風見学園の学園祭が終わり、僕は朝倉姉妹についていってこの人達の自宅へと向かって歩いていた。
う~……女の子の家っていうなら、以前霧島さんや美波の家にも上がった時もあるけど、その時とは違ってなんだかすごい緊張するなぁ。
目の前にいるのはどっちもすごい美人だし。現に今も尚通りすがっていく男がほとんど視線をこの二人に向けるし。
中には勘違いを起こしてストーカー呼ばわりしてとんでもないことになってしまいそうだったし。
そんなこんなを思い出している間にどうやら2人の自宅に着いたようだ。
「……随分と和風な家なんですね」
昭和かちょっとした田舎にあるようなちょっと古い造りの家だった。
いや、2階の方は洋式っぽいけど、つい最近できたようにくっきりと色が別れていた。
「あぁ……ひとつ言うと、ここは私達の自宅ではありません。私達の自宅は隣の方ですし」
由夢ちゃんが指差す先には目の前の家よりは近代的な造りの家が建っていた。
「ここは兄さん……というか、学園長の家なんですよ。兄さんも少し前までは私達の家に住んでたんですけど、おじいちゃんがいきなり『そろそろお前達も年頃になってきたのだから、ひとつ屋根の下での生活はやめた方がいいんじゃないか』なんて言い出して、こっちに越したんです」
「それ以来、私達もこっちによく来るようになって……もう私達の家も同然になっちゃって」
よくはわからないけど、2人はこの家に毎日のように上がり込んでいて自宅も同然だと言っているのか。
「じゃあ、その兄さんていうのは……」
「正確に言えば実の兄弟というわけではありませんね」
ほとんど家族同然に過ごした幼馴染ってところか。……何処のラブコメ関係だよ。
「とにかく、ここには2人しか住んでる人がいないので明久さん1人を泊めるくらいは大丈夫だと思います」
「それでも、2人には相談くらいしておかないと」
2人というのはここに住んでる人の事だろう。片方が風見学園の学園長で、もう片方が音姫さんと由夢ちゃんの兄弟同然の幼馴染だね。
「じゃ、上がりますか。お腹も空いてきたし」
音姫さんが家の前の門をくぐって玄関を開けた。
「弟くーん! 来たよー!」
玄関を開けた瞬間、そんな声が響いた。ご近所の方にも聞こえるのではないか?
「音姉? 由夢もいるか。今夕飯を作ろうと思っていたところで……どちら様で?」
家の中から出てきたのは落ち着いた雰囲気の男子だった。確かに優しそうな人に見えるね。
「あぁ、初めまして。吉井明久です」
「あ、桜内義之です。……ん? 何か、どっかで見たような」
義之君が僕の顔を見て首を傾げた。僕達は初対面の筈なんだけど。
「あぁ……昼間のお姫様抱っこ事件」
由夢ちゃんが横から口を入れてきた。何その事件?
「あ、思い出した。白河を抱えて猛スピードで廊下を駆け回っていたな」
「その後は数回の飛び降り」
「げっ!? 2階や3階からだけでなく、車に向かって飛び降りた人間離れした野郎がいたって杉並の情報だから聞き流してたが……」
「事実です。実際、お姉ちゃんも目撃してたらしいですから」
「うん。アレは流石に大事件だったよ……」
疲れたように言う音姫さん。確かによくよく考えれば、あれは洒落じゃ済まないものだろう。
時間がたつとその行動がどれだけだいそれたものだったのか理解してくる。
「はぁ……でも、なんでその人間離れした奴が?」
「最後の車に向かっての飛び降りで怪我をしたからここに泊めたいんだけど」
「ああ……それなら別にいいけどさ」
音姫さんの説明を聞いてすんなり泊まりを受け入れるあたり、本当にいい人なのかもしれない。
「とりあえず上がれよ。夕飯も作るし」
「じゃ、お姉ちゃんも──」
「あ、それなら僕も作るよ」
何というか、泊めてもらうだけでなくご飯まで作ってもらうだけっていうのも落ち着かないし。
「料理、出来るのか?」
「うん。家じゃ僕が料理担当だったから」
というか、母さんや姉さんに作らせたらそれこそ大変なことになってしまうから僕が作るしかないんだけど。
「別に客なんだからゆっくりしてもいいんだが」
「客だから何かしないと落ち着かないというか……」
「別にいいんじゃないですか? 私達も客みたいなものですけど、もう自分の家みたいなものですし」
「それに対して由夢はもう少し手伝ってもいいだろ。いや、そうなったらそうなったらで後がまず──」
「兄さん? 何か言いましたか?」
義之君が言葉を続けようとしたところで由夢ちゃんが笑顔を向けた。
でも何故だろう? その笑顔がものすごい怖いんだけど。姉さんが僕に関節技をかけようと迫る時と似ている。
「い、いや……なんでもない」
その迫力に気圧されて義之君が言葉を引っ込めた。
「さて……とりあえず、夕飯作るか。悪いが、吉井も手伝ってくれると助かるかな?」
「あ、うん」
誤魔化すように義之君がそそくさと台所へ向かって歩いていった。
とりあえず僕も夕飯の手伝いをすることになったのだった。
「さて、こっちの材料は鍋に入れて……その間にサラダでも盛り付けようかな?」
突然の来客である吉井が夕飯の手伝いをしてくると言って少し戸惑ったが、いざ料理をさせてみるとなんとも要領がよかった。
普段から料理に慣れてるのか、動きは機敏だし腕も中々よかった。途中家具の位置を把握するのに手間取ってたが、それ以外は完璧だった。
「明久さんって、よく料理をするんですか?」
居間の方で正座の状態で待っていた由夢が明久に対してそう問うてきた。
いつもならジャージ姿でゴロゴロしながら待ってるっていうのに、他人が目の前にいると優等生の仮面をかぶるんだよな。
まあ、泊まるっていうならすぐにボロが出そうな気もするが。
「うん。大体5歳の頃からかな?」
「ご……相当昔からやってたんだな」
俺でも小学生の時にちょっとやってみようかって思ってたところだが、吉井は更にすごかった。
「へぇ……そんな小さい頃から料理が好きなんですか」
「う~ん……今はそうだけど、昔はそれほどでもなかったかな?」
「昔は違ったんですか?」
「うん。我が家の家訓でね」
「小さい頃から料理を習う事がですか?」
「ううん。なんというか、僕の家ってすごく特殊で……つい最近まで僕、夕飯ていうのは家庭で一番立場が弱い人が作るものなんだって信じ込んでいたんだ」
「「「…………」」」
何もツッコめなかった。料理をしていた俺と音姉の手が完全に止まってしまった。
一体吉井、今までどんな家庭で育っていたんだよ?
「あ、義之君! さかな、魚!」
「え? あ、マズイ!」
吉井に注意されて危うく魚を焦がしてしまうところだった。
危ねぇ……吉井の言葉に完全に思考が停止していた。
「危なかった……危うく食えなくなっちまうところだったぜ」
「大丈夫だよ。魚が焦げたくらいじゃ食べられないうちに入らないよ。姉さんが作ったら、そんなレベルじゃ済まないから」
「ん? 吉井には姉さんがいるのか?」
俺がそう聞くと音姉と由夢の表情が固まった。一体どうしたのだろうか?
「うん。その、僕の姉さんって料理に関してかなり常識がズレてるっていうか、いや、一般の常識もかなりその……」
吉井が言いにくそうにしているのを見ると、吉井の姉さんはかなり料理がマズイってことか。
どうやらその辺りお互い様のようだな。うちの妹も料理の腕に関してはとんでもないくらい駄目だから。似たような苦労をこいつも経験を──
「タワシをウニと間違えたり、トマトソースとかを豚の血と勘違いしたり……他には、ポン酢をコーヒーと間違えたりして──」
「「「………………」」」
再び料理をする手を止めてしまう俺達。何だ、その豪快すぎる間違いは。
吉井……それは料理ができないなんてレベルじゃねえぞ。完全に料理という概念から逸脱してるぞ。
「ていうか吉井……その姉さんの料理、食べたことあるのか?」
ないと言ってほしい。あると言っても、まだ食べ物を使っているものであってほしい。
「あるよ。その時は……本当に霊界があるって実感した瞬間だったよ」
吉井がものすごい遠い目でそんな事を言った。厨二臭い台詞だが、何故だか吉井の言葉が本気にしか聞こえないのが不思議だ。
由夢の料理のレベルがまだ可愛いくらいだ。上には上……いや、下には下がいるものなんだな。
「私も……もう少し頑張ろうかな?」
由夢のそんな呟きが聞こえてきた。今の話を聞いて自分は吉井の姉さんみたいにはならないようにという意識が芽生えたのだろうか。
それはそれで俺としては嬉しい事なんだが、由夢の料理のレベルの低さも相当だから改善できるのかどうか。
「あれ? 由夢ちゃんはあまり料理はしない?」
「え? あ、いや……私はその、そういう機会がないだけです」
ほう? 機会がないねぇ?
「な、何ですか兄さん。その目は?」
「いや、何時になったらそういう機会が来るのかなってな」
「う……」
俺の言葉を聞いて由夢が目を逸らした。
「じゃあ、今度機会あったらやってみようか? 僕も一緒にするから」
「あ、ありがとうございます」
吉井が由夢のアドバイザーになるつもりのようだ。できるなら本当に頼むぞ吉井。由夢の腕を少しでもマシな方に持っていってほしい。
「さて、こうしてる間にサラダはオッケー。後は煮物だね」
色々とんでもない会話を交わしているうちに夕飯が粗方できたようだ。
それから料理をテーブルに並べ、5人分並べたところでやっと夕飯にありつけた。
「「「「いただきます」」」」
俺はまず煮物へと箸を伸ばした。そしてじゃがいもを取って口に入れた。
……美味いな。小さい頃から料理やってただけあって美味い。
「お、おいしい……」
「おいしいんだけど……なんだか」
由夢も音姉も吉井の作った料理を食べて呆然としていた。やはり相当美味いもんだった。
「何か、味付けとか好みじゃありませんでした?」
「う、ううん。すっごく好きなんだけど……ここまでのレベルを見せられると」
音姉が軽くショックを受けていた。音姉も料理はうまい方なんだが、これは音姉のと同等かもしくはそれ以上か。
吉井の料理の腕に素直に感心したのだった。
「ただいま~♪」
そんな中、玄関の方から明るい声が響いてきた。ようやく帰ってきたか。
「うわ~。いい匂い♪ 今日も美味しそうだね!」
部屋の戸が開くと、そこから腰まで伸ばした金髪と碧眼という日本人離れした女の子の姿が目に入った。
「あれれ? そっちにいる人は初顔だね」
「あ、こんばんは。吉井明久です。君も隣に住んでる子? 音姫さんや由夢ちゃんの親戚かな?」
などと目の前の女の子に対して明久が尋ねた。
いや、吉井。お前がそういうのも無理はないんだが……その人は、
「明久さん、その人が……この家の家主で、風見学園の学園長です」
「あ、この人がそうなん………………バカなっ!?」
間を置いて明久がすごいリアクションで驚いた。流石にそこまで驚いた奴は初めて見た。
「にゃはは♪ いいリアクションするね! あ、僕は芳乃さくら。よろしくね♪」
明久のリアクションも対して気にかけず、いつもの調子でさくらさんが自己紹介をした。
「それにしてもいい匂いだねぇ。今日はサバに煮物と味噌汁にサラダかぁ。でも、煮物の臭いがちょっと違うね」
「あ、煮物は僕が作ったんです。流石に夕飯まで世話になるのもどうかと思って」
「あ、そうなんだ。じゃ、いただきま~す!」
さくらさんは空いた席に座って目の前に置いてある料理へ手を伸ばした。
そして吉井がつくった煮物を口に入れると一拍おいて、
「おいし~い♪ 明久君、料理上手なんだね~」
満足の表情で吉井の料理を褒めていた。この人がハイなリアクションをするのはいつもだが、ここまで喜ぶとはやはり吉井の料理はかなりのレベルなのだろう。
「あ~、おいしかった~♪」
「お粗末様です」
「そういえば、明久君はどうしてここにいるのかな?」
「あ、すっかり言うの忘れてました」
それから音姉が吉井のここにいる理由を説明した。
どうやら吉井は自分の周囲の環境が特殊すぎてそれに耐えられなくなって家出をしたらしい。それでどうにかここに住まわせる事ができないか相談しに来たようだ。
確かに、友人からは常にバカ呼ばわり。ちょっとした事で暴力を振るわれ、家に帰れば実の弟を女装させるような変人の姉に対して苦労の連続。
俺じゃあ恐らく一週間と保たないだろう。
「ふ~ん……そういうことか」
事情を全て聞くとさくらさんは指を顎に当てて考える仕草をして数秒待った。
「うん! 流石に放っておけないし、明久君は今日からここに住むことにしよっか!」
この家に住むことを許可した。吉井も流石に二つ返事で許可されるとは思っていなかったのか、驚いていた。
「じゃ、これからよろしくね。明久君♪」
「あ、その……よろしくお願いします。それと、ありがとうございます!」
まるでお見合いでもしているようにお互い正座して頭を何度も下げていた。
「じゃ、これから色々準備しなくちゃね」
「準備?」
「ここに住むんだから、生活用品とか学校とか色々考えなくちゃね」
「えぇっ!? いやいやいや! 学校に行けるだけでもすごく嬉しいのに、流石にそこまでお世話になるのも……」
「遠慮しないの。もうここに住む事が決まった時点で明久君も家族みたいなものなんだから。君は子供で僕は大人なんだから、大人の優しさは甘んじて受け入れるべきだよ」
さくらさんはやんわりと、そして有無を言わせずに吉井を説いてこれからの事を話し合った。
子供っぽく見えてこういったところではすごく大人の雰囲気を帯びる不思議な人なんだよな、さくらさんって。
吉井もさくらさんのそういった雰囲気に呑まれたのか、そのまま学校やこれからの生活について話し合って夜が更けていった。