バカとダ・カーポと桜色の学園生活   作:慈信

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第十九話

 

「く……ふぁ~……」

 

 部屋の窓の隙間から溢れる冬の朝日が暉々と僕の瞼の上へ注がれ、目が覚めた。

 

 外を覗けば太陽が炫耀としていた。うん、いい朝だなぁ。とは言っても冬だから寒いけどね。

 

 自分の傍に置いてある時計を見てみると時刻は8時ちょっと過ぎたところ。休日にしては早いけど、目が覚めたのだから起きるか。

 

 せっかくの日曜日なのだから暇つぶしにどこかに出かけようかな? と、その前に朝食でも作ろうかな?

 

 僕はベッドから下りて服を着替え、一階へとおりた。

 

 そして居間に入るとちょっと香ばしい匂いが漂い、目の前では由夢ちゃんがコタツに入って朝ドラを見ていた。

 

「あ、明久さん。おはようございます」

 

「おはよう。朝早いね、由夢ちゃん。こんな早くからどこかいくの?」

 

「ああ、今日はお姉ちゃんと買い物に行くので」

 

 なるほど。それでいつもならこっちに来る時ジャージなのが、今回は私服なのね。

 

「あ、明久君。おはよう」

 

「おはようございます」

 

 台所から香ばしいベーコンエッグの匂いを漂わせながら音姫さんが入ってきた。

 

「はい、どうぞ」

 

「いただきます!」

 

 早速僕は目の前に出されたベーコンエッグと焼きあがったばかりのトーストを食べ始めた。

 

「それで、明久君は今日どこか出かける?」

 

「僕ですか? う~ん……」

 

 特に予定と言えるようなことはないけど、暇ではあるな。

 

 葉月ちゃんは今日友達と遊ぶ約束をしてたらしいので昨日のお詫びは来週に持ち越しだし、久保君は朝早くから図書館へ出かけたみたいだし、秀吉は日課のランニングをしてからどこかで演劇の参考になるものがないか歩き回ってる。

 

 最後に雄二だが、あいつは多分家でこのまま寝るだけだろう。義之は……多分目の前の2人が買い物に連れて行くだろう。

 

 だとすると僕ひとりがフリーということになるか。同伴もいいかもしれないけど、家族の時間の邪魔しちゃ悪いから。

 

 うん、僕はひとりで街をうろうろしていよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけでのんびり商店街を歩き回っていた。

 

 音姫さんと由夢ちゃんは義之が起きてから案の定、誘ったのをやはり義之は渋っていた。

 

 邪魔者の僕はさっさと家を出て行った。去り際に義之の助けを求める声が聞こえた気がするけど、聞こえなかったことにした。

 

 やはり家族サービスというものは大事なのだから。頑張りなよ、義之。

 

 さて、ひとりでうろうろしているが、やはりすることがないのでどうしたものかわからない。

 

 辺りはクリスマスが近いからかなり賑わっている。周りの店はツリーやイルミネーションがいくつも飾られてすっかりクリスマス気分だ。

 

 休みの日だからかなり人が混んでいるし。ん? その人ごみの中に1人だけ周囲の倍は存在感を醸し出しているであろう人がいた。

 

「…………」

 

 太陽に反射して輝いている金髪に、整った面持ちと高貴な貴族のような立ち振る舞いをしている人物は紛れもなくムラサキさんだった。

 

 いや、貴族のようなというか普通に貴族なんだけどね。しかもただの貴族じゃなく、王族のお姫様だって言うんだから。

 

 そんな所で育ったからなのか、その存在感が強くて周囲よりよっぽど目立つのでつい注目してしまう。

 

「……困りましたわ」

 

 どうしたのだろうか。いらに窮状な雰囲気だった。

 

 よくよく見ると、ムラサキさんの正面に初老の婦人が同じように困り顔でムラサキさんを見つめていた。

 

「わかりませんかな?」

 

「申し訳ありませんけど……私もまだここには慣れていなく」

 

 どうやら道でも聞かれているのだろう。婦人も持っている荷物に土産用のものもあることからこの島の住人じゃないのだろう。

 

 運がなかったなぁ。彼女もまた初音島に越してきたばかりなのだからどこに何があるのかなど、まだ把握できてないだろう。

 

 僕が案内しようかと思って出てこようとしたが、ムラサキさんが周囲を見てどこかに視線を向けて頷いたのを見て足を止めた。

 

「仕方ないですわね……少々お待ちください」

 

 そう一言言い残しておくと、ムラサキさんは婦人を置いて近くにあったコンビニへと入っていった。

 

 目を凝らしてみると、ムラサキさんが店員さんに声をかけて何かを話していた。恐らく婦人に聞かれた場所への道筋を尋ねてるのだろう。

 

 数分もするとムラサキさんはコンビニから出てきて婦人のもとへと戻っていった。

 

「よろしいでしょうか?」

 

 そしてムラサキさんは何度も丁寧に繰り返して説明をしたのだが、婦人の表情を見ると理解しきれない部分があるようだ。

 

「えっと……おわかりになりまして?」

 

「え……ええと……はい、ありがとうございます」

 

 ムラサキさんに一揖してから婦人は歩き出すのだが、

 

「ちょっ!? そっちではありませんわよ!」

 

 婦人の向かった先が見事に反対だったらしく、ムラサキさんが慌てて呼び止めた。

 

「仕方がありませんわね……ついていらして。私が案内してさしあげますわ」

 

 そのまま婦人の手を取ってムラサキさんはゆっくりと婦人のペースに合わせて歩き出した。

 

 すごく親切な人なんだなぁ。本国じゃお姫様の人があそこまで人に尽くすなんて。

 

 王族自体が庶民の味方なのか、ムラサキさん自身の優しさなのか。きっと本当にいいお姫様なんだろうな。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら今も優しく婦人に話しかけるムラサキさんを目で追っていた。

 

 そしてふと気がつく。ムラサキさんと婦人の後ろからゆっくりと後をつけてくる妙な男がいた。

 

 安物のジャケットに野球帽子、顔の真ん中ほどまで覆ったマフラーとサングラス。なんというか、怪しすぎる。

 

 明らかにこれから犯罪をおかしにいきますと言ったような格好だった。ていうか、ここまできてよく通報されなかったな、あの格好で。

 

 そんなアホらしい事を考えた時にはその男は走り出していた。危ない、と言おうとしたが、遅かった。その男は、

 

「きゃっ!?」

 

 怪しい男はムラサキさんと老婦人を突き飛ばすようにぶつかり、通り過ぎた時には婦人が手に持っていたバッグを奪っていた。

 

 あれは明らかにひったくりの現行犯だ。追いかけるかと足腰に力を入れた時だった。

 

「お待ちなさい!」

 

 誰もが突然のひったくりの現行犯に唖然とする中、僕よりも早く状況を理解したのか、ムラサキさんは短く叫んで猛然と駆け出した。

 

 その華奢な体つきからは全く想像ができない、短距離選手が韋駄天のどとく走る様を見せてあっという間にひったくり犯との距離を縮めた。

 

「っ!? このっ!」

 

 ひったくり犯がムラサキさんを見て、女と見て取ったら乱暴に突き飛ばそうと手を伸ばしてきた。だがそれも、

 

「甘いですわ!」

 

 ムラサキさんはその手を逆に掴み、優雅な動きで男を宙に浮かせて思いっきり引っ張り、投げ飛ばした。

 

 ひったくり犯はそのまま数秒宙を舞って地面に叩きつけられた。

 

「ぐっ!」

 

 どすん、と低く鈍い音と共にひったくり犯が苦しげな呻き声を漏らした。

 

「く、くそっ……!」

 

「ご婦人のバッグを奪うとは! あなたそれでも男ですか!」

 

 逃げようとするひったくり犯の前に立ちふさがったムラサキさんが鋭く叱咤した。

 

「弱い者を虐げ、あなたは何とも思わないのですか? 嘆かわしい。恥を知りなさい!」

 

 商店街に響き渡らんほどの叫騒で啖呵を切るムラサキさんをひったくり犯は忌々しげに顔を歪め、再びムラサキさんへ襲いかかってきた。

 

「ふんっ……往生際が悪くてよ!」

 

 だが、それも無駄だった。再びひったくり犯は彼女に軽々と投げ飛ばされる。

 

 ムラサキさんの体捌きは姉さんや美波や霧島さんといい勝負をするのかもしれない。しかし、3人の動きとも似てない。

 

 彼女の国のものか、王族ならではの武術を習っていたのだろうか。

 

 流石に2度も投げ飛ばされて観念したのか、ひったくり犯は踵を返して逃げ出そうとしたのだが、

 

「逃しません!」

 

 ムラサキさんはそれを見逃さず、瞬く間にひったくり犯に詰め寄り、その腕を取って3度目の華麗な投げ飛ばしを喰らわせた。

 

 流石に限界だったのか、ひったくり犯はその場で動くことはなかった。

 

「ふんっ……」

 

 見下したような視線を男に向けてからスカートを払い、先程の優雅な立ち振る舞いに戻った。

 

 いや、さっきも十分華麗だったけど、ひったくり犯をやっつける時のムラサキさんはなんというか、すごいとしか言い様だなかった。

 

 手際が鮮やか過ぎて見入ってしまい、助けに行こうという考えも何処かに行ってしまっていた。

 

「すご……」

 

 僕が呟いてから周囲からものすごい数の拍手が彼女に向けて送られていた。

 

「え?」

 

 拍手の音に気づいてムラサキさんは周囲を見回した。

 

「え? あ、あのっ!?」

 

 周囲の拍手が自分に送られていることを知ると一瞬うろたえたムラサキさんだったが、普段から王族としてこういう賛美を受けることに慣れていたのか優雅にお辞儀をしてひったくり犯の盗ったバッグを抱えて婦人に渡した。

 

 なんというか、本当にすごかった。さっきの体捌きといい、啖呵を切ったあの度胸といい、王族が故か護身術も必要なのだろう。

 

 あれ? そう考えると、僕がビンタで喰らったのは板橋君と言うとおり、ラッキーってことにならない?

 

 美波や姉さんの暴力で慣れてるとはいえ、ムラサキさんのアレを喰らって無事でいられる自信がない。うん、本当によかったかも。

 

 そんな事を考えていると、ふと僕の視線は別のところに向いた。

 

 先程投げられたひったくり犯がブルブルと体を震わせながら起き上がるのが見えた。周囲のみんなはムラサキさんに完全に視線がいってて気づいてないみたいだ。

 

 そしてひったくり犯が起き上がると同時に懐から何かを取り出した。そして、それを弄ると右手に強く握り、ひったくり犯の手にあるものが太陽の光に反射して煌く。

 

 それを見て反射的に、

 

「ムラサキさん! 危ないっ!」

 

 大声を上げて、それに饗応するようにムラサキさんのもとへ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 今日は初音島を歩き回って楽しむはずでした。

 

 こちらにはまだ越してきたばかりですから何処からどこまで何があるのかは今のところ学校の周囲何キロか程度にしか把握できていない。

 

 ですからこの休日を使って初音島の半分くらいは見て回ろうと散歩を楽しんでいましたが、初老のご婦人が目的地への道筋がわからなく、困っているのを見かけました。

 

 そしてご婦人は私に歩み寄ってその道を尋ねてきました。あいにく、私もまだこちらに越して間もないのでその場所への道筋がわからなかった。

 

 どうにか近くの小さな店の店員さんに道を尋ね、道筋を聞いてそれをご婦人に説明したのですが、理解ができないのか、全く反対側へと向かおうとした時は慌てました。

 

 あまりに見ていられなくなり、私が案内を務めてご婦人を案内しようと歩いた時だった。あろうことか、私よりも傍にいたご婦人のバッグを略奪する不届き者が出ました。

 

 一瞬驚きましたが、私はどうにか不届き者を成敗することに成功してご婦人のバッグを取り返す事に成功しました。

 

 その際、周囲のみなさんからの拍手を受けて少しばかり恥ずかしかったのですが、嬉しいものでした。

 

 私も自国では同じようにこのような喝采を受けましたが、こんな小さな島で受けるのも故郷にいる時と同じくらい嬉しく感じます。

 

 そんな風に故郷を思い出した時だった。

 

「ムラサキさん! 危ないっ!」

 

 私の後ろからそんな声が聞こえたと同時だった。何かが刺さるような、不気味な鈍い音が聞こえたのと私を押し出す衝撃が襲ってきた。

 

 何事かと後ろを向いた時、私は驚きを通り越してその場に固まってしまった。

 

「あ、ムラサキさん……大丈夫?」

 

 私の背後に来たのは吉井だった。

 

 何故彼がここにいるのか、何故私の後ろに来たのか、そんな事は疑問に沸くことすらなかった。

 

 そんなことよりも私の目がいくのは彼の左腕だった。私を庇うように右手は私の方に向けられていた。恐らく、私を突き飛ばしたのは吉井なんでしょう。

 

 しかし、彼の左腕には……私が何度も投げ飛ばした不届き者の手にある何かが突き刺さっていた。

 

 その吉井の腕に突き刺さっているのがナイフだとわかったのは彼の左腕から流れる血を見てからだった。

 

 何も考えられなかった。私はただ今日は初音島を見て回ろうと思った時にご婦人が困っていたのを見過ごせず、案内を務めた。

 

 そしてご婦人のバッグを不届き者が取り上げたのを取り戻して安心して油断してしまった。

 

 ただの一跌で気に入らないとはいえ、ひとりの人間を危険にさらしてしまった。その事実だけが私の頭の中で渦巻いていた。

 

「それでさぁ……」

 

 私が彼を巻き込んで自己嫌悪に陥っている中、ふいに彼の声が耳にうるさく聞こえてきた。

 

 その声質は今までの緊張感とは程遠いと思っていた彼のものとは違っていた。

 

「今、お前……彼女に何をしようとしてたの?」

 

 不届き者の服を掴んでドスの効いた声を吐き出す。

 

「こいつで、ムラサキさんに……何しようとしてたんだ、ごらぁ!?」

 

 叫びながら不届き者の腹部に強力な蹴りを一発入れて不届き者は数メートルも突き飛ばされた。

 

「ぐっ……テメ……」

 

 不届き者は吉井を恨めしそうに見つめてからたまたま足元に転がっていたクリスマスフェアというタイトルが描かれていた旗を拾い、そこから旗を抜き取って棒を構えた。

 

 そして、不届き者はすぐさまそれを吉井に向けて振り回してきた。いけない、と思った時は遅かった。

 

 吉井はそれを避けもせずに頭に棒の直撃を受けた。

 

「…………」

 

「な……」

 

 その場に突っ立ったまま不届き者の攻撃を受けた彼に言葉を失ってしまった。

 

 何故避ける素振りも見せなかったのか。あんなの、素人だって回避しようと思えばできたはずだった。

 

 にも関わらず、吉井はただその場に立っただけで何も行動しなかった。一体何故だといつもの私ならわかるはずのこともこの時はわからなかった。

 

「……お前さ、今これ僕が避けたらどうなったと思う?」

 

「はぁ?」

 

「これ避けて……後ろにいる2人に当たったらどうなったと思ってんだよ?」

 

「……あ」

 

 ここまで来てようやく気づけた。吉井は避けられなかったのではなく、避けなかった。彼は後ろにいた私達を気遣ってわざと避けなかったのだった。

 

「お前、未遂とはいえ、女の子に手を上げようとしたんだ。それなりの覚悟はできてんだろうなぁ!」

 

「ぐおっ!」

 

「これで、トドメだぁ!」

 

「ぐはっ!」

 

 最初に頭突き、そしてトドメの顎打ちを放って不届き者は再び飛ばされ、地面に倒れてそれから動くことはなかった。

 

 今度こそ完全に意識を失ったようだわ。

 

「ふう……あ、ムラサキさん! 大丈夫だった!?」

 

 不届き者が動けなくなったのを確認すると吉井が前と同じ緊張感の抜けたような……いえ、私を気遣うように若干声を強めて私の安否を確かめに来た。いえ、それよりも──

 

「大丈夫、ですって? それはこちらの台詞よ! あんた、今自分がどういう状態かわかってるの!?」

 

 左腕を刺されたり、頭を殴られたりして血を流して、これでよく自分よりも他人を優先できるわよ。

 

 他人を気遣う優しさがあるのは褒めてあげるけど。

 

「へ? 別に頭を殴られて左腕をちょっと切られたくらいだけど。それより君達は大丈夫なの!?」

 

「……」

 

 絶句というのはこういう時のことを言うのでしょうか。

 

 目の前の男は、あろうことか、ナイフに刺されたり頭を強打されたのを道路で転んでしまったのと同等に考えてるような答え方をした。

 

「と、とにかく、無事なら急いで道案内しておいた方がいいよ。僕はこいつを警察に叩き出してくるから」

 

「警察の前にまずは病院に行きなさーい!」

 

「うわっ!? いきなりどうしたのムラサキさん!? 何でそんなに怒ってるの!?」

 

「どうしたのじゃありませんわよ! あなたの現状を放っておいてこの場を離れるなんて絶対に許しません! 警察の前に救急車呼んで病院に行きますわよ!」

 

「ええ!? いや、こんなの大した傷じゃないし、すぐに治──」

 

「そこまで怪我しておいてよくそのような台詞が言えますわね! いいから病院に行きますよ! というかさっさと行け!」

 

「ちょ!? ムラサキさん! 口調が変わってる! どこかキャラが変化しつつあるよ! ていうか、ひったくり犯! 逃げちゃう! 逃げちゃうからー!」

 

 そんなこんなで目の前のバカを説得するうちに救急車と警察が同時にやってきた。

 

 どうやら吉井の様子を見てどなたか救急車と警察に連絡をくださったようです。ともかく、これでこのバカを病院に連れていけます。

 

 それよりも、こちらの病院は怪我と同時に頭を治すことはできないのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……疲れました」

 

 もう、本当に。今日一日で何日分の労働をした気分だわ。

 

 吉井を病院に連れて行くのに20分。ご婦人を案内しようとした吉井を説得して治療させるのに1時間。

 

 そしてご婦人を案内するのに30分。そして吉井が安心して治療に専念させたのがつい10分前。ここまででほぼ2時間も時間をくってしまった。

 

 人ひとりを治療させるのにここまで時間がかかったなんて世界中どこに行っても彼だけだと思うわ。

 

「あ、ムラサキさん」

 

 私のそんな憂鬱な考えをしているのも知らず、当の本人である吉井は前と変わらない緊張感のない口調で話しかけてきた。

 

 怪我人なのはわかっているけど、この緊張感の欠片もない表情を見ていると苛立ちが募ってきてしまいます。

 

「ん? ムラサキさん、どうしたの?」

 

「どうしたのもなにも……それはこちらの台詞です。あなた、何故あそこにいたのですか?」

 

「いやぁ、何でって言われても……ただ散歩してたらムラサキさんを見かけて、それからひったくり犯捕まえた時のかっこいい姿見れて──」

 

「かっ!? いきなり何を言ってるのあなたは!」

 

 いきなりかっこいいって……いや、女の子に対してその言葉はどうかと思うけど、何でこんなに熱くなるのかしら?

 

 苛立ちが募ってるからか、さっきの不届き者を捕らえるのに体力を使ったか、きっとそのどちらかよ。ていうかそうじゃなく、

 

「私が聞いてるのは、何故私を助けたかよ!」

 

 何で不届き者が下手すれば殺人に発展するかもしれない状況だからと行って私を庇ったのか。

 

 100%吉井が悪いのだけど、私は彼を邪険にしていた。彼に向ける態度はあまりいいものではなかったはずなのに。

 

 それでも吉井は私と不届き者の間に入って私を庇ってこんな大怪我をした。私への罪の償いのつもりなのかしら。そう思ったけど、吉井の言葉は全くの見当違いで、

 

「へ? だって、あのままじゃムラサキさんやおばあさんが大変なことになってたじゃん。そんなの放っておけるわけないじゃん」

 

 そんなことを平然と言った。

 

 いえ、確かに吉井の言ってることは人として正しいことなんだですけど。とてもいいことなんだけれど。

 

「それは、私に対してはたらいた無礼を帳消しにしようという考えでかしら?」

 

 何故か私はそんな意地の悪い言い方をして問うた。そんな言い方はあんまりだと自分でも思ったけど、それでも疑問に感じていた。

 

 本当にそうだったらそれはそれでいい根性してると褒めてあげるところだったけど、

 

「へ? 無礼って……ああ、そういえばまだちゃんと謝ってなかったんだっけ? あの時は本当にごめんなさい!」

 

 吉井はたった今思い出したように言って頭を下げてきた。

 

 これを見て今度こそ私はわけがわからなくなってきた。この男の中身がまるでわからない。

 

 私に対して無礼をはたらいたと思ったら、急に勇ましい行動を起こしたり、間抜けな態度を取ったり、本当にわからないことだらけだ。

 

 ただひとつわかることと言えば、この男はただのバカとしか言い様がなかった。

 

「あなた、今の今までそれを忘れてたんですか?」

 

「うぐっ! すみません……いや、本当は覚えていたんですよ。でも、今の今まで結構壮絶な事件に出くわしたりおばあさんの道案内大丈夫かなと心配したりで思いことばかりが頭に詰まってその時の記憶が一時的にはじき出されただけというか──」

 

 そんな感じで長い言い訳をしていた時の吉井はやはりバカとしか思えませんでした。

 

 色々いやらしい考えばかりの男かと思ってましたけど、いざ話してみれば中身がからっぽのただのバカ。私は一体この男に対してなんであそこまで怒り心頭にしていたのか不思議に感じました。

 

 けど、ただひとつ言えるとしたら──

 

「──だから決してムラサキさんにしたことを忘れたわけではなく、ここに来るまで衝撃的な事が多かったからして──」

 

 この男は、バカはバカでも大バカ。今はただ、それだけで十分な気がします。

 

 何故だか、それがあまりにしっくり来て思わず笑ってしまいそうになった。

 


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