IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第126話 王女が望んでいたもの

 シベリア、イルクーツク。バイカル湖のほとりにあるコテージ。ソフィアのセーフハウス。

 犬たちにエサを与えた後、備え付けのシンクで皿を洗っていると、簪がその手を止めた。リビングのテレビから不穏な報道が聞こえてきたからだ。振り返ってテレビを見やると、報道キャスターが<ルクーゼンブルク>との緊迫状態を報じていた。

 

「……ねえ、お母さん、ルクーゼンブルクはどうなるのかな」

 

 姉もソフィアに「クレムリンがパッケージを購入した」と告げていた。

 パッケージは、軍事作戦を梱包したPMCの商品だ。それを買ったということは、ロシアはルクーゼンブルクへ侵攻する準備を進めていることになる。

 

「そやな、このまま軍事圧力だけで終わればええけど、エアリス王女は屈っせんやろうな」

 

 櫛菜は食器洗いの手を止めず言った。

 

「……お母さんはエアリス王女がどんな人か知っているの?」

「いんや、会ったことないけど、極秘の来日があったみたいでな。おそらく<ロシアの恥部>絡みやろうけど、交渉はうまくいかんかったみたいやで」

「……そうなの?」

「<ロシアの恥部>は北方領土の軍事拠点化を阻止する重要な外交カードなんやわ。<白騎士事件>以降、日本は独自の防衛路線を取ったやろ? 米軍の抑止力が弱まって、ロシア側が強行な態度を見せるようになったさかい、歯止めのカードが必要になったんよ」

「……お姉ちゃんがロシアに潜入したのは、それを手に入れるためだったんだよね」

「そや。ほんで日本政府にとっても、更識の潜入はぎりぎりの判断やった。なんせ、日本は憲法で戦争を放棄したさかいな。準軍事作戦である諜報活動は憲法的にかなりグレーなんやわ」

「……危ない橋を渡って手に入れた<ロシアの恥部>は簡単にわたせない?」

「エアリス王女もそれは承知の上やったやろうから、視察の意味合いが強かったんちゃうかな」

「……視察って?」

「篠ノ之束がISを開発したとき、アメリカから技術開示を求められたけど、日本は無条件で開示したやろ。そのせいで日本は膨大な損益を被ったんや。あげく、専門機関の建設、その運営費まで押し付けられた。まさに泣きっ面にハチや」

 

 ま、そのハチは千春はんらが請け負ってくれたけれども、と櫛菜は付け加え、

 

「日本はアメリカの圧力に屈して“金脈”を失った。いま<ルクーゼンブルク>も10年前の日本と同じ境遇に立たされとる」

「……エアリス王女は、日本に自国の未来を見に来た?」

「そやな。けど、言うても日本は世界第二位の経済大国や。失ったものを取り戻す力がまだある。優秀な技術者もおるしな」櫛菜は簪を見やる。「けど、<ルクーゼンブルク>は難しいやろう」

「……だから、日本のように屈せない。でも、それだと……」

 

 簪は再びテレビを見やる。報道は引き続き、両国間の緊迫状態を告げていた。

 櫛菜は洗い終えた皿を置き、水道を閉めて、エプロンで手を拭く。

 

「大丈夫よ。それをやめさせるために、ソフィアさんは<ルクーゼンブルク>に潜入しているんやから。あの人はすごい人や。それは簪も知っとるやろ?」

「……うん」

「それにあの子もおる」

「……そうだね」

 

 困難な任務を遂行できるよう、姉を影から支えたソフィア。気弱な自分に勇気をくれたアリス。二人がいてくれたからこそ、いまの自分たちがある。

 

「二人がおったら、きっとなんとかしてくれるよ」

 

 

         ♠        ♢        ♣        ♡

 

 

 王宮、本邸前。再びエアリス王女と謁見するため、私たちは生い茂る木々の中に身を潜め、息を殺していた。私たちに扮したソフィアたちが近衛騎士団の注意を引きつけてくれているおかげで、何とか発見されずにココまで来られたけど――。

 

「ホントの難所はココからですね」

 

 王宮は二区から構成されている。国営を担う人間が住む本邸と、役職を持たない王族が住まう別邸だ。エアリス王女がいる本邸は、この国の政治中枢とあって警備は厳重だ。おそらく何十人の近衛兵が待ち構えているだろう。

 

「なら、思い切って正面から行くのはどうじゃ? わらわが盾となれば、近衛騎士団も迂闊には動けんじゃろ?」

「王女のお覚悟、痛み入ります。しかし、それは追い詰められたときの最終手段にします。やはり、誰にも気づかれず、謁見できることが好ましいです」

「とはいうがな――」

 

 と、その時、人の気配がした。

 咄嗟に銃を構える。

 潜入することばかりに気を取られ、周囲の警戒が疎かになっていたか。

 

「レイシー、わたしです」

 

 そう言ったのは、銀縁のメガネをかけたメイド。――メイド長のフローレンスだった。

 けど、私は銃を下ろさなかった。フローレンスさんはメガネを鋭く光らせた。

 

「レイシー、ローゼンクロイツでは、上司に銃を向けるよう習ったのですか」

「もうしわけありません、メイド長。いまあなたに騒がれるわけにはいかないのです」

「そうなのじぁ、フローレンス、悪いが大人しくしてくれ。いまからわらわは姉さまの許に向かい、止めなければならぬ。見過ごしてほしいのじゃ」

「それは承知しております」

 

 そういってフローレンスさんは恭しく頭を垂れたあと、

 

「こちらへ」

 

 メイド服を翻し、ついてこいとばかりに歩き出していく。

 私たちをどこかへ案内しようとしているらしい。私とアイリス王女は顔を見合わせた。

 

「行ってみようぞ。フローレンスは信用できる」

 

 私より付き合いの長い王女が言うのだ。私は「わかりました」と答えた。

 フローレンスさんに案内された場所は本邸の裏手だった。物置とおもわしき小屋がいくつか立ち並んでいる。あるのはそれだけで、人の気配はない。監視の目も緩そうだった。

 

「どうぞ、こちらです」

 

 と、フローレンスさんがひとつの小屋の中へ案内する。

 長い間、使われていないのか埃っぽい。おかげで、待ち伏せの可能性は失せた。

 

(しかし、何のためにここへ私たちをつれてきたのか)

 

 「ここは?」と私が問うと、フローレンスさんは奥の木箱に手をかけた。

 

「レイシー、手伝ってちょうだい」

「あ、はい」

 

 言われるがまま木箱に手をかけ、フローレンスさんと隅へ移動させる。

 舞ったホコリを払い除けた場所から四角いハッチのようなものが出現した。

 

「本邸に続く隠し通路でございます。エアリスさまの執務室近くまで繋がっております。この通路の存在を知っているのは、一部の使用人と先代の国王さまだけでございます」

 

 つまり、王家の人間すら知らない秘密の通路。

 これを使えば近衛騎士団に気づかれず本邸に潜入できる?

 

「なぜ、そんなものが」

「前国王さまが、ある女性と逢引きするために、こっそりと作らせたそうです」

「お父さまが?」

「まるでケネディー大統領ですね」

 

 ウソか、ホントか、ホワイトハウスには、マリリンモンロー用の隠し通路があるらしい。

 そんな都市伝説をナタルから聞いたことを思い出し、私は一人笑う。

 

「で、その女性とは?」

「イリア様です」

「お母さまが!」

「イリア様は、ココの侍女であらせられました。身分の差をお気にされていたわけではありませんでしたが、代々国王が身分の高い方を娶られていたこともあって、人目を慎んでおられたようです」

 

 私は「なるほど」と隠し通路を見た。

 両親が密会に使っていた通路を、その娘が使うことになるとは……。でも、なぜ私たちにその存在を明かしたのだろう。私たちに協力することは、王家の意向に逆らうことになるだろうに。

 

「私には五歳になる息子がおります。今は王都で夫と暮らしております」

 

 フローレンスさんはややさびしそうに顔を伏せた。

 住み込みの仕事なので、会えない日も多いのだろう。

 

「どうか、ここが戦火に見舞われないよう、エアリス王女さまに取り計らいを」

 

 そう深々と頭を下げるフローレンスさんが、見せた顔は侍女のものじゃない。子を想う母の顔だった。そんな顔を何度も見てきたから、私にはよくわかった。アイリス王女にもわかったようだった。彼女はこの町が戦火にさらされることを望んでいない。

 

「任せておけ、フローレンス。必ずお姉さまを説得してみせる」

「はい。どうかよしなに。――では、お早く」

 

 いくら秘密とはいえ、ゆっくり感慨に耽ってもいられない。私たちは地下へ続く梯子を下り始めた。降りると、アイリス王女はもう一度「では、任せろ」と出入り口を見上げた。

 フローレンスさんがもう一度深く(こうべ)を垂れる。今度は主人を見送るメイドのそれだ。「いってらっしゃいませ」と。そして、フローレンスさんは扉を閉めにかかった。その扉が閉まる間際、アイリス王女が目をこする。

 古い通路だ。土埃が目に入ったのかと思ったが、違うようだった。

 

「どういたしました?」

「いや、扉を閉めるフローレンスの後ろにお父様とお母様が見えた気が……」

「本当ですか」

「うむ、手を振っておられた」

「そうですか。きっと王女陛下を応援なされているのでしょう」

「そうかもしれぬな」

「期待に応えましょう」

 

 私はAKを構え、先頭に立った。

 

 

         ♠        ♢        ♣        ♡

 

 

 馬ほどある機械の大狼は、その巨躯に似合わない跳躍を繰り返し、街中を駆け抜けていく。

 セシリアは疾走する<フェンリル>の背に跨りながら、王宮を振り返った。

 

「このまま王宮を出てよかったの?」

「ああ、王女はアリスに任せて、オレたちはオレたちの仕事を行う」

 

 ソフィアは二つのデータディスクを取り出した。

 

「君のお母さんと同じことをさせてもらう」

「お母さまと?」

「話はすこしばかりさかのぼるが、――1990年、イラクがクウェートに侵攻しただろ」

「ガルフウォー」

「国際社会はアメリカを中心にした多国籍軍を中東に派遣した。だが、日本は自衛隊を派遣せず、資金援助のみ行った。それが国際社会の顰蹙を買った。そこで16代目楯無はメディアコントロールの実態を国際社会に公表し、この戦争がアメリカのプロパガンダによって誘導されたことを示したんだ」

「アメリカは堂々と戦争するために、マスメディアを使って社会や国民を扇動していたというわけですのね」

「そうだ。更識の暗躍によって参加しなかった日本のメンツは守られたが、メディアコントロールの実態が暴かれたことで、人々は新聞や報道を信じなくなっていった。メディア神話の終焉。それに変わって、普及したのが――――『インターネットだ』」

「デジタル神話の幕開けですわね」

「マスコミはオールドメディア。ネットこそがニューメディアだ。そんなふうに人々はインターネットに真実があると信じていった。キミの母親はこのデジタル神話を利用し、世の女たちを<女尊男卑>へ扇動した。ネットを飛び交う、誰が書いたかもわからないウソやウワサ、誹謗中傷、正しいかもわからない評価や評論を、みんな正しいと信じこんだ」

「なぜ世の女性はそんな愚かなことを……」

「宗教やカルトと同じだよ。弱者が神に“癒し”や“救い”を求めるように、彼女たちはインターネットに“癒し”や“救い”を求めた。正しいかどうかは問題じゃない。癒されるかどうか。気持ちがいいかどうか。嘘でもいいから、優しい言葉が欲しかったのさ。本来、それは男の役割だったが、それを果たさなかったから、女たちはSNSやネットにそれを求めた」

「あなたは、お母様と同じようにインターネットを利用してこの国の人間を扇動しようというの?」

「人間は情報を入手すると、頭の中でシミュレートを行う。想像をするわけだ。その想像の解像度(リアリティ)が高ければ、高いほど、人間の行動は現実社会に帰結する。反映される。つまり、人々の想像ソースであるデジタル情報を統制し、その想像力をコントロールできたならば、現実社会の人々の行動判断を指向することもできるというわけだ」

「環境管理型権力。VTシステムと同じロジックですわね。でも、インターネットの普及で誰もが情報を送信、受信できる現代社会。世界を飛び交うトラフィックは六京バイト超ですわ。コントロールなんて……」

「第五世代のコンピューターならその膨大な情報を処理することができる。そのために、彼女からこれを借りてきた」

 

 ソフィアは懐中時計のようなアイテムを取り出した。

 

「<白うさぎの権限>。不思議の国にアクセスするためのモノだそうだ。いま<ワンダーランド>が彼らの生活圏にあるデジタル情報の統制をおこなっている。人々がひとつのSNSアカウントへアクセスするように、な。そのアカウントでは<集合>が呼びかけられている」

「<集合>? 反政府デモを起こそうと?」

「この国に議会は存在しない。だから、政治的な決定を覆すには、これしかない。だが、彼らがこの国の未来を憂い、行動を起こすかは不確かだ。“ありのままの事実”を見た時、この国の人間がどう思うか。それとも何も思わないか。それはオレにもわからない」

 

 「さて」とソフィアは取り出したデータディスクの一枚をセシリアに渡した。

 

「これをキミに渡しておこう。アリーシャからあずかった」

「これは?」

 

 セシリアは不思議がりながらデータディスクを受け取った。

 

「すべての始まりだよ」

 

 

         ♠        ♢        ♣        ♡

 

 

 ルクーゼンブルク王宮。私たちは本邸の地下通路を進んだ。

 秘密通路とはいえ安全とは限らない。私はAKを構えながら油断なく足を進める。

 

「にしても、先ほどから思っておったが、随分と手馴れておるな……。メイドとは思えぬ」

「ここへ来る前は、とある私兵部隊にいましたので」

「傭兵という奴か? それがなぜメイドなんぞに」

「ある男性の行方を追って、ここに来ました。本当をいうとメイドじゃありません」

「じゃろうな。おぬしは仕事の手際が悪い。能力はフローレンスの半分以下じゃな」

「もうしわけありません。これでもがんばったつもりだったんですが」

「かまわぬ。で、その行方を追っている男というのは、何者じゃ? もしや恋人か」

 

 やや弾んだ声音だった。私は(かぶり)を振った。

 

「いえ、そういう関係じゃありません」

「じゃあ、どういう関係なのじゃ」

 

 私は言葉に迷った。

 私をこうまで突き動かすそれの正体。大事な友人の危機だからか、それとも親同然だった女性を安心させたいからか。――もしくは別の感情か。

 私が言葉に窮していると、通路の出口が見えた。梯子を昇った先は、暗く狭い場所だった。動くと、頬にやわらかいものが触れた。この絹のような肌触り。もしやここはクローゼットの中か。

 出ると、天蓋のベッドや高級な机が見えた。

 

「ここは寝室のようですね」

 

 さすがに王族の寝室に近衛兵の姿はなく、私は安心してAKを肩にかけた。

 

「うむ、ここはお父様の部屋のようじゃな。いまはお姉さまがお使いになられておる」

 

 私は頭の中で本邸の見取り図を開いた。

 初日に叩きこんだ図面が正しければ、王女の執務室はすぐ近くだったはず。

 

「うまく潜り込めたようじゃな。お姉さまの許まであとすこしじゃ。ゆくぞ」

「あ、王女陛下」

 

 堪え性のない王女のことだ。目的地まであとすこしだと気持ちが急いだのだろう。目的地に近づけば警備も手厚になってしかるべき。外の様子を確かめず飛び出す王女に、私が静止を呼びかけるも、通路から「いたぞ!」の声が響いた。

 

「し、しもうた!」

 

 王女はせめてもと顔を隠すが、そんなことで誤魔化せる状況でも相手でもない。

 私は誤魔化すことをあきらめ、アサルトライフルを構えた。

 

「王女、強行突破です。このまま執務室まで走ってください」

 

 発砲。威嚇射撃に怯んだ近衛兵が物陰に隠れる。

 私はタタタンと射撃を繰り返し、追っ手の頭を押さえながら走った。

 しかし、すぐ後ろからも足音が聞こえてくる。

 

「挟まれたか」

 

 ここは一本通路。進路も退路も塞がれたか。

 じりじりと距離を詰めてくる近衛兵に、私は前後に気を張った。

 

「囲まれたぞ、どうする」

「もうしわけありません、王女。こうさせていただきます」

 

 詫びて、私は王女を盾にする。近衛兵は王女への誤射を恐れて、攻撃をためらってくれた。

 何とか膠着状態に持ち込めたが、この先どうするか。最悪、ISを展開することも視野に入れていると、近衛兵の一団を割って、一人の女が現れた。肩にかけられたマントの意匠も、他の近衛兵と違う。金糸の刺繍で<GurandMaster>と施してある。騎士団のトップが直々に現れるとは。

 

「そこまでだ。抵抗はよせ、レイシー・アデル」

「よせと言われてやめるようなら、こんなところまで来ていません」

 

 一歩も引かない私に、騎士団長がフッと笑ってみせる。

 

「この状況でそんな態度を取れるとはな。肝の据わった女だ。メイドにしておくには惜しい」

「私もメイドは性に合わないと思っていたところです。モップよりこっちの方がしっくりくる」

 

 私は油断なく銃を構えた。

 

「なるほど。エアリス王女が監視しておけと命じられた理由も頷ける。お前のような人間は野放しにしておくには危険すぎる。こうなることを王女は予測なされていたのかもしれない」

「で、私を捕まえてどうしようと?」

「私は煮え湯を飲まされて気が立っている。アイリス王女を危険な目にさらしたお前たちを、この手で懲らしめて、独房に放り込みたいところだが、――エアリス王女は連れてこいとおっしゃられた」

 

 私はアイリス王女と顔を見合わせたのち、従うかどうか黙考した。

 その私にアイリス王女が「ジブリルはウソを言わぬ」と告げる。

 

「わかりました」

 

 私はAKをそっと床に置く。ジブリルは私の背後に回り、手を縛った。

 それを見た近衛兵たちが安心したように銃を下ろしていく。緊張感が一気に薄れていった。

 

「では、歩け。――アイリス王女さまもご同行を願えますか」

「うむ」

 

 私はジブリルさんにせっつかれながら歩いた。

 

 

 

 騎士団長に連行されて、私たちは、第一王女の執務室を訪れた。

 執務室では、王女が執務机で執務にあたっていた。今回の騒動に動じている様子はない。

 

「エアリス王女陛下、レイシー・アデルを連れてまいりました」

 

 エアリス王女は顔を上げた。そして、両手を組んで肘をつく。

 

「よく近衛兵たちの目をかいくぐって、ここまでこられたな」

「お父さまと、お母さまがお力を貸してくださいましたのじゃ」

 

 アイリス王女は強い決意を宿してそう言った。「ほぉ」とエアリス王女は笑う。言葉の裏側にある意味を察している様子だった。もしかすると、エアリス王女は秘密通路のことを知っているのかもしれない。

 

「お父様とイリア様に導かれてここに来たのか。では、おまえは何を望んでここにきた」

 

 アイリス王女は拳を握りしめ、倍ほど歳の違う姉をまっすぐ見据える。

 

「お姉さまを止めに参りました。――わらわは未熟です。政治ができるわけでもありませぬ。けれど、民のことはよく知っております。この国の民はみんな良い者です。優しく、毎日を健気に生きております。そんな彼らは争いなど望んではおりません。だから、お姉さま、今一度、考えを改めていただきたく思い、参りました」

「そうか」

 

 エアリス王女は執務椅子から立ち上がり、

 

「私もこの国を愛している。私も彼らの生活を守りたい」

「でしたら、国を戦火にさらすような行いは――」

「だが、愛国心で国が救えるなら、政治家など必要ない。必要なのは、現実を直視し、実行できる人間なのだ。――現実を見ろ、アイリス。この国には何がある? 立ち並ぶものは民家ばかりで何もない」

 

 エアリス王女はテラスに続く扉を開く。開かれた扉の先にあったのは、ルネッサンス時代をそのまま保存したような街並みだ。目立った企業も大学も存在しない。あるのは古い民家だけ。それはまるで近代化から取り残されたような風景だった

 

「ここ数十年、この国の産業は何も発達してこなかったのだ。私たちが彼らを手厚く保障してきたゆえに、な。この国の民は、働かざるとも、生活が保障されている。労働する理由がない」

「ですが、産業なくとも、この国には資源がありまする――」

「いいか、アイリス。資源はいつか枯渇する。資源が枯渇し、この国の価値がなくなったとき、この国は路頭に迷うしかない。遅かれ、早かれ、この国は危機に直面する。そのまえに、私はこの国を、資源に依存せずとも国民の自らの手で価値を生み出し、歩み続けられる国にしたかった。そう、務めてきた」

 

 そして、エアリス王女は初めて悲痛に笑った。

 

「しかし、私は見誤った。この国には、ソ連崩壊で混迷するロシア国内を見てきた者も多い。ゆえに恐れているのだ。自由になること。決断すること。その責任を背負うことに。彼らは大人になることじゃなく、親に保護される子供でありつづけることを選んだ」

 

 エアリス王女はテラスに立ち、寂しい表情を見せた。それは、大きくなっても乳離れできない我が子にどう接すればいいか困惑する母親の表情に見えた。

 

「私は国民の意識改革に失敗した。私の言葉は国民には届かなかった」

 

 それはある種の諦観なのだろう。自らの力量のなさを痛感しているようだった。

 エアリス王女はアイリス王女を手招きし、横に並ばせた。

 

「しかし、おまえの言葉なら民に届くかもしれないと思って、ここに呼んだ。お前にはここまで突き動かした情熱がある。おまえはこの国を照らし出す太陽になれる。月である私にはできないことができる」

 

 月じゃ世界を照らすことはできない。世界を照らし、温められるのは太陽だ、と。

 

「私は問題を棚上げするしかできなかったが、お前ならこの国を変えられるかもしれない。お前が王になった暁には“私”を使え。そして、糾弾しろ。『国を焼いた愚か者』と。“許せない”という国民感情は国家を動かす原動力になる。それがこの国を変える力になるなら、私は喜んで泥をかぶろう」

「姉さま……悪役になられる気で!」

「いいか、アイリス。政治は合理的であるべきだが、国民は感情で動く。そして問題定義を必要としないのだ。必要としているのは、わかりやすい“答え”だけ。この国にはわかりやすい悪役が必要なのだ」

 

 国民の生活を守るためにあえて“戦い”を選び、のちに“戦犯”として葬られること。

 義憤に駆られた国民たちの怒りが、この国を変える原動力になってくれたらと、願って。

 彼女が対峙していたのはロシアじゃなく、大人になれないこの国の国民性だった。

 

「このさきの10年は私がなんとかする。その先の10年はお前に任せた。私は愚かな王になる。おまえは優しい王になれよ、アイリス」

 

 エアリス王女がアイリス王女の肩を叩く。そう、次世代へ託すように。

 そのとき、正面の城門にひとすじの青い光条が奔った。それに射抜かれた城門が音を立てて崩壊していく。

 

「一体なんじゃ!?」

「王女陛下、こちらへ」

 

 ジブリルさんが直ぐにテラスの二人を室内に入れる。

 王宮が何かしらの攻撃を受けたことは明白だった。しかし、閃光はそれっきりで、二射目はこない。ジブリルさんは状況を把握するために、通信機を握りしめた。

 

「何が起きている。わかる者は直ちに報告しろ」

 

 ザザッと応答が入る。部下からの報告だ。それを受けたジブリルさんは、驚きを露わにした。

 そして、その驚きのまま王女へ現状を伝えた。

 

「王女陛下……、城門の外に民衆が集まっているそうです」

「そうか」

 

 ジブリルさんの報告を受けて、エアリス王女とアイリス王女が穴の開いた城門をみやる。空いた穴から流れ込んできたものは、――まさしく街の者たちだった。彼らは何かに駆り立てられるように王宮内へ流れ込んでいた。

 

「いかがなさいますか」

 

 いくら国民とはいえ無許可に立ち入ることは禁じられている。それもただ訪れただけじゃない。何かに駆り立てられている。一見すれば暴徒にも見える。彼らは一様に穏やかじゃない。愚かな方向へ舵を切った王女を断じるために来たのだ。

 しかし、エアリス王女は冷静に言った。

 

「このままでいい。近衛騎士団にも“手を出すな”と伝えろ」

「し、しかし!」

「いいのだよ、ジブリル。――時が来たんだ」

 

 覚悟に満ちた表情だった。そんな王女を苦しそうに見つめたのは妹のアイリス王女だ。この幼い王にも既にわかっているようだった。彼ら民衆が何を求めてここを訪れたのかを。

 

「お姉さま……」

「いいのだ、アイリス。彼らは自分の未来は自分で決めようと立ち上がったのだ。こんなにうれしいことはないよ」

 

 戸惑いなんてこれっぽっちも感じられない、むしろ歓喜すら感じられるほどに、王女は冷静だった。

 王家に不満をためた者たちのデモ隊が、執務室に流れ込んでくる。多すぎて、通路まで埋め尽くされていった。

 そんな彼らを代表して、一人の男性が前に進み出てくる。歳は50ほど。貫禄ある男性だ。たれた目尻から温厚そうな面構えだったが、表情は険しい。彼らはこの王女を断じるためにココを訪れたのだろう。その決意が強く感じられた。

 

「ならぬ、みんな、ならぬのだ」

 

 アイリス王女が必死めいて止めようと男の許に駆け寄る。男は膝を折り、王女に頷いて見せた。――そして、やさしく、エアリス王女を見やる。そしてこう言った。

 

「エアリス王女陛下、わしら、甘えとりました」

 

 先の険呑な貌を穏やかにして。

 その言葉に、王女が戸惑いを見せる。男は立ち上がり、続けた。

 

「わしらは、ただ与えられたものを享受するだけで、何も考えず生きてきました。この国が危機に直面していても見向きもせず、誰かがなんとかしてくれる、そう思っとりました。な、みんな」

 

 男が振り向いて呼びかける。民衆たちは頷いてみせた。ここに居るものは、みんな同じ気持ちのようだった。「俺たちは享受するだけの子供だった」。そんな声も聞こえてきた。

 

「エアリス王女さまは、ずっと仰られていました。『われわれ一人の力は微力だが、みんなが力を合わせれば、この危機も乗り越えられる。だから、私に力を貸してほしい』と」

「だけど、おれたちゃ耳を貸さなかった。自由になることが怖かった。責任を負うことが恐ろしかった」

「誰かに押し付けた方が、楽だったしな」「誰かが代わりにやってくれると思っていた」

「王女さまはそんなわたしたちを見捨てることなく、いろんな国を巡って、頭を下げてくださった」

「王女さまは、わしらが押し付けたモノを、御一人でお背負いになった。その影でどれだけ悩み、考え、苦慮なされていたか、知ろうともせず」

「でも、俺たちはようやく知った。誰かは知りませんが」

 

 若い男がデジタル端末を見せる。そのモニターには、執務室が映っていた。

 

「一部始終が流れていたのか」

「王女陛下。失礼ながら放送させていただきました」

 

 私は胸のブローチを外して、見せた。そこには小型の隠しカメラが埋め込まれている。

 ソフィアのスパイアイテムのひとつだ。

 

「王女のお覚悟を聞いて、俺たちもようやく目が覚めました」

「この国は俺たちの国だ。俺たちの手で守っていかないと、そうようやく覚悟を持てた」

「私たちにもこの国の未来を背負わせてください」

 

 民衆たちがさらに執務室に詰め寄る。

 その者達を代表するように、アイリス王女が先頭に立つ。

 

「みなこう言っておりまする。変わろうとしております。どうか彼らを信じてやってください」

 

 嘆願するアイリス王女の後ろで、国民たちもまた固唾をのんで王女の返答を待つ。エアリス王女は彼らの声を黙ってきいたあと、背を向けた。そして、執務机に置かれた内線のボタンを押した。

 

「オズワルド、緊急の<王族会議>を開く、各関係者を早急に集めてくれ。ロシアとの国交回復の道を探る」

 

 それを聞いて、国民たちから「わぁーッ」と歓声が上がった

 それは、民意が政治を動かした瞬間だった。

 

「やりましたね、アイリス王女」

「うむ。おまえたちもよく力をかしてくれた。礼をいうぞ」

「いえ」

 

 私は頭を振った。

 政治を変えたのは、他ならぬ王女たちの情熱と、国民の意思だ。私は何もしていない。

 

「では、これより<王族会議>を開く。今回は公開とする。見学したいものは許可する」

 

 人々たちは顔を合わせて相談し始めた。「今後のためにも、見ておいた方がいいよな」「自分たちのことだもんな」「あらあら、<王族会議>をこの目で拝ませてもらえるなんてねぇ」そんな具合に。

 

「それはオレたちも参加できるのかな」

 

 と、入ってきた人物はソフィアだ。後ろにはセシリアもいる。

 

「オレは顔が利く。ロシアの外相に話の分かる奴がいる。仲介してくれるかもしれない」

「そうか。では、君にはオブザーバーとして参加してもらおう」

 

 エアリス王女がソフィアの肩にぽんと手を置く。隣では、アイリス王女がモジモジと身を捩じらせた。

 

「アイリス、おまえも出るか?」

「はいなのじゃ!」

 


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