IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
文化祭の二日。あのあと、ロゼンダさんはIS学園の医療区画に搬入された。
IS学園の医療区画には、最新の医療機器とそれを扱う医療スタッフが揃っている。おかげで一命を取り留めることができたが、意識はまだ戻っていない。いまは夫とシャルロットが付き添っている。
この一件については公開されなかった。知る人間は一部のみで、学園とエキスポの運営委員会もイベントの続行を決めた(ただし、警備の強化はされた)。学園の文化祭も中止されずに、クラスの出し物も何もなかったかのように続いている。
ただ、私だけを除いて。
あの時に感じた疑問が心奥に沈澱していて、私は初日のように文化祭を楽しめないでいる。喫茶店にしても、皿を二枚も割ってしまうありさまだ。らしくない失敗をする私を気遣ってか、ラウラは「気分転換でもしてきてはどうか」と言ってくれた。
ということで、私はラウラの好意に甘え、一夏と共にISエキスポにやってきた。
場所は第二アリーナ。普段はISの模擬戦や試合に使われるアリーナだが、現在はレーザービームのフォログラムとオーグメントリアリティで彩られ、近未来都市のような様相を呈していた。
「で、どこからまわります?」
と、入り口で配布されていたパンフレットを広げる。
会場内は、企業ブース、商品ブース、飲食ブースの三つに区切られており、企業ブースではデュノア社やナイトソード社など大手IS企業を筆頭に30企業がそれぞれの商品を紹介し、商品ブースではIS関連グッツが販売されている。飲食ブースでは軽食が食べられるらしい。
「そうだな。――確かココの<ナイトソード・ブラックスミス>って、セシリアの」
「ええ、<ブルーティアーズ>の開発元ですね。行ってみます?」
「おう、そうだな」
というわけで、私たちは<ナイトソード・ブラックスミス>のブースへ向かう事にした。
<ナイトソード・ブラックスミス>の展示ブースにやってきた私たちを迎えたのは、たくさんの人だかりだった。その多くが首からカメラをぶら下げ、しきりにシャッターを切っている。
何を撮影しているだろうかと覗きこめば、被写体はセシリアだった。それもエナメルが入ったミニスカートに、チューブのトップ姿の。
「あ、一夏さんとアリスじゃなくて。――ちょっと失礼いたしますわ」
カメラ小僧の撮影会を中断し、キャンギャル衣装のセシリアが私たちの前にやってくる。
「もしやふたりでエキスポ見学に?」
「ええ、休憩をもらえたので。セシリアこそ、その格好は? というか何をしているのです」
「わたくし、<ナイトソード>のキャンペーンガールを務めておりますの」
と、ボディーラインをS字にしてみせる。
綺麗なくびれもさることながら、曝け出されたおへそがキュートだ。
「そしたら『ぜひ写真を撮らせてほしい』と頼まれまして」
「それであの人だかりか。セシリアは綺麗だからな。被写体にしたい気持ちはよくわかる」
と両手でファインダーをつくり、そこからセシリアを覗き見る一夏。
「もう一夏さんたらお上手なんだから。一夏さんが御所望なら、わたくし、一夏さん限定の撮影会を開いてあげてもよくってよ? うふふ」
ほんのり頬を赤め、しなを作って青い目でウィンクするセシリア。
美女と二人で撮影会。男なら心躍るシチュエーションだが、一夏は真面目な顔で言った。
「とはいっても、いくら被写体がよくも俺の撮影技術じゃなぁ」
と、まじめに考えるあたり、実に一夏らしい。
「まあ、機会があればな」
「はいな、よいロケーションを用意しておきますわ。――では、ブースの方に案内いたします」
セシリアの案内で、私たちは<ナイトソード・ブラックスミス>のブースに入った。
まず目に入ったのは10平方の大きなステージに設置された80インチの大型バックスクリーンだ。その画面には同社の製品である第二世代型IS<メイルシュトローム>の映像が流されている。
「わが社は、かのヴァルキリーであるスコール・ミューゼルにも専用機を提供しておりました。現在ではミューゼル氏が立ち上げた<ミューゼル社>とも提携を結んでおり、<ヴァルキリー>のノウハウとわが社の技術力は、時代を駆ける女性たちの可能性をさらに飛躍させていくでしょう」
ステージではスーツ姿の女性が映像のまえで企業のPRを行っていた。
スコール・ミューゼルとの連携を推しているのは、<ヴァルキリー>がISというブラックボックスから技術を引きだす媒介に適した人材だと言われているからだろう。そんな人間を抱えていることは、それだけで企業にとって大きなセールスポイントになる。
「スコール・ミューゼルって、確か千冬姉と同世代のIS操縦者だったよな」
「ええ、織斑千冬と同じく、IS黎明期に活躍された操縦者ですね」
そう答えたのは私じゃない。背後から聞こえた声だ。一同が振り向いたら、イギリスの国家代表のローズマリーが立っていた。ローズマリーは「ようこそ、<ナイトソード・ブラックスミス>へ」と歓迎の意を表し、続けた。
「スコール・ミューゼルは、まだISについて理解されていない頃に活躍された、黎明期の操縦者のひとりです。織斑千冬やジェニファー・J・フォックス、アリーシャ・ジョセスターフ、ショコラデ・ショコラータ、李紅梅(フー)、ロベルティーネ・シャロンホルスト、ログナー・カリーチェ、第二世代型の開発には彼女たちがもたらしたノウハウがたくさん盛り込まれておりますし、今でこそ当然のように使われている戦闘機動の多くは彼女たちが開発したものです。一夏さんが得意とする瞬時加速を考案したのは織斑先生よ」
「そうだったのか!?」
「織斑先生を始めとした黎明期の操縦者が今あるISの土壌を作ったといっても過言ではありません。だから、黎明期の<ヴァルキリー>の称号を持つ操縦者はとても敬らわれるの」
「へぇ、だから、千冬姉は人気なのか」
一夏は改めて姉のすごさを実感するように頷いた。
「ところ、織斑一夏くん。当ブースではビットコントロールを体験できるコーナも在ります。よければ、ご覧なりませんか」
「え、ビットの操作ですか」
「ええ、こちらです」
ローズマリーに案内された場所は、リングやブロック、バルーンが置かれた小型アスレチックのようなスペースだ。隅のテーブルには《ブルーティアーズ》を縮小したような小型ビットと<ヒューマンインターフェース>が並べられている。
「この小型ビットを操作して、ゴールまで運べたらクリアです。やってみますか?」
「じゃあ、やってみます」
一夏はローズマリーからヘッドセットを受け取る。セシリアが装備している<イメージ・インターフェース>の簡易版だ。ローズマリーはそれとビットをリンクさせて、一夏に渡した。
「では、どうぞ」
受け取った一夏が「飛べ」と念じると、ビットは浮かび上がった。
「無事、ゴールまでたどり着けたら景品が出ますので、がんばってください」
「本来は<ナイトソード・ブラックスミス>の特性ステッカーですけど」セシリアはほのかに頬を赤め「一夏さんがゴールできましたら、特別に頬にキスしてあげますわ」
がんばってくださいまし、と微笑むセシリア。それにテンションの上がった彼に感応したビットが、いっきに高度を上げた。ひゃっほーいと言わんばかりに。
「うふふ。一夏さんたらそんなに喜ばなくても」
「違うんだ、セシリア。決してそんなつもりは……。いや、今は集中だ、集中」
一夏が平常心を取戻し、ビットの制御に専念する。
コースはなかなか難関な仕様だ。まずS字に設置されたリング。それを抜けたらブロックの障害があり、最後にバルーンを破壊して、ゴールとなっている。
一夏はビットに意識を集中させて、S字に設置されたリングの輪くぐらせていく。その彼をセシリアが熱心に応援する。そんな二人をローズマリーが見守り、さらにその姉を私が眺めていると、気づいたローズマリーが「ん? どうしました?」と首をかしげた。
優しく向けられた微笑みに、ふと心の奥底で燻っていたいろんなもの滲みでてくる。
「ローズマリー、実は私の母を名乗る女性と出会いました」
深刻な面持ちで語った私に、ローズマリーは「そうですか」とそれだけ言った。
簡素な姉の対応に、私はわずかないらだちを感じる。
「それだけですか? ほかに思うことはないんですか」
「その女性は名乗っただけでしょう。名乗ることなど誰にでもできます」
「でも、私に似ていました。青い瞳で、紅い髪でした」
「アリス、幻想に惑わされてはいけないわ。姿かたち、名前なんて、どうにでも偽装できる。大事なのはその人の中身、本質です。あなたが会ったという母を名乗る女性に、あなたが知る母の面影はありましたか? あなたが継ぎたいと思った意思を感じられましたか? 今一度、思い出してみなさい」
私は視線を落とし、あの時のできごとを思い返してみる。
硝煙にまみれた拳銃の花嫁姿。はたして、そこに優しかった母の面影はあっただろうか。――いや、彼女から垣間見えたのは歪んだ何かだ。だから、気味が悪くなって突き放した。
「だとしたら、あなたの前に現れた女性は偽物です。酷を言うようですが、お母様はもう亡くなられております。あなたが会ったその人間の目的は、死者の姿を借りて生者を操ることでしょう。そんな彼女の思惑に乗ってはなりませんよ」
ローズマリーはそう言い切った。
それでも胸の内に靄は晴れなかった。姉の言葉より、目の前に現れた女性の言葉を信用してしまうのは、なぜなのだろう。わからなくなって黙り込む私にローズマリーが続ける。
「私の言葉を信じられないのは、あなたの中に『母が生きていてほしい』という願望があるからではありませんか」
私は姉の顔を見た。そうか。私はどこかで、お母さんに会いたいと思っているのだろう。そして、本当は目の前に現れた女性が母であってほしいと思っている。でも、まるで人が変わっていたから私は心を乱されているのか。
でも、人が変わったとはいえ「生きていてほしい」と思う感情は、娘として当然じゃないだろうか。なのに、ローズマリーはなぜ「母の生存」を聞いて平静でいられるのだろう。
直接、会っていないから? いや、断固たる確証があるのだ。でなければこれほど言い切れはしない。私がローズマリーにその根拠を視線で求めると、彼女ははっきりと言った。
「私はその正体を知っています」
その言葉に私の疑問や表現できなかった感情が吹き飛ぶのを確かに感じた。
だれなんです。――そう、詰め寄ろうとしたとき、ブースのほうから一夏の声が聞こえてきた。
「お、やったぞ」
私たちが横目で視線をやると、一夏が見事にステージをクリアしていた。だが、そんなことはどうでもよかった私は姉に視線を戻す。けれど、ローズマリーは何事もなかったように一夏の方へ歩いていった。
「おめでとうございます。クリアするなんて、すごいではありませんか」
「あ、いえ、そんなことは」
「どうでしょう、うちの社に来てテストパイロットをしてみませんか? 歓迎いたしますよ」
「いえ、遠慮しときます」
すっかり商売モードのローズマリーに、ちゃっかり断る一夏。そんな一夏のほっぺににちゃっかりチューするセシリア。
なんだか、いまさら聞ける雰囲気でもなくなり、私はその不満から髪をぼりぼりとかいた。そのとき、ポケットに入れていたケータイがブルルと震えた。発信相手はシャルロットだ。
「どうしました」
訊くと、シャルロットは慌てた声で言った。
『ロゼンダさんの意識が戻ったって!』
♡ ♣ ♤ ♦
連絡を受けて医療区間にやってきた私は、シャルロットの出迎えを受け、ICUに入った。
病室内ではアルベールさんが妻の看病にあたっていた。一晩中寄り添っていたため、顔はやや疲れて見える。彼に軽くあいさつして「様態は?」と尋ねると、安心した様子で「安定だ」と答えた。確かにベッドで横になる夫人の顔色には生気が宿っている。
「ご機嫌よう、夫人。気分は如何で」
「最悪かしらね。――ワインはダメと言われたわ」
私は笑った。抑揚に欠いた声音だったが、意識ははっきりしている。
これだけ口が訊けたら、質問するのに十分だ。
「いきなりですが、夫人。あなたに聞きたいことがあります」
病み上がりの女性を詰問することは心苦しいが、いつ症状が悪化するとも限らない。
アルベールさんが「今でなければならないか」と訴えてきたが、夫人は「いいの」と目で制した。
「<リリス>についてね。訊かれると思っていたわ。黙秘する義理もなくなったし、答えましょう」
「情報を提供していただければ、それなりの対価を払います」
そう答え、私はそばにあった椅子を持ってきて腰かけた。
「まず、<リリス>、それがあなたの所属していた組織の名前ですか?」
「そう。旧約聖書に登場する原初の女性に由来している」
神さまは自分に似せた二人の人間を創造した。それがアダムとリリス。イブはリリスが楽園を出て行ってから、アダムの脇腹から作られた二人目の女性だ。そのあたりの宗教解釈はさまざまだが、いまは置いておく。
「<リリス>の創立は、18世紀のフランスまでさかのぼるわ。1789年、特権階級による封建主義に不満あらわにした国民の手によって、社会制度は王政から立憲制と移りかわった」
「フランス革命ですね」
「そう、その革命によって<人間と市民の人権宣言>が採択され、人々はさまざまな権利を得たわ。言論の自由、人民主権、所有権。けれど、これら権利を得たのは男性だけだった。そのことに反発した女性たちが組織したもの。それが<リリス>」
だとすれば、ゆうに200年以上も昔から活動していたことになる。ISが登場し、社会が女尊男卑になるよりはるかまえだ。
「発足させたのは、私の大大婆様たち。私たち<リリス>は、21世紀の現代に至る200年間、ヨーロッパやアメリカを中心に女性解放家たちを斡旋し、援助してきた。私たちがいなければ、女性はキリスト原理主義による、特権階級の所有物にされていたでしょうね」
「あくまで掲げていたのは、女尊男卑ではなく、不当な扱いを受けていた女性権利の拡大? だから<リリス>を名乗っているのですか」
リリスは人類で最初に男女平等を謳った女性として知られている。しかし、男尊女卑だったアダムがそれを認めなかったため、彼女は楽園を出て行った。
「今でいうファミニズムが組織の行動原理だった。けれど、あの女性が現れて以来、<リリス>は、男らしさや男性を憎む
私は「それは私の母です」とは言わなかった。ただ、正体を教えくれなかった姉に代わって、その正体を求めた。
「その女性について、詳しく知りたい」
「詳しいことは知らないわ。素顔さえね。十数年前、ジェラが連れてきたの」
「ジェラ?」
「ジェラルディーナ・ジョセスターフ。アリーシャ・ジョセスターフの母親よ。彼女の斡旋で、今の地位についた。彼女は強いカリスマで、<お母さま>と呼ばれるまでになっていったわ。その人物があなたのお母様だったとは……」
「いいえ、ちがいます」
私は言い切った。なぜか迷いはなかった。
本当の姉が「あれは死者の名を語った愚弄者」だと、強い言葉で否定してくれたから。
「そう。あなたがそういうなら、きっとそうなのね。――それを聞いて安心したわ。その上で、あなたに折り入ってお願いがあるの。いいかしら」
言葉の続きをアルベールさんが紡いだ。
「妻を、ロゼンダを、守ってくれないか」
「夫人を?」
「<お母さま>は<ヴェルフェゴール>の奪取を理由に私を撃ったけれど、それは口実に過ぎないわ。おそらく彼女は最初から私を消すつもりだった」
「消すつもり? なぜです」
「だって、私は女尊男卑じゃないもの。私は夫を愛している」
優しく微笑む妻。それに応える夫。微笑みある二人の間に男卑も女卑もない。
「だから、私はあの女のやり方や考え方には賛同できなかった。それに本来<リリス>は私が担うべき組織だった。<はじまり>の家系、その末裔である私がね。そんな私を従う一派もある。ショコラがそうだった」
「組織にとってあなたは異分子だと?」
「ええ。私がいなくなれば、彼女は組織を完全に我がモノにできる。おそらくフランス政府が<デュノア社>の支援を打ち切ったのも、私を失脚させるための手回し。生きていると知れたらまた、命を狙われる。でも、私はそれを望まない。だから」
「私に守ってほしいと」
「ああ。彼女が君の母親に化けたのは、君を恐れているからじゃないかと思う。君の母親に成りすまして操れたのなら、君を止められると目論んだのだろう。だから、今までひた隠しにしてきた素顔を君に明かした」
「でもそれは言い換えれば、あなたなら<お母さま>を止められるということの裏返しでもある。――そこで、アリス、あなたにお願いがあるの。組織を取り戻したいなんいわないわ。ただ、私は夫と――シャルロットと共に未来を歩みたい。その手助けをしてほしいの。こんなことをしでかした私が言うのはアレだけど」
「もちろん、ただとは言わない。提供できるものは何でも提供しよう。資金でも、情報でも」
「アリス、僕からもお願いだよ」
三人の切実な願いを向けられ、私はいったん肩の力を抜いた。世界を牛耳る組織から守ってくれとは。私も高く買われたものだ。正直、いくらなんでも相手が悪い。私だけではとても無理だ。
そう、私だけじゃ。
「どうしますか、マキナちゃん」
私が問うと、じゃじゃ~んと扉が開いた。そりゃもうシリアスな雰囲気をぶち壊すように。
『話は聞かせてもらったよー』
そう言って現れてのは、二等身のずんぐりっむとした女の子――マキナちゃんだ
まったく空気の読めていない感じで、テコテコと病室に入ってきたゆるきゃらに、デュノア家のみなさんがきょとんとする。そんな一家などお構いなくマキナちゃんは椅子に腰かけ、
『うん、うん、わかるよ。家族で一緒にいたい気持ち、マキナもよ~くわかるッ』
ぽんぽんとデュノア夫人の肩をたたき、慰めはじめる。
慰められた側は「ど、どうも。わかってもらえてよかったわ?」と返答に困っていた。
「アリスくん、これはどういう?」
「彼女は機械の惑星からやってきた、その星のお姫様です」
「うん???」
ファンシーな設定を聞かされ、アルベールさんがさらに困った顔をする。
「というのは、冗談でして――彼女が私のボスです」
「それも冗談ではないの?」
『これは冗談じゃないわ。私が彼女の上司で、彼女は私の部下なのよ』
突然、マキナちゃんのゆるい声音が母性的なしっとりした声に代わる。
被り物を脱いだマキナちゃんの中から現れたのは、黒い髪を後ろで束ねた妙齢の女性だ。その人物に、シャルロットが一番に驚く。
「お、織斑先生!?」
「あらあら、そんなに若く見える? うふふ、嬉しいわ」
残念。そっくりだが、彼女は織斑千冬じゃない。だって、千冬さんは『あらら、うふふ』って言わないでしょ?
「――あれ、でも、なんだろう。雰囲気が違うね」
座れば要塞の如し、歩けば戦車のごとし、常に全包囲に厳戒態勢の千冬さんに比べ、こちらの女性は母性的で優しげだ。千冬さんを剣呑な薔薇とたとえたら、こちらは清楚な牡丹といえるかもしれない。
「こんにちは、シャルロット・デュノアさん。息子がお世話になっているわね」
「息子……。じゃあ、あなたは……一夏のお母さんッ!?」
シャルロットは“一夏に近づけ”と命じられたとき、一夏のプロフィールも読み込んでいるはずだ。そのプロフィールにあったであろう両親不在の記述。その両親が目の前いる事実に、シャルロットは目を丸くした。その父親と継母も顔を見合わせている。
「驚かせてしまったかしらね。そう。私が織斑一夏、そして織斑千冬の母、織斑千春です。初めまして」
いまだ驚きから抜け出せない三名は「は、はじめまして……」と言葉に躓きながら答えた。
「さて、自己紹介はこれぐらいにして、お話を進めましょう。いまは私はルイス・キャロルという偽名で<デウス・エクス・マキナ>を率いるわ」
デュノア夫妻の顔色が変わる。
世界をまたにかけるフランスの大企業と、世界を支配する<リリス>の管理者は当然のように、<デウス・エクス・マキナ>の名を知っているだろう。けれど、その最高責任者が織斑一夏と織斑千冬の母だとは知る由もなかったはず。
「驚いた、
「まさにリリス率いる<悪魔の軍勢>に対抗しうる唯一の存在ね。まるで神話の体現だわ。あなたたちはハルマゲドンでも起こそうというの?」
ロゼンダさんが皮肉めいた苦笑を浮かべる。しかし、千春は至って真剣に答えた。
「ええ、もともと<デウス・エクス・マキナ>はそのためのモノだと言っても過言じゃないわ」
わずかにロゼンダさんの息を吞む音が聞こえた。
「本気のようね。恐ろしい人だわ。あなた、実はとんでもないことしたんじゃない?」
「う、うむ……」
アルベールさんの額に脂汗がにじむ。
彼は一夏に「彼の情報を盗んでこい」と自分の娘を嗾けた張本人だ。
「いまは軽率なことをしたと反省も後悔もしている。ぜひご容赦を願いたい」
「私も何千の人間の上に立っている。組織を守りたいあなたの気持ちはよくわかるわ」
「そう言ってもらえると助かる」
アルベールさんはほっと胸をなでおろした。
「では、話を戻しましょう。あなたたちの身柄は私たちが保障しましょう。けれど、あなたが敵でなくなったとしても、味方になったわけじゃない。味方じゃないものを守れるほど、私たちの力は強大じゃし、義理もない」
「なるほど、守るかわりに対価を差し出せ、いうのだな。わかった、取り引きと行こう」
アルベールさんはふぅと深呼吸して、表情を改める。
夫からフランスの大企業を率いる経営者の顔へと。
「君たちは求めるものはなんだ。用意できるものなら用意しよう」
「夫人が持つ、デュノア社の有力株を譲渡してもらいたい」
デュノア社は株式会社だ。ロゼンダさんはその株を全体の60%も所有する大株主。
それを譲渡しろということは、事実上、デュノア社を寄こせと言っているようなものだった。
「そう身構えないで。何も会社の経営権を分捕ろうなんて思っていないわ。今まで通り運営してくれてかまわない」
「それは助かるが、ひとつ聞いておきたい。そうまでして、君たちがデュノア社を手に入れるメリットはあるのか? こう言ってはなんだが、赤騎士ほどの技術力を持つあなたがたが、我々の技術を吸収するメリットはない。経営難にあえぐデュノア社の株価はここ数か月ずっと右肩下がりだ。業績回復の兆しが見えたとはいえ、普通に考えれば、そんな傾倒企業を進んで救うとメリットはない。明らか早計だといえる」
「私たちがほしいのはデュノア社がもたらす利益や技術じゃないわ。――私たちは多くの会社を要し、経営しているわ。物流、通信、不動産、軍事、人材。これら企業を買収、あるいは起業して、組織運用に必要な物資、施設、インフラを確保しているの。けれど、わけあって、ISの事業だけは起業が難しい状態にある」
「ISの関連企業を興すには<国際IS委員会>の認可が必要だからな。君たちのようなアングラ組織が運営するIS企業となれば、その認可は下りにくいだろう。そこで、既に認可が下りている企業を買収するわけか」
そう。デュノア社を取り込み、隠れ蓑ならぬ、隠れ工廠にしようというのだ。そしてISパーツの安定した製造と供給ルートを確保したい。なんせ<デュノア社>はISの世界シェア第三位を誇る大企業だ。世界中に工場や施設がある。これを手に入れられれば、<デウス・エクス・マキナ>の継戦能力は格段に上がる。
アルベールさんがデュノア社の大株主である夫人を見る。夫人は頷いた。
「わかったわ。彼女が“織斑一夏”の母親だというなら、<リリス>とは相反する。彼女なら託していいと思うわ。それに守ってもらからには支援は必要でしょう。それに会社自体が亡くなるわけじゃない」
「ええ、株主として経営改善は要求させてもらうけれど、今まで通り経営を続けてくれてかまわない。必要とあれば、資金援助と技術支援をさせてもらうわ」
「それは大変心強い。では、これからよろしく頼む」
アルベールが差し出した手を千春が取る。
硬く結ばれた手と手を、私とシャルロット、そして夫人が見守る。それからシャルロットが私に目配せをした。「どこまでがアリスの思惑?」と。私はウィンクだけしてみせた。
これで文化祭編は終了になります。
次章は未定。おそらく二月下旬あたりになると思います。