IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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――ルクーゼンブルク編
第121話 王女来訪


「ルクーゼンブルク公国の王女が私に面会を?」

 

 静寂性多目的潜水艦<ウォルラス>。格納庫。一夏捜索隊の編成に許可の署名を記した時だった。必要機材と人員の記された書類にサインし終えたものを秘書に渡し返すと、彼女はそう言った。

 

「本当なの?」

 

 千春は秘書から告げられた報告に耳を疑った。

 <ルクーゼンブルク公国>は東欧に位置する小国だ。<時結晶>と呼ばれる希少金属を多く埋蔵する国として知られており、その輸出で外貨を獲得している。

 政治体制は王政を敷いており、王族が国営を担っている。そこの人間がアポなしで面会を求めてきているとは、いささか信じられない話だった。

 

「はい。確認いたしました。ルクーゼンブルク公国の第七王女・アイリス・トワイライト・ルクーゼンブルクご本人であることは間違いありません」

「アポイメントはあったかしら」

「いえ、ありません。公務とも思えませんでした」

 

 アポなしの電撃訪問。哀悼を告げに来ただけとは思えなかった。

 腑に落ちないことが多いが、いずれにしろ、王女陛下本人ならば、このまま追い返すわけにはいかない。

 

「わかりました。会います」

「いまは学園の応接室に案内してあります」

 

 秘書は近くの格納庫要員にヘリを準備させるよう告げた。

 

 

 

 IS学園整備区画。並べられた整備用ハンガーには、三機のISが並べられていた。

 一機はオオカミを模したIS<フェンリル>、もう一機は魔女を模したIS<ヘル>。最後は右腕だけが巨大な黒いISだ。イタリアの第三世代型IS<テンペスタ>に似ているもの、流動的だったフォルムはどこか、エッジの利いた鋭利な姿に設定されている。

 生みの親であるロキは、それらの整備にあたっていた。動力システム、防御機構、推進器、武装、アクチュエーター、フレーム、センサー。それらに異常がないことを確かめながら、整備項目にチェックを入れていく。

 その後ろではソフィアが<ヘル>の犬型オートマトン《ガルム》とじゃれている。

 そのソフィアの携帯端末にコールが鳴った。通話相手は、その《ガルム》の主人であるスコールからだった。

 

「どうした」

 

 応答したソフィアの耳にスコールから返答が返ってくる。

 聞いたソフィアは撫でていた手を止めて立ち上がった。ロキがソフィアを見やる。

 

「どうした」

「ロキ、例のお姫様がこっちにきているらしい。ちょっと迎えに行ってくるよ」

 

 

 

 応接室に到着すると、三人の人物が待機していた。

 一人はふわっとしたクリーム色の髪を腰まで伸ばした少女。大きくクリッとした瞳は、幼さと勝気さが宿っている。もう一人は、鋭利な目つきの女性で、歳は二○前後。右肩のマントには盾と剣、近衛騎士団(インペリアルナイト)の刺繍が入っている。最後は仕えと思わしきメイドだ。

 少女はソファーに腰を下ろし、女性は手を後ろで組んで、少女の背後に控えていた。

 

「お待たせしましたわ」

 

 入室すると、少女は立つこともせず、千春を見た。

 

「おぬしがここの学園長の轡木素子か」

「いえ、学園長はただいま外出中でして。何分、学園がこのような状態ですので。私はその間、留守を預かっている、織斑千春という者です。遅れまして、王女陛下」

「うむ、このたびは大変だったようだな。わらわも、今回の惨事は心から遺憾に思う」

「痛みいりますわ。わたくしも王女陛下にこの学園を案内できないこと、まことに残念に思います」千春は装いを整え「ときに王女陛下、このたびの電撃訪問には驚きましたわ。一体どのようなご用件で」

「実はこの者を探しておる。――ジブリル」

 

 ジブリルと呼ばれた騎士風の女性が一枚の写真を取り出す。

 写っていた人物は一人のメイドだった。

 長い青髪。ラピスラズリを思わせる瞳。ミステリアスな雰囲気の美女だ。

 

「この女はソーニャ。本名はソフィア・カドリュスキー・アルジャンニコフというロシア人だ。彼女がここにいることはわかっている。ただちに、この女の身柄をわれわれに引き渡してもらいたい」

 

 会わせろではなく、身柄を引き渡せ、か。穏やかな話じゃなかった。

 はたして、いかなる目的があってソフィアの身柄を求めているのか。目的が見えないこの状況で、軽率な了承はできなかった。

 

「いかような事情があって彼女の身柄を?」

 

 千春が何も知らぬ装いで問うと、ジブリルは視線を強めた。

 

「この女にはスパイの容疑がかけられている」

 

 ソフィアはロシア対外諜報庁の出身。そう、スパイだ。東欧に位置するルクーゼンブルク公国で諜報活動していてもおかしくないし、その彼女を拘束するために来校したなら、話の筋は通っている。

 

(ようやく話が見えてきたわね。けど――)

 

 腑に落ちない点もいくつかあった。

 ひとつはジブリルの右肩。そこにかけられたマントには近衛騎士団(インペリアルナイト)と刺繍されてある。スパイの拿捕は、はたして近衛騎士の仕事だろうか? なによりも、この幼い王女にそんな権限があるのか甚だ疑問だった。

 さてどうしたものか、と千春。

 そのとき、応接室にノックの音が鳴った。入ってきた人物は――(くだん)のソフィアだ。

 

「あら、来たの?」

「王女はオレに用があるらしいからな。ここはオレが引き受けるよ」

 

 ソフィアは逃げも隠れもせず、アイリスの前で姿勢を正した。

 とたん、アイリスが目の色を変えた。

 

「こやつだ! ジブリル、ひっ捕らえよ!」

 

 アイリスの命令を受けた近衛騎士がすかさずソフィアに飛びかかり、右手を捻りあげる。床へ叩きつけられたソフィアを、アイリスは踏ん反り返りながら見下ろした。

 

「飛んで火にいる夏の虫とはおぬしのことだな、ロシアの女。おぬしを逮捕するぞ」

 

 してやったりとニヤリ顔の王女。

 しかし、ソフィアは「フっ」と笑った。

 

「何がおかしい……」

 

 ジブリルが力を込める。

 肩甲骨が悲鳴を上げても、ソフィアは顔色を変えなかった。

 

「逮捕? 王女陛下にそんな権限がおありで? あなたの目的はオレの逮捕じゃなくて、<ロシアの恥部>では? それを手に入れて、ロシアからの調査団の入国(・・・・・・)を辞めさせたい。違いますか、王女陛下」

「むっ、な、なんのことじゃ……」

 

 アイリスの目が泳ぐ。千春は得心した。

 

「なるほど、調査団の入国ね」

 

 彼女の治める<ルクーゼンブルク公国>は、<時結晶>と呼ばれる希少な金属が採掘できる唯一の国家として知られている。つまりソフィアが云う調査団とは――地質の調査団だ。

 

「ロシアは自国の地質調査団を<ルクーゼンブルク公国>へ入国させたがっているのね」

「<ルクーゼンブルク>はそれを歓迎できないんだ。もし地質調査で傾向や特徴が明るみになれば、みなこぞって採掘を始めるだろうからね」

「そうなると流通量が増えて、値が下がる。<時結晶>を輸出し、得た外貨を国の財源にしている<ルクーゼンブルク公国>にとって、それは深刻な問題ね」

 

 だから、ルクーゼンブルクは地質調査団の入国を拒否し続け、ロシアは首をなんとか縦に振らそうと圧力をかけている。そういうことだった。

 

「で、その圧力をなんとかしたい王女陛下は、オレの持つ<ロシアの恥部(スキャンダル)>に目を付けた。だが、来るのが遅かった。もうオレの手にはない」

「なんじゃとッ――あっ」

 

 アイリスは咄嗟に自分の口を塞ぐ。それはソフィアの発言を認めたようなものだった。

 しかし、王女は「ならば」とこう続けた。

 

「それはどこにあるのじゃ。言わぬなら、死刑にするぞ!」

 

 小さい身体に目一杯の権威を宿し、持ち得る迫力を総動員して脅すものの、相手はクレムリンも恐れたロシアタカ派内で暗躍していた女スパイ。肝の据わり方が違う。ジブリルが「吐け」と恫喝しても、ソフィアは顔色を変えなかった。

 

「相手はこの国の防諜組織です。手に入れることは難しいでしょう。代わりにといってはなんですが、私自身がロシアの排斥にお力を貸しましょうか」

「スパイ風情が偉そうな口を叩くな」

 

 ジブリルがソフィアの頭を押さえつける。

 彼女は、コソコソ嗅ぎまわるスパイをネズミのように卑下しているのだろう。抑えつけた手には必要以上の力が加わっているようにみえる。

 ソフィアは眼球だけを動かし、ジブリルをにらんだ。

 

「キミはその頭の固さが難点だな。オレは元ロシアのスパイだ。ロシアの内政事情にも精通している。敵愾心だけで忌避することは、惜しい相手と知るべきだな。違いますでしょうか、王女陛下」

「王女陛下、耳を貸してはなりません。この者はロシアの人間です。信用に足りません」

 

 ジブリルは口頭で訴え、ソフィアは視線で訴える。

 協力を仰ぐか。それとも諦めてトンボ返りするか。予期せぬ判断を迫られたアイリスは、オロオロと狼狽え始めた。そんな王女に助け舟を出したのは千春だった。

 

「女王陛下、僭越ながら、わたくしも、ソフィアは信用に足る人間だと進言させていただきますわ」

「あなたまでこの女の肩を持つか!」

「気を立てないでください、ジブリルさん。先の事件でも彼女が尽力してくれなければ、ここは壊滅しておりましたわ。彼女は信用に足る人間です。すくなくても、ロシアに汲みすることはないでしょう。彼女は祖国に母親を殺されています」

「ふん、ウソに決まっている。自分の都合がいいようにでっち上げたんだろ」

「オレはスパイだからな。疑ってかかられて当然だがね、それでも言わせてもらう。ジャーナリストだった母さんは、ロシア政府が行った裏工作を暴き、公開しようとして殺害された。その復讐のために、オレはスパイになったんだ」

「まだ減らず口を叩くか」

「もうよい、ジブリル」

 

 拘束の力を強めようとしたジブリルを、アイリスは制した。

 

「しかし、アイリス王女陛下」

「わらわも母親を失っておる。その悲しみややるせなさはわからんでもない。それに織斑千春はIS学園の留守を任されている女じゃ。その者がこう言っておるのじゃ。信用してもよいと思わぬか」

「それは……」

「わらわのいうことが聞けぬか」

「いえ……、わかりました、すべては御身がままに」

 

 しぶしぶといった(てい)だが、ジブリルは了承した。

 

「そういうことじゃ、おぬしのいうことばを信じてやろう。良きに計らえよ、ソフィア」

「そのまえに、彼女にやめるよう命じてください。このままじゃ肩が使い物にならなくなる」

「うむ、放してやれ、ジブリル」

 

 「ふん」とジブリルから乱暴に解放されたソフィアは服の汚れを払った。そのソフィアにジブリルは肩をぶつけ「不穏な動きを見せた時は容赦なく斬り捨てる。覚えておけ」とささやく。ソフィアは「お手軟かに頼むよ」と苦笑いした。

 

「では、わらわについてまいれ。――それと織斑千春と申したな。騒ぎ立てしたな。早期の復興を心から祈っておるぞ。では、失礼させてもらう」

 

 言って、席を立つ。その後ろをジブリルと、彼女にせっつかれながらのソフィアが続く。

 ソフィアは部屋の去り際、千春に言った。

 

「すまない。結局、あなたの手を借りてしまったな」

「いいえ、かまわないわ。計画の為なのでしょ。あなたが協力を申し出たのは」

 

 これから<フィニット・ストラトス>――廉価版のISを世に送り出し、宇宙開発インフラに発破をかけようとしているいま、<ルクーゼンブルク>の情勢は、重要なファクターになる。

 そういうわけで、ソフィアは“エサ”をまいたのだが、

 

「もうすこし話が通じそうな奴が来ると思っていた」

 

 釣れたのは、この幼い王女と若い騎士だった。

 

「あなたの鶴の一声があって助かったよ。そのついでと言ってはなんだが、もう一つ頼みたいことがある」

 

 「何かしら」と千春。すると、通路から彼女を呼ぶジブリルの怒鳴り声が響いた。

 

「あとでゆっくり話すよ。このままだと本当に死刑にされそうだからね」

 

 そういってソフィアは痛めつけられた肩を回した。

 千春は「ふふ、わかったわ」と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トワイライト国際空港、4000キロの空旅を終えて着陸した王族専用機は、次のフライトに向けて給油の最中にあった。その執務室。設えられたテーブルを挟んで、二人の女性が向かい合っている。

 一人はウェーブがかかった銀髪の女性。サファイアアイの、上品かつ端麗な顔立ちは<ルクーゼンブルクの月>とも囃されることもあった。

 対面に座る女性もまた、その美貌に劣らず、艶やかな雰囲気を放っている。

 赤い髪は強い色香を放ち、開いたドレスから見える胸元は、抗い難い母性が感じられた。女性は「なるほど」と思う。女性解放を掲げるそれが父性的であってはならない。厳格な規律ではなく、すべてを受け入れる包容力こそが支配力か。その支配者が桜色の唇をゆるりと曲げて言った。

 

「アメリカ訪問はいかがでしたかしら、王女陛下」

 

 訪米を終えたばかりの女性はハーブティーを口につけた。

 

「さすが経済大国第一位の資本主義国家。長きに亘り王政を敷き、近代化の遅れを取っている我が国が見習うべき点はたくさんあった。私自身もファイルス大統領から多く学ばせてもらったよ」

「わたくしたちも、彼女の一族とその功績には敬意を払っておりますわ。アメリカを支配してきた悪しき文化に勝利した英雄ですもの」

男性優位主義(マチズモ)か。私も父より「お前に国営は無理だ」と言われてきた。国は男が運営するものだと言いたいのだろう。父は弟のオズワルドに王位を継承させる気だったらしい」

 

 それなのにどうしてあなたが。――とは尋ねない。

 王家の内情に精通しているわけじゃないが、彼女が(したた)かな女性だということは知っている。

 

「女性の政界進出で社会レベルが下がると批難される中、大統領の座まで上り詰めた彼女を、私も同じ女性として尊敬しているよ。しかし、今回の会談においては、私の満足のいく返答はいただけなかった。支援の約束はしてくれたが、どこまでアテにしていいものか」

「しかたありませんわ。ファイルスは鳩派ですもの」赤毛の女性はひとくちハーブティーをすすり「それでなくても、前世紀より軍事は政治的に難しくなりましたわ。メディア神話が終焉を迎えたことで、プロパガンダも難しい時代です」

 

 政府のマスメディアを利用した国民の扇動――メディアコントロールの実態が暴かれたことで、プロパガンダは有効な手段じゃなくなった。

 

「かてて加えて軍隊の高価格化が拍車をかけた。国家による軍事行動は政治的なリスクが大きく、コストもかかる。けれど、戦争は普遍です。なくなりはしない。これからは、コスト高で融通の利かない国軍ではなく、安価な傭兵にアウトソースする時代なのですわ」

「それであなたは私の前に現れたわけか」

 

 冷戦の終結につき、急成長を始めた民間軍事企業。それが目の前にいる女性の正体だった。おおよそセールスレディには見えず、話すそれもセールストークというよりは、悪魔の囁きに近いけれども。

 

「わたくしたちの業務は戦争の手段をサーヴィスとしてあらゆる人間に提供することです。ご契約していただければ、アメリカに代わって、わたくしたちが、あなた方をお守りしましょう」

 

 赤毛の女性がテーブルをなでる。一瞬でARディスプレイに化けたそこに<鎌を掲げたカマキリ>、<翼を広げたオオガラス>、<うねるオクトパス>、<人型のウルフ>、そして<爪をとぐヤマネコ>を象ったエンブレムが浮かびあがった。

 

「これらが、我が社が提供している商品です。<プレイング・マンティス><レイヴンソード><ウェアウルフ><ピューブル・アルメマン>。諸事情により<アツェロタヴァヤ・ヴァトカ>はご利用できませんが、どれも先鋭となっておりますわ」

 

 AR化したテーブルにレイヤーを追加する。追加された情報には、各社の兵力をはじめ、装備や運用する兵器の種類。請負可能な業務内容。実行可能な特殊作戦まで記載されている。そこには国家が特権的に有していたものがすべてあった。

 

「軍隊は国家の特権ではなくなった。ファイルス大統領が言っていたことは、このことだったのか」

「それはきっと<デウス・エクス・マキナ>のことですわね。あれもまた民間が運営する軍事組織です。彼らが戦闘を業務として請け負うことはありませんが、いまの時代を象徴する存在ですわ」

「いまの時代というと……?」

「“個人”の時代ですわ。官僚主義に堕ちた政界では、その強度が失われつつありますわ」「耳が痛いな」「そんな政府の機能に頼らず、大事なものは自分たちで守ろうという運動。<デウス・エクス・マキナ>とはそういう人間の集まりなのですわ」

「これからは、彼らのようなNGOの時代だと?」

「はい、これからは<デウス・エクス・マキナ>のように、政府機能に頼らない民間組織が強くなっていくでしょう。政府が主導になって物事を進める時代は終わった。自分たちの未来は自分たちで決める時代へ」

「自分たちの未来は自分たちで決める、か……」

 

 女性は窓から外を眺める。

 元来、政府とは法の力で個人の自由を奪うためにある。政府機能に頼らない民間組織の台頭は、この空のような柵のない世界を望んでのことだろうか。彼らは自由を求めている。けれどだ。政府が個人の自由を奪うのは、その対価に安全を提供するためだ。政府組織には、彼らの自由を奪ってでも、その生活を守る義務と責任がある。自分はその責務をまっとうする。そう決めたではないか。

 

「わかった。考えておこう」

「はい。ご一考くださいませ」

 

 そう言って赤い髪の女性は席を立つ。そして、立ち去る間際、ふわりと踵を返した。

 

「それともう二つほど。戯言だと思って聞いてくださいませ。ひとつは<亡国機業>と呼ばれる秘密結社が、水面下で新たなインフィニット・ストラトスの開発を進めているとか。それに際して<ルークゼンブルク>の<時結晶>独占を快く思っていないそうですわ」

「確かに買いルートがひとつなのは、心許ないだろう。もう一つは?」

「わたくしと同じ赤い髪の少女には、気を付けてくださいませ。西側では恥知らずな娼婦(スカーレッド・レイディ)、東側では麗しの赤(クリースナヤ)、ヨーロッパでは赤騎士(レッドバロン)などと呼ばれておりますわ」

「少女ひとりに大層な名前がついたものだな。一体、何者かね」

「何者でもありませんわ。だからこそ、何にもなれる。鼻の利く猟犬にも、世界を救う救世主にも。かのファイルスも人目置いた少女ですわ。見かけたら極めて知性の高い猛獣を相手にする気持ちでいらしてください」

「あなたにそれほど言わしめるとはな。――わかった。気に留めておこう」

「はい。ご用心を。ちなみに、これからの予定は?」

「このままヨーロッパだ。ドイツ、フランス。EU主要国を周る」

「よい結果が得られるように祈っておりますわ。――では、わたくしはこれで。ごきげんよう、エアリス・アークライト・ルクーゼンブルク王女」

 

 そう言い終えるや、彼女の姿がさーと霧のように消えていく。あたかも幻想であったかのように。前触れもなく現れ、囁き、契約を持ち掛けて、消えていく。エアリスは「まるで本物の悪魔だな」と思った。

 エアリスはもう一度、AR化したテーブルを見やる。悪魔が残した異形の怪物たちには、すべてに価格が設定されている。あたかもスーパーマーケットに陳列された商品のように。彼女たちが行う戦争請負業務は、この消費型社会の一端を担いつつあるのだろう。

 金という血を、経済という血管を伝い、社会という体に巡らせる機関、いわば、心臓となりつつある。

 わたしたちは悪魔と契約し、その心臓を売り渡したわけか。

 きっと地獄に落ちるだろうな。その時、懇願するのだ。「どうか、せめて天国の外側(アウターヘブン)に」と。

 

 


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