【Arcanum Duo】- 遠山かなみの犯罪記録 -   作:suzu.

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05.She is not saying any more

 

 生まれた時から、彼女は常に俺の傍にいた。だが彼女を意識したことはなかった。

 自分が自分であることを識っているように、彼女を自分だと認識していたからだ。彼女を彼女だと知らなかった。自分と同じ存在だと思っていた。

 これが異常だと俺が知ったのはずいぶん後になってからだったと思う。家族は何も言わなかったから、まさか自分が他と違うなんて考えもしなかった。

 ある時、俺と彼女は引き離された。

 失って初めてその大切さに気付くとはまさにこのことだ。それまではずっと共に在ったのに突然自分の一部を無くしてしまった。気持ち悪い違和感が何なのか分からなくて、何をするにしても落ち着かなかった。

 自分にだけ影が伸びていないような、自分にだけ鏡に映らないような、自分だけ別の何かになってしまったような、何かが足りない、そんな違和感。気持ち悪くて気持ち悪くて、耐えられなくて、もう一度失くしたものを取り戻したくて……。でも、失った自分の半身はもう二度と戻ってこなかった。

 それはもう別のナニかだった。

 

 眼がさめると、彼女が横にいた。

 どうやらあの模擬戦の後、体育館の救護室で寝かされていたようだ。気を失っていたのは1時間ほどだろうか。起き上がって周囲を見渡すと、部屋は朱色に染まり夕日がまばゆく差し込んでいた。

「気が付いた?」

 パイプ椅子に座って本を読んでいた彼女が顔を上げて言った。軽い音を立てて本を閉じると近寄って来る。

 少し屈むようにして覗き込んできた彼女の眼は、あざやかな斜陽を反射して紺と緋が混じり合っていた。その向こうにひどい顔をした自分が映っている。それを見て俺は陰鬱とした気持ちになる。なんて鏡合わせだ。同じ顔で向かい合っているのに、こんなにもちぐはぐだなんて。

 目の前の彼女は俺の憧れの人にそっくりだった。春の木漏れ日のように柔らかい微笑みも、通り抜ける3月の風のように凛と澄んだ声も、吸い込まれそうな眼の強い輝きも、全てがあの人を彷彿とさせた。何故なのか、と思う。彼女と俺は同じはずなのに、どうしてこんなに違うものになってしまったのだろうかと。

 もちろん、そもそも彼女の細い首筋は男の自分とは比べものにならないし、すらりとした指は筋張って武骨な自分のものとは全く違う。女性らしい身体のラインとはお世辞にも言えやしないが、やはり俺とはどこもかしこも違っていた。

 だが異性同士の双子でありながら正反対の表情を浮かべていてもなお『そっくり』といわれる自分たちの類似点は、本当に同じ遺伝子を持っているからだ。異性一卵性双生児――性染色体異常による極めてまれな事例。一卵性でありながら男と女という特異性を持つ俺たちは、同じなのに正反対という矛盾を孕んでいる。

 長い睫毛をわずかに震わせると、彼女は俺から視線を外して言った。

「ごめんね」

 彼女の口からぽつりと謝罪が零れ落ちる。

「余計なことしたよね。怪我もさせた。軽い脳震盪だったみたいだけど……、どこか違和感はない?」

 その言葉に俺は軽く首を振って答えた。

「いや、大丈夫だ。意識もはっきりしている」

「そう。良かった」

 そう言った彼女は俺を見ていなかった。斜め下あたりに視線を定めたままどこか宙を見ている。胸下の辺りにどろりとした重いものがわだかまって、すっと胸が冷えていく感覚がした。

「それよりお前、いつの間にそんな強くなったんだよ。あれはヒステリアモードなのか? あまりそんな感じはしなかったが……」

 胸の奥にわだかまったものを無理やり飲み込んで、俺は口を開いた。

「うん、まぁ。ちょっとね」

 あいまいに言葉を流した彼女はやはり淡く微笑んでいた。

「なんだそれ、いまさら答えにくいことでもないだろうが」

 自分でも分かるぐらい不機嫌さがにじみ出た声だった。分かっていてもどうにもならない。だって、と言い訳じみた言葉が浮かんで、続きが形にならずに消えていった。分かっているのにそれが何なのかはっきりしなくて、俺はもやもやした気分だった。

「ごめんね」

 彼女の口から再び謝罪が零れ落ちた。とたんに我に返る。馬鹿か俺は。こんなものは子供の癇癪と同じだ。これはただのやつ当たりだ。

「……謝んなよ。俺が悪いんだ、弱いから」

「弱くないよ。それは知ってる」

 躊躇することなく返ってきた凛とした言葉に、俺は眼を見開いた。

 どう反応すればいいか分からず、戸惑いがちに「そうか」と応じると「うん」と返ってくる。そのまま二の句を継げずに黙った。尻がむずむずしてベッドの端に座りなおす。彼女は目を伏せたまま何も言わなかった。わずかばかりの沈黙が流れ、朱色に染まった部屋がやや薄暗くかげってきていることに気が付いた時、タイミングを見計らったように俺の腹がぐぅと自己主張した。おい、俺の腹、空気を読め。

 顔を上げた彼女がちょっとだけ驚いた表情を浮かべていて、それが新鮮だった。いつの間にか交わった視線を気恥ずかしく感じる。誤魔化すように頬を掻いて、それからようやく俺は言った。

「帰るか」

 その言葉に彼女は小さく頷いた。

 

 武偵校の留学生会館は短期滞在の場合も借りることができる。海外からの留学生はもちろん、研修生やインターンの学生など、様々な外来生に対して格安で貸し出されている宿泊施設だ。

 今回彼女が寝泊りしているのもここで、俺も昨夜初めてこの寮に入ったが普通の学生寮とあまり変わらなかった。違うのは4人部屋ではなく2人部屋で少し小さめだったことくらいだろうか。

 来客用の宿泊施設と聞いたので、ビジネスホテルのような部屋を想像していたのにとんだ期待外れだ。だがキッチンやダイニングなどの設備も整えられているので自炊可能なのがありがたい。

 そんな訳で俺たちはスーパーに寄って今夜の晩飯を買い、数日分の食材が入ったビニール袋を下げながら部屋へと戻った。

 晩飯は俺のリクエストでカレーである。

 自分でも簡単に作れるが量産してしまうので一人で食べると数日は同じ味が続いてしまうのがカレーというお手軽料理の落とし穴。だから言って外食してまで食べるほどの料理ではなく、むしろ市販のルーで作ったものが食べたい時、誰かが作ってくれるものを食べに行くというのは絶好の機会である。それが自分の慣れ親しんだ味なら尚更だ。

 家庭料理と侮るなかれ、家族の数だけ味付けがあるといっても過言ではないのだ――と、無駄に熱く語ったところで閑話休題。

 部屋に漂いだしたカレーの匂いにそろそろ俺の腹は唸るだけではいられなくなっていた。食べ盛りというのはつらい。

 皿を並べ終わったダイニングテーブルの席につき、頬杖をつきながら彼女の後姿を眺める。淡々と鍋をかき混ぜている彼女に昼間の疲れは欠片も見えなかった。

「もうすぐクリスマスだね」

 独り言のように彼女は呟いた。その言葉に俺は街の様子を思い出す。

 もうすっかり年末に向けて商売根性を剥き出しにした街並みは、まずは手始めとばかりにクリスマスのイルミネーションで彩られていた。

 買い物に寄ったスーパーも店内ではクリスマスソングをエンドレスリピートさせていたし、学生向けの店が建ち並ぶ通りもやたらと赤と緑の色が目だっていた。これはもう意識しろと言われているようなものだ。だからといって個人的なイベントがある訳でもなく、ましてや恋人もいない寂しい身では、クリスマスごときに浮き立つような心境には到底なれなかった。

 今年もこの時期がやって来たな、と実家に帰る予定や家族のことを思い浮かべるだけなので、おそらく彼女も同じことを思い浮かべたのだろうということは想像にかたくない。

 鍋を掻き回す手はそのままに、彼女は振り向かずに俺にたずねた。

「連絡が取れないんだけど、何か知ってる?」

「いや、何も聞いてないな」

「そう。携帯の電源も入ってないみたいだし、どうしてるんだろう」

「仕事中なんだろ。終われば連絡くらいくれるさ」

「そうだね」

 そのまま調理を続ける彼女の後ろで俺はこっそり溜息をついた。

 話題に上がった人物に心当たりは一人しかいなかった。俺たちの兄にあたる遠山家の長子、遠山金一その人だ。

 兄さんはプロの武偵でいつも忙しくしている。任務で海外に行くことも多く、特に犯罪率の高い年末の時期など、実家に帰ってくる日の方が少ないくらいだ。

 うちではクリスマスと年末年始は家族そろって過ごすことが多く、同じく武偵で忙しくしていた親父もその時期だけは必ず家にいた。しかしここ近年の兄さんの忙しさは尋常ではない。去年のクリスマスは仕事で結局帰って来なかった。それもあって彼女は兄のことを気にしているらしい。

「今年は帰って来るかな」彼女がぼやくように言った。

「……どうだろうな」少し考えてからあいまいに答えた。

 他の武偵がどんな依頼をこなしているのかは、そもそもたずねたりしないのが武偵としての暗黙のルールだ。だから兄さんが今どんな仕事をしているのか俺達は知らない。どこにいるのかも。それがたとえ家族であっても容易に口外などできない。

「できたよ、ちぃ兄さん」彼女が振り返って言った。

 ガスの火を止めて、それから彼女は鍋を持って来てダイニングテーブルの真ん中に置いた。そこには予めシンプルなブルーの鍋敷きが用意してあって、わざわざ俺が寮の部屋から持ってきたものだった。

 彼女は手ずからご飯とカレーを皿によそって俺の前に置いた。自分の分も用意し向かいに座ったのを見計らって俺たちは手を合わせた。

 どこの家庭でも作るような普通のカレーだった。小洒落た喫茶店やファミレスなどで食べるような見た目の華やかさもない。市販のルーを使い、一般的な隠し味を組み合わせただけのごく普通のカレーだ。食欲に従い夢中で口に運んだ。

「どうかな?」

 味、と小さく続けられた言葉に、俺は複雑な心地で応える。

「……全く同じだ」

「そう、良かった」

 安心したように彼女はふわりと微笑む。

 文句なしにそっくりの味だった。食べ慣れた実家のカレーと同じ味。つまりそれは兄が作るカレーと同じ味だということだ。

「そうやって、お前は――」どんどん俺より兄さんに似ていくんだな。という言葉を寸前で飲み込み、「料理、上手いよな……」と咄嗟に誤魔化した。

 俺の動揺に気づかない振りをした彼女は、微笑んだまま「カレーくらい誰だって作れるよ」と言った。

 気が付けば、カレーの味は分からなくなっていた。

 

 

 


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