ハリー・ポッターと魔法の本   作:Syuka

82 / 122
第82話 「ロウェナの悩み」

 朝食もまだだというのに、ハリーは、大広間ではなくマクゴナガルの執務室を訪れていた。何度か来たことのある場所ではあったが、ここはハリーにとって、あまり居心地のいい場所とはいえない。たいていの場合、叱られることになるからだ。スネイプの研究室などよりはよっぽどましには違いないが、呼び出しを受けたのでもなければ、来ることはなかっただろう。

 ハリーが、マクゴナガルに呼び出しを受けた理由。それはもちろん、アンブリッジに罰則を受けることになった件である。アンブリッジが言ったとおり、その顛末はマクゴナガルに報告されたのだ。

 

「とにかく、お座りなさい。紅茶をいれましょう」

「あの、先生」

「なぜ呼ばれたのか、それがわかっていますか?」

「あの、もちろんわかっています。でもぼくは」

 

 自分は、間違ったことは言っていない。そのことを説明しようとしたハリーだが、いったいどう説明すればわかってもらえるのか。それがわからなかった。

 

「わかっていればよろしい。ビスケットでも食べますか?」

「え?」

「あの先生から話は聞いていますが、もう少し慎重であるべきでしたね。これからは、気をつけないといけません」

 

 それは、ハリーの知っているマクゴナガルとは違っていた。いつものきびきびとした声ではなく、ハリーを心配しているような、そんな気持ちが伝わってくる声だった。だったら。

 

「先生、ぼくは処罰を受けなければいけませんか。先生が口添えしてくだされば、処罰をなしにできるのでは」

 

 だったら、こんなお願いも聞いてもらえそうな気がしたのだ。だが、ハリーの願いは聞き届けられない。マクゴナガルは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「あの人には、あなたに罰則を科す権利があるのです。それを手放すことはないし、考えを変えるとも思えません」

「でも」

「よく考えなさい、ポッター。魔法省は、例のあの人に関することの一切を否定しているのです。アンブリッジ先生は、その魔法省から派遣されてきたのですよ」

 

 ならば、アンブリッジがどういうつもりでいるのか。何を考えているのかわかるはずだと、マクゴナガルはそう言うのである。

 

「夜には、あの先生の部屋に行かねばなりません。ただし、言動には十分に気をつけること。わかりましたね」

「でも、でもぼくは、ほんとのことを言ったんだ。ヴォルデモートは復活した。そのことは校長先生も知ってるんだ」

「ポッター。ウソかホントかを問題にしているのではありませんよ。わたしが言っているのは、状況をよく考えろということです」

「でも、先生」

「いずれにしろ、例のあの人の問題はわたしたちのほうで引き受けます。あなたは、まず自分のことを考えなさい。ミス・グレンジャーやミスター・ウイーズリーのこと、寮の友人たちや学校のみんなのこと。考えることは多いはずですよ」

 

 なにか、言い返せるようなことはないか。ハリーは、そんなことを考えていた。ヴォルデモートが復活したのは事実だ。ハリー自身が見たあの夜のことは、誰がなんと言おうと、事実なのだ。だがマクゴナガルは、そのことを否定したわけではないのだ。それが、ハリーからすぐに反論が出てこない理由だった。

 だが待てよ、とハリーは思った。そして、マクゴナガルの顔を見ながら考える。マクゴナガルは、ヴォルデモートのことは引き受けると言ったのだ。それは、どういうことだ。わたしたちと言ったが、それは誰と誰のことなのか。

 

「先生、聞いてもいいですか」

「なんです」

「ヴォルデモートのことは引き受けると言いましたよね。それって」

「むろん、言葉どおりの意味です。ほかには何もありません」

「でも」

「それだけです、ポッター。とにかく一度、ミス・グレンジャーと話をしなさい。あの先生のところへ行く前に、ですよ。処罰が長引くことのないことを祈ります。もう、戻ってよろしい」

 

 結局ハリーは、その意味を聞けないままでマクゴナガルの執務室を出ることになった。もちろん、納得しているわけではない。なにか、特別な意味があるはずだ。マクゴナガルに言われたからではないが、ハーマイオニーと相談してみる必要がある。そんなことを思いながら、ハリーは大広間へと向かった。とりあえず、朝食の時間だ。

 

 

  ※

 

 

 この日の最後の授業は『変身術』。その前の『呪文学』でも同じであったが、授業はO・W・L試験についての心構えなどから始まった。

 

「余計なことに、心を奪われてはいけません。ひたすら学び、練習に励むのです。そうすれば、結果はついてくる。O・W・Lでも合格点を取れるはずです」

 

 この日のテーマは『消失呪文』であった。マクゴナガルによれば、O・W・Lで出題される可能性が高いものの一つであるらしい。こういった新しい課題に真っ先に成功するのは、だいたいにおいてハーマイオニーである。だがこの日は、いつもと違っていた。

 

「みろよ、あれを」

 

 ロンに言われてハリーが目を向けると、ちょうど、アルテシアの前に置かれていた青い色をしたマグカップが消えたところだった。しかもそのマグカップは、アルテシアの向かい側にいるパーバティの前に現われたのだ。今度はパーバティが、杖で軽くマグカップに触れる。するとマグカップは、アルテシアの前に。

 消えた、というよりも、移動したといったほうがよりふさわしいのかもしれない。ハリーだけでなくハーマイオニーまでもが、驚いたように見つめているが、アルテシアたちはそのことに気づかないようだ。もう一度アルテシアが杖でカップを軽く叩くと、またもやマグカップは消え、一呼吸の間を置いてパーバティの前に。

 

「消失呪文だけじゃないわね。出現呪文も使ってる。習ってないはずなのに」

「移動しただけ、じゃないのかな」

「いいえ、ちゃんと消えてるし、ちゃんと出現してる。やっぱりアルテシアは、難しい魔法が使えるんだわ」

 

 しみじみとしたその言い方に、いまのハーマイオニーの気持ちが現われているようだ。そのハーマイオニーに、ロンがささやく。

 

「あいつ、練習したんだよ。使えないふりしてたわけじゃないと思うな」

「そんなことはね、ロン。言われなくてもわかってます」

「なら、いいんだ。それよりキミ、知ってるかい?」

「なによ」

 

 ハーマイオニーにも、言いたいことはあっただろう。だが、ロンの言ったことのほうが気になったようだ。それは、ハリーも同じであったらしい。

 

「昨日の授業では、アルテシアだけが教科書を読んでただろ。まわりがけっこう騒いでいたのにさ」

「それがなに?」

「あれが、勉強なんだよ。あいつにとっての魔法の勉強は、つまり本を読むことだ。だからあんなに熱心に読めるんだ。そう思わないか?」

「それは。だからそれは、魔法書のことでしょ。たしかにあれは勉強になるんだろうけど、アンブリッジが読めといったのは違うわ。あの本には、アルテシアならとっくに知ってるはずのことしか書かれてないんだから」

「そうかもしれないけど、キミ、あれでマズいことになったとは思わないのかい」

「どういうこと?」

 

 ロンの説明によれば、これでアンブリッジがアルテシアに興味を持ったかもしれないというのだ。それに気になることは、もう1つある。それが、アルテシアの気持ちだという。

 

「あの授業でぼくらの誰もが思ったことと、あいつが思ったこと。それが同じだとは限らないってことさ。魔法の勉強なんだから本を読め。アンブリッジはそう言ったんだぜ」

「でも、でも、それは偶然だわ」

「ああ、そうさ。偶然に決まってる。でも、アルテシアのクリミアーナ家と同じような考え方だろ。な、そう思わないか」

「なるほど。そういう考え方はあるのかもしれませんね」

 

 それは、背後から突然かけられた声。ロンとハーマイオニー、そしてハリーがあわてて振り向くと、そこにいたのはマクゴナガル。マクゴナガルは『消失呪文』の練習をしている生徒たちのあいだを見回っていたのだ。

 

「アルテシアがどう思ったか。なにを思っているのか。それは、わたしが聞いてみます。あなたがたは気にしなくてよろしい」

「あの、先生」

「あなたたちには、やるべきことがあるはずですよ。いま、本当に必要なことはなんなのか。ミス・グレンジャー。あなたなら適切な判断、対応ができると思っていますよ。くれぐれも不必要な関わりなど持たないようにしなさい」

 

 それだけ言うと、アルテシアのほうへと歩いて行く。それを、ハーマイオニーたちは見送るしかない。

 

「どういうことだい、ハーマイオニー」

「それはね、ロン。あの先生のことをどう考えるかってことよ。徹底的に無視するか、積極的に関わるのか」

「それ、どっちがいいんだろう?」

 

 そう言ったのは、ハリー。ハリーは今夜、処罰のためにアンブリッジのところに行かなければならない。そのこともあってか、気になったのだろう。そんな避けることのできない関わりにはどう対処すべきなのか。

 

「積極的に関わってうまくいくかもしれないし、人それぞれでしょうね。あたしたちはどうするべきなのか、よく考えなさいってことだと思う」

「考えるのはハーマイオニーの担当だ。キミにまかせるけど、アンブリッジと仲良くしろなんて言われても、ボクにはできそうもない。そのことは知っといてくれよ」

「わかってるわ、ロン。あたしだって同じだから。それにマクゴナガルも、そうしろって言ったでしょ」

「あいつらは、どうするんだろう。一緒に相談するべきじゃないかな」

「いいえ、ハリー。もちろんそうするべきだけど、あたしたちはあたしたちでちゃんと考えてからにしたほうがいいわ」

 

 ハーマイオニーの視線の先では、マクゴナガルがアルテシアとなにやら話をしていた。何を話しているんだろう、あれを聞けたらいいのにと、ハーマイオニーはそんなことを考えていた。

 

 

  ※

 

 

 グリフィンドール寮へと戻るハリーの、その足取りは重かった。5時からのアンブリッジの罰則が、いったい何時間続いたのか。それすらわからなくなるほどの体験だった。いっそのこと、どなりまくって部屋を飛び出してやろうかと何度思ったことか。だがそんなことをすれば、せっかくハーマイオニーたちと相談したことがムダになってしまう。そう思って、必死に我慢したのだ。

 廊下を歩き、角を曲がり、ようやく談話室への出入り口となっている肖像画が見えてくる。

 

「あれ?」

 

 その肖像画のドアが、内側から開いたのだ。さすがにもう消灯時間は過ぎているんじゃないかと、ハリーはそう思っていた。なのでそこからアルテシアが出てくるなど、予想もしていなかった。それはアルテシアも同じだったようで、廊下にいたハリーに驚き、その足が止まる。

 

「ハリー、どうしてここに?」

「ぼくもほうも聞きたいな。こんな時間にどこへ行くんだい?」

 

 こんな時間というが、ハリーには正確な時間はわかっていない。アンブリッジの部屋からここまで誰にも会わなかったことから、出歩いてもいい時間ではないと予想しただけだ。

 

「わたしは、待ち合わせ。ハリーは? あ、そういえば」

「そうだよ。アンブリッジの処罰がいままでかかったんだ。けど、待ち合わせだって。どこで? 誰と?」

 

 こっそりと談話室を出ようとしているのだから、正直には言わないだろう。もちろんハリーはそう思っていたが、アルテシアは隠そうとはしなかった。多くの場合アルテシアは、聞かれたことにはすなおに答える。知りたいという人には、教えるのだ。

 

「灰色のレディ、レイブンクローのゴーストよ。この時間になら会って話を聞いてくれるっていうから」

「レイブンクローのゴースト? ゴーストなら、よく大広間に来るだろうに。わざわざこんな時間にかい」

「うん。ごめんね、待ち合わせの時間があるからもう行くわ。おやすみ、ハリー」

 

 そう言って歩いて行くアルテシアを、ハリーは見送った。そのうしろ姿を見ながら、一緒に行ったほうがいいのかなと、ハリーはそんなことを考える。

 もしへとへとに疲れていなかったら、アンブリッジの罰則の直後じゃなかっとしたら。あとについていき、ようすを見るくらいのことはしたかもしれない。でも、本当に疲れていたのだ。ハリーには、そんな余裕はなかった。処罰の内容は一言で言うなら書き取りで、やることは単純だったが、精神的にはかなりきつかったのだ。

 

『僕は嘘をついてはいけない』

 

 アンブリッジに渡された細長い黒い羽根ペンは、羊皮紙にその言葉を書くたび、右手の甲にも同じ文字をきざむ。そんな書き取りを、何回繰り返しただろうか。その文字は、痛みをともないつつ手の甲にきざまれ、消えていった。いまはそのキズも目には見えないが、うっすらと赤く腫れている。アルテシアは、そのキズに気づいただろうか。

 ハリーは、開いたままの肖像画のドアをゆっくりとくぐった。アンブリッジの処罰は、明日も続くのだ。早く寝たほうがいいと、そう思ったのだ。

 

 

  ※

 

 

「結局、こういうことになるのね。そのまま卒業してくれそうだなって、喜んでたんだけど」

「予感はあったって、そういうことになるのかしら」

 

 アルテシアの前にいるのは、レイブンクロー寮に属するゴースト。いまでは銀色っぽく光る半透明の身体となってしまった、灰色のレディである。

 

「そうね。あなたがホグワーツに入学したときから、こんな日が来るんじゃないかと思ってた。でもあなたは、わたしのところには来なかったでしょ。あれはいつ頃だったかしらね、グリフィンドール寮のゴーストの絶命日パーティーがあったのは」

「そのころから、わたしのことは知っていたってことね」

「ええ、もちろん。ずっと気になってたわ。なぜ、なんにも言ってこないのか。あのときあなたに声を掛けたのは、それを知るいい機会だと思ったからよ」

 

 レイブンクロー寮に属するゴーストとは、もちろん首なしニックのことだ。そのニックの500回目の絶命日パーティーで、アルテシアと灰色のレディはつかのま話をしている。

 

「それで、知ることができたの?」

「いまならわかるわ。でもあのときは、ね。だったら、わたしのほうからするような話じゃないもの。だから、待つことにしたの。だってそうでしょう?」

 

 そこでアルテシアは、軽く笑ってみせる。灰色のレディの言うとおりだと、そう認めるような笑み。そして。

 

「でも今日は、そんな話をしたいと思ってる。とりあえずいくつか聞いておきたいんだけど、いい?」

「イヤだと言っても、ムダなんでしょ。でもね、わたしは母じゃない。知らないことは話せないし、話したくないことも話さない。都合の悪いことはよく忘れたりするしね」

 

 それはつまり、どうでもいいようなことなら話すが、肝心なことは話さないということだろう。はっきりとそう言われたアルテシアは、今度は苦笑いを浮かべた。

 

「しかたないわね。けど、思いだす努力は必要だと思うよ」

「言ってくれるわね。じゃあ、せいぜい努力してみるわ。あなたは、許してはくれないんでしょうけどね」

「許す?」

「あらあら、なんのことかわかりませんって顔をするのね。そのほうが、わたしにはありがたいけど」

 

 つまり、どういうことなのか。それは、アルテシアにはわからなかった。わからなければ、言った本人に尋ねればいい。そのとおりなのだが、そのことはあとまわしにするべきだとアルテシアは考える。いきなりそれを尋ねてみたところで、灰色のレディがすなおに答えてくれるという保証はない。いやむしろ、逆効果となってしまう可能性が高い。

 だったら、自分が必要とすることから話を進めていけばいい。灰色のレディにしても、わざわざそれを言葉にしたのだから、話をする気はあるはずだ。話をしていく過程で、そこに到達するようにと、しむければいいのだ。

 

「あなたが初めてクリミアーナの人と会ったのはいつ? それが誰だか聞かせて」

「それ、言う必要あるの?」

 

 そう言って灰色のレディは、笑顔を見せた。ややあって、アルテシアも同じ表情となる。

 

「わたしが会ったことがあるのは、あなただけ。もちろん、ウソじゃないわよ」

「ほかには、誰にも会ったことないっていうのね?」

「ええ。母はどうだか知らないけど。でも、どうしてそんなこと聞くの? いま、クリミアーナはあなただけだって聞いてる。それはつまり、あなただってことでしょう?」

「そのたった1人が、このホグワーツに来たときのこと。そのことが知りたいの。できるだけ詳しく」

 

 その昔、クリミアーナ家からホグワーツを視察に訪れた者がいたこと。そのことは、すでにわかっている。アルテシアが知りたいのは、そのとき何があったのかということだ。これまでクリミアーナ家の魔女がただのひとりも入学していないのは、そのときになにかあったからではないのか。仮になにごともなく視察が終わっていたならば、どういうことになったのか。

 灰色のレディは、軽くうなずいてみせた。

 

「母が誘ったのよ。ホグワーツが創設されて間もないころにね。そのころはわたしもゴーストじゃなかったし、灰色のレディではない、別の名前で呼ばれていたけど」

「ヘレナ、だよね」

「きっと母は、いろいろと相談したかったんだと思うよ。わたしじゃ、頼りにならなかっただろうし」

「同じ創設者の人たちとのあいだで、教育方針なんかですれ違いができたって聞いてるけど」

「でしょうね、スリザリンとグリフィンドールのことは有名だから。でもそれだけじゃない。母には、ほかにもいろいろと悩みがあったのよ」

 

 たとえばサラザール・スリザリンの純血の魔法族の家の者のみに限って教えるべきだという主張は、ゴドリック・グリフィンドールらとの対立につながっていった。そのことがロウェナを悩ませたのは間違いないが、灰色のレディによれば、ロウェナの悩みはそれだけではなかった。せっかく持ち得た魔法の知識をどう伝えていくのか。生徒たちへの教育は、どうあるべきなのか。そんな悩みも抱えていたらしい。

 

「ねぇ、ヘレナ。これは、念のために聞くんだけど」

「なに」

「あなたは、魔法書のことを知ってるの?」

「それ、どういう意味で言ってるの? 読んだことあるかって? あいにくとそんな機会はなかったし、実際に見たこともないわ」

 

 だとすると。

 ここで、アルテシアの頭の中にひとつの仮説ができあがる。ホグワーツ創設のころに視察に訪れたのは、もちろん、クリミアーナ家の先祖だ。初代の当主で間違いないだろう。だがホグワーツ視察の時点では、まだ魔法書を創造してはいなかったのではないか。すでに魔法書があったのなら、ヘレナ・レイブンクローが見ていてもおかしくはない。

 アルテシアは、そんなことを考えたのである。クリミアーナの魔法書が作られたのが、その視察のあとだとするならば。

 

「ヘレナ、ロウェナはいろいろと相談がしたかったんだって、そう言ったよね」

「ええ。実際に、何日も話し込んでいたのを覚えてるわ。でもそんなことは、わざわざ言わなくても知ってるはずでしょ。それともなに、忘れたとでもいいわけするつもり?」

「いいわけなんて、しないよ。そんなつもりはない。ただ、確かめたかっただけ」

「確かめるって、なにを? あのあと母は、ずいぶんと気落ちしてるようにみえた。どれほど落ち込んだのか、それを話せってこと?」

 

 もちろん、そういうことではない。アルテシアの仮説は、そんなことではない。だが、灰色のレディが言ったとおりのことを尋ねていた。ロウェナ・レイブンクローが落ち込んでいたとはどういうことなのか、それが気になったからである。

 

「ケンカした、とまでは言わないわ。けど、けっこう言い合いしたんじゃないの。なんだかしょんぼりしてたのを覚えてる」

「お互いに言い過ぎた、そういうことはあるのかも。でもね、思ったことをそのまま言えるような相手なんて、そうはいないわ」

「でしょうね。でも、気落ちして見えたのはたしかよ。さてと、そろそろいいかしら。これ以上話を続けてたら、せっかく忘れてることを思い出しそうだから」

 

 灰色のレディの身体が、すーっと宙に浮かんでいく。すぐさま消えてしまわないだけましだとも言えるが、天井付近で止まって、アルテシアを見おろす。

 

「思い出したら、話をしに来るわ。それでいいでしょ。あなたが卒業するまでには、きっとそんな機会もあると思うから」

「ねえ、ヘレナ。あなたやっぱり、魔法書のこと知ってるよね。見たことも読んだこともないって言ったけど、それがどういうものなのか、聞いたことあるんだよね?」

 

 そこで灰色のレディは、少しだけ首をかしげてみせた。なにやら考えているようにもみえたが、なにもいわず、そのままアルテシアを見ていた。アルテシアが言葉を続ける。

 

「わたしね、こんなふうに考えたの。せっかく持ち得た魔法の知識を、どうやって伝えていくか。どう教えていくのか。そんな相談をしたんだよね。そのときクリミアーナ家のご先祖は、ロウェナと話をしながら、魔法書のことを思いついたんじゃないかって。でもロウェナとは、意見が合わなかったのかもしれない。ロウェナにも、正しいと信じるやり方があったでしょうから」

 

 宙に浮かんでいた灰色のレディが、軽くため息をつきながら、ゆっくりと降りてくる。

 

「母は、髪飾りに自分の持ち得た知識をおさめたのよ。それを頭につけることで、必要な知識が流れ込んでくるようにした。そうすることで、伝えていこうとしたのね。本にするよりも、そのほうが手軽だと考えたみたい」

「なにがベストかなんて、あとにならないとわからないよ。そのときは、よりベターだと思う方を選ぶしかない。そういうことなんじゃないかな」

 

 そのとき、どんな話がされたのか。さすがにそれは、わからない。どちらにも自身の信じる考えがあり、それに従ったということになるのだろう。だがアルテシアの言うように、そのどちらが優れているかなどの判断は難しい。数年か数十年、あるいは100年以上も経過してのち、ようやく評価ができるといったことになるのではないか。

 

「どちらが正しいかなんて、簡単には言えないと思う。けど結果だけをみるなら、ロウェナのほうってことになるんだろうね」

「それは、なぜ?」

「だって、レイブンクローの寮には魔女がたくさんいるでしょ。答えはそこにあるんだって、そんな気がする」

「なるほど。クリミアーナは、あなたひとりだけですものね。でもそれは、魔法界から離れてしまったからでしょう。あなたのやり方をこのホグワーツでやっていたとしたら、話は変わってきてるはず」

「それって、魔法書を生徒たちに読ませるってこと?」

 

 仮にクリミアーナ寮がホグワーツに創られていて、そこで魔法を教えていたとしたら。当然教科書には、魔法書を指定することになるだろう。そして授業では。

 

「なにを笑ってるの?」

 

 そんなつもりはなかったが、思わず、表情に出ていたらしい。このときアルテシアが思い浮かべたのは、クラスのなかで生徒たちがそろって魔法書を読んでいる場面。そして、自宅の書斎でたった1人で魔法書を学んでいた自分自身のこと。

 

「あのね、ヘレナ。わたしには、いくつか知りたいことがあるわ。クリミアーナに魔法書が生まれるまえのことや、魔法界から離れてしまった理由とかね。でもね、わたしの魔法書にはそんな記録が残ってないみたいなの。あなた、なにか知らない?」

「そんなのは それは」

「どうしたの?」

「なんでもない。どうもしないけど、話は終わりよ。さっきも言ったけど、あなたが卒業するのはまだ先なんだから」

 

 せっかく下へと降りてきたというのに、またもすーっと、天井の方へと浮き上がっていく。なにか声をかければ、あるいは引き留めることもできただろう。だがアルテシアは、何も言わなかった。ただじっと、灰色のレディを見ているだけ。

 灰色のレディもまた、アルテシアを見つめながら天井を通り抜け、姿を消した。その直前、ほんのわずかのあいだだけ止まったのは、あるいはアルテシアの言葉を待つためだったのかもしれない。

 

 

  ※

 

 

「ハリー、今夜だけど透明マントを貸してくれない? ちょっと気になることがあるのよ」

 

 朝食のテーブルでハリーにそう言ったのは、ハーマイオニーだ。かぼちゃジュースを一気飲みしようとしていたハリーは、おもわず吹き出しそうになった。だがなんとか、最悪の事態は回避。

 

「透明マントだって。なにをするつもりなんだい」

「このところ、毎晩寮を抜け出してるのよ。なにをしているのか、調べたほうがいいと思って」

「それ、誰のことだい? まさか、アルテシアなのか」

 

 ハリーのとなりで食事中のロンにも、もちろん聞こえていたのだ。ハーマイオニーが、しっかりとうなずいてみせた。

 

「アルテシアって、なにか隠していると思わない? 不思議なのは、パーバティがなんにも言わないことなの。普通、止めたりするはずでしょ。みつかれば処罰だってありえるんだから」

「それは、あれだよ。うん、きっと気づいていないんだ」

「いいえ、パーバティは絶対に知ってる。アルテシアって、なんでもパーバティには話すんだから知らないはずないのよ」

 

 トーストにたっぷりとマーマレードを塗っていくハーマイオニー。いつもより塗りすぎのような気もするが、本人は気にしていないようだ。

 

「なあ、ハーマイオニー。ボクの思ったことを言ってもいいかなぁ」

「いいわよ。どうせ、塗りすぎだとか、そんなことでしょうけど」

 

 ロンの言うことなどお見通しとばかり、ハーマイオニーはトーストをかじってみせる。だがロンが口にしたのは、別のことだった。

 

「ハリーのマントを使ったとしても、アルテシアにはしっかりバレるぜ。そのことに、かしこいキミがなぜ気づかないのか不思議だな」

「なんですって」

「だってそうだろう。キミだってベッドを抜け出すことになるんだ。当然パーバティが、カラになったベッドに気づくだろうよ」

「そ、そんなことはわかってるわ。でもあたしは、アルテシアが何をしてるのか、それが知りたいのよ」

 

 そう言いながら、ハーマイオニーがハリーを見る。つまりハーマイオニーは、発覚してもかまわないと言ってるのだ。たとえそうなろうとも、アルテシアが夜中に何をしているのかを知ることさえできればいいのだと。だがロンは賛成しない。

 

「やめたほうがいいな。結局はバレて怒らせることになるのがオチだぜ。そうなったら、もう絶対に仲直りなんかできない」

「いいえ、ロン。あなたの言うとおりかもしれないけど、あたしはアルテシアとは友だちだと思ってるわ。パーバティのせいでこのごろ話ができてないけど、友だちなのよ」

「パーバティ? あいつと何かあったのか」

 

 ロンのもっともな疑問がハーマイオニーの鋭い視線によって消滅させられると、今度はハリーだ。

 

「透明マントならいつでもOKさ。けどハーマイオニー、ぼくもロンも言うとおりだと思うよ。ここは作戦が必要じゃないかな」

「作戦?」

「たいしたことじゃないけど、ハーマイオニーは寮で待っていればいい。ぼくとロンとが行けば、ばれやしないだろ」

「そうだけど、あたしはこの目で確かめたい。ダメかしら?」

 

 ダメではないが、バレないほうがいいに決まっているのだ。そのためのいい方法が、きっとあるはずだ。朝食の時間は限られているのでその相談はあとにしようということになる。だがそれでも、ゆっくりと食事をするということにはならなかった。ハーマイオニーが、ハリーの手の甲に残るキズに気がついたからである。

 当然のように、これはなんだということになり、ハリーはその説明に追われることになった。このことは、あとでゆっくり話そうということにはならなかったのである。

 

 

  ※

 

 

「そんなはずないわ。間違いなくアルテシアは」

「でも、ボクはずっと談話室にいたんだ。ハリーがアンブリッジのところから戻ってくるまでね」

「ぼくも、談話室に戻ってくるまで誰も見てないよ。それからも、しばらくのあいだロンと談話室で話をしたんだけど、アルテシアは寮から降りては来なかった」

 

 だとしたら、どういうことになるのか。ハーマイオニー、ロン、ハリーの3人は、互いの顔を見ながら考える。ハーマイオニーによれば、アルテシアは間違いなくベッドを抜け出しているのに、ロンたちは部屋から出てきたアルテシアを見ていないのだ。この食い違いには、どんな理由が考えられるのか。

 

「そういえば、何日か前にアルテシアがこっそりと出てくるところは見たよ」

「それ、いつのこと?」

「アンブリッジの処罰が始まった日さ。まったくの偶然だったけど、時間はわからない。たぶん消灯時間はすぎてたと思う」

「じゃあ、やっぱりそうなんだわ。そのときハリーに見つかったから、アルテシアはなにか見つからない方法を考えたんだと思う」

「どういうことだい?」

「たとえば、あの子も透明マントを持ってるとしたらどう? マントじゃないにしても、とにかく、なにか」

 

 なにかはわからないが、なんらかの方法で見つからないようにして、アルテシアは寮を抜け出している。それで間違いない。ハーマイオニーは、ぐっと両の手を握りしめた。そして、ロンを見る。

 

「ねえ、ロン。この場合、あたしたちは監督生としての勤めを果たさないといけない。そう思うでしょ」

「な、なんだって?」

 

 5年生になると、各寮それぞれ男女1名ずつが監督生に選ばれる。寮生の模範となり、下級生や他の寮生を指導するのがその役目だ。ハーマイオニーはその役目を果たすべきだと言っているのだが、ロンのほうは、どうやらよくわかっていないらしい。

 

「よく聞きなさい、ロン。同級生が、夜中にふらふらと出歩いているのよ。監督生なら、やるべきことがあるでしょ」

「あ、いやボクは…」

「この場合、現場を押さえ、規則違反を指摘し、事情を聞く必要があります。キチンと注意し、改めさせる。場合によっては、処罰も必要になるわ」

「それ、ボクが、アルテシアに… まさか、そんなことできるもんか」

「いいえ、できるのよロン。あたしたちは監督生なんだから」

 

 いや、そういうことじゃないと思う。ロンのあわてぶりを見ながらそんなことを思ったハリーだが、この場では何も言えなかった。ハーマイオニーが、今夜の予定についての説明を始めたからだ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。