IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第70話 文化祭一日目――午後

 学園祭午後。昼食時のピークも過ぎ、来店者の数もようやく落ち着きつつあった。午後から先生たちの出し物、ISの航空ショーがあるため、そちらに客が集まっているのだろう。

 来客が途絶えた合間を見て、私はキッチンで休憩を挟んでいた。そして賄いのサンドウィッチを頬張りながら、客が置いていったパンフを開く。生徒会が制作したそれには飲食店や展示物、演劇など計15クラスの出し物が紹介されていた。

 

「他のクラスも凝ってるよね」

 

 同じく小休憩中のデュノアさんが、私の隣にパイプ椅子を広げ、腰を下ろした。

 

「そうですね。どれもよくできています」

 

 飲食店や展示、演劇など。出し物はさまざまだが、どこも趣向を凝らしている。

 飲食店のメニューはどれもおいしそうだし、展示はARを使った演出が凝っている。演劇に至っては演技指導の講師を招いたとパンフレットに書いてあった。どれも力の入れようがすごい。

 

「では、見て回ってきてはどうだ?」

「うわ」

 

 背後からかけられた声に、思わず昼食のサンドウィッチを咽る。「おい、大丈夫か」と背を擦ってくれたのはラウラだった。私はオレンジジュースで喉の調子を整え、

 

「いいのですか」

「うむ、年に一度のフェスティバルだ。見て回ってこい。シャルロットも行ってきてはどうだ?」

「僕も?――でも、僕たちが抜けたら、人手不足にならない?」

 

 現在、私たちを含め15人の従業員で店を回している。他の生徒たちは自由行動中だ。シフト制なので、時間になれば交代してもらうことになっている。勤務時間中に出かける場合は代役を立てないといけない。でなければ、人手不足に陥る。

 

「大丈夫だ、人手不足を想定して予備戦力を確保しておいた。待っていろ」

 

 言うなり、ラウラはキッチンから頑丈そうなハードケースを持ってきた。上層には指紋認証らしきパネル。そこに手を置いてロックを解除すると、ボタンやらダイヤルがついた機械が現れた。そのダイヤルをいじりながら、ラウラはインカムを装着した。

 

「こちら、認証番号C537。ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐だ。応答せよ」『照合完了、通信受諾。どうなされました。ボーデヴィッヒ隊長』「事態a37が発生した。ただちに増援を要請する。クラスA装備で、一年一組の教室に部隊を派遣してくれ」『了解しました。一○○秒後には到着させます』『たのむ』

 

 なんとも堅苦しい口調で、どこかと通信を終える。

 私とデュノアさんが顔を見合わせていると、きっちり一○○秒後、自動ドアが開いた。

 入ってきた人物は、メイド服に眼帯をした女性たちだった。人数は2名。その中の一人を私は知っていた。

 クラリッサ・ハルフォーフ。黒ウサギ隊の副隊長だ。

 その彼女ともう一人の眼帯メイドは油断ない体運びで厨房に入り、“休め”の姿勢を取った。

 

「あの、これはどういうことです?」

「人手不足を予想して部隊の者に手伝いを要請していたのだ。――VTシステムの件や遺伝子強化素体の件が明るみに出たことで、我々の部隊も装備(IS)や人員の見直しが行われていてな」

「当面は作戦行動もないため、部隊に“暇”が出されているのです、アリス殿」

「その“暇”が出ている仲間を、予備戦力として招集したのだ。助かるぞ、クラリッサ」

「いいえ。私も学園祭に呼んでいただけて光栄です。それで隊長、状況は?」

「今からアリスとシャルロットが偵察任務に入る。その間、おまえたちには接客をしてもらいたい。事前に手渡した接客マニュアルは読了しているな?」

「はい。ファルケル曹長も読了済みです」

「よし、では作戦にあたれ」

 

 クラリッサさんが「了解しました」と敬礼し、厨房を去っていく。

 私たちは三回まばたきをして、ラウラを見た。まさか、ヘルプまで用意していたなんて。

 

「というわけだ。店番は私たちに任せて――」

 

 そう得意げに笑おうとしたら、

 

「隊長ぉ、このお客様、私と同じ声優のファンだそうです!」

 

 フロアからクラリッサさんの嬉々とした声がこだましてきた。

 

「いちいち、そんなこと報告するなっ!」

「し、失礼しました、マム」

 

 ラウラはやれやれという表情を見せ、改めて私たちを見る。

 

「まあ、大丈夫だから、私たちに任せておまえたちは学園祭を楽しんで来い」

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 というわけで、偵察の名目で学園祭を回ることにした私たちは校内を歩いていた。あちらこちらに展開された宣伝用のARフォログラムで、学内はまるでホンコンの繁華街のような賑やかさだ。

 

「どこから見にいく?」

 

 IS学園は一年課程が5クラス。二年課程からは、開発と整備を専攻する整備科が1クラス、操縦を専攻する実技科が4クラス設けられる。三年課程も同じ。今回の学園祭ではその全15クラスが出し物を展示している。

 アンケート一位には特典が与えられるとあって、凝った催し物も多い。ついついどこから見て回ろうか目移りしてしまうが。

 

「そうですね。2組のクラスを見に行きませんか」

「鈴のクラスだね。僕もまだ行ってないし、行ってみようか」

 

 敵状視察をかねて、私たちは鈴がいる店へ足を運んだ。

 到着すると油の香ばしい匂いが鼻孔をついてきた。店頭には“歡迎光臨”という電光看板と食品サンプルのショーディスプレイ。龍と虎が出迎える店構えはいかにも中華的だ。

 

「2組は飲茶っぽいね」

「鈴が発案したんじゃないですか?」

 

 入った店内も、やはり中華を思わせる内装で、従業員も全員がチャイナドレスだった。菱形にあいた胸元と、深く切り込みの入ったスレッド。龍の刺繍がカッコイイ衣装だ。

 

「歓迎降臨♪いらっしゃいませ、お客様。二名ですね」

 

 しかし、私たちを出迎えたのは、全然中国人ぽくない金髪のアメリカ人だった。

 ティナ・ハルミントン。鈴のルームメイトだ。すらっと背が高く、胸も豊満で、チャイナドレスも実によく似合っていた。その彼女が私たちを席に案内してくれる。

 

「あなたたち、鈴と仲がいい子たちよね。呼んでこよっか?」

「ええ、じゃあ、お願いします」

「OK。――で、注文は?」

「そうですね。じゃあ杏仁豆腐を」「あ、僕もそれで」

「杏仁豆腐ふたつね」

 

 注文を受けたハルミントンさんが金髪のポニーテイルを揺らして厨房へ向かっていく。

 しばらくして、杏仁豆腐を持った鈴がこちらにやってきた。

 鈴もハルミントンさん同様にチャイナ服だ。ただ、こういうスレッドの入った服は身長がないと映えない。鈴の小柄で控えめな体系では……。なんというか、ちんちくりんに見える。

 

「りん、どんまい」「どんまい」

「え? 出てくるなりなんで慰められてんの、あたし?」

 

 半眼を向けられるが、私たちはやさしい顔で見守った。

 鈴は「なによ?」と言いたげな口調で、注文した杏仁豆腐をテーブルにならべる。

 

「ティナにお呼びだって言われて来てみれば、あんたたちだったのね」

「一夏じゃなくてごめんね」

 

 デュノアさんが両手を合わせて謝ると、鈴は頬を赤くした。

 

「ばっ、なに言ってんのよッ。――ほら、はやく食べなさい、おいしいから!」

 

 照れ隠しにどんどんとテーブルを叩いて私たちに食事を催促する。

 私たちは「では」とスプーンで杏仁豆腐をいただくことにした。

 

「う~ん、おいしい!」

 

 甘すぎずよく冷えた杏仁豆腐は、鈴の言うとおり美味しかった。

 だけど、料理がおいしいわりに、お店は繁盛していない様子だ。席もガラガラ。客も一人、二人、ぽつんと疎らにいるだけで、閑古鳥が鳴いている。

 

「ずいぶん空いていますね」

「……あんたのところが客をさらってんでしょうが。おかげこっちはぺんぺん草が生えそうよ」

「ラウラががんばっているんだよ」

 

 一学期は迷惑をかけたからと、新聞部の黛先輩と結託してビラを撒いたり、放送室の機材を借りて校内放送で宣伝したりと、ラウラは模擬店の成功にかなり注力している。その甲斐あって一組は繁盛しているが、隣組の二組は客をごっそり持っていかれているようだ。

 

「なるほど、あいつの所為でうちは閑古鳥が鳴いてんのね。――よし、嫌がらせしてやる」

「ほんと、ラウラのことになると、鈴はすぐ目くじら立てる」

「へへへ、向こうが悪いのよ、向こうが。――ほら、アリスちょっと顔かして」

 

 鈴はケータイのカメラを起動しつつ、私に杏仁豆腐を「あ~んして」と注文した。

 

「ん? はい、鈴、あ~ん?」

「あ~ん」

 

 ぱしゃ。

 

「よしっ」

 

 「あ~ん」しているシーンを自撮りした鈴は、その画像に「鈴♡アリス」とファイル名を付け、ラウラのケータイに送信した。ああ、そんなことしたらラウラがまたやきもちを……

 

「お、返信がさっそく。きっと嫉妬に狂った乱文雑文――が!?」

 

 画面を確認した鈴の手からケータイが落ちる。

 その画面には「一夏にケーキをあ~んしてもらっているラウラ」の画像が映っていた。

 

「あんにゃろ~ッ! ぶっとばしてやるっ」

 

 がたんと椅子を倒して立ち上がった鈴は、その勢いのまま一組のクラスへ突撃していった。

 壁越しに「あんた、何のつもりよ」「それはこちらのセリフだ」と罵声の応酬が聞こえてくるが、私とデュノアさんはまったりと茶をすすった。二人の喧嘩はいつものことなのだ。

 

「なんだかんだであの二人、仲いいよね。……ズズズ」

「喧嘩するほど仲がいいって、いいますもんね。……ズズズ」

 

 などと茶をすすりながら彼女の帰りを待つ。

 ややして、帰ってきた鈴はなぜか千冬さんの小脇に抱えられていた。

 

「おい、フー。おまえんところの仔虎が乱入してきたぞ」

「む、それはすまなかった。預かろう」

 

 鈴を預かり受けた中国代表は、くどくど5分ほど説教したあと、鈴に戻れと言った。

 戻ってきた鈴はくたびれた様子だった。千冬さんと代表のお説教ダブルパンチが利いたらしい。でも、完全な自業自得なので、私は慰める代わりに適当な話題を振った。

 

「そういえば、鈴はキャンギャルやらないんですか?」

 

 何もISの訓練やの新型のテストだけが代表候補生の仕事じゃない。こういう広報活動も仕事の一環だ。現にセシリアも自身のスポンサー企業で、<ブルー・ティアーズ>の開発元である<ナイトソード・ブラックスミス>社のキャンペーンガールとしてエキスポに駆り出されている。

 

「ん、キャンギャル? あー、エキスポのね。まあ、それも候補生の仕事なんだろうけどね。でも、あたしクラス代表でこの店の責任者だし、こっちを優先させて貰ったのよ。春狼には悪いと思ったけど」

「春狼……」

 

 先月イタリアで、私たちを襲撃した<亡国機業>の幹部だ。

 

「劉春狼って、確か<上海飛甲装工業公司>の代表取締役だったよね」

「そうそう、<甲龍>の開発元のね。んで、あたしのスポンサー」

「へえ、そうなんだ。どんな人なの?」

「そうね。物腰は軽いし、女好きだし、悪い噂も多いだけど、結構いいやつよ。<甲龍>のチューンで無理を言っても、気前よく引き受けてくれるし、おこづかいいっぱいくれるしね」

「気に入られているんだね」

 

 そういえば、<シュヴァルツェア・レーゲン>に襲撃されたとき、スコールは言っていた。

 お気に入りの娘に手を出したからカンカンなんだわ、と。

 その娘とは鈴のことだったのだろう。イタリアの一件は、鈴を危険な目に遭わせた連中への報復――というほど事は単純じゃなさそうだけど、すくなからず動機の一部ではあっただろうなと、私は人知れずそう思った。

 

「ん、どうしたのよ、アリス。なんだか難しい顔で黙り込んで……」

「あ、いえ、この杏仁豆腐、おいしいなぁと」私は誤魔化すように、付け合せのさくらんぼを口に放り込んで「ところで、知ってます? さくらんぼのへたを口で結べる人ってキスが上手らしいですよ」

「そうなの?」

「要するに、へたを結べる奴は、舌使いがうまいってことじゃない? どれどれ」

 

 と、鈴もさくらんぼを口に放り込んでもぐもぐと口を動かす。

 デュノアさんも同じようにさくらんぼを放り込んでもぐもぐ。三人でもぐもぐ。

 

「う~ん、なかなか難しいわね、これ。てか、こんなことできる奴いるの?」

「確かに難しいね。これできる人って、そうとうな舌技の持ち主だよ」

 

 尚も三人で悪戦苦闘していると、新たな客が入ってきた。一夏だ。

 

「おい、鈴、忘れもんだぞ」

 

 一夏が忘れ物――シニヨン――を鈴に渡す。

 そして、三人でもぐもぐする私たちを見て、不思議そうに首を傾げた。

 

「なにやってんだ、おまえら」

「あ、一夏、実はさくらんぼのへたを結んでいるんです」

「うまく結べる人はキスが上手らしいよ」

「そういえば、そんなこと聞いたことあるな」

 

 と、一夏が何気ない動作でさくらんぼを口に放り込んで、もぐもぐ数秒……

 

「できたぞ」

 

 ベロっと出した舌の上には、くるっと結ばれたさくらんぼのへたが乗っていた。

 

『テ、テクニシャン!?』

 

 一夏の超絶ならぬ超舌テクニックを目の当たりにし、私たちは変な興奮状態に陥った。

 

「す、すごいね、一夏って器用なんだ」

「ちょ、ちょっと、そういうの、こ、困るんだけど……♡」

「困るってなにがだよ」

「そ、そりゃ、あんた、と、き、き、き」

「は?」

 

 内またに手を挟んでもじもじする鈴を、怪訝な顔で見る一夏。

 なんだかいい雰囲気(?)なので、私たちは二人を置いて「ごゆっくり~」とお店から退室することにした。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 フィードアウトするように店を立ち去った私は、次なる出し物を求めて、ARフォログラムで埋め尽くされた廊下をさらに行く。

 

「さて、次はどこに行きます?」

「ねえ、アリス、あそこ行ってみない?」

 

 デュノアさんが指さしたのは、和風テイストの店だ。

 甘味処と書かれた暖簾と、竹製の待合椅子。古めかしくも雅を感じさせる店構えには、わびさびが滲み出している。そのまえで、着物姿の生徒が客の呼び込みをしていた。

 

「……あ、あの……、よ、よければ、い、一服など……う、うちで、っぜひ」

 

 着物はこれ以上ないぐらい見事に着こなしていたが、暗い雰囲気と控え目な口調が災いして効果はいまいちのようだった。通りかかった客は足を止めることなく通り過ぎていく。

 

「お、おいしい、和菓子とか、お茶とか……。……ある…………から…………」

 

 俯き、とうとうしゃべらなくなった生徒に、私たちは見ていられなくって歩み寄った。

 

「簪、もっとハキハキ喋らないと、お客は来てくれませんよ」

 

 着物の生徒――簪は俯いていた顔をあげ、驚いた表情をした。

 

「あ、……アリスに、……シャルロット。……わ、わたし、こういうの、苦手だから……」

「じゃあ、なんで客引きなんて? 他の人に頼めばいいでしょ?」

「……今回の和風喫茶、わたしが発案者だから。失敗したらわたしの所為だし」

 

 それで店を成功させようと苦手な客引きをがんばっていたのか。

 でもね、簪。みんなで決めたなら、それはみんなの責任なのだし、あなた一人が負うのはおかしいでしょ。――なんて、説教してもしょうがないですよね。

 

「わかりました。じゃあ、あなたの売り上げに貢献してあげましょうか」

「うん。そうだね」

 

 簪はぱぁーと表情を咲かせた。

 

「ありがと、……じゃあ、……二名様、ご案内いたします」

 

 

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 案内された店内は、これまた和一色だった。ほの暗い室内を雪洞が照らし、客席はみんな小上りの座敷で構成されている。通路に敷かれた砂利を踏みしめるたび、あたかも日本庭園を歩いているような錯覚に陥った。従業員全員が和服というのも驚かされる。

 

「……こちらに、どうぞ」

 

 簪に案内され、私たちは畳の小上りに腰を下ろした。

 

「……こちらがお品書きです」

 

 品書きには緑茶と茶菓子がセットになったメニューが7種類ほど記載されてあった。大福セット、羊羹セット、モナカセットなどなど。メニューも和菓子が中心のようだ。簪が「饅頭セットがおすすめ」と言ったので、私たちはそれを注文することにした。

 

「……かしこまりました。しばらくお待ちください」

 

 と、簪が奥へ下がっていく。品が届く合間、私はざっと内装を見渡した。

 

「しかし、凝った内装ですね」

 

 敷かれている畳も本物だし、仕切られている障子も本格的だ。従業員が着ている着物だって安物じゃない。何から何まで“和”で徹底されている。ここがハイテク化されたIS学園の教室であることを忘れてしまうほどだ。

 

「でも、これだけの物をそろえたら、相当な額になりそうだよね」

「さては会長、簪のクラスだけ予算多めにわたしているんじゃ……」

「……大丈夫。ちゃんと予算内に収まってる」

 

 と、帰ってきた簪が言った。手にはお茶菓子とお茶。

 それを私たちに配膳しつつ続ける。

 

「……畳と障子は更識が贔屓にしている処があって、そこから借りてきた。……着物も知り合いの呉服店からただでレンタル。……着つけはお母さんにお願いした」

 

 簪が流し目で、ある座敷の一角を指す。その先では水色の髪の女性が茶を煎じていた。その女性の容姿を一言で表現したならば、簪の大人バージョンだ。くるっと内側を向いた髪と、おっとりした雰囲気は簪のそれ。

 ただし、まとう気配というか、存在感は簪と段違いだった。彼女からは美貌だけじゃ出せない、大物の貫録が滲み出ている。あれが会長のお母さんで、<情報部>部長の奥さん。

 

「すごいオーラだね」

「……お母さんホステスだから。……政治家とか芸能人とか、そういう人がいっぱい来る銀座のお店でママしてる。……その道じゃ有名なんだって」

 

 納得がいった。あの存在感はそこで身についたものか。

 同時にホステスという仕事は、裏の仕事――防諜――を遂行するための一環なのだろうと推測する。今でも昔でも情報を集めるときは酒場と決まっているのだ。彼女に雇われているホステスはみんな更識の息がかかっているんだろうな。

 

「どうしたの、アリス」

「ん、あ、いえ。このおまんじゅうのキャラがね」

 

 私は饅頭に焼印されたアニメキャラを気にするそぶりを見せ、誤魔化した。

 

「あ、アリスも気になった? 僕もなんだ。萌えっていうの? かわいいよね、このキャラ」

「こ、これ、わたしがデザインした」

 

 褒められたことに気を良くしたのか、いつもよりはっきりした語調で簪が言った。

 

「へえ、簪が描いたんだ。絵、上手なんだね」

「……昔アニメーター目指してた時期があって、……すこし絵の勉強したことがあるの。……わたし、アニメとか好きだったから。……わ、わたし、アニメオタクなの」

 

 簪は恐る恐る言った。

 私たちの年齢になると「アニメは子供が見るもの」として敬遠する子も多い。特に精神年齢が早熟する女の子の場合は余計だ。だからアニメオタクをカミングアウトするには少々な勇気がいるらしい。

 簪の口調から察するに、カミングアウトして引かれた経験があるのだろう。でも、デュノアさんは両手を合わせた。

 

「そうなんだ。実は僕もアニメ大好きなんだ。昔からアニメばかり見ていてお母さんによく怒られたよ。でも、なかなかやめられなくてね。いまでもよく見るよ」

「……え、じゃあ、シャルロットもアニメオタク?」

「うん、僕もアニメオタク!」

 

 簪の目が輝く。これは同志を見つけた目だ。

 簪は以前より、なかなか趣味を共有できる友達が見つからないと嘆いていた。けれど、ついにそれが見つかった(かもしれない)とあって、簪はデュノアさんへ身を乗り出した。

 

「……ち、ちなみに、好きな作品とか、ある?」

「そうだね、好きな作品はやっぱり―――」

「やっぱり?」

 

 簪の期待が高まる。

 アニメ談義に花を咲かせられるかもしれない。そんなオタクの期待が。けれど――

 

「やっぱり『フランダースの犬』かな、あと『母を訪ねて三千里』とか。『赤毛のアン』も好きだよ」

「………………………あぁ、そっち……」

 

 しょんぼりと肩を落とする簪に、デュノアさんがきょとんとする。

 私は「そう来たかー」と額をペチンと叩いた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

「なんだったんだろう。僕、何か悪いことしたかなぁ……」

 

 4組のクラスを出たあとも、シャルロットはずっと悩んでいる様子だった。

 シャルロットは何も悪いことをしていない。ただ、簪が好きなアニメとは、なんていうか、そういうアニメじゃないのだ。世界名作劇場も名作であることに間違いはないのだけど。ほんと、なんていうか、そうじゃないのだ。

 

「まあ、偏にアニメ好きと言ってもいろいろ派閥があるんですよ。ともかく、デュノアさんと簪は同じアニメ好きでも、毛色が違ったということです。それと簪の前で安易にオタク宣言しない方がいいですよ」

 

 簪はガチ勢だから半端な輩(にわか)を嫌う。仮に「ああ、私アニオタだわ。だってジ○リ作品全部みてるもん」なんて言おうものなら、すごい顔で「じゃあ未来少年コ○ンは?」と、そのオタク度を言及されるから要注意だ。(アリス談)

 

「しかし、デュノアさんがアニメ好きとは初めて知りました」

「アニメに限らず、日本文化が好きなんだ。ノエルさんと、パリのジャパンエキスポに行ったこともあるよ。あ、そうだ。実は夏休み、そのノエルさんの実家に行ってきてね」

「フランス代表の実家に?」

「うん、ノエルさんの実家はワインの酒造家でね。ボルドーに大きいブドウ園を持っているんだ。ここ数年は不作つづきで大変だったみたいなんだけど、一年前ぐらいに<モンド・セレクション>で金賞取ってね」

「すごいですね」

「出荷が忙しくなるみたいで、人手が不足しそうだから、『なにかあったら、うちに来るといい。三食、寝床つきで雇おう』って言ってくれたんだ」

 

 もし彼女がデュノアと決別の道を歩めば、新たな扶養者が必要になる。未成年である彼女は、一人で食べていくことができないから。それを考慮して、アリスは生徒会長を通じてノエルに扶養者になった欲しいと依頼していた。彼女はその依頼をちゃんと果たしてくれたようだ。

 

「でね、それもいいかなって思っているんだ」

「代表候補生をやめて?」

「うん。元々、望んでフランス候補生になったわけじゃないんだ。男装した僕が『ブリュンヒルデの弟』っていう一夏に勝るには、どうやっても“代表候補生”というブランドが必要だったから」

 

 いくら二人目の男性操縦者として世に出ても、融資を一夏に持っていかれては意味がない。「ブリュンヒルデの弟」という一夏に対抗するには、どうしても代表候補生という肩書きが必要だった。

 しかし、性別が明るみになった今、彼女が代表候補生を続ける意味はない。それどころか、ISに乗り続ける理由さえ、本当はもうなかった。ならば、デュノア社の社員としてフランスの代表候補生を続けるより、田舎のブドウ畑で、穏やかな日々を過ごす、そんな人生もいいのではないか、と。

 そして、そこにアリスがいてくれたら。と思う。

 摘んだブドウの上で、ケルト民謡を音楽に、彼女と踊りながらワインを絞る。

 それはとても魅力的な光景だったから、シャルロットは言ってしまった。

 

「そ、それでね、よかったら、アリスもどうかなって」

「私も、ですか?」

 

 思いがけない誘いに、アリスは当然のごとく驚いた。

 その反応を見て、シャルロットは自分がいかに突拍子もないことを言ったのかに気づく。

 

「もちろん、全ッ然、無理とは言わないよッ! その、提案というかッ、もし、アリスにその気があったらでいいんだ! でも、僕はアリスがいてくれたら、すごくうれしいというか、その……」

 

 途中から自分でも何を言っているのか判らなくなり、語尾を弱める。

 結局、来てほしいのか、ほしくないのか、わからないことを言って、シャルロットはあやまりだした。

 

「わ~、ごめんね、ごめんね、やっぱりいまのは忘れ――――」

「魅力的な就職先だと思います」

 

 アリスはふわっと柔らかい笑みで答えた。シャルロットが「え?」と顔を上げる。

 

「いいの?」

「はい。はっきりした返事はまだできませんが、考えておきます」

 

 喜ぶには弱すぎる返事だったけど、今のシャルロットにはそれで十分だった。

 そもそも自分も完全に気持ちが固まっているわけじゃないのだ。そんな不確定な未来に彼女を付き合わせることはしたくない。

 考えておくと言ったアリスに「うん!」と答え、シャルロットはアリスと共に教室へ向かった。

 いくら黒ウサギ隊の人たちが手伝ってくれているとはいえ、任せ放しというわけにもいかない。

 

「戻りました」

 

 アリスたちが教室に戻ってくると、燕尾服の一夏がやってきた。

 表情はなぜか険しい。それも疲労によるものじゃなく、もっと心的な緊張からくる面持ちだ。

 

「戻ってきてくれたか。ちょうど呼びにいこうと思っていたところなんだ」一夏はシャルロットの方を向き「シャルロット、おまえに客だ」

「え、僕に?」

 

 シャルロットに嫌な予感がよぎった。

 この場、この期に、自分に接近してくる人物はひとりしかいない。

 

「4番テーブルだ」

 

 アリスとシャルロットはさりげなく4番テーブルを見た。

 そのテーブルではブルネットの髪を肩からたらした女性が優雅に紅茶を嗜んでいた。

 

「久しぶりですね、シャルル、いえ今はシャルロットだったわね」

 

 吹奏楽器を思わせる澄んだ綺麗な声音。

 やわらかく暖かい声音であったが、シャルロットは全身を凍りつかせた。

 

「お、継母さん……」

 

 ある意味でシャルロットが父親より会いたくなかった人物が、目の前にいた。

 

 




次回の更新は一月一日を予定。では、みなさん、よいお年を。

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