IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第58話 財界パーティー

 8月14日。イタリア南部。現地時間19時を回ったあたり。スコールが参加するという財界パーティーの会場へ向かう車内で、私は装備をチェックしていた。

 まず、A4サイズのケースから自動拳銃を取り出し、初弾を装填する。この自動拳銃はベレッタM92Fを改造した麻酔銃だ。それをバックにしまい、網膜型ARディスプレイを身につけると、車の運転手が言った。

 

「そろそろ到着するぞ」

 

 私は車のパワーウィンドウを下げて、潜入する会場に視線をやった。

 モダンな建築様式のホテルだ。名前は<モンド・グロッソ>。オーナーは、かの<ヴァルキリー>のひとり、アリーシャ・ジョセスターフであるらしい。

 フロント前のロータリーでは、高級外車がずらりとひしめき合っていた。敷地のいたるところでは、黒ずくめの男性がサングラス越しに警備の目を光らせている。さらには無人機(ゲッコウ)が会場周囲を巡回していて、物々しい雰囲気を醸し出していた。経済界の大物が集まる会場とあって、警備のレベルは高い。

 ほどなくして車はホテルロビー前に停車した。

 

「では、パーティー会場に潜入します」

『了解』

 

 ボスにそう告げ、車を降りる。大理石の床をコツコツと鳴らしながらホテル内を進むと、待ち受けのフロントでホテルマンが招待状の提示を求めてきた。私は情報部が用意した偽の招待状を手渡す。

 

「レイシー・アデルさまですね。同伴される方はおられますか?」

「いいえ」

「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」

 

 ホテルマンに案内され、奥に進んだ先は、まさに煌びやかなセレブの世界だった。

 豪奢なシャンデリア、大理石のフロア、贅を尽くしたディナー。まるで中世の舞踏会を彷彿させる会場では、ドレスやタキシードに身を包んだ投資家や実業家たちが、世界経済の行く末について意見を交わしている。

 IS登場以降、経済活動の中心が女性に移ったこともあり、艶やかなドレスも多く目にできた。

 彼女たちが、女性優遇の追い風を受け、成功した上流女性たちなのだろう。世界経済の行く末を考えるこの場に招かれているだけあって、『“ISを動かせる女性は偉い”と主張をする下流女性』にはない知性と教養が感じられた。気品あふれる物腰はセレブのそれだ。

 

「いや~、華やかだねぇ。きみもそう思わないかい」

 

 私が上流女性の社交を遠目から眺めていると、こちらにひとりの男性がやってきた。

 鼻筋の通った美形で、鋭く黒い瞳はアジア系。眉目秀麗と言って差し支えないが、物腰は軽そうな優男だ。

 彼の半歩うしろには、婦人が同伴している。男性とは対照的に、愛想に乏しく、尖った印象を受ける美女だ。雰囲気はどこか千冬さんに似ているものの、神経質な面持ちがふたりの違いをはっきりさせている。

 突然、言い寄ってきた優男をあしらうように、私はこう言った。

 

「そう思うのであれば、口説いてきてみては?」

 

 そうしたところで、散々値踏みされたあげく、手酷くあしらわれるのがオチだろうけど。

 さりとて彼女たちも女尊男卑(ミサンドリー)なのだ。強権を以て男性を奴隷のように酷使する女性資本主義の申し子たち。下心で声をかけようものなら、きっと火傷じゃすまない。

 

「ご冗談を。ボクは綺麗な女性が好きだけど、あの手(・・・)の女性は嫌いでね」

 

 私はすこし感心した。軽そうな物腰によらず、人を見抜く力はあるようだ。

 

「それにボクはキミに気があったから、声をかけたんだ」そう言いい、男は私を下から上へ値踏みして「きみ、ISの操縦者だろ?」

 

 私はわずかに驚いたが、肯定はしない。ここでの私は資産家という設定になっている。

 

「いいえ、違いますが?」

「隠さなくてもいいよ。――ボクはこういう人間だからさ。わかるんだ」

 

 と、男が名刺を差し出す。面には<上海飛甲装工業公司>代表取締役・劉春狼とある。

 私は思わず視線を名刺から劉春狼に向けた。

 <上海飛甲装工業公司>。<甲龍>の開発元だ。この男がそこの最高責任者。

 

「たとえ、冷戦が終わっても、ISの需要は減らないだろう。ISの企業はこれからも伸びる。だから、今のうちに優秀な人材につばをつけておきたくてね。そこで、キミに声をかけたわけさ。その気があるなら、連絡をおくれ、力になるよ」

 

 「キミのような麗しい美女なら大歓迎さ」と言い残し、春狼は踵を返した。婦人も私に一礼して、彼のあとをついていく。

 私はしばらく名刺を眺めた。まさか鈴のスポンサーと出くわすとは……。ただし、向こうは私が「鈴を助けた赤騎士の操縦者」と気づいていない様子だったけど。

 

(もらっておこう)

 

 コネは役に立つ。それも大企業の社長となればなおさら。

 私は名刺をポーチにしまい、本来の任務――「スコールの捕獲」に回帰した。

 

(さて、スコールを連れ出すにあたって、まず彼女を無力化しないと――)

 

 私はその“彼女”を網膜ディスプレイに投影した。

 

<オータム:本名アレックス・グレンジャー。日系アメリカ人で、カリフォルニア州出身。家族構成は父母姉。元アメリカ海軍。アメリカの『G.I.J』プログラムではトップクラスの成績を修めている。経済的徴兵者>

 

 彼女はスコールの恋人で、専用機も所有しているという。

 恋人という立場からスコールを黙って連れ出させてはくれないだろう。というわけで――

 

(作戦遂行のために、オータムは無力化させてもらう)

 

 しかし、潜入したホテル<モンド・グロッソ>は30階建てで、部屋数は300を超える。屋内プールやカジノなど、娯楽施設も備わっており、その敷地は広大だ。そんな場所から女一人を探し出すのはなかなか骨が折れる。

 とはいえ、事前に彼女のプロファイリングをしたので、いそうな場所には心当たりがあった。

 私は回遊していた会場をあとにして、プロファイリングが導き出した候補のひとつ――カジノに向かうことにした。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 喧騒と歓喜。到着したカジノベースでは、小難しい話に飽きた同伴者たちが、ギャンブルヘロインの分泌を楽しんでいた。

 同伴者(プレイヤー)の大半が富豪の恋人だったり、伴侶だったりするから、レートもかなり高く設定されているようだ。賭け額がバカみたいに高いから、会場の一喜一憂が凄まじい。

 

「イーリスがいたら、はしゃぎそうですね」

 

 私の元同僚は無類のギャンブル好きで、途轍もなく“引き”が強い。そのせいで、私は彼女にポーカーで勝った試しがない。負け額の500ドルも取られたままだ。

 だが、今日の私はツいていた。ブラックジャックのテーブルにオータムの姿を見つけられたからだ。しかも、一人ときた。ただ負け越しているのか、眉間のしわは穏やかじゃない。親のディーラーも暴れ出さないか冷や汗を流している。

 そんな親から配られた彼女の手札を、私は遠くから盗み見た。

 

(Qと7で17か)※ブラックジャックでは、K、Q、J、は数字の10扱い。

 

 ブラックジャックは親より21に近い合計点数をそろえるゲームだ。

 オータムの点数は【17】。この点数で親に勝つことは難しい。ルール上、親は【17】以上でしか勝負できないからだ。親のバースト(【21】を超えること)に賭けるか、あるいは新たにカードを引いて点数を増やすか。

 オータムはずっと迷っている様子だった。

 そこで私は近くにいたボーイを呼び止め、いい額のチップを握らせて、ディーラーに言伝を頼んだ。そのボーイがディーラーに耳打ちしたのを確認し、オータムの元に向かう。

 

「引くべきか、迷っているようですね」

 

 隣の席で頬杖つく私を見て、オータムは怪訝な顔をした。

 

「なんだ、てめぇーは?」

「貴女の勝利の女神だと言ったら、笑います?」

 

 オータムはフっと微笑をもらした。満更でもない顔だ。

 

「だったら、あたしに勝利をもたらしてくれ、そしたら信じてやるよ」

「わかりました。では、カードを引いてみてください。――危険を冒した者が勝利するものです」

 

 その言葉に何か感じたのか、オータムはテーブルを叩いた。一枚よこせ、という合図だ。それから配られたカードを確認し、今度は掌の水平に向けて振るう。これは勝負するという意味だ。

 

「では、オープン」

 

 ディーラーが宣言し、オータムを含めたプレイヤーが手札を公開する。

 ディーラーの合計点数は【20】だった。これに他のプレイヤーは肩を落とす。しかし、オータムは、

 

ブラックジャック(21)だ」

 

 【ダイアの4】を引き当てていた。これでオータムの一人勝ち。

 ま、実際は、私がディーラーにチップを掴ませて勝たせたのだが。男性賃金が下がる一方の男卑社会じゃ、チップは男性の貴重な収入源だ。額が額なら、たいていのことは融通してもらえる。

 私が会場に武器を持ち込めたのも、情報部が事前に従業員を買収したからだ。人間の生活水準と倫理意識(道徳意識)は比例をする。

 

「ね?」

 

 得意げな貌をすると、オータムは楽しそうに掛け金を集めた。

 

「ああ。おまえは勝利の女神だ。――でも、どういうつもりだ? もしかして分け前よこせとか言うじゃないだろうな?」

「いいえ。これは私の気まぐれです。勝利の女神は総じて気まぐれなのです」

「ふんっ。食えない女だな」

 

 言ってまた楽しそうに笑う。

 彼女の警戒心が緩んでいるのを感じた私はさらにこう言った。

 

「代わりと言っては何ですが、一杯、付き合ってもらえません?」

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 カジノをあとにした私たちは、地中海を一望できるホテル内のバーにやってきた。

 薄明りの照明とカクテルの甘い香りが演出する空間は、大人の世界だ。そこで私とオータムはテーブルを囲み、グラスを交わしていた。とはいっても、私は任務中だから飲む振りをしている。逆にオータムはカジノでの勝利を祝すように、バーボンを煽っていた。

 

「やっぱり勝ったあとの一杯は格別だな」

「その“格別な一杯”を味わえたのは、私のおかげだということを忘れないでくださいね」

「わかってるよ。――にもしても、おまえは何者だ? おまえが言った『危険を冒す者が勝利する』はイギリスの特殊部隊のモットーだ。あたしは元アメリカ兵だったから、そちらの方面に詳しいが、おまえは軍人のように見えねえ」

「ええ、私は軍人じゃありません。もちろん、本物の女神でもありません。ちょっと出のいいだけのイギリス人です」

「確かに、おまえは知り合いのイギリス令嬢に似ている気がするな」

 

 ローズマリーのことだろうか。

 現在、ナノテクを用いたプロジェクションマッピングで髪を黒色に染め、ソフトウェア型変声機で声を変化させている。瞳には紫紺の特殊カラコン。メイクも施しているので、一見しては“わたし”と判らないはずだが。

 おそらく、正体に気づいているわけではないだろう。そう判断した私は、あたかも何も知らない体を装って続きを聞いた。

 

「どんな女性なのですか? そのイギリス女とは。もしかして恋人だったり?」

 

 私の質問に、オータムはすこし驚いた顔をした。

 

「恋人だと? もしかしておまえ、あたしが同性愛者だと知って?――じゃあ、おまえもか?」

「そんなところです。で、その女性とはどのような関係で? やはり恋人だったり?」

「ちげーよ。いけすけない上司さ。いつもあたしにくだらない命令をするんだ。この前はメイド服を着させられてな。その前は知り合いのガキンチョに自転車の乗り方を教えってやってくれ、だ」

 

 まったく英国令嬢の考えることは理解できない。そんな口振りでまた酒を煽る。

 

「だが、おまえに似て綺麗な女だよ。品格もあるし、仕事もできる。でも、これがまたひでぇシスコンでよ。部屋は妹のお人形だらけってウワサだぜ」

 

 姉の趣味を聞き、私の背筋が冷たくなった。え、私の人形とか持っているんですか……?

 

「どうした。急に顔色が悪くなったぞ?」

「いえ大丈夫です」

 

 私がその妹です。といえるわけもなく、私は『続けてください』と言った。

 

「でも、あれはあれでイイ姉ちゃんだよ。あたしの姉貴は、くそったれたアバズレだったからな」

「くそったれた、アバズレ……。どんな人だったのですか? あなたの姉というのは?」

 

 興味本位の質問に、オータムは顔を伏せた。思い出したくない記憶なのか、口をつぐむ。

 けれど、アルコールの成分が彼女の口を緩くした。

 

「あたしが気に入らねえって、自分の恋人にレイプさせようとするような奴さ」

「……姉の憂さ晴らしのために、あなたはレイプ被害者にされかけた、と」

「酷い姉だろ。そんな姉だったが、親父やお袋には愛されていた。将来が有望だったからな」

「あなたは?」

「バカだったあたしは家族の鼻つまみ者だった。そういう理由で、ほとんど追い出されるかたちで家を飛び出したんだが、まあ、バカなあたしに社会は優しくなくてよ。食いっぷちも見つからず、気づけば社会のふきだまりで、下流オンナ(チンピラ)のように男の金銭をカモる毎日さ」

「だから、兵隊になった?」

「ああ、あたしは経済的徴兵者ってやつだ」

 

 冷戦の軍備競争で兵士の需要は増した。そこでアメリカは軍の福利厚生を充実させ、経済的に貧しい人間が食いっぷちを求めて兵隊に志願するよう誘導した。そうやって兵隊になった人間が経済的徴兵者。形式上は志願兵だが「相手の経済状況につけこんだ徴兵」といわれており、そう揶揄されることが多い。

 そして、社会的おちこぼれを一端の兵隊にする訓練プログラムは『G.I.J』と呼ばれた。

 その『G.I.J』によってオータムは更生したが、ふきだまりにいた頃のチンピラ気質はまだ抜け切っていないようだった。

 

「わりー、会って間もねえのに、辛気臭せー身の上話をしちまったな」

 

 オータムは素面に戻ったように苦笑する。私は「いいえ」と答えた。

 

「話を戻すが、なんだ、アイツと姉貴を比べると、アイツがどれだけ妹想いな姉かわかるってことだ。――まあ、その妹とは生き別れちまったらしいがな」

「……生き別れ、ですか」

 

 その生き別れた妹が、自分を偽って他人から姉の話を聞いている。あまりに奇妙でシュールな状況に、普段ならきっと笑い出していただろう。けれど、脳裏を掠めたシンプルなある疑問がそれを妨げた。

 

 ――そもそも、なぜ私とローズマリーは生き別れたのか。

 

 何がどうして、こうも立場が違ってしまったのか。同じ胚から生まれたのに。

 ……いや、今は考えないでおこう。ルーツを知るためにココにきたわけじゃないのだから。

 私は頭から疑問を追い出し、意識をオータムに戻した。

 

「それから、おまえとは関係を持てない。あたしには大事な恋人がいるんだ」

 

 スコールを想ってか、オータムがしおらしく頬を赤める。

 乙女みたく恥じらうオータムが可愛くて、私の悪戯心が顔を出した。

 

「言わなければバレませんよ?」

「いや、ダメだ。スコールは裏切れねえ」

 

 悪魔のささやきにも、オータムの心を揺れ動かなかった。

 

「あいつは粗暴なあたしを蔑まず、受け入れてくれたんだ。そりゃ嬉しかったよ。だから、感謝つーか、そういう意味で、地中海のクルージングに誘ったんだ。そしたら『よい思い出にしましょうね』なんて言ってくれてさ。その時の笑顔が可愛いったらなくてよ、へへへ♡」

 

 聞いてもいないのにべらべら語り出した挙句、勝手に赤面するオータム。

 あ れ 、 私 も し か し て 惚 気 ら れ て る ?

 

「もちろん、可愛いだけじゃないんだぜ。抜群にスタイルもよくてさ。それを褒めると『好きにしていいのよ?』って微笑むんだ。その笑顔がまた綺麗でよ。あんなイイ女は他にいねえよ。――って、なに言わせんだよ、恥ずかしいだろ♡」

 

 あなたが勝手に言っているんでしょ。と込み上げてくるが「ごめんなさい」と笑顔で取り繕う。

 そんな自分に酷く虚しさを感じ、気が滅入ってきた。

 はぁー、何が悲しくて、ヨーロッパまできて敵の惚気話を聞かなきゃいけないのだろうか。

 

「ん、どうした」

「いえ、なにも。――そんなに想う人がいては、諦めざるを得ませんね。では、せめて貴女と出会えた記念に一杯奢らせてください。それで貴女を諦めましょう」

「ああ、悪いな」

 

 オータムが肯くと、私はカウンターに向かい、おかわりのバーボンを注文した。

 注文の品を受け取り、それに持っていた睡眠薬をそっと溶け込ます。

 

「おまたせしました」

 

 私が手渡したバーボンを、オータムは気分よく飲み干した。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 睡眠薬で眠らせたオータムを自室へ運び終えたあと、私は自室で備え付けられたインスタントコーヒーに湯を注いだ。沸き立つビターな香りが緊張を解してくれる。私は「ふぅ」と一息入れた。

 

「これで第一関門はクリアですね」

 

 コーヒーを手に背後で眠るオータムを見遣る。現在、リア充は爆発、じゃない爆睡中だ。睡眠薬の効果で当分は目を覚まさないだろう。だが、用心して手錠で拘束しておいた。これでもう任務遂行の障害にはならない。

 

「さてと」

 

 私はオータムの私物をあさった。

 まず趣味の悪そうな蜘蛛のネックレス――専用機の待機形態――を特殊なケースに入れる。このケースは外部からISを隔離するアイテムだ。この中に入れておけば、遠隔操作でもISを展開できなくなる。

 次にバックから携帯電話とカードキーを拝借した。

 

「大体、こんなもんでしょうか」

 

 目ぼしいものを漁り終えたところで、オータムの携帯電話を操作してスコールへ繋ぐ。

 オータムになりすまして、居場所の聞き出すのだ。

 

「スコール、あたしだ」

『あら、オータム、どうしたの? カジノはもういいの?』

 

 変声機を使用したので、スコールに疑う様子はなかった。

 

「ああ、ボロ負けしちまってな。今、引き上げたところだ。そっちは何している?」

『今、自室でシャワーを浴びていたところよ』

「そうか。じゃあ、ちょっとぶらぶらしたらそっちにいくよ」

『わかったわ。待っているわね』

 

 通話が切れる。私はカードキーを見た。部屋番号はA104とある。私の記憶が正しければ、このホテルで一番いい部屋だ。それはどうでもよかったが、スコールの部屋が分かったのは、ありがたい。

 

(……正念場ですね)

 

 私は装備を最終チェックして、再びエレベーターに乗った。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 最上階に到着したエレベーターがチンと鳴る。私はA104と刻まれたプレートのまえまで赴き、ドアをノックした。

 しばしして、バスローブ姿のスコールが出てくる。

 鮮やかな金髪。妖艶な唇と聡い瞳。セレブ然とした美貌は、ローブでさえ隠しきれない圧倒的な色気を放っている。これが同性をも魅了する色気なのだろう。かといって、いつまでも見惚れてはいられない。私は気を引き締めなおした。

 

「初めまして、ミス.スコール・ミューゼル。私はレイシーと言います」

 

 私はよく使う偽名を口にした。

 

「こんばんわ、レイシー。私に何の用かしらん?」

「実はこのホテルにあの<ヴァルキリー>がいると、カジノにいた女性から聞きまして。ぜひお目にかかりたいと思い、訪れた次第なのです。もしよろしければ、すこしばかりお時間を頂けないでしょうか?」

 

 スコールはゆったりとした物腰で、「そうねぇ……」と私の瞳を覗き込んだ。

 思わずスコールの聡い瞳から顔を逸らしたくなるが、不審に思われかねない。私は背筋に冷や汗をかきながら、彼女の眼力にぐっと堪える。

 

「いいわ。お入りなさい」

 

 スコールがドア先から退き、部屋への通路を空ける。

 それに内心でホッと安堵する。なんとか最初の難所は通過できたようだ。

 

「ありがとうございます!」

 

 動揺を悟られないよう、興奮を装って部屋に入る。

 スコールの部屋は私の部屋と比べ、2倍以上の広さがあった。さらに地中海を一望できるバルコニーまで備えられている。私が招かれたのは、そのバルコニーだった。

 

「何か飲む? お酒はどうかしら?」

「いえ、水か何かを」

「ふふ、わかったわぁ」

 

 スコールは柔らかに笑い、部屋に備えられた冷蔵庫へ水を取りに行く。

 その後ろ姿に、ARがスコールの情報を貼り付けた。

 

 <スコール・ミューゼル:オーストラリア出身の元イギリス代表。<砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)>の異名を持つ<ヴァルキリー>。引退後、現役時代に得た知識と経験を活かしてIS関連の事業を起こす。

 両親は母が海洋学者、父が環境学者。

 ミューゼルは、超能力を遺伝に持つ特異な血筋とされる。とりわけ発火能力(パイロキネシス)の発現者が多く、過去に3件、友人の家を全焼させてしまった経歴あり>

 

土砂降り(スコール)という名前は、この火災体質を慰める『火消し』の意味合いがあるのでしょうか)

 

 と、私が陳腐な同情に浸っていると、スコールが水を手に帰ってくる。

 そして、持ってきた水をコップに注ぎ、私の正面に腰を下ろした。

 

「ところで、私を訪ねてきたということは、あなたはISの操縦者なのかしら?」

「はい。そこで是非、あなたが<砂漠の逃げ水>と(うた)われる(いわ)れとなった戦術論を語って頂ければ、と思うのです」

「でも、私が<ヴァルキリー>だったのは昔の話。過去の栄光よ。今は現役を引退した身だし、私の古い戦術論なんて、参考にならないかもしれないわよ?」

 

 思いの外、謙虚で驚く。どうやら、彼女は武勇伝を得意げに語るタイプではないようだ。

 私が『そんなことありません』と言うより早く、スコールは続けた。

 

「代わりといってはなんだけど、今、最も強いIS操縦者の秘密を語ってあげましょうか?」

 

 スコールは祈るように組んだ手をテーブルにおき、妖艶に笑った。

 

「そう、イギリスの国家代表にして織斑千冬(<ブリュンヒルデ>)の再来と謳われた女性。ローズマリー・ライオンハートの秘密についてね。――知りたいでしょ、レイシー? いえ、アリス・リデル」

 

 土砂降りの雨に遭遇したかのような急展開に、私は心臓を鷲掴みされた気分になった。

 

 




経済的徴兵者
母権社会による男性待遇の悪化と無人機の普及(労働力の転置)で、男性の貧困が進む。そこで軍は高給で彼らを釣り、兵隊になるよう誘導を行った。こういった経緯で入隊した兵士の俗称。本編ではイーディスやオータムがこれに該当するが、主に男性に多く、年々増え続けている。――――が、デタントの高まりにより、現代ではリストラの対象になりつつもある。―→PMCの肥大化


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