【Arcanum Duo】- 遠山かなみの犯罪記録 -   作:suzu.

3 / 7
02.Prodigy of the Assault

 

 武偵と呼ばれる職業がある。

 近年凶悪化する犯罪に対抗しうるために新設された国家資格であり、武装探偵という意味だ。その名の通り銃や刀などの武装を許されているうえに、犯罪者に対する逮捕権も有するなど、警察に準じた職業である。

 この職業が警察と決定的に違うことは自由度が高いということだ。仕事を選べるということでもある。つまりフリーの探偵業というスタンスが基本であって、組織に属することなく仕事ができるということが機能性の高さを重視した結果なのである。

 もちろん警察のような組織に就職することもできるし、武偵には武偵局というプロが所属し依頼を請け負う組織もある。

 そして、俺が在籍するこの東京武偵高校はプロの武偵を育成するための教育機関なのである。高校と称するためか普通の高校生と同じように数学や英語といった一般教科を勉強するものの、その学びの本質は専門科目にある。

 古典的な推理学、人探しや浮気調査などの一般的な探偵術を学ぶ探偵科《インケスタ》に始まり、犯罪などの現場検証や証拠品の科学的検査を学ぶ鑑識科《レピア》、特殊工作員を養成する諜報科《レザド》、身柄を拘束した犯罪容疑者から情報を引き出す方法を学ぶ尋問科《ダギュラ》、犯罪現場において遠隔から戦闘支援をする狙撃科《スナイプ》、そして俺と不知火が所属する、犯罪組織のアジトや犯罪現場に踏み込んで捕縛するための、接近戦のスペシャリストを育成する強襲科《アサルト》。

 どれもこれも15歳から18歳の青少年青少女たちが学ぶべき内容ではない。しかし、ここは犯罪者に対抗するプロを育成する専門機関であり、その象徴に学生には全員銃や刀を所持しなければならないという義務がある。人畜無害そうな微笑を浮かべた不知火だってその制服の内側には拳銃を吊っているし、すれ違う女子生徒たちだって全員拳銃を隠し持っている。

 武器を持つことに年齢や性別は関係ない。我々に必要なのはプロになるという自覚と責任なのだ。大人だろうが子供だろうが、銃ひとつ持てばそれに伴う責任は等しく同じなのだから。そう――、それが人を傷つけるものであるという自覚と、それを用いて人を守るという責任だ。そうやって俺たち武偵校の学生は常に命という重さを身につけて生きている。

 ……だと分かっていても、それと気持ちが追いつくかどうかは別問題だ。

 フィンガーレスグローブをはめた手で防音ヘッドセットを外すと、俺は自分の拳銃――ベレッタM92F――の弾倉を取り出しながら射撃訓練場を離れた。いつもより長く銃を握っていた手は汗ばんではいたが、痺れるようなことはなかった。銃を握るようになってもう4年だ。いまさら反動で手がぶれたりするようなこともない。

 少し休憩しようと2階の欄干に寄り掛かかり、ぼんやりと下を眺める。1階の格闘訓練場では強襲科の学生たちが二人一組《ツーマンセル》で組手やナイフ格闘訓練を行っていた。強襲科は武偵校の中でも特に戦闘能力に特化した学生が集まる。柔術、空手、剣術、合気道、その他ありとあらゆる武術に通じている者が多いのは、犯人を捉える捕縛術を学ぶ上での基礎だからだ。

 こうやって日々技術を磨き、学校に舞い込む依頼をこなして学生のうちから実戦を積ませる。実技試験などの成績によってランク分けされた学生たちは、自分の実力相応の依頼しかこなせない。しかし学生とはいえ武偵であるかぎり、全てが安全な依頼ではないし突発的な事件に巻き込まれることもある。

 97.1パーセント――それがこの強襲科で卒業するまでの生存率であり、武偵校のどの学科よりも悪名高く「明日なき学科」と呼ばれるゆえんだ。最も危険な最前線で戦う役割であり、その分どの学科よりも死亡率が高い。100人に3人死ぬ。今ここで共に技を磨き学んでいる学友が明日にはいないかもしれない。それがここでの当たり前ともいえる日常だった。

 世間的に見ればおかしいのだろう。確かに前途有望ある若者たちを危険にさらしてまで訓練させることではないのかもしれない。実際の問題として、国際武偵連盟の発足と同時に世界中で設立された武偵育成機関は世間から非難を浴びている。そんなことは警察に任せればいいのだと言う者もいる。普通の高校を卒業してから警察学校に入り学べば良いのだと。わざわざ金で雇われる「便利屋」なんて職業を無理に作らなくて良いのだと。

 だがそれでも武偵になるためにこの道を選ぶ学生は少なくない。みな多かれ少なかれ事情を抱えている学生も多い。そういう人間にとっては、無防備な世間の方が生きにくいのかもしれない。

 

 冷たい温度を伝える鉄の欄干から腕を離し、射撃訓練に戻ろうとした時だった。ふいに後ろから腕を掴まれ、その瞬間俺は宙を飛んでいた。ぐるり――廻る視界。頭が理解するよりも早く身体が反応し受け身を取ろうとするが、それもままならないうちに身体が地面に叩きつけられた。衝撃で息がつまり、視界がブラックアウトする。と同時に胴に圧し掛かり腕の関節まで取られて動けなくなった。 

「そーんな無防備に突っ立ってたら、殺しちゃうぜキンジ~!」

 上から弾んだ声が降ってくる。痛みに悲鳴をあげる身体を宥め、無意識に閉じていた瞼を開けて後ろを見上げると、夏海《なつみ》が俺の上でマウントポジションをとっていた。してやったり、と言いたげな笑みを浮かべ俺を見下ろしている。

 夏海は強襲科でも割と珍しい接近戦タイプの女子だ。大柄とはいえない平均的な体格だが、男子生徒に混ざって組手をしても引けを取らない実力をもつ。実家が道場だというのを聞いたことがある。

「おいおい、またかよキンジ」

「困るぜキンジ。そんなんじゃ、東京武偵高校《うち》のSランクなんてその程度なのかって他校になめられるだろ」

「ったく、抜けてんだもんなぁこいつは。強いのか弱いのかはっきりさせろってんだよ」

 あまりに呆気なく投げ飛ばされた俺に対して周りが野次をとばす。いつの間にか訓練をしていた学生たちが苦笑に失敗したような微妙な顔で、俺とその上に跨った夏海を遠巻きに見ていた。

「お前みたいなマヌケが真っ先に死ぬんだぜ」そう言って夏海が上体を倒して俺の腕をいっそう捻りあげる。背中に柔らかいものがあたる感触がした。

「っつ、おい夏海! 分かった、分かったからいい加減にしろ!」

「なんだよもうギブかぁー」

「んな問題じゃない! 乗るな! 触るな! 近づくな! いいから引け!」

「んん?」

 激しい拒絶に疑問の声をあげた夏海が上体を起こした隙に、俺は捻りあげられた腕を力づくに解いて、這いずって彼女の下から逃れた。途中から夏海も本気ではなかったのだろう。あっさりと解放された俺は捻られた腕の関節を抑えながら立ち上がり、未だ座り込んだままの夏海を見下ろして言った。もちろん目線は合わせない。

「夏海。俺を構うのはいい加減にしろ」

「えー、だってさぁ。ぼんやり油断してるキンジが悪いんじゃない」

「それは確かに俺が悪いが……、とにかくお前は俺に関わるな」

「なにそれ、あたしじゃ役不足だってこと?」

「そうは言ってないだろ。とにかく駄目なもんは駄目だ」

 そう言って夏海を睨みつける。すると野次馬と化していた周りの一人、三上が思い出したように声をあげた。

「あー、そういやキンジは女嫌いだったっけ」

「別に……、」俺は曖昧に言葉を濁した。

 本当は女嫌いという訳ではないのだが、今回のように俺が女子生徒をあからさまに拒絶することが何度かあったため、いつの間にか俺が女嫌いという設定になっていたのだ。夏海はその言葉に納得したようなしていないような、そんな不満そうな表情をして言った。

「ちぇー、分かったよ。もう突然仕掛けたりしない」スカートに付いた埃を手で払い落としながら立ち上がった夏海は、俺の顔を見上げて思い出したようにニヤリと笑った。「でもあんまり隙があると銃弾打ち込むかもね」

(勘弁してくれよな……)

 俺はうんざりとした気分を隠しもせずに溜息を吐くと、夏海は満足したようにけらけらと笑いながら立ち去って行った。すでに周りの野次馬はまばらになっていたが、幾人か遠目に俺をうかがっている視線を感じた。よくある事だった。特にこういった襲撃騒ぎがあった後には。

「一年で首席候補って言われてるぐらいなのに、なんでアレなんだろうなぁ」

「お前入試の時のキンジを知らないからそんなこと言えるんだよ」

「そりゃ入試で教官まで倒したってことは知ってるけどよ……」

「バカ、教官5人もだぞ? 普通中坊がプロ相手にかなうもんか。それに中学からすでにプロとして武偵局で活動してるって噂もあるんだ」

「それは情報科《インフォルマ》からの噂か? じゃなきゃ眉唾だぞ」

 ぼそぼそと聞こえてくる話し声を耳が勝手に拾ってしまう。本人たちは十分に距離を取って聞こえないように配慮しているつもりかもしれないが、今の俺は普段より少しだけ聴覚が良い状態だったのが誤算だろう。しかしそれは俺がこの高校に入学してから何度となく囁かれ続けた噂だ。もう俺自身さえ聞き飽きるほどだった。

 俺はゆっくりと深呼吸をして身体に集まりかけていた熱を散らす。自然に聞こえなくなった周りの囁き声にほっとして、俺はその場を離れた。

「遠山君、災難だったね」

 トレーニングルームの横の廊下に差し掛かり、人影が途絶えた絶妙のタイミングで後ろから俺に声をかけたのは不知火だった。腕は大丈夫? と身体を気遣いながら苦笑しているところを見ると、先ほど夏海に絡まれていたところを目撃していたに違いない。女子に組伏せられた現場を見られてしまった気まずさから、俺はどことなく視線を彷徨わせて愚痴を零した。

「あいつら俺をおもちゃにしやがって……」

「みんな君の実力を測りたがってるんだよ。だって遠山君、Sランクでしょ」

「……ふん、どーせ俺は『幻のSランク』だよ」

 『幻のSランク』――それが、俺が噂話に上がる時の定型句だった。

 武偵の実力を示すために付けられるランクには通常EからAまで5段階のランクがある。しかし極稀にAランクより上のSランクが特別に与えられることがある。SランクというのはプロのAランクが束になっても敵わないほどの圧倒的実力を持っており、特に強襲科では『一人で特殊部隊一個中隊と同等の戦闘力を有する』という、いわば化物のような強さの証明なのだ。

 そして不本意にも俺はそのSランクとして認定されている。そう、不本意にもこの弱さでだ。喜劇を通り越していっそ悲劇だと思う。級友たちもさぞかし首を傾げたことだろう。入学試験で圧倒的強さを見せSランク付けとして入学した者が、入ってからはどこをとっても平凡な実力しか持たない男だったのだから。その結果が先ほどの襲撃騒ぎだ。夏海だけじゃない。俺のランクと実力に疑問を持った者たちからよく襲撃を仕掛けられた。なんでも『普段の組手では意図的に実力を隠しているかもしれないから、不意を突いて強襲すれば咄嗟に実力を出すかもしれない』ということだった。咄嗟もなにも元の実力がこれなのだから、不意を突かれて上手く立ち回れる筈がない。夏海の言う通り隙がある俺が悪いのだとは分かっているが、四十六日中隙を作らないで常に周囲の級友たちを警戒しないといけない俺の立場はどうすればいいのだ。そんなの無理に決まっている。こんなのはただの悲劇にしか成りえない。遠山キンジにSランクとしての実力がないのは真実なのだから。

 脳裏にふっと白い影がチラついた。それは曖昧でぼんやりとした影だったが、俺の中の深いところで強烈な飢餓感をふつふつと湧き上がらせた。足りない。足りない。どこかでそう叫ぶ声を無理やり押し殺して俺は唇をかみ締めた。認めなくては。遠山キンジは一人きりなのだと認めなくてはならないのだ。実力がないのも、何もかも認めなくてはいけない。そうしなければ、全てが嘘になってしまう。

「遠山君――。顔色が悪いけど大丈夫?」

 ふっと、視線を上げるといつの間にか目の前にいた不知火がこちらを窺うように眼を細めていた。

「どこか打ち所が悪かった?」

「いや、大丈夫だ」

「そう? でも……」

「本当に大丈夫なんだ。心配かけて悪かったな不知火。今日はもう帰るよ」

「遠山君がそこまで言うなら分かったよ。じゃあ、また明日ね」

「ああ」

 また明日、という言葉を咽喉につっかえた魚の骨みたいに無理やり飲み込んで、俺はこの日常から背を向けた。

 日常という非日常に馴染めなくなったのはいつからだろう。手に馴染んだ銃の重さを意識するようになったのはいつからだろう。銃声と硝煙のニオイ、そして明日という言葉に怯えるようになったのは、いつからだろう。……分かっている。本当はちゃんと分かっている。何もかもが色褪せてしまったのは、彼女が俺の前から消えてからだ。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。