IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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<黒うさぎエンゲージ>
第17話 新たな任務


 5月下旬。襲撃のごたごたも落ち着き、学園は平穏を取り戻しつつあった。

 とはいえ、アリーナの復旧工事は、まだ完了しておらず、警備システムの見直しもあり、学園設備の大半は使えない状態だ。今週中には終了するそうだが、その間は訓練も行えないので、時間を持て余した生徒たちの多くは町へ繰り出している。

 私もその中のひとりで、いまは待ち合わせの最中だった。

 襲撃事件の晩、一夏から「俺と(買い物に)付き合ってくれないか」と誘われたからだ。

 

「――あの時、いじける篠ノ之さんを慰めるのにどれだけ苦労したか」

 

 待ち合わせの合間。私は衛星通信で、いまある経緯を相手に愚痴った。

 しかし、通信相手は楽しそうに笑うだけだ。

 

『ふふ、昔からどこか抜けたところがあったからね。誰に似たのやら。――じゃあ、これからデート?』

「違いますよ、買い物に付き合うだけです」

『男女がふたりで出かけたら、それはデートよ。まあ、呼び方なんて、なんでもいいわね。折角の機会ですもの。楽しんできなさい。スクールライフを謳歌するのも、任務のひとつよ』

「気持ちはうれしいのですが、、私よりもこういうことを望んでいる子いると思うと、素直に楽しめないというか、気が重いというか……」

 

 会話の合間、私は立ち並ぶビルの一角に視線をやった。その先で何かがきらりと光る。

 双眼鏡のレンズに、太陽光が反射して起こる現状だ。

 つまり、誰かがこちらを監視している。監視しているのは、間違いなく篠ノ之さんたちだろう。

 

 

「篠ノ之さんに、イギリスの代表候補生に、中国の代表候補生に。彼すごくモテるんですよ」

『あらあら、なんだか心配ねぁ。あの子、昔から鈍いところがあったから。アリス、片手間でいいわ。うまくフォローしてあげてくれる? 一夏くんが刺されないように』

「刺されるって、まあ、刺されそうですけど。――あなたがそういうなら、そうします」

 

 組織の最高意識決定(ルイス・キャロル)がそういうなら、私は一肌も二肌も脱ぐ所存だ。

 

『ありがとう、頼りにしているわ。それとくれぐれも、私のことは内密にね』

 

 と言った直後、何の前触れもなく、私の背後に一夏が現れた。

 

「よ、アリス、待たせたな」

「ふぁッ!」『ふぁッ!』

 

 私は(とおそらくルイスも)、その場で数センチ飛び上がった。

 

「い、いえ、私もいまきたところです、よ?」

「そうか。――で、誰と電話していたんだ?」

 

 私は慌てて通信機を隠した。組織のこと。通信相手のこと。そういった諸々の事情を、一夏に知られてはいけないのだ。特に通信相手の存在については。

 

「ちょっと遠くの友人とね。急にかかってきまして」

「お、おう?」

 

 詮索されたくない私は適当に誤魔化し、『では、また連絡します』と通信を切る。通信機から『あっ』と何か言いたそうな声が聞こえてきたけど、いまは話を逸らす方が先だ。

 

「――それで今日はどこに行く予定で? 何を購入する予定があるのでしょ?」

「ああ。実は、箒たちにプレゼントを贈ろうと思ってさ。それで何がいいか、アリスに選んでもらおうと思ったんだ。こういうのは、男性目線より女性目線の方がいいだろ」

「なるほど、そういうことでしたか」

 

 誘われた意図がわかって、すっきりした気分になる。

 そういうことなら喜んで協力しよう。ルイスにもフォローしてくれって言われているし。

 

「でさ、何がいいと思う? 女性なら、やっぱりアクセサリーか」

「そうですね……。思いきってランジェリーなんてどうです?」

「できるかッ。そんなもん贈った日には、俺は完全な変態だ!」

 

 冗談半分だったけど、本気にした一夏は顔を真っ赤にした。

 

「つーか。おまえだって、そんなもん贈られたら困るだろ」

「その日に燃やしますね」

「それはそれでひでーな……」

 

 だって、気持ち悪いじゃないですか。その人の下心が透けて見えて。

 でも、これが恋人からの贈り物なら、がんばって着てみようって気になるけど。

 

「まあ、とりあえず、ランジェリーは却下だ。他のプレゼントで頼む」

「イエッサー」

 

 私は敬礼しながら、何がいいか考えた。

 感謝を伝えたいなら、花束でもいいと思うけど、――と、そこで、私の目にあるお店が留まる。

 ファンシーな雰囲気に、柑橘系のいい匂い。その店は、お風呂用品を取り扱う店だった。

 

「一夏、入浴剤なんてどうです?」

「入浴剤か。ぴんと来ないが、女性は喜ぶのか?」

「ええ、消耗品なので処分にも困りませんし、値段も手ごろなので、贈った相手に気を遣わせないでしょう。なにより、篠ノ之さんもオルコットさんも、お風呂好きですからね」

 

 特にオルコットさんなんて、自室に浴槽まで持ちこんでいるという話だ。なんでも、大衆浴場が苦手らしい。ちなみに、オルコットさんは学園に多額の寄付をしており、特待生として優遇されている。その待遇を利用して、部屋を丸々改装させたという話だ。

 

「よし。じゃあ、そうするか」

「ええ、そうしましょう」

 

 というわけで、私たちは、お風呂用品店に足を運んだ。

 店頭にやってくると、店員さんが店頭で実演販売を行っていた。テーブルには、見慣れぬ機器に水槽と薬剤が置かれている。一体、なにをする道具なのでしょう。興味が沸いた私たちは、店員さんに尋ねた。

 

「これはなんですか?」

「いらっしゃいませ。――これは自宅で泡風呂が楽しめる装置です。こちらの機器に専用の入浴剤を入れていただきますと、このようになります」

 

 おお、機械に液体を入れたら、モコモコと泡が沸いてきましたよ。

 

「おもしろいですね、これ」

 

 私は子どものようにはしゃぎながら、その泡を両手で掬い取った。

 

「一夏、ふぅ~」

 

 私は手に取った泡を一夏に吹き付けた。

 

「うわ、なにすんだ」

 

 一瞬で泡まみれになった一夏がおかしくて、私はたまらずフフフと笑う。

 一夏は、やりやがったな、こいつ……と、纏わりついた泡を払った。

 

「ふふふ、おちゃめな彼女さんですね」

 

 微笑む店員さんに、私と一夏はいえいえと手を振った。

 

「いえ、彼女はクラスの同級生なんです。別に付き合っているわけじゃなくて」

「あ、これは申し訳ありません。当店には、カップルの方も多くご来店いただいておりまして、ついそのような関係かと」

「確かに多いな」

 

 店員さんの云うとおり、店内には男女ペアが多く見受けられた。

 てっきり、こういうお店は女性客が主だと思っていただけに、ちょっと驚きだ。

 

「最近、お風呂デートを楽しむカップルが増えているようでして」

「お風呂デート?」

 

 聞き慣れない単語に一夏と私は顔を見合わせた。

 

「恋人がお風呂でスキンシップを楽しむことだそうです。彼氏さんに身体を洗ってもらったり、彼女さんに身体を洗ってもらったり。そうやって仲を深めるんですって。まあ、洗い合いっこですね」

「あ、洗い合いっこ……」

 

 一夏は顔を真っ赤にした。思春期の彼にはちょっと過激的な言葉だったかもしれない。

 

「ふふ、一夏ったら、顔を赤くして、純情ですね」

「そういうお前こそ、顔真っ赤だからな」

 

 そりゃ私だって多感な時期ですもの。

 “男女がお風呂で洗い合いっこ”なんて言われたら、ワードだけでドキドキします。

 

「ふふ、お二人そろって純情ですね。本当に付き合ってらっしゃらないんですか?」

 

 いやいや、そんなジーっと真剣に疑われても。私たちは正真正銘ただのクラスメイトだし。

 なおも店員さんは『お似合いだと思うんですけどねー』と首を傾げ、

 

「まあ、そういうわけもあって、当店ではカップルの方によりお風呂デートを楽しんでいただけるよう、いろいろな商品を取り扱っております。よろしければ、ご覧になって行ってください。――あと、よければ、これをどうぞ、皆様にお配りしている試供品です」

 

 店員さんが私たちに手渡したのは、どこが毒々しい紫色の液体が入った小瓶だった。

 ラベルに“ラブポーション”とある。見るからに怪しい感じの液体だけど……

 

「あのこれは?」

「媚薬効果のある入浴剤です。入浴剤代わりに使って頂くと、えっちぃ気分になります」

『いや、結構です』

「大丈夫ですよ、効力は私自身が身を以て経験済みですから。夜も眠れませんでした」

 

 いや、いい顔して、親指を立てられましても。別に効果を疑っているのではくて……

 

「タダなので、もらってください」

 

 結局、女性店員さんに押し切られ、私はラブポーションとやらを受け取ってしまった。

 はあ、どうするんですか、これ。使っても、ひとり悶々するだけなのに……。

 

 

      ♡          ♣          ♤        ♦

 

 

 買い物を終えたあと、私と一夏はオープンカフェで昼食を取ることにした。その食後。

 

「今日はありがとな。おかげでいいプレゼントが買えたよ」

「いえ、こちらこそ、昼食をご馳走してもらえましたから」

 

 私は食後のジェラートを頬ばりながら、ご満悦な笑みを浮かべた。

 ちなみに、篠ノ之さんにはお香、鈴にはアロマキャンドル、オルコットさんには入浴剤を購入した。それに感謝のメッセージを添える予定だ。

 

「でさ、今日アリスに付き合ってもらったのは、他にも理由があるんだ」

 

 と、一夏は急に神妙な顔つきでそう言った。

 

「なんです?」

 

 と、食後のジェラートをひとくち。

 

「実は<レッド・ティアーズ>について調べてほしいんだ」

 

 <レッド・ティアーズ>。一夏が私の専用機につけた便宜的な仮名だ。彼を助けたとき、私は自分の正体を明かせなかった。そのため、彼は<赤騎士>(レッド・ティアーズ)が、私だと知らないのだ。

 

「アリスって、こういう情報を集めるの得意だろ。それを見込んで調べてほしいんだ」

 

 そう言った彼の目は、真剣そのものだった。それは興味本位や好奇心で<レッド・ティアーズ>の正体を暴こうとしているのではなく、何か別の大きな目的があるように思えた。

 

(どうしようかな)

 

 なにせ自分のことだ。調べるもなにもない。かといって、本当のことも言えないし。

 私がみかんのジェラートを口にしながら返答に困っていると、ひとりの女性がやってきた。

 妖艶な紫苑の瞳。神秘的なプラチナブロンドの女性。私の上司、ロリーナだ。

 

「あら、ロリーナじゃないですか」

「なんだ、この美人さん、アリスの知り合いか?」

「ええ。紹介します、彼女は私の友人のロリーナです」

「うふふ、初めまして。お会いできて光栄よ、織斑一夏くん」

 

 ロリーナは母性的な声音でスカートの袖を摘み、柔らかな物腰で頭を下げる。

 優雅な大人の色気に見惚れがちだった一夏は、ハッとして言った。

 

「俺を知っているんですか?」

「ええ。世界で始めてISを動かした男性。ニュースを見ていれば、誰もが貴方を知っているわ」

 

 彼の適正が判明したあと、その希少性からメディアの格好の餌食となった。それあって彼の知名度は、そこらのコメディアンより高い。もっとも、ロリーナは報道される以前から知っていたのだろうけど。でなければ、直後に私へ命令が下ったりしない。

 

「それでロリーナはどうしてココに?」

「暇が取れたから、ちょっと<倉持技研>にいる知り合いと食事でも、と思ってね」

 

 <倉持技研>は、<白式>を開発した日本の国防技術研究所だったはず。

 もしかして、ロリーナはあの奇人である篝火さんと知り合いなのだろうか。

 

「でも、次世代機の開発が忙しいみたいで、断られてしまったのだけどね。――ところで、これから何か予定があったりするかしら?」

「い、いえ、特には」

 

 プレゼントも買い終えたので、あとはぶらついて帰るだけだ。これといった用事はない。

 

「じゃあ、少しアリスをお借りしてもいいかしらん?」

 

 と、意味深な流し目を私に送る。その意図を汲みとり、私は頷いた。

 

「わかりました。そういう事なので、この辺で失礼してもよろしいでしょうか?」

「おう。でも、寮の門限までには帰ってこいよ。うちの寮監、規則にうるさいからな」

「わかりました。それと、例の件について、一応調査しておきます」

「お、ありがとな」

「では、私はここで」

 

 一夏にそう別れを告げ、私はロリーナと、カフェを後にした。

 

 

      ♡          ♣          ♤        ♦

 

 

 一夏と別れた後、私たちは話し場を設けるため、人気の少ない喫茶店に足を運んだ。

 70年代のレコード曲に、ジュークボックス。クラシックな雰囲気がとてもアダルトな店だ。大通りから脇にそれた場所にあるので人気が少なく、密談するにはもってこいの場所になっている。

 

「ご注文のホットコーヒーとイチゴパフェをお持ちしました。では、ごゆっくりどうぞ」

 

 ウェイターから注文の品を受け取ると、私は改まった顔でロリーナを見た。

 

「それで私に用とは?」

「任務よ。まずこれを見て」

 

 ロリーナは持っていたタブレット端末を操作して、何かの資料を表示させた。

 資料には、幼い少女の写真が一枚添付され、隣には名前や性別、生体情報や成長過程が事細かに記載されていた。さながら医療カルテのようだ。使われている言語がドイツ語なので、余計にそう見える。

 

「C-0037?」

 

 資料に記載された名を読み上げる。それはおおよそ人の名前ではなかった。

 

「それは識別名。現在ではラウラ・ボーデヴィッヒという名前で呼ばれているそうよ」

「まるで彼女が製品(もの)であるかのような扱いですね。彼女は一体?」

「彼女は<遺伝子強化素体(アドヴァンスド)>。いわゆるデザイナーズベイビーよ」

 

 デザイナーズベイビー。受精卵の段階で遺伝子操作を受け、人工的に容姿や能力を操作されて生まれてきた子供の総称だ。大概は“理想の子供が欲しい!”という親のエゴによって行われたりするが、この資料を見る限り、そんな単純なモノではなさそうだった。

 もっと、欲深い―――人の(ごう)のようなモノを感じる。

 

「彼女は、強力無比の兵士を作るため、軍用に遺伝子操作(デザイン)された子供なの」

 

 その言葉に、私は気分を害した。

 子供に遺伝子改造を施し、戦争利用する。計画の考案者は神にでもなったつもりなのだろうか。だとしたら滑稽な話だ。やっていることは、他ならぬ悪魔の所業だ。

 

「螺旋機関が聞いたら激怒しそうな話ですね」

 

 螺旋機関。2003年ヒトゲノムの解析が終了したと同時に発足された、遺伝子に関する研究機関だ。世界保健機関(WHO)の部門だった頃は、遺伝子の解析が主な仕事だったけれど、独立してからは“倫理に反する遺伝子操作が行われていないか”などを監視する組織となっている。

 

「それで、どこの国がこんな事を?」

「ドイツよ。計画自体はナチス時代から。その後、ソ連が研究データを接収し、東ドイツで研究が続けられていたそうよ。西と統合されてからも、密かに行われていたみたいね」

「という事は、こんな研究が何十年も?」

「もちろん、すべての科学者が賛同していたわけじゃないわ。東ドイツ時代では良心の呵責に苛まれて、西側へ亡命しようとした研究者もたくさんいたそうよ。でも、その大半が叶わなかったわ」

「“壁”を越えられなかった?」

「ええ。そして、連れ戻された。――いつもそうよ。政治の勝手な都合で科学者は利用される」

 

 ロリーナは苛立ちを発露するように、パフェのラズベリーをスプーンで押しつぶした。

 彼女は優秀な技術者だ。それゆえに望まぬ研究や開発を強要されてきたのだろうか。

 そんな彼女の心情を察しつつ、私は話を進めた。

 

「それで私は何をすれば? 遺伝子のサンプルでも採ってくればいいのですか?」

「いえ。ラウラ・ボーデヴィッヒ自体は直接のターゲットじゃないの。貴女に調査して欲しいのは、彼女が乗る第三世代型IS<シュヴァルツェア・レーゲン>」

 

 黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)。不吉な機体名(コードネーム)だな、と私は思った。

 黒い雨は、原爆投下地である広島や長崎で降ったとされる、放射能を含んだ雨のことだ。

 核熱で燃えた都市の煤を含んでいたため、黒く淀んでいたらしい。それをISのコードネームにするなんて、名付け親は無知か、悪趣味か、どちらにしろ、まともな奴じゃないだろう。

 

「でね、この機体には<シュバルツェア、ツヴァイク>と呼ばれる姉妹機が存在するのだけど、レーゲンは何故かこのツヴァイクと異なる場所で製造されたの。なぜだと思う?」

遺伝子強化素体(ラウラ)の専用機として、機体をカスタマイズするためですか?」

「いいえ、レーゲンにVTシステムを搭載する為よ」

「ヴァルキリー・トレース・システム……ッ」

 

 ヴァルキリー・トレース・システム。

 <モンド・グロッソ>の部門優勝者<ヴァルキリー>の力を機体に投影するシステムのことだ。しかし、VTシステムは安全性の面から<アラスカ条約>で、開発の一切が禁止されているはず。

 

「子供に遺伝子改造を施し、兵器として扱うような連中が条約ごときを守ると思う?」

 

 ロリーナの言葉に、私は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 そうだ。生命を冒涜し、倫理を踏み躙るような連中が条約など守るはずがない。

 

「それでラウラ・ボーデヴィッヒは、来週辺り<シュヴァルツェア・レーゲン>を携えてIS学園へ入学してくるそうよ。目的は、今月行われる<学年別個人トーナメント>に出場するため。近々、欧州連合で統合防衛計画<イグニッションプラン>の次期主力ISを決めるコンペがあるの」

 

 統合防衛計画『イグニッションプラン』。

 <白騎士事件>発生以降、大国間の衝突を危惧した欧州連合は、共通防衛政策における独立的軍事行動を唱え、欧州安全保障防衛政策(EDSP)を規定した。<イグニッションプラン>は、そのESDPに盛り込まれた共同防衛プロジェクトのことだ。

 そこで採用する次期主力ISのコンペが行われていることは、私も知っていた。

 

「ドイツは学園のトーナメントを利用して、<シュヴァルツェア・レーゲン>の性能を委員会にアピールするつもりなのよ」

「そこで私の出番という訳ですか」

 

 ロリーナは頷く。

 IS学園は一種の治外法権区なので、外部から学園の生徒に干渉できない。だから、VTシステムの調査を行えるのは、学園内部の人間に限られる。そこで白羽の矢が立ったのが、私だという訳だ。

 

「貴女には<シュヴァルツェア・レーゲン>にVTシステムが搭載されているか調査して、その証拠を掴んで欲しいの。もし搭載されていた場合は、破壊も視野に入れて」

「破壊も、ですか……」

「ええ。VTシステムは<ヴァルキリー>レベルの操縦者を安易に生み出せる画期的なシステムかもしれない。けれど、同時に操縦者を廃人にしかねない危険なシステムなの。覚えているでしょ? VTシステムが条約で禁止されるきっかけになった米軍の事件を」

「ええ。まだ記憶に新しいです」

 

 それは私が組織に所属する以前、アメリカ軍に所属していた頃の話だ。

 アメリカの開発したVTシステムでISが暴走し、試験を勤めていた米兵が三人、亡くなった。その内の一人が――私の親友だった。名前はエイミーといった。

 

「軍事は倫理よりプライオリティが高いわ。必要性があれば、人は倫理のハードルを容易く乗り越えられる。だからといって、VTシステムの開発を許すわけにはいかない」

「了解しました」

「気をつけてね。ラウラは<黒うさぎ隊>の隊長を務めるほどの手練れだから」

「黒うさぎ隊。ドイツの特殊部隊ですよね。話では隊員全てがナノマシンによる人体強化を施されているとか?」

越界の瞳(ヴォーダン・オージュ)ね。ナノマシンを注入する事で、視覚信号の高速化と、超高速戦闘下での動体反射を向上させているらしいわ。加えて、彼女の駆るISは、第三世代型実戦機よ。貴女の見てきた<ブルー・ティアーズ>や<甲龍>といったEMD試作機とは、まるで完成度が違う。真っ向勝負では、貴女でも分が悪いわ」

 

 操縦者は、遺伝子改造とナノマシンによる肉体強化を施された強化人間。

 駆る専用機は、過酷な実戦に耐えうる性能を秘めた第三世代型。

 鬼に金棒とは、こういう事をいうのだろう。今回ばかりは私でも一筋縄でいかないか。

 

「万全を期す為にも、今回から<赤騎士>の使用を許可するわ。訓練用の<ラファール・リヴァイブ>や<打鉄>では、厳しいところがあるからね。――はい、<コア>のダミー国籍とその資料よ」

 

 私はロリーナからメモリーディスクとその資料を受け取った。

 

「それで国籍は」

「イギリスよ。国籍登録後は書類上だけイギリスの所属になるから、そのつもりでいてね」

「了解しました。で、資料にある『登録後、<赤騎士>はBT試作機とする』というのは?」

「それは<赤騎士>が“イギリスのISである”という信憑性を高めるための欺瞞よ」

「でも、私のクラスには、BT試作一号機を駆るイギリスの代表候補生がいるのですけど」

 

 私のクラスには<ブルー・ティアーズ>の専属操縦者セシリア・オルコットがいる。

 彼女は思量深く聡明だ。おまけに知識にも富む。<ブルー・ティアーズ>の系譜に<赤騎士>なんてISが存在しない事ぐらい、すぐ見抜くのではないだろうか。

 

「大丈夫よ、英国政府にも根回ししてあるから。もし彼女が感づいたとしても、英国政府や開発局が貴女に口裏を合わしてくれるわ」

「そうですか。でも、あのイギリスがよく協力してくれましたね」

「私たちとの利害が一致したからね」

「利害が一致?」

「そう。イギリスの<ブルー・ティアーズ>も、<イグニッションプラン>のコンペに参加しているの。もし、私たちがドイツの条約違反を白日の許に晒せれば――」

「ドイツの<シュヴァルツェア・レーゲン>が<イグニッションプラン>の選考から落とされて、イギリスの<ブルー・ティアーズ>が一歩有利になる」

 

 なるほど。どうりで、あの気位の高い英国が、こんなに優遇してくれる訳だ。

 いや、この様子だと<テンペスタⅡ>を押しているイタリアも一枚噛んでいるのかもしれない。

 

「それにしても、貴女には酷な仕事ばかり押し付けてしまっているわね」

「気にしないでください。私は組織の走狗。与えられた任務をこなすのが仕事ですから」

「仕事、ね……」

 

 慰めたつもりが、ロリーナは逆に表情を曇らした。

 

「貴女が組織のために尽力してくれるのは嬉しいわ。でも、貴女はまだ年端も行かない16歳の少女。本来なら青春を謳歌させるべきなのに、私たちは貴女にこんな事を命じている。酷い大人ね」

 

 ロリーナは、私を妹のように可愛がってくれている。だから、“戦え”と命じるたび、心を痛めていた。きっと、あの人も。だから「学園生活を楽しむのも任務の一環」と言ってくれたのだろう。

 私は、そう思ってもらえるだけで十分だった。だから言う。

 

「今は青春を謳歌させてもらっています」

 

 任務という名分はある。それでも、私はいままで生きてきた中で、一番楽しい時間を過ごしている。その機会を与えてくれたのは、他ならぬロリーナたちだ。彼女たちには感謝している。

 

「そう言って貰えると、救われるわ」

「いえ、むしろ、礼を言うのは私の方です。それで、礼というわけじゃありませんが――」

 

 私はさきほどの入浴剤店でもらった試供品を取り出した。

 

「疲労に利く入浴剤だそうです。よかったら、使ってみてください」

「あらそお? ここのところ疲れていたから、喜んで使わせてもらうわ」

 

 手渡した毒々しい小瓶を、ロリーナが喜んで受け取る。

 疑いもしないで、媚薬入浴剤を大事そうにしまうロリーナに、私はイタズラが上手くいってニヤける顔をがんばってこらえた。

 

 


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