IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
俺が目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。清潔感のある天井だ。
ここは一体どこだろうか。旅館の一室には見えないが。
そもそも俺は何していたのだったか。記憶に霜がかかってよく思い出せない。
「――――ええ。まだ貴女を受け入れるには、心の準備ができていないでしょうし。一番適任な彼女も今は<福音>の件にあたって貰っているから。――――そうね、話は私からしておくわ」
記憶の糸を辿る俺の耳に、女性の声が聞こえてきた。
それもどこかで聞いたことのある母性的な声だ。
「あの……」
俺はベッドから身を起こし、部屋の端で誰かと話している女性に声をかけた。
気づいた女性がこちらを向く。
「あら、目が覚めたようね」
フワリとした、でも官能的な声音が鼓膜をくすぐる。
声の主は――プラチナブロンドが優雅な女性、ロリーナさんだった。
「具合はどう? 気分は悪くない?」
「はい、大丈夫です。ところで、ここはどこなんでしょうか? 旅館じゃなさそうですが」
寝かされていた部屋には窓がなく、どこか無機質な部屋だ。所々に医療器具らしきものが設えてあるが、病院といった感じでもない。何よりロリーナさんしかいないのも気になる。
「海の中よ」
ロリーナさんはベッドの端にあった椅子に腰かけて言った。
「海の中?」
海の中とは、どういう意味だ。――と疑問に思った瞬間、断片的だった記憶が鮮明に蘇った。そうだ。俺はアメリカのISと戦っていて、墜とされて、海に!
「あの、<福音>は! 箒は! どうなって――――ぐっ!」
いきなり大きな声を出したせいか、酷い頭痛がして、包帯に血が滲んだ。
「落ち着いて、傷に響くわ」
ロリーナさんが包帯に滲んだ血をやさしく拭いてくれる。
冷静になった俺に、ロリーナさんが説明をくれた。箒とイーリスさんは無事だということ。作戦は失敗だということ。<福音>が《第二形態移行》を始めたこと。
説明を聞き終えた俺は、自分の不甲斐なさに拳を握りしめた。
「俺が撃墜に失敗したから……」
「そう自分を責めないで。貴方は自分の出せる全てを出し切ったわ。そういうこともある。それにナターシャ・ファイルスを救える手が無くなったわけじゃないわ。今、アリスがそれにあたってくれている」
「本当ですか! じゃあ、俺もアリスたちと合流して――」
「そう、急がないの。話はまだ終わっていないわ」
急いでベッドから飛び出そうとする俺を、ロリーナさんの華奢な手が止める。それを振り切りって飛び出したい衝動に駆られるが、ロリーナさんの真剣な目がそれを許さなかった。
「――それに貴方には大事な話があるの。貴方の今後を左右するかもしれない大事な話よ。悪いけれど、それを話し終えるまでは、貴方をここから出せないわ。解ってちょうだいね」
ロリーナさんの声には、有無を言わせない真剣さが帯びていた。拒否は許さない、そんな声音だ。
気づくと俺は気圧されてベッドに戻っていた。
「いい子ね。――では、まず貴方は自分の事をどれだけ自覚しているかしら?」
唐突な質問に戸惑ったが、冷静に考えて答えた。
「世界で初めてISを動かした男、ですか?」
ロリーナさんは一度だけ頷いた。
「そうね。じゃあ、それがどういう意味を持つか、わかる?」
「もしかしたら、今ある女尊男卑の世界を変えられるかもしれない?」
束さんは浜辺で俺にそう言った。
俺自身、そんな自覚とかないのだが、俺にはそれだけの可能性が秘められているらしい。
「ええ。男性の身でISを使えるあなたは、世の男性たちの希望に成り得るわ」
希望。かつてセシリアが俺に見出したものだ。
セシリアは俺を、憂鬱なこの世界を変えられる存在、<ガイ・フォークス>と呼んでいた。
ロリーナさんは置いてあったリンゴに果物ナイフを入れながら続ける。
「では、本題に移りましょうか。――私はある組織に所属しているわ。組織名は<デウス・エクス・マキナ>。組織の目的は、世界をひとつにし、人々を宇宙に進出させること。それを実現するため、私たちは現体制を覆せる貴方の可能性を欲しているわ」
「あの、ちょっと待ってください。話がよく……」
ロリーナさんの話の意図が理解できず、俺は困惑した。
俺が求められる理由はなんとなくわかる。だが、『人々を宇宙に上げようとする組織』が、何故『差別社会を引っ繰り返せるかもしれない俺』を欲するのか。その理由がいまいち結びつかない。
「考えてみて。女尊男卑という社会問題を抱えたまま、人々が宇宙に進出すれば、男性はどのような扱いを受けるか」
ロリーナさんの言葉で、二つの線が一本の線に繋がった。
今のまま人類が宇宙に進出すれば、男性は宇宙という過酷な環境での労働を強いられるだろう。今の男性は女王アリに仕える働きアリだから。それは彼女たちが目指す宇宙進出ではない。だから、ロリーナさんの組織は『女尊男卑という差別社会を覆せる俺』を必要としている。そういうことか。
「それで、俺にあなたの組織へ入れと?」
じゃなきゃ、俺をここに引き留めたりしないだろう。
しかし、思わず身構える俺を裏切って、ロリーナさんは朗らかに答えた。
「いいえ、そうじゃないわ」
思わぬ返答に俺は拍子抜けした。
話の脈絡からてっきり、組織への加入を迫られるものだと思っていたのに。
「いいんですか?」
「ええ。貴方には貴方の考えがあるでしょ? 私たちは貴方の意思を尊重するわ。それが組織の意向でもあり、あの人の意向でもあるの。――はい、どうぞ」
ロリーナさんはウサギ型に切り分けたリンゴを、俺に手渡す。
緊張続きで喉が渇いていた俺はありがたく頂いた。
「じゃあ、なんで俺にこんな話を?」
「私たちの存在を知ってほしかった。それが一番の理由ね。貴方は良くも悪くも世界に影響を与える。その影響力を危惧して、貴方を消そうと目論む組織があるの」
不意に束さんが言っていた“俺の存在を疎む組織”の存在が脳裏を過る。
ロリーナさんが示唆する組織は、その組織のことなのだろうか。
「一体、どんな組織なんですか? その、俺を狙う組織ってのは?」
「構成、目的、詳しいことはまだわからないわ。でも、各国の政府にかなりの影響力を持っているのは確か。貴女に<福音>の撃墜を依頼したアメリカ大統領ルーシー・ファイルスも、その組織の一人よ」
それを聞いて俺の背中に冷たいものが落ちた。
アメリカ大統領が俺を狙う組織の一人? その事実を知り、俺の中で恐ろしい想像が働いた。
「もしかして、<福音>の暴走は――」
俺を狙ったものだったのか?――その言葉は、恐ろしくて紡げなかった。
だが、ロリーナさんは否定するように首を振る。
「確かにルーシー・ファイルス大統領は貴方を狙う組織の人間だったわ」
「だった?」
だった。過去形だ。というと、現在は?
「元々、彼女は女尊の風潮を強めるために祭り上げられた傀儡だったけれど、今は<彼女たち>の意向に反し、自らの意思で動いているわ。新STRATも冷戦のデタントも彼女の意思。彼女は組織を離反したの」
「どうして離反を?」
「彼女はジョン・F・ケネディーを政治の師として尊敬しているの。そんな彼女は『ウォーレン報告書』に刻まれた、ケネディー大統領が暗殺前に残した暗号<ケネディーコード>を辿って、彼が生前行おうとしていたことを知ったの。それを知った彼女は組織の離反を決意した」
「一体、何を知ったんです?」
「『火星移民計画』。ケネディー大統領は、ソ連と共に人々を宇宙に上げようとしていたの」
「それって……」
ロリーナさんたちの組織と同じ目的じゃないか。
そう、続けるより早く、ロリーナさんが頷いた。
「でも、この離反が<彼女たち>の反感を買ったみたいなの。<彼女たち>はファイルス大統領を失脚させるため、<福音>の暴走事件を演出した。軍内で不祥事が起これば、次期大統領選挙にも多大な影響が出るからね」
「大統領選挙ってそこまで大事なんですか?」
「ええ。合衆国憲法によって、就任した大統領は4年間、解任させられないの。たとえ<彼女たち>でも、失脚させることが難しい。だから、メディアを利用して彼女の醜聞を掻き立て、支持率を下げようとしているの。裏切り者への報復と粛清。それが<福音>暴走を企てた<彼女たち>の狙いよ」
俺は黙って、ロリーナさんの話を聞いた。正直、どこまでが真実なのか判らない。
荒唐無稽だとも思う。だが、嘘を語っているようにも思えなかった。
「<彼女たち>は傲慢で狡猾な連中よ。目的の為なら手段を選ばない。貴方の周囲の人間も巻き込まれるかもしれないわ。警察組織もあてにできなくなるでしょう。そんな時、別の頼れる力が必要でしょ?」
ロリーナさんの声は穏やかで頼もしく思えた。でも、俺は警戒するように答える。
いきなり『味方です』と言われて『はいそうですか』って信用するほど平和ボケしちゃいない。
「気持ちはありがたいですが、貴女たちは信頼するに足るのでしょうか?」
表情を強張らせる俺の返答を、ロリーナさんは予期していたように答えた。
「わからないわ。私たちが信頼できるかどうかは、貴方が決めることだから。私から言えるのはただ一つ。“アリスは貴方にとって信頼できる人ではないかしら?”ということだけね」
一瞬、驚きが込み上げてきたが、すぐに納得する。
薄々そうじゃないかと感じていたが、やっぱりアリスも彼女と同じ組織の人間なのか。
「私たちが信用できないなら、それでもかまわないわ。でも、あの子は信用してあげて。あの子は必ず貴方の力になってくれるわ。――――あの子はアフリカのジンバブエで生まれたの」
「ジンバブエ? インフレで有名な?」
「ええ。ジンバブエには、昔、酷い差別政策があったの。
「怨恨や怨嗟に?」
「そう。ジンバブエの大統領は国営の相次ぐ失敗で経済を破綻させてしまった。その国民の不満を逸らすため、人種差別で苦しめられた黒人を煽情し、怒りの矛先を反らそうとしたの。その所為で彼女の両親は、焚き付けられた黒人によって殺害されてしまったわ」
俺も両親が蒸発した身だから、そうそう他人の不幸に同情なんかしたりしない。
けど、彼女の想像を絶する生い立ちに、俺は失語を禁じ得なかった。
「――そんな過去から、アリスは今ある女尊男卑という差別社会に対して強い危機感を抱いているわ。差別は迫害を生み、迫害は虐殺を生む。そうやって生まれた怨嗟や怨恨は、罪のない子供たちを不幸にする。そんな事はあってはならない。だから、アリスはあなたを命がけで守ろうとするわ。そんなアリスの力になってあげてほしいの」
「アリスの力に、ですか」
俺は自分の掌を開き、その手をみつめる。自分に何ができるのか。何をすべきなのか。
それはまだ判らない。だけど、俺の中に決意のような強い感情が芽生え始めていた。
「――さて、“大事なお話”はこれでおしまい。次は貴方の相棒の話をしましょうか」
相棒という言葉を聞き、俺は右手に<白式>がないことに気づいた。
「<白式>のところに案内するわ。いらっしゃい」
ロリーナさんは椅子から立ち上がり、白い手を俺に差し出した。
♡ ♣ ♤ ♦
部屋から連れ出された俺は、狭い通路にやってきた。薄暗く、見通しも悪い通路だ。
俺は改めて自分のいる場所に疑問を持った。
「そういえば、ここはどこなんです?」
今さらな質問に、ロリーナさんが歌うように言った。
「潜水艦の中よ♪」
潜水艦。ロリーナさんが言った“海の中”とは、そういう意味だったのか。
どうりでさっきから窓がないわけだ。通路が異様に狭いのも、その関係だろう。
「正式名称は超静穏多目的潜水艦ウォルラス級一番艦<ウォルラス>。超伝導推進とPICを応用したベクトル推進で泳ぐ、世界で最も静かな潜水艦よ。この艦はもうじき作戦海域に入るわ。騒音規制が布かれているから、静かにね」
ということなので、俺は声をひそめながら、ロリーナさんに訊いた。
「この艦はこれから戦闘をするんですか?」
「そう。動けない米軍の代理としてね」
「動けない?」
「ええ。福音の開発は極秘で行われた。その福音のシステムに干渉し、暴走を引き起こせる人間がいるとしたら、米軍内部の人間に限られる。つまり、米軍内部に<彼女たち>の
「じゃあ、俺たちに<福音>撃墜の依頼をしてきた本当の理由も?」
「米軍内部に<彼女たち>の工作員がいると知っていたからでしょう。ISの暴走は早急に解決すべき懸案だけど、迂闊に軍を動かせば<彼女たち>の思う壺。だから、自軍ではなく外部の信頼できる相手に、この案件を依頼しないといけなかった」
そこで白羽の矢が立ったのが――――アリスか!
確かにアリスは元米軍で、ナターシャさんに恩を感じている。信頼できる相手だろう。
でも、それはあまりにも虫が良すぎないか? アリスから親友を奪ったのは米軍だろ?
いや、今はそういう事を責めている状況じゃないな。
「ファイルス大統領の代理として、私たちが福音の暴走を止める」
「じゃあ、俺もそれを手伝わせてください」
「いいの? また怪我をするかもしれないわよ?」
「かまいません。傷は男の勲章ですから。それに<福音>を墜とせなかったこと、箒の暴走を止められなかったこと、どちらも俺の責任です。――だから、男としてけじめをつけにいきます」
自分に与えられた責任を果たさないまま退散だなんて、男が廃るってもんだ。
決意を告げた俺に、ロリーナさんは小声で『う~ん、あと5年早く生まれてきてくれたらよかったのに』なんて言った。ん? どういう意味だ?
「あの、ロリーナさん?」
「うふふ、何でもないわ。そういうと思って準備しておいたわ。いらっしゃい」
ロリーナさんに連れてこられたのは、工場のような広い場所だ。
艦の格納庫だろうか。様々な機材や航空機が置かれていて、中にはISまであった。
「――貴方の相棒はこっちよ」
ロリーナさんに連れられ、俺は格納庫の一角に案内される。
案内された先にでは、俺の相棒――<白式>がハンガーに掛けられていた。
しかし、今までの<白式>とは姿が違う。左手には<赤騎士>の《第二形態》が装備していた多機能武装腕が備わり、ウィングスラスターは大型化していて、より翼らしくなっていた。
「これは……」
「<白式>の《第二形態》、<雪羅>というそうよ。彼女がそう言っていたわ」
「彼女?」
《わたくしのことです》
<白式>から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「え、えっと、いましゃべったのは?」
「<白の女王>。<赤の女王>と同じ
「なんで<白式>に<赤騎士>と同じAIが?」
「私からのささやかなプレゼントよ。《形態移行》したことで、火器制御や姿勢制御が以前より複雑化してしまったから。今の貴方には荷が重いと思って、操縦者を支援するAIを積ませてもらったわ」
そうなのか。まだIS操縦者として日が浅い俺にとって、それは多いに助かる。
「ありがとうございます。じゃあ、音声がアリスなのはロリーナさんが?」
そう、目の前の<白式>から発せられる音声はアリスのものだった。
「いいえ、声は<ホワイトクイーン>が選んだみたいよ」
《“対話”の結果から、この音声がダーリンの士気向上に繋がると思いまして》
「そんなことはないっ!」
恥ずかしくなった俺は思わず叫んだ。その隣でロリーナさんが可笑しそうに笑う。
さらに恥ずかしくなった俺は、さっきよりも大きい声を出した。
「てか、対話ってなんだよ! おまえと話すのは、今が初めて――」
初めて?――いや、違う。俺は彼女と話したことがある。
というか、なぜ気づかなかったんだ。彼女は――
「夢で話したあの白い少女は、おまえなのか?」
《Yes My darling――正確にいうとダーリンが見た夢は、私が作った電脳世界です》
夢の真実を聞き、俺はさらに恥ずかしくなった。
俺はあの世界を夢だと勘違いし、アリスのことをいろいろ話してしまったのだ。
《ちなみに、ヒューマンインターフェースのモデルにアリスさまを起用したのは、ダーリンが一番警戒なく接せる相手だと判断したからです。おかげで円滑に“対話”を進められました》
「わぁー! わかった、わかったから、それ以上、しゃべるな!」
もう、顔から火が出そうだった。AIに内心を暴露されるって、どんな拷問だよ!
「あと、<ホワイトクイーン>、できればその声もやめてくれ!」
《なぜでしょうか? お気に召しませんでしたか?》
「いや、そうじゃないんだけど……」
AIの音声がクラスメイトの声だなんて知れたら、きっと白い目で見られる。
しかも俺の事を『だーりん』って呼ぶんだぞ。間違いなく俺は痛いヤツだ。
「とにかく、その声はやめてくれ。変更だ」
《変更ですか……。意外と気に入っているのですが》
「それでも変更だ。他の声を当ててくれ。じゃないと俺の沽券にかかわる」
《……どうしても?》
「どうしてもだ」
《残念ながら、一度設定されると以後変更はできないのです》
「うそつけ、<レッドクイーン>はころころ声を変えていたぞ」
《……ちっ》
「おい、今舌打ちしたろ!」
なんなんだ、このAIは。人のいうことを全然聞かないじゃないか。
「ふふ、おかしいわね。初期の<レッドクイーン>を見ているみたいだわ。――さて、もう少し見ていたいけど、そろそろ時間ね。一夏くん、そろそろ出撃の準備をしてもらえるかしら?」
「あ、はい、わかりました」
新しくなった<白式>を簡単に確認し、装着を開始する。再フィッティングのあと、システムを起動。すると、OSの画面で白いウサギ耳少女が≪Welcome to the Infinite Stratos≫というプラカードを掲げた。なんだこれ、かわいいな。
「<白式>のOSを変更させてもらったわ。詳しいシステムの変更点については<ホワイトクイーン>から聞いて。一夏くんは、あそこの一番エレベーターで待機よ。指示があるわ」
「わかりました」
急激に慌ただしくなった格納庫を、人とぶつからないように進む。
≪No1≫と書かれたベースに移り、俺はステータスパネルを開いて最終チェックを行った。
「そうだ、新装備のデータを見せてくれ。今の内に把握しておきたい」
《Yes My Darling――どうぞ》
<ホワイトクイーン>が言うと、前面に小手みたいな装備が3Dで浮かび上がった。
新しく追加された装備――多機能武装腕《雪羅》は、その名に相応しく『射撃モード』『格闘モード』『防御モード』という三つのモードを持つようだ。
「にしても、名前が《雪羅》とはな」
雪羅というのは、現役時代の千冬姉の異名だ。雪のような刀身を持つ《雪片》を修羅の如き強さで振るったことに由来するそうだ。それをこんな形で受け継ぐとはな。
俺が感慨に耽っていると、通信ウィンドウが開かれた。
通信相手はロリーナさんじゃなく、見知らぬ黒髪の女性だ。
『織斑一夏くんね。私は艦長のベルベット・カーペンターです』
女の人が潜水艦の艦長さんなのか。珍しいな。基本、潜水艦は父権社会だと聞くけど。
この艦がISである事と関係しているのだろうか。きっとそうなのだろう。
『今からあなたをIS専用の
「わかりました」
『では、ご武運を』
通信が切れ、今度は別の声が響いた。管制官の声だ。
『射出シークエンス開始。第一VLSカタパルト、リニア・ボルテージ上昇。700を突破。ハッチ解放。進路クリア。射出タイミングを織斑一夏に譲渡します。どうぞ』
「はい、織斑一夏、<白式・雪羅>いきます」
視界の端にあった赤色の≪STANDBY≫パネルが黄色の≪READY≫に変化したことを確認し、俺は打ち上げ用の最終シークエンスを了承した。パネルの表示が≪LAUNCHAR≫に切り替わる。
『
管制士官の言葉と共に、エレベーターがリニアの力で急加速を始める。
そのすさまじい加速に意識を持って行かれそうになるが、なんとか耐えて海面に飛び出す。水平線の向こう側では、夕日が沈もうとしていた。そこに仲間がいる。
「<ホワイトクイーン>、俺には守りたい人がいる。俺に力を貸してくれ」
《Yes My darling――御心のままに》
「ありがとう。――じゃあ、行くか!」
俺は新しくなった力を引っ提げ、戦場へと飛びだった。
♡ ♣ ♤ ♦
松の間。学園の特務任務につき、自室待機を命じられた一般生徒たちは暇を持て余していた。
持ってきた遊具も遊び飽き、やることのなくなった生徒たちは、猥談に花を咲かしていた。
「ねえ、ねえ、特務任務ってなんなのかな?」
「さあ? でも、なんかヤバそうな感じだったよな」
「うんうん、先生たち忙しそうだったし。――更識さんはなんか知っているんでしょ?」
急に話を振られ、部屋の隅っこで膝を抱えていた簪は肩を躍らせた。
「え? あ、……ご、ごめん。……守秘義務、あるから」
「ええー。大丈夫だよ、ばれないって。だから、教えてよ」
「……ごめん。……口外にできないから」
「ええー、いいじゃん。ケチ!」
申し訳なさそうに視線を外す簪に、尋ねた女子生徒が唇を尖らせる。
けれど、頑な簪に彼女は問い詰めるのをやめた。
「まあ、いいや。てかさ、更識って代表候補生だよね? 何でここにいんの?」
「それは……」
聞かれたくない質問に口籠る。別の場所から声が上がった。
「あれじゃない? 更識さん、専用機が完成してないからでしょ?」
「そっか、そっか。なるほどね」
合点がいくと、その女子生徒は掌を叩いた。その後ろで簪が小さく唇を噛む。
彼女たちに悪気はないのだろう。だが、居心地の悪さをどうしようもない。
そのあと、場の流れで『更識さんも人生ゲームやる?』と誘われたが、彼女たちの垢抜けた雰囲気についていけなかった簪は『……いい』と断り、また一人部屋の隅で膝を抱えた。
(……アリスたち、無事、かな?)
作戦内容は知らないが、どうにも長引いている気がする。
きっと作戦が難航しているのだろう。そう思うと不安でいっぱいになった。
(……もし私が作戦に参加していれば……)
と、思うが直ぐに打ち消す。それは思い上がりの過大評価だ。臆病な自分が参戦したところで、何かが変わるはずもない。自分はあの人と違って弱い生き物だから。
(だけど……)
アリスのために何かしてあげたい、とは思う。
姉と比較さられるのが憂鬱で、人との関わり合いを最小限にしてきた簪の交友関係は狭い。また人見知りも一役買って、学園にも友人がいない。そんな簪にとって、アリスは学園でできた初めての友人だった。彼女は自分の専用機開発のために、いろいろ尽力してくれた。そのアリスに何かしてあげたい。
大勢の役には立てなくても、一人の少女のためなら、何か役に立てるだろうか。
簪は中指の指輪――<打鉄弐式>の待機形態に視線を落した。
サファイヤを思わせる青い宝石がキラリと光る。そう、まるで『いくか?』と問うように。
♡ ♣ ♤ ♦
結局、<福音>のシールドを解除する方法は見つからなかった。そこで千冬は最大火力を以って、これを強行突破する力技に打って出ることにした。
その要員に選ばれたアリスと箒が、先行して<福音>補足可能距離まで移動している。
「しかし、試作パッケージをぶっつけ本番で使うことになるとは思いませんでしたね」
現在、<赤騎士>の右肩には大型のガンランチャーが装備されている。
このガンランチャーは単独でも使用できる武器であったが、僚機を接続することで、より強力な砲撃が可能になる。それが現状の最大威力を有していたため、<赤騎士>が選抜され、同時に高いジェネレーターの出力を持つ<紅椿>がその僚機に選ばれたのだ。
「なあ、作戦開始前にひとつ聞いていいか?」
目標補足まで200m。
ガンランチャーの有効射程距離までやってきたところで、箒が言った。
「なんでしょう」
「おまえは何のために戦っているんだ?」
アリスは軍人でもなければ、代表候補生でもない。国家のためでもなく、己が名誉のためでもなければ、彼女は何のために戦っているのか。愛しい彼を惹きつけて止まない彼女が戦い続ける意味とは何なのか、箒は聞かずにいられなかった。
「私は両親や親友、たくさんの人から愛情と優しさを分け与え貰いました。こうして生きていられるのは、そういう人たちのおかげです。私には返すべき恩がある。けれど、見ての通り私は戦うことしかできない女です」
束博士のように知力があるわけじゃないし、セシリアのように財力があるわけじゃない。
自分にあるのは武力という戦う力だけ。
「そんな私でも戦うことで、救える命がある。私が戦うことで誰かを救えたのなら、それは自分を生かしてくれた人たちへの恩返しになる。――そのために戦っています」
誰かに生かされてきたから、今度は誰かを生かすために戦う。
ガンランチャーの調整を行うアリスの背後で、箒は理解した。
そうか。そうだったのか。多くの人を活かし、生かすことが、自分を想ってくれたことへの恩返しになる。すなわち彼女の剣は一殺多生の活人剣。
「篠ノ之さん、恩義や感謝とか、私に特別な感情を持つことはありません。ただ、誰か分け与えてもらえたなら、あなたも誰かに分け与えられる人になってください。――では、状況を開始します」
背中で力強く語り、アリスはウェポンコンソールを開いた。
「<レッドクイーン>、《ハイメガランチャー》を使います」
《Yes My honey――《ハイメガランチャー》準備。拡張バレル展開》
<レッドクイーン>の声と共に《ガンランチャー》の内部に折り畳まれていた砲身が駆動して二倍まで延長される。さらに後部のボックスが開いて、ソケットとトリガーが飛び出した。
そのソケットに箒が<紅椿>のパワーケーブルを接続する。
次にステータスコンソールを開き、<赤騎士>への専用供給バイパスを構築した。
(私も彼女のようになれるだろうか?)
箒は拳を強く握りしめる。その手は“再び同じ過ちを犯すのではないか”と震えていた。その手をもう一つの手で抑え込む。その様子を一瞥もせず、アリスが言った。
「大丈夫ですよ。――あなたならきっとなれる」
「ああ、ありがとう、アリス」
その力強い言葉に後押しされ、箒は《ハイメガランチャー》のトリガーを握った。
そこに『もう戦わない』と怯えていた彼女はいない。彼女は自らの弱さを認めた上で、強くなることを決めたのだろう。葛藤を乗り越え、覚悟を決めた箒は戦士の貌をしていた。
《コネクト完了。
「篠ノ之さん、遠慮せず、ぶっ放してください」
「わかった」
箒が《ハイメガランチャー》の引き金に指をかけ、目一杯絞る。
刹那、膨大なエネルギーを得た《ハイメガランチャー》が極太のエネルギーを吐き出した。
『いけえー!!』
赤を超えた紅のエネルギー奔流が海面を蒸発させながら、<福音>へ突き進む。
膨大な熱量をもったエネルギーで水蒸気が辺りに立ち込める中、紅の閃光は狙い違わず<福音>に命中した。が
「これも耐えますか!」
それでも<福音>のシールドは健在だった。おそるべき耐久力だ。
「アリス、フルパワーでいく!」
「わかりました!」
箒は<紅椿>のステータスコンソールを開き、リアクターを完全開放する。各部に割いていたエネルギーを全て《ハイメガランチャー》に回した。
これで出力は先の2倍だ。
これには<福音>のシールドにも歪が生じ始めた。
まるで鍍金が剥げるように白い破片が散り、中にいる<福音>が微かに透けて見えはじめる。
「いけるっ!」
と、突破の兆しが見え始めた時、《ガンランチャー》の砲身から煙が立ち込めた。
《ハニー、砲身の冷却が追いつかない》
<赤騎士>のウェポンコンソールには、真っ赤に染まり上がった《ハイメガランチャー》のグラフィックと警告文が浮かび上がっていた。どうやら、許容を超えるエネルギーを放出し続けたため、砲身の冷却が追いつかなくなっていたらしい。このままじゃ
「まずい、こっちもエネルギー残量が10%を切った!」
<紅椿>のステータスコンソールには、エネルギーの危険域を告げる警告が表示されていた。
このままでは《ハイメガランチャー》の出力を維持できない!
(く、あともう少しだというのに……)
けれど、これ以上の動力炉に負荷をかけ続ければ、自壊の危険もあった。
「わかりました。分離します」
これ以上の続行は危険。そう判断したアリスは、<紅椿>とのドッキングを解除した。
そして、すぐさま本部に状況を報告する
「こちら、アリス。最大出力で砲撃しましたが、<福音>は健在。<赤騎士>はエネルギーを60%消費。<紅椿>はエネルギーを90%消費」
『了解。篠ノ之は後退しろ。――残りの戦力で対応する』
「わかりました。――アリス、力になれずにすまない……」
先刻の戦闘で痛い目をみているため、この場でしゃしゃり出るようなマネはしない。
箒はGLPを変更し、機体を引き下がらせた。アリスはそれを見送り、再び通信を繋ぐ。
「織斑先生、もう総力を以って全火力を集中する他ありません」
<赤騎士>の最大攻撃でも突破できないとなれば、それ以外に打つ手はない。
もっとも、それでさえほとんど突破の見込みはなかったが。
『それしかないな。では、全ユニットへ、これより総力を以って、<福音>の《第二形態移行》を阻止する。オルコット、凰、デュノアはリデルと合流――……いや、待て』
急に言葉を切った千冬に、アリスが怪訝な顔をした。
「どうしました、織斑先生」
『いや、すまない。――全ユニットへ、先の命令は撤回だ。その必要はなくなった。繰り返す、
どういうことだ――そう思った時、夜空で何かが煌めいた。
まるで流星のように舞い降りてきたそれは――白いISだ。
「 俺 に 任 せ な ! 」
天空より舞い降りてきたのは、新たな<白式>を纏った一夏だった。