IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第84話  Parental love child knowing

 <キャノンボール・ファスト>会場。そこに設置された格納庫。関係者以外「立ち入り禁止」のプレートが掲げられたそこに人気はなく、主たちの搭乗を待つISだけが、開始の時を待っている。そう、そのはずだった。

 

「さてと、こいつだな」

 

 <サイレント・ゼフィルス>、<ブルー・ティアーズ>、<甲龍>、<甲虎>、<シュヴァルツェア・イェーガー>、<シュバルツェア・レーゲン>、数多くのISが並ぶなか、その人物は<白式>のまえで、軽く舌なめずりした。

 艶やかな金髪を後頭部でまとめたポニーテイル。長身で、勝気な風貌をした少女だ。その隣にはもうひとり少女がいて、周囲を見張っている。金髪少女とは対象的に小柄で、黒髪の三つ編みを肩越しに垂らした少女だ。どちらもIS学園の制服に身を包んでいる。

 

「恨みはねえが、こっちも仕事なんでね。悪く思うなよ」

 

 金髪の少女は蜘蛛型の機械を取り出し、それを白式の動力ユニットに取り付けた。

 そしてスイッチと思わしき装置を手前に引く。

 備わった赤いランプは、あたかも終わりのカウントダウンを始めるように点滅し始めた。

 はたして、この機械はいかなるものなのか。それは少女のみが知る。ただ、点滅する赤いランプは、何かの危機を告げるような不気味さを漂わせていた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

「この髪形にするのも、久しぶりか……」

 

 IS学園地下区画レベル4。学園関係者でも一握りだけが立ち入れる学政特区<アスガルド>。

 最低限の照明と無機質な金属の冷たさが支配する秘密区画で、千冬は髪を、桜を模った髪留めで結い上げた。さらにコンバットスーツをかねたISスーツにHFブレードをアタッチメントする。

 

「よしいくか」

 

 眼前に立ちはだかる硬質な扉を見据える。最高権限レベル5区画への立ち入りを阻む扉だ。職員の中にはアスガルドの名にちなんで<ミーミルの泉>と呼ぶ者もいるが、実際は何があるのか、誰も知らない。

 千冬はISスーツのポーチから注射器を取り出し、首筋に宛がった。自分と瓜二つ少女が寄こしたナノマシンだ。彼女は「これで【レベル5】に入れる」と言った。なぜ彼女がそれを持っているのか、疑問は持たなかった。(すくなくとも千冬にとっては)簡単な理由だ。ここはそういう場所なのだ(・・・・・・・・・)

 針を首筋に刺すと、激痛が走った。それに思わず顔をしかめる。

 余談だが、千冬は幼い頃から注射が苦手だった。母が予防接種に連れて行こうとするとそれはもう徹底抗戦したものだ。そのたび、千春は予防接種の取り消しと予約を繰り返す羽目になったのだが、千冬は上機嫌になった。母を困らせることが楽しかったのだ。でも、それが母の強いストレスになっていたのだろうと今に思う。

 閑話休題。

 千冬の体内にナノマシンが注入されると、厚さ1メートルはあろうかという扉が油圧駆動で開き始めた。開けた通路の先には、大きな空洞。おそらくはエレベーターシャフトだろう。転落防止用の手すりには、操作パネルらしきものがあったが、千冬はエレベーターを待たず飛び降りた。

 

「まるで、不思議の国のアリスだな」

 

 あたかも“白兎を追って穴に落ちたアリス”のように、千冬は底の見えない穴を下りながら、母が好きだった童話を思い出す。今思えば「不思議の国のアリス」にちなんだコードネームは自分に向けたメッセージだったのだろう。

 そう思うと、下から眩い明りが指してきた。千冬は反重力で衝撃を緩和しつつ、片膝、両手の三点で着地した。そして顔を上げ、前を見据える。同時に顔をしかめた。

 視界の先に別世界が広がっていたからだ。

 比喩ではない。それは本当に別の世界だった。つい先ほどまでハイテクで塗り固められた無機質な場所にいたはずなのに、気づけば、彼女は―――城の中に立っていた。それもなんとも奇抜な意匠の城だ。トランプ模様の配色。左右非対称のオブジェクト、道化の絵画が踊っていたりと、子供が描いたかのような不思議な世界が広がっていた。

 

「仮想現実、というやつか……」

 

 非現実的なその空間を千冬が物珍しげに歩いていると、声がした。

 

《おやまぁ。珍しい客人だわさ》

 

 彼女の前に現れた人物はまたしても奇抜な人物だった。

 ピンク色の髪。トランプ柄のドレス。ハートの冠。女王様のような風貌。とても現代を生きる人間とは思えない人物を前にして、千冬は高周波ブレードの柄に手を置いた。

 

「おまえは……?」

《わらわは、この<ワンダーランド>の支配者――<ハートの女王>だわさ》

 

 ハートの女王。ここにきてまたしても「不思議の国のアリス」。まさか自分は本当に「不思議の国」にでも迷い込んだとでもいうのか。いや、そんなことはありえない。ここは間違いなく現実だ。だとしたら、この世界は一体なんなのだ。IS学園が最高権限を布いて立ち入りを禁止するこの場所の正体は?

 

《気になってしかたないという顔さね。ここは世界の裏側さ。それ以上は、わらわの創造主にきくがいい。――こっちにくるだわさ。ルイス・キャロルに会わせてやるわえ》

「……………」

 

 千冬は黙って従った。現状から推し量るよりこの世界を作り上げた創造主に訊く方が話は早い。

 踵を返した<ハートの女王>の背を千冬は追った。

 城内を進んだ先に待ち受けていたものは、無数の書物が保管された空間だった。掛けられた螺旋状の階段では、無数のウサギの少女が行き交い、せっせと本の整理をしている。

 その光景を眺めていると、前方不注意で何かを蹴っ飛ばした。蹴っ飛ばしたのは、ウサギ耳の生えた女の子だった。ウサギの女の子は蹴られた拍子に本をばさっと床に広げてしまっていた。

 

「すまない。前を見ていなかった」

 

 手伝おうとする千冬に、ウサギの少女は「大丈夫」の立札を見せた。それから、そそくさ散らかった本を集め、忙しい忙しいとばかりに行ってしまう。何がそんなに忙しいのか。駆け足で図書から飛び出していくウサギ少女を見送っていると、<ハートの女王>が振り返った。

 

《ついたわえ》

 

 <ハートのクイーン>が進路を開ける。その先では、妙齢の女性が片手に本を読んでいた。

 自分の母親――織斑千春ことルイス・キャロルだ。ルイスはパタンと本を閉じ、娘を見やった。

 

「来たわね。待っていたわ、千冬」

 

 

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 ここではなんだから移動しましょう。そういって案内された場所は、城の中庭だった。調えられた木々に囲まれたテーブルには一人の女性が腰かけていた。ロリーナだ。

 千冬はアタッチメントから高周波ブレードをテーブルにかけ、ロリーナが退いた椅子に腰を下ろす。「お茶はいかが?」と言ったロリーナを手ではねつけ、千冬は母を見た。

 

「なぜ、こんなものがIS学園の地下にある。そもそもアレはなんだ」

 

 壁に敷き詰められた本。それを管理するウサギの少女たち。本来はそんなことを訊きにきたわけじゃない。しかし、あまりにふざけたこの世界と、それを守らされていた指揮官の立場から問わずにはいられなかった。

 

「せっかちね。昔からあなたはそうだった。誕生日プレゼントも前日に買いにいかされたわ」

「そんな昔話はどうでもいい」

 

 千春は苦笑いをこばしながら、紅茶をひとくち。それからロリーナに視線を送る。

 

「ここは世界を裏側から検閲するための大規模サーチエンジン、その中枢よ」

 

 サーチエンジン。いきなり現代的な言葉が出てきた。

 

「ユビキタスコンピューティングと、ワールドセンサリングで、超情報化社会となった現代、あらゆる情報がデジタル化され、ネットワークを介して日々蓄積しているわ。その情報の集合体をなんというか知っている?」

「ビッグデータか」

「そう。<ワンダーランド>は、そんな情報社会に蓄積していくデジタル情報を世界規模で検閲するシステム。あなたが見たウサギの少女はそのための汎用プログラム。書架に並べられた本は、取捨選択されたデータそのものよ。そして、システム全体を管理しているのが彼女<ハートのクイーン>なの」

 

 <ハートの女王>はドレスの端をつまみ、優雅におじぎして見せた。

 

「だが、ネットワーク上を飛び交う情報量はすでに毎秒六(ヘクサ)バイトを超えている。世界のスパコンを並列処理させても、世界規模の情報検閲など不可能だ」

「第四世代のコンピューターではね。でも、この<ワンダーランド>の中枢プロセッサーには、第五世代コンピューティングと量子の重ね合わせ(スーパーポジション)を利用した技術が使われているの」

「量子コンピューターか」

「正確には、光子とフォトニクス結晶体を用いた光コンピューター。この光コンピューターは、第四世代のコンピューターシステムを凌駕した情報処理能力を有する。おかげで私たちは第五の戦場といわれるサイバー空間に置いて高い優位性を獲得している」

 

 話の続きを千春が引き継ぐ。

 

「それだけに、その存在を秘匿する必要があったわ。<ワンダーランド>は高次元の処理能力を持つゆえに、現代の情報社会を崩壊させることもできてしまう。さながら“情報核爆弾”ともいえるコレを他者に渡すわけにはいかない」

「だからIS学園に隠したのか。どの国家、機関にも干渉されないIS学園に。だが、そもそもだ。なぜおまえたちはそんなものを所有しなければいけない」

「世界と対等に渡り合うためよ。現代の主な戦場は空でも、陸でも、海でも、宇宙でもない。サイバー空間なの。いまの時代、たった一台のラップトップで軍隊を機能不全にできてしまう。換言、このサイバー空間で優位を確保できれば、どの軍隊とも対等にわたりあえる。そのために私たちは<ワンダーランド>を構築した」

 

 電子空間に戦略の重点を置く理由は理解できた。

 世界にその重要性を知らしめたのは他ならぬ自分たちだ。だが、それは質問の答えになっていない。

 

「待て。私が知りたいのは、なぜ個人が電子空間でその優位性を確保し、世界と渡り合わねばならなかったのか、だ」

 

 量子コンピューターによる情報操作は“手段”であって“目的”ではない。

 こんなものを作り上げてまで、なぜ世界と戦わなければいけなかったのか。

 その目的を問う娘に、母はまっすぐに見据えて、すべての真実を明かした。

 

「償うためよ。――――あなたと、束ちゃんが起こした<白騎士事件>は世界を混乱と恐怖に陥れた。その混乱を収束させ、子供たちに未来を残すために、私たちは<デウス・エクス・マキナ>を創立した」

 

 千冬は奥歯を鳴らす。自分が犯した罪は自覚していた。償いの方法もずっと探してきた。

 だが、これは自分の罪だ。人の罪まで背負うとする、母の傲慢さに娘は激怒した。

 

「なぜ、おまえがそこまでしなければならない! おまえには関係ないことだ!」

 

 苛立つ娘に、母は優しく、そしてどこまでも慈しむように、こう告げた。

 

「千冬、子の罪はね、生んだ親の責任なの」

 

 子供が犯してしまった罪を問うことはできない。無力な子供には、償う力もまた無いからだ。

 けれど、罪をなかったことにはできない。ならば、その罪は誰が背負い、誰が償うのか。それは親を置いて他にいないのだ。

 千冬の犯した<白騎士事件>という罪を償うために、母は旅に出た。そう、贖罪の旅に。

 

「それに子供がどれだけ罪を犯そうとも、母親はお腹を痛めて生んだ子を、罪人だからと簡単には見捨てられないものなの」

 

 母の言葉で、千冬の胎に何か重たいモノが落ちる。

 しかし、ずっと、母に廃られたと思い続けてきた彼女は、明かされた母の本心を受け入れられなかった。自分に似すぎている少女の存在が、彼女をそうさせた。

 

「うそだ。おまえは私をいらない娘だと思っている。だから、もう一人わたしを作り、私たちを捨てた。違うか!」

「マドカのことね。安心して。あの子は、あなたの複製品なんかじゃないわ」

 

 千冬が瞳を開く。

 マドカが自分の複製じゃない? 髪や容姿、声さえ同じだというのに。

 

「クローンじゃない!? だったらなんだというんだ……ッ」

「あの娘はね、――――キメラなの」

 

 キメラ。

 その単語を聞き、千冬が思い浮かべたのは、複数の動物が融合した神話の怪物――ではない。

 現代、様々な戦場で猛威を振るっている無人兵器アーヴィングだった。

 「月光」の脚部に使われている生体部品には、ES細胞をベースに“馬”と“飛蝗”の遺伝子が組み込まれている。これにより月光は、飛蝗のような跳躍力と、馬のような蹴力を獲得している。つまり、月光はある意味で二種の混合生物(キメラ)

 

「マドカの誕生には、月光と同じテクノロジーが使われているわ。あの子は月光のようにDNAをふたつ持つの。でも最初からそうだったわけじゃない。――あの子、邑上まどかは先天的な遺伝子の病気だったの。受精卵の段階で既にいくつかの遺伝子が欠落していて、重度の障害を持って生まれてくることがわかっていた。そこで欠落した遺伝子を他の遺伝子で補う治療が行われたわ」

遺伝子移植(ジーンセラピー)か」

「ええ。そのドナーに一夏君の特異的な遺伝子が使われたの。治療自体は成功したわ。マドカは障害を持たず、健康な体で生まれてこられた」

 

 けれど、と千春が続ける。

 

「“副作用”が現れた。足りない多くのDNAを一夏君から移植したため、成長するに従って外見が一夏くんに似ていったの。我が子が別人になっていくことを気味悪がったマドカの両親は育児放棄をした」

「それでおまえが引き取ったのか……」

「ええ。彼女の半分は一夏くんだもの。私がマドカにたくさんの愛を注いだのは『自分が何者であっても肯定してくれる人がいる』それを知ってほしかったから。けして、マドカはあなたの“やりなおし”なんかじゃないわ。確かにあなたには手を焼かされたけれど、一度だってあなたを、不要だなんて思ったことはない。だって、言うでしょ」

 

 千春は朗らかな笑みで言った。

 

「手のかかる子ほどかわいいって」

 

 それは学園襲撃事件後、無茶をして気を病んだ一夏に、自分が投げかけた言葉だった。

 だから、悔しいほどに理解できてしまった。そうだ、手のかかる子ほどかわいいのだ。

 明かされた真実に、千冬は自分の浅墓さを思い知って、打ちのめされた気になっていた。

 

「母さん、私は……」

 

 私はいらない子じゃなかった。愛されていたんだ。

 なのに自分は……。

 呵責の重みに耐えかねて、声が詰まる。「ごめん」の一言さえいえない自分のちんけなプライドが、いまは憎らしかった。けれど、そんな不器用さも全部ひっくるめて我が娘なのだと知る千春は「いいのよ」と微笑んだ。

 

「あなたを傷つけ、<白騎士事件>を起こさせてしまった私にも罪はある。だから、あなただけがすべての罪を背負わないで。それにあなたはよくがんばったわ。私がそばにいられない間も、一夏くんを守ってくれた」

「いや、私は何も守れていない。一夏も、学園も」

 

 IS学園就任時、自分は『学園ぐらい守ってやるさ』と大言壮語を吐いた。

 けれど、現実はどうだった。

 セシリアという強敵相手に一夏を勝利へ導いたのは誰だ。

 襲撃者から鈴を助けたのは誰だ。

 世界からラウラを守ったのは誰だ。

 孤独だった箒に手を差し伸べたのは誰だ。

 継母の暴走からシャルロットを救ったのは誰だ。

 自分は何ひとつも守れていない。

 

「そうかもしれないわね。でもそれは自分ひとりでなんとかしようとしたからよ」

「仕方なかったんだ! 束も私の前から姿を消した! 私には何も頼れるもんなんかなかった! それでも一夏の前で弱さなんか見せられなかった! なら、自分で全部するしかないだろ!」

 

 自分を捨てた母親へのささやかな復讐として、一夏に「私たち(・・)は捨てられた」と教え込んだ。しかし、弟から母親を奪ったことで、彼女は母も父も必要ないと思えるような完璧な人間(あね)にならざるを得なくなった。

 気づけばだれにも弱音を吐けず、孤独になっていた。

 それでもなんとか「最強」とか云うチンケな肩書を振りかざして頑張ってきたけれど、ついにそれが通じない“敵”が現れた。彼女たちは知っていた。「最強」なんて言葉が子供だましにもならないことを。

 

「そう。でも、もう大丈夫よ、いまは私たちがついているわ。子は親を頼っていいのよ」

「頼る……?」

 

 平気な振りをして、時に取り繕って、誰にも頼らず生きてきた彼女は思い出した。

 受容というものを。

 辛いとき、苦しいとき、人は人を頼っていいのだ。

 「助けて!」と言う子の勇気。「助ける!」という親の勇気。人は誰でもいつか後者の勇気を持たなければならない。愛する人を見つけ、新たな命をその身に宿したときに。でも、彼女のお胎はまだ空っぽだから、千冬は前者の勇気を振り絞った。

 

「母さん、私に力をかしてくれ(・・・・・・・・・)

 

 彼女は言った。『最強』という名ばかりの肩書を投げ捨てて。

 

「待っていたわ。その言葉を」

 

 柔らかに微笑んだ千春は立ち上がり、勇気を振り絞った娘の髪を愛おしそうに撫でた。

 いまこのとき、真の意味で<デウス・エクス・マキナ>は始動をする。

 

「さあ、行きましょう。――――あの子に危機が迫っている」

 

 


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