IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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<キャノンボール・ファスト>
第77話 二人の<ブリュンヒルデ>


 IS学園の最寄駅から少し離れた場所に地下へ続く階段がある。駅を利用する多くの人が知らぬ間に通り過ぎていくようなひっそりとした階段、その先に千冬の行き付けの店はあった。

 バー『クレッシェンド』。フランスの調度品で統一された店内は、上品な雰囲気を醸し出す大人の社交場として、一部の人間に愛されている。

 ――八月一四日。ディナーを終えた千冬とジェニファーはそのドアをくぐり、カウンター席の一番右端に腰かけた。この席は千冬たちの専用席となっている。顔見知りのマスターが気を利かせて二人分の席をキープしてくれているのだ。

 そんなブリュンヒルデ用とも云える特等席で、ジェニファーは「いつもの」を受け取り、となりの千冬を見やる。彼女は“心ここに在らず”な様子で酒を眺めていた。

 どこか憂いを帯びた表情。

 ディナー先で待ち合わせてからというもの、千冬はどこか遠くをながめてばかりいる。

 

「お姉さんとのデートはそんなに憂鬱?」

 

 冗談半分で言ったその一言で、千冬は思い出したように、注文の酒を口にした。

 

「いや、そんなことはないぞ。有意義だと思っている」

 

 やっぱりおかしい。

 普段の彼女なら「何がデートだ、なにが」と嫌そうに笑い飛ばしそうなものだが。

 

「食事の時からずっと元気ないわね。どうしたの?」

 

 機嫌が悪いだけならよい。だが、今の彼女は深い憂いを帯びていた。

 悩みなど一刀両断の如くズバッと解決する千冬らしからぬ様子だ。

 場の雰囲気もあって、傍目から見ると、なかなか()になっていたが、友人としてはそうでもない。これでも同じ夢を見た者同士。画を楽しむより、力になってやりたい気持ちが強く勝った。

 

「よかったら、お姉さんに話してみなさい。ほら」

 

 急にお姉さんぶるジェニファー(実際ジェニファーは千冬の2つ上だが)にイラっとしたが、彼女のそういうサバサバした態度に釣られて、千冬は思いのたけを吐き出した。

 

「実はだな」

「実は?」

「弟に女ができたかもしれんのだ……」

 

 カウンターのテーブルに突っ伏す千冬に、ジェニファーは半眼を向けた。

 そんなに思い悩むような事か? と。

 

「そう。聞いて安心したわ。てっきり襲撃だの暴走だので、参っているのかと」

「それも悩みの種ではあるが」

 

 <ゴーレム>の襲撃。VTシステムの暴走。特務任務。

 相次ぐ学内行事の中止に、教師陣として頭が痛いことは確かだったが、

 

「それはさておき。今まで弟くんの周りに女性の影があっても、悩んだりしなかったじゃない。急にどうしたのよ」

 

 恋愛は本人の自由だから、口うるさく言うこともなければ、必要以上に悩むこともなかった。すくなくてもジェニファーは、弟の異性関係でこれほど悩んでいる千冬を見たことがない。

 

「確かにそうなんだが、今回は相手が相手でな」

「その相手って、アリス・リデル?」

 

 言い当てたジェニファーに、千冬は流し目を送った。

 

「よくわかったな」

「なんとなくだけどね。一夏君の周りに積極的な子は多いけど、親身になって支えたのは彼女でしょ。ペアトーナメントの時だって、挫けた弟くんを奮い立たせていたのは彼女じゃない」

 

 5月のペアトーナメントの時、千冬は一夏に言った。自分の権利も守れないヤツに何が守れるか、と。その時、折れた心に添え木をして、再び立ち上がらせたのはアリスだ。

 

「心が挫けた時、背を押してくれる女性に男はぐっとくるものよ。まあ、それはともかく、私はいいと思うけど? 彼女ならちゃんと弟くんを導いてくれるんじゃない?」

「私もそう思う。だが、あいつはだけはダメなんだ」

 

 しっかりとした言葉で反対の意を示す千冬。酔っているとは思えない声音だった。

 認めているのに認められないとはなぜなのか。

 

「どうして?」

「あいつは、おそらく母さんの手の者だ。だから、あいつに一夏は渡せない」

 

 ジェニファーは千冬の家庭事情――幼い頃、両親が蒸発したこと――をそれとなく知っている。

 しかし、なぜ千冬が自分の母親をそこまで毛嫌いしているのかは知らない。千冬の家庭事情は彼女の中でもかなりデリケートな部分なので、ジェニファーもそこには触れてこなかった。

 

「じゃあ、どうするの。二人の仲を認めてあげないの?」

「わからん。だから、こうやって悩んでいるんだ」

 

 ジェニファーには、千冬の胸中に二つの想いが垣間見えた。

 素直に一夏の気持ちを尊重するか。それとも母の手から一夏を守るか。

 

「私は一度お母さんと話し合うべきだと思うわ」

「なに?」

 

 スコッチに口をつけるジェニファーを、千冬が見遣る。

 気づいたジェニファーはそう告げた意図を静かに語り出した。

 

「実はね。私の母はろくでもない人間だったわ」

 

 ジェニファーとの付き合いは10年近くになるが、初めて聞く話だった。

 

「私の父は軍にいて、よく仕事で家を空けていたの。それでね、ありふれた話なのだけど、父がいない間、母は知らない男と体の関係を持っていたの。それもとっかえひっかえよ。綺麗な人だからモテたんでしょうね」

 

 時代も時代だし。と言ってジェニファーは続けた。

 

「私は父が好きだった。宇宙飛行士に憧れたのも父の影響なの。だから、私は父を裏切った母が大嫌いだった。それで私はさっさと家を出たのだけど、ある日、風の便りで母が警察に捕まったと報ったの。どうやら、変な男に引っかかったらしくてね、薬物に手を出したらしいわ」

「それでどうなった?」

「幸い、罪が軽くて更生施設行きを選べたわ。私はそんな哀れな母親を笑ってやろうと思って、州の更生施設に行ったの。そこで、何年かぶりに再会した母は、私に言ったわ。――ここを出られたら、あなたとやり直したい、と」

「それでお前はなんと答えたんだ?」

 

 気づくと千冬は身を乗り出していた。母親の身勝手さ。その部分に共感できたから――ではない。嫌いな母とどう向き合ったのか。自分が下すべき決断を彼女はすでにしていたからだ。

 

「まっぴらごめんよって言ってやったわ。好き勝手ってやったくせに、図々しいって」

 

 ジェニファーは、ジョークでも語るように飄々とそう言った。

 それから椅子の背もたれに身を預け、今度は悔いるように天井を仰ぐ。

 

「その数日後よ。――お母さんが自殺したのは」

 

 ここで初めて彼女は“母”を“お母さん”と親しみのある呼び方をした。

 

「それからお母さんの遺留品を整理していたら、日記が見つかってね。そこには薬物の後遺症と戦う日々と、父への懺悔。そして私への想いがたくさん綴られていたわ。お母さんは私との関係を必死に取り戻そうとしていた。なのに、私はそれを無碍にした。その時、初めて自覚したわ」

 

 お母さんは自殺したんじゃない。私の言葉がお母さんを殺したんだって。

 

「だから、今すごく後悔している。あの時、もし私が別の言葉をかけてあげていれば、何か変わったんじゃないかって」

 

 自分のことを語り終えた彼女の眦には微かに輝くものがあった。

 蒼い涙。今でも彼女は過去の行いを後悔しているのだろう。

 

「千冬。母親とやり直せなんて言わないわ。言おうにも私はあなたの両親のことなんて知らないし、あなたとの間に何があったのかも知らない。でも、お互いの真意を知らないままだと、いつか後悔する時がくるわ。一方的につっぱねるのじゃなくて、悔いのないよう一度話し合ってみるのもいいと思う、それからどうするか決めても、きっと遅くはないわ」

 

 それは彼女の経験談からなるアドバイスだった。

 同時に、友人に同じ後悔をさせたくないという気遣いでもあった。そして最後にこう告げる。

 

「たぶん、親ってのは完璧超人でもなければ聖人君子でもない。時には過ちを犯すわ。それ許してやることも、たぶん親孝行なんだと思う。私はできなかったけどね」

 

 ジェニファーは感傷的な空気を吹き飛ばすように明るく笑ってみせた。

 

「ごめんなさい。せっかくの休日なのに、なんだが湿っぽい話をしちゃったわね」

「いや、ありがとう、ジェニファー」

 

 自分を慮り、罪を告白してくれた友人に、千冬は心から感謝した。

 だが、素直に礼を言った千冬に、ジェニファーは宇宙人でも目撃したような貌をした。普段は「礼を言う」だとか「感謝する」とか仰々しい物言いの彼女が、親しみの籠った声音で「ありがとう」だ。なんだか、千冬じゃないみたいな気がして背筋がむずかゆくなった。

 

「わ、私だって礼ぐらい、ちゃんと言う」

 

 普段はビジネスライクな彼女。その友人が恥ずかしそうに口先を尖らせたのだ。

 ジェニファー気分をよくしないわけがなかった。

 

「ふふ、そう。じゃあ、ちゃんとお礼が言えた千冬ちゃんに、お姉さんからプレゼントよ」

 

 ジェニファーがカバンからパンフレットといくつかの資料を取り出す。

 千冬はぐっと殴りたい衝動をこらえて、それを手に取った。

 

「これは……」

 

 それは二ヵ月後に行われる彼女主催の<キャノンボール・ファストFOX杯>についての概要書だった。レギュレーションや、コース設計、出場選手の名簿などが記載されたなかに、「<学生の部>について(仮)」なる記述を見つけ、千冬は殴りたい衝動を手放した。

 

「わざわざ、生徒用の出場枠を設けてくれたのか?」

「一学期、いろいろあったでしょ」

 

 中止が続く学内行事の補填として、急遽<学生の部>を設けたということらしい。<プロ部門>との二部編成なのは、おそらく学生と国家代表(プロ)じゃレベルが違うからだろう。

 

「ラウラの件といい、紅椿の件といい、おまえには借りを作りっぱなしだな」

「借りなんてやめてよ。別にあなたに借りを作りたくてしてるんじゃないんだから。――実はね、出場者の宿泊場所にIS学園の施設や学生寮の借りたいの」

 

 出場選手は試合の数週間まえに現地入りし、高機動パッケージの調整などを行って本番に挑む。その期間中、選手が寝泊りする場所にIS学園の施設を使わせてほしいということだった。

 

「なるほど、学園の施設を貸し出すかわりに、生徒の出場枠を設けるということか」

「部門増加でかさむ経費を、浮いた宿代で相殺する。WinWinでしょ」

(たしかに貸し借りはなしか――――いや)

 

 そもそも学生部門を設ける必要性がないのだから、やはりこれは貸しなのだ。

 けれど、気を使わせないためにそう言っているなら、口に出すのは憚れる。

 

「一応、こちらからも学園上層部に通達するけど、千冬からもお願いね」

「わかった。学園の方には私から話しておこう」

「ありがと。詳しいことは追って連絡するわ。―――じゃあ、今日は飲みましょう」

「ああ」

 

 千冬は景気よくバーボンを頼み、ジェニファーとグラスを交わした。

 


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