IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第81話 彼女が望むもの

 というわけで、ぱぱっと選んだ服で着替えた一夏一行は、<ナポレオン>という男性用品専門店へ場所を移した。ちなみに、いまの服装は一夏、アリスともにパンツスタイルにTシャツというラフな姿をしている。

 

(綺麗な人だなぁ)

 

 蘭はアリスの姿を見て、声に出さずそう思った。

 スラっと長い四肢と高い身長。広い骨盤。メリハリのついたくびれ。綺麗な曲線を描くヒップライン。服装はラフだったけれど、着飾らなくても綺麗に見えるのは、それだけ素がいいからだろう。蘭はアリスのスペックの高さに、気おくれする思いだった。

 

「どうした、蘭。なんか気持ちが沈んでるみたいだけど?」

「あ、いえ、アリスさんって綺麗だなぁって」

「はは、確かに綺麗だよな。それでいて器量もいいんだぜ?」

「器量? 確かに顔も可愛いですけど……」

 

 鼻筋もまっすぐとおり、それでいて高い。くりっと大きい碧眼は愛くるしく、薄めの桜唇は同じ女性から見ても魅力的に思うが、一夏の言葉には別のニュアンスが感じられた。

 

「それもそうなんだが、顔だけじゃなくて、いざって時に頼りになる感じかな」

「頼りになる……?」

 

 蘭は兄と『爆弾解除型目覚まし時計』で遊ぶアリスを盗み見る。解除に失敗し、周囲から「うるさいぞ!」と叱られるアリスに“頼り甲斐”というものは感じられなかった。

 

(確かに綺麗ではあるけど……)

 

 むしろ、聖マリアンヌ女学園で生徒会長を務めている自分の方が、しっかりしているのではないだろうか。子供に「怒られてやんのぉー」と笑われ、真っ赤になるアリスを見てしまえば、自惚れを差し引いても、蘭にはそう思えてならなかった。

 

(鈴さんなら、わかるんだけどなぁ)

 

 代表候補生となって帰ってきた鈴には、人間的な力強さがある。いまの彼女には物語の真ん中に躍り出るような存在感があった。ずっと好敵手として相見えてきた蘭が危機感を抱くほどにだ。

 

(同じ代表候補生といえば、セシリアさんもすごかったなぁ)

 

 文化祭でIS学園を訪れたときのことを思い出す。接客してくれたセシリア・オルコットの煌びやかときたら、愛読するティーンズ向け雑誌<インフィニット・ストライプス>の読者モデルのような眩しさだった。

 事実、代表候補生を熟す傍らモデルも行っているというし、まさに“本物”である。

 

(やっぱり、鈴さんたちの方が強敵だよぉ……)

 

 激カワコスメで、彼のハートをキュン☆キュン☆ストライク。そんな育ち(・・・・・)である蘭にすれば、キラキラ感を出す鈴やセシリアの方が、アリスより強敵に思えるのは致し方なかった。

 客観的に見ても、メイドコスが萌え萌えな美少女と、アサルトライフルをぶっ放しビルを爆破するような女の、どちらが世の男性に支持されるかなんて、火を見るより明らかだろう。

 

(私も、もっとがんばって可愛くならないと)

 

 アリスはともかく、いまのモテカワ度では、鈴やセシリアたちにはきっと勝てない。かといって譲ろうとも思わない。乙女の辞書に『撤退』の文字はないのである。

 

(わたしも、もっと可愛い服を着て、もっとキラキラなメイクをして、もっとキュンキュンな女の子になって――。そうだ、ここでのプレゼント選びも外せないよね)

 

 もうじき彼の誕生日。想いを寄せる彼にいいモノを贈って、好感度を上げるチャンスだ。

 そう思った蘭はアリスの警戒レベルを引き下げ、一夏のプレゼント選びに意識をやった。

 

「ところで、一夏さん、何か欲しいものあります?」

「ん? そうだなぁ」

 

 急に話題が変わったことにきょとんとするも、特に気にせず考える一夏。

 もともと物欲は強くないため、いざ言われても思いつくものがなかった。

 

「じゃあ、いろいろ見て回りましょうか」

 

 と、自然な流れで一夏に身を近づけ、店内を見て回る。

 この男性用品専門店<ナポレオン>は、服のみならず、時計や靴など男性が身に着けるものからビジネス用品まで全てがそろえられている総合専門店だ。その店内で、蘭がまず目をつけたのは腕時計のブースだった。

 

「一夏さんは腕時計とかします?」

「しないなぁ。でも、時計は男のステータスっていうし、一個ぐらいあってもいいかもな」

「そうですか。じゃあ、プレゼントします!」

「そ、そうか? んじゃ――これにするよ」

 

 一夏は腕時計のショーケース――じゃなく、その上に置いてあったツリーハンガーを見た。そこにはスポーツ向けのデジタル時計がいくつもかけられてあった。シンプルなデザインは悪くなく、なにより1980円という値段が気に入った。

 

「え、そんな安物でいいんですか?」

 

 確かに1980円とサイフに優しい値段だが、一夏のチョイスにどうにも不満げな蘭だった。

 正直な気持ち、好きな人にあげるプレゼントとしては、安っぽすぎる。ずっと使ってほしいという意味でも、壊れやすい安物は使ってほしくなかった。

 

「でも、もっといいものありますよ、これとか」

 

 蘭がショーケース内の腕時計を指す。無骨なデザインがカッコイイ最新モデルだ。一夏も思わずカッコイイなとこぼす。ただし、GPS搭載で時差が自動調整されるそれの値段は39800円だった。

 

「さすがに、これは高すぎるって」

「大丈夫です。店のお手伝いをがんばりましたから。遠慮しないでください」

 

 そう言って、どんとこいとファイティングポーズをとる蘭。

 気持ちは嬉しかったが、一夏は気おくれした。あいにく、年下の、それも中学生の女の子に高い物を買わせるほど、無神経でもなければ、神経が図太いわけでもない。

 

「いや遠慮するって。それに、高校生の俺にこの時計は身分不相応というか……」

「え、最近の高校生ってみんなこれぐらいのものつけてますよ」

「そうなのか!?」

 

 そういえば、セシリアもかなり高そうな時計をつけていた気がする。ブルガリだとかなんとか。いや、セシリアは現代高校生のモデルケースから大きく逸脱している。エステに通う高校生など、参考にならない。

 そもそも周りがどうかじゃなく自分がどうかだ。

 やっぱり一夏にとって39800円の時計は高いのである。ましてや代金を払うのは中学生だ。

 

「やっぱり俺はこっちのデジタルウォッチがいいな」

 

 と、なおも食い下がる一夏。

 しかし、好きな人へのプレゼントとあって蘭も蘭で譲らない。

 

「でもでも、やっぱり、こっちの方が(それに安物だと鈴さんにバカにされそうだし)」

 

 一番のライバルというべき鈴は、いまや中国の代表候補生だと聞く。しかも、大企業のスポンサー付き。軍資金はたんまり持っているはずだ。それに根っからのパワータイプである彼女のことである。きっと高いプレゼントを用意し、こちらの戦意喪失を削いでくるに違いない(と蘭は勝手に思っている)。その鈴にイチニシティブを取らせないためにも、「私だってこれぐらいものはプレゼントできる」という意思表示をしておきたかった。

 

「ほら、これすごくカッコイイですよ。一夏さんにぴったりです」

「でもさ、このストップウォッチ機能も捨てがたいぜ?」

「それならこっちにもついていますよ。他にも太陽光で充電できるって」

「こっちも3年は電池交換いらずって書いてあるぞ」

 

 なおも、そんな具合で頑なに譲らない二人。

 いいもの買ってあげたい蘭と、気を使って安く済ませたい一夏が、互いを思いやるがゆえの、めんどくさい、大変めんどくさい綱引きをしていると、いきなり二人の目の前にステンレスの物体がどんと現れた。

 

「一夏、これ見てみろ。自宅でパスタが作れるらしいぜ!?」

 

 弾が二人の前に繰り出したのは自家製麺製造機だった。小麦粉と水と卵を入れてハンドルを回すと、生めんが作れるというものだ。最近DIYに興味を持ち始めていた一夏は、自家製麺製造機に興味を惹かれた。

 

「へぇ、こんなのあんのか、なになに?」

 

 付属のレシピ本によれば、生地にいろんなものを練り込んでオリジナルパスタも作れるらしい。

 イカ墨パスタ。ハバネロパスタ。ベジタブルパスタ。いくつものレシピが頭の中で浮かび、料理好きな一夏の興味を駆り立てる。値段も2980円とお手軽。一夏は内心でコレほしいと思った。

 すると、わくわくと興奮を抑えられない子供のような笑顔にあてられて、蘭が言った。

 

「じゃあ、これにします?」

「え?」

「ほしいってすごく顔に出てましたよ」

「ま、マジか」

 

 クスクス年下に笑われ、一夏の頬に赤みがさす。

 我ながら「ポーカフェイスがダメだな」と思いながら、一夏は言った。

 

「おう、じゃあこれにするよ」

「はい、わかりました」

 

 兄が持ってきた自家製麺製造機を持ち、蘭がレジに向かう。

 意図せず蘭を妥協させることに成功した一夏は、ほっと胸をなでおろした。

 その後ろでは麺製造機を持ってきた弾が「やれやれ」と一息つく。一夏はその溜息の意味を察せなかったが、同じ自家製麺製造機を持ってきたアリスは、その意味を解っていたようだった。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 無事プレゼントを買い終えたあと、時刻が正午をまわったとあって、一同はイタリアンカフェへ訪れた。「レシピ本を見ていたら、パスタが食べたくなった」と一夏が選んだ店である。

 

「蘭、プレゼントありがとな。お礼に奢るよ。好きなもん頼んでくれ」

「いえ、そんな。自分の分は払いますから」

「いいって。遠慮すんな」

「じゃあ、遠慮なく、俺はナポリタンな」

「弾、おまえは払え。奢んのは蘭だけだ」

 

 へいへい、不平たらたらな様子で弾がメニューを選び直す。

 蘭も一夏の気遣いに気分をよくした様子で「じゃあ、お言葉に甘えて」と同じくメニューを選びはじめる。一夏とアリス、蘭はオススメである「カニクリームパスタ」を頼み、弾は「ナポリタン」を頼んだ。

 しばらくしてテーブルに注文の品が運ばれてきた。並べられた品をそれぞれが口に運び、談笑を交えながら感想を述べ合う。そして、食事もひと段落ついたところで、蘭が可愛らしいハンカチを取り出し、口周りを拭いた。

 

「そのハンカチ、可愛いですね」

「これ<インフィニット・ストライプス>のふろくなんです」

「インフィニット・ストライプス?」

 

 アリスが首をかしげる。

 

「ティーンズ向け雑誌だよ。こいつ、その雑誌の影響をすっげー受けててさ。愛しの彼をメロキュンさせる10のキャワワメソッドとかいうのを実施してんだよ。1、彼の前では『小さい口』で食事するべし。そして『もうたべられなぁい』といって小食をアピール。とか――」

「おにい、わたしの部屋に入って、勝手に読んだの?」

 

 ヒヤッとした声音。墓穴を掘った兄は額からダラダラと脂汗を流した。

 流血沙汰になりそうだったので、慌てて一夏は話題を変えた。

 

「そ、そうだ。聞いたぜ、蘭、来年IS学園を受けるんだってな!」

「あ、はい。そのつもりで、実はこのまえISの適正テストを受けたんです。そしたら」

 

 そう言ってバンと机に用紙を繰り出す。そこには簡易IS適性テストの結果通知とあった。

 判定は【A-】。

 これに一夏たちは「おお」という顔をした。蘭もえっへんと胸を張る。それが許されるだけの結果であった。だが、その兄だけはよくわからない様子でパスタを咥える。

 

「やっぱこれ、すごいんか?」

「ああ、Aといえば、代表候補生クラスに相当する判定だ――といっても蘭が受けたテストは簡易版だから、必ずしも代表候補生と同等とは限らないんだけどな。そもそも鈴が受けたテストと簡易テストは違うし」

「何が違うんだよ」

「単純に試験の項目が少ないんだ。――適正テストって『操縦技術適正』『運用管理適正』『潜在能力適正』の三項目あって、その平均値から導きだされるんだ。鈴の場合、三つの平均が【A】なんだ。でも、蘭が受けたのは『潜在能力適正』ってテストだけだろ?」

「あ、はい。なんか不思議なカプセルに入っただけです」

「なるほど、一つの項目が【A】より、すべての項目が【A】の方がすごいわな。で、潜在能力適正ってなんだ? ほかの二つは字面でわかるけどよ」

「『潜在能力適正』というのは、ISが持つ潜在能力(マシンポテンシャル)をどれだけ引き出せるかという適正だ。この適正が高いと《第二形態移行》や《単一仕様能力》を発現しやすいとされているんだ」

「さらにいうと、潜在能力適正というのは、遺伝子検査でもあるんですよ。ISは人が持つ遺伝子と関わりが強いマシーンですから。女性にだけ動かせたりとかね」

「じゃあ、この潜在能力適正は先天的なものなのか?」

「そうなりますね。努力を積んでも、こればかりはどうにもなりません」

 

 とはいっても、この潜在能力適正はそこまで重要じゃない。操縦技術や運用管理能力が高ければ、十分にIS操縦者としてやっていける。ラウラがそのいい例で、彼女は<越界の瞳>の影響で潜在的なIS適正を失ったが、実力でそれをカバーし代表候補生まで上り詰めている。

 もちろん、最低限の数値は必要である。仮にこの適正が【D】だった場合、起動さえできない。

 

「もちろん高い事に越したことはないですけどね」

「じゃあ、やっぱりAはすごいんですね。ちなみにアリスさんは、適正いくつなんですか?」

 

 口にいっぱいのパスタを詰め込んでいたアリスは、早口でそれを飲み込んだ。

 

「C+です」

「C+、ですか……?」

 

 ライバルが当たり前のように候補生で専用機持ちばかりだっただけに、拍子抜けしてしまう。それに【C+】といえば、平均以下の数値だ。IS学園では落第予備軍。まずいことを訊いたような気がして、蘭は控えめに言った。

 

「え、えっと、めげずにがんばってくださいね。努力は裏切りませんから」

「はい、がんばります」

 

 数値を明かしてからでは、上目線に聞こえたけれども、アリスはフォークをぐっと掲げた。一夏は白々しいと苦笑いだったが。

 

「じゃあ、あとは筆記テストと実技テストをがんばるだけだな」

「ですです」

「待て待て、当たり前のように入学するような流れになっているけど、それでいいのかよ」

 

 意気込む妹に、箸の手を止めたのは兄の弾だった。

 

「おまえんとこ、エスカレーター式で大学まで入れて、しかも、超ネームバリューのあるところだろ? それを棒に振るのは勿体無くないか?」

「いいの。ネームバリューならIS学園の方があるし」

「ぐっ……。それになんか、このまえ襲撃事件あったじゃねーか。大丈夫なのかよ」

「大丈夫だって。そんなこと何回も起こらないよ。それにいざとなったら……」

 

 蘭から送られる熱のこもった視線に、一夏はまた苦笑いをした。

 

「そうか。そういえば、襲撃者からIS学園を守ったのって、おまえなんだってな」

「ほんと、すごいですよね! 襲撃者をやっつけちゃうなんて。さすが一夏さんです!」

 

 現在でも襲撃事件の顛末はそういうことになっている。赤騎士やアリスの存在は一貫して黙秘されており、こういった話題には出てこない。

 偽りの功績なのに尊敬のまなざしを受けて、一夏はひどくいたたまれなくなった。まして、当人を前にして大きな顔ができるほど、面の皮は厚くない。そんな彼が取った行動は、話を方向転換させることだった。

 

「お、おう。まあなんだ、自分から危険に飛び込むような真似さえしなければ、安全なところだよ、IS学園は。あ、そうだ、もしIS学園に入学するんだったら、今度行われる<キャノンボール・ファスト>に見に来ないか?」

「あ、それ行きたいと思ってたんですけど、チケットが即日完売で手に入らなくて」

「そうか、ならこれやるよ」

 

 一夏がポケットから取り出したのはチケットだった。それを二枚、五反田兄妹に渡す。

 

「おい、これ<キャノンボール・ファスト>のチケットじゃねーか!」

「ど、どうしたんですか、これ」

「いや、俺、その主催者と知り合いでさ、譲ってくれたんだ。よかったらやるよ」

「しゅ、主催者と知り合い……ッ!?」

 

 彼は軽々しく言ったが<キャノンボール・ファスト>は国際大会である。その主催者ともなれば、IS業界でそれなりに幅を利かす人物になる。そんな人物と知り合いとあって、弾は急に、この友人が遠い存在に思えた。

 

「どうした、弾」

「ううん、なんでもないよ、織斑君」

 

 急に他人行儀になる友人を見て、一夏は青ざめた。IS学園の生活で、男友達の重要性が身に染みていた彼である。男友達が減ることはもっとも歓迎しない。気心知れた友人に距離を置かれたとあって、一夏は身震いした。

 

「お、おい、そういう態度マジでやめてくれよ。俺たちずっと友達だろ!」

 

 よくもそんな小っ恥ずかしい台詞を言えるもんだと弾は思った。

 けれど、そういうところも一夏の魅力であると知る彼はケラケラわらった。

 

「あはは、冗談だって――。じゃあ、蘭、ありがたくこのチケット貰って見に行こうぜ」

「うん。一夏さん、ありがとうございます」

 

 二人は一夏からチケットを受け取り、大事にしまう。

 このチケットが――――恐怖への片道切符になることを、今はまだ知らずに。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 弾たちと昼食をすましたあと、俺たちは適当に店を回った。雑貨屋でアリスの髪留めを買い、本屋で蘭の参考書、家電量販店で弾のケータイを買い換えた。最後にスーパーマーケットで食料品を買い終えると、時刻は門限の7時を回ろうとしていた。

 

「結構な量を買いましたね」

 

 寮の門をくぐったところで、両手の買い物ぶくろをアリスが見やる。

 弾が誕生会の段取りをしてくれると言っても、場所は俺の家だ。何も用意しておかないわけにはいかない。そう思って買い出ししたのだ。

 

「そうだ。アリスも来るんだろ、当日の誕生パーティ」

「ええ、特に用事がなければ」

 

 用事。アリスがいうそれは、俺たちがいう“用事”とはまるで違う。

 世界をまたにかける彼女の組織の用事となれば、それは銃弾が飛び交うような危ない作戦を言う。それを聞くと俺は今でもひどい不安に駆られる。だからこそ、彼女の頼れる存在、力になれる人間になりたいと願うんだ。

 その願いとは裏腹に不甲斐なさを感じていると、アリスがふわっと柔らかい笑みを浮かべた。

 

「ねえ、一夏、いま私のことを考えていたでしょ」

 

 まさにその通りだった俺は、ちいさく動揺した。

 

「やっぱりですね。――最近、一夏は私のことをよく気にかけてくれますよね」

「い、いや、それは――」

「嬉しいですよ、私」

 

 アリスは俺の前に飛び出た。そして、くるっとこちらを向いて微笑む。

 

「でも、私のことばかりに(かま)けてほしくないのも本音です。ラウラに聞きましたよ。あなた、“兵隊”になりたいんですってね」

 

 ラウラの奴、話したのか。たぶん、高速機動実習一日目の放課後に。

 そうなのだ。文化祭のとき、何もしてやれなかった俺は「どうしたらラウラのようになれるか」尋ねた。何かあったとき、アリスはラウラを頼りにする。それはラウラに“兵隊”としての力があったからだ。俺はその“兵隊”になりたかった。

 もしなれたら、もっとアリスの力になれるんじゃないかって思ったんだ。

 

「以前にもいいましたが、私はあなたの平穏こそ望んでいます。だから、あなたが私のために危険へ飛び込むことは本末転倒なのです。それにあなたには果たさなければならないこと――<ジークフリード>になるという目標があるでしょ」

 

 <ジークフリード>、俺が<モンドグロッソ>で優勝した暁に用意される称号だ。

 その称号を得て、千冬姉が成し遂げられなかった事を成す。それが俺の所為で<モンドグロッソ>二連覇を成せなかった千冬姉への償い。俺はそれをいままで忘れていた。現在の<ブリュンヒルデ>の前で強く誓ったはずなのに。

 

「アリスはそれを思い出させるために、俺を誘ったのか?」

「はい。私はあなたになってほしいと思っています。それが、私があなたに望むものです」

 

 まっすぐ彼女は云った。その真直ぐさに、俺は独り相撲を取っていたことに気づかされる。

 アリスは俺に「頼れる存在になってほしい」なんて望んじゃいないんだ。望まぬものを、与えることは善意の押しつけだ。

 アリスは本来やるべきことを曲げる理由に自分を使われて、我慢ならなくなった。

 

「大丈夫。あなたはもう私の力になれている。あなたが待っていてくれるだけで、私はどんな苦難も乗り越えられる。だから、あなたはあなたがすべきことに専念してください」

「そうだな。わかった」

 

 俺が決意を新たに強く頷いた。ISの世界で頂点に立つこと。それが俺の望みであり、彼女の望みだというなら、やらない理由はどこにもない。その足がかりという意味でも、<キャノンボール・ファスト>での出場は逃せないだろう。国際大会で結果を残せれば、目標が大きく開けるはずだから。

 俺は腑抜けていた自分を追い出すように頬を強く叩いた。

 

「よし。まずは出場メンバーに選ばれないとな」

 

 <キャノンボール・ファスト>に出場できるのは、クラスから一名。

 まずその一名に選ばれないことには話が始まらない。

 

「その必要はないのさ」

 

 俺が意気込むと、ここにないはずの声が聞こえてきた。俺たちが振り向いたその先に立っていたのは、スクール水着に水中ゴーグルを装備した変態。もとい<白式>の開発元である<倉持技研>のIS開発チーフ。篝火ヒカルノさんだ。隣には簪もいる。

 

「やあ、久しぶりだね。夏休みは会いにいけなくてごめんよ」

「いえ、全然、大丈夫です。むしろ、会いたくなかったので」

 

 この人、すごくやらしい目で俺を見るんだ。特に俺の尻を見るとき。

 

「なにさ、急にたじろいで。お姉さんは何も君を取って食おうなんて思ってないよ。あ、でも、性的な意味でなら――おっと、千冬に通報するのはやめてください。死んでしまいます」

 

 本気の命乞いだったので、俺は通報の手を止めた。

 

「それに今日は一夏君のお尻が目的じゃないんだ。実は君にお願いがあってね」

 

 俺にお願い? ――それを簪が告げる。

 

「……実はわたしに代わって月子と<キャノンボール・ファスト>のプロ部門に出てほしいの」

「プロ部門に?」

 

 今回の<キャノンボール・ファスト>は二部門に分かれている。国家代表やその候補生が出場する<プロ部門>と、学生が出場する<学生部門>だ。ちなみに代表候補生であるセシリアやシャルロットはこの<プロ部門>に出場するため、<学生部門>のレースにはでない。

 

「で、<キャノンボール・ファスト>の<プロ部門>では、二名の操縦者と複数のビットクルーを1チームとして行うレギュレーションになってる。知っているさね?」

「ええ、ジェニファーさんから聞きました」

 

 なんたって<キャノンボール・ファスト>は長時間にわたる耐久レースだ。操縦者が一人で走りきることは体力的にきびしい。かてて加え、ISは一般的な航空機と違って脳波コントロールだから長時間の飛行に向かない。ISの長時間飛行は肉体的かつ精神的に負担がかかる。そういうわけで、どこのチームにも操縦者の交代要員がいる。

 

「……本当はわたしが月子の交代要員として参加する予定だったんだけど、わたし、特務で<打鉄弐式>のスラスター壊しちゃったから……」

「<打鉄>ではダメなのですか?」

 

 と、アリス。確かに<打鉄弐式>がダメなら他のISで出場すればいい。

 

「……それでもいいんだけど、<打鉄>より高機動型の<白式>の方がレースに有利だから」

「それに国際大会の<キャノンボール・ファスト>は内外に技術力をアピールできるまたとない機会にゃ。<輝夜重工>としては、第二世代型の<打鉄>より《第二形態移行》した<白式>や、第三世代型の<打鉄弐式>を大々的に宣伝しておきたいのさ」

「で、日本代表候補生の専用機が改修中だから、一夏に白羽の矢が立った、と」

「簪はいいのか?」

 

 代表候補生にとって国際大会へ出場できないことは痛手のはずだ。

 出場の機会を譲ることに、抵抗があるんじゃないだろうか。

 

「……いいの。確かに選手としては出場できないけど、代わりに整備クルーとして参加してほしいってお願いされたから。……それはそれで名誉あることだから平気」

 

 簪の前向きな言葉を聞けたことで、俺の決意は固まった。

 

「わかった。俺の実力じゃどこまでやれるかわからないけど、簪の代役、引き受けるよ」

「……わたしもピットクルーの一員として支えるから、一緒にがんばろ」

「よし、話はまとまったね。それじゃあ、結束を強める意味でお姉さんとずんぐほぐれつな。――イタタ、ちょっと、簪、耳を引っ張らないで」

「………ほら、チーム編成の申請いきますよ」

 

 簪さんに耳を引っ張られながら、篝火さんが寮門から去っていく。

 それを見送り、俺は改めて自分に与えられた機会をかみしめた。

 

「<プロ部門>の出場か」

「がんばってください。――あなたなら、きっと結果を残せます。いえ、おもいきって、優勝を目指してください。そして、私にその優勝トロフィーを抱かせてください」

「おう。任せろ。約束する」

 

 俄然の俺の中でやる気がわきあがる。俺の夢のため、彼女の望みのためにも、今回の<キャノンボール・ファスト>、絶対に優勝してみせる。俺は自分自身にそう強く誓った。

 


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