IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第36話 彼女たちの問題

「ぎっちょん、こっち、こっち~」

 

 ほほんさんに連れてこられた場所は、IS学園の整備区画だった。ここは訓練機や専用機の整備を行う区画で、二年生から設けられる整備・開発学科の実習区画としても使われている場所だ。

 のほほんさんは、ここに私を連れてきて一体どうしようというのでしょうか。

 

「あの、のほほんさん、そろそろ事情を説明してもらえませんか?」

「実はね。かんちゃんが『来週の臨海学校、行かない』って言うのー!」

「かんちゃん?」

 

 かんちゃんとは、誰だろう。――そう思っていると、一機のISの前に連れてこられた。

 <打鉄>系統のISだろうか。全体的なフォルムは、堅牢な鎧武者を彷彿とさせた。しかし、<打鉄>の特徴的だった盾型非固定浮遊部位は、<白式>のような多機能推進翼に換装されている。

 その機体の背後から、内気そうな少女が恐る恐る顔を出す。

 彼女には見覚えがあった。先月、私に力を貸してくれた会長の妹さんだ。

 

「……本音、姉さんを連れてくるなんて卑きょ――って、違う?……姉さんじゃ、ない?」

 

 更識簪さんは、私の顔を見てコクリと首を傾げた。

 どうやら、説教役に会長を連れてくると思っていたようだ。

 

「どうも。更識簪さんですね。私はアリス・リデルです」

「……知ってる。世界に喧嘩を売ったひとで、姉さんの犬」

「犬じゃありませんよ!」

 

 私が大声を出すと、更識さんは『……うっ!?』と<打鉄>の後ろに隠れてしまった。

 そして、そろ~と顔を出し、怯えたようにこちらの様子を窺う。あー、怖がらせてしまった。

 

「確かに、私は生徒会の役員ですけど、会長に魂まで売った覚えはありませんから。なんなら、この場で踏絵してもいいですよ。喜んでします」

「……そこまでしなくていい……」

「そうですか。で、のほほんさんから聞いたのですが、臨海学校に行かないとか?」

 

 更識さんはコクンと肯いた。それを見たのほほんさんが、長い袖を振り回す。

 

「なんでー、絶対楽しいのにー!」

「私も楽しいと思いますよ? それとも行けない理由でも?」

「……わたしは、これを、完成させなくちゃ、だから……」

 

 更識さんは<打鉄>を愛おしそうに撫でた。

 

「この機体、まだ完成していないのですか? てっきり完成しているからここにあるのかと」

「……未完成の機体を、わざわざ譲り受けたの」

「またなぜそんな事を? 開発元に任せればいいじゃないですか」

 

 日本の技術者は優秀だと聞く。あのロリーナが太鼓判を押すぐらいなのだから間違いない。

 そんな彼らに任せる方が効率的というか、合理的な気がするのだけど。

 

「……姉さんは専用機を、自分で組み上げたから」

 

 そういえば、会長も<霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)>を自分の手で組み上げたと言っていた。なんでも、私が大破させた<モスクワの深い霧>をそのまま引き取り、自前で修繕した機体が<霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)>であるらしい。

 姉への対抗心か、更識さんも自前で専用機を組み立てることに、こだわっているようだ。

 

「でもね。進捗状況がよくなくてね~。このまま成果が出ないなら、開発は打ち切り~、<倉持技研>が開発を引き継ぐっていう話になっているの」

 

 のほほんさんの話に、私は「妥当な話ですね」と返答した。

 ISの開発には莫大なお金がかかる。予算も更識さんのポケットマネーじゃなく、開発元から出ているだろう。頓挫が見えているなら、打ち切られるのは当然。むしろ、学生に任したこと自体、私には信じられなかった。

 

「つまり、期限が迫っているので、臨海学校に専用機の開発時間を取られたくないと?」

 

 あくまで臨海学校の目的は『非限定空間におけるISの稼働訓練』。つまりアリーナみたいな限定された空間ではなく、よりオープンな空間での稼働を学ぶのが、臨海学校の主旨だ。滞在先の設備は整備科(ここ)ほど充実していないため、作業を進められない。

 

「……期限が迫っているから1日でも無駄にしたくない」

「なるほど」

 

 私は大体の事情を聴いて、目の前のISを観察した。

 

「ちなみに、どんな専用機を作っているのですか?」

「……こういうの」

 

 簪が私に書類の束を渡す。それは<打鉄弐式>の仕様をまとめた設計書だった。

 

(どれどれ。仮機体名は<打鉄弐式>。<打鉄・改>をベースにしたISですね。武装は荷電粒子砲2門と48連装ミサイルを内蔵予定。さらに電子戦も可能にする、か。でも、これでは装備の情報量が多すぎて、操縦者がそのコントロールに振り回されるんじゃないでしょうか。それに<打鉄>のジェネレーターで、この出力の荷電粒子砲二門は重いでしょう)

 

 設計書の仕様は、明らか<打鉄>のキャパシティーを超えている。実現させたいなら、既存の機体をカスタムするんじゃなく、新規で開発した方が建設的だろう。まあ、その場合、予算も手間も飛び跳ねるけど。

 

「ところで、更識さんは開発の経験が?」

 

 更識さんは首を横に振った。

 

(これが初めての試みか。なら、経験豊富な技術アドバイザーが欲しいところですね……)

 

 こうして開発を任されたのだから、それなりの知識はあるのだろう。

 けれど、現場には魔物が潜んでいる。その魔物に対処できるのは知識じゃなく経験だ。だから、経験豊富なアドバイザーがいてくれるだけで、効率が格段に変わってくる。

 そこで私の頭上にぴこんと電球が灯った。

 

「更識さん、ベロニカ・エインズワースという人物をご存じですか?」

 

 唐突な質問に一瞬きょとんとしたが、頷いた。

 

「……うん。アメリカの天才的技術者。……彼女の著書も読んだことある」

「その彼女を、技術アドバイザーとして迎えるのはどうでしょう?」

 

 ベロニカ・エインズワース、改めロリーナ・リデルがいれば、何か活路が開けるかもしれない。

 しかし、更識さんは目を細め、私の正気を疑うように見てきた。

 

「……何を言っているの? ……そんな人が一介の学生に、力を貸してくれるわけない……」

「ところがぎっちょん。私は彼女と友人でしてね、私が頼めば協力してくれるかもしれません」

「え……。ほ、ほんと!」

 

 更識さんが表情を明るくする。そこですかさず条件を提示した。

 

「ただし、臨海学校に参加すること。それが条件です。もし、あなたが臨海学校に参加するなら、私も協力してもらえるよう計らいましょう」

 

 更識さんは考えた。でも、結果は既に見えていた。なにせ、学校行事に参加するだけで世界的技術者が手を貸してくれるかもしれないのだ。断る手はないだろう。

 しかし、彼女の返答は異なった。

 

「……なんで、そこまでしてくれるの……?」

 

 確かに更識さんからすれば、そこまでされる理由がない。

 でも、私にはある。のほほんさんの頼みとは関係なく、彼女に協力する理由が。

 

「あなたは、私たちに力を貸してくれましたから」

 

 先月、私たちがラウラを救えたのは、更識さんが二人の代表に呼びかけてくれたからだ。

 彼女がいなければ、私たちはラウラを救えなかっただろう。私は彼女の行動にすごく感謝している。

 

「……そんな、大したこと、してない……」

「だとしても、私たちが助けられたのは事実です。だから、この取り計らいは、その恩返しだと思ってください。ギブ・アンド・テイクです。それじゃ納得できませんか?」

 

 更識さんは、さらに悩む素振りを見せた。

 そのあと、のほほんさんの寂びそうな顔を見て、小さく頷く。

 

「……わかった。あなたの言葉に甘えて、素直に、受け取る」

「交渉成立ですね」

 

 それにのほほんさんが、ダバダバの袖を振り回して喜んだ。

 

「わーい、かんちゃんと海だー、ありがと、ぎっちょん」

「よかったですね、のほほんさん。――では、連絡がついたら報告します」

 

 そう言い残し、場を去ろうとする。

 その私を、のほほんさんがスカートを引っ張って、引き留めてきた。

 

「待って、ぎっちょん。どうせなら、一緒にかんちゃんのお手伝いしようよ」

「私もですか? 私はISの開発について詳しくありませんよ?」

 

 私は操縦者であって技術者じゃない。もっぱら動かす方が専門なので、開発の方は素人だ。そんな私が手を貸したところで、大した力にはなれないと思うけれど。

 

「でも、三人あつまれば、饅頭の知恵っていうよー?」

「……本音、それを言うなら文殊の知恵。……饅頭のアンコに知恵はない」

「そうともいうー」

「……そうとしかいわない。でも、あなたが力を貸してくれたらうれしい、かも?」

 

 と、首を傾げる更識さん。いや、訊かれても……。

 でも、これも何かの縁ですか。

 それに進級したら整備科に進むつもりだし、予習がてら手伝うのも悪くない。

 

「わかりました。私で良いなら手を貸しましょう。で、どれくらい完成しているのです?」

 

 更識さんは、<打鉄弐式>のステータスコンソールを開いた。

 周囲に複数の投影型ディスプレイが浮かび上がり、いくつかのデータが開示される。

 

「本体のハードウェアはほぼ完成している。あとは装備と、OS」

「OS? オペレーティングシステムも自作しているのですか?」

 

 これは驚いた。本来、OS規模のソフトウェアは、何十人規模で開発するものなのに。

 それを一人で作製するなんて。更識さんって、実はとんでもないエンジニアなのかもしれない。

 

「すごいですね……」

 

 脱帽する私に更識さんは首を横に振った。

 

「……全然すごくない。……リソースの半分は<ラファール・リヴァイヴ>のOSを流用した。拾ってきたオープンソースも活用してる。自分で書いたコードは3割ぐらいだし」

 

 それだって並大抵のことじゃない。

 私は内心で『私じゃ彼女の役に立てないな』と自嘲して、<打鉄弐式>の話を続けた。

 

「で、武装の方は?」

「……こっちは全然。……48連装ミサイルは管制誘導システムができていない。……荷電粒子砲は、電荷コンバーターと粒子加速器、冷却装置はできているけど、試射すらしてしてない状態」

「では、できそうなところからやりましょうか。私は何からやればいいですか、更識さん?」

「……簪でいい。更識の名は重たいから、あまり呼ばれたくない」

 

 どうやら更識と呼ばれることに抵抗があるらしい。姉が関係しているのだろうか。

 ともあれ、私は要望通り、彼女を『簪』と呼ぶことした。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 第一アリーナ。授業を終えた一夏は、ラウラの指導の下、ISの訓練を行っていた。

 今は模擬戦を終え、ラウラが一夏の問題点を洗い出しているところだ。

 ただし、現在ラウラは専用機を持っていなかったので、鈴に模擬戦の相手を代行(普段はシャルロットの力を借りているのだが、今日は居残りしていたので)してもらったのだが、

 

「基礎は問題ないな。格闘のセンスも悪くない。だが、機動面がまだま――」「いい、一夏? 攻守の切り替えはね、メリハリが肝心なの。わかる? 大体あんたさ、回避行動に移るのが遅いから見ていて冷や冷やするのよね。そこんところをさ」

「――おい、凰鈴音。説明の途中だ。邪魔だ、どけ」

 

 話中に横やりを入れられたラウラが目くじらを立てる。

 しかし、鈴はラウラの睨みなど歯牙にも掛けず、けろんと言った。

 

「やーよ、今日こそあたしが一夏の特訓の面倒をみるんだから」

 

 例の戦闘で負けて以降、鈴は何かとラウラに対抗するようになっていた。それは日常的なことからIS云々まで。ラウラもラウラで、嫁にちょっかいを出す鈴を快く思っておらず、何かあればこうして彼女と衝突していた。

 大概はアリスかシャルロットが宥めて終わるのだが、あいにくふたりとも出払っていていない。

 

「そもそもお前は事あるごとに、なぜ私の邪魔をするのだ!」

「それはこっちのセリフよ!」

 

 なおも『あーだ』『こーだ』と言い合いを続けるラウラと鈴。優しいが甲斐性なしの一夏はただただ頭を悩ませるしかなかった。

 そんな彼を、遠くから見つめていたのは箒だ。

 その表情はなぜか淀み、憂いに曇っている。いつもの剣呑な迫力も鳴りを潜めていた。

 

(一夏は、強くなったな……)

 

 入学して二ヶ月と半月。セシリアとの決闘、無人機の襲撃、ラウラの暴挙、VTシステムの暴走。さまざまな戦いを経て、彼は技術的にも、精神的にも逞しく成長した。そこまで成長した一夏に、箒がしてやれることは何も無い。

 それゆえ、周りから取り残されていく感覚を、箒は否定できないでいた。

 物理的な距離はこんなにも近いのに、心の距離はとても遠くに感じてしまう。

 

(これでは何のためにIS学園に入学したのか)

 

 元々、箒はスポーツ推薦で一般高校へ通うつもりだった。だが、メディアが一夏について報じるなり、彼女は導かれるようにIS学園へ進路を変えた。理由は単純にして明快。一夏と再会を果たすため。彼と再会を果たして、6年前に凍った時間を、再び動かすためだ。

 しかし、今の自分は、彼と同じ時間を生きているのだろうか。

 

(大丈夫だ、こうやって、あいつの側にいれば、いずれきっと)

 

 箒は心に“強がり”という麻酔を打って、自分を奮い立たせた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

「え、簪って日本の国家代表候補生だったのですか!」

 

 今日の作業を終えた私たちは、その場の流れで一緒に食事を摂ることにした。

 メニューはそろってかき揚げソバだ。

 そのかき揚げの食べ方(私はサクサク派)について論争を交わしたあと、私が言った。

 

「……そ、そんなに驚かなくても……ちょっと……傷つく」

「あ、すいません」

 

 謝りつつ、ソバを啜る。

 にしても意外だった。代表候補生って凄いオーラを発している人が多いから。

 簪のような内気な子が国家代表候補生だと言われても、しっくりこない。

 

「……わたしにすれば、アリスが、代表候補生でないことに、びっくり……」

「ほら、私は可愛くありませんから。候補生の選考は容姿も含まれているでしょ?」

 

 本当はイングランドという国籍もIS適正値も偽装だから。――とは言えないので、無難なことを言って誤魔化す。が、何故か簪たちの顰蹙を買った。

 

「うわー、ぎっちょんがいうと嫌味にしか聞こえないよー」

「……本音に同意。あなたが可愛くなかったら、この世に可愛い子なんて、存在しない」

 

 う、半眼で睨まれた。でも、遠まわしに褒められているような……?

 

「ほんと、あなたがいうと私たちへの皮肉にきこえるわね」

 

 私が反応に困っていると、別の方向から声がした。

 やってきたのは、IS学園の生徒会長――更識楯無。簪のお姉さんだ。

 

「うふふ、たのしそうね、私も混ぜてもらっていいかしら?」

 

 会長がたぬきうどんを持ってやってくると、急に簪が立ち上がった。

 そして、私たちに『……先、行くね』と言い残し、そそくさ去っていく。

 

「………………」

 

 食堂を去っていく妹に、会長がどよ~んと暗い翳を落す。

 不仲なのはそれとなく察していたが、これほどだったとは思いませんでしたね……。

 

「おじょーさま、どんま」

「ありがとう、本音」

 

 のほほんさんに励まされながら、会長は簪が座っていた席に腰かけた。

 そして、割り箸を割りながら、先ほどからニヤニヤしっぱなしの私に半眼を向ける。

 

「ところで、アリスちゃん。あなた、嬉しそうね……」

「うふ、会長の不幸は蜜の味ですから。天そばが3割増しでおいしいです」

「もう……。ちょっとくらい励ましてくれても(バチ)は当たらないわよ?」

「あなたに優しくするぐらいなら、罰が当たる方を選びますよ」

「相変わらず反抗的ね。すこし躾が必要なのかしら? 言っておくけど、更識の女は床上手なんだからね? あなたなんか一夜で手籠めにできるんだから」

 

 耳元でそう囁き、綺麗な指で私のももをなぞる。

 ゾクゾクする寒気が背筋を駆け抜け、私は身体を強張らせた。

 

 「わかった? わかったら、お姉さんを本気にさせないようにね」

 

 会長は扇子を綺麗な桜唇にあてがい、色っぽく私を諌める。

 貞操の危機を感じた私は、素直に自重することにした。

 

「わかりましたよ。――で、露骨に避けられていましたけど、何があったのですか?」

 

 会長は態度を改め、七味をぱっぱと振りながら、目をすこし寂しげに伏せた。

 

「簪ちゃんはね、その、私に劣等感を感じているのよ」

「劣等感、ですか」

 

 解らなくもなかった。更識楯無という人物は実に優秀だ。人望もある(私は嫌っているけど)。その上、学園の生徒会長でロシアの国家代表だ。そんな人物が姉なら、妹は劣等感の一つも感じるだろう。

 でも、私はそれだけじゃないような気がした。今はまだうまく言葉にできないけど。

 

「みんながみんな、一夏君と織斑先生のようにはいかないってことよ」

 

 そう苦笑する会長の表情は酷く憂いていた。

 簪と自分の関係を、彼女は本当に思い悩んでいるのだろう。

 今まで会長の不幸を笑ってきた私だけど、そればかりは笑うことができなかった。

 

「なんにせよ、ありがとうね。臨海学校の件、説得してくれて助かったわ」

「いえ、なりゆきです。私も彼女に義理がありましたから」

「そう。――ところで、あなたに姉妹か兄弟は?」

「どちらもいません。まあ、姉代わりをしてくれた人ならいましたが」

 

 私は脳裏に二人の女性を思い描いた。

 一人はロリーナだ。

 ロリーナには私生活から組織の事柄まで、いろいろと世話になっている。私にとっては姉同然の存在で、彼女も私を妹のように慕ってくれている。

 もう一人は、米軍時代の上官だったナターシャ・ファイルス。

 彼女にもいろいろと世話になった。ISの操縦から口紅の塗り方まで。いろいろと。

 

(そして――)

 

 ん? そして? 今、私は一体誰を思い出そうとしたのでしょうか?

 私が姉と慕う女性は二人だけだったの思うのだけど……。

 

(なら、きっと気のせいですね)

 

 そういえば、ナターシャとは随分と会っていませんね。時間ができたら、少しぐらい顔を出しましょうか。

 その時が思いの外早く訪れる事を、この時の私は知る由もなかった。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 食事を終え、自室で寛いでいた箒の携帯電話に一通のメールが届いた。

 ディスプレイの差出人には【織斑一夏】と表示されている。

 

「なんだ。一夏からメールか。珍しいな」

 

 箒は買ったばかりの慣れない端末を不器用に操作し、受信フォルダを開いた。

 

 

【From:織斑一夏】

【Title:なし】

【本文】

 今週の日曜日、空いてるか?

 

 

 本文を読み、箒の鼓動がドキンと高鳴った。

 日曜日、空いているか。これはもしかして逢引の誘い? 一見そうにも見て取れるが、

 

「いや、一夏のことだ、他の娘も誘っているに違いない」

 

 以前にも似たような事があり、がっかりしたことがある。

 その事を思い出しながら、冷静に返信の文面を作成した。

 

「『空いているが、他にも誰かくるのか?』と」

 

 送信。数分もしない内に、返事がきた。

 

【From:織斑一夏】

【Title:Re;なし】

【本文】

 いや、誘っているのは箒だけだ。

 

 「なん、だと」

 

 箒は目をこすった。後々『いつからデートだと錯覚していた?』と言われたら赤面ものなので、まじまじとディスプレイを眺める。ついでにジャイロセンサーが壊れそうなほど振ってみたが、メールの内容が変わって見えることはなかった。

 どうやら、信じがたいことに一夏は自分だけを誘っている、らしい。

 これはもしかして、もしかするのだろうか?

 箒は期待に震える指で、返信の文面を打った。――送信。

 

【From:織斑一夏】

【Title:Re;Re;】

【本文】

 >にぜだ? 沸けをきこう。

 なぜだ? 訳をきこう、でいいのか?

 誤字だらけでよく読めないんだが

 

「ぶっ!」

 

 どうやら興奮しすぎて、訳のわからない誤字メールを送ってしまったらしい。

 これは酷いと思った箒は一呼吸してから、改めてメールを打ち直した。

 

「そうだ。私だけを誘った訳を聞きたい、と」

 

 今度はしっかり読み直し、送信。すぐさま返信が返ってきた。

 

【From:織斑一夏】

【Title:Re;Re;Re;】

【本文】

 箒に大事な話があるんだ

 

 ポロッ。本文を読んだ箒の手から携帯が転げ落ちた。

 

「こ、これは……」

 

 自分だけを誘い、大事な話があるときたらもう、これはそういう事なのだろう。

 

「ふふふふ♪」

 

 箒はベッドの上でぴょんぴょんと子供のように飛び跳ねた。

 自分は一夏に必要とされているのだ。これを喜ばずにいられようか。

 その後、待ち合わせ場所と時刻を決めたあと、箒はクローゼットを開けて服を並べた。

 それを険しい顔で見下ろす。

 

「こ、困ったぞ、デートの時は何を着ていけばいいのだ?」

 

 何せ異性とのデートなど、生まれて初めなのである。こういう時、どういう服を着ていけばいいのか、まったくわからなかった。冠婚葬祭なら詳しいのだが……

 

「そういえば、以前、立ち読みした雑誌には『初デートは大胆な服装で』とか書いてあったな」

 

 しかし、別の雑誌には『初デートはストイックに。露出が多すぎると彼に引かれちゃう!』と書いてあった気もする。これはどちらが正しいのだ……?

 うう、これは困った。こういう時、相談できる相手がいると頼もしいのだが、

 

「私にはそういう事を相談できる友人がいない」

 

 そうなのだ。ラウラほどではないが、自分も決して友人が多い方ではなかった。

 部活にも仲間はいるが、正直頼みにくい。箒は幽霊部員なのだ。男の相談など持ちかた日には、滅多打ちにされる。顧問のマルガリータは『男に感けてないで、練習にこい』と言うに違いない。

 小・中学生時代の友人は例の事情で交友がなかったため、どちらもいない。

 

「そうだ、セシリアや鈴に相談を……」

 

 代表候補生である二人は度々ファッションモデルとして活動している。

 その二人なら何かいいアドバイスをくれるかもしれない――と考え、すぐ自分の愚行に気づく。恋敵にデートの約束がバレれたら、きっと妨害されるに決まっている。

 

「ぐぬぬ、やはり自分の力で、こーでぃねいと、しないとダメか」

 

 しかし、自分にファッションセンスがないことを思い出し、思考が前に戻る。

 そんなループを繰り返すこと5回、ドアの扉が開いた。入ってきたのは同室のアリスだ。

 

「アリスッ! いいところに帰ってきた!」

 

 彼女の帰宅を知るなり、箒はアリスに飛びついた。

 

 


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