IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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ここからは楯無編(全三話)となります。


<サイドオプス>
第64話 ロシアより愛をこめて①


 符号化された抽象世界で、更識簪は物語を紡ぐようにコードを記していく。

 プログラムとは誰かが記した物語である。

 フレームワークを構築し、そこで生成したシンボルを、どのように処理するか、それは世界を構築し、登場人物を、どのように動かすか。そのプロセスはまさに物語を書くということだ。

 ロリーナにそれを教わって以来、彼女はプログラムという抽象世界から具体像を出力できるようになった。例えば<ラファール・リヴァイヴ>のOSコードからは、優しそうな貴婦人の半生が見えたりする。だからなのだろう。どういうプログラムが<ラファール・リヴァイヴ>の性能向上につながり、どういうプログラムが不具合を起こすのか、今の簪には一目でわかった。

 

(……いまなら、篝火さんが言ってた言葉の意味、分かるかも)

 

 倉持技研のIS開発チーフで、ISソフトウェアのエキスパートである篝火ヒカルノ。彼女は“自分の仕事はISの調教だ”とよく口にしていた。ISの調教とはまさに、そのままの意味で――ISを調教することなのだろう。

 

(……もう、<打鉄弐式>をあの人に見せるの、やめよう)

 

 調整と言わず調教と言うあたりに、篝火の変態さを感じた簪は、こころでそう決める。

 そして、ひとしきりコードを書き終えた簪は、抽象世界から現実世界に意識を戻した。

 

「ふう」

 

 人工知能プログラムの大体部分は書き終えた。あとはマルチロックオン・システムに必要な戦術を学習させれば、一応の完成となる。但し、AIに戦術を学習させるには、<打鉄弐式>に累積している戦闘データだけでは不十分だった。このマルチロックオン・システムの知能エージェントは多くの戦闘を熟すことで、より効率の良い管制誘導を学習していく。

 

(戦闘データの収集はアリスに協力してもらおう。……私、専用機持ちの友達いないし)

 

 と、決めたところで、簪はアリスがまだきていない事に気づく。

 いつもなら昼過ぎにはひょっこり顔を出し、横でネットやらゲームをし出すのだが、

 

(……今日は遅い)

 

 彼女がいないと作業が進まないわけじゃないが、いないでさびしい気持ちになる。奇しくも、同じ日、同じ時間、織斑家にいる一夏たちと同じ気持ちでいたら、コンピューター室の自動ドアが開いた。

 

(アリス……?)

 

 ではなかった。入ってきたのはロリーナだ。

 彼女は紙袋を手に、コンピューター室に入ってきた。

 

「こんにちは、簪さん。進捗の方はどうかしら?」

「……とても順調です。ところで、まだアリスが来ていないんですけど、何か知りませんか?」

 

 持ってきた紙袋をそばに置きつつ、ロリーナは答えた。

 

「特別な用事があって、しばらく来られないの。許してあげてね」

 

 特別な用事。ということは、プールでの一件を怒って、来ていないわけじゃないらしい。

 ほっと胸を撫で下ろした簪は、ロリーナの持ってきた紙袋に目をやった。

 

「あの、それは?」

「今日はあなたとこれを見ようと思ってね」

 

 そう言って紙袋から一本の映画DVDを取り出す。表紙はモノクロで、なかなかに古い映画だ。しかし、平成生まれの簪でも、その映画はよく知っていた。

 

「ゴジラ?」

 

 ゴジラ。1954年に日本の東宝が制作した特撮映画だ。いままでにいくつものシリーズが制作され、その人気は日本だけにとどまらず、世界にまで広がっている。その第一作目がロリーナの手にあった。

 

「ええ、ええ、そうよ、うふふ。日本の傑作映画」

 

 よほど、この作品に思い入れがあるのだろうか。ロリーナは紅潮した頬に手をやり、どこかうっとりした様子だった。

 

「これをぜひ、貴女にも見てもらいたいの――貴女のためにも、ね」

「――わたしのため?」

 

 一転、うっとりしていた表情から親身な顔をするロリーナに、簪がきょとんとする。

 そんな簪の手を引き、ロリーナが「多目的室にプロジェクターを用意してあるわ」と彼女を引っ張っていく。作業も遅れていないので、簪は彼女の提案を受けいれた。ただパソコンの電源を下ろしながら――

 

(……そういえば、お姉ちゃんも特別な用事があるっていっていたけど……)

 

 自身の勝手気ままな理由で遠ざけてきた姉のことを、ふと思い出した。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 旧ソ連上空1万メートル。成層圏の静かな世界の中、楯無は輸送機の狭い貨物室に身を寄せていた。機内は騒音に加え、揺れが激しい。だというのに、隣の女性は穏やかな寝息を立てている。

 

「ソフィア?」

 

 輸送機のパイロットが『間もなく作戦空域です』と言ったので、居眠り女性の肩を叩く。

 目を覚ました女性――ソフィア・カドリュスキー・アルジャンニコフは眠気眼で楯無を見た。

 

「どれくらい寝ていた?」

「20分ほどよ。よくこんな場所で眠れられるわね」

「不感症だから、かな?」

 

 楯無を含め、ソフィアの重たいブラックユーモアを笑う者は誰もいなかった。

 スベった彼女は肩をすくめ、

 

「で、状況は?」

「あと10分で作戦降下ポイントに辿りつきます」

 

 楯無に代わって機上輸送管理担当(ロードマスター)が言った。

 作戦降下ポイント。彼らがここにいるのは、空の旅を楽しむためじゃない。ある施設を襲撃するためだった。その降下ポイントまであと10分だという。ロードマスターは続けて言った。

 

「機内の減圧を開始します。酸素マスクを着用してください」

 

 高度1万メートルでカーゴベイのハッチを開ければ、気圧さで物が外へ吸い出される。それを防ぐため、あらかじめ機内の気圧を外の環境に近いレベルまで下げるのだ。さらにこの高度では酸素が地上の半分しかない。

 

「わかったわ。準備に取り掛かる」

 

 楯無とソフィアは専用機を展開し、装備とシステムの最終チェックに取り掛かった。

 今回、彼女たちはパラシュートを使わず、ISを使った降下方法で作戦ポイントに潜入する。高度1万メートルから高度100メートルまで自由落下し、着地の衝撃をISで吸収する降下方法だ。

 とりわけ、楯無はチェックを入念に行った。

 今回の作戦は更識においても重要な意味を持つ。それだけに失敗は許されない。

 国家代表であり、更識当主である楯無だが、17歳の若輩ゆえにそこまで多くの場数を熟してきたわけじゃない。その経験不足を才能で補ってなお余りある楯無だが、微塵の不安もないと云えばウソになる。

 

(大丈夫よ)

 

 楯無は首にかけたお守りを強く握った。ロリーナと食事した時に渡されたものだ。「困ったときに使いなさい」と。妹が全幅の信頼を寄せる人物からの贈り物。きっと価値がある。楯無はありがたくそれを頂戴した。

 

「減圧完了。降下3分前。後部ハッチ解放。作戦要員は後部に移動せよ」

 

 ロードマスターがハンドシグナルで二人に行動を促す。

 楯無はお守りから手を放し、既に準備を終えていたソフィアのとなりに並んだ。そして<霧纏の淑女>のバイザーモードを遮光モードに変更しながら、ソフィアの専用機を見る。

 

「それがあなたの専用機? 初めて見たわ」

 

 銀色の装甲。三角状の耳型ヘッドセット。尾骶骨から尾が生えていて、そのISを一言で形容するとしたら銀狼だった。脚部のフォルスターにはIS専用の大型ハンドガンが収まっている。

 

「おや、学園で見せなかったか?」

「見たけど、フルオープンは初めて」

「そうか。こいつは<ヴォルグ>の派生機だよ」

 

 <ヴォルグ>はロシア製の第二世代型だ。耐久性とパワーに優れ、特殊な環境下――寒冷地や砂漠でも、パフォーマンスがほとんど低下しない特徴を持つ。また100時間の連続稼動にも耐えうる性能を持つゆえ整備スパンが長く、ラニングコストが安い。ちなみに<ヴォルグ>は、ロシア語でオオカミを意味する。

 ソフィアは狼の尾を振って見せた。その愛らしい仕草に楯無がクスっと笑う。

 

「かわいいわね、それ」

「ただの放熱索さ。戦闘では役に立たない。飾りだよ」

 

 「ま、気に入ってはいるが」と、尾の先を持ち上げると、安全確認を終えた隊員が後部のハッチを解放した。その隙間から極寒の風が入り込む。楯無たちの服装は水着も同然だったが、ISの被膜装甲(スキンバリアー)のおかげで、凍えることはなかった。

 

「楯無。自由降下時は時速120キロを超える。外気温は摂氏マイナス48度だ。風速冷却で駆動系やスラスターノズルが凍結して、機能不全になることもある。気をつけろ」

 

 楯無が『了解』と肯くと、機内のランプが赤から青に変わった。

 それを合図に二人はロシアの寒風に綺麗な髪を靡かせながら、後部ハッチへ向かう。

 

「降下準備、カウント5、4、3、2、1――」

 

 ゼロになったとき、輸送機のパイロットが言った。

 

「――幸運を祈る」

 

 二人はハッチの端に立ち、投身自殺でもするかの如く、輸送機から身を投げた。そしてロシアの風を浴びながら、重力に身を任せて、目的地へと落下していく。

 時間にして数秒足らずの、短い遊覧飛行が始まった。

 

 

 

 

 

 更識楯無の専用機<霧纏の淑女>が備える水のマント《アクア・ヴェール》。

 このマントには電磁波およびレーダー波の反射や、赤外線を抑える能力が備わっている。さらに機体の可視光を吸収すること、姿を晦ませることもできる。まさに魔法使い(ハリーポッター)の透明マントというわけだ。

 その特性から斥候を買って出た楯無は、単機で西へ3㎞ほど進軍した。

 

「制圧目的地に到着。周囲に脅威になりそうなものはなしっと。いいわよ」

 

 周囲の安全を確認した楯無が遼機のソフィアにサインを出す。それを合図に、後方で待機していたソフィアが、楯無のまいた霧中へ自機を忍び込ませた。

 

「あれだな」

 

 霧中から目的の施設を観察してソフィアが言った。

 眼前には、多数の施設や建築物が構えられていた。敷地面積は都市ひとつ分に相当するか。しかし、人気はなく、廃墟のように静まり返っている。楯無は軍艦島を思い出した。その感想は正しく、目の前の廃墟都市はそれに類する場所だった。

 

「作戦前にもらった情報だと、旧ソ連時代の秘密都市らしいわね」

「ああ、東西冷戦時代に建設された閉鎖行政地域組織(ZATO)のひとつだ。当時はここにたくさんの学者や技術者が集められ、ロケット技術の研究が盛んに行われていた」

「ロケット技術? ミサイルの技術でしょ。それも核ミサイルの。降下途中に大きなクレーターを確認できたわ。あれは核実験所でしょ? それに、この近辺の鉱山じゃウランも採掘できるそうじゃない」

 

 楯無の辛辣な指摘にソフィアは苦笑した。

 けれど、訂正しない。ロケット技術もミサイル技術と同じ技術だ。

 

「だが、東西冷戦が終わって、米露の間に第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)が結ばれると、核軍縮の流れからこのZATOの価値はなくなった。財政難だったロシアはこの都市を放棄した。いまは立ち入り禁止区域に指定されている」

「それを誰かさんが隠れて使っているってわけね」

 

 誰かさん。楯無はそう言ったが、その誰かは既に判明していた。

 <亡国機業(ファントム・タスク)>。

 学園を襲撃したテロ組織が、この秘密都市に潜伏している。その情報を得た楯無は、強引なやり方でこの作戦に参加したのだ。そうまでして志願した目的は一つ。<亡国機業>が持つ資金を奪取し、日本に持ち帰るため。

 

「ああ、そうだ。今からそいつらにはここから退去して頂く。――いくぞ」

 

 ソフィアは、機体を静かに滑空させた。そのあとを楯無が続く。<霧纏の淑女>のステルス性を活かしながら、二人は秘密都市の内部へ進んでいった。検問所を通り、大通りに差し掛かる。通路の脇には酒場や食事場所、サウナといった娯楽施設が軒を連ねていた。ここは歓楽街だったようだ。

 

「学術研究都市なのに、ずいぶんと娯楽施設が充実しているわね」

「ここの住民たちは都市外へ出ることが禁じられていたからな。その代わりというわけさ。当時は賑わっていたのだろう。今となっては、見る影もないが」

「でも、最低限のインフラは生きているみたいだわ。それに手を加えた形跡がある」

 

 ISのハイパーセンサーが、大型車の轍らしき痕跡を拾う。その痕跡を追跡していくと、研究施設の搬入口と、それを塞ぐ扉に突き当たった。「強行突破する?」とソフィアに視線で聞く。IS二機の火力ならそれも可能だったが、ソフィアは「もっとスマートに行こう」と楯無に身分証明書らしきカードキーを投げた。

 

「これは」

「ここの研究員だった奴のものだ」

 

 楯無はカードキーを見た。表面には30ぐらいに見える男性の顔写真が張ってある。

 ロマノフ・チェコンスキーと記載されてあった。

 

「使えるかもしれない」

 

 ソフィアが閉鎖扉のわきに置かれた端末を視線で示す。

 楯無は一度頷き、端末の操作に取り掛かった。しかし、パネルをタッチしても反応がない。電力が供給されていないようだ。操作にはまず電源を復旧させる必要があった。二人はその作業に取り掛かる。

 

「そういえば、ここにいた科学者たちはどうなったの?」

 

 端末から主電源のコードを探り出しながら、楯無が訊く。

 ソフィアは<ヴォルグ>のコンソールを開き、外部バイパスを構築しながら答えた。

 

「保障らしい保障もないまま立ち退き勧告を受けたようだ。ソ連崩壊後のロシアは財政難だったから、3000人以上の科学者の面倒などみきれなかった。職と住居を失い、社会主義に失望した彼らはより良い報酬を求め、国外に消えて行った」

「もしかして、北朝鮮の核開発にも?」

「大いに考えられるだろう。北朝鮮に限らず、21世紀に入って取り立たされている核開発問題のほとんどに関与している。彼らのおかげで核技術は拡散する一方さ」

 

 ソフィアは、楯無から渡されたパワーケーブルを自機に繋ぐ。

 

「それにロシアの核物質管理がジャガイモ並ってのは、あながちウソじゃない。危険で金が掛かるから、管理がずさんになりがちなんだ。ロシアの核物質不明量(MAF)も年々増加の傾向にある。闇市場に流れているって話だよ。今の時代、核物質や核技術を手に入れることは、そう難しくない」

「核保有は列強国の特権じゃなくなった……」

「そうさ。金さえあれば、ならずもの国家や、テロリストですら核武装できる時代さ」

「テロリストが核武装だなんて、ゾっとしないわ」

「東西冷戦の終結で核の時代は終わったかと思われがちだが、形が変わっただけで核の危険は依然そこにある。ファイルス大統領が<核なき世界>を掲げているけど、あれは理想論じゃない。現実的な安全保障の問題なんだ。――それに10年前の、あの事件が核兵器の見方をがらりと変えてしまったろ?」

「白騎士事件ね」

 

 2001年、日本に向けて2341発の大量破壊兵器が使われた。これに対してアメリカは使用国に報復を行わなかった。報復すれば、第三次世界大戦だったからだ。しかし、この英断が世界にある事実を突き付けた。

 

 “撃ったら撃たれる”という現実は存在しなかった。

 

「抑止論の崩壊。“報復”という恐怖から解放された世界は、大量破壊兵器の使用ハードルをどんどん下げて行った。核兵器が戦術レベルで使えるようになるまで、そう時間はかからなかったさ」

「ISや無人兵器の爆発的な普及には、核兵器の肯定化が背景にあるからでしょ」

「ああ、無人兵器の普及は、戦場の無人化、誰も死なない戦争を目指したわけじゃない。核兵器使用後の高濃度化放射線下でも部隊を展開するために、生み出されたものさ」

 

 月光のような無人機なら核爆発後の高濃度放射線下でも被ばくの恐れはない。ISも同様だ。宇宙活動を想定したISの被膜装甲は宇宙線被ばくを回避できる。

 

「核戦争は起こるのか。それは誰にもわからない。だが、備えはするべきだし、そうならないよう尽力もすべきだ。その象徴が<デウス・エクス・マキナ>って連中さ。――よし、電源を入れるぞ」

 

 ソフィアが自機の出力を上げると、端末の画面にホーと明かり灯った。

 息を吹き返した端末を楯無が操作する。表示された言葉は(当然ながら)ロシア語であったが、六か国語をマスターする彼女は難なく操作を進めた。

 

Angrboða(アングルボザ)? これがこの施設の名前かしら」

 

 施設概要のファイルにはそう記されていた。

 アングルボザ。語学が堪能な楯無でも、翻訳することはできなかった。それはソフィアも同じようで、訊いても彼女は首を横に振っていた。となると、ロシア語ではないのかもしれない。

 

「もともとロシアは様々な民族が入り乱れている国家だ。言語は民族の数だけ存在する。それにここは地図にも載らない秘密都市だ。暗号名か何かだろう」

「なんにせよ、ここを無断で使っている奴がいるのは間違いない、ということね」

 

 楯無はさらに端末を操作して、カードをスキャンする。認証は――承認された。

 ガガガと金属が擦れる音と共に、重々しい扉が開いていく。

 

「いきましょうか」

「ああ」

 

 端末から離れ、二人は見取り図を基に奥へと向かう。物資搬入用と思わしき通路を抜けると、大きな空間にでた。空間そのものを刳り貫いたかのような広大な場所だ。そこにはミサイルと思わしき円筒状の鉄塊がいくつも転がっていた。

 

「………………」

 

 楯無は置き捨てられたミサイルたちを撫でてみた。かなり前から放置されていたようで、表面はかなりホコリまみれだ。弾頭部分はないが、ロケットエンジン部分はまだ生きている。状態も良好で、燃料さえあれば宇宙まで飛べそうな状態だった。

 

「でも、このロケットエンジンは宇宙に行くためのものじゃないのよね……」

 

 これは核という贈り物をアメリカに届けるためのものだ。

 

「開発者は、これをどんな気持ちで開発したのかしら……」

 

 純粋に人類の宇宙進出を夢見て、このロケットエンジンを開発していたのだろうか。だとすれば、その技術者の苦悩は計り知れない。人の為に始めた事が、大量破壊の片棒を担ぐことになったのだから。

 

(簪ちゃんにはそんな思いをさせたくないわね)

 

 妹には平和な世界で、人々のためにその技術を役立ててほしい。

 しかし、悲しきかな、今は冷戦時代だ。各国がISの開発競争に鎬を削っている現在、時の為政者たちは、優秀な技術者である簪を政治の道具にしかねない。たとえ簪が正しい方向にテクノロジーの舵を切っても、時代が間違った方向に舵を切り直すだろう。

 簪が何者にも囚われずその技術を活かすには、冷戦という今の時代を変えるしかない

 ならば、変えてみせる。なんとしても。そのために自分は楯無となったのだから。

 

「楯無?」

 

 ソフィアの声に、楯無はハっとして我に返った。

 

「ごめんなさい。ちょっと考えごとをね」

「もしかして恋人のことでも考えていたのかい?」

 

 ソフィアがどこか楽しげに言った。

 心成しか狼尾がふりふり動いているのは、気のせいだろうか。

 

「生憎、私にそんな人はいないわ」

 

 楯無が肩を竦めて苦笑すると、ソフィアのしっぽがしなっと垂れた。

 

「そうか。それは残念だ」

「なんで残念なのよ」

「オレだって女だ。恋の話には興味がある」

「あら、意外」

 

 ストイックだと思っていた彼女から乙女チックな返答が出て、楯無はクスクス笑った。

 対して、ソフィアはちょっぴり心外そうに目を細める。

 

「まあいい。話の続きは、任務が終わってからにしよう」

「そうね」

「あちらに貨物エレベーターを見つけた。地下へ降りられそうだ」

 

 どうやら楯無が考え事をしているうちに、施設内を探索しておいてくれたようだ。そういうところは本当に抜かりない。こういう場面では、頼れる人物だ。

 

「こっちだ」

 

 二人は警戒しつつ、車両を数台運べそうな大型のエレベーターに乗って地下へと降りていく。その途中、僅かな時間ができたので、楯無はさきほどの話題を持ち出した。

 

「ねえ、ソフィア。あなたは恋人とかいないの?」

「いないな」

「意外ね。あなた、すっごく綺麗なのに」

 

 ラピスラズリーを思わせる神秘的な瞳。胸は控えめだがスレンダーな体躯と流れるような長髪には申し分ない色気がある。美女といって差し支えの無い容貌だ。男性の目を惹く魅力は十分にある。

 ソフィアは肩を竦めてみせた。

 

「なにせ、この体質だからな」

 

 ソフィアは心因性の不感症を患っている。そんな彼女は快楽のない男女の交合いをわずらわしく感じているのだろう。心因性――過去の心的外傷が原因ならば、苦痛さえありえる。

 肉体関係を結べない自分を、男性は愛せない。そんな風に彼女は考えているのか。

 

「そんなことないわ。体の関係がなくても、愛してくれる男性はきっといるわよ」

 

 愛さえあれば。――暗部として“捨てるべき乙女の部分”を捨て切れずにいる楯無は、その純粋さゆえ、ソフィアの「セックス無しじゃ、男は女を愛せない」という考えを認めたくなかった。

 そんな楯無を慮ってか、ソフィアがやさしい声音で言う。

 

「そうだね。いつか、めぐり会いたいものだ、そんな人と」

「なんだったら、紹介してあげるわよ。――こう見えて人脈は広いんだから」

「君はやさしいな。けれど、オレはキミにこそ、素敵な恋をしてほしいと思っているんだ。――キミ、いろんなモノを一人で背負い込みすぎてやしないかい?」

 

 楯無は見透かされた気分になって黙った。妹のこと、家のこと。普段は飄々と振る舞ってはいるが、その背には17歳ではとても背負いきれない重責が圧しかかっている。

 

「――だから、素敵な恋をして、いい旦那様を見つけろ。支えてくれる人が君に必要だ」

 

 ソフィアが彼女の頭をぽんぽんと叩く。

 その手の感触は、楯無にとって久しい感触だった。

 楯無という特殊な役職に就いてからは、みんな彼女に敬意を払うようになった。当然ながら、気安い接触も慎まれた。幼馴染でさえ「お嬢様」と呼ぶ。そんな生活が続いてきたからこそ、彼女の気がねない接触がなつかしく、そして、心地よかった。

 

「心に留めておくわ」

「ああ。ぜひ、君はいい恋をしてくれ。――そして、可能ならこんな仕事やめてしまえ。君のようなやさしい乙女がしていい仕事じゃない。こんな仕事はオレのような汚れた人間にやらせておけ」

 

 ソフィアがそういうと、エレベーターが目的地に到着した。同時に気配が替わる。ISのセンサでも捕えられない空気の変化を、二人は機敏に感じ取った。

 

「さて、この話は終わりだ。警戒しろ」

「了解」

 

 ソフィアに促されて楯無は気を引き締め直した。それからナノマシンタンクのディスペンサーを解放し、いつでも《アクア・ナノマシン》を散布できるように備える。ソフィアもフォルスターから大型のハンドガンを抜いた。

 二人が出た場所は、ラボのような場所だった。作業用のロボットアームに、いくつものコンピューターとモニター。そのどれもが最新式で、20年まえの施設とは思えない様相を呈している。

 

(誰かいる)

 

 楯無が警戒レベルをそのままに周囲を見渡すと、センサが二つの人影を捕えた。

 一つは少年だった。白髪で、まだ幼さが残っている。年齢は楯無とあまり違わない。

 もう一人はゆうに2mを超えた大柄な人物だ。こちらは外套を身に纏っており、性別や容姿は確認できない。生体反応がないということは、おそらく無人機か?

 それぞれの観察を終えたところで、楯無は少年の方を注視した。

 

(……思っていた人物よりずっと若いわね)

 

 鬼がでるか。蛇がでるか。だが、出てきたのは自分の歳とあまり変わらない少年が一人。

 それにはいささか拍子抜けしたものの、少年の青い双眸は野心的で、態度は堂々たるものだった。ISを装備した女二人を前にしても、動揺ひとつしないのは大した胆力だと評価できる。

 はたして彼は何者なのか。それを確かめるため、楯無はシンプルな質問を投げかけた。

 

「あなたは?」

 

 少年は鷹揚に両手を広げ楯無の問いに答えた。

 

「ようこそ、アングルボザへ。俺はロキだ。――こんな僻地に何の用かな?」

 

 ロキと名乗った少年は芝居がかった仕草でそう言った。

 三文芝居は楯無の専売特許でもあったので、同じように言い返す。

 

「あら、それはあなたが一番よく理解しているんじゃないかしら、<亡国機業>の幹部さん?」

「ああ、よく理解しているよ、IS学園の生徒会長さん。学園の襲撃を計画し、実行したのは俺だからな。その俺を逮捕でもしに来たか?」

「話が早くて助かるわ。そういうことだから、あなたの身柄を拘束させてもらうわ」

 

 楯無は右手に《蒼流旋》を展開した。そこに内蔵されたガトリングガンを少年に向ける。

 

「残念ながら、そのリクエストには応えられないな」

 

 ロキは軽く手を上げた。それを合図に、隣で控えていた大柄な人物が外套を脱ぎ捨てる。

 露わになったのは、全身装甲(フルスキン)のISだ。しかし、かつて学園を襲撃したタイプと比べてかなりスマートなフォルム――外套で身を隠せるほどの細身――をしており、ISと完全一体になっていた。さらに<ゴーレム>の特徴である剛腕はなく、代わりに巨大なブレードと、蛇のような長い尾を装備していた。

 

(<ゴーレム>の発展型ってところかしら)

 

 大分フォルムが異なる――<ゴーレム>と呼ぶのに抵抗が生まれるほどだ――が間違いない。

 楯無が即座に機体の正体を見破ると、遼機のソフィアが注意を促した。

 

「通常のモデルより細見だが、ISだ。油断するなよ」

「油断? 私がするわけないじゃない」

 

 前方の新型<ゴーレム>を見据える楯無に、ソフィアは苦笑交じりで答えた。

 

「いや、しているさ。――オレに背を向けている(・・・・・・・・・・)

 

 言うなり、ソフィアは大型のハンドガンを楯無の背(・・・・)に突き付け、引き金を引いた。

 


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