IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
第101話
高度2000キロメートル。重力と遠心力が恋人のように惹かれ合い、ひとつになる場所。
誰もいない、無いもない、何も聞こえない世界から地球を見つめていたひとつの衛星が突然として動き出したのは12月のことだった。
剣を彷彿させるその衛星は、あたかも鞘から刀身を抜くように《砲》を開き、陽イオン化した推進剤を電界に放出しながら、その反作用を以て機体を加速させていく。毎秒30キロの速度で移動を始めたそれの目指す先は日本の静止軌道上――IS学園。
この案件が<情報部>から伝えられたとき、千春は織斑邸で掃除機をかけていた。IS学園を休校にしたので、明日にもココに息子が帰ってくるのだ。主婦らしくカーペットに掃除機をかけていた彼女は、スイッチを切って食事卓に腰かけた。
「それで欧州理事会はどのような対応を」
『紛糾している。破壊か、奪還か、で足並みが乱れているようだぜ。親NATO派が、破壊後の宇宙デブリで、通信衛星や気象衛星に多大な被害がでることを理由に反対している』
「アメリカの圧力かしら」
アメリカが自国の人工衛星に被害が及ぶことを懸念しているんだろう。監視衛星を失えばアメリカの国防に大きな穴が開きかねない。
「彼らに事態の収束を期待するのはいい選択じゃなさそうね。手筈どおり、私たちは私で動きましょう。あなたは引き続き、欧州の動きを見ておいて。動きがあったらすぐに報告してちょうだい」
『了解した』
通信を終えた千春は、<作戦部>に繫いだ。
「エドガー、日本政府から借りる予定だった新型のTMDプラットフォームはどう?」
『明日の一三時○○時に到着する手筈になっている。EMLはその三時間後の一五時○○時だ』
「到着次第、すぐにも稼働できるように整備しておいて。ロリーナもIS学園にいるから」
『だが、稼働できても肝心な“弾”が手に入っていないが』
「私が直接アメリカに赴いて、交渉してみます。アメリカは攻撃衛星の破壊に反対しているみたいだから、条件次第で応じてくれるかもしれないわ」
「了解した」と返事をきいたあと、千春はさっそく着替えを始めた。ニットセーターとジーパンを脱ぎ捨て、衣装ケースから白のタイトスーツをひきずり出す。下着姿になると通信機が再び鳴った。
「あら、ロキ君」
『報告はあがっているか?』
「ええ、攻撃衛星の報告は受けているわ。いまその対応の当たっているところ。そちらは」
『例の防衛システムの稼働に、なんとかこぎつけたところだ。万全とは言わないが、アリーシャが頑張ってくれた。スコールからも“順調だ”という主旨の報告を受けている』
「さすがね。あなたが味方でよかったと思うわ。――あっ」
千春はタイトスカートのファスナーを上げながら、声を詰まらせた。
『どうした』
「いえ、なんでもないのよ、うふふ(ファスナーが上がらなくなってる……)」
太ったのかしら。と鏡の前に立つ。
確かにちょっとムチっとしてきたかもしれなかった。
『おい、本当に大丈夫か』
「大丈夫よ。それより、いくら準備したところで攻撃衛星の位置が分からないことにはね」
破壊するにも、奪還するにも、衛星の位置が分からないのでは手の打ちようがない。
しかも、毎秒30キロという速度で移動している。位置の特定は難しいだろう。しかしロキは言った。
『それなら、いまローズマリーが動いてくれている』
♡ ♣ ♤ ♦
オルコット家。本邸玄関前ロータリー。ローズマリーはここに車を止めるよう運転手に命じた。
停車と同時に同伴のメイドが車扉を開く。
下車すると、同伴のメイドは<フランベルジュ>をローズマリーに差し出さした。
それを腰に備え付け、オルコット邸の玄関を叩く。
ややして、やってきた応対専門のメイドたちに、ローズマリーは要件を告げた。
「夜分の不躾な訪問をわびます。チェルシー・ブランケットはいますか」
「かしこまりました。少々おまちください――」
「いえ。こちらから出向きます。彼女はいまどこに?」
恭しく頭をさげ、呼びに行こうとするメイドは戸惑いをみせた。
客間に案内するつもりだったメイドもだ。
「え、メイド長でしたら、お嬢様のお部屋かと」
「わかりました。それと物音がしたら、ここを出なさい。いいですね」
「も、物音でございますか?」
「カルラ」
当惑するパーラーメイドに、
「しかしながら、彼女が<リリス>に関与とはホントでしょうか」
追いつくと、カルラが信じられないような顔でそう言った。
「あなたは彼女と家政婦学校で同期でしたね」
「はい。彼女は仕事もでき、忠義に厚い家政婦でした。その彼女が主人に楯突くとは」
「ええ、彼女は忠義に厚く、その意気は騎士道と言ってもよいでしょう。だからこそです」
メイドが解せないという表情を作ると、ローズマリーはある部屋の前で立ち止まった。
ノックもせず部屋に入る。室内では、オルコット家のメイド長――チェルシー・ブランケットが写真立てを持ち、それを眺めていた。気づいたチェルシーが写真立てを机の上に戻して、こちらを見る。
「これはローズマリーさま。こんな夜分にいかがなさいました」
ローズマリーは要件を告げた。
「あなたに伺いたいことがありまして。まず<エクスカリバー>を知っていますか」
「いえ。<エクスカリバー>とはいかような?」
「EUが開発していた攻撃衛星のコードネームです。その<エクスカリバー>との通信が途絶えたそうです。のみならず、本来の衛星軌道を外れ、移動を開始したという報告が、欧州参謀本部に上がってきているそうです」
「それはなんとまぁ。ではいま欧州理事会は蜂の巣を突いたような大騒ぎでしょう」
「そこで、ぜひ、あなたに止めていただきたいと思い、出向いた次第です」
「ローズマリーさまは、わたくしがそれに関与していると? 恐れながら、一介のメイドに過ぎないわたくしに、欧州の秘密兵器をどうして奪えましょうか?」
毅然と潔白を主張するチェルシーに、ローズマリーもまた毅然と言い放つ。
「裏で<リリス>と繋がっていたとなれば、話は別でしょう」
チェルシーは初めて感心したような笑みを浮かべた。
「そこまでご存知でしたか。恐れ入りました。――お嬢様はこのことを?」
「知らないでしょう。まだ、あなたには帰る場所があるということです。それを失う前に投降なさい、チェルシー・ブランケット。投稿するのであれば、私も墓場までこの事実を持っていきましょう」
何も告げず、何食わぬ顔をすれば、明日も二人の関係は保たれる。
しかし、<リリス>への加担が明るみになれば、もういままで通りにはいかない。
ローズマリーの最後通告を、チェルシーは頭を垂れて答えた。
「お気遣い、痛み入ります。――――ですが、わたくしには幼馴染に恨まれても、果たせなければならないことがございます。ゆえにここで捕まるわけにはいきません」
チェルシーは腰のサーベルに手をかけた。殺気が爆発する。それが彼女の答えだった。
「あくまで忠義を貫く、と。その意気込み、見事と称しましょう。しかし、それは私を敵に回すことだと覚悟の上ですか」
ローズマリーもまた腰のフランベジュを抜く。チェルシーは床を蹴った。
「――はい、すべて承知の上です」
チェルシーが刺突を繰り出す。ローズマリーは下から切り払った。神速の剣閃ではじかれたサーベルが天井へと舞って突き刺さる。ローズマリーは徒手空拳になったチェルシーの喉元に剣先を突きつけた。
「お強うございます。こうも足も手もでないとは……。――ですが」
チェルシーが手を天井にかざす。すると、天井に刺さっていたサーベルが粒子となって爆ぜた。
やがて青い粒子がチェルシーを包み込み、鎧の像を結ぶ。
「……ISですか」
チェルシーを包み込んだISは、<ブルー・ティアーズ>によく似た蒼い機体だった。固定浮遊部位にも、ビットらしき兵装。手には両手剣に似た格闘武器を保持している。タイプは格闘専用に見えたが
「さりとて――」
ローズマリーは<レーヴァテイン>を展開すると、瞬時加速を発動した。
爆発的な加速で迫り、《レーヴァテイン》の刺突をチェルシーに突き立てる。咄嗟に両手剣で防御するも、圧倒的なパワー差に、彼女はあっけなく部屋から放り出された。
「
「理解できたなら、抵抗はよしなさい。素直に協力するならば、相応の待遇を提供します」
再び、剣の矛先をチェルシーに向ける。チェルシーは微笑んだ
「なんとご慈悲深いことでしょうか。そんな方になぜ<ブラッディ―マリー>の通り名がついたのか理解に苦しみます。しかし、わたくしの協力を取り付けたところで、<エクスカリバー>の制御を回復させることはできません」
「暴走ですか」
「いえ、正常に動作しております。ただ許より、アレはわたくしの制御下にあってないようなものなのです。わたくしだけの意思ではどうにもなりません」
「どういうことですか」
「残念ながら、お答えするだけの時間はないようです」
チェルシーがわずかに意識を上空に向ける。同時に<レーヴァテイン>のAIが言った。
《警告。上空より接近する機体あり。
AIの警告を受けるより早くローズマリーは後方へ飛んだ。
すかさず、降ってきた新手に銃を向ける。
新手はISだった。背中にコウモリのような翼、臀部には悪魔のような尾。武装にはデスサイズのような格闘武器を持ち、頭には非対称の角が備わっている。操縦者は若く、16あたり。ブルネットの髪をシュシュでサイドアップにしており、ISの姿と相まって小悪魔的な少女だった。
「チェルシー、ヘルプに来てやったわよ~」
チェルシーは横に降りたった少女に頭をたれた。
「もうしわけありません。ご足労いただきありがとうございます、リサさま」
「マジ、それ。いま、いいところだったんだからね」
リサと呼ばれた少女は指先でスマフォを回転させる。
画面には女子高生が好きそうなネットの恋愛リアリティ番組が流れていた。
「ま、いいけど。つーか、こんな時間に呼び出して何ごと?――って、ローズマリーじゃん?」
「左様ございます。どうか気を抜かぬように―――」
「うわ~、写真で見たよりきれいじゃんー! ヤバッ」
リサと呼ばれた少女はローズマリーを背景にして自分撮りした。
「リサさま、ヤバいのはそこでございませんゆえに」
チェルシーの進言を、リサは「大丈夫、大丈夫」と手を煽いでこたえる。全方位に油断を発信する
「なるほど、これが<ヴェルフェゴール>というISの力ですか」
「そ」
リサは犬歯をみせて、ニッと勝ち誇ったように笑った。
<ヴェルフェゴール>。ISを無力化する<リリス>のISだ。
「なら、早期に決着をつける必要がありますね。――ウルズ、レーギャンの箱を使います」
《ラジャー、全展開装甲、リミッター解除》
全身の《展開装甲》が解放され、赤いエネルギーが炎のように<レーヴァテイン>を包み込む。
それはさながら神話で世界を焼いたスルトの炎のようだった。その禍々しい存在感に、リサから余裕が消える。
「なにこれ、やばくない!?」
「さきも申した通り、“やばい”のございます。本人もISも。<ヴェルフェゴール>の力を慢心なさいますと、お姉さまの二の舞になりかねます。ここは剣を交えず、退くことに専念すべきか、と」
「それな!」
リサがコウモリの翼を広げる。チェルシーは咄嗟に固定浮遊部位のビットを射出して、起爆させた。爆炎の暗幕が視線を遮るが、ローズマリーはそのまま突き進んで刺突を繰り出した。
確かな手ごたえがマニュピュレーターに伝わる。――が、爆炎がなくなったその場所に、<ヴェルフェゴール>の姿はなかった。あったのは、自分が引き裂いたと思わしき<ヴェルフェゴール>の片翼のみ。どうやら、手ごたえの正体はこれだったようだ。
「逃がしましたか」
捥いだ翼を投げ捨てて、夜空を仰ぐ。片翼の悪魔はすでに闇夜へ消えつつあった。
同時に<レーヴァテイン>に稼働限界が訪れ、解除される。諦めて、ローズマリーは通信を開いた。
「ロキ、彼女を取り逃がしました。しかし、彼女が言うには『自分を抑えても<エクスカリバー>は制御できない』と。彼女は“でまかせ”を言うような人間ではありません。<エクスカリバー>には何か秘密があるのか、と。――わかりました。対応はそちらにお任せして、私はオーストラリアの方に向かいます」
通信を閉じたあと、ローズマリーは踵を返した。
オルコット邸からは騒ぎ立てる使用人の声が聞こえてきていた。まずはこれを収めてからか。そう思いながら、ローズマリーは夜空を見上げる。そこには赤い月がポツンと浮いてた。まるで凶兆を報せるように。
♡ ♣ ♤ ♦
IS学園。第七アリーナ跡地。
今日も今日とて、私はEOSに乗って半壊したアリーナの瓦礫撤去作業に勤しんでいた。
このEOSとは、災害救助を目的に開発された人型パワーローダーだ。汎用性はISに劣るだけど、アクチュエーターに油圧駆動を採用しているため、重たいものを持ち上げる力はEOSが強い。
というわけで、私は油圧駆動のパワーで超重量の瓦礫を軽々と持ち上げ、脚部のホイールローダーで運んでいく。そんな作業をいくどなく繰り返していると、新たに二機のEOSがやってきた。装甲には「二号機」「三号機」とある。二号機の両腕には一夏と箒、三号機の腕にはシャルが乗っていた。
『そちらの状況はどうだ』
外部スピーカーから声がして、バシュッと二号機のコクピットが開く。
オペレーターはラウラだった。
『こっちは終わったから、手伝いに来たわよ』
二号機のコクピットも開く。こちらのオペレーターは鈴だった。
『ありがとうございます。でも、こちらももう終わりますから』
「じゃあおわったら一緒に休憩にしようぜ」
そう言って一夏がバスケットを見せる。箒も水筒を上げて見せた。
『わかりました。ちょっと待ていてください。すぐ終わらせますから』
私は最後の瓦礫を車両に乗せ、EOSのコクピットを開く。下りると、さっそくラウラが雨具用のブルーシートを広げた。それを即席のランチシートにしてみんなで腰を下ろす。
「にしても、手酷くやられたよなぁ~」
箒が淹れたコーヒーをすすりながら、一夏が運ばれていく瓦礫を見やる。
前回の一件で、第7アリーナは壊滅。学園施設にも100カ所以上の被害が出た。これに際して、学園上層部は安全面を考慮して、私たち生徒に帰国命令を出した。すでに多くの生徒はココを発っている。側に荷物を置く一夏たちも、今日にはここを去るのだろう。つまりは――
「もうじきみんなとお別れなんだよね……」
そういうことだった。
シャルがさびしそうに視線を落とすと、ラウラが苦笑いする。
「なにも泣くことないだろ、シャルロット。もう会えないわけじゃない」
「だってさ……さびしいんだもん、エリーやラウラ、みんなと会えなくなるの」
「大丈夫ですって、すぐ通えるようになりますから」
今日にも轡木学園長が文部科学省のIS学園担当官なる人物と面会するという話だ。日本政府の支援があれば復旧も早くなるだろう。
「それにクリスマスイヴはセシリアの家に集まるだろ」
12月24日はセシリアの誕生日で、その日には彼女主催の誕生パーティーが開かれる。
私たちもそのパーティーに招かれている。私たち以外には各界の著名人も訪れるらしい。なぜかといえば、このパーティーは各界の大物たちにオルコット次期当主たるセシリアの顔を売る意味もあるからだ。
「正直、僕、こういうパーティーって苦手なんだよね……」
いまだ庶民感が抜けていないシャルにすれば、格式の高い場はなじみにくいかもしれない。シャルは「住んでる世界が違い過ぎて息ができるかさえ危うい」とでも言いたげだった。
「そういうが、おまえだって大企業の御曹司だろ」
と、五角形のクッキーをつまみながら箒。
「僕、引き取られる前は、質素な母子家庭だったから。そのころの感覚がまだ抜けてないんだ。庶民感覚が体に染みついてる人間にとってこういうパーティーっはすごく気疲れするんだよ?」
確かに習慣や価値観が違う中で、それに合わせるには労力が要る。セシリアとシャルロットのそりが合わないのもそういうことなのだろう。
「だが、郷に入れば郷に従えという。それが社会の中で生きていくということだろ」
「う、まさか一番社会性のないラウラに諭されるなんて……」
みんながカラカラ笑う。
「ま、招待されること自体は名誉あることだとは思ってるよ」
「確かにセシリアって由緒正しい家柄のお嬢様ってかんじだけど、やっぱすごいの?」
「たぶん、鈴の想像を超えたお金持ちだよ。総資産は公表されてないけど、オルコットの資金力にかかれば手に入れられないモノは無いっていわれているから。ま、それを裏から操っているのがライオンハートって話だけど」
セシリアは16歳。未成年だ。未成年が契約したり、資産を売買するには、法定代理人の承認が必要になる。本来は両親が法定代理人になるが、孤児の彼女の場合は、ローズマリーがそれになる。それあって、背後からオルコットを操っているなんて言われているわけだ。
「私は、そのためにオルコットを鉄道事故に見せかけて殺害したという話を聞いたことがあるな」
「ちょっと、ラウラ、それ言っちゃう!? エリーを前にしてさ!」
「先に操っているなどと言い始めたのはおまえだろ」
「それはそうだけど!」
私とローズマリーの関係は周知の事実になっている。試合のど真ん中で叫んだのだから当然だ。
というわけで、身内を殺人者扱いされていい気分なわけがないと、そう慌てるシャルだったが、私は気分を害したりはしなかった。
「それはありえませんよ。ローズマリーがセシリアの法定代理人になったのは、単純にライオンハートが代々オルコットの資金管理を担っていたからですよ。ライオンハートの主な業務はプライベートバンクですから。ライオンハートには莫大な遺産を相続するセシリアを守る義務があった。それだけです」
それにライオンハートとオルコットの友好関係はパスクブリタニカから今に続いている。特に私の母『メアリー・ライオンハート』とセシリアの母『アリシア・オルコット』は幼馴染の関係にあって仲が良かったらしい。それを加味すれば、鉄道事故を装った暗殺の線は薄いだろう。
「まぁ、やれマネーロンダリングの温床になっているとか、政治献金の見返りに便宜を図らせているとか。黒い噂が絶えないライオンハートだから、そういう陰謀論が出てきても不思議じゃありませんけど」
「でさ、その肝心なセシリアはどうしたの。最近、全然見ないけど」
今更ながらセシリアがいないことに気づいた鈴が、あたりを見回す。
「なんだか、アリーナで特訓しているらしいぞ」
「はぁ、特訓ん~?」
学園が壊滅的被害を受けて、師も走る忙しいこの時に、訓練に勤しんでいる場合か。
そんな風に言いたそうな口ぶりだった。
(確かに特訓は大事だけど、今やらなければならない理由があるんでしょうか)
私は茶菓子を口に含みながら、第一アリーナの方角を見つめた。
♣ ♢ ♠ ♡
被害を逃れた第一アリーナ。セシリアは拡張現実に現れたターゲットに照準カーソルを重ねた。
AR上に表示されているターゲットは全部で二つ。セシリアはそのひとつを射抜いてみせた。さらにそこから意識を集中して、イメージを蒼い銃弾に込める。
(まがれ!)
だが、BTレーザーは屈折することなく、アリーナの遮断シールドに当たり四散した。
<――Mission Fails――>
何も起こらなかった現実に落胆するセシリア。無理を言ってアリーナを使わせもらうこと既に2時間。いまだ成功の兆しが見えず、今日も今日とてフレキシブル習得に暗雲が立ち込めていた。
「まだですわ」
それでも、金髪をふり乱して自分を奮い立たせる。
第一アリーナのARトーレニングシステムにアクセスして、次のメニューを準備する。
<ARモード:ミッションセレクト→射撃トレーニング(ユーザーセッティング)>
【セッティングモード】
<ターゲット数:2(非動体)>
<クリア条件:ターゲットの全破壊。終了条件:残弾数が尽きる>
<機体コンディション:残弾設定【残弾数1】>
<挑戦回数:1082回 達成パーセント0.00%>
<Start OK?>
セシリアは実行ボタンをタップし、《スターライトMk-Ⅳ》を構えた。
拡張現実に表示された二つのターゲットを一撃で打ち抜くこと。それがこのトレーニングの達成条件である。通常の銃器ならば達成不可能なこの条件も、レーザーを偏光させるフレキシブルを用いれば不可能じゃない。
セシリアは今一度射撃ターゲットを見据え、一度大きく深呼吸してグリップを握り直した。
まずひとつめのターゲットを打ち抜く。そして問題のフレキシブル。
(既成概念は捨てなさい、セシリア・オルコット。これは曲げられるの)
再度、意識を集中して、雫のような変幻自在のイメージを膨らませる。
それを蒼い銃弾に込める感覚でセシリアは念じた。
(お願い、曲がってッ)
しかし、突き進むレーザーに変化は現れず、アリーナの遮断シールドに当たって四散した。
まるでドラッグマシンのように直進するだけで、曲がる気配など微塵も感じさせなかった。
「くぅ……ッ」
セシリアの心境を代弁するように、《スターライトMk-Ⅳ》の銃口が項垂れて地面につく。
それでもなお気力を振り絞って、武器を構え直した。やめるわけにはいかなかった。彼女には時間がなかった。IS学園の休校につき、生徒たちに一時帰国の命令がくだされたからだ。帰国までに、なんとか“成果”を持って帰りたかった。
(……………次、とにかく次ですわ、次こそ…………)
続ければきっと。そんな使い古された言葉にすがって、実行ボタンを押す。疲労はピークに差し掛かっていたけれど、それでも心身に鞭を打ってトレーニングを再開する。
そんなとき、アリーナ内にアナウンスが流れた。
『オルコット、そろそろ時間だ。切り上げろ』
声の主は千冬だった。
「織斑先生、あと一時間、いえ30分だけでも」
『それは許可できない。残念だろうがタイムアップだ。ピットに戻れ』
使用時間の延長を申しでるも、千冬は一蹴した。
先月の攻撃で多大な被害をこうむったIS学園は、安全面から施設の利用を最低限に抑えている。アリーナも本来は使用が禁止されている。それを、無理を言って使わせてもらっていた手前、セシリアも指示に従わざるを得なかった。
「…………わかりましたわ。戻ります」
セシリアは重たい身体を浮かせて、ピットへの帰投を開始した。
その背に淀んだ黒い影をまとわせながら。
♡ ♣ ♤ ♦
アリーナ・待合室。訓練を終えたセシリアは、ベンチに座り、膝を抱えた。そして、<ブルー・ティアーズ>のコンソールを開き、訓練結果を表示する。
トレーニング挑戦回数1084回。達成率津0.00%。BT稼働平均率13.7%。
この結果を開発部に報告しないといけないのか。そう思うと気が重くてしかたなかった。
「わたくしは一体どういう顔でイギリスに戻ればよろしいのかしら……」
推してくれたローズマリーは「自分のペースでやればいい」と言ってくれているものの、開発部にはかなりせっつかれていた。欧州の統合防衛計画<イグニッション・プラン>の次期主力機を決めるコンペの第二次審査がそこまで近づいているからだ。
もともと<ブルー・ティアーズ>は先進技術実証機。BTレーザーを始め、ビットの潜在能力を実証するために開発された機体。<ブルー・ティアーズ>が叩きだしたデータはそのコンペに於いて重要な指標にされる。つまり、自分の頑張りがコンペの選考を左右する。
自分のせいで
そんな重圧と焦燥がセシリアをより追い詰めていた。
「なんとしてでも、フレキシブルを成功させなくては……」
けれど、どうやって。
トレーニング回数1000回を超えて成功率はいまだゼロという事実。さすがに機体の調整を疑いたくなるが、7月にロリーナ、10月にロキの調整を受けている。二人の技術は折り紙つき。機体の所為とは思えない。
(やはりわたくしに問題があるのかしら……)
だとしても適正値だけでいえば【A】を叩きだしているセシリアだ。見込みがないはずじゃない。そこで改めて、自分が選ばれた理由を考えてみる。もし選ばれた理由が自身の<精霊の触覚>に起因しているのであれば、いま自分に足りていないのは、それに類する超常的な感覚じゃないだろうか。
「だとしたら、やはり簪さんの<エーテリオン>を手に入れるしかないのかしら」
何もかもが手さぐりで、何もかもがわからない現状。すこしでも問題解決のきっかけを欲したセシリアが求めたもの。それは以前手に入れそこなった簪のアイテム<エーテリオン>だった。
その実態がただのビー玉だったとしても、今の彼女にはもうそれぐらいしかすがるものがなかった。バカな事だと笑うことなかれ。溺れる者は藁をもつかむのだ。