IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第88話 16歳の君へ

 午後6時。<キャノンボール・ファスト>の表彰式と閉会式を終えた面々は、俺の家へと集まっていた。友人がココで俺の誕生会をやるというからだ。そのために集まった面々がリビングの天井に向けてクラッカーのひもを引く。

 

『一夏、おめでとう』

 

 弾けるクラッカーの音とシャンパンのコルクが飛ぶ音。そして、祝福の言葉が部屋を飛び交う。その言葉には誕生を祝うだけじゃない、<キャノンボール・ファスト>の優勝を祝うことばも含まれていた。

 俺は「おう、サンキュー」と祝福を受けながら、なぜかぽか~んと口を開く主催者をみやった。

 

「どうした、おまえら」

「いや、おまえの顔の広さにビビってるだけだ。なんだよ、このインターナショナル感」

 

 そういってリビングを埋め尽くす客人を「見てみろ」と指さす。

 リビングにはもともと参加予定だった箒たちをはじめ、チームメイトの簪と月子、出場選手のジェニファーさんや、フーさん、ノエルさん、アイリーン、アンジェリカさんといった各国の代表までもが顔を並べている(ただローズマリーさんだけ俺に「よくやりました。おめでとう」とだけ告げて、参加はしなかった。別件の仕事が残っているらしい)。

 というわけで、決して広くないリビングは、美女たちで満員状態だった。

 これには企画者(弾と数馬)も圧倒されたようで、

 

「企画した俺らがいうのもアレだが、さすがにこれだけの美女美少女がそろうと思わなかったぜ」

「さすが希代のモテおとこだぜ、おまえどこの異世界から来たよ」

「いや、俺は転生してきたわけでもなけりゃ、神様からチートも貰ってねえよ。今日のことを話したら、みんな行くってさ。なんかまずかったか?」

 

 確かにこの人数じゃリビングでも手狭だし、用意した食い物も足りなそうだけど。

 

「いやいや、問題ないぜ、一夏くんよ。な、弾」

「おう、やっぱり持つべきものはモテ男だな。で、数馬、おまえは誰いくよ?」

 

 言うなり、舐めるようにリビングの女の子を見て回る。

 こいつの目的は誕生会を出汁にIS学園の女の子と知り合うことだったな。

 

「弾、俺は、―――あのパツキン巨乳美女を狙おうと思う」

「マジかよッ」

 

 すらっと長い姿態。大きな胸。大人の色気を漂わせる異国の金髪美女を見た弾が戦く

 数馬が狙い定めた人物は、アメリカの国家代表であるジェニファーさんだ。

 

「確かに金髪の年上美人にはあこがれるけどよ、あいては外国人だぞ。童貞のおまえには難度が高すぎだろ。竹やりでB29に挑むようなもんだぞ。いっそ、Give Me chocolate!!してこいよ。おこぼれぐらいもらえるかもしれねーぞ」

「うっせーな。俺の竹やり(意味深)を甘く見るな」

 

 竹やりであることは否定しないのか。

 

「よし、御手洗数馬一等童貞、特攻いたします!」

 

 しゅぱっと出兵まえのように敬礼し、数馬はリビングでくつろぐジェニファーさんの許に向かっていく。残した言葉はあからさま玉砕の言葉だったが、俺たちは彼が生きて帰ることを祈りながら、その様子を見守った。

 さて、どうなるか。一応、ジェニファーさんに特定の男性はいないらしいけど。

 

「え、えっと、は、はろー、ないすと、みーちゅー まいねーむ、いず、かずま」

「Oh Kazuma. Hallow. Are you a ITIKA’s friend?」

 

 あなたは一夏の友達かしらだってよ。

 「えっ……?」なんてきょどっていないでがんばれよ。中学生レベルの英会話だぞ。

 

「えっと、あいむ、あいむ……」

「I’m?」

「I’m fine thank you!!(ぼくは元気です!)」

 

 うわ、数馬の奴、結局、自分の健康状態を告げて帰ってきやがった。

 

「わすれてた。俺、英語で赤点とってたんだった」

「じゃあ、なんでアメリカ人を口説こうと思ったんだよ! 身の程を知れよ」

「いや、愛があれば、言語の壁も越えられるかと……」

「おまえ、愛を語る前に、Iで語れてねえからな……」

「うまいこと言ったな。つーか、あの人、普通に日本語しゃべれるぞ」

「 一 夏 お ま え 先 に 言 え よ ! 」

 

 うわ、いきなり襲ってきやがった。こいつ、誕生日を俺の命日する気か。

 

「なにがIm fineだよ! 俺は元気か!」「まぁ、それだけ怒鳴れれば元気だとおもうが」なんて俺と数馬が取っ組み合いをしていると、そこに鈴とフーさんがやってきた。鈴の手には包装された小箱。それを片手で弄びながら、玉砕した数馬を鼻で笑う。

 

「なに、数馬、またいつもみたいにナンパに失敗して一夏にあたってんの? ばかねぇ」

「おうおう、これはこれは万年片想いの鈴さんじゃねーですか」

 

 瞬間、鈴の手刀が数馬の首を襲った。なんて速さだ。俺じゃなきゃ見逃してたね。

 

「いってぇーな! なにすんだよ」

「あんたは、帰って、ペラペラな二次元の彼女とイチャイチャしてなさいよ」

「ペラペラだと、俺の嫁たちを愚弄する気か!」

「ペラペラでしょうが、次元が一個足りてないんだがら――ってうわ」

 

 言い切る前に、皿が鈴の頭上を通過した。投げたのは、意外にもクラリッサさんだった。

 ドイツ代表の整備クルーは黒ウサギ隊だったっけ。

 その彼女はなぜか肩をわなわな震わせながら、なにかを強く訴えかけていた。そのうしろではラウラとアイリーンがフライドチキンをうまそうに頬張っている。

 

「中国の代表候補生、いまの言葉、訂正していただきたい」

「訂正? どこをどう訂正しろっていうのよ」

「彼女たちはペラペラじゃない。ちゃんと魂がある!」

「はぁ!?」

「魂がある!」

「二回、言われても、意味わかんないわよ」

「魂があるなら、それは一個の尊重されるべき命です。それをペラペラしているなど聞き捨てなりません。訂正してください。していただけないなら、していただけるまで説得するまで」

「はぁ? 説得って何をする気よ。いきなりDVDなんて取り出して。―――ちょっとラウラ、あんたの部下が意味不明な行動に出てんだけど!」

 

 頬張っていたフライドチキンを、ラウラは早口で飲み下し、

 

「――クラリッサ、健闘を祈る」

「健闘を祈るじゃないわよ!」

「あい、マム。――では、中国の代表候補生。私が彼女たちの良さを存分に語ってさしあげます」

 

 ずずっと迫るクラリッサにすっかり引け腰になる鈴。フーさんも苦笑いだ。俺は「オタクは語らせると長いぞ」と語る二次オタ数馬のとなりで、気の毒な想いに駆られた。そんな俺の許に鈴から小箱が飛んでくる。

 

「それ、あたしからの誕生日プレゼント! それと優勝おめでとう。じゃあ、あたし逃げるわ」

 

 猫のように身を翻す鈴。俺は遠ざかる鈴に礼を云って、小箱を開けた。

 中身に入っていたものは、狛犬のような置物だ。

 

「なんだ、こりゃ」

「これは貔貅(ひきゅう)だな」

 

 フライドチキンにかぶりつきながら、アイリーンが言った。

 

「貔貅(ひきゅう?)」

「うむ、中国にいる伝説の生物だ。魔を払う力があるらしいぞ」

 

 さすが中二病患者。伝説の生物や、幻想獣とか好きなんだろうな。

 

「他にも貔貅は、蓄財の神とも言われている」

 

 そう説明を加えたのはフーさんだった。

 フーさんは置物を手に取り、そのお尻を見せた。

 

「貔貅は金を食らうんだ、ほら、おしりに穴がないだろ。排泄を行わないんだ。転じて『お金が入って溜まるもの』として、中国ではよく縁起物として贈られる」

 

 「へえ、そうなのか」と物珍しげに貔貅を眺めていると、セシリアがやってきた。

 談笑でもしていたのか、箒と月子も一緒だ。

 

「貔貅の置物とは中国人の鈴さんらしい贈り物ですわね」

「ん? セシリアはこれ知っているのか」

「ええ。その地方の風習や習慣を調べることは物売りの基本ですもの。――まあ、それはさておきまして、わたくしは英国淑女らしく、一夏さんにこんなものを用意させていただきましたわ」

 

 セシリアが取り出したのは額に入った一枚の証明書。

 表記は英語で全部を読み取れないが、大きく記されたKnightの文字が目についた。

 

「セシリア、それは?」

「ふふふ、爵位でしてよ?」

 

 爵位? 爵位って侯爵や伯爵の、あの爵位か?

 こういうものって、功績のあった人間へ皇族やら王族が贈るもんじゃ?

 

「実は爵位は買えますのよ。とはいえ、買える爵位は一番下の騎士だけですけど」

「へえ、知らなかった。英国貴族から爵位を貰えるなんて、なんか感慨深いな」

「貴族制度はすでにありませんから大きな意味はありませんけど、ちょっとした待遇は受けられますわ。では、ここに署名してくださいな。あとの手続きはこちらでいたしますわ」

「おう、えっと書くもの、書くもの」

 

 近場に何か書けるものはないかと、リビングを見渡す。

 すると、箒が細長の小箱を取出し、それを俺に渡した。

 

「なら、私からこれを贈ろう。――中身は万年筆だ。代表候補生にでもなれば、これから何かと書類に署名することも多くなるだろう。ただのボールペンよりはカッコがつくはずだ」

 

 箒が包装を解き、小箱を開く。万年筆にしては珍しい白色だ。

 

「おお、かっこいいな。ありがとな、箒」

 

 俺は箒がくれた万年筆を走らせ、拙い筆記体英語で用紙に名前を記入する。

 書き終えた書類をセシリアが大事にファイルに閉じた。そして「ありがとな」と言った俺に、ほがらかな微笑を見せる。

 

「いいえ、どういたしましてですわ、サー」

 

 Sirか。なんだか、そう呼ばれると本当に貴族になった気分になるな。

 

「これで一夏さまは名実ともに騎士さまになられたわけですね。じゃあ、うちからはこれを」

 

 言って月子が出したものは、ファイリングされた証明書が三枚。

 今度はなんだと書類に目を通す。そして読み終えたあと、月子の顔を見た。月子は得意げに言った。

 

「これは月の土地の権利書です」

 

 聞いた一同が「おお」と唸る。

 月の土地が買えることは、俺も聞いたことがあった。だが、輝夜の姫様から月の土地をもらえるなんて、何だかお伽噺のようでワクワクしてしまう。それに「星の意思がなんとか、かんとか」であるアイリーンは、<月>に対抗する呪詛――とは名ばかりの見栄を発動させた。

 

「ふん、我とて、その気になれば<星>の土地をくれてやることなど造作もないがな」

「だから、おまえは1LKの社宅住まいだろ」

「あれは世を忍ぶ仮の住まいなの! 本当は城とか持ってるもん!」

 

 中二キャラを忘れて抗議するアイリーンを、ラウラは「くっつな」といなし、

 

 「最後は私だな。私からはこれをやろう」

 

 と(もも)のベルトを外す。

 ラウラが差し出したのは、なんとナイフだった。それをナイフケースと共に俺へ差し出す。

 そこでぬっとクラリッサさんに追われていた鈴が顔を出した。

 

「常識の無いヤツだとは思っていたけど、寄りによってナイフをプレゼントするなんて。やらかすわね、あんた」

 

 確かに刃物って「斬る」ものだから、贈り物としては縁起が悪いって聞くが。

 

「そうでもないんだよ、鈴」

 

 そう言ったのはシャルロットだった。

 シャルロットはノエルさんと中庭から観葉植物を運びながらリビングに入ってきた。そして、リビングでイチャつくアンジェリカ夫妻を「邪魔だ」とにらみ、植木鉢を適当な場所に置く。

 

「それはなんだ?」

「これね、一夏の誕生日プレゼントに用意したんだ。フランスには「Je touche du bois!」いう言葉があってね、不幸なことがあると木を触るんだ。すると、まわりに自分と同じ不幸がおきなくなるっていうの」

「で、観葉植物か。なんだか見てるだけでも癒されるな」

 

 深い緑の木々は見ているだけで心を落ち着かせてくれる。

 何よりシャルロットの思いやりが感じられて、俺は自然と暖かい気持ちになった。

 

「ありがとなシャルロット、大事に育てるよ」

「うん。――で、話を戻すけど、刃物を贈るのは悪い意味だけじゃないよ、鈴。刃物には『災厄を払う』『未来を切り開く』っていう意味があるから。むしろ、贈り物としては縁起がいいんだ」

「確かに花嫁衣裳には必ず懐刀を忍ばせる。七五三でも子供に守り刀を持たせるしな」

 

 そういえば篠ノ之神社じゃ、神前挙式や七五三参りもやってたっけ。俺もお宮参りは篠ノ之神社だったって聞いたな。俺も千冬姉も柳韻さんに祝詞をあげてもらったらしい。そこから俺たちの幼馴染の関係が始まったといえる。

 

「一夏くん、もし気になるんだったらコインを渡すといいよ。一般的には一番安い硬貨(イッセント)でいいけど、縁起を担ぐなら5Yenコインなんてどうだい。それにリボンかなにかを結ぶといいだろう」

 

 ご縁を結ぶってことか。さすがおまじない国家フランスの代表だな。

 俺はさっそくサイフから5円玉を取出し、装飾につかわれていたリボンを結んでラウラに渡す。「うむ。確かに受け取った」とラウラは結ばれた五円をコイントスしてパシッと掴んだ。

 

「ふ~ん、刃物にはそういう意味もあるのね。勉強になったわ。異文化交流はするもんね」

「そういえば、赤騎士の待機形態もナイフだったよね。普通はアクサセサリー類がほとんどなんだけど」

 

 俺は、贈られたナイフと彼女のナイフは同じ意味なんだろうと思う。

 彼女のナイフは「未来を切り開く」その意思と願いの現れなんだ。

 

「で、そのアリスを見かけないんだけど」

「アリスさんなら、プレゼントの準備があるから遅れるって言ってましたよ」

 

 途中まで一緒にいた蘭が言った。

 

「プレゼントの準備、か。個人的には一番気になるところだな」

 

 彼女から『両親の居場所』をプレゼントされた箒が興味深げに言った時、リビングに新たな人が入ってきた。入ってきた人物は件のアリス―――じゃなく、千冬姉だ。

 

「千冬、遅かったわね。弟くん大好きなあなたらしくないじゃない」

 

 とジェニファーさんがシャンパングラスを掲げる。

 ほろ酔いなのか、頬がほのかに赤い。

 

「こちらにもいろいろあったんだ。いろいろな。――それにしても、見せてもらったぞ。実に無様なゴールだった。こいつ相手に乳一重とはおまえも堕ちたものだな」

「彼の実力が私を上回っただけよ。もう、素直に褒めてあげればいいのに~。ねえ、弟くん」

「え、いや、まぁ」

 

 本音を言えば、確かに褒めてもらいたいとは思う。

 でも、辛辣な千冬姉のことだ。ローズマリーさんの協力もあったし、あまり期待をしないでいたが、千冬は俺のところにやってきて、頭をわしわし撫でてきた。

 

「そうだな。一夏、強く、そして大きくなったな。いまのおまえならすべてを語れる」

 

 俺は直感的に千冬姉が何を語ろうかわかった。

 ずっと俺たちの間で暗黙の了解だったタブー。――――俺たち家族のこと。

 

「おまえに会わせたい人物がいる。入ってきてくれ」

 

 千冬姉は玄関の方に視線をやった。入ってきた人物は、千冬姉に似た、でも柔らかな物腰の女性だ。

 俺は胸の奥が二つの感情でいっぱいになった。小さな懐かしさと――大きな怒りで。

 この二つの感情を同時に呼び起こせる人間は、俺の中に二人しかいない。だからこそ、解かった。目の前の女性が誰なのか。――――彼女は俺たち姉弟を捨てた両親の片方だ。

 それは箒たちにも解かったようで、リビングがいっきに淀めき立った。ただ、シャルロットだけは不自然なほど冷静だった。かといって、それを詮索する余裕など俺にはなく、ただただ目前の女性にすべてを奪われていた。

 

「あんたが、俺の、母さん? なのか……」

「ええ」

 

 目の前の女性が小さく頷く。それが俺の心臓を早くさせる。俺の母親。みんなのまえだったから冷静に努めようとしたけれど、10年分押さえつけていた感情が怒涛の勢いで競り上がってきて、俺は自制が利かなくなった。

 俺は何度も両親の事を忘れようとしてきた。いなくなったものに苛立っても感情の無駄遣いだと思って。だれど、本当は、食事もせず疲れて眠る千冬姉を見るたび、両親の事を思い出し、恨む自分もいた。その恨みを口に出したことはなかったし、これからもする気はなかったのだけど、本人を前にしたら我慢できなくなった。

 

「なんでだよッ。なんで……ッ! なんで、いなくなったんだよ! あんたがいなくなったせいで、千冬姉はすごく苦労したんだぞっ! 返答次第じゃ母親だからってただじゃ――」

「落ち着け一夏」

 

 ココから追い出す勢いでまくしたてる俺を宥めたのは千冬姉だった。

 

「気持ちはわかるが、これにはわけがあったんだ」

「理由……?」

「ああ。まず、私はおまえに詫びなければならない」

 

 詫びる? ずっと俺のために働いてくれた千冬姉が俺に何を詫びるっていうんだ。

 

「おまえから母親を奪ったことを、だ。母さんは私たちを捨ててなどいない。私がおまえにそう吹き込んだんだ。母さんにおまえを渡さないためにな。実は私と母さんはある理由で仲違いをしていた」

「仲違い?」

「ああ、ある少女の存在が私たちの関係に誤解を生じさせたんだ。その少女についてはいずれ語る。話を続けよう。この誤解から、私は母に捨てられたものと思い込んだ。そこで、私は母の愛情を取り戻すため、白騎士になった」

 

 リビングがどよめく。

 IS時代の始まりを告げた白騎士。その正体が千冬姉だったことに。

 

「……じゃあ、一夏の姉貴が日本を救った英雄?」

「いや、違うぞ、弾。私は英雄などではない。むしろ大罪者なんだ。白騎士事件は、ISの力を世界に知らしめたい束と、母に見直されたい私が起こしたマッチポンプにすぎない」

 

 リビングが様々な表情に彩られる。怒る者、恐れる者、呆れる者、ただ静かに見守る物。さまざまな感情が狭い部屋にうずまくなか、俺はそのどれにも属さず、ただ、千冬姉の言葉に耳を傾けた。

 

「まったく、はた迷惑な話よね……」

 

 酷く幻滅した様子で、楯無さんがぼやく。

 

「……で、でも目的はどうあれ、たった二人で時代を変えてしまうなんて、すごいことだと思う」

「更識の妹、私たちは時代を変えてなどいない。歪めただけだ。それを正そうと私は<ブリュンヒルデ>になったが、それも志半ばで挫折した。幸い、友人にそれを託せたが、いまだ私と束が作った罪は、世界を覆っている。世界最強と希代の天才でさえ消せないその大罪を償うために、母さんは私たちのまえから姿を消した」

 

 千冬姉の語ったことが真実なのか、それを問うように母親を見やる。

 

「ええ、あなたの側から離れることは辛かったけど、私がやらなければいけなかった。子の罪は、育てた親の罪だから。世界を歪めた罪は、私にしか償えない。他者に押し付けるわけにはいかなかった」

「おまえの前から母さんがいなくなったのは、私の所為なんだ。恨んでくれても、憎んでくれても構わない。私にはそれを受け入れる覚悟がある。ただし、母さんは恨まないでやってほしい」

 

 俺は視線を落とした。告げられた事実があまりにも大きくて感情や思考が追いつかなかった。

 でも、俺の中ではっきりとこれだけは言えることがあった。

 

「いいんだ。千冬姉。確かに千冬姉は俺から母さんを遠ざけたのかもしれない。でも、その代わりをしてくれた。時に甘えさせてもらって、時に叱ってもらえて、千冬姉が俺にくれたものの大きさを思えば、全然許せるよ」

 

 理由がどうであれ、この十年間、俺は千冬姉にたくさんの愛情を注いでもらった。その感謝を思えば、俺の心から怒りや憎しみの感情はまるで湧いてこなかった。

 

「そうか。本当に大きくなったな、一夏」

 

 それも違うんだよ、千冬姉。俺が大きくなったんじゃない。千冬姉やみんなが俺を大きく育ててくれたんだ。一人の力で育つ人間は、この世界のどこにもいやしない。

 

「んでさ。母さん」

 

 母さんは「ひゃい!」と上ずり声で答えた。

 

「な、なにかしら!」

「その、えっと、なんだ」

 

 姿を消した理由を明かされたいまとなっては怒りもわいてこなかった。かといって、母の記憶が希薄だから懐かしむこともできなかった。いろんな事実が明かされて整理が追いついていないこともあるけど。

 正直、何を言えばいいか思いつかず、言葉に迷っていると、シャルロットが背中を押してきた。

 

「そういうときは、ハグだよ、ハグ」

「いや、ハグとかはいいよ。15、いや16になって、母親と抱き合うなんて恥ずかしいって」

 

 ただでさえ、シスコンだの呼ばれているのだ。そこにマザコンなんて加わった日にゃ、登校拒否に陥りかねん。ましてや人前でなんて。

 

「もう一夏ったら。自分の母親を安心させられないで、一人前になんかなれないよ」

 

 言葉に詰まる。まったく反論できなかった。包容力を発揮できないうちは、まだまだ子供か。

 今のままじゃ無駄に歳を食っただけになる。年を食った分だけ大人にならないとな。

 俺は決意を固めた。そして、気恥ずかしさに顔を上気させながら、そっと母さんをその腕に抱きとめる。母さんも俺を抱きしめてくれる。母さんから伝わるぬくもりが俺に懐かしさを呼び起こした。俺は母の記憶が希薄だったが、身体は覚えているようだった。彼女に抱かれ、育てられたその日々の記憶を。

 俺は彼女に愛されていたんだな。そうでなきゃ、体が覚えているはずがない。

 それだけで、俺は彼女のすべてを許せる気がした。だから、俺は晴れやかな気持ちで本心を口にした。

 

「母さん、あんたが俺たちの前から消えたこと。恨んじゃいないよ」

「そう言ってもらえると救われるわ。私の方こそ、そばにいてあげられなくてごめんね」

「いや、母さんにはやらなきゃいけないことがあったんだろ。それにさびしくはなかったぜ。箒に、鈴に、弾や蘭、月子や、月子のおじさんやおばさん。そして千冬姉。いまはセシリアやシャルロット、ラウラたちもいる。でも――」

「でも?」

「あんたが俺を生んでくれなきゃ、こんな大勢の仲間たちと出逢えなかった。感謝しているよ」

「いいえ、それは私の台詞。―――生まれてきてくれてありがとう、一夏くん」

 

 母さんは目頭に大粒の涙を蓄えた。

 俺は戸惑った。息子にとって母親の涙というものほど扱いに困るものはない。俺は「泣かせた」と笑う周囲に助けを求めるが、みんな助ける気はないようだった。しかたないので、俺は母親が泣き止むまでその背をぽんぽんと叩き続けた。

 

 その後、母さんが『世界最強の専業主婦だ』と聞かされたのは、泣き止んでしばらくたってからのことだった。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

「それにしてもすごい誕生パーティーになったな」

 

 夜もふかまり、思わぬ母親の訪問からはじまったパーティーも佳境に入り始めた時間。

用意した食い物も底をつきはじめ、俺はその買い出しついでに夜道を歩いていた。「パーティーの主役が買い出しなんて」とは言われたが、いろいろ気持ちを整理したかった俺は、こうしてひとりにしてもらったわけだ。

 

「それにしても母さんが<デウス・エクス・マキナ>だったなんてな……」

 

 そして、それが俺たち姉弟のために存在していたこと。

 その事実は母さんがアリスやロリーナさんのトップということでもあって、いままでのことがすべて腑に落ちたと同時に、俺をわずかに落胆させた。

 アリスが俺を助けてくれたことは結局、母の命令に過ぎなかったのだろうか。心のすみにそんな不安を抱えながら家のかどを曲がると、玄関の前で一人の少女が立っていた。アリスだ。

 

「お、アリス。どうした、中に入らないのか。つーか、おそかったな」

 

 パーティー開始からもう何時間もたっている。

 蘭から「遅れる」とは聞いていたけど、正直、今日はこないかと思っていた。

 

「ちょっと用事がありまして。それより拝見しましたよ。<キャノンボール・ファスト>、優勝おめでとございます。やりましたね、さすが、私が見込んだ男です」

 

 私が見込んだ男。彼女に見込まれていたという言葉に、俺は言いようのない高揚感を得る。

 けれど、俺は舞い上がりたくなるような気持ちを抑え、冷静に努めた。

 

「いや、ここからさ」

 

 今回の<キャノンボール・ファスト>優勝。その功績は確かに大きい。けれど、千冬姉が云っていた。勝利はただの通過点に過ぎないって。たった一勝で浮かれていては底が知れてしまう。目的地はまだはるか遠くにあるのだから『ここで気を緩めてはダメだ』と俺は自分に強く言い聞かせている。

 

「ふふ、いい顔をするようになりましたね。そんなあなたにプレゼントを持ってきました」

 

 アリスがポケットから小箱を取り出す。

 ジュエリーケースほどの大きさの、頑丈そうな金属の小箱だ。俺は「おう、ありがとな」と受け取り、期待に胸を躍らしながらそのふたを開けようとした。その手にアリスがそっと手を重ねる。

 

「いまはまだ開けないでください」

 

 俺はアリスを見やる。

 

「これは“力”です。あなたが無力を感じ、それでも何か強く願ったそのときに開けてください。そうすれば、必ずこの箱があなたの力になってくれます。そのときまで、あけないでください」

 

 “力”。確かに頑丈そうな箱からは、“強さ”と“重み”を感じた。厳粛に秩序を正す規律のような“重さ”と、どこまでも安心感に満ちた“強さ”だ。それでいて、これには自分にのみ許された力という特別性を感じさせる“何か”があった。

 

「それは世界にひとつしかない、あなただけの“力”です。大事にしてください」

 

 実際に、箱を開いてみなければ、言葉の意味のすべて知ることはできないだろう。けれど「俺にとって大事な物」であることは、確信が持てていた。アリスがそういうならなおこと。

 

「ああ、わかった。ありがとうな、アリス」

 

 俺は親の形見をあつかうように、それを大切にしまう。

 

「いいえ」

 

 アリスはいつも通り、さもないように言った。誰かのために戦い、支え、救ったときも、こいつはいつもこんな感じだ。名誉も称賛も欲しがらない。強くありながらも、けっして驕らない彼女を、俺は心の底から尊敬する。そんなアリスに少しでも追いつくこと。それが俺のいまの目標だ。

 

「じゃあ、中にはいろうぜ。まだ食べ物、残ってるぞ」

「ほんとですか! 急いだ甲斐がありました」

 

 無邪気に笑うその姿に愛おしさを感じながら、俺はアリスのあとに続いた。

 




これにて<キャノンボール・ファースト>編は終了となります。如何でしたでしょうか。
さて、次章へ移るにあたって次の更新は4月1日からとなります。ではまた。

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