」
「いや、本当にすいません」
中では看護師に怒られて頭を下げている青年がいた。
見た感じ、すごく人は良さそうだな。
「あ────! ななか────っ!」
大人2人の間からこっちに気づいたのか、ゆずちゃんが元気よく飛び出してきた。
「こ、こんにちは」
「こんにちは────!」
相変わらず元気なご挨拶だ。
「ん? あれ、ななかちゃん」
「どうも、えっと……お邪魔でしたか?」
「あ、いえいえ」
「ところで、一体どうしたんですか?」
「いや、それがね……」
「まったく。部屋ではバスケもバレーボールも野球もしないでくださいよ!」
「はい~」
全部球技じゃないですかい。なるほど……よく見れば窓ガラスも割れている。
この状況から予想するに、病室でゆずちゃんとこの男の人が野球か何かをして窓ガラスを割ってしまったということか。
それに、看護師さんの言葉から察するに、結構な回数やってるっぽい。
ゆずちゃん、結構やんちゃな子に育ちそうだ。それからも何十分か看護師の説教が続いたのだった。
「いや~、まいったまいった」
「あの、室内での球技は大変危険なのではありませんか?」
「いや、そうなんだけどね。ゆずに野球セット買っちゃったもんだから、使い方を教えてて。……ていうか、君は一体?」
「ああ、そういえば明久君とは初めてでしたね。吉井明久君です。この間、初めて一緒にお見舞いに来たんですよ」
「ああ、君か! 病室から飛び降りたスーパーヒーローのおもしろい馬鹿なお兄ちゃんことアッキー君というのは!」
「こっちでも馬鹿なお兄ちゃん呼ばわり!? そして僕は明久です!」
まさかこっちの子供にまで馬鹿なお兄ちゃん呼ばわりされるとは。
「ああ、失敬失敬」
「で、こちらがゆずちゃんのお父さんの慎さん」
「あ、お父さんだったんだ。どうも、初めまして」
「初めまして、小日向慎と言います。なんか、うちのゆずがお世話になっちゃったみたいで」
「いえ、そんな大した事なんてしてませんよ」
「それに、ななかちゃんもいつも悪いね。遊びに来てくれて」
「ううん、ゆずちゃんと会うのすごく楽しいですから」
「やった──!」
ななかちゃんの言葉を受けてゆずちゃんが大喜びだった。
「さ、どうぞ。立ちっぱなしで話すのもなんだし」
慎さんに案内され、病室のパイプ椅子に座る。ゆずちゃんも大人しくベッドの中へと移動した。
「今日は、朝からずっと父ちゃんがいてくれたんだ!」
「そうなの? よかったねー、ゆずちゃん」
「うん!」
「仕事がちょうどキリがよかったんで、それで朝からね」
「へ~……」
どんな仕事をしてる人なのかな? ジャージを着ているのを見ると、工場に務めているイメージが浮かんでくるなぁ。
なんてことを考えてると、
「とーちゃん、プリン!」
「お、そうだそうだ」
ゆずちゃんが言うと慎さんが思い出したように冷蔵庫を探ってプリンを出した。
その時に冷蔵庫の中身が見えたが、えらいたくさんプリンが入っていた。以前来た時は飲み物くらいしか入ってなかったけど。
「いや~、ななかちゃん達が来るからって、置いといてくれって頼まれたんですよ」
そう言って僕達にひとつずつプリンを手渡してくれる。
「すみません」
「ありがとうございます。では、いただき……」
「じ────」
プリンを口に入れようとしたところで、ゆずちゃんが僕のプリンを凝視していた。
「…………ます」
「じ──────」
「……ゆずちゃん、よだれ出ちゃってるよ」
「え? わ、本当だ! ゆず、よだれ拭きなさい」
「あ、らじゃ」
ゆずちゃんが慌てて手の甲でよだれを拭う。
「えっと、ゆずちゃんは食べないの?」
「う~……ゆず、もうそれ3つもたべたから、ダメなんだー」
「お腹壊すといけないからな」
「うん。だから、きにせずどんどんたべれ!」
「そ、そう……?」
とは言われたものの。
「じ────────っ」
視線が気になって滅茶苦茶食べづらいんですけど。
「はぁ、物書きだったんですか」
「いや、物書きと言っても、雑誌に小さなコラムを載せる程度だけどね」
「それでもすごいじゃないですか。慎さんの書いたものが出るんですから。今度チェックしてみようかな」
「ははは、どうも」
なるほど。会う時間が朝だったり夕方だったり昼だったりと時間帯がバラバラなのがちょっと変だなって思ったら、そういう事だったわけね。
それで、今日は仕事のキリがついたから朝からいてあげられたわけだ。
「つぎ、ななかー」
「よーし、じゃあワンちゃんを描いてあげちゃおうかなぁ~」
「ワンちゃん!」
向こうではゆずちゃんとななかちゃんがお絵かきの描き合いをしていた。
ゆずちゃんの横の机に画用紙いっぱいに書かれた色とりどりの動物達がたくさんあった。
「なあ、ななかー」
「なぁに?」
「アッキーとこいびとどうしなのか?」
──パキッ
ななかちゃんがクレヨンの先を割った。なんてわかりやすいリアクション。
「え? な、なに、急に」
「だって、いつもはなしてたにいちゃんって、アッキーのことだろう?」
「わ、わわわ、ゆずちゃんっ」
ななかちゃんが慌ててゆずちゃんの口を塞ごうとしたが、もう聞こえてしまった。
「そういえば、そうだね。ななかちゃん、いつも誰かの話をしていたけど、アレ明久君の事でしょ?」
「や、やめてください、慎さんまで!」
一体何の話をしていたんだろう? ちょっと気になる。
「なー、アッキーは、ななかのこいびとー?」
「ゆ、ゆずちゃんっ」
「うん、まあね。えっと、ゆずちゃんって恋人ってのが何か知ってるかな?」
「すきなひとー」
「まあ、そうだね。僕は、ななかちゃんのことが好きで、ななかちゃんも僕を好きでいてくれるから、恋人。ね?」
「わわっ……」
何だかななかちゃんが茹で蛸みたいに真っ赤になっていった。
「ハハハハ! 青春だねぇ! うん、本当にななかちゃんの言った通りの人だよ!」
「う~……明久君、恋人になってから素でものすごい事言うところに磨きがかかってるよ」
「む~……しかたないな~」
「ん? 何が仕方ないの?」
「なんでもなーい! あれ? ななか、ぜんぶまっかっかになってるぞ? おひさま?」
「え? っでぇ!? ななかちゃんが真っ赤になってる! 何事っ!?」
「あ……あぅ……はわわ」
「大丈夫、ななかちゃん!? って、熱ぅ! 真面目に熱いんですけど! ななかちゃん、今表面温度何度!? 軽くお湯を沸かせそうなくらい熱いよ!?」
「あはははは、マッカチンだな!」
「あぅぅ」
「ななかちゃん、しっかりしてぇ!」
「あははは、ななかちゃんの照れてる姿は初めて見るけど、可愛いねー」
「ななか、おもしろ──い!」
「呑気な事言ってないで、お2人も助けてくださいよ!」
それからななかちゃんの表面温度を下げるのに随分と時間をロスしてしまい、ゆずちゃん達をまともにお話できたのはたったの30分程度だった。
あれからななかちゃんの表面温度をどうにか下げ、話題を切り替えることでどうにか通常状態に戻せたが、病室から出た時はフラフラ状態だった。
なので僕はななかちゃんを家まで送っていき、少し遅めの帰路を歩いていた。
結構遅くなっちゃったな。多分もう夕飯を食べ始めてる時間だろう。ちょっと急いでいこうかなと思った時だった。
「…………」
「ん?」
桜公園の方で、誰かの話し声が聞こえてきた。
「誰だろう?」
こんな時間に散歩……は、そこまで珍しくもないか。でも、何だか聞き覚えのある声に思えたんだけど。
「……気になるなぁ」
大した事はないかもしれない。でも、僕の勘があそこに行けと言ってる。
僕は自分の勘に従って公園へと入っていった。
「……変わってないね」
「さくら、元気そうで何より」
「え?」
あれって、アイシアちゃんとさくらさん?
珍しい組み合わせだった。アイシアちゃん……クリパ以来見てなかったけど、どうしてここに。
それと、何でさくらさんとアイシアちゃんがこんな所で? ていうか、2人共知り合いっぽいんだけど。
「それで、話って何?」
「……多分、さくらの予想している通りの事だよ」
対峙する2人から何やら言葉じゃ言い表せない雰囲気が漂う。喧嘩……とは違うみたいだけど、少なくともプラス方面のものではないと思う。
「……何のことかな?」
「さくら」
アイシアちゃんが咎めるような声を出す。
「…………」
「……初音島の枯れない桜。あの桜を咲かせたのは、さくらなんでしょ?」
「…………」
え? 今アイシアちゃんは何て言った?
咲かした? さくらさんが、あの桜を? というか、あの桜は人の手で咲かせたものだったのか?
僕が軽く混乱している最中で、
「……うん、そうだよ。僕が、咲かした」
さくらさんが観念したように呟いた。
「人の想いの力を集めて願いを叶える魔法の桜。魔法は使い方を間違ったら危険なんだ。それをあたしに教えてくれたのはさくらじゃない。なのに、どうして?」
「……それは」
あの2人の話はイマイチよくわからないけど、ひとつ納得できたことがある。
魔法の桜……。人の願いを叶える枯れない桜の木……アレは伝説ではなく、ただの実話。
アレは本当に魔法の木だったんだ。ちょっと考えれば当たり前の事だったんだ。一年中枯れない桜なんて、魔法以外にどう説明しろってんだよ。
クリパの時にあんな経験しておきながらそんな結論に至れなかった自分を殴りたい気分だよ。
「……明久君や、一緒にいた……あの、義之君って子の事も」
「っ!」
アイシアちゃんの言葉に、さくらさんが動揺した。
「……そっか、全部わかってるんだね」
「……うん」
「そう。全部アイシアの予想通りだよ。僕は、義之君のために桜を咲かせた」
義之の、ため? どういう事だろう?
「ううん、違うか。正確には僕自身のため。僕の我が儘のために枯れない桜を復活させたんだ」
「……どうして、そんな事をしたの? さくらは、あの桜の危険性を知ってるのに、どうしてそんな!」
アイシアちゃんのそのルビーの瞳が怒りを表現するように更に赤みが増していた。
「……寂しかったんだよ」
「え?」
「全部、僕のエゴ。そして言い訳でしかないんだけどね……寂しかったんだ」
さくらさんが、見たこともないような寂しい、そして弱々しい笑顔を浮かべた。
「あの後……アイシアが自分の存在と引換に桜を枯らした後で、僕はひとりアメリカに渡ったんだ。そして、ずっと魔法の桜の研究をしていた」
「…………」
「願えば叶う。祈れば通じる……ひとりひとりの力は足りなくても、たくさんの心があれば、みんなハッピーになれる。あの時点ではゆめ物語だったけど、いつかその夢を叶えられるかもしれない。全ての人が幸せになる世界は無理だろうけど、困っている人が笑顔になれる世界はいつか作れるはず。そんな夢を見て、あの枯れない桜を改良するための研究をずっとしていたんだ」
「……さくら」
「……でもね、そうやって僕がこの桜の研究をしてる間にも、外の世界では時間がどんどん流れちゃって……急にね、寂しくなったんだ」
そう言ったさくらさんの背中はものすごく小さく感じた。
「僕の大好きだった人達は、どんどん結婚して、子供を作って幸せになっていくのに……僕は、一体いつまで独りぼっちでいなきゃならないんだろうって。そんな風に思ってしまったんだ」
「………………」
「だから、初音島に戻ってきて魔法の桜を植えた。そして、願った。僕にも、家族が欲しいですって。『もしかしたらあったかもしれない現在の、もうひとつの可能性を見せてください』って。そう願ったの」
「…………」
そうか……色々納得がいったよ。
クリパの日、過去の……さくらさんの思い出の世界でもうひとりのさくらさんの言ってた言葉。今まで知らなかったさくらさんの過去。さくらさんの願い。
そして……何でさくらさんがあの事故現場にいたのか。大体予想がついてきた。さくらさんが言ってた願い……その結晶が、
「その願いから生まれたのが、あの……明久君の友達の──」
「そう。義之君」
「………………」
そうか。さくらさんはただ、守りたかったんだ。
ようやくできた、自分の心を埋めてくれた家族を……。そして、その周りの人達を。けど、
「でも、それは……いけないこと。だって、義之君は本来この世界に存在してはいけないものだから。それに、明久君達も」
まさか、ここで僕の名前まで出るとは思わなかった。そうだ。考えてみれば当然だ。
さくらさんの願いによって生まれた義之でさえ存在してはいけないと世界に認定されているのに、異世界出身の僕達なら尚更だ。
「うん、だから義之君達は本来、あの桜の魔法が届く範囲でしか存在できない。桜の消滅。それはつまり、義之君達の消滅」
その言葉には衝撃を受けた。この島でしか存在を維持できない。
でも、この前のスキーはどうなんだ? あそこは初音島からかなり離れてたと思うけど……いや、違う。確かスキーに行く前に僕らはさくらさんから……。
『義之君、明久君。はい、これ』
『ん? 何ですか、これ?』
『これはお守り。合宿に行っても、何事もなく過ごせますようにって』
『お守りですか』
『でも、ひとつ約束。それは決して外しちゃいけないよ。絶対、だよ』
『はい』
『大事にします』
あのお守り……あれは恐らく、あの桜の一部が埋め込まれてあったんだろう。だから僕達の存在が揺らぐことはなかったんだ。
まさにさくらさんからのお守りだったってわけか。
「だからね、アイシア。僕はこの桜を枯らせるわけにはいかないの」
さくらさんは決意を込めた眼でアイシアちゃんを見る。
「でも、それが、この枯れない桜が初音島のたくさんの人に迷惑をかけてるんだよ! さくらだってわかってることでしょ! この桜は完璧じゃない。このまま放っておくと大変な事になるって!」
「…………」
「……最近の初音島で起きている事件や事故。全部、この桜が無差別に人の願いを叶えた結果なんでしょ? 良い願いも、悪い願いも。この桜が無作為にその願いを叶えてしまう。だから、初音島ではおかしな事件や事故が続発している。そういうことなんでしょ?」
「……うん」
なるほど…………本来なら純粋な願いだけを叶えるはずが、悪い願いさえも簡単に叶えてしまうようになってたってわけか。
だからその悪い願いが現実に作用して、様々な事故を引き起こしちゃったってわけか。
もしこの世界にFFF団が来ていたら、今頃死人なんか急増していたかもしれない。そんな恐ろしい予想が頭に浮かんだ。
「桜は急速にその力を大きくしている。もう、僕だけじゃ制御しきれなくなってきている」
「だったら……」
「ごめんね、アイシア」
「え?」
「君に、偉そうな事を言っておいて……結局、僕も同じ過ちを犯している。そのために、君を……ううん、みんなを傷つけてしまってる。義之君も、音姫ちゃんも、由夢ちゃんも、明久君も……みんな」
「…………」
「でも、大丈夫だよ。桜は、枯らせない。ううん、義之君達は、僕が守る」
「でも、それじゃ──」
「もちろん、桜の暴走も放っておかないよ。方法はあったんだ。最初から。ただ、僕が弱くて、決心がつかなかっただけで」
「方法って……?」
「桜との融合。枯れない桜の欠陥を埋めるために僕が桜とひとつになる」
その言葉に衝撃を受けた。それって、さくらさんが……。
「でも、それじゃあさくらはっ!」
「自分で撒いたタネだからね。自分でケリをつけないと」
「…………」
「そんな顔しないでしょ、アイシア。僕は、幸せだったんだ。って、たくさんの人に迷惑をかけたのに、こんな事いっちゃダメかな」
「………………」
「それでも、やっぱり僕は幸せだった。義之君と出会えて、本当に毎日が楽しくて。だから、自分のこの選択に絶対後悔なんてしない」
嘘だと叫びたかった。決心してるのに、さくらさんの瞳にはまだ悲しみが拭えてなかった。
本当はずっと一緒にいたいはずじゃないのか。そう思ってるはずなのに、彼女は桜と一体になる事を選んだ。
「準備には、もう少し時間がかかるけど、枯れない桜は僕が、必ずなんとかするから」
そう言って、さくらさんはその場を去っていった。
僕は、そんな中でただ呆然と空を眺めていただけだった。
何もできない。僕は魔法使いじゃない……。それでも、何かできるんじゃないのかって思いたい。
思いたいけど……結局のところ僕なんて、こんな時に何の役にも立てない、何も言えない、ただのバカだから。
「あぁ、寒……」
こんな大事な時なのに、涙を流す事しかできないのかよ!