IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
午後六時半。初日の自由時間を終えた俺たちは、大宴会場で夕食を取っていた。
気になる夕食のメニューだが、刺身に小鍋、山菜の和え物、赤だしという和食だ。しかも、刺身は高級魚であるカワハギである。高校生の飯にしてはなんとも羽振りの良いメニューだ。
「夕食はお刺身ですか。一夏、この魚はなんですか?」
俺の正面に座るアリスが刺身を見て不思議そうに言った。
「ああ、これか? これはカワハギだ。高級魚なんだぜ?」
「ほう、カワハギ。初めて聞きました。で、この醤油に付ければいいのですか?」
「おう、それと添えてある本ワサをたんまりつけるとうまいぞ」
俺のアドバイスに日本人の生徒がぎょっとする。
しかし、俺を信じて疑わないアリスは、カワハギの刺身に大量のワサビを盛って一口。
「お、これはなかなか――――うッ!?」
ワサビがツンときたのだろう。それから逃れようと、謎のシャドウボクシングを始めるアリス。
おそらくワサビと戦っているつもりなのだろうけど、その程度でワサビの辛さから逃れられるはずもなく、目からは漫画みたい涙があふれ出していた。くく、まさか、こんなにうまくいくとはな。
「もう、ちょっと、一夏やりすぎよ。――はい、アリス、
と、隣の鈴がアリスに透明な液体の入った小瓶を渡す。
それを水だと思ったアリスは『ありがとうございます』と一気に飲んで、
「ぶっ!」
大層に吹き出した。まあ、そうなるわな。酢だし。
「ふぇー、りん、謀りましたね……」
ワサビと酢のダブルパンチを受けたアリスの顔は涙と涎でぐちゃぐちゃだった。
そんな見るも無残な様相を呈すアリスを見かねたのはラウラだ。ラウラはどんと箸をおいた。
「お前ら、人の嫁に何てことをするんだ! 嫁が酸っぱいではないか! ケホケホ」
「ホントだよ。――ほら、アリス、これで涙と涎を拭いて。綺麗な顔が台無しだよ?」
涙と涎でぐちゃぐちゃになったアリスの顔を、シャルロットが綺麗に拭やる。
それを見届けてから、ラウラが鬼の形相を鈴に向ける。
「常々思っていたが、貴様の嫁に対する悪ふざけは看過しがたい」
「だったら、何? あたしとやる気?」
「もちろんだ。やられたらやり返す。報復攻撃は国際社会の常識だ。――くらえ!」
「ああ! あたしの小鍋に大量の酢が! ケホケホ、これじゃもう食べられないじゃない!」
小鍋から立ち上る酸味に俺まで咽せる。こりゃ、もう食うのは無理かもしれないな。けほけほ。
「ふふ。嫁を泣かした報いだ。存分に咽び泣くがいい。ケホケホ」
てか、おまえまで咽てどうする。報復には自分も痛みを伴うと言いたいのか。
「もう、あったま、きた!―― 一夏ちょっと手を貸しなさい。ドイツを泣かすわよ」
え、ここで日中同盟かよ。
火種を投げたのは俺だが、これ以上戦火を拡大させる気はないぞ。
「ドイツに制裁を加えて、賠償として小鍋を徴収してやるんだから」
「ふん、私が共産主義のネコに負けるものか。さっさとかかってこい」
ラウラもラウラでいらん挑発をするな。てか、共産主義のネコってなんだ。
ともかく両手に持った醤油を下せ。食卓を血の海、じゃない。醤油の海に変えるつもりか。
「おい、お前ら!!」
鈴とラウラが醤油を持って睨み合っていると、大宴会場のふすまが勢いよく開いた。
入ってきたのはご立腹な千冬姉、改め、織斑先生だ。
「お前らは、静かに食事をすることができんのか!!」
『ひぃー国連がきたー!』
千冬姉の怒声に鈴とラウラが抱き合って震えあがった。
うん、千冬が国連か。言い得て妙だな。誰も逆らえないという意味で。
「まったく、おまえらときたら……。織斑、凰、罰として刺身をリデルにくれてやれ」
ええー! そんなぁ……!
今夜のメインディッシュを、高級魚のカワハギを、か!
「い・い・な?」
鋭い目付きで睨まれ、俺と鈴はアリスに多額の
今回の教訓、食べ物で遊ぶな。
しっかし、まさかメインディッシュのカワハギを失うことになろうとは。こんなことなら先食っておけばよかったぜ……。
「一夏、カワハギっておいしいですね。おいしいですね。本当に美味しいので二回言いました、てへへぇ」
く、アリスめ、完全に見せびらかしながら食ってやがる。ちきしょーめ。
「一夏さんたら、そんなに食べたいのでしたら、わたくしのお刺身を差し上げましょうか?」
俺が箸をガリガリ齧りながら見ていたら、隣のセシリアが言った。
おお、カワハギをくれるのか。なんていい奴だ。これが
「あ、もしかして、セシリア。刺身、嫌いなのか?」
「そんなことありませんわよ。お寿司も大好きですわ。でも、一夏さんてば、おやつを取られた子供みたいなんですもの。なんだか可愛らしくて、あげたくなってしまったのですわ。――はい、どうぞ」
手慣れた手付きで刺身を一切れ摘まみ、それを俺の口元に差し出す。
これはもしかしてあれか、いわゆる『はい、あ~ん』で食べさせようとしているのか?
さすがに大勢の中で『はい、あ~ん』は恥ずかしいんだが。
「セシリア、くれるのはありがたいんだが、自分で食べられるから」
「そういわず、ほら、ほら一夏さん、早くしないと、お醤油が垂れてしまいますわ」
やたら嬉しそうに、さあ、さあ、と進めてくるセシリア。
え~い、据え膳くわぬは男の恥か。俺は羞恥心に耐えながら、口を突き出した。
「じゃ、じゃあ、あ、あ~ん」
「はい、あ~ん♡」
俺は流されるがまま、カワハギを口に含んだ。
「お味の方は如何かしら?」
「そ、そうだな――」
『セシリアが食べさせてくれたから、倍うまかった』とか言えたら大物なのだろうけど、善の小鉢ぐらい小物な俺は赤面して『うまかった』と答えるのが精一杯だった。それでもセシリアは満足したのか、
「ふふ、お粗末様でしたわ♡」
と、嬉しそうに頬を赤めて、箸の先を咥えた。それが間接キスだと気づいたのは、食事が終わったあとのことだ。
♡ ♣ ♤ ♦
「よし、大方食事は済んだな。まだの者は食べながら聞け」
和気藹々とした食事も終え、一同がその余韻を楽しんでいると、千冬姉が言った。
生徒たちも何事かと、箸や湯飲みを置いて、耳を傾ける。
「今より肝試しを行うことになった。よって、各自、8時までにロビーへ集合しろ」
肝試しって、夏の風物詩でもある、あの肝試しだよな。
しかし、しおりで確認してみても、そんな予定はどこにも記載されていない
「えっと、日程にそんな予定、ありましたっけ?」
「いや予定にはないのだが、旅館の計らいというか、勘違いでな」
「勘違い?」
「ああ。実は去年、ある生徒の提案で肝試しをやってな。そのことから仲居さんたちが、今年もやるものだと勘違いしたらしい。先生たちと相談した結果、せっかく準備してくださったのに断るのも悪いだろうという事で、今年も行う事にした」
へえ、ベテランそうな女将さんなのに、意外とうっかりさんなんだな。
でも、肝試しとは面白そうじゃないか。臨海学校らしくなってきたな。
「ぐぬぬ、会長め、いらぬことを……」
そんな風に心を躍らせる俺の正面では、なぜかアリスが怨めしそうに箸を握り絞めていた。
「会長? 会長って生徒会長の楯無さんのことか?」
「そうです。さっき千冬さんが言った“去年肝試しを提案した生徒”は、きっと生徒会長のことです。こんな事を提案する生徒なんて、彼女ぐらいしかいません」
IS学園の臨海学校は、毎年この花月荘のお世話になっているそうなので、現在2年生である楯無さんも昨年はここにやってきたのだろう。その時に『肝試し』なんてものを提案した。あの人、そういうこと好きそうだしな。
「まあ、いいじゃないか」
「よくありません!」
怒鳴られて、俺はひるんだ。アリスがそんな事でムキになるなんて珍しい。
普段なら『いいじゃありませんか。面白そうで』とか言いそうなのに。はは~ん、さてはお化けが怖いんだな、コイツ。
♡ ♣ ♤ ♦
食後、午後8時半。千冬さんの唐突な『肝試し』発言から一時間後。私たちは旅館から数百メートル離れたある寺に招かれ、住職から怪談を聞かされていた。
「嫌な感じがするなーと思いつつも、男性は海の方へ向かって歩き出すと、そこには――」
話の内容は、海難事故にあった少女が、その寂しさから次々と人を襲うという話だ。しかも、恐ろしい事に実話らしい。目の前には、その少女の持ち物だという靴が供養のため置かれていた。
「はうぅ……」
本堂の最後尾。この手の話が苦手な私は、座布団を被り、今か今かと終わるのを待つ。
そんな私を見て一夏がニタニタわらう。完全に怖がる私を楽しんでいる様子だ。
「はは、やっぱり、アリスはこういうの苦手だったか」
その小ばかにしたような口調に、私はかちんときた。
「バ、バカ言わないでください。こんなの、へへへっちゃらですぅーッ。え、Xファイルだって一人で見れるんですからねッ! どんなもんですかっ!」
「いや、全然すごくねーから――って、今アリスの後ろに何かいなかったか?」
「へ?」
ちょっと、真顔で何を言っているのですか、この人。
私たちが最後尾なのだから、後ろに人がいるわけないのに。きっと幻覚でしょう。
「はは、一夏、あなた疲れているのよ」
だから、一夏の見た物は幻、けっして幽霊とか、幽霊とかじゃない。違うったら、違う!
仮に一万歩ゆずって幽霊だったとしても、化けて出ていいのは両親とエイミーだけです!
(うぅ~、一夏が変なことを言うから、余計に怖くなってきましたよぉ……)
人間、恐怖に駆られると、草木の擦れる音も声に聞こえるといいますけど、本当のようですね。外から聞こえる風の音も、なんだか女性の声に聞こえてきてしまう。
(やっほ~、ち~ちゃん。遊びにきたよ♪)
(来ましたー)
(帰れ)
(ふぇ……、帰れなんてひどいでございます)ウル
(あ~、ちーちゃんがくーちゃんを泣かしたぁー。い~けないだっ! いけないんだっ! せーんせいに言ってやろっ!)
(バカめ、私がその先生だ――ってそんなことよりも、束、ニヤニヤしていないで手を貸せ! お前の子だろ! あぁ~、ちびっこ、お前に言ったわけじゃなんだ。だから、ほら、泣くな)オロオロ
これも幻聴だ、幻聴。絶対に人の声じゃない!
「やがて、海辺からぴちゃり、ぴちゃりと濡れた足音が聞こえてきて――」
ああ、物語が佳境に入り、怖さが増してきた。住職の語りにも力が入ってきてる。
うー。これは本当にダメです。こ、こうなったら、恥を忍んで――
「セ、セシリア……」
恥も外聞もなく、私は情けない声でセシリアに縋りついた。
「あらあら。アリスったら怖いのかしら? 仕方なりませんわね。では、話が終わるまでわたくしがぎゅっとしてさしあげますわ。これなら怖くないでしょ?」
「はい」
私は言葉に甘えて、セシリアの豊満な胸に顔を埋め、ぎゅっと抱きしめもらう。
その暖かさに、長らく忘れていた母親の温もりを思い出した。あぁ、癒されます。
「むー、私という旦那がいながら……」
ごめんなさい、ラウラ。こういうのはセシリアではないとダメなんです。
「むー、セシリアばっかり……」
それとデュノアさんはセシリアが嫌いなのでしょうか。最近、仲が悪いですよね。
「――それ以来、少女の霊は現れなくなったとのことです」
セシリアの腕の中で耳を塞いでいると、ようやく話が終わったようだ。
これで肝試し終了ですよね? さあ旅館に帰りましょう。みんなで手を繋いで(←これ重要)。
「よし。では、これから参道を通って、祠からお守りを取ってきてもらう」
え、今から参道を通って祠の守りを?
参道って、ここへ来る途中に見かけた、真っ暗で不気味の道のことですよね?
幽霊がこぞって入居を申し出そうな雰囲気の、あの獣道ですよね?
あそこを通ってお守りも持って帰ってこい、と……? はは……
「せんせー、リデルさんが泡吹いて倒れましたー!」
「安心しろ、リデル。ツーマンセルだ」
私は息を吹き返す。よ、よかった。それはすごく助かる。
よし、そうと決まれば、私のパートナー候補は彼女しかいない。
「篠ノノノノノノ之さーん、私と組みましょう!」
神社の娘である篠ノ之さんと一緒なら怖いものは何もない。
きっとお化けが出ても、『悪霊退散』とかいって祓ってくれるに違いない。
「リデル、ペアはくじ引きだ」
「せんせー、リデルさんが泡吹いて倒れましたー!」
「起きろ、リデル。くじ引きにしないと、バカどもが織斑に押し駆けるだろ」
そうですか、そうですよね。揉めないようにくじにするのは良い手だと思います。
こうなったら、自力で篠ノ之さんとのペアを勝ち取ってみせます。
「こうみえて、運だけは強いんですから」
意気込んで列に並び、くじを引く。番号は9番だった。
さっそく篠ノ之さんの許へ行き、番号を確かめる。
「篠ノ之さん、番号は何番ですか? 何番ですか? 何番ですか? 何番ですか?」
「そう急かすな。――む、これは9番だな」
「本当ですか!」
「いや、待て、これは6番だ」
ひゅーと、冷たい風が私の髪をあざ笑うかのように撫でる。
あ、は、あははは……。終わりました。私は、もう、だめ、かもしれない。
「と、ところで、その、一夏は何番なのだ?」
「俺か? ちょっと待てくれ、今開ける」
一夏が紙を開くと、6番と書かれていた。
「おお! 6番だな」
番号を聞いた篠ノ之さんが嬉々と言った。
逆に私は怨霊のような表情で一夏を睨む。うらやましやー。うらやましやー
「いや、待て箒、これは――――9番だ」
♡ ♣ ♤ ♦
というわけで、一夏とペアになった私は仄暗い参道を提灯片手に歩いていた。
参道は仄暗く、空気は生暖かい。“お化け出ますよオーラ”がむんむん漂っている。できるなら、すぐさま回れ右をして帰りたいところだ。
「アリス、足元暗いから気を付けろよ」
「にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー」
「よし、こっちの道を右だな」
「にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー」
「あとはこの先に目的地の祠が」
「にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー」
「――って、さっきからにゃーにゃー、うっせーなもう! 少し静かにしろよ!」
「仕方ないでしょ! こうして叫んでないと怖いんですよ!」
こうやって大声を出しているうちは、気が紛れてすこし怖さが和らぐのだ。
我ながら素晴らしい対処法だと思うのに、一夏はそれが鬱陶しいという。
「ともかく、そのにゃーにゃー、ネコの鳴き声みたいなのやめてくれ」
「わかりましたよ」
ここまで嫌がられたら仕方ない。別の方法にしよう。
「にゃー? にゃー? にゃー? にゃー? にゃー? にゃー? にゃー? にゅー?」
「疑問形にしただけじゃねーか!!」
「にゃー?」
「『ダメ?』みたいに首を傾げてもダメだ! 俺は叫ぶのをやめろって言ってんだ」
「しょ、正気ですかにゃ!?」
怯えている女の子に向かって、黙れなんてひどい発言にゃ!
「俺は正気だ。つーか、にゃーにゃー言っている奴に正気を問われたくねー」
「だったら、怖くないようにエスコートしてくださいにゃ」
「わかったよ。――ほら」
そう言って、空いた手を私に差し出してくる。
え? 手を、握れ、と? 私は恐怖心を忘れて、頬を朱色に染めた。
「え、えっと……?」
視線を泳がしながら照れる私に、一夏が半眼を向けてくる。
「おまえな、エスコートしろって言ったのはアリスだろ?」
「そ、そうですね。すみません」
言い出して、拒否するのは相手に失礼だ。
私は
「いや、おまえ、握手してどうする……」
気が動転していた所為で、差し出す方の手を間違えてしまった。
「ああ、すいません! こっちですね!」
「よし。じゃあ、行くぞ」
言って、一夏が私の手を引く。私はやや引っ張られる形で歩き出した。
「うぅ……」
一夏と手を繋いで歩くのはこれで二回目だけど、未だになれない。ドキドキとビクビクが入り混じり、変な感じだ。何かで気を紛らわさないと、私の中で妙な化学反応が起きそうだった。
「にゃー……」ボソ
「おい、にゃーにゃー言うのは無しだぞ」
「ちくせう」
釘を刺されたので黙る。そのとき、草木がざわっと不自然に揺れた。
「ん? なんだ? 何かいるのか?」
明らかにモノの気配がした。しかも近づいてきている気がする。
いつもなら体が勝手に臨戦態勢を取るのだが、今回はまるで動いてくれなかった。戦場の恐ろしさとは違う、霊的な恐怖に体が竦んでいた。
「い、一夏?」
怖くなった私は一夏の手を強く握った。その手を一夏が『大丈夫だ』と握り返してくれる。
それに頼もしさを感じ、私は場違いにもきゅんとしてしまった――次の瞬間、物影が正体を現した。
「あ~り~す~ちゃ~ん、う~ら~め~し~や~」
ぬ~と草木の中から浮かび上がったのは、あどけない女性の顔だった。
どこか愛嬌があり、可愛らしくもある。でも、女性には――――首より下がなかった。
「うにゃあぁああぁぁぁあぁああぁぁぁあ!!!」
現れた首なし女に、私は絶叫して尻もちをつく。で、でたー、生首女!
「うお、なんだ、束さんじゃないですか。脅かさないでくださいよ」
「え? 束さん?」
言われてようやく気づく。生首女性の正体がISの開発者――篠ノ之束博士だということに。
どうやら顔だけを懐中電灯でライトアップしていたため、生首と勘違いしてしまったようだ。
隣にはくーちゃんもいて、一夏に『トリック・オア・トリート~』と意味不明なこと言っていた。くーちゃん、それハロウィン。
「ふふ、アリスちゃん、びっくした?」
「はは、わ、わたしがびっくりするはずないでしょ?」
強がる私に、くーちゃんがふふっと口元を押さえて笑う。
「でも、うにゃぁーって叫んでおられました」
悲鳴を上げた私が可笑しかったのか、くーちゃんはなおもクスクスと笑う。
こんな年下に笑われるなんて情けない。恥ずかしなった私は露骨に話題を逸らした。
「で、なんでこんなところに」
「肝試しするって聞いたから、いっくんたちを脅かしてやろうと思ったのさ! ブイ!」
「ブイじゃありませんよ!」
まあ、そんなことだろうとは思いましたけど!
「わー、アリスちゃんが怒ったー! くーちゃん、にげろー」
私が怒鳴ると、束博士は怯えもせず闇の中を引き返していった。その後をくーちゃんが『束さま、おいていかないでくださいませ、一人は怖いでございます~』と慌てて追いかけていく。
私はひどく疲れた気分になり、深い溜息をついた。
「まったく……」
「まあ、そう怒るなって。人を脅かすのも肝試しの醍醐味だろ」
「そういうことにしておいてあげ――」
ます、と言いかけたところで、私は下半身の違和感に気づいた。
「どうした、アリス? もしかして腰が抜けたのか?」
私はギクっとした。まさにその通りだったのだ。
「はは、世界に喧嘩を売った天下のアリス・リデルでも腰を抜かすんだな」
「ど、どうせ私は腰抜けのおマヌケさんですよーだ!」
「こら、砂をかけるな。――で、どうだ? 歩けそうか?」
「だいじょうぶですよ、これぐらい――――きゃん」
強がり、一人で立ち上がろうとするも、足腰に力が入らず、また尻もちをついてしまう。
私は赤面した。どうやら、歩くどころか、立ち上がることも儘らないようだ。
「立てないみたいだな。歩けそうもないし、おんぶしてやろうか?」
おんぶという単語を聞いて、私の胸がどきんっと跳ねた。
歩けない以上、一夏に運んでもらうしか手はないわけだけど、
「へ? 変なこと、しません?」
と、ほんのり赤面しながら上目使いで一夏を見上げる。
「しねえよ。むしろ、アリスの方こそ俺に変なことするなよ?」
「しませんよ、私をなんだと思っているんですか!」
「だから、砂をかけるなって!」
「もう……。じゃあ、その、お願いできますか?」
一夏は任せろと私に背中を向けた。それによじ上って身を預ける。
彼の背中は思いのほか大きく、そしてたくましかった。
「ん? どうした?」
「いえ、やっぱり一夏って男の人なんだなぁと思いまして」
広い背中もそうだけど、私を軽々しく持ち上げる姿にやっぱり男性なのだと実感する。
それはとても不思議な気分――今まであまり感じた事のない気分だった。
「――じゃあ、しっかり捕まってろよ」
「あ、はい」
言われて、恐る恐る彼の首周りに手を回す。
彼の体温が直に伝わってきて、心臓の高鳴りは尋常じゃなくなった。ありきたりな表現だけど、心臓が張り裂けそうになる。
「ん? なんだ、おまえ、緊張してんのか?」
見抜かれ、心臓が一際跳ねる。それを誤魔化すように、私は口調を強めた。
「ま、まさか、これぐらいで私が緊張するわけないでしょ? へっちゃらですよ」
「ウソつけ。手を握られたぐらいで赤面しているやつが何をいうか」
痛いところを突かれて押し黙る。けれど、悔しかった私は強気に言い返した。
「そ、そういう一夏だって、どうせ緊張しているのでしょ? 私みたいな美女を背負って」
「ばか、そんなわけあるか――――いや、そのわりー、今のウソだ。言い出した俺がいうのもあれだけど、今ちょっとドキドキしてる」
「え?」
「あ、でも、下心があって言い出したんじゃないから、それだけは安心してくれ!」
そう言った彼は耳まで真っ赤になっていた。おぶられているので、それがよく判る。
でもって、慌てて弁解する彼がなんだか可愛くて思えて、私はちょっと愉快な気分になった。
「わかっていますよ。あなたがそういう人じゃないくらい♪」
「そうか、それは、その助かるよ」
「いえ。こちらこそ、その迷惑かけて、ごめんなさい……。すごく助かりました」
「気にするな。こういう時ぐらいしか、俺はおまえの役に立てないからな」
「そんなことありません。日頃から役にやっていますよ」
「そうか。そりゃよかった」
それっきり会話は途絶えた。でも、不思議と痛い沈黙ではない。お互い、この沈黙を愉しんでいるように感じられた。こういうのを“いい雰囲気”というのだろうか。
それからしばらくして、目的の祠に到着した。その中に用意されていたお守りを手に入れ、来た道を引き返す。本堂にたどり着く間、私は相変わらず腰抜けのままで、結局、最後の最後まで一夏におんぶしてもらうことになった。
「アリス、そのお守り、お前にやるよ。なんかご利益ありそうだし」
「そうですか。では、記念に貰っておきます」
「ああ、腰が抜けた記念にもらっとけ」
「一夏!」
「はは、ほら。ついたぞ」
境内では、肝試しを終えた生徒たちが、旅館が用意したあんみつを味わっていた。
見たところ、全員いる。どうやら、私たちが最後のようだ。
「あー! リデルさんが織斑くんにおんぶしてもらってるー!」
一夏におぶられる私を見た生徒が声をあげた。
それに反応して、ぞろぞろ女の子たちが集まってくる。中には篠ノ之さんの顔もあった。
「一夏、貴様、アリスになに不埒なことしている!」
「不埒って。アリスが腰を抜かして立てなくなったから、こうやっておぶってるだけだ」
顔から火が出そうになったけど、事実なので黙る。
でも、篠ノ之さんは納得いかないようで、さらに責め寄ってきた。
「ウソをつけ。あのアリスが腰を抜かすものか。見苦しい言い訳は男らしくないぞ」
「いえ、お恥ずかしい話、本当なのです」
自分のせいで一夏が責められるは心苦しいので、私は事情を説明した。
「――実は驚かされた拍子に腰がぬけてしまいまして。そこで一夏におぶってもらったのです。一夏に邪な気持ちがある訳ではなく、あくまで善意なので、そう怒らないで上げてください」
「む、そうか。アリスがそういうなら。でも――」
「でも? なんだ?」
「いや、なんでもない」
そう言って、面白くなさそうに目線をそらす篠ノ之さん。
一夏は理解できなかったみたいだけど、女の私には彼女の言葉が理解できた。
(好きな男性に別の女性が接近すれば、それに故意がなくてもいい気はしないですよね)
今回は篠ノ之さんに悪い事しましたね。かといって私にどうにかできたわけでもありませんし。
よし、今回の件は全部会長の所為にしましょう。そうしましょう。
「篠ノ之さん、この臨海学校が終わったら、生徒会長を泣かしに行きましょう」
「うむ。うむ? せ、生徒会長をか?」
「そうです。あの人が諸悪の根源です。私たちが学園生活を謳歌するには、あの女狐を退治しないといけません。私と共に戦いましょう」
フンと意気込む私に篠ノ之さんが苦笑する。
こうして肝試しは無事(じゃないけど)終了した。その後、私は旅館まで一夏におぶってもらうことになったのだが、篠ノ之さんの表情はずっと暗いままだった。