不死鳥の騎士団の本部は、グリモールド・プレイスの12番地にある。ブラック家の邸宅なのだが、相続人であるシリウス・ブラックが、ダンブルドアに本部としての使用を許可したのだ。以来、何人もの騎士団のメンバーがここを訪れ、報告や打ち合わせなどを繰り返している。
ちなみにここは関係者のみ、すなわちその秘密を明かされた者だけが利用できるような手続きがされている。具体的には、『忠誠の術』を用いて、その秘密を守っているのだ。この術はある特定の人物のなかに秘密を封じ込めるもので、この人物を『秘密の守人』と呼ぶ。
この守人から秘密を教えられない限り、たとえ騎士団本部の目の前にいようとも、そのことに気づくことはできない。
「説明してくれ、ダンブルドア。ホグワーツの教師陣以外のメンバーは、あの娘のことを知らんのだ。クリミアーナ家の魔女だということ以外はな」
「そうは言うてものう。何から話せばいいやらわからんが、あのお嬢さんが、優秀な魔女であることは間違いないのう」
「優秀か。そんなヤツの話は山ほど聞いたことがあるが、本当にそうだった者は数えるほどしかない。片手でも足りるほどしかな」
ダンブルドアと話しているのは、アラスター・ムーディ。通称、マッド・アイである。騎士団本部では、こういった話し合いはいつも厨房で行われる。そこにあるテーブルの席に座り、ときには食事などしながら話を進めていくのである。
いまは、ダンブルドアとマッド・アイ、それにトンクスとシリウスとが席に着いている。他には、誰もいない。
「じゃが、なぜじゃね。当然、ハリー・ポッターの話になると思うておったが」
「あの坊主のことはもちろんだが、少々気になることがあったゆえな。このトンクスに、少し調べてもらった」
「ほう」
実際、マッド・アイはアルテシアと面識はないはずだ。1年間ホグワーツで防衛術を教えたことになっているが、それはマッド・アイになりすましたニセモノだった。
「隠すな、ダンブルドア。トンクスから報告を受けているはずだろう。あの娘がどういう娘なのか、それを話せ」
「何度も言うてすまんが、なにを気にしておるのじゃね。あのお嬢さんのことはミネルバにすべて一任してあるゆえ、心配はいらぬと思うがの」
「だが、こう聞けばどうかな。少しは気になるのじゃないかね」
マッド・アイの視線が、トンクスに向けられる。トンクスが、軽くうなずいた。
「アルテシアが、闇の側と関係あるんじゃないか。マッド・アイが気にしているのはそんなことなんだけど」
「まさか。そんなことはないと思うがの」
「本当か、ダンブルドア。間違いなくそうだと、そう言い切れるのだな」
「そのはずじゃ。さっきも言うたが、あのお嬢さんのことはミネルバに任せてあっての。いまやあの2人には、互いに強い信頼関係がある。そうなるようにと、このわしが仕向けてきたのじゃから」
それは、入学前にアルテシアを迎えに行かせたことを意味してのことか。ダンブルドアは、入学後もずっとマクゴナガルに任せ、とくに口出しはしてこなかった。
「だから、その心配はないというのか。なるほど、ミネルバ・マクゴナガルが闇の側に落ちるなどあり得ぬ話だ。言いたいことはわかるが、ならばトンクスが見たことはどう説明する?」
あらためて、ダンブルドアがトンクスを見る。トンクスの髪の色が、青に変わった。トンクスには、自在に外見を変えられる『七変化』と呼ばれる先天的な能力がある。
「たしか前に、ティアラというボーバトンの生徒に会ったと言うておったが、そのことかね」
「違うよ。場所はダイアゴン横丁、人物はクリミアーナ家のお嬢さんとマルフォイ家のぼっちゃん。待ち合わせてたんだろうね。あそこの奥さんが2人の手を取って、付き添いの姿くらましするとこをみたよ」
「このことをどう考えたものか。知ってるはずだな、ダンブルドア。マルフォイ家のルシウスはデス・イーターだぞ」
トンクスがティアラと会ったのは、騎士団の任務中でのこと。ティアラのほうも何かしらの情報を探っていたものと思われるが、詳しいことはわからない。もちろんダンブルドアは、そのことの報告は受けている。
「ミスター・ドラコは、友人じゃと理解しておる。その友人の家に招かれて遊びに行く、ということはあり得る話じゃと思うがの」
「そういう理解では、まさかのとき、後悔することになるぞ」
「心配はいらんじゃろう。ミネルバも承知のことであろうし、なによりあのお嬢さんはしっかり者じゃからの」
「でも、例のあの人のことを調べてるよ。その関連でマルフォイ家に行った、なんてことはないのかな」
「ふむ。まあ、学校でのようすを見てみるとしよう。なにかあれば、わしよりもミネルバが真っ先に気づくじゃろうて」
このことを、ダンブルドアはあまり気にしてないらしい。そのことにマッド・アイが、軽くため息をついた。
「ミネルバ・マクゴナガルは確かに信頼できる。だから、任せたと言うのだな。任せきりで大丈夫だと、そう言うのだな」
「無論じゃよ。それより気になるのは、ハリーのほうじゃよ。アーサーの命は救われたが、あの一件は見逃せん。ヴォルデモート卿に心の中を見られておるやもしれん」
「それだけではないぞ、ダンブルドア。ポッターを利用し、なにかしら仕掛けられる恐れがある。重要な情報を盗まれる可能性もな」
「たしかに。ハリーには、できるだけ何も教えぬほうがよいじゃろうな。知らねば盗まれる心配もない」
「だが、なにかしらの対策が必要だぞ。それも、早急にな。誰にやらせる?」
何をについては、マッド・アイは言わなかった。当然、ダンブルドアもわかっているという前提だ。
「セブルス・スネイプしかおらんじゃろう。セブルスには、入学時よりずっとハリーに気を配ってもらっておるからの」
「あの娘をミネルバ・マクゴナガルに任せたようにか。だがな、ダンブルドア。あの男も、元を糾せばデス・イーターだ」
「そうじゃな。じゃが2つの点において、きちんと認識しておいて欲しい」
「なんだ、2つとは」
「かつてはそうでも、今は違う。セブルスはこちら側にいるのじゃ。それに閉心術においては、セブルスに勝るものなどおるまいて」
渋々だろうが、マッド・アイもそれで納得したようだ。トンクスが、軽く手を挙げた。
「なんじゃね?」
「あの子、アルテシアって子のこと、少し調べてみてもいい? クリミアーナの魔法ってやつにも興味があるんだよね」
マッド・アイが賛成し、ダンブルドアはとくに反対はしなかった。
※
「どういうつもりか、聞いておかねばな。あれは、ダンブルドアが気にかけている娘だぞ。その娘を、わが家に連れてきたというのか。ダンブルドアの指示を受けていたならどうする。わが家を探られ、なにもかも知られることになるぞ」
「まさか。ドラコの友人ですよ。遊びに来てくれたのに」
「それにな、あの娘のことは、わが君もご存じなのだ。つまりは、帝王に差しだせということか」
「いいえ。そんなことをしても、いいことなんて何一つありません」
場所は、マルフォイ家の夫婦の寝室。この部屋の主人たちの話題となっているアルテシアは、いまは客間で眠っている。一昨日の夕方にこの家を訪れたアルテシアは、その日は夕食を取っただけ。翌日は、午前中からずっとドラコと話をしていた。ドラコの母ナルシッサは、そんな2人を見守りつつ、ルシウスの帰宅を待っていた。夫であるルシウスは、どうしても抜けられない用事で家を空けていたのだ。すなわちヴォルデモート卿よりの命令である。
「ナルシッサ。そんなものは、いくらでも思いつくのだが」
「だったら、そうしてみますか。そのときにはもう、未来は決まってしまうでしょう。いずれ、ドラコの腕あたりに印が刻まれることになるんだわ」
「なんだと」
「今なら、選ぶことができると言ってるんですよ」
命令により、なにをしてきたのか。ルシウスは、疲れたような顔で妻のナルシッサを見ていた。ナルシッサの話を聞くよりも、早々にベッドに入りたいといったところか。
「いったい、何が選べるというのだ」
「ドラコの未来です」
「なんだと、未来?」
「あなたのお考えもあるでしょうけど、わたしはドラコの腕に印なんか刻みたくはない。そんな未来はいやなんです」
ナルシッサは、ドラコをデス・イーターなどにはしたくないのである。だがいまならば、選択肢がある。選ぶことができると言っているのだ。
「ふむ、そういうことか。つまりおまえは、あのお方と縁を切りたいというのだな」
「ドラコの将来なんですよ、あなた。あの子の未来はあの子に選ばせたい。自分で選べるようにしてやりたいんです」
「おまえの言うことは… いや、待て。そんなことが、そんな方法があるというのか。まさかあの娘が、なにか関係があると」
ナルシッサが、大きくうなずいてみせる。だがルシウスには、半信半疑といったところだろう。なにしろ彼は、妻の言うことが理解できていない。
「いずれ、わが君が魔法省を手に入れることになる。その準備が進んでいる。あの方が魔法界を支配下に置けばだな」
「ですけど、なにか不都合があったら。何もかもうまくいくとは思えません」
「心配はいらん。わが息子のことは考えている。心配するな、おまえは安心しておればいいのだ」
だがナルシッサは、不満顔。この件に限っては、夫の言うことをそのまま受け入れるわけにはいかないらしい。
「でも、でも、あなた。不安になりませんか」
「それは… しかしだな、わが君にはわが君のお考えがある。むしろ、それに逆らうほうが。そうすればどんなことになるか」
「だからですよ。だから、クリミアーナのお嬢さんに」
「あの娘であれば、わが君に勝てるというのか。とてもそうは思えんのだが」
「わたしだって同じですよ。でも、望みをかけるとしたら、あのお嬢さんしかいないんです。わかってください」
「しかしだな、ナルシッサよ。わが妻よ。愛する妻よ。残念だが、帝王は昔の力を取り戻しつつある。もはや、勝てる者などおらんのだ。ダンブルドアであろうとも、おそらくは無理だ。あきらめろ」
ルシウスは、デス・イーターである。それも、ヴォルデモート卿の側近とでも言えるほど近くにいるデス・イーターだ。皮肉にもそのことでヴォルデモートの強さを認識させられ、素直に妻の言うことを受け入れることができないでいるのだ。
「でもあなた。ドラコがせっかく、せっかくあのお嬢さんと知り合い、仲良くなり、わが家に迎えることができたんですよ」
「まるで嫁にでも来てくれたような口ぶりだが、たとえそうだったにせよ、闇の帝王をどうすることもできんのは同じだ」
「いいえ。あのお嬢さんが守ると、ドラコを守ると言ってくれたなら。そうしたなら、たとえ、たとえ」
「たとえヴォルデモート卿が相手でも、なんとかしてくれる。そう言いたいのだろうが、無理なものは無理なのだ」
妻が口に出せなかった名前を、あえて夫は口にする。あきらめろと、そう言うのである。だが妻は、そんな夫の言葉を受け入れたりはしなかった。
「無理じゃないんです。あの家の人が守ると決めたなら、それは無理じゃなくなるんです」
「闇の帝王が相手であろうとも、守ってくれるというのか。ドラコと同い年の、たかがホグワーツの小娘が、帝王を倒せると」
「そんなことはわかりません。でも守ってくれます。それだけは、間違いないんです」
ルシウスは、それ以上返事をしなかった。無言のままに歩き、寝室に置かれたソファーに座る。そして、小さなテーブルに用意されていた寝酒用のブランデーを手に取り、グラスに一口分ほどを注いだ。
「おまえがそこまで言うのなら、あの娘の機嫌を取るくらいはしてやってもいい。ドラコも喜ぶのであればな」
「なにも、そんな。機嫌を取れだなんて。ただ少しだけ、手を貸してやってくれればいいんです」
「どういうことだ」
「あの女の子はいま、困っているんですよ。ドラコには、あのお嬢さんが困っているとき、家に連れてくるようにと言ってありましたからね。その子をいま、連れてきたということは」
「助けてやれと、そういうことか」
「ええ、そうです。困っているときに助けてもらったことを、あの家の人は、決して忘れたりはしないんです」
ルシスウの手にあるグラスのなかで、カランと氷が触れ合う音がした。そのグラスを、ルシウスがまじまじと見つめる。
「分かってください、あなた。ここで助けてあげれば、もっと親しくなれるんです。ドラコのためなんです」
そして妻のナルシッサを見たが、ルシウスの顔に、徐々に自嘲気味の笑みが浮かんでくる。
「ふっ、このルシウス・マルフォイが、子どもに頼らねばならぬとはな」
「あなた」
「なるほど、ダンブルドアが気にかけており、闇の帝王もその名をご存じだ。だがそれだけだ。おまえの言いたいことはわかるが、無理なものは無理なのだ。今さら、どうなもならん」
ルシウスが、ブランデーを一息に飲んだ。続けてもう1杯グラスにブランデー注ぎ、それも一気に飲む。
「あの娘のことをよく知っているようだが、あれか。ブラック家にいたという、たしかガラティアとかいう名だったな」
「ええ、そうです。幼いころ、ずいぶんとよくしてもらいました。ブラックの家も、あの人を大切にしていれば、今も変わらず賑やかな家だったでしょうに」
「それはどうだか知らんが、なぜだね。ブラック家はその嫁を追い出している。それは、頼りにならぬと判断したからか」
「違います。由緒正しきブラック家にふさわしくないことが、伯母にわかってしまったからですよ」
「どういうことかね、ふさわしくないとは。歴史のある、優秀な魔女の家系なんだろ」
「ええ、とても優秀な魔女の家系ですよ。ガラティアさんも立派な方でしたし、いろんなことを教えてもらいました」
ナルシッサの叔母は、ヴァルブルガ・ブラックという。すでに亡くなっており、今ではブラック家の屋敷廊下に肖像画が飾られているのみ。ちなみにシリウス・ブラックの母である。
「なればこそ、追われる必要などあるまいと思うが」
「ええ。でもご存じでしょ、ブラックの家は純血主義。そしてクリミアーナは、魔女の家系。なるほど家を継ぐのは優秀なる魔女ですけど、魔法使いはいない。夫はマグルなんですよ」
「なんだと」
「いわゆる混血、半純血ってことです。それを聞いてわたしも驚いたんですけど、そういうことなら、ブラックの家ではそうなるしかないわ。マグル生まれの魔法使いと結婚した姉のアンドロメダでさえ、家系図から抹消されているんです」
「半純血か。まあ、それはともかく。結局のところ、何をするつもりなのだ?」
2人の話は最初へと戻り、ようやくナルシッサの望む本題へと移ることになった。
※
朝。
アルテシアが早起きなのは、ここマルフォイ家においても変わらなかった。だが自宅とは違い、早起きしたからといって、屋敷内を歩き回ったり、外に散歩に出たりするわけにもいかない。なのでアルテシアは、ベッドに寝たままで考えごとをしていた。
ここへ来て、3日目の朝である。ドラコの希望は休暇が終わるまでだったが、そこまで長居をするつもりはなかった。ドラコの父親ルシウスが帰宅すれば、あいさつを済ませてクリミアーナに戻ることになっている。アルテシアには、ルシウスは外せない用事で留守にしているとの説明がされていた。
ルシウスがデス・イーターであることを、アルテシアは知っている。ヴォルデモートが復活したあの日、その場に集まってきたデス・イーターたちのなかにルシウスがいたことを、アルテシアは覚えている。そのルシウスの外せない用事には、おそらくはヴォルデモート卿が関係しているのだろうと、そんな予想も頭の中にあった。
(でも、その話はしてもらえないんだろうな)
アルテシアとしては、ヴォルデモート卿のこと、あるいはデス・イーターのことを自分から話題にすることは避けるつもりにしている。だがもし、相手側からそんな話がされたなら。
そのときは、ヴォルデモート卿のことをできるだけ詳しく聞いてみるつもりだった。可能なら会わせて欲しいと頼んでみようとも思っているが、あくまでもそんな話題になった場合のことである。
それはさておき、アルテシアがマルフォイ家を訪れたのは、ドラコの母親のことがあるからだ。ドラコの母ナルシッサがクリミアーナ家のことに詳しいようだが、それはなぜかということ。その疑問は、ナルシッサとの初対面のあいさつの場で明らかとなった。
『ああ、やっぱり面影があるわ。たしか、あなたの大叔母さまになるのよね』
そのナルシッサの言葉で、アルテシアは理解した。アルテシアが大叔母と呼べるのは、ただ一人。聞いてみれば簡単なことだった。ナルシッサはブラック家の出身であり、ガラティアが嫁入りしている間は親しくしていたようだ。だからいろいろ承知をしているのだし、それなりの影響も受けたからか、ナルシッサはデス・イーターにはなっていない。魔法書のことも知っていたし、実際に見たこともあるのだという。
『もちろん、何が書いてあるかなんて全然わからなかったけど』
そう言って、ナルシッサは笑った。だがその程度なら、ありえない話ではない。例えばアルテシアもパーバティの目の前で何度も読んでいるが、魔法書というものは、たまに目にするくらいでどうにかなるような代物ではない。何年もの時間をかけて真剣に学んでこそ、意味があるものなのだ。
だけど、とアルテシアは思う。ナルシッサとガラティアの関係がそういうことであるのなら、ブラック家とクリミアーナ家は、どうだったのか。ナルシッサに聞いたところでは、ガラティアはブラック家の主義にあわないからと関係を解消され、追い出された形となっている。それ以後のことはナルシッサも知らないようだが、そのときブラック家は、クリミアーナ家をも切り捨てたということになる。
では、その前は? ナルシッサから話を聞いた後、アルテシアはそのことが気になり始めていた。ドラコから聞いた話では、ブラック家はいわゆる純血主義の家。つまりガラティアは、その主義とはあわないとされたのだ。
純血主義とは、純血の魔法族を重視してマグルやマグル生まれの魔法族を軽視するという考え方。アルテシアの理解では、そういうことになる。魔法界ではそんな主義を持つ人は多いようだが、もちろんそうでない人たちもいる。では、自分はどうなのか。
アルテシア自身は、友人たちが純血かどうかなど知らないし、気にしたこともない。そういう意味では、純血主義ではないことになる。だがクリミアーナ家の魔女でありたいと願い、その魔女の血筋を大切に思ってきたのは確かだ。魔法書は、いわばその象徴。歴代の先祖がそうしてきたように、次の世代へと引き継いでいきたいと考えている。このことは、純血主義とも共通しているのではないか。
そこでアルテシアは、身体を起こし、ベッドを降りた。
頭の中が混乱してきたようだ。散歩でもしながら考えをまとめたいところだが、マルフォイ家にいる限り、それは難しい。ならばせめて、部屋の中をゆっくりと歩いてみようというのだ。
(たしか、マクゴナガル先生は…)
行き過ぎた純血主義は偏見や差別を生み、ついには騒動へと発展することもある。そんなことを、マクゴナガルから習ったことがある。ヴォルデモート卿がそうなのだとすると…
コンコン! コンコン!
えっ? なんの音だろう。音のした方を見れば、ドアがある。もう一度コンコンと聞こえ、それがノックの音だとわかった。近くまで来たから聞こえたのだろう。もしかすると、しばらく前から音がしていたのかもしれない。
あわてて、アルテシアがドアを開ける。そこには、ドラコが立っていた。
「やあ、アルテシア。目は覚めたかい?」
「あ、あの。おはよう、ドラコ。あの、ひょっとして」
「そうだな。もう10回以上はノックしたぞ。開けてくれないのかと思ったよ」
どうしようか。瞬間、アルテシアは考える。ドアを開けてから気づいたのだが、ベッドを出たばかりでパジャマ姿のままなのだ。ドラコを部屋へと通すべきなのだが、その格好を考えると、同級生の男の子と2人きりでというのには抵抗があった。
「父上が戻られたそうだ。昨夜遅くだったので朝食の席には出てこられないが、昼食には顔を見せられるだろう」
「うん、わかった」
ノックの音は、考え事をしていたために聞こえなかったのだろう。そう思うことにしたアルテシアは、ともかくドラコが通れるようにと、一歩後ろに下がった。ドア越しに、というのはやはり不自然だ。
「ごめんね、今まで寝てたから」
「いや、いいんだ。それだけくつろいでくれてるってことになるからな」
ドラコが、中へと歩き出す。自身の格好を気にしても仕方がないが、ドアを閉めることはしなかった。
「父上に紹介するが、ほんとにあいさつだけでいいのか。頼めば、アンブリッジを辞めさせるくらいはしてくださると思うぞ」
「うん、ありがと。でも、いいわ。わたしはわたしで、できることをやっていくから」
「意外に頑固なんだな。だが何をするのか、それは教えてもらうぞ」
今は休暇中なので、ゆっくりとした毎日を過ごしていられる。だがそんな日々は、学校が始まるまでのこと。なにしろアルテシアは、アンブリッジに対しはっきりと拒絶の意思を示してしまっているのだ。あのアンブリッジが、このままおとなしくしているはずがない。学校が始まれば、なにかしらのことが起こっても不思議はない。
アルテシアは、そう考えている。ならば、先手を打つに限る。何もしないでいるなど考えられない。
「ねえ、ドラコ。『高等尋問官親衛隊』のことなんだけど」
「それなら、学校が始まれば正式に発表されるはずだ。いよいよ始まるが、参加したいのか?」
「そうじゃないわ。でもパンジーが言ってたの。わたしの行動を報告することになるって」
「ああ。そんなふうに指示をされてるな」
それでは、困るのだ。学校に戻ってからやろうとしていることを、アンブリッジには知られたくない。できれば、誰にも知られたくない。アルテシアは、そう思っている。その思いを読み取ったのか、ドラコがニヤリと笑ってみせた。
「それはパーキンソンが担当するが、たしか、こんなことを言ってたぞ」
「え?」
「キミの行動を見張るのは面倒だとな。だからキミに報告させて、それをアンブリッジに伝えるつもりだってな」
「あっ」
そうだった。たしかにパンジーからは、アルテシアが申告した内容をそのまま報告するのだと、そう言われていた。パンジーの顔を思い浮かべ、アルテシアは何度か小さくうなずいてみせた。
※
その日の午後、少し遅めの昼食の席で、アルテシアは初めてルシウスと顔を合わせた。マルフォイ家の食堂に置かれた大きなテーブルに、向かい合わせで席に着く。右側に夫妻が座り、ドラコとアルテシアが左側だ。
その席でアルテシアがあいさつをしたのだが、ルシウスは、ニコリともしなかった。だが妻や息子の手前もあるからか、無言のままではなかった。
「いろいろと面倒を抱えているようだな。話すがいい。手を貸してやるぞ。どうして欲しい?」
それは、妻ナルシッサが望み、ドラコの希望ではあったろう。だが、もっと別の言い方を期待していたのではないか。どちらも本意ではないはずだが、発せられた言葉は取り消せない。アルテシアは、軽く微笑んでみせた。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。できるだけのことはやってみますから」
「ほう、断るというのか。そのためにわが家に来たのではないのか。遠慮などするな。助けて欲しいと言えばよかろう」
「ええと、そのときにはそう言います。でも今は、わたしに任せてもらえませんか」
「なるほどな。さすがは、誇り高きクリミアーナのお嬢さまだ。誰の助けも必要とはしない。自分で何でもできるということか」
「あなた、言い過ぎですよ」
口を挟んだのは、ナルシッサ。さすがに何か言わねば、と思ったのだろう。
「さあな。だが、どうするのだ。この娘は、助けなどいらぬと言っているぞ」
ナルシッサにしても、この成り行きは予定外のことだったはず。困ったような目をアルテシアに向けたが、アルテシアは、笑顔だった。
「ご心配なく。学校では、きっとドラコが協力してくれると思っていますから」
そう言って、ドラコを見る。驚いたような顔をしたドラコだが、それも短い間のことだった。
「あ、ああ、もちろんさ。だけどいいのか、アンブリッジはおとなしくはしていないぞ」
それはそうだろう。もちろん、アルテシアもそう思っているが、話を続けたのはルシウスだった。
「アンブリッジと言ったか。なるほど、お嬢さんの頭痛の種は、あの女か」
「父上、アンブリッジを学校から追い出すことはできませんか」
「おいおい、何を言ってるんだ。たった今、このお嬢さんが必要ないと、そう言ったところだぞ」
そして、アルテシアを見る。今ならまだ力を貸してやるぞと、その目は、そう言っているようだ。
「追い出す必要があるのなら、わたしが自分でやります」
「それは、頼もしい。だがお嬢さんに、そんなことができるとは思えんな。ちなみに、成績はどんなものなのかね?」
「は? 成績、ですか」
「さよう。さぞや優秀な成績なのだろうな。ええと、寮はグリフィンドールだったか」
なぜ、そんな話が出てくるのか。もちろんそう思っただろうが、アルテシアは、だいたいにおいて質問には答えるのだ。
「それは… 自分ではよくわかりませんが、マクゴナガル先生からは及第点はもらえています。実技的な面では低めの評価だと言われていますが、気にしなくてもよいと」
「ほう、そうなのかね」
「それが、なにか」
「いやいや。キミの成績が悪すぎてアンブリッジが怒っているのなら助けてやれないと思ってね」
違う、そうじゃないとアルテシアは思った。直感でしかないが、別の意味があるはずだと思った。もちろん、口に出したりはしない。
「それより、ご存じかな。魔法省には、クリミアーナ家のものが保管されているそうだが」
「それはたぶん、遺品だと思いますけど」
「それを見たことはあるかね?」
「いえ。魔法省が回収し、保管しているってことは聞いていますけど」
「取り戻そうとは思わんのかな。どこかの誰かが手に入れようとしているかもしれんぞ」
思わせぶりな言い方に、アルテシアも戸惑いをみせたが、そこでナルシッサが話に入ってくる。
「あなた、いったい、何の話です?」
「なに、確かめたいだけだよ。だが場合によっては、あの話はなしということになる。これくらい自分で解決できぬようようでは、話にならんのだからな」
そこで、ルシウスが席を立つ。まだ食事は終わっていないはずだが、そのまま部屋を出て行った。つまりはこれで話は終わった、ということでなる。