ハリー・ポッターと魔法の本   作:Syuka

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第81話 「アンブリッジ」

 ホグワーツ特急を降り、学校へ着くと、すぐに新入生歓迎を兼ねた始業式が始まる。といっても、今年の新入生の組み分けがメインなので、校長のあいさつと終わると、あとは宴会だ。お腹いっぱい食べ、よく寝て、翌日からの授業を迎えることになる。

 まずは、新入生の組み分けだ。そのようすを見ながらアルテシアは、ホグワーツ特急のなかでソフィアが言った、味方のことを考えていた。新入生の人たちのなかに、そんな人はいるのだろうか。

 

「ねぇ、アル。あの人、誰だと思う? もしかして、新任の防衛術の先生かな」

 

 パーバティが指さしたのは、教職員テーブルの真ん中あたり。そこに、濃い紫のローブに同じ色の帽子をかぶった魔女が座っていた。少し太めの体型に、茶色い髪。ピンクのヘアバンドを着けている。

 

「たぶん、そうじゃないかな」

「ねぇ、ソフィアが言ってたでしょ、味方は意外に少ないってさ。ね、ね、あの人、味方になってくれるかな」

「どうだろう。そうだったらいいんだけどね」

 

 だがまだ、どんな人なのかわからない。話をしてからでないと、ソフィアの言う味方かどうかの判断などできない。ともあれ尋ねてみようと、アルテシアは思った。自分の疑問をぶつけてみるのだ。そのことにどういう返事を返してくれるのか。もしこの人が新任の防衛術の先生であるのなら、ちゃんとした返事をしてくれるはず。

 そんなことをアルテシアが考えているうちに、新入生の組み分けも終わり、ダンブルドアが立ち上がった。

 

「新入生諸君! そして古顔の諸君よ。あいさつはあと。まずはお腹をいっぱいにしようではないか。さあ、宴会じゃ」

 

 とたんに、テーブルに並べられたお皿に、どこからともなく食べ物が現われる。肉料理や野菜料理、パイやパン、もちろんかぼちゃジュースもある。アルテシアも、自分の皿に料理を取り分けていく。

 そのアルテシアの目の前に、突然、首無しニックの顔が現れる。ちょうど、テーブルから顔だけ出した状態だ。

 

「あえてこんな言葉をつかわせてもらいますが、お帰りなさい、お姫さま。ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントンでございます」

「名前、長いってば。ニックでいいでしょ」

「いやいや、パチルさん。どうせ呼んでいただくなら、ちゃんと名前を」

「ねえ、ニック。ニックは、味方だよね?」

「は? なんのことですかな、お嬢さん」

 

 それには答えず、ただうなずいてみせただけ。ちょうどいまパーバティの口のなかは食べ物でいっぱいとなったところで、しゃべれないのだ。

 

「まあ、それはともかく。お姫さま、灰色のレディとはあまり話せませんでしたよ。ご本人があまり姿をみせませんし、血みどろ男爵の目もございまして」

「ありがとう。ええと、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントンって呼ぶのよね」

「いえいえいえ、お姫さまには、いつものようにニコラスと、そうお呼びいただければそれで」

「あたしとは、ずいぶん違うのね、ニック」

「はて。そんなことはないはずですがね。ともあれ、お食事のじゃまはいたしませんよ。ではまたあとで」

 

 アルテシアの前から姿を消したニックは、次はハリーたちのところへと現われ、話を始めた。パーバティの目は、そっちの方に向けられている。いったい何を話しているのか、それなりに話が弾んでいるようだ。

 

「アル、ニックに何か頼んだの?」

「灰色のレディと話がしたいのよ。灰色のレディはヘレナって名前で、レイブンクローの娘さんなの。ほんとはロウェナと話せればいいんだけど、もうヘレナしかいないでしょ」

「ふうん。でも、なんのために?」

「彼女が生きてるころ、クリミアーナ家の魔女と会ってる。それが誰なのか確かめたいし、いろいろ聞いておきたいこともあるんだ。ニコラスの絶命パーティのとき、ヘレナと話したことあるんだけど、そのときはそんな話はしなかったから」

 

 そんなことを話しているうちにあらかた料理もなくなり、生徒たちのあいだではガヤガヤと騒がしくなってきていた。そこでダンブルドアが立ち上がめ。

 

「いくつかお知らせがあるのじゃ。少し時間をいただこうかの」

 

 その声にみんなの顔が校長のほうを向き、話し声はすぐにやんだ。ダンブルドアが、『禁じられた森』は立ち入り禁止であることなど、生徒たちが守るべきことを話していく。そして。

 

「今年は『魔法生物飼育学』の担当としてグラブリー・ブランク先生がお戻りになった。心から歓迎申し上げる。さらに『闇の魔術に対する防衛術』の新任教授として、アンブリッジ先生をお迎えした」

 

 そこで、拍手が起こる。だがすぐにやんだ。ダンブルドアが話を続けようとしたからだ。だが“エヘン、エへン”という咳払いが聞こえ、アンブリッジが立ち上がった。そのことに、誰もが驚いたようなそぶりをみせたが、ダンブルドアは静かに腰を下ろした。

 

「みなさん、みなさんとお知り合いになれて、とても喜んでおりますのよ。きっとよいお友だちになれるでしょう。ですが」

 

 そこでまた、“エヘン、エへン”と軽く咳払い。少し甲高い、鼻に掛かったどこか甘えるような声。それが少し早口となった。

 

「若い魔法使いや魔女に対する教育はとても大切なことなのだと、魔法省は、そう考えてきました。みなさんが持って生まれた才能は、大切に、慎重に、教え、導き、磨いていかねばなりません。必要なのは教育です。後の世代へと伝えていく努力をしていかなければ、魔法界の古来からの技は失われてしまうでしょう。キチンと教育していかないとダメなのです」

 

 アンブリッジが、ここで教員席に並ぶ教師陣に目を向ける。だがだれも、アンブリッジと目を合わそうとはしない。みな、一様に生徒たちのほうを見ている。マクゴナガルなどは、目を閉じている。ひととおり、そんな教師陣をみたあとで、またまた、“エヘン、エへン”と軽い咳払い。アンブリッジの話が続く。

 

「どういう意味だと思う?」

「え、なにが?」

 

 生徒たちのあいだでは、あちこちでささやくような声が聞こえている。ダンブルドアの話をさえぎって話を始めたアンブリッジに関してのものだろう。アルテシアも、パーバティにささやきかけた。

 

「教え、磨き、伝えていくって言ったよね。それって」

「違うと思うよ。クリミアーナの魔法書は、学び、高め、残していく、でしょ。だから、違うんだと思う」

「あぁ、うん。そうだよね」

 

 アンブリッジの話は続いているが、もはや生徒たちは誰もちゃんと聞いてはいない。いや、それは言い過ぎだ。すべてではない。ごく少数ではあるが、まじめに聞いている生徒はいた。アルテシアも、その1人だった。

 

 

  ※

 

 

「あれ、アルテシアは?」

 

 アルテシアたちが放課後によく利用している、いつもの空き教室。授業が終わるとそこにいつものメンバーが集まるのだが、パドマが来たとき、そこにアルテシアの姿はなかった。いたのは、パーバティとソフィアの2人。

 

「アルは、マクゴナガルのところだよ。原因は、昨日のアンブリッジの演説」

「アンブリッジって、防衛術の新しい先生だよね。あの人が原因って? まさかアルテシア、怒られてるの?」

「そうじゃないよ。あたしが行かせたんだ」

「どういうこと?」

「ちょっと、ね。アルともめちゃってさ。そんなに気になるんならマクゴナガルのとこに行けって、そう言ったんだ」

 

 パドマの目が、ほんの少しだけ大きく開かれる。彼女が知っている限り、姉とアルテシアとかケンカしたなんて、これが初めてだ。パドマは、いそいで姉のすぐ前に座った。

 

「お姉ちゃんが、アルテシアとケンカしたって? なんでまた」

「違うよ。あたしはケンカなんかしてない。するはずないじゃん」

「でもさ、いまそう言ったよね」

 

 ねぇ、と声は出さないが、目線でソフィアに同意を求める。ソフィアは、軽く笑って見せた。

 

「たしかに、ケンカした、とは言ってませんね。もめちゃった、とだけ」

「それって、同じことでしょ。ね、ほんとは何があったの?」

「だから、原因は昨日のあの先生のあいさつなの。アルは、そのことずいぶん気にしてたんだ。だからあたしは、気にすることないよって言ったんだけどね」

「たしかにあれは、あたしも気にはなったけど。でも、だからって、アルテシアとケンカすることないでしょうに」

「だから、違うって。何度も言うけど、あたしは、アルと、ケンカなんかしてない」

「あの人は、魔法書のことを知ってるんですかね」

 

 放っておけばパチル姉妹がケンカになっていた、ということはないはずだが、ソフィアの言ったことが2人の言い合いを止める形となった。

 

「もしそうなら、見過ごせない。あたしも、そう思いますね。だってクリミアーナは、放棄されるべき時代遅れなものじゃありません」

「いや、ソフィア。そこは、ダンブルドアのことを言ってるんだと思うよ。あたしが気になったのは、禁ずべきやり方とわかったものは何であれ切り捨てるってとこ。あれが、魔法書のことだとしたらって思ったんだ。実際アルテシアは、魔法書だけで魔法を勉強できる。あれを認めたら、学校いらないってことになる。もしそんなことを考えたんだとしたら」

 

 前日の、新任教授アンブリッジによる演説。そのなかでアンブリッジが言った言葉に対するパドマの考え方。はたしてその見方は、的を射ているのかどうか。ソフィアにしろパーバティにしろ、いや、あの演説を聞いた者それぞれが、さまざまなことを思ったに違いない。

 

「魔法書から魔法を学ぶのは間違っているのか。魔法書は、禁ずべきやり方なのかどうか。それ、アルも気にしてた。あたしは違うって、そう言ったんだけど」

「でも、アルテシアは納得しなかったんだね。だから、マクゴナガル?」

「だってさ、マクゴナガルは本を読んでる。それは認めてくれてるからでしょ」

 

 パーバティが気にしているのは、それを認める者と認めない者がいる、ということだけではない。もっとも気になるのは、それを認めてもらえない者が、何を思うのかということだ。そのことでアルテシアが、なにかするとは思わない。だが、なにもしないとも思えなかった。だから、マクゴナガルのところへ行けと、そう言ったのである。

 

「わたしたちも魔法書、読んだほうがいいのかな。どう思う、ソフィア」

「それはご自由に、としか言いようがないです。ヘンな意味じゃないですよ。やっぱりあれは、クリミアーナのものだと思うから」

「考えてみれば、アルテシアが読めって言ったことないもんね」

「でも、切り捨てられるようなものじゃないはずです。そんなことしていいはずない。他人に否定される理由なんか、絶対にない」

 

 魔法書は、クリミアーナのものだ。その初代の魔女が魔法書を遺して以来、ずっと読み継がれてきたものなのだ。それを否定し切り捨てることができるものが、仮にいるとするのなら。それは、たとえばアルテシアのようなその直系の子孫だけであるはず。魔法省にそんな権利はないし、ましてや、あのアンプリッジに許されるはずなどない。ソフィアは、そう主張する。だがパドマが、それをなだめる。

 

「あんたの言うことはわかるし、あたしもそう思う。だけどあの人は、まだそこまでは言ってないからね」

「でも、同じことじゃないですか。思うんですけど、これまでクリミアーナがずっと魔法界と疎遠にしていたのは、こんな理由なのかもしれません」

 

 すぐには、ソフィアの言うことの意味がわからなかったのかもしれない。少しの間、パチル姉妹は互いに顔を見合わせていた。たしかにクリミアーナは、これまで魔法界に溶け込んでいたとは言いがたい面がある。魔法界では、その存在を知らぬ人たちのほうが多数派だろう。そこに圧倒的と付け加えても、なんらおかしくはないほどなのだ。

 

「まさか、魔法界がクリミアーナを切り捨てたってこと。そんなことって、あるのかな」

「可能性なら、いくらでもあるよね。実際、ホグワーツには、これまで誰もクリミアーナの魔女は入学してないんだし」

「どっちにしろ、敵なのか味方なのか、判断しなきゃいけなくなると思います。例のあの人のこととか、あるんですから」

「まあ、それはともかくとしてさ」

 

 そこで、パーバティの目がしっかりとソフィアを捕らえる。

 

「いちおう、言っとくけどさ。ダメだよ、ソフィア。何をするにしても、勝手にやっちゃダメだからね。ちゃんとみんなで相談してからだよ」

「え?」

「なんにもするな、なんて言ってないよ。なにかするんなら、みんなでってこと。協力できるはずだよ。仲間なんだからさ」

 

 そのときのソフィアを、どう表現すればいいだろう。なにかに驚き、はっとして息をのんだような、そんな顔。それを見たパーバティの表情が、ほころんだ。そして。

 

「そういえばさ、あんたの家だって魔法書で勉強してきたんだよね。ソフィアは、魔法使えるの?」

 

 その言葉に、ソフィアの表情がまたたくまにあきれ顔へと変わっていく。ついでに、軽くため息。

 

「それ、本気で言ってるんですか? あたしは魔女にみえませんか?」

「あ、違う違う。そういう意味じゃないから」

 

 もちろん、ソフィアが魔女であることを疑ってなどいないのだ。パーバティが言うのは、魔法書で学んだもの以外ということ。つまりクリミアーナの魔法ではない、ホグワーツで学んだ魔法のこと。

 

「ああ、そういうことですか。うーん、どうなんだろ。自分では意識したことはないんですけど」

「授業のときに困ったりしたことはないの? アルテシアはけっこう大変だったんだけど」

「あたしは、困ったことないですよ。ちゃんとした杖を作ってもらってからは特に不便はないですね」

「アルも、おんなじこと言ってた。杖には使い方があるんだって。そうなの? ソフィア」

 

 ソフィアは、すぐには答えなかった。代わりに杖を取り出し、その杖を見ながら動かしてみる。自分が魔法を使うときのことをイメージしているのだろう。

 

「やっぱり、よくわからないです。ということで、話を戻してもいいですか」

「いいけど、魔法省がどうとかあの先生がなに考えてるかとかは、ほっといてもすぐにわかるんだと思うよ」

「それよりも、信用できる人を探した方が現実的だと思う。レイブンクローじゃ、アルテシアは人気あるんだよね。アルテシアのためならがんばってくれそうな人もいるし」

「それ、アンソニー・ゴールドスタインでしょ。なんどかアルに話しかけてきてたけど」

「もしかすると、アルテシアが声をかけたら、すぐに何人も集まるのかもしれないね」

 

 自分たち以外で協力してくれる人、力を貸してくれる人、味方になってくれる人。パドマの言うように、そんな人はいるのかもしれない。そんなことを考えていたソフィアのなかで、ふっと思い浮かんだ顔。いやいや、そんなことはありえない。ソフィアは、あわてて否定する。あの人は、違うだろう。違うはずだと、ソフィアは自分に言い聞かせる。なにしろあの人は、アルテシアを殴ったことがあるのだから。

 

 

  ※

 

 

 ホグワーツ校内のあちこちで、あれこれとささやかれていること。それは、ダンブルドアのことだった。いったいダンブルドアの言うことは正しいのか、それともデタラメなのか。はたして『例のあの人』は、本当に戻ってきたのか。いったい、なにが真実なのか。ハリー・ポッターの言っていることは、どうなのか。

 その判断をむずかしくしているのは、魔法省の態度であった。魔法省も同じ意見であれば、誰もがダンブルドアの声に耳を傾け、その呼びかけに応えていたはずなのである。だが魔法省は、このことを否定。しかも『日刊予言者新聞』では、ダンブルドアが、国際魔法使い連盟議長やウィゼンガモット最高裁主席魔法戦士などの肩書きを失ったことが報じられるなどしている。あの人が復活した、という記事ではないのだ。

 となれば、いかにダンブルドアといえど、魔法界での支持が低下していくことは避けようがない。魔法省と対立しているように見えることも、マイナス要因となっている。だが、ヴォルデモートが復活したのは事実だ。いずれ広く知れ渡ることになる。そのとき魔法省は、どうするのだろう。

 その魔法省からホグワーツに、魔法大臣上級次官であるドローレス・アンブリッジという役人が派遣されてきた。担当は『闇の魔術に対する防衛術』だ。パチル姉妹の言葉を借りるまでもなく、このアンブリッジを通して、魔法省の考え方というのはすぐにわかるだろう。そして、そのアンブリッジの人となりを知るまたとない機会が、その授業ということになるわけだ。

 アルテシアが最初にその授業を受けるのは、配られたばかりの時間割によれば、今日の午後だった。午前中に『魔法史』、2時間続きで『魔法薬学』、そして『占い学』のあと、午後から2時限続きで『闇の魔術に対する防衛術』となっていた。

 

「防衛術の前に魔法薬学があるけど、あの先生のこととか聞いてみる?」

「どうしようか。授業のときは話しかけにくいよね」

「まあ、相手はスリザリンの寮監だからね。みんなの目もあるし」

「午後には、防衛術の授業があるんだし、直接判断するってことでいいんじゃないかな」

「そうだね。少しは期待できそうな人だったらいいんだけど」

 

 実際は、どうなのか。この時点ではアルテシアたちにはまったく情報がない。だがマクゴナガルたち教師陣は、実際に本人と話をしたりもしているだろうから、生徒たちよりは詳しいはずだ。そのアンブリッジの授業は午後だが、その前にスネイプの授業がある。

 地下牢教室の扉は、いつもギーッという音を立てながら重々しく開く。教壇にスネイプが立つ。

 

「諸君、静かに吾輩の話を聞くのだ。本日の授業を始める前に、話しておきたいことがある」

 

 教壇に立つスネイプが、全員をじろりと見回していく。あえて静かにしろと言われなくても、この教室で騒ぐものなどいない。

 

「1年後、諸君らは6年生となる。だがそのとき、吾輩の授業が受けられるという保証などないことを覚えておけ。その権利は、諸君らが自分の力で勝ち取らねばならんのだ。なぜか」

 

 スネイプの目は、誰を見ているのか。いったん話を止めたが、すぐに再開する。その間も生徒たちは、誰も、何も言わない。

 

「学年末に、重要なる試験がある。普通レベルの魔法試験、O・W・Lだ。ふくろう試験と言った方がわかりやすいかもしれんが、その試験で諸君らの実力が試される。むろん優秀なる成績を期待するが、合格すれすれの「可」までだ。それより劣るものは、6年次より魔法薬学の授業は受けられない。仮に受けたにせよ、ついてはこられない。吾輩はムダなことはしない主義だ」

 

 コツコツ。スネイプが教室内を歩くときの音が、静かな教室内に響く。そのスネイプが、アルテシアの後ろ側で立ち止まった。

 

「言うまでもないが、このなかの何人かとは別れることとなり、何人かとは引き続き学ぶこととなるだろう。ゆえに」

 

 ここで視線は、ハリー・ポッターへと向けられる。

 

「吾輩から学びたくないという者は、O・W・Lにて不可の成績をとればよい。そんな不届き者がいるかどうかは知らぬが、この先、さまざまいろんなことがあるだろう。言っておくぞ。余計なことはするな。くだらぬことに気をそらすな。自らを高めることにのみ集中せよ。この1年においても、これまで同様に努力せよ」

 

 またもスネイプの足音が、教室内に響く。スネイプが、改めて教壇に立ち、教室内にぐるりと視線を走らせる。

 

「来年も、ともに学びたいものだ。さて本日の課題は、『安らぎの水ぐすり』。O・W・Lにてもしばしば出題される魔法薬だが、はたしてこれは、どういう魔法薬であるのか」

 

 すぐさま、手があがる。もちろん、ハーマイオニーだ。だがスネイプがハーマイオニーを見たのは、ほんの一瞬だった。

 

「必要なことは、黒板にある」

 

 その瞬間、黒板に成分や調合法などの説明が現れる。不安を鎮め、動揺をやわらげる魔法薬。ただ成分が強すぎると、飲んだ者は深い眠りに落ち、ときにはそのままとなる。そのため、細心の注意をもって調合しなければならない。そんなことも書かれている。

 

「材料は、薬棚にある。時間は1時間と少ししかない。始めたまえ」

 

 試験課題に取り上げられることもあるだけに、その調合はかなり難しいものだった。もちろん、材料は正確な量でなければならないし、大鍋に入れる順番も間違えてはならない。混合液も、正確にかき混ぜねばならないし、煮込むときの温度管理も重要なポイントとなる。

 それらの作業を進めつつ、アルテシアとパーバティは小声でないしょ話。

 

「あれって、アドバイスなんだろうね」

「だと思うよ。この1年の過ごし方についてのね」

「つまり、あの先生のことは気にしないこと。そのほうがいいってことになるのかな」

「そうだね。マクゴナガル先生も、似たようなこと言ってた。学年末の試験に向けて頑張りなさいって」

「じゃあ、そうするんだよね。うん、そのほうがいいと思う」

 

 もちろん2人だけの話だが、教室内を見回っていたスネイプが、ちょうど2人のうしろへと来ていたことには気づかなかったようだ。小声ではあったが、スネイプには聞こえてしまったらしい。

 

「おまえたち。おしゃべりは楽しいだろうが、あいにくいまは魔法薬学の時間だ。そのことを理解しておるのか」

「あ! す、すみません。スネイプ先生」

「いまは、目の前のことに集中すべきだ。それくらい、わかると思うが」

「はい」

「ふむ。いちおう、湯気は銀色だな。そうでなければ減点するところだ」

 

 アルテシアとパーバティの大鍋からは、軽い銀色の湯気が立ちのぼっていた。これが、正しく調合されているかどうかの目安であるらしい。その周囲では、ハーマイオニーの大鍋からも同じ色の湯気が立ちのぼっている。だがそのとなりのハリーは、どうみても黒っぽかった。ハーマイオニーが、ハリーにそっと耳打ち。

 

「ねぇ、ハリー。あの2人が注意されるなんてめずらしいと思わない?」

「そうだけど、銀色だって。なぜぼくのは、そうならないんだろう」

「ポッター、その疑問の答えであれば、黒板に書かれているぞ。もしその気があるのならだが、もう一度よく読むことをおすすめする。とくに調合法の3行目をな」

 

 ハリーたちのひそひそ話も、スネイプに聞こえたらしい。

 

「特別な能力などいらん。普通に文字を読み、普通に文章が理解できればいい。さすれば、なにをやり忘れたのかわかるだろう。あるいはミス・グレンジャーあたりが教えるかもしれんが、吾輩は、みずからが気づいてくれることを期待する。そろそろ時間だな」

 

 それだけ言うと、いつものように大股に歩き、教壇へ。

 

「諸君。自分の作った薬のサンプルを細口瓶に入れ、名前を書いたラベルを貼って提出したまえ。提出したものから帰ってよろしい」

 

 スネイプの机のうえに、次々とコルク栓をした瓶が提出されていく。その多くは失敗作に違いないが、いくつかは効果のあるものもあるようだ。提出を終えると、生徒たちは次々と教室を出て行く。ハリーは、黒板を改めて見ることはせず足早に教室を出る。そのあとを、ため息をつきながらハーマイオニーが追いかけた。

 

 

  ※

 

 

 『闇の魔術に対する防衛術』の教室に入っていくと、すでにアンブリッジがいた。いつからいたのかは不明だが、生徒の誰よりも早かった。

 はたしてアンブリッジは、どのような人物なのか。スネイプのようにいじわるなのか、マクゴナガルのような厳しさを持っているのか。はたして授業は、どのように進められるのだろうか。

 誰もがそんなことを思いながら、席に着く。期待と不安が半々、といったところか。だがアンブリッジが授業開始のときに『杖をしまえ』と言ったことで、一気に失望感が広がっていった。これまでの例から言っても、杖をしまったあとの授業がおもしろかったことはない。むしろ『杖だけあればいいよ』と、そう言ったルーピン先生の授業がどれだけ面白かったか。

 だがそう指示された以上は、仕方がない。生徒たちは、杖をしまい、羽根ペンとインク、羊皮紙を取り出した。

 

「さて、黒板を見てください」

 

 アンブリッジが自分の杖で、黒板を叩く。すると、たちまち文字が現れた。『基本に返れ』と書かれている。

 

「魔法省による指導要領というものがあります。残念ながら、これまでの先生は、これに忠実ではなかった。その結果、魔法省が期待するレベルには到達していない。そんな生徒が大半なのです。わたくしは、この状況を是正したいと考えています。これを見てください」

 

 再び、杖で黒板を叩く。すると、こんな文字が現われた。

 

『   授業の目的

 

 1.防衛術の基礎となる原理を理解すること

 2.防衛術が合法的に行使される状況認識を学習すること

 3.防衛術の行使を、実践的な枠組みに当てはめること  』

 

「ウィルバート・スリンクハードの『防衛術の理論』、その5ページを開いてください」

 

 その本は、教科書として指定されていた本だ。当然、生徒の全員が持っている。

 

「第1章、初心者の基礎、そこから各自、集中して読みなさい。おしゃべりはしないこと」

 

 そこでアンブリッジは、教壇の先生用の机の椅子に腰を下ろした。そしてそこから、クラスのようすを見ている。というより、生徒たちを観察しているようにも見える。

 生徒たちは、たちまち飽きてきたようだ。ただ読むだけというのは、予想以上につまらないらしい。それから数分。しーんとした時間が過ぎていったが、なんと、ハーマイオニーが高々と手を上げていた。ハーマイオニーの教科書は、開かれてもいない。

 アンブリッジは、そんなハーマイオニーに気づかないふりをしているようだ。手を上げた生徒を無視する教師、といったところだが、いつまでもそうしているわけにはいかない。生徒たちのなかに、そのことに気づく者が出てきたからだ。

 

「あなた、何か質問があるのでしょうけど、今は読むことに集中してね。ほら、その生徒のように」

 

 アンブリッジの言う生徒は、アルテシアだった。アルテシアは、その本を熱心に読んでいる。周囲がざわついてきたが、そのことに気づいてさえいないかもしれない。

 ハーマイオニーがちらっとアルテシアを見たが、すぐにアンブリッジに目を戻す。もちろん、立ち上がっている。

 

「授業の目的についての質問です」

 

 さすがのアンブリッジも、落ち着いてばかりもいられないらしい。表情が、いくぶん固くなる。

 

「まず、名前をいいなさい」

「ハーマイオニー・グレンジャーです」

「では、ミス・グレンジャー。黒板をよくご覧なさい。あなたの質問の答えは、黒板に書かれていますよ。ごく普通の読解力さえあれば、十分に理解できるはずです」

 

 なるほど、黒板には授業の目的とされる、3つの項目が書かれていた。だがハーマイオニーは、黒板を見ようともしない。ただ、アンブリッジを見つめている。

 

「黒板には、もっとも大切なことが書かれていません。それはなぜですか」

「いちおう、聞きましょう。それは、何のことかしら」

「防衛呪文を使う、ということです。それに関しては何も書いてありません」

 

 アンブリッジは、あきらかにあきれたような表情にかわった。軽くため息でもついたように見える。だがあえて、ことさら優しい声で言い含めるように言った。

 

「いいですか、ミス・グレンジャー。これは魔法省が慎重に検討を重ね、新たに制定した指導要領によるものです。あなた方が防衛術を学ぶにあたり、安全で危険のない方法で……」

「でも『闇の魔術に対する防衛術』の授業では、間違いなく、防衛呪文の練習が必要です。変身術でも、実際に変身させてみます。まさか、呪文の言葉を覚えるだけで魔法が使えるなんて言いませんよね」

「実際に魔法を使ってこそ、身につくんだ。本を読むだけでは、襲われたとき役に立たない」

 

 ハーマイオニーに続いて、ハリーが大きな声を上げた。それだけではない。ほかにも、何人かの生徒の手が上がっている。

 

「静かに。静かになさい。なるほど、たしかに実技は必要でしょう。ですが今は、理論を学ぶときだと言っているのです」

「襲われたとき、自分を助けてくれるのは理論じゃない。理論だけじゃ、身を守れない」

「襲われる? このホグワーツで? いったい誰が、なんのために」

「危険はないって言うのか」

 

 これまで学校でどんなことがあったか知らないのか。ハリーは、そう言いたかったのかもしれない。ホグワーツは、必ずしも安全ではなかった。過去には、巨大なトロールが侵入したこともあるし、バジリスクという恐ろしい怪物もいた。実際は犯罪者ではなかったが、そう思われていた男が侵入したこともあったのだ。

 

「魔法省は、理論的な知識で十分だと考えています。ごらんなさい、あの生徒を」

 

 誰もがアンブリッジやハリーたちに注目しているなか、アンブリッジが示したのは、教室の後ろの方の席で本を読んでいる女子生徒だった。

 

「本から学べる知識をばかにしてはいけませんよ。学校というものは、すなわち試験に合格するためにあるのです。それで、あなたのお名前は?」

 

 だが、その女子生徒は答えない。あいかわらず本を読んでいる。その隣にいた女子生徒が、代わりに手を上げた。

 

「わたしは、パーバティ・パチル。こっちはアルテシア・クリミアーナです。質問ですけど『闇の魔術に対する防衛術』O・W・Lには、実技はないんですか? 実際に反対呪文とかをやってみせることはないんでしょうか?」

「理論を十分に勉強しておけば、試験という状況のなかで、魔法がかけられないということはありえません」

「それまで、一度もやったことがなくてもですか。初めてその魔法を使うのが試験の場であっても大丈夫だとおっしゃるんですね」

 

 パーバティが、あきれた様子でそう問いかける。だがアンブリッジの興味は、まだ本を読み続けているアルテシアのほうへと移ったようだ。

 

「そこの生徒、アルテシアといったかしら。顔を上げなさい」

 

 だが、アルテシアは本から目を離さない。苦笑しつつ、パーバティが代わりに応じる。

 

「真剣に本を読んでいるときは、何を言っても聞こえてませんから。どうしてもというのなら、本を取り上げるしかありません。お望みならそうしますが」

 

 さすがのアンブリッジも、これには驚いたようだ。だが、グリフィンドール生にとっては、程度の差こそあれ、これまでそんなアルテシアを何度か見ている。とくに驚くようなことでもないのだ。

 ハリーが、自分のほうへと話を戻そうと大声を放つ。

 

「その理論というものが、学校の外でもぼくたちを守ってくれるんですか。危険を回避してくれるとでも?」

 

 つられて、アンブリッジもハリーへと視線を向ける。

 

「まるで、外の世界は危険でいっぱいだと、そう言っているように聞こえましたが」

「そのとおりです、先生。ぼく、そう言いました」

「なるほど。では、いくつかはっきりさせておきましょう」

 

 言いながら、教壇の真ん中へと歩を進める。そして、生徒たちのほうに身体を向けた。

 

「おかしなうわさがあることは承知しています。死んだはずの闇の魔法使いが戻ってきた、死から蘇ったのだといううわさです」

「それが事実だ。ぼくはこの目で見たんだ。もともとあいつは、死んでなかったんだ」

「ミスター・ポッター。グリフィンドールから10点減点します」

 

 それでもハリーは、言うのをやめなかった。

 

「ぼくは見たんだ。あいつと戦ったんだ。セドリックは、殺されたんだぞ」

「罰則です、ミスター・ポッター! 明日の夕方5時、わたくしの部屋に来なさい。このことは、マクゴナガル先生にもお知らせしておきます」

 

 アンブリッジ先生が勝ち誇ったように宣言した。どこか、嬉しそうに見えなくもない。

 

「魔法省は、みなさんに闇の魔法使いの危険はないと保証します。それでも不安だというのなら、授業時間以外に、遠慮なくわたくしのところへおいでなさい。闇の魔法使い復活などと脅かす者がいたら、わたくしに知らせるのです。キチンと対処させてもらいますからね。では、授業を続けます。5ページからの『初心者の基礎』を読みなさい」

 

 アンブリッジがゆっくりと歩き、教壇の端にある先生用の机の椅子に腰かける。いまや、教室内はしーんと静まりかえっていた。アルテシアはと見れば、この騒動のあいだも、ずっと本を読み続けていた。

 


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