IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第83話 Start/Ready

 キャノンボール・ファスト当日。人と企業の広告AR、あるいは露店の宣伝ARでであふれかえるアリーナの観客席。海が臨めるその最前列、蘭と弾はチケットを片手に自分の席を探していた。会場はすでに観客であふれかえり、見通しはよくない。蘭はなかなか自分の席を見つけられないでいた。開始時刻も近づいており、急ぎ足で自分の席を探す。

 

「もお、おにぃが道草食ったせいで、出遅れたじゃん!」

「いやだって、こんなにいろんな店が出てるとは思わなくてよ」

 

 今回の<キャノンボール・ファスト>では会場外に多数のブースが設けられている。

 そこでIS関連のグッツが販売されているほか、簡易の適正検査も受けられるなど、会場に入れなくても、楽しめるよう配慮されていた。それに見事足止めを食らった五反田姉妹である。

 

「つーか、思わず買っちまったわ、セシリア・オルコットの写真集! この子、一夏の知り合いなんだよなぁ。ああ、誕生日会で会えるのが楽しみだ」

「なんでもいいけど、おにぃも席探してよ」

「おうおう――――えっとS17だろ。蘭、あったぞ」

 

 弾がチケットと席の番号を見比べる。なんとか開会セレモニーが始まるまえに着席できたようで、ふたりはほっと胸をなでながら、腰を下ろした。

 

「あら、蘭さんに弾さんじゃないですか」

 

 座った席の隣から声をかけてきた人物はアリスだった。

 隣には知り合いらしき金髪の女性も座っている。歳は二十代中頃で、セレブ然とした美女だ。

 

「あ、アリスさん。このまえはどうも」

「うっす」

 

 蘭が会釈して、弾が挨拶代わりに手を上げると、知り合いらしき女性が言った。

 

「あら、お友達かしらん?」

 

 ゆるふわの金髪ロング。豊満な胸。桜ルージュの妖艶な唇。弾が思わず「すげー美女」と漏らしたその人は、スコール・ミューゼルだった。

 

「ええ、彼らは一夏の中学時代の同級生でして。先日、一緒に買い物をしたんです」

「あら、そうなの。――はじめまして、スコール・ミューゼルよ。今日は楽しみましょうね」

 

 ルージュの口元を優美に曲げ、艶めかしくそう告げるスコール。

 あたかも誘惑するようなその仕草と、意味深に開いた胸元に、弾は思わず生唾を吞んだ。

 

(おにぃ、恥ずかしいから鼻の下伸ばさないでよッ)

(いや、しかしだな。これほどセクシーな美女だぞ。そいつは致し方ないってもんだろ)

 

 性に敏感な思春期の16歳である。女盛りの強い色香を漂わせる彼女に視線を奪われるなという方が無理な話だ。しかし、妹はドン引きの様子で、兄に高速の肘打ちをはなった。

 

「あら、お兄さん、急に動かなくなったけど?」

「きっと、死のほど疲れていたんです。そっとしてあげてください」

 

 蘭も兄の失態を無かったことにするように「はは」と愛想笑いをする。「あらそう、お気の毒に」とやさしく微笑むスコールは、実に絵になっていた。こうしてみると、確かに男性が見とれてしまうのも分からなくないが、

 

(そういえばスコール・ミューゼルってどこかで聞いたような……)

 

 それも最近である。テレビか、雑誌か。どのメディアだったか。なんだか有名な人だったような気もする。喉元まで出かかるも、そこからなかなか思い出せない。まるで喉に小骨が刺さったような気持ち悪さだったが、蘭は思い出すことを諦めて、<キャノンボール・ファスト>に集中することにした。

 まもなく、出場選手の紹介をかねたコース周回が行われる。蘭たちはアリスと雑談を交えながら、その始まりを待った。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 <キャノンボール・ファスト>会場、控室。出場者と整備員たちが開会を待つその部屋で、一夏は用意されたミネラルウォーターで乾いた喉を潤した。

 初の国際大会である。学園内の対戦とは観客の規模も、得られる栄光も格が違う。テレビ中継やネット配信も行われるとあって、緊張の度合いも強い。それだけに喉が渇いてしかたなかった。

 

「一夏さま、大丈夫でございますか?」

 

 早まる鼓動を宥める一夏を心配して、日本代表の月子が言った。

 

「おう、大丈ひゅだ」

 

 全然大丈夫じゃなかった。

 緊張で呂律が回らない彼の前に、同じチームの篝火ヒカルノがその様子を覗った。相変わらずの白衣にスク水、海中ゴーグルという変態正装で。

 

「ぐへへ、お姉さんが、リラックスできるマッサージをしてあげようか?」

「……警備員さん、こっちです。こっちに不審者がいます」

「ちょっと簪!? 本当に警備の人の連れてこないでくれるッ!」

 

 「ちょっと事情を聞こうか」とやってきた警備員に「いや、私はこういう者で」と真面目に説明を始めるヒカルノ。一夏と簪は他人のふりをした。月子は苦笑いをしてから、

 

「緊張なさるのも無理ございません。しかし、こればかりは慣れる他ないでございましょう」

「だよな。にしても、月子といい、他の候補生はまるで緊張してないよなぁ」

 

 と、普段と変わらない月子を見てから、控室に視線を馳せる。

 この控室には、各国の代表とその候補生、その整備クルーが控えているが、みんな雑談を交わしていたり、差し入れをつまんでいたりとリラックスしている。

 中でも一夏の目を惹いたのは気怠そうな女性だった。紫紺の髪。ミステリアスな雰囲気。イタリアの国家代表アンジェリカ・ヴァレンタインである。特別彼女に視線がいった理由は、男性の膝に正面からすわり、イチャついていたからだった。互いの薬指に同じリングが光っているから、相手は旦那らしい。

 

「アンジェ、キャノンボール・ファストがんばってね。僕もがんばるよ」

「……ええ、あなたがいるなら、がんばるわ。……いないなら、がんばらない」

 

 いや、がんばれよ。と一夏は胸中でツッコんだ。

 それにしても、男性の膝に上で、額を重ねる光景はなかなかに情熱的だ。まったく人目を憚らずイチャつけるのはイタリア人ゆえなのか。さながら映画のラブシーンのような光景は、15歳の少年からするとなかなかに刺激的だった。

 

「というか、イタリアの代表、結婚してたんや……」

「そうなんだ……。意外だろ……」

 

 と、月子のとなりに幽鬼のごとく現れたのは、アンジェリカと親交のあるフランスの代表だった。となりには、そんな代表に苦笑するシャルロットもいる。

 

「しかも、背が高くて、二枚目で、頭もよくて、料理もうまいんだ。アンジェにはもったいすぎる物件だよ。はぁ、なんであいつばっかり。私なんて可愛い男の子の後輩ができたと思って浮かれていたら、男の娘だったっていうのに……」

「心の底からごめんなさい……」

「あわわ、ごめんよ、シャルロット! 君を責めるつもりはなかったんだ!」

 

 どよ~ん、暗い影を落とすシャルロットを慌ててフォローするノエル。

 彼女はシャルルの男装のことを知らなかったらしい。一夏は「浮かれたのかよ」と心で思った。それをどこかの誰かが「おまえもだろ」とつぶやいた。

 

「と、ともかく、わたしは昔から男性に縁がなくてね」ノエルはフっと視線をそらし「……いまだに生娘さ……」誰にも聞こえない声でそうつぶやいた。

「まぁ、その、ノエルさんにもはやく春が来るといいですね」

 

 とシャルロットが言ったら、さっそく彼女の許に春がやってきた。

 ただし“狼”のついた。

 

「おやおや、暗い顔をしてどうしたんだい。そんな貌をしていては、美人が台無しだよ」

 

 当然現れた春狼に、ノエルは右を見て左を見て、自分を指さした。

 

「え、び、美人。わたしのこと?」

「もちろんさ。一目見たときから、その美しさに惹かれていてね。ずっと声をかける機会をうかがっていたのさ。どうだい。今夜、二人でこっそり抜け出して、夜のデートなんて」

 

 そう言って、誘うようにさっと赤いバラを差し出す。

 生まれてこのかた、ナンパされた経験など皆無だった彼女は戸惑うしかなかった。しかも困ったことにアンジェの旦那に負けずとも劣らないイケメン。正直、ちょっと感情が高ぶった。

 

「どど、どうしようシャルロット! わたし、こういうの初めてなんだけどッ」

「いや、僕に訊かれても……」

「こら、ノエル、ナンパぐらいで狼狽えるな」

 

 後輩に相談するノエルを叱った人物は、中国の国家代表フーだった。

 フーは「なさけない」とフランス代表を叱りつけ、次に自分の大家をにらんだ。

 

「春狼、おまえも、そのナンパぐせ、どうにかしろといつも言っているだろ」

「あれ、フーたん、もしかして、やきもちかい?」

「ば、ばか、違う。――ほら、いくぞ!」

 

 なんだか頬を赤めながら、春狼のおさげを握って引っ張っていく中国の代表。

 その途中、ノエルの方を振り返り、

 

「それと本気にするなよ、ノエル。こいつは誰にでもこう言う(・・・・・・・・・・)

 

 などというと、控室にいた女性クルーから「わたしも口説かれました」「わたしも口説かれたわ」という声がいたるところからあがった。数にするとほぼ全員である。

 「なんだ、私だけじゃないんだ」とノエルが落胆すると同時に、部屋の一角からやたらめったら大きい声があがった。

 

「 あ れ 私 口 説 か れ て な い よ ? 」

 

 篝火ヒカルノである。

 白衣にスク水、銛に水中ゴーグル。恐ろしく倒錯した出で立ちで彼女はそう言った。

 

「なんだよー、私みたいな美人をほったらかして。そいつ、目が節穴じゃないのさ?」

 

 彼女は水着を見せつけるようにバッサバッサと白衣をあおる。変態臭をふりまくその姿は、まるで一昔前の露出変態である。ここにいた全員が「これはない」と確信したが、彼女は不満を表すように、「ちぇっ」と道端の石を蹴る仕草をした。かわいくはない。

 

「いいよ~、別に~。私はナンパされるより、する方が好きだしぃ。お、言ってる側から、美少年発見!」

 

 いうなり、海中ゴーグルをつけ、銛を構える。ついでに、食い込んだスクミズを直す。どう見ても漁に向かう海女にしか見えない彼女が向かったさきは、イギリス代表の側で雑誌を読んでいたロキだった。

 

「へいへい、そこの美少年。お姉さんとイイこと――」

 

 「しない?」と言い終わる前に、彼女の眼前を剣閃が走り抜けた。その一撃で舞い上がった銛が床にささってばい~んと揺れる。すさまじい剣撃を放ったのはいわずもがなローズマリーである。

 それ以上近づけば、次は首を撥ねるといわんばかりの気迫を醸して、ローズマリーは言った。

 

「あなたが篝ヒカルノさまですね。束さまより伝言を預かっております」

「え、束から?」

「『おい変態。ロキくんに手を出したらバニーガールにして引きずり回すからな』だそうです」

「ひぇえ、バニーガールだってッ! そんなの恥ずかしいッ!」

 

『そ れ は 恥 ず か し い の か よ ! ?』

 

 一夏を筆頭に控室の全員がツッコんだ。スクミズに白衣、銛に海中ゴーグル姿が大丈夫で、バニーガールが恥ずかしい理由を誰一人みつけられなかった。変態の思考は誰にも理解できない。

 

(は! もしや、篝火さんは俺の緊張をほぐすために、わざと変態のふりを!?)

『ないない』

 

 簪と月子が揃って手を振ると、控室の扉が開いた。入ってきた人物は、真耶だ。

 彼女は「み、みなさん、これより出場者の紹介をかねたコース周回を行いますので、ピットへ移動してください」と面々の退室を促す。ついにこれからレースが始まるのだ。一夏も気合いを込めるように頬を叩き、移動を始めた各代表に続く形で部屋を出た。その折り、真耶が言う。

 

「織斑くん、がんばってくださいね。先生も応援しています」

 

 エールをくれた真耶に「ありがとうございます」と答え、一夏はふと思ったことを訊いた。

 

「あの、そういえば、織斑先生は?」

 

 本来、こういった役割は千冬が担う。アクの強い代表たちを従えられるのは、伝説な存在、もといIS界のお局役である彼女を推して他にいないからだ。その彼女を朝から一度も見ていない。

 

「なんでも特別な用事でIS学園に残るという話です」

「あ、そうなんですか」

 

 姉に自分のレースを観戦してもらいたかったが、用事ならしかたない。しかし、多忙でも大事な時は必ずそばにいてくれていた姉が、それより優先する用事とはなんなのだろう。ピットに付くまでの合間、一夏はそのことばかり考えていた。

 

 


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