IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第34話 告白

 月に照らし出された校舎の一角。静寂に包まれた場所で、一人の女性が立っていた。

 美しい女性だ。空色の髪が麗しく、妖精のような美貌が闇夜に負けず、映えている。

 

「――私です。VTシステムは発動したようです。確認しました。情報は正しかったようです。近々、開発元の<ワルキューレ・ウェポン>に<国際IS委員会>の査察が入るでしょう」

 

 透き通るような、耳触りのいい声音だった。美声と評しても差し支え無い。

 女性は夜風に長髪をなびかせながら続けた。

 

「遺伝子強化素体の情報も、すでにマスコミにリークしました。いまごろ、螺旋機関や人権団体の間では、蜂の巣を突いた騒ぎですよ。これでドイツの国際的信用は失墜したも当然です。フランスのデュノア社のV字復活もないでしょう」

 

 言って、スっとアリーナの一部に視線を落とす。

 視線の先では、シャルルが再入学のため、教師と模擬戦闘をしていた。

 

「フランス経済の低迷、ドイツの国際信用の低下。ユーロ価値を支える大国がこの体たらくでは、しばらく東欧諸国も欧州連合に(・・・・・・・・・)加盟しようと思わない(・・・・・・・・・・)でしょう。――ええ、全ては祖国再建のために。では、私はこれで、アルツェバルスキー大佐」

 

 回線先の相手にそう告げ、女性はコリをほぐすように首を鳴らした。

 

「やれやれ、あの大佐も人使いが荒い」

 

 ドイツ、フランス、日本を渡り歩いて、かれこれ30時間。そろそろ疲労もピークだった。

 しかし、まだ休めない。少なくても後ろで盗み聞きしているネズミを処分するまでは。

 

「さて、出てきたらどうだ?」

 

 女性が振り向かず言うと、一角から一人の学園生徒が現れた。

 外に跳ねた水色の癖毛。陽気そうな面持ち。それでいて、目の前の女性に負けていない美貌を誇っている。彼女は学園の自警団<生徒会>を取り仕切る長、更識楯無だった。

 

「よく気付いたわね」

オレ(・・)は感度がいいんでね」

「あら、そうなの? 私は不感症だって聞いていたけど」

「ははは。そうだった。オレはセックスじゃイけない女だった」

 

 何が愉快なのか、女性は額に手を当て大いに笑った。

 その姿にどこか薄ら寒いものを感じる。初夏の夜にも関わらず、背筋が冷えた。

 

「それで、私をどうするの?」

 

 楯無はボロボロの<霧纏の淑女>を展開し、その手に円錐型のランス《蒼流旋》を握った。

 突撃槍に内蔵されたガトリングの砲門が女性を睨む。

 ジェニファーとの一戦を終えたばかりの<霧纏の淑女>は、所々損傷が見受けられた。戦闘になれば、完全に後手だろう。苦戦は否めない。しかし、この事態を想定していなかったわけではない。

 ここは彼女のホームだ。戦闘が起これば、全てが彼女の有利に働く。

 しかし、女性は攻撃の意思を示さなかった。

 

「どうもしないさ。故郷が違えども、君はロシアの人間だ。同志を討つのは心が痛む」

「あら、見逃してくれるっていうの? ――ソフィア(・・・・)

 

 楯無は柔らかに、けれど鋭いで瞳で――ソフィア・アルジャンニコフを睥睨する。

 しかし、かつてアリス・リデルに敗れた女性は、友好的に笑った。

 

「そういうことだ。君とは知らない仲じゃないからな。――それと、知り合いがてら、ひとつ忠告しておくよ。君が諜報活動の一環として国家代表をやっていることは、FSBの連中も感づき始めている」

「嗅ぎまわるのを、やめろってこと?」

「ああ、大人しくして国家代表をしておけ。さもなくば、国へ帰れ。ロシアは諜報員に寛容な国家じゃない。当局に拘束されても、オレは助けてやれないぞ。わかったな」

 

 それだけを言うと、ソフィア・アルジャンニコフは踵を返した。

 楯無はそれを黙って見送る。生徒会には、来校者を拘束する権限がなかったからだ。アリスに手を下したならまだしも、ソフィアがココで破壊工作や諜報活動を行ったわけじゃない。

 

「では、これで失礼させてもらう。今度会った時は美味しいボルシチでもご馳走するよ」

 

 背中でそう語って、ソフィアは微温湯に溶ける氷の如く姿をくらました。

 楯無は、待てと言わなかった。

 

 

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「今日はみなさんに大事なお話があります。心して聞いてください」

 

 VTシステム暴走事件から一夜明けた翌日のホームルーム。

 山田先生が神妙な顔つきで教団に立つと、クラスが正ならぬ雰囲気に包まれた。

 

(大事な話。おそらくデュノアさんについてでしょうか)

 

 そう憶測すると、クラスのドアが開いた。入ってきたのは、案の定、デュノアさん。

 ただし服装がいつもと違う。彼女は男装用のコルセットを付けず、女性用の制服を着用していた。その姿はもう誤魔化しようのないぐらい“女性”だ。それを見たクラスメイトからざわめき声が上がる。

 

「傾注しろ」

 

 千冬さんの一言で、クラスのざわめきがひとまず収まる。

 それを見計らい、デュノアさんが真剣な面持ちで話し始めた。

 

「実はみなさんに、お詫びしなければならない事があります。見ての通り、私は女なのです。本当の名前はシャルロット・デュノアといいます。詳しくは話せませんが、家庭の事情で性別を偽って入学してきました。それで、今日はその事をここで謝りたいと思います。――みなさん、騙していて本当にごめんなさい!」

 

 未だ当惑を見せるクラスメイトたちに、デュノアさんが誠心誠意、頭を下げる。

 

(一夏)

(ああ、わかってる)

 

 あらかじめ事情を知っていた私と一夏は、クラスの掌返しに備えた。

 人は憧れや期待を裏切られると、驚くほど残酷になる。もしかしたら、批難や罵声を浴びせてくる者が出てくるかもしれない。それを考慮してのことだ。

 しかし、デュノアさんに投げかけられた言葉は、驚くほどあっけらかんとしたものだった。

 

「なんだ、そうだったんだ。宝塚みたいな人だなーとは思ってんだけどさ」

「アンドレイじゃなくて、オスカルだったわけね!」

「わたしはー、知ってたよー。きりっ」

『絶対ウソ!』

「えー? ほんとだよ~」

 

 元々デュノアさんは寛容で、慈しみ深い人物だった。

 その仁徳が活きたのか、沸き上がる声は一様に明るく、軽蔑や侮蔑の色は微塵もない。

 陰険な嫌がらせが始まったらどうしようかと思っていたが、この分だと杞憂に終わりそうだ。

 

「ということです。みなさん、これからもシャルル・デュノア君、改めシャルロット・デュノアさんと仲良くしてあげてください。先生からのお願いです」

「お願いします」

 

 先生とデュノアさんが頭を下げると、教室から『はい!』と明るい返事が返ってきた。

 それにたまらず安堵の溜息をつく。これでひとまずデュノアさんの一件は落着かな。

 

 と、思っていたら、そうでもなかった。

 

「そういえば、デュノアさんって織斑君と同じ部屋だったよね?」

「じゃあさ、じゃあさ、当然デュノアさんの正体を知ってた訳だよね!」

「待って、待って。それじゃ実習の時どうしてたの? 知ってて一緒に着替えてたの!?」

『どうなの織斑君!』

 

 疑惑の矛先が向き、一夏はぎょっとした。まあ、バレればそういう流れになりますよね。

 私も更衣の時、どうしていたのか気になる。やっぱり一緒に着替えていたのでしょうか(赤面)

 

「ちょっと一夏! これはどういうことよ!」

 

 すると、教室のドアが乱暴に開いた。入ってきたのは二組の関羽こと、鳳鈴音だ。

 もしかして、今の話が二組にまで聞こえていたのだろうか。なんという地獄耳。むしろ盗聴?

 

「その話、詳しく聞かせてもらおうじゃない、一夏!」

 

 逆鱗に触れたか竜が如く肩を震わしながら、一夏に詰め寄る鈴。

 今にも口から火炎を吹き出しそうな鈴に、危機を感じた一夏は真っ青になった。

 

「いや、待て、鈴! これにはいろいろ事情があったんだよ!」

「うっさい、しねっ!」

 

 説明をしたのにその対応はあんまりだと思ったが、鈴は止まらない。

 床を蹴って、某バッタ怪人のような必殺の飛び蹴りを繰り出す。足底が燃えているように見えるのは錯覚だろうか。錯覚なのだろう。

 

「はは……」

 

 完全に諦めモードの一夏は、最早笑うしかないらしく、乾いた笑みを浮かべていた。

 そんな彼の眼前を冷たい風が駆け抜ける。まさに疾風迅雷の如しそれは――

 

「ラウラ!?」

 

 ラウラは飛び蹴りしてくる鈴をくるっと引っ繰り返し、地面に叩きつけた。

 その衝撃で鈴が目を回す。まったくもって見事なカウンターだった。さすがラウラだ。

 

「無事か?」

「あ、ありがとな、ラウラ、助かったよ」

 

 一夏が礼を言うと、ラウラはいつもの仏頂面で応えた。

 

「うむ、礼には及ばない。これからは私がお前を守る」

「は? おまえ、急に何を言って……?」

 

 言葉の意図を測りかねた一夏が、またきょとんとした。

 幾度なく衝突してきた相手が、いきなり守ってやると言っているのだ。当惑もするだろう。

 

「守るって、どうしたんだ、いきなり」

「私は闇の中で、教官がどれだけお前を大事に思っているか再認識した。そこで、私もお前を守りたくなった。これからは、私がお前に降りかかる火の粉を払ってやる。安心するがいい」

 

 ラウラの言葉には強い意志が宿っており、目には『変更はない』という光が輝いていた。

 千冬さんはやれやれと肩をすくめていたが、表情はどこか嬉しそうだ。

 

「ま、なんだ、その、よろしく頼む」

「うむ、まかせろ」

 

 未だ状況が呑み込めない様子の一夏だったけど、ラウラはどこか満足そうだった。

 

「よし。では、まもなくトーナメントが始まる。出場する者は準備しろ」

 

 例の如く千冬さんが出席簿を叩いて、皆の行動を促す。

 昨日、あのような事態が起こったけれど、企業や政府の『データだけでも採りたい』という意向から、一回戦だけ全て行われる事になっている。もっとも一回戦を終えた――と言っていいのか判らないけど――私たちはもっぱら観戦するだけだけど。

 ちなみに<ブリュンヒルデ>のジェニファーは事後処理のため、今朝学園を発ったそうだ。

 でも、欧州の代表やアジアの代表は残っているので、生徒たちの意気込みは依然高い。

 

「リデル、私は凰を二組に送っていく。代わりに教室の戸締りをしておいてくれ」

「わかりました」

 

 鈴を背負って教室を出ていく千冬さんにそう答え、私は戸締りの準備に取り掛かった。

 

 

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「アリス・リデル」

 

 教室の戸締りを終えたあと、背後から声を掛けられ、アリスは振り向いた。

 

「あら、ラウラ。トーナメントを見にいかないのですか?」

「いや、行く。だが、その前にお前と少し話がしたくてな。待っていた」

 

 私と話? と、首を傾げるアリスに、ラウラは真剣なまなざしをした。

 

「先日のトーナメントの時、お前は各国の代表に向かって『私の為なら世界だって敵に回してやる』と豪語したそうだな。――なぜ、そんな事をした? 私は<遺伝子強化素体>だ。いくらでも代えが利く。守る価値のある命じゃない」

 

 傍からみれば自分は、ただの兵器。ただの消耗品。そんな自分を庇って戦うなどナンセンスだ。

 ラウラはそう思っていた。それゆえに彼女のトーナメントでの行動が理解できず、その真意を確かめるべくして、ラウラはアリスを待っていた。

 

「――実は私、アフリカの孤児なのです」

 

 その言葉はラウラに少なからず驚きを与えた。

 高貴に見える赤髪と名前から、てっきりイギリスの上流階級出身だと思っていたのだ。

 

「私も幼い頃に両親を亡くして、ずっと人の愛情に飢えていました。だからでしょうか、あなたが心の裡を明かしてくれた時、痛いほど、その苦しみが理解できたのです。理解できたこそ、あなたを救いたいという気持ちでいっぱいになりました。それがあなたを助けた理由です」

 

 アリスはまるで我が子を愛でるようにラウラを撫でる。

 彼女の手には人の温もりが込められていた。その暖かさが、言葉に偽りがないことを示す。

 そして、アリスは彼女の戦いを讃えるように、敬礼して続けた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ、貴女はよく戦い抜きました。これからは何にも縛られることなく、魂の感じるままに生きてください。生きて、素敵な出会いをたくさんして、一度限りの人生を存分に謳歌してください。一人の少女として。――それが貴女の次のミッションです」

 

 朗らかに告げられたアリスの言葉を、ラウラは心の中で反芻した。

 人生を謳歌する。<遺伝子強化素体(アドバンスド)>としてではなく、一人の少女として。

 そんな事が私にできるのだろうか。戦う事しか知らない自分が、戦争の無いこの場所で。

 そんなラウラの心内を汲み、アリスは言った。

 

「あなたならできますよ。<遺伝子強化素体>という呪縛から自らを解放できたあなたなら。もし挫けそうになったら、私が支えます。病める時も、健やかなる時も、私はあなたの味方ですから」

「病める時も、健やかなる時も、私の……」

 

 まるで誓いの言葉だ、とラウラは思った。そう思うと、身体に熱いものが駆け巡った。

 自分は兵器と同じ消耗品。使えなくなれば、破棄され、処分される。その程度の命。

 ずっとそう思ってきた。それが嫌で、否定したくて、誰かの愛情を求めた。

 愛されれば。求められれば。自分には兵器以上の価値がある、そう思って。

 でも、誰も自分を愛してはくれなかった。

 訓練所の人間には蔑まれ、敬愛する人にも振り向いてもらえず、ただ孤独に苛まれる日々を送ってきた。だが、ようやく出逢うことができたのだ。不完全で、不器用で、戦う事しかできない自分を理解し、想い、戦ってくれる人が。こんな嬉しいことはない。

 その感動が涙となって頬を伝う。その温かさにラウラは悟った。

 

 自分は何の為に生まれてきたのか。――きっと彼女と出会うために生まれてきたのだ。

 

 しかし、困った事に胸の内から込み上げてくる感情をうまく言葉にできない。

 できないけれど、ラウラは自分の持てる限りの知識を使って、この感情を表現した。

 

「お、お前を私の嫁にする!」

 

 きっと、おそらく、『わたしの家族になってほしい』という旨を伝えたかったのだろう。

 不器用な彼女の気持ちを汲み取ったアリスは、ラウラの片手を優しく取った。

 

「はい、これからずっと一緒です。死が私たちを分かつまで」

 

 そう言われると、もう我慢できなかった。堪らず床を蹴って、胸に飛び込む。

 押さえていた感情が溢れだして、いうことを聞かなかった。

 

「ふふ。ラウラ、甘えるのはいいですけど、トーナメントが始まってしまいますよ?」

「トーナメントなどどうでもいい。私はお前とこうしていたいのだ」

 

 擦り寄ってくるラウラに、アリスは少し困ったように笑ってから、

 

「でも、いかないと、千冬さんに怒られますよ?」

「そ、そうか。ならしかたない。行くとしよう」

 

 そう言った時、丁度一回戦第二試合の開始ブザーが鳴った。

 

 

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 その場所は静謐に包まれていた。大きさは小劇場ほどで、周囲には無数のスクリーンが取り囲んでいる。その中央に設えられた近未来的な座椅子には、風変りな女性が一人、佇んでいた。

 紺色のワンピースに純白のエプロン。頭からは機械仕掛けのウサギ耳。まるで『不思議の国のアリス』を一人で体現したような姿だ。

 

「ふん♪ ふふん♪」

 

 そのアリス擬き――篠ノ之束は、スクリーンを泳ぐ無数の数値と睨めっこしながら、キーボードを打ち込んでいく。タタタタとリズミカルなタイピングは、さながらピアノ演奏のようだ。音階を付ければ、さぞかし美しい音色に化けるだろう。

 

「ふふ~ん、ファームウェアの最適化はこれでよしっと。あとはメタ運動野パラメータを更新したいところだけど、箒ちゃんもあれか鍛えているだろうしねー。こればっかりは現地でやるしかないかな~。ふふ、楽しみだね7月7日が」

 

 そう言って、クマのできた不健康な顔でデジタルカレンダーを眺める。

 その7月7日には、二重のハートマークが書き込まれていた。その日は最愛の妹、箒の誕生日なのだ。

 

「箒ちゃん、喜んでくれるかな、束さんのサプライズ」

 

 愛しき妹が生まれた素晴らしきこの日を最大級祝福するため、束は様々な工作を仕込んできた。

 一夏をIS学園に誘導し、それを追って箒が入学できるよう、日本政府にIS学園の推薦状を発行させたのも彼女の仕業だ。それらの手回しには相応の対価を支払ったが、妹を想えば安いものだ。

 束が気味悪くニンマリ笑っていると、室内のスピーカーから音声が漏れた。

 

《お姉さま、Α経路回線G1より秘匿暗号通信です。繋ぎますか?》

 

 施設を管理しているAI(声は何故か箒)からだった。それに、束が椅子の上で小躍する。

 この回線を知っている人物はそう多くはない。しかもA経路で繋いでくる人物は一人だけだ。

 

「おお! もちろんだよ! さあ、さあ、繋いでおくれ、HAL(ハル)

《了解です、お姉さま。通信許諾、解放。どうぞ》

 

 箒声のAIがそう告げると、前方のスクリーンに白髪の少年が映し出された。

 それを見るなり、束は両手を鷹揚に広げ、歓迎の意を露わにする。

 

「やあ、我が息子ロキくんよ。あれ以来、連絡くれないから、お母さん寂しかったよ!」

『それはすまない。こちらも色々と忙しくてな』

「うんうん、ロキくんは<亡国機業>の幹部だもんねー」

『それで連絡したのは、その<亡国機業>についてなんだ。実は、幹部会による臨時の査問会議が開かれることになった』

 

 打って変わって、白髪の少年ロキが真剣な面持ちをした。

 束もわずかに表情を強張らせる。

 

「もしかして、ロキくんがIS学園を攻撃したからかい?」

 

 先月、ロキは独断で学園を攻撃した。それについての査問は、まだ行われていない。

 自分の有用性を盾に、言及を逃れてきたのだ。しかし、それも時間の問題だった。だが――

 

『いや、かけられるのは、アルフレッドという亡国機業の幹部だ』

「それって、確か<ワルキューレ・ウェポン>社のCEOだったっけ?』

 

 <ワルキューレ・ウェポン>。ドイツの大手IS企業で、<シュヴァルツェア・レーゲン>の開発元だ。VTシステムを開発した疑いで、近々<国際IS委員会>の査察が入る予定になっている。

 

『ああ。<ワルキューレ・ウェポン>の資本金は、<亡国機業>の秘密軍資金から出資されている。“今回のVTシステムの事件は、組織に不利益をもたらした”。大佐(・・)はそれを口実にアルフレッドを査問にかけて、<亡国機業>から追放するつもりらしい』

「で、ロキくんとか、他の幹部どう動くの?」

『俺や他の幹部もその方針で固まりつつある。これに伴って、幹部席がひとつ空席になる。――そこで、俺は母さんを新しい幹部に推薦したい。どうだろうか』

 

 世界の裏から軍事力をコントロールする亡国機業。その幹部席は、世界に影響を与える魅力的な席だ。もっとも、組織内部は策謀が渦巻いているため、一度座れば、謀殺の危険はあるが。

 しかし、自派の幹部が増えれば、組織内での発言力も強くなる。

 束も、息子のためなら、身を危険に晒すことも吝かではなかった。――が、束は断った。

 

「ごめんね。力になってあげたいけど、今はクロエと一緒にいてあげたいんだよ」

『そういうと思った。では、代わりの人物を推薦しよう』

 

 ロキがどこか嬉しそうに肩を竦めると、部屋と通路を繋ぐ扉が開いた。

 

「束さま、ココアを入れてまいりました」

 

 入ってきたのは、10歳あまりの少女だ。小さなメイド服に身を包み、流水のような白髪を一本の三つ編みにしている。実に愛らしい少女であるが、どこか翳のある少女だ。

 少女は両手で大きめのマグカップを握り絞め、てくてくと束の前にやってきた。

 

「おおー、くーちゃん、いいところに来たね。お兄さんからお電話だよ」

 

 ココアを受け取り、やってきた少女――くーちゃんを膝の上に乗せる。

 くーちゃんと呼ばれた少女は、嬉しそうに目を輝かせ、目の前の映像に食いついた。

 

「お兄さま、ご機嫌麗しゅうございます!」

『ああ、久しぶりだな、クロエ。母さんに迷惑をかけていないか?』

「はい、クーはいい子にしています」

「うんうん、くーちゃんはとってもいい子にしているよ。症状も良くなってきてるしねー」

 

 束が愛おしそうにクロエを頬擦りし、クロエも甘えるように擦り寄る。

 実に仲睦まじい光景だ。それを見た実の兄――ロキも安心したように微笑んだ。

 妹クロエはある禁断症状を抱えていた。その所為で義理の母――束の手を煩わしているのではないかと危惧していたが、二人の様子を見る限り、いらぬ心配のようだ。

 

「お兄さまこそ、ローズマリーさまにご迷惑をおかけしていませんか?」

『それなら大丈夫だ。むしろアイツの所為で、このところ寝不足なんだ』

 

 束はウサミミをぴょこんと立てた。

 

「わお! 御盛なんだね。その調子だと孫の顔を拝めるのも、そう遠くないかな!?」

『いや、誤解しないでくれ。別にそういう意味じゃないんだ。急遽アイツの要望で<レーヴァテイン>の仕様を変更する事になったんだ。寝不足なのはそのためだ』

「ぶー、なんだ、そういうことかー。束さん、残念でならないねー」

 

 残念そうに唇を尖らせる義母に、息子は苦笑した。

 

「それでどうだい? 魔剣(レーヴァテイン)は7月7日に間に合いそうかい?」

『間に合わせるさ。でなければ、“7月7日”を始められない。そういう<紅椿>はどうだ?』

「それならばっちりだよ。あとは箒ちゃんを乗っけて最適化処理するだけさー」

 

 ブイブイとVサインを画面の息子に突き出す。倣ってクロエもブイブイとした。

 その背後で、紅のISがその存在感を漂わす。

 <紅椿>。束が最愛の妹のために用意した次世代ISだ。彼女曰く『最高性能』にして『代用の利かぬもの』。しかし、これほどのモノを完成さられたのは、ひとえに彼の尽力によるものが大きかった。

 

「これもロキくんのおかげだよ」

『礼には及ばない。あんたは命の恩人だ。あんたがいなければ、俺たち兄妹は灼熱の地でくだらない死に方をしていた。それに学を与えてくれたのもあんただ。あんたには感謝してもしきれない恩がある』

 

 かくいうロキという少年は、束の実の子ではない。彼は、束が逃亡途中に拾った少年だった。

 その後、束は彼に衣食住、そして自らの知識を与えた。

 義理堅い少年はその恩を忘れず、組織に所属してからも、こうして束に便宜を図っている。束が住まうこの移動型ラボ<ディスカバリー>も、また彼が提供したものだ。逃亡の身であるにも関わらず、これだけの設備や物資を揃えられたのも彼がいればこそだった。

 

『――さて、魔剣の調整があるので、俺はそろそろ失礼させてもらう。邪魔したな』

「いやいや、邪魔なんてとんでもない。ロキくんのためなら24時間フルオープンだよ!」

「クーも、クーもです。クーもお兄さまの為なら眠たくてもがんばって起きます」

『いや、クロエはよく寝ろ。じゃないとローズマリーみたいな女になれないぞ』

 

 兄に諭され、妹はしぶしぶ肯いた。

 そんな愛娘を撫でながら、束が『うんうん、寝る子は育つっていうしね』と付け加える。

 

「むー。わかりました。たくさん寝て、ローズマリーさまのような美人になります」

『ああ、そうしろ。母さんも研究はほどほどに、身体に気をつけてな』

 

 ディスプレイから少年の映像が消え、代わりに≪OffLine≫の文字が浮かぶ。

 束はそれを名残惜しそうに見る。寂しさを紛らわせるため、クロエをぎゅっと抱きしめた。

 だが、いつまでもそうしていられない。早々に準備に取り掛かる必要がある。

 

 来たるべき7月7日に備えて。

 




 どうもわたしです。
 この度、ようやく二巻の部を書き終える事ができました。それにあたって今回はあとがきを少し多めに書きたいと思います。

 まず二巻の部の反省点について。今回は分厚くなりすぎました……。ページ数に直すと、なんと400頁越え。ライトノベルの平均ページ数が300頁前後なので、とんでもないページ数です。
 原因はわかっているので、次回からはもうすこしスリムにしていきたいと思います。
 それと、ほとんど活躍の無かった不遇のシャルですが、文化祭あたりで補填したいと思います。

 次に、原作との相違点について簡単にまとめます。

■くーちゃんこと、クロエについて。
第八巻でくーちゃんの正体が明かされましたが、いろいろ悩んだ結果、本作では8巻発売前に考えていたオリジナル設定でいこうと思います。ポジション的にはロリキャラ兼マスコット的な感じで口調や性格が幼いです。あと専用機<黒鍵>もなく、<遺伝子強化素体>でもありません。

■二代目<ブリュンヒルデ>について。
原作では、イタリアの操縦者が二代目<ブリュンヒルデ>(正確には辞退) ですが、本作ではアメリカの国家代表のジェニファー・J・フォックスが二代目<ブリュンヒルデ>になっています。
ジェニファー初登場回の時点では、まだ誰が二代目<ブリュンヒルデ>なのか判明していなかったので、オリジナルの設定を採用しています。

■亡国機業について。
可能な限り、原作の設定や世界観を踏襲する。それが私の作品のスタンスでしたが、亡国機業の設定については大きく変更しました。(それ以前に設定らしい設定がありませんが)
発足は第二次世界大戦中ではなく、1962年のキューバ危機以降です。それを期に世界の存続を危ぶんだ米ソによって創立され、当時の宇宙開発に大きく貢献した。という設定です。理由としては、1960年代の時代背景が一夏の生きている時代に似ているからです。
世界の存続が危ぶまれた事件。キューバ危機と<白騎士事件>。
それを発端に創立された組織。<亡国機業>と<デウス・エクス・マキナ>。
宇宙進出のために開発された、ロケットとIS。そして、どちらも軍事転用されてしまったこと。
黒人差別と男性差別。東西冷戦と<世界冷戦>。など
また、亡国機業をそう設定するにあたって、一夏を誘拐した犯人も別者へと変更しました。

 最期にお詫びを。この度、10カ月間も更新をせず、申し訳ありませんでした。
 理由はリアルが忙しかったことと、執筆に疲れてしまったことです。仕事の疲れもあって、次第にパソコンの前に座ることが億劫になってしまいました。その結果が今ある現状です。
ですが、長い休憩を経てリフレッシュできましたので、いま一度がんばろうと思います。
 主人公のアリスと共にゼイゼイと息を切らしながら。

 では、ここまで読んで下さった読者のあなたと、感想を書いてくださった方々に最上級の感謝をささげながら失礼させて頂きます。

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