IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第71話 最強の夫婦

 ――よければ、学園を案内してもらえないかしら。

 

 そう有無を言わさぬ口調で、校舎の外に連れ出されたシャルロットは、継母ロゼンダ・デュノアのうしろを歩いていた。その足取りはひどく覚束ない。手には嫌な汗。心臓は早い鼓動を打っている。

 それほどまでに、ロゼンダ・デュノアは、シャルロットが苦手とする人物だった。彼女に浴びせられた罵声や皮肉はいまも鼓膜にこべりついている。できるなら、顔も合わせたくなかったのに。

 しかし、会ってしまったものは仕方ない。さっさと用件を聞いて、帰ってもらおう。

 継母から離れたい一心から、シャルロットは震える唇で要件を尋ねた。

 

「僕、いえ、私に何か用でしょうか」

 

 父の本妻である彼女は、愛人の娘であるシャルロットを快く思っていない。その自分にどういった用件があるというのか。わざわざフランスから嫌味を言いに来たわけでもあるまい。

 

「学園生活は楽しいですか、シャルロット」

 

 まったく的外れの回答に、シャロットは言葉に詰まった。

 

「え? は、はい。楽しいです。友だちもいます」

 

 だから、壊さないでほしい。今あるに日常を。好きな人との時間を。

 そう切に願うシャルロットに、ロゼンダはこう言葉を紡いだ。

 

「そう。私は毎日が苦しかったわ――」

 

 ――おまえの母親が不貞を働いたせいで。

 シャルロットがぶわっと汗をかく。愛人の子であるシャルロットに対する痛烈な皮肉だった。

 

「でも、乗り越えようと努力をしたわ。夫の裏切りを許し、あなたの存在を受け入れよう、と」

 

 一転して、柔和な笑みを向けたロゼンダに、シャルロットは意表を突かれる。

 もしや不義の子である自分を認めるためここへ? そんな期待に応えるように、ロゼンダがシャルロットの髪をやさしくなでた――次の瞬間、いきなりその手に力が籠った。

 

「でも、できなかった。なぜか、わかりますか。あなたは、あの人の罪そのものだからです。あなたの存在が否応なしに“裏切られた”という事実を私に突きつけてくる。なのに、あの人はあなたとうまくやれという。これを屈辱と言わずとしてなんといいますか?」

 

 シャルロットの髪を持ち上げた継母の瞳は、常世のような闇を秘めていた。その奥では、葛藤と憤怒が溶け合った狂気が渦巻いている。

 このとき、シャルロットは愛と狂気が紙一重であることを初めて理解した。

 人を愛する行為は尊いが、尊いがゆえ時に人を狂気に染める。愛した人の裏切りが、ロゼンダを狂人に貶めたのだ。裏切られたときの喪失感は人を容易く変えてしまう。

 

「では、このあたりであなたの質問に答えましょう。わたしが何のためにここへやってきたか。――それは復讐です、シャルロット。わたしを裏切ったあの人たちへの」

 

 ロゼンダがシャルロットから手を放すと、空から装甲をまとった女性型のシルエットが降ってきた。左右非対称の角に漆黒のボディ。臀部から蛇腹剣のような尾が伸び、背中からは蝙蝠のような翼が生えている。

 シャルロットの知らないISだった。しかし、その操縦者は知っていた。

 ショコラデ・ショコラータ。フランス代表ノエル・ラ・フォンテーヌの前任で、デュノア社のテストパイロットを務めていた女性だ。彼女は臀部の尾を鞭のようにしならせて、シャルロットの首を絞め上げた。

 

(ま、まさか、お継母さんは僕を……)

 

 絞首の苦しみに抵抗しながら、シャルロットは継母の真意を悟った。

 この女は自分に手を加えることで、自分を裏切った夫へ報いを与えようとしているのだ。

 

「……ち……父に、復讐をしたいなら、ほ、法廷で、する、べきです」

 

 不倫した夫が憎いなら、姦通罪で訴えればいい。

 息絶え絶えでそう訴えるシャルロットに、ロゼンダはより深い闇を垣間見せた。

 

「そうね。けれど、法廷じゃ死者は裁けない。人類はまだ死人を裁く術を持ち得ていないのです。でも、あなたが苦しめば、さぞあなたの亡きお母さまは悲しむでしょうね」

 

 ロゼンダの言葉にシャルロットの全身の毛が逆立った。彼女はシャルロットの幸せを踏み躙ることで、愛娘の幸せを願った亡き母にも復讐を果たそうとしている。

 

「あ、あなたは、狂ってる……ッ」

「狂わせたのはだあれ?」

 

 戦慄するシャルロットに、ロゼンダは愉悦の笑みを浮かべていた。ショコラも継母の暴挙を止める素振りを見せないでいる。助けは求められそうになかった。最早、自分の力でなんとかするしかない。

 

「リ、リヴァイヴ……」

 

 シャルロットは自分の専用機を思い浮かべた。しかし、愛機は沈黙したままだった。何度も、何度も、薄れゆく意識の中で、ネイビーオレンジの愛機を想い描くが、粒子は像を結ばない。

 

「無駄ですよ、どれだけ集中しても展開できませんから」

 

 そういいながら、ロゼンダはショコラのISを眺めた。

 それがISを展開できなくしているのだろうか。

 しかし、解かったところでどうすることもできなかった。すでに意識は混濁し、四肢は萎え、抗うだけの気力も残されていない。もうだめだ。――そう思ったときたった。

 

ギンッ

 

 意識が途切れる間際、シャルロットは劈くような金切り音を聞いた。同時に拘束が解け、体がとすんと地面に落ちる。彼女を縛っていた尾が何者かによって切断されたのだ。

 

「これは……」

 

 混濁する意識のまま、顔を上げると、ぼんやりとした視界に赤い少女の姿が映った。

 それを見つけたシャルロットの目頭に涙があふれる。

 当然だ。目の前に自分が強く想う女性――アリス・リデルがいたのだから。

 

「もう大丈夫ですよ。私がそばにいる限り、誰もあなたを好きにはさせません」

 

 彼女の心強い言葉に、怯えていた心が和らいでいくのを、シャルロットは確かに感じた。

 アリスが側にいてくれるなら、何も恐れるものはない。そう思えるだけの頼もしさが彼女の背にはあった。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

「夫人、このままお引き取り願いましょう。大人しく引いてくだされば、事を公にしない」

 

 《ヴォーパル》の鉾先をロゼンダに突きつけ、アリスは言った。

 だが、ロゼンダは驚きも狼狽えもしなかった。

 

「――あなたこそ、お引きとり願おうかしら。これは家庭の問題よ」

「悪いですが、私は人様の家庭に土足で踏み入るような教養の無い女です。お引き取り頂けないなら、叩きだすまでです」

 

 アリスは<赤騎士>の脅威探査を走らせた。外観から敵の性能を推し量る装置だ。しかし、新型の情報は全く得られなかった。ただ塗りつぶされた<■■■■■>のARタグだけが不気味さを醸し出している。

 高性能な推測能力と膨大なデータベースを持つ<赤騎士>でさえ正体がつかめないISとは一体……。

 

「……デュノア社の、新型?」

 

 そう考えるのが妥当だった。けれど、悪魔じみた形態には<ラファール・リヴァイヴ>の意匠がまったく感じられない。むしろ、アリスが感じ取ったのは“気怠さ”だ。あのISを見ていると、全身が鉛のように重く感じてくる。この感覚はなんだ……。

 

「ずいぶんと警戒なさっているようで。でも無駄よ。どんなに警戒しても、<ヴェルフェゴール>の前じゃ全てが無意味です。それを教えてあげなさい」

 

 ショコラは飛翔してアリスへ鋭い爪を翳した。

 それをアリスが《ヴォーパル》で受け止めた――次の瞬間である。

 

<――警告:コア稼働率[89%]まで低下――>

 

 突如、低下したコアの稼働率に、アリスは「なんですってっ」と怪訝な顔をした。

 まさか、これが彼女の言う<ヴェルフェゴール>の「力」だというのか。

 それを証明するように、88、87、86、と<ヴェルフェゴール>と相対する<赤騎士>のコアの稼働率低下は止まらない。このままでは一分としないうちに、<コア>が停止する。

 なおも低下し続ける<コア>の稼働率に、アリスは警戒して後方に引き下がった

 

(まずいですね……)

 

 アリスは内心でひどい焦燥感に駆られた。

 <コア>はISのハードウェアやソフトウェアと深く結びついている。束がISの制御システムの上位に<コア・システム>を位置づけたからだ。その<コア・システム>が不活性化すれば、制御ハード、制御ソフトは軒並み機能しなくなる。

 

(―――これは退くしかないか)

 

 敵の機能か、あるいは《単一仕様能力》か。どちらにしろ、眼前のIS<ヴェルフェゴール>がコアを停止させられるなら、いかなるISもこれに太刀打ちできない。数多の強敵と戦い、勝利してきた<赤騎士>でさえ手も足もでないだろう。アリスはロゼンダの撃退を諦めるしかなかった。

 

「シャルロット、校舎の方に走れ!」

「う、うんッ」

 

 言われるがまま、シャルロットは校舎に向かって駆け出した。しかし、その前に継母が立ちはだかる。<ラファール・リヴァヴ・カスタムⅡ>は未だ展開できない。抵抗できないシャルロットを救うべくアリスがスラスターに火を入れるが―――入らない。

 

《ハニー、コア稼働率50%まで低下。全フライトシステムに異常発生!》

 

 すでに推進装置を始め、反重力装置さえ、まともに機能しなくなっていた。

 こうなってしまえばISなど羽をもがれた蝶に等しい。飛ばなくなったISは芋虫だ。

 それを踏みつぶさんと、敵ISがこちらに襲い掛かってくる。

 上に圧し掛かってきたショコラを、アリスは押し退けることができなかった。既にコア稼働率は30%まで低下。フライトユニットに次いでパワーアシストもその機能を十全に発揮できないでいる。どうやっても、自分に伸びた絞首の手を外せなかった。これではシャルロットを助けるどころか、自身の安全さえ確保できない。

 

「ぐぅ……、ごの……」

 

 脈を圧迫される苦しさでアリスはすでに息ができなくなっていた。意識が朦朧とし、視界が霞む。「アリスッ」と叫ぶシャルロットの声さえ、既に遠い。ただ、うっすらした視界の先で、継母に拘束されているシャルロットは見えた。

 

「しゃ、る、ろっと………」

 

 遠のく意識を必死で繋ぎ留め、アリスはシャルロットを助けるべく手を差し伸べた。しかし、ほとんど死人同然の体たらくだったアリスのその手は、何も掴むことなく地面に倒れる。

 

《ハニー、コア稼働率0%! <赤騎士>、全機能停止!》

「世界最強のISもこの程度か」

 

 悪魔の歪んだ笑い声を最後に、アリス・リデルの意識はここで潰えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、やってくれたのサ」

 

 人気のない校舎の一角。

 絢爛豪華な花魁衣装をまとった女性が、隻腕でキセルを回しながら、呆れるように言った。

 その隣では、漆黒のウェディングドレスに身を包んだ女性が、黒い日傘を差して、同じように事の一部始終を見守っている。表情はウェディングヴェールで伺えないが、わずかに微笑んでいるようにも見えた。

 

「まったく<ヴェルフェゴール>なんて、どこから持ち出したのかしらねー。あれはとっても大事なのに。ロゼンダ、いけない娘。きついお仕置きが必要ね、リリン?」

「あいさ、<お母さま>」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園に付属する医療区画、その白く清潔な通路にコツコツと忙しない足音が響いていた。『アリスが搬送された』。そう聞き、ここを訪れたセシリア・オルコットのパンプスの音だ。

 

(アリス……)

 

 アリス・リデルは、セシリアにとって悲しみを分かち合える得難い存在だ。

 人は同情できても真の意味で悲しみを分かち合えない。悲しみはその人だけものだから。人がすべての悲しみを分かち合えるなら、人類の涙はとうの昔に枯れている。

 人が悲しみを共有するには、同じ悲劇を経験するしかない。ゆえに、奇しくも同じ友人を亡くしたアリスとセシリアは、心の深いところで悲しみを共有できる間柄だった。それがアリスとセシリアを特別な関係へとたらしめている。仮に一夏であっても、セシリアの悲しみの全てを知ることはきっとできないだろう。できるのは、アリスだけ。

 そのアリスによくないことが起こった。

 友人を失う恐怖で、体温が下がるような錯覚に陥りながら、セシリアはアリスの病室に向かった。すれ違った医療区画の要員によれば、彼女は一○二号室にいるらしい。その一○二号室に到着するなり、セシリアは扉を壊す勢いで開けた。

 

「アリスッ!」

 

 病室には既に多くの人が訪れていた。担任の千冬と真耶。一夏、箒、鈴、更識姉妹。肝心のアリスは既に目覚め、リクライニングベットをお越していた、目立った外傷は見受けられない。顔色もいい。

 無事だった。――不安から解放された反動でセシリアはアリスに飛びついた。

 

「アリス、大丈夫ですの? 痛いところありません? 気分は大丈夫でして?」

「大丈夫です。すこし気を失っただけですから。でも、強いていうなら――」

「しいていうなら?」

「いい匂いがして、めまいがしそうです」

 

 むぎゅーとされるセシリアの腕の中でアリスが微笑む。

 安心したセシリアはもっと抱きしめたくなったけれど、千冬が首根っこを掴んでそれをやめさせた。

 

「オルコット、そろそろ離れろ。こいつから話を聞かなければならない」

「いやですわ。わたくしはアリスのそばを離れたくありませんの!」

 

 イヤイヤと離れまいとするセシリアに「おいッ」と業を煮やす千冬。

 それをアリスが宥めた。

 

「このままにしてあげてください。きっと不安だったのです」

「そうですのよ。アリスが倒れたと聞いたときなんて、体温が数度は下がりましたわ」

 

 だから温めてと言わんばかりに、アリスの手を自分の頬に触れさせる。

 「うふふ、あったかい」と喜ぶセシリアに、千冬はやれやれと頭を振って、引き離すのをあきらめた。

 

「で、何があったの、アリスちゃん」

 

 楯無が訊く。

 アリスは回答に思案した。ことのあらましを説明するにはシャルロットの出自について語る必要がある。これを大勢の前で話していいものか。なにせ、彼女のコンプレックスにもなった要因だ。誰か彼かまわずしゃべっていい内容でもない。

 考えた末、アリスはそれを伏せて説明することにした。

 

「私をやったのは、デュノア夫人です。夫人はデュノアさんを連れ去ろうしていました。私はそれを止めに入ったのですが……、あっさり返り討ちにあって、このありさまです」

「リデルさんほどの手練れが返り討ちとは……」

 

 そう言ったのは真耶だ。一度、手合わせをした彼女がゆえの疑問だった。

 

「夫人は<コア>に干渉するISを持っていました。そのISと相対するだけで、コアの稼働率が低下し、ほとんど戦闘になりませんでした」

「コアの稼働率が?」

 

 病室内が驚愕につつまれる。

 コアに干渉する能力。ISの造詣に詳しい千冬や真耶でさえ初めて聞く能力だった。

 

「それがほんとならあんたでもやられるわけだわ。――で、夫人はそんなISまで持ち出して、なんでシャルロットを連れ去ろうとしたわけ?」

 

 と、鈴が訊ねる。

 

「家庭の事情ってやつです。これはプライベートな部分なので多くは語れませんが」

「そう。まあ、あたしも知られたくないことあるしね」

 

 鈴の両親は離婚している。家庭の事情をべらべらしゃべられたくないのは鈴も同じだった。

 苦笑する鈴の肩を一夏が叩いていると、千冬がスーツの内側から封筒を取り出した。書面には退学届けとある。

 

「これで納得がいった。実は先ほど事務局にこれが提出されたそうでな。不自然だったそうなので、事務員が担任の私に連絡を寄こしてきたんだ。私も再入学してまでココに残ろうとしたあいつが、退学を願い出るとは思えなくてな。しかし、おまえの話を聞いて府に落ちた」

 

 つまり、退学届けを提出したのは、本人じゃないということだ。なら誰か、夫人だ。

 「退学届けがデュノアの意思じゃないなら、これは不要だな」と千冬は退学届を二重三重に破り捨て、「だが、本人がいない以上、休学扱いにせざるを得ないか」

 

 在学には本人がここに通っている既成事実が必要だ。無い場合は休学扱いになる。その休学も長引けば、いずれ除籍処分にされる。危機管理のため再々入学は認められていない。ともかくシャルロットがこの場に戻らない限り、彼女はIS学園を去らざるをえない。

 

「なあ、千冬姉、学園の力でなんとか連れ戻せないか?」

「むずかしいな。事がどうあれ、これは家庭の問題だ。連行した相手が、テロ組織や犯罪組織だというなら、武力に訴えることもできるかもしれん。だが、いかんせん相手が生徒の保護者ではそうもいかん。武力で生徒を取り戻したとなったら、学園の存続にかかわる大問題になる」

 

 シャルロットの家庭事情がどうであれ、ロゼンダはシャルロットの保護者だ。これは法的に認められている。そのロゼンダからシャルロットを武力で奪うことは、教育機関の領分を超えている。

 

「なら、私が、私の意思で、夫人からデュノアさんをここに連れてきます」

 

 アリスはすでにセシリアを押しのけ、ベッドから発とうとしていた。助けに行くつもりだ。

 そのアリスをセシリアが慌てたように制した。

 

「いけませんわ! 相手はISでさえ通じない相手なのでしょ。危険がすぎますわ」

 

 相手はISを無力化する。たとえ、ここにいる専用機持ちが束になっても倒せない相手だ。そんな相手を敵にして、ましてや単身で挑むなど。

 

「大丈夫です」

 

 それでもアリスは撤回しなかった。何を根拠にそんなことをいうのか。なおも、わが身を危険にさらすことをいとわない友人に、セシリアは声を荒げた。

 

「そもそも、シャルロットさんは、あなたが危険を冒してまで助けないといけない方ですの」

 

 それはセシリアらしからぬ言葉だった。

 普段は高圧的な態度をとりがちなセシリアだが、根はやさしい少女だ。慈愛を持つ彼女から、解釈によっては「シャルロットを見捨ててもいい」とも聞こえる言葉が出たことに、アリスは驚いた。

 「セシリア?」と戸惑うアリスの声で、セシリアが我に返る。

 

「すみません、その、決してシャルロットさんの存在を軽はずんでいるわけじゃありませんの。彼女は大事なクラスメイトですもの。ただ、――ただ、あなたに何かあったと思うと、わたくしは……」

 

 おそらく、先の一件が彼女をナーバスにしているのだろう。いや、それでなくても、セシリアはあまりにも大切な人を亡くしすぎた。失う悲しみを知りすぎているから、目の前の親友をこれ以上危険な目に遭わせたくなかったのだろう。

 

「それに、あなたがわざわざ助けにいったところで何も解決しませんわ。きっと同じことが繰り返されるだけです。――彼女の家庭事情を詳しく知りませんが、権利が侵害されているというなら、弁護士を雇って、法廷で解決すべきですわ。わたくしの家には有能な弁護団がいます。紹介いたしますから、どうかここにいてくださいな!」

 

 縋るように身を寄せ、そう訴える。それは全うな意見で、もっとも現実的な解決策だった。

 だが、夫人の狂気を目の当たりにしたアリスはかぶりを振った。

 

「そんな悠長なことを言っていられないのです。夫人はデュノアさんの全てを破壊するつもりです。今すぐにもデュノアさんを夫人の手から取り戻さないと、取り返しがつかないことになる」

 

 拉致まがいな手段に出た時点で、夫人の闇の深さがうかがい知れる。

 その闇はすでにシャルロットを覆い隠そうとしている。いまこの時も。時間がないのだ。

 

「それに私はデュノアさんと約束しました。少女ひとり救ってみせると。その私が何もしないわけにはいきません。私が行かなくて、誰が行くというのです?」

 

 アリスは悲哀にくれるシャルロットに手を差し伸べた。――あなたのジャンヌダルクになると。

 その手に希望を見出し、シャルロットは手を取った。その彼女を裏切るわけにはいかない。

 

「私を信じてください。信じることもまた絆です」

 

 それはセシリアにとって殺し文句だった。

 もし自分とあなたの間に絆があるなら、自分を信じてほしい。そういわれては、セシリアは何もいうことができなかった。

 

「……わかりましたわ。では、必ずわたくしの許に帰ってきてくださいまし。よろし?」

「Yes my Majesty」

「もし、無事に帰ってこなかったら、わたくし、自ら命を絶ちますからね」

 

 セシリアはぐっと顔を寄せ、アリスの自己犠牲の精神を逆手にとった。

 どこまで本気かわからないが、これでアリスは死ぬことさえ許されなくなる。自分を人質にして、アリスを生きて帰そうとするセシリアに、箒と簪はちいさく「愛が」「重い……」とつぶやいた。

 

「わかりました。必ず戻ってきます、あなたの許に」

 

 名残惜しそうに離れるセシリアの額にキスをして、アリスはベッドを下りた。

 その前に一夏が真剣な面持ちでやってくる。

 

「アリス、俺も行く」

「待て、一夏」

 

 一夏を止めたのは、意外にも箒だった。

 

「なんで止めるんだ。アリスひとりで行かせるわけにはいかないだろ……ッ」

「だからと言ってお前が行ってどうなる。相手はISを無力化するんだぞ。<白式>も使えない。それとも何か考えでもあるのか」

「それは、ねえけど……。傷つく仲間を黙って見ていられるかよ」

「一夏、それは気持ちだけが先走って空回りしている状態だ。守りたい気持ちはわかるが、大事なのは「守る」ことじゃない。「守るために何をするか」だ。おまえは“守る”と言って、無暗に突撃したがる。それじゃ何も守れないんだ。かつての私がそうだった」

 

 箒の言葉を理解して、一夏は押し黙った。

 あのとき、暴走をする箒を庇い、自分は傷を負った。今度はそれが自分とアリスの間で起こるかもしれない。自分の失敗のツケを誰かが払うその後悔を、箒は苦しいほどに知っているから、一夏を止めた。

 

「それでも行くなら、私はおまえを力づくで止める。それがアリスと、そしてシャルロットのためだからな。二人を不用意な危険にさらすわけにはいかない」

 

 箒が「ここは任せて行け」という視線を送り、千冬がアリスを見る、

 

「リデル、先も言ったが、学園の意思が介在しては大問題になる。すまないが、部隊は出せない」

「かまいません。元より夫人を倒すことは考えていません。そもそも無理でしょうから。むしろ欲しいのは、ISのような火力じゃなく、強襲技能なんですが――」

 

 今回の作戦は、敵の殲滅じゃなく、標的の奪還だ。その実行に必要なのは、教師部隊や専用機持ちといった破壊力じゃなく、風のように現れ、風のように消える機動力。しかし、アメリカ軍のデルタフォースが得意とする強襲スキルを持った人間など、この学園にいるわけがない。

 

 

 そうたった一人を除いて―――

 

 

「我々の出番か?」

 

 その人物はまるでこの時を待っていたかのように現れた。

 美しい銀髪。黒い眼帯。パンプスの代わりに軍靴を穿き、メイド服の上にタクティカルベストを装着した少女。特殊機甲強襲部隊――通称「黒ウサギ隊」の隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒだ。その半歩後ろには、クラリッサとフィーネが“休め”の姿勢で立っている。

 病室に入ってくるなり、ラウラは笑った。「戦争の準備はできている」と。

 

「シャルロットの件は聞かせてもらった。行くのだろ、シャルロットを助けに」

「はい」

「私もシャルロットに借りがある。返すいい機会だ。力になろう。我々なら力になれるはずだ」

 

 特殊機甲強襲部隊――通称、黒ウサギ隊は対テロ戦や人質救出を想定した特殊部隊だった。

 潜入と強襲戦術を得意とし、淑やかに接近して、速やかに撤収する。いわく「始めは処女の如く、あとは脱兎の如く」。それが黒ウサギ隊のモットーだ。

 現状においてこれ以上ない適材だった。そんな人材が三名。心強いことこの上ない。

 

「まったく、おまええら似た者夫婦だな」

「光栄であります、教官どの」

「織斑先生だ。それはさておき、私としても優秀な教え子を失いたくない。担任として不甲斐ないが、デュノアはおまえたちに任せよう。デュノアを必ず連れ戻してきてくれ」

 

 このこと、戦闘に関しては、いくつかの軍事作戦をこなしてきたアリスやラウラが強い。

 今はこの二人にすべてを託すしかない。二人は応えるように強く頷いた。

 

 


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