ハリー・ポッターと魔法の本   作:Syuka

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第70話 「奇跡の色」

「おや、目が覚めましたね。お友だちが勢揃いで待ってますけど、会いますか? とりあえず30分くらいならかまわないわよ」

「あ、あの。わたし、結局、倒れちゃったんですね」

 

 マダム・ポンフリーは、にっこりと微笑みながらうなずいてみせた。アルテシアは、医務室のベッドで目を覚ましたのだ。

 

「そういうことですけど、目的は果たせたらしいわよ。わたしに言わせれば、なんでまたこんなムチャを、ってことになりますけど」

「すみません」

「いいのよ。必要なことなんだって聞いてます。じゃあ、お友だちを呼んできましょうかね。あれからのことは、お友だちにお聞きなさいな。ただし、面会時間は30分。それから診察させてもらって、問題なければ明日、ベッドから出るのを許可しましょう」

 

 マダム・ポンフリーが出て行くと、アルテシアは大きく息を吐いた。目的は果たせた、らしい。つまりにじ色の玉は取り戻したということだ。

 時間をさかのぼるといっても、もちろん校長室内の、あの玉の周囲だけにかぎってのこと。それほど負担になるはずがない。アルテシアは、そう思っていた。だが実際は、パーバティの懸念が当たってしまったというわけだ。

 アルテシアはまず、自分も含めその場にいる人たちに見えるようにと、校長室にあるにじ色の玉を映し出した。といっても、それはダンブルドアによって透明化されているので実際には見えない。過去へと戻る過程で、そこににじ色の玉が見えたとき、そのときこそが取り替えるタイミングだということになる。

 そして全員でその場所を見つめながら時間をさかのぼっていくのだが、もちろん、手早く効率的にやらねばならない。いたずらに手間をかければ、また頭痛がしてくるだろうし、その痛みにどこまで耐えることができるかわからない。

 はたして、透明化の魔法がかけられたのはいつなのか。もちろんアルテシアは、事前にそのことを予想している。一番疑わしいのは、ソフィアが校長室を訪ねた頃だ。

 アルテシアは、その地点まで一気に時間を駆け上った。ソフィアが校長室に侵入してにじ色を持ち出しそうな気配をみせたのだから、それ以後も透明化せずにいた、などとは考えられなかった。そしてその予想通り、その時点ですでに透明化されているのを確認。

 そこから先は、さかのぼる速度を加減し、にじ色の玉が見えるようになる地点を探していくことになる。1ヶ月単位くらいで一気に飛んでは状態を確かめ、少しずつ絞り込んでいくという方法もあったが、そちらは選択しなかった。この頃が一番怪しいと、そう思っていたからだ。

 結果的には、その選択は失敗であった。結局、ダンブルドアがにじ色を手に入れたであろう、パチル姉妹がホグズミードを訪れ、アルテシアを探していた女性と会った頃にまでさかのぼらねばならなかった。どうやらダンブルドアは、にじ色を入手して間もない段階から透明化の処理をしていたようだ。

 

「アル、気分はどう?」

「アルテシア、もう平気?」

 

 部屋に入ってきたのは、パチル姉妹。2人とも事情は知ってるはずなのに、それでも心配そうな顔をしていた。

 

「これで最後だよね、アルテシア。もう、ヤダよ。ほんと、心配したんだから」

「ごめん、パドマ。パーバティも、ありがとう。大丈夫だよ。2人の顔みたら、ほっとした」

「あのにじ色は、マクゴナガルが持ってるよ。校長先生みたいに、あんたには渡さないなんて言ったりはしないと思うけどね」

 

 そう言って、笑いあう。本当にそんなことになっては、冗談では済まない。だがそんな心配はないと、誰もが思っているからこそ、笑えるのだ。

 

「そうだ、パーバティ。結局、ダンスパーティーは行けなかったよね。ごめんね、わたしのせいで」

「ああ、それは大丈夫。ちゃんと行ったからさ」

「え、そうなの」

「そうなのよ、アルテシア。聞いてよ、アルテシア。あたしたちはね、アルテシア。マクゴナガルに言われて参加したのよ。ハリー・ポッターのお相手がいないからって頼まれて」

「ハリーの?」

 

 そういえば、ロンが相手を探していた。だがあのとき、断ったはずだ。どうやらロンたちは、あの後も相手を見つけることができなかったらしい。

 

「ポッターは代表選手でしょ。代表は、まず最初に踊らなきゃいけないの。なのに相手がいないんじゃ、どうしようもないからって先生がね」

「ふうん」

「あたしがポッターと踊って、パドマがウイーズリーと。そのはずだったんだけどねぇ」

「どういうこと?」

 

 パドマは結局、一度も踊っていないのだという。ロンとハリーの2人は、ダンスパートナーであるパチル姉妹よりも、キレイに着飾って現れたハーマイオニーに気を取られてしまい、踊るどころではなかった。パーバティーにしても、代表選手が最初に踊ったときの、その1回だけなのだという。

 

「あの2人は、他の女の子に気を取られてばかりで、あたしたちのことには興味がなかったみたいね」

「でもさ、まじめな話、ポッターはグレンジャーと踊りたかったんだって思うよ。彼女ばっかり見てたもん。ウイーズリーは、アルテシアだね」

「えっ! わたし」

 

 パーバティーが、笑顔でうなずいた。きっと冗談だとアルテシアは思った。ハーマイオニーのほうは、ダームストラングのビクトール・クラムと踊る約束をしていたらしい。クラムと踊るハーマイオニーを見て、ハリーとロンは目を丸くしていたのに違いない。その場面が、アルテシアには容易に想像できた。

 

「マルフォイも、あんたを探してたけどね。普段から仲悪いのに、あんたが約束してたなんて知ったら、きっと決闘を申し込むよ、ウイーズリーは」

「わたし、約束なんかしてないよ。ちゃんと用があるから行けないかもって言ってあるし」

「かも、でしょ。かも。もしかしたらって思ったのよ。アルテシア、今度パンジーと会うときは気をつけた方がいいかもよ」

 

 たしかに、パンジー・パーキンソンはドラコを意識しているようだ。では、ドラコはどうなのだろう。そんなことが頭をよぎったが、パチル姉妹の話題は次々に変わっていく。

 

「それでさ、とにかくあたしたちだって踊りたかったんだよ。けどポッターもウイーズリーも、その気はなし。だったら、ほかの男の子をさがすしかないじゃん」

「そうそう。で、マルフォイにも声かけてみたの。そしたら、パンジーがね」

「うん。すごい目でにらんできた。あれは、怖かった」

 

 あの、迫力ある目でにらまれたら、さぞ怖かっただろう。その目を想像しながら、アルテシアは苦笑い。パンジーは、たしかに怖い。アルテシアは、実際に頭を叩かれたことすらあるのだ。もちろん手加減はしてくれたのだろうけど、それでも十分に痛かった。

 

「そのパンジーがね、聞いてきたのよ。びっくりするようなこと」

「そうそう。あんたのことだけどね」

「わたし?」

「パーティーに来てないのは、また医務室なんじゃないかって。びっくりだよ、あんたのこと心配してくれてたんだよ」

「えーっ、彼女が!」

 

 もちろん驚いたのは、パンジーが心配してくれたということに対してだ。もともとアルテシアは、パンジーに対してそれほど悪い印象を持ってはいない。だがそれでも、そんなふうに心配してくれるとは思っていなかった。ケガをしたとか病気だとか、そういうことではなく、ただ、その場にいなかったというだけなのに。

 

「意外? だよね。あたしらもそうだったもん」

「そのパンジー・パーキンソンじゃないけど、あんた、ほんともう大丈夫? ずっと、気持ちよさそうに寝てたけどさ」

「うん。もう、平気。明日になったらベッドから出てもいいって、マダム・ポンフリーも言ってくれたしね」

「ムリしないでよ。そりゃこれで最後にはなるんだろうけど、心配だよ。あんたはさ、ただそこに居てくれるだけでいいんだからさ」

「ありがとう、パーバティ」

 

 もちろん、これが最後になる。そのはずなのだ。実際にあの玉を調べてみなければはっきりとは言えないが、そうなってもらわねば困るのだ。ダンブルドアは、にじ色を調べても何もわからなかったらしいが、アルテシアの場合は違う。そのはずだと、誰もがそう信じて疑わない。

 

「いろいろと話がはずんでいるようですね。女の子が集まればこうなるのは仕方ないと思いますが、病室だということはお忘れなく」

 

 マダム・ポンフリーだった。アルテシアが目覚めたことをマクゴナガルに伝えにいっていたようで、その後ろにマクゴナガルもいた。

 

「アルテシア、これを渡して、いいえ、返しておきましょう」

 

 マクゴナガルの手にあったのは、にじ色の玉。もちろん、校長室に保管されていたそれを回収したものである。その玉が、アルテシアの手に渡った。

 

 

  ※

 

 

「イゴール、騒ぐ必要などないと、吾輩はそう言ったはずだが」

「いいや、セブルス。何も起こっていないふりをすることはできまい!」

 

 ダームストラングの校長であるイゴール・カルカロフ、そしてセブルス・スネイプとが話をしていた。

 

「ふり、などしてはおらん。いずれそうなるであろうことは、吾輩も覚悟している」

「ならば、ならば、セブルス。どうするのだ?」

「すでにさまざま、考えている。あとは結論を出すだけだ」

 

 2人が話しているのは、闇の帝王、すなわちヴォルデモート卿のことだろう。ヴォルデモートが、何らかの動きを見せつつあることを感じているのだ。

 

「セブルス、いざとなったら逃げようではないか。わたしは真剣に心配しているのだ。そうしたほうがいいと思わんか」

「そう思うのなら、そうすればいい。だが吾輩は、そうはしない。逃げ切ることは難しいだろうからな。立ち向かうか、従うか。そのどちらかしかない」

 

 カルカロフの声は、ずいぶんと小さかった。誰かに聞かれでもしたら困る、といったところだろう。不安を押し殺そうとでもするかのように、自身のヒゲを指でもてあそんでいた。

 

 

  ※

 

 

 ここは、マクゴナガルの事務室。そこにあるテーブルの周りに、ズラリと椅子が並んでいた。全部で5つあり、パチル姉妹とソフィア、マクゴナガル、アルテシアが座っている。

 

「さて、アルテシア。あの玉を手にしてから、なにか判ったことはありますか」

「はっきりとはしないですけど、なにか伝えたいことがあるみたいですね。そんな意志みたいなものを感じます」

 

 そう言って、テーブルに置かれているその玉に手を伸ばす。そしてそれを、ソフィアへと差し出す。

 

「ソフィア、どう思う?」

「え、あたし、ですか」

「わかる? わたし、やっぱりホグズミードに行ってみようと思う」

「ホグズミードへ? いまさら、何しに行くの?」

 

 言ったのはパーバティだが、それが全員の考えを代弁しているようなものだった。誰からも賛成意見が出ることはなかったが、アルテシアは、その考えを変えたりはしなかった。

 

「ホグズミード村で、その人はわたしを探していました。単にこの玉を渡したかっただけじゃなくて、何か伝えたいことがあったんだとしたら。なにか大切なことを聞かないままになるんだとしたら。それは、やっぱりまずいんじゃないかなって」

「ですが、アルテシア。あなたの言うこともわかりますが、ホグズミードにはもう、パチル姉妹が会った女性はいませんよ」

「いいえ、そうではないと思います。あの家に、この玉を持って行ったなら。きっとなにか起こると思うんです」

 

 

  ※

 

 

「読んだか、新聞」

 

 ロンの手にあるのは、日刊予言者新聞。その1面のトップ見出しは『ダンブルドアの「巨大な」過ち』だ。休暇が終わり、授業が再開された、まさにその日の新聞だ。

 

「リータの記事でしょ。ハグリッドのことはそうじゃないかって思ってたけど、気になることがあるわ」

「前から思ってたって? どういうことだい。それに気になることって?」

 

 記事の内容は、ダンブルドアの批判したもの、ということになるのだろうか。ホグワーツ校長の教職員の任命に関する問題点、として書かれたものだった。

 たとえばそれは、狼人間であった人物を教師にしたことであり、半巨人に学校内での職を与えたりといったこと。

 

「巨人族の血が混じってなければ、あんなに大きな身体にならないと思うわ。純粋な巨人族は6メートルとかになるそうだから、半巨人だってことだけど、それがなに? 気になるのは、リータがどうやってそれを知ったかのほうよ。あの人は、たとえ取材であろうともホグワーツの敷地内に入るなとダンブルドアに言われてるのよ」

「内容はデタラメだけど、生徒へのインタビュー記事が載ってる。てことは、だよな」

 

 つまりリータは、禁止されているのに校内に入ってきているということになるわけだ。誰にも気づかれずに。

 

「どうやったら、そんなことができるのかしら。これは、知っておかなきゃいけないことだと思うわ」

「それよりハグリッドはどうなるんだい? 魔法生物飼育学は、グラブリー・プランク先生が教えてるだろ」

「ぼくたちを避けているのかもしれないよ。半巨人だってこと、知られたくなかったはずだ」

 

 この記事が出て以降、ハグリッドは食事のときも教職員テーブルに姿を見せず、校庭で森番の仕事をしている様子もなく、「魔法生物飼育学」は、あいかわらず、グラブリー・プランク先生が続けて教えた。

 ハグリッドの小屋へと訪ねていっても、会えない日が続いていた。そうしているうちにホグズミード行きの日を迎える。

 

「いいこと、ハリー。みんながホグズミードに行って、せっかく校内が静かになるんだから、このチャンスを活かさないと」

「チャンスだって?」

「ええ、そうよ。あなた、まだ金の卵の謎を解いてないんでしょう? それに専念すべきよ」

「あ! でも、あれは。あれがどういうことなのか、もう相当いいとこまでわかってるんだ」

 

 嘘だった。ハリーは、ほかのことにかまけて、卵のことをすっかりわすれていたのだ。それに今だって、ハグリッドのことが気になっている。それにホグズミードに行けば、ばったり出会って、ハグリッドと話をする機会だってあるかもしれないのだ。

 その、ホグズミード行きの土曜日がきた。ハリーは、ロンとハーマイオニーと一緒に、学校を出る。もちろんこの日、ホグズミードに向かったのは、ハリーたちだけではない。

 双子のパチル姉妹とアルテシア、ソフィアの4人もまた、ホグズミードへと向かった。

 

 

  ※

 

 

 ホグズミードにある三本の箒。その店内でハリーは、ルード・バグマンと会った。会う約束をしていたということではなく、ハリーたちを見つけたバグマンが、ハリーのもとへと近づいてきたのだ。

 

「やあ、ハリー。金の卵はどうしてるかね?」

「あの……まあまあです」

 

 そんな返事をするしかなかった。だがバグマンは、その返事の中にあるハリーのごまかしを見抜いたようだった。

 

「ふむ。もし苦労しているようなら、ちょっとくらいアドバイスをしてやれるかもしれないんだが。順調だと、そう言うんだね?」

「はい。だって、自分の力で謎を解かなきゃいけないんですよね?」

「そうだとも。むろんそういうことなんだが、キミの場合は、その。年下でもあるからね。ちょっとぐらいのアドバイスは問題ないと思うよ」

「ありがとうございます。でも、卵のことはほとんどわかりました……あと数日あれば解決です」

 

 もちろん、嘘だった。なぜバグマンの申し出を断るのか、よくわからないまま、ハリーはそう言っていた。となりにロンやハーマイオニーがいたからかもしれない。

 

「なんで断るんだ。いい情報が聞けたかもしれないのに」

 

 ハリーに断られたことで気分を害したらしいバグマンが去っていくと、さっそくロンがそんなことを言い出すが、ハーマイオニーは取り合わない。

 

「おあいにくね、ロン。ハリーは、そんな不正みたいなことはしないのよ。だってハリーは、もう卵の謎は解決してるんだから」

「そうなのか、ハリー。なんだったんだい、あの謎って」

「ああ、いや、その。実はぼく、まだ卵のことは」

「待って、何も言っちゃいけないわ。見て、あそこ」

 

 ハーマイオニーの指さしたところにいたのは、リータ・スキーターだ。どうやら、いまの話を聞かれていたらしい。

 

「おーや、なんで止めるざんすか。いいお話をきけるところでしたのに」

「最低の女ね、あなたって。そうやって盗み聞きばかりしてると、そのうち思い知ることになるわよ」

「お黙り。バカな小娘のくせして。わかりもしないのに、わかったような口をきくんじゃない」

 

 ハーマイオニーをにらみつけ、リータ・スキーターは冷たく言った。

 

「あなたのこと、記事にしてあげるざんすよ。でもいまは、さっきの話の続きをお願いしたいわね」

 

 リータ・スキーターが、これみよがしに自動で文字を書くことのできる速記用の羽根ペンを取りだした。そのペンが、羊皮紙の上でダンスを始める。

 

「話してなんか、あげるもんですか。さあ、ハリー、ロン。行くわよ」

 

 ハーマイオニーが駆けだしたので、ハリーとロンもそうするしかなかった。そんな3人が立ち止まったのは、その先にアルテシアを見つけたからだ。

 

「見たわよね、あなたたち」

「家の中に入ってったようにみえたけど」

「あそこって、誰の家なんだい?」

 

 

  ※

 

 

 たしか、この家に入ったはずだ。だが近づくほどに、その自信がなくなっていく。その家の屋根が青色だったのだ。3人ともに、屋根の色は茶色だと思っていたのだ。そろって見間違えるというのは考えにくい。ということは、この家ではないということになる。だが近くに、茶色の屋根の家はない。

 

「どういうことだろう」

「わからないわ。だったら、確かめてみるしかないでしょ」

 

 ハーマイオニーが、堂々と、その家の敷地へと入っていく。そして、ドアをノック。だが、反応はなかった。ひっそりとしたままなのは、誰もいないからなのだろうか。

 

「留守、だよな」

「ええ、そうみたい。でも、おかしいわね。ここだと思ったんだけど」

 

 この家のはずだった。だが留守のようだし、屋根の色も違う。ならば見間違えたのか、あるいは勘違いなのか。そう納得するしかない状況ではあったが、ハーマイオニーは、簡単には納得できなかった。

 

 

  ※

 

 

「これが、戻ってくるとは思わなかった。わたしの役目も終わったはずだったのに、まさかもう一度手にすることになるとはね」

 

 その部屋には、アルテシアとパチル姉妹、ソフィア、そしてもう1人。しばらく前にもこのメンバーで会ったことがあるのだが、そのときは玄関先での立ち話。今回は、家の中に通されていた。おそらく、アルテシアがにじ色の玉を取り出して見せたからだろう。

 そのときから、あきらかに雰囲気が変わったのだ。にじ色の玉を手渡したそのときから、その人のようすが、明らかに変わったのである。

 やはり、この家ににじ色の玉を持ってきて正解だった。誰もがそう思いつつ見つめる中で、その女性が杖を取り出し、にじ色の玉に軽く触れる。そのときほんの一瞬だが、部屋の中がまぶしい光に満たされた。

 

「だけど、良かったなんて思わないことね。あとで後悔するかもしれない。良かったのか悪かったのか、それを決めるのはあなたじゃないし、いま決められることでもない」

 

 その女性は、まっすぐにアルテシアを見ていた。もちろんアルテシアも、目をそらさずまっすぐに相手を見る。いったい、何が起こったのか。起こっているのか。

 彼女の印象は、明らかに変わっている。以前に会ったときと同じ人物だなんて、とても思えないほどだ。そんな疑いを持ちたくなるほど違っている。パチル姉妹やソフィアはそう思っているのだが、アルテシアは、別のことを考えていた。どことなく、覚えがあるような気がしたのだ。どこかで会ったことがあるのかもしれない。

 

「まずは、あなたの名前から聞かせてもらおうかな」

「あ、はい。わたしはアルテシア。アルテシア・ミル・クリミアーナです。それからこっちが…」

「ごめんなさい、ほかの人はいいわ。覚えていられないからね、申し訳ないけど」

 

 その言葉で、紹介は終わってしまうことになる。彼女が、軽く笑って見せた。

 

「ふふっ。聖なる魔女の血を引く、正統なるクリミアーナ家のお嬢さま。そう言われて育ってきたのよね」

「それは」

「だから、しっかりと勉強をしてきた。あなたを見てれば、それがよくわかる。がんばったわね」

 

 なにか言おうとしたアルテシアだが、それが言葉になることはなかった。その開いた口が閉じたところで、女性が話を続ける。

 

「でも、それが台無しになってしまうかもしれない。これからあなたが選ぶのは、そういうこと」

「選ぶ?」

「そうよ。よく勉強してきたあなたなら、知ってるはず。クリミアーナには、失われた歴史というものがあるわよね」

「え? ええ、そう聞いています。でもそれが」

「知りたいと思ったことはない? なぜ、失われたのか。なにが失われたのか。もちろん考えたこと、あるわよね?」

 

 考えただけでなく、その歴史を知ろうと調べようとしたことすらある。だがアルテシアはもう、そんなことはしていない。昔よりも今、これからのことのほうが大切だと、そう思うようになったからだ。

 

「改めて言うようなことじゃないけど、クリミアーナの魔法書は、クリミアーナの魔女が作ったもの。そこには、その魔女が得た知識や魔法力などのすべてが残されるから、ちゃんと学べばちゃんと伝わる」

「あの、まさかとは思いますけど」

「気がついたようね。そのとおりよ。でも、本当になくなったわけじゃない。ここに、ある」

 

 にじ色を玉が、ふわっと宙に浮いた。空中を滑るように、それがアルテシアのすぐ前へとやってくる。

 

「これは、あなたのものよ。あなたが学び、身につけているはずのもの。そう。あなたが学んだ魔法書は、全てがそろってはいない。欠けているこれを加えることで、ようやく元通りの魔法書になる」

「つまりわたしの魔法書は」

「ええ、そう。あなたの魔法書は、クリミアーナで最初に作られたもの。いえ、クリミアーナを作った本、というべきかしら」

 

 つまりアルテシアの魔法書は、クリミアーナ家にある家系図の、その一番上に名前が記された魔女によるものだということ。そしてその魔法書が作られたことにより、クリミアーナ家は始まったのである。

 

「わたしの知る限り、その魔法書で勉強したのは、2人だけ。あなたを含めてね。そして、同じ悩みを抱えた」

 

 目の前にいるこの人は、いったい誰だろう。その女性に見つめられ、自分もその相手を見ながら、アルテシアは考える。もちろんこの家に住んでいる女性で間違いはないが、いま彼女を支配しているのは、本人ではない別の誰かだ。

 

「思いどおりに魔法が使えない。満足に魔法が使えない。これでは、いざというときに困る。だから、いまのうちに解決しなきゃいけない。そうよね?」

「はい。そのとおりです」

「そのために、これが役に立つでしょう。さあ、あなたの手に取りなさい」

 

 もちろんアルテシアは、にじ色の玉に手を伸ばす。だが、手につかむ寸前で、その玉がすっと10センチほど上に動いた。

 

「でもその前に、考えて欲しい。それを得るということはどういうことか。それを得たとき、どうなってしまうのか。選んだなら、もう元には戻れないからね」

「あの、よくわからないんですけど」

「だったら、考えなさい。わからなければ、考えればいい。けんめいに考え、答えを求めなさい。探さなければ、答えは見つからないわよ。本当はもう知っているはずだけど、そのことに気づくまで考えるのです」

 

 スッと、にじ色の玉が動き、アルテシアの手の中に。その玉を握りしめ、アルテシアは改めてその女性を見た。言われていることの、意味は分かる。結局のところ『答えは自分で見つける』ということ。疑問は常に持っていてよいし、いくら悩んでもよい。だが、あきらめてはいけない。あきらめたなら、それまで。それが、クリミアーナの教えだ。だとするなら、昔のことを知ろうとするのをやめたのは、間違いだったのか。

 

「あなたは、いったい誰なんですか?」

「おや、それを聞かれるとは思ってなかった。でもその答えも、あなたの中にある。考えなさい。それはともかく、さっきから家のドアをノックする音が聞こえるのよ。女の子が1人と男の子が2人ね。あきらめそうにないから、相手をしてやらないと」

「あ、でも。もう少しだけ」

 

 聞きたいことなど、いくらでもある。そう思ったアルテシアだが、彼女は首を振ってみせた。

 

「これで終わりよ、わたしの役目はここまで。選ぶのはあなた。でも1つだけ教えてあげる。この世の中には、海の色でもなく空の色とも違う、空よりも澄んで海よりも深い、そんな不思議な色がある」

「え?」

「クリミアーナの最初の魔女は、そんな色の目をしていた。その頃の人たちは“奇跡の色”と呼んでいたの。アルテシア、だったわね」

「はい」

「このまま、学校かどこか、適当な所に移動しなさい。この家にいたのを知られないほうがいいでしょう」

 

 そういえば、この家に誰かが訪ねて来ていると言っていた。このままなら、アルテシアたちはその人たちと顔を合わせることになる。そうならないほうがいい、ということだ。

 その女性が、大きくうなずいてみせた。アルテシアも、小さくうなずき返す。そして彼女は玄関へ。アルテシアたちの姿は消えた。

 


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