透明マントに隠れ、3人はゆっくりと校庭を歩いていた。3人がともにちゃんと隠れるには、慎重に歩いて行くしかないのだ。少しでもマントからはみ出せば、その部分は見えてしまうことになる。そうなったら終わりだ、言い訳のしようもない。
ハリーとロン、そしてハーマイオニーの3人が透明マントを脱ぐことができたのは、ようやくハグリッドの小屋に入れてもらってからだった。
「おまえさんたち、ここに来ちゃならんのだぞ。バックピークのことなら、もういいんだ。あきらめるしかねぇ」
「けど、ぼくたち。なんでもいいよ、なにかできることはないの?」
バックピークの裁判は、すでに終わっていた。敗訴という結果となり、この夕刻にも処刑されることが決まったのだという。
「ありがてぇが、なんにもねぇぞ。とにかく茶でも飲めや。ほんで、飲んだら戻るんだぞ。寮の談話室でのんびりしてろや。ええな」
だが、さすがにハグリッドも動揺しているらしい。ヤカンの方へと伸ばされた腕が、こまかく震えている。そのためか、ヤカンを取り落とし、派手に音が部屋中に響いた。
「ああ、すまん。手がすべっちまった」
あわてて拾おうとするも、ふたたびその手をこぼれ落ち、テーブルから床へと転がっていく。
「私がやるわ、ハグリッド」
そのヤカンは、ハーマイオニーがすばやく拾い上げた。やはりハグリッドは、かなり動揺しているらしい。ムリもないことだと思いつつ、ハリーが椅子にすわらせる。
「とにかくおまえら、もう帰れ。じきに処刑人のマクネアが来てしまうぞ。ダンブルドアやファッジも一緒のはずだ。みつかるわけにはいかんだろうが」
「でも、わたしたち、一緒にいたいんだけど」
「いんや、そもそもおまえさんたちにゃ見せたくねえのさ。処刑されるところなんぞ、見るもんじゃねえ」
それは、そうだろう。ハリーもロンも、そしてハーマイオニーも、何も言えなくなっていた。そのことをまぎらわすためか、ハーマイオニーは、戸棚の片付けまで始める。せわしなく動き回っていたハーマイオニーが、突然叫び声をあげた。そして、ロンの前へと茶葉の入った缶を持ってくる。そのふたをしっかりと手でおさえていた。
「ロン、信じられないでしょうけど、スキャバーズよ。スキャバーズがいたわ」
「なんだって。でもあいつは…」
「本当よ、このなかにいるわ。あたし、見つけたのよ。たしかにスキャバーズよ」
とにかく確かめてみようとばかり、ロンがそーっとふたを開けて、中をのぞき込む。たしかに、ネズミが入っていた。
「ほんとにスキャバーズだ。こんなところで、いったい何してるんだ? 無事だったんなら、なぜ戻ってこないんだ」
あばれるスキャバーズをロンが鷲づかみにして、ひっぱりだす。だがそのとき、ドアをノックする音がした。ハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてハグリッドがそろってドアのほうへ振り向く。
「来おったぞ。連中が来たんだ。すぐに戻れ。とにかく、マントを着ろ。ここにいるところを見つかっちゃなんねえだろうが」
ハグリッドは、3人組の姿が見えなくなったことを確認してから戸を開けた。予想通りの相手がそこに立っていた。
「お気の毒だとは思うが、こういうことは決められた手順どおりに進めるしかないのでね」
やってきたのは、コーネリウス・ファッジとダンブルドア、それに危険生物処理委員会の魔法使いと死刑執行人。ひとまず全員が部屋の中へと入ってきたが、ハグリッドはドアを閉めなかった。もちろん、ハリーたちが出ていけるようにということだろう。
「…… 以上の理由により、当該ヒッポグリフの処刑をもって、この事件は完結とします。立会人の方々、よろしいですかな。よければ、この書類に目を通していただき、署名をお願いします」
かなり高齢であり足腰も弱っているように見えたが、事件の経過と判決内容を告げる口調は明瞭であり、声に張りもあった。ハグリッド以外の全員がうなずき、書類が回覧されていく。ハグリッドの手にあるハンカチは、もうぐっしょりと濡れていた。
「さて、それではまいりましょう。ヒッポグリフはどこにおりますかな」
歩き出すと、やはり見た目通りの年齢なのだと思わざるを得ない。ゆっくりとした歩調で部屋を出て、小屋の裏手へと回る。そこから数メートル先にあるかぼちゃ畑、その後ろにある木にヒッポグリフがつながれているのだ。
太陽は沈みはじめており、西の空は夕焼け色に染まっている。つながれたヒッポグリフは、やってくる人たちのなかに、何かおかしな雰囲気を感じたのかもしりない。頭を左右に振り、足をばたばたとさせている。飛び立とうとでもしているかのようだ。
「では大臣、失礼させていただきますよ」
死刑執行人が、前に進み出る。そこからは早かった。あっ、という言葉も、ちょっと待て、という間もないほどの素早さだった。こういうことは、きっと、そうするのがいいのだろう。
シュッという風を切る音、そしてドサッという音がして、それは終わった。
※
とぼとぼと歩き、自分の部屋へと戻ってきたルーピンは、疲れたように机の前にある椅子に腰を下ろした。まさか、こんなことになるとは思っていなかった。まったくの予想外、いや、予想しなければいけなかったのか。
「闇の魔術に対する防衛術」の試験で、ルーピンは生徒たちとまね妖怪とを対決させた。その対処法はちゃんと授業で教えたし、実際に対戦もさせている。生徒たちにとって経験済みのことであり、簡単に乗り越えられる課題であったはずなのだ。だがアルテシアは、そこで気を失った。その瞬間を誰も見てはいなかったので、なにがあったのかはわからない。本人の意識が戻ったとき、聞いてみるしかない。
ダンブルドアは、まね妖怪が吸魂鬼となったのに違いないという。だがルーピンは、そう思ってはいなかった。たしかにアルテシアは吸魂鬼を怖がってはいたが、まね妖怪は、相手が一番怖いと思っているものに変身するはずなのだ。アルテシアの一番怖いものとは、なんだろう。
(友だち、だよな)
一番怖いのは、友だちを失うこと。アルテシアは、そう答えたことがある。そういうことだとして、まね妖怪は、いったい何に変身したのだろう。考えられるのは、アルテシアの友人の誰かに変身し、アンタとは絶交よ、などと言ってみせることだろう。実際、ハーマイオニーの場合はマクゴナガル先生に変身し、落第だと告げられている。だがたとえそのようなことが起こったにせよ、気を失うのは不自然だ。では、ほかに何が考えられるだろう。
ルーピンは、引き出しを開けて「忍びの地図」を取り出した。これを使えば、いながらにして医務室のようすを知ることができる。アルテシアのいる病室の人の出入りを見ていれば、彼女が目覚めたかどうかが、わかるだろう。
いまは面会を制限するというマダム・ポンフリーの方針もあって、医務室から戻ってくるしかなかったのだ。地図を開き、そこに目をむけて、ルーピンは驚いた。
(ウソだろう、まさか、こんなことが)
久しぶりに使うので、なにか間違ったのかとも思った。だが、ちゃんと地図は表示されている。これで正常なのだとするなら、この2つの場所で、いったい何が起こってるのか。もちろん、それを確かめる必要がある。問題はどちらに行くかだが、ルーピンが迷っていたのはほんの一瞬。行く先は、あっというまに決まった。
その片方である医務室には『?』の文字が表示されていた。つまりは、名前のわからない誰かがいるということだろう。だがそこにはマクゴナガルの名前もある。なにかあったとしても、対処してくれるだろう。
もう一方は、校庭の端に植えられたあばれ柳のすぐそばだ。そこに、ルーピンのホグワーツ時代の友人であるシリウス・ブラックとピーター・ペティグリューの名前がある。だがピーターはシリウス・ブラックに殺され、すでにこの世にいない。そのはずなのだ。だがこうして名前がある以上は、そこにいるということになる。つまりピーターは、生きているのだ。
(確かめる必要がある)
ピーター、シリウス、ロンの3つの名前が、あばれ柳に重なり、消えた。これはつまり、そこが入り口となっている叫びの屋敷への地下の通路へと入ったということだ。ルーピンはそう判断した。この通路のことを、ルーピンはよく知っていた。
とりあえず杖されあればいい。杖を持つと急いで部屋を出る。とにかく今は、ピーターに話を聞く必要がある。ピーターが生きているとなれば、12年前の事件のことがまったく変わってくる。これまでに知られている結末とは全く違う、別の真実があるということになってしまうのではないか。とにかくルーピンは、暴れ柳へと急いだ。
※
「いまのは、いったい…… いまのは、誰なんですか?」
「私の勝手な想像ですが、ガラティア・フォル・クリミアーナさまではないかと思います」
そう言ったのは、ソフィアの母であるアディナ。もちろんソフィアが連絡し、ホグワーツの医務室へと連れてきたのだ。どうやら母親からの指示を受けていたようで、アルテシアが医務室のベッドに寝かされたと聞くや、その容態を確認したあとで実家へと飛んだのだ。行って戻ってくるまで、せいぜい10分もあれば十分だった。
いま医務室のこの部屋には、ベッドに寝ているアルテシアを除けば、アディナとマクゴナガルしかいない。2人は、アルテシアがなぜ意識を失ったのかについて、話をしていた。その話のなかでアディナが、ある実験をしてみせたのである。
「ガラティアというと、ブラック家に嫁入りしていたという人ですね」
「そうですが、よくご存じですね。では、ルミアーナ家とクリミアーナ家の関係についても、ご存じなのでしょうね」
「と、言いますと?」
「簡単に言えば、ルミアーナは、クリミアーナのそばにいたい。ずっと一緒にいたい。そう願っている、といったところでしょうか」
「はぁ、そうなのですか」
「マクゴナガル先生、ルミアーナは、すくなくとも過去500年ほども前からずっと、クリミアーナを見続けてきました。そんな我が家ですから、ガラティアさまの記録が残っていてもおかしなことではないのですよ」
アディナの言うとおり、ルミアーナ家は500年前の出来事によりクリミアーナ家と別れて以降も、ずっとその関係修復を願ってきた。そのことを願い出て許される日が来ることを信じて、クリミアーナ家に注目し見守り続けてきたのである。
「私は、ずっとお母上であるマーニャさまを見てきました。娘のソフィアもまた、そのお嬢さんに近づこうとしてきました。同じようにルミアーナは、ガラティアさまの世代でも関心を持って見つめていたのです」
ソフィアがアルテシアを、アディナがマーニャを見つめていたように、ガラティアもまた、ルミアーナ家からの視線を浴びていた。だがガラティアは妹、その姉アリーシャがクリミアーナ家を継ぐことになるがゆえに、どうしてもその注目度は低くなる。低くはなるが、まったくのゼロになるなどありえない。
「さすがに、なぜガラティアさまがブラック家を出されることになったのかはわかりません。ですがガラティアさまは、それ以降も、クリミアーナに戻ることはありませんでした」
「それは、なぜですか?」
「クリミアーナが、マーニャさまの代へとなっていたからだと思います。これも勝手な想像となりますが、身体の弱かったマーニャさまの代わりとなり、クリミアーナの外でのことを引き受けられたのでしょう。おそらくは、将来のためにいろいろ役立つようにと、なにごとかされていたんだと思うのです」
「たとえば、どのようなことでしょうか」
「最初に思いついたのは、お嬢さんの杖のことです。あの杖にはガラティアさまが関係しているのではないか。であれば、さきほどの実験は成功するだろうと考えました」
杖の材料には、一角獣のたてがみや不死鳥の尾羽根など、それぞれに強力な魔法力を宿すものが使われる。だがアルテシアの場合、その杖に使われた材料が何であるのか、杖を作った職人のオリバンダーもわかってはいない。
アディナは、その材料をガラティアが作ったのではないかと考えたのだ。娘のソフィアの杖をアルテシアが作ってみせたという実例もあるのだし、その可能性は高いと考えたのである。
アディナがやった実験は、クリスマス休暇のときに、クリミアーナ家の書斎でアルテシアが試みて失敗した実験と同じもの。あの秘密の部屋騒動におけるトム・リドルの日記帳をイメージし、自分の魔法力を本へと書き出しておこなわれたものだ。そしていま、アルテシアの杖を対象とした実験が成功し、さきほど女性の姿が現れたというわけだ。
「魔法書には、その本を作った魔女の知識や魔法力などのすべてが詰め込まれています。マクゴナガル先生であれば、おわかりでしょうけど、魔女そのものと言ってもいいくらいなのです」
「たしかに。そのことは実感していますよ」
「お読みになられているそうですね。そろそろ3年になるとか」
「ええ、そうです。まだまだ学ぶことは多いですが、読ませてくれたアルテシアには感謝していますよ」
「それはそれは。とてもありがたいお言葉だと思いますよ。きっとお嬢さんもお喜びになるでしょう」
2人のかたわらにあるベッドには、アルテシアが寝ている。寝ているので、2人の話は聞こえていないだろう。他には、誰もいない。ダンブルドアはヒッポグリフの件で魔法大臣らとハグリッドのところだし、他の先生や生徒たちも、この場にはいない。マダム・ポンフリーが、明日の昼までは面会禁止としているからだ。
「ところで、ガラティアという人はいまどこにいるのです。実験により出てきたのが、その人だということでしたが?」
「ええ、あれは間違いなくガラティアさま。ですが本人ではありませんよ。いわば再現したようなもの、ということになります」
「再現?」
「もともと、この実験はお嬢さんのアイデアなのです。実はこの前の休暇のとき、ルミアーナ家でさまざま相談をしたのです。トム・リドルという者が残した日記帳からトム・リドルが現れ、行動し、言葉を話し、魔法を使ったという騒動が、実際にホグワーツであったそうですが、ならば、同じようなことができるのではないかと考えたのです」
「その事件のことは、もちろん覚えていますが」
「そのときの日記帳は、いまホグワーツにあるのですか? もしあるのなら、見せてもらうことはできますか?」
実はこの実験は、まだ成功したというわけではない。これは、あくまでもトム・リドルの日記帳をイメージしたもの。だがどうやれば実現できるのか、まだわかっていないのだ。ゆえにアルテシアの実験は失敗したが、日記帳を詳しく調べることができれば、あるいは成功への道が見えてくるのかもしれない。
「残念ながら、すでに処分されたと聞いています」
「そうですか。参考にできると思ったのですが、しかたありませんね」
「ともあれ、さきほどの女性をもう1度呼び出してくださいませんか。話を聞いてみましょう」
「ああ、先生。それはムリですよ」
「ムリ?」
「私たちの、いえ、私の力では、あそこまでが精一杯。お姿を見ることはできても、それがトム・リドルのように話をしたり、動き回ったりはできません。いったい、どうやればあんなことができるのか」
もちろん、さまざま考えた。だが、その方法は見つからない。たしかに魔法書には、その魔女の思い、知識、魔法力など、そのすべてが残される。だがそれは、いわばデータだ。そこには、肝心なものがない。ゆえに、その姿をみるだけで精一杯。動きもしなければ、しゃべることもしない。
「肝心なのは命、ですか」
「そうです。この私、娘のソフィア、クリミアーナのお嬢さん。先生もそうですが、生きる命が知識を学び、魔法力を身につけていくのです。知識が命を持つのではありません。ですがトム・リドルの場合は、どういうことになるのか。私には、さっぱりわかりません」
まったくわからない。アディナはそう言って頭を振り、ベッドに眠るアルテシアへと目をむけた。アルテシアは、寝ている。マダム・ポンフリーの見立てでは、少なくとも今夜のうちに目覚めることはないらしい。早くても明日のお昼か午後、ということになるようだ。
「それで、ホンモノのガラティアさんはどこにいるのでしょう。会えますか? わたしは、最近までホグズミード村にいたのではないかと思っているのですが」
「ホグズミード村に? いえ、それはないと思いますよ。ガラティアさまは、すでに亡くなられていますから」
「亡くなられた? いつのことですか、それは。なぜ?」
「もう10何年か前のことですが、13人が死亡した大きな爆発事故がありました。その事故に巻き込まれたのです」
「待ってください、その事故とはまさか、12年前の……」
マクゴナガルは、いったい何を思い浮かべたのか。だが今はその話は不要、とでも判断したらしく、その先を言わなかった。ちなみにそれはシリウス・ブラックがアズカバンに収容される原因となった事件のことであり、ブラックの魔法によってマグル12人と魔法使い1人が死んだとされている。だがその魔法使いは、ガラティアではない。ガラティアは杖など持っていないし、魔法族とのつきあいもなかったので、事故処理のとき、魔法省によってマグルだと判断されているのだ。
「ですが、ホグズミードにはアルテシアのことを探している女性がいたのですよ。生徒が、実際にその女性に会っています。わたしは、ガラティアという人だろうと思っていました」
「その話は娘から聞いていますが、ガラティアさまではありません。では誰かと聞かれても答えはありませんが、なんらかの方法によって魔法書から読み出された女性ではないかと思いますね。日記帳からトム・リドルが出てきたように」
アディナが言うのは、トム・リドルが日記帳から出てきたように、魔法書から抜け出した女性が、アルテシアを探していたのではないかということだ。もちろん探していただけでなく、他にもなにかしたことはあるのだろう。その方法や、具体的に何をしたのかなどはわからないが、それをやった人は、予想できるとアディナは言う。
「誰ですか、それは」
「マーニャさまだと思います。私は、マーニャさまをずっと見てきました。ご存じかと思いますが、マーニャさまは幼いころから身体が弱く、長生きはできないとされていました。幸いにもお嬢さんに恵まれましたが、25歳で亡くなられています」
「そうでしたね。その話は、聞いています」
「マーニャさまは、将来のことを心配されたのだと思いますよ。ご自身では、娘の成長を見守ることができない。先へと導いてやることができない。ならば、お嬢さんのためにできることはやっておこうと、そういうことだったのではないでしょうか」
もちろん自分の勝手な想像だと、アディナは付け加えた。だがマクゴナガルには、思い当たることがいくつかある。その代表的なものが、自分自身がマーニャと会ったことだ。なぜ自分であったのか、ということはあるにせよ、あのときアルテシアのことを託されたと考えるのは、不自然ではない気がする。
「ガラティアさまとマーニャさまは、おそらく連絡は取り合っていたはずです。いまはどちらも亡くなられてますから確かめることはできませんが、ホグズミード村でお嬢さんを探していたのは、なにか大切なことのためだと思いますね。たとえば、お嬢さんに足りない何かのため。おそらくお2人は、そこまで考えておられたのではないかと思うんですよ」
その言葉は、マクゴナガルには衝撃的に響いた。もちろん、忘れていたわけではない。効果的な手を思いつかないまま、日にちだけが過ぎていたが、いまはダンブルドアの手に渡ってしまったあのにじ色の玉のことである。あれが、重要なカギとなるのではないか。
そのことを、アディナに話しておくべきかどうか。マクゴナガルがそんなことを考え始めたとき、医務室のなかが、急に騒がしくなった。すぐとなりの病室が、突然騒がしくなったのだ。
※
「聞いてください、話を聞いてください」
「静かにしなさい。他のベッドには、寝ている人もいるのですよ。ウィーズリーの手当はひとまず済みましたが、次はあなたの番です」
「でも、大切なことなんです。すぐに校長先生にお伝えしなければ」
その声は、すぐとなりのマクゴナガルたちにもはっきりと聞こえただろう。マダム・ポンフリーが、懸命にハリーたちをなだめている。いったい何があったのか、マクゴナガルは、いっそう耳をすませているのに違いない。いっそのこと、この場に来ればいいようなものだが、何があったのかをまったく知らないこともあり、遠慮しているのかもしれない。
「とにかく、ブラックは捕まったんです。もう心配はいりません。吸魂鬼が『キス』することになりそうだと大臣が言ってましたよ」
「えーっ!」
その叫び声のように大きな声がしたことで、おそらくは廊下にいたのであろう、コーネリウス・ファッジとスネイプが部屋に入ってくる。
「ハリー、落ち着きなさい。ブラックは捕まえたよ。上の部屋に閉じ込めてあるんだ。安心していい。さあ、横になりなさい。さあ」
「おとなしく寝るのだ、ポッター。朝になれば全てが終わっている。何も考えずに眠れ」
「いいえ。大臣、聞いてください。シリウス・ブラックは無実なんです。ぼく、そのことを確かめました。ピーター・ぺティグリューと会いました。自分が死んだと見せかけ、シリウス・ブラックに罪をかぶせていたんです」
「それは違うぞ、ポッター。そうではない。吾輩は、ピーター・ぺティグリューなど見てはいない。あの場にいたのは、おまえたち3人とブラック、そしてルーピン先生だけだ。他には誰もいなかった」
ハリーの主張がスネイプによって否定されると、今度はハーマイオニーが反論する。
「捕まえる人をまちがえています。わたしも見ました。『動物もどき』だったんです。ロンのペットだったネズミが、ピーター・ぺティグリューだったんです」
その主張に対し、スネイプは何も返事をしなかった。マダム・ポンフリーが、怒り出したからである。
「そんな議論など、医務室では必要ありません。とにかく、ポッターはわたしの患者です。大臣と先生にお願いです。この子たちは適切な手当てと十分な休息が必要なんです。どうか、出ていってくださいな」
「ああ、そうだな、うん。そうしよう、スネイプ。そろそろ、時間でもあるしの」
ファッジが、大きな金の懐中時計を取り出し、それを見る。ちょうどそこでドアが開き、ダンブルドアが顔をみせた。
「すまないが、ミスター・ポッターとミス・グレンジャーに話があるのじゃ。みな、すぐに席を外してくれるかの」
口調は穏やかだが、ダンブルドアの言ってることは、強制のようなものだ。マダム・ポンフリーは不満の声を上げたが、短い時間で終えるということを条件に、渋々承諾。
「では、話が終わったらすぐに知らせてくださいよ。せいぜい早くしてください。ウィーズリーはこのまま寝かせておきますが、かまいませんでしょうね?」
「かまわんよ」
「では、わたしらは行こうか」
ファッジは、シリウス・ブラックへのキス執行のために吸魂鬼を迎えに行く用事があったし、スネイプもそれに同行することとなり、部屋にはダンブルドアとハリー、ハーマイオニーが残る。足を負傷しているロンは、かたわらのベッドで眠り込んでいる。
マダム・ポンフリーが部屋を出ると、ダンブルドアがさっそく話を進める。
「シリウス・ブラックと話をしてきたのじゃが」
「先生、ぼくたち、ほんとうにピーター・ぺティグリューを見たんです」
「ピーター・ぺティグリューは、ネズミになれるんです。変身するところを見ました。校庭でネズミになって逃げ出したんです」
ハリーとハーマイオニーは、すぐさまシリウス・ブラックのことを訴える。実はハリーたちは、さきほどまでシリウス・ブラックらと共に、ホグズミードにある叫びの屋敷にいたのである。ロンが大きな黒い犬に連れ去られ、それを助けに行こうと黒い犬の後を追いかけた。暴れ柳の根元から通じる抜け道へと入り、行き着いた先は、ホグズミード村にある叫びの屋敷。そこでハリーたちは、真実を目にしたというわけだ。
ハリーの両親を裏切り、ヴォルデモート卿に居場所を教えたのは、シリウス・ブラックではなかった。マグル12人を巻き込み魔法使いが1人死んだ事件の犯人も、シリウス・ブラックではなかった。すべてはピーター・ぺティグリューのしたことだった。ピーターは、その事件で自身が死んだように偽装し、すべてをシリウス・ブラックへと押しつけ、ネズミの姿に変身して隠れていたのである。
それが、すべての真相だったのだ。変身を解かれたピーター自身と会ったということがもそのなによりの証拠であった。
「わかっておる。シリウス・ブラックに話を聞いたと言うたであろ」
「だったら、すぐにシリウス・ブラックを助けてください。吸魂鬼にキスさせるだなんて、とんでもないです」
「じゃが、無実を示す証拠がない。ぺティグリューがいなければ、どうすることもできんじゃろう。となれば、いま必要なのは時間じゃということになる」
「時間?」
ダンブルドアは、何を言っているのか。ハリーにはわからなかったが、ハーマイオニーは思い当たることがあったらしい。なにやら驚きと戸惑いとが入り交じった顔で、ハリーを見る。
「ハリー、あのね、あたし…」
「いいかね、2人とも。よく聞くのじゃ」
ダンブルドアなら、どんなことでも解決できる。いつでも、解決策を示してくれる。ハリーは、そう思ってきた。きっとなにか、方法があるはずだ。いまからダンブルドアが、その方法を教えてくれるのに違いない。ハリーは、ハーマイオニーよりもダンブルドアに注目した。
「ぺティグリューがいなければ、シリウスの無実は証明できん。となれば、いったん証明はあきらめるしかない。よいかな」
いったん言葉を切り、ハリーからハーマイオニーへと、ゆっくり目をむけていく。
「シリウスはいま、8階のフリットウィック先生の事務所に閉じ込められておる。西塔の右から13番目の窓じゃ。うまくいけば、今夜キミたちは、罪なきものの命を救うことになるじゃろう。ただし、誰にも見られてはならんぞ。その理由をミス・グレンジャー、キミは知っておるはずじゃな」
「はい。でも」
「あの、校長先生。いまアルテシアはどこにいますか。どこにいるか、ご存じですか?」
「なんじゃと、アルテシアがどこにいるか、じゃと」
不安そうなハーマイオニーの言葉をさえぎり、ハリーはそう尋ねた。腕時計に目をむけていたダンブルドアが、意外そうな顔を向ける。
「そんなことが、いま必要なのかね?」
「先生、それってぼくたちに助けにいけってことですよね。ぼく、思い出したんです。今日の占い学の試験のとき、トレローニー先生が、突然、男のような声になって、予言のようなことを言ったんです」
「なんと、予言をしたというのかね」
「はい。たしか、こうでした。今夜、ヴォルデモート卿の召使いが自由の身になる。そうすれば闇の帝王が復活する。召使いを自由にしてはならない。起こさねばならない」
「ふむ。その召使いというのがピーターということになるのかな」
「そうだと思うんです。このままならヴォルデモートが復活することになる。アルテシアにも協力してもらったほうがいいと思うんです。あいつは、賢者の石のとき手伝ってくれた」
だが、ダンブルドアは静かに首を横へと振った。
「アルテシア嬢は、試験のときに気を失ったまま、まだ眠っておるよ。明日までは目覚めぬということだったと思うが」
「あ、そうだ。そうだった。ああ、そうだよ。あいつ、まだ眠ってるんですか」
「そういうことじゃ。起こさねばならんというが、そういうわけにもいくまい。ともあれ、いまは夜中の12時5分前じゃ。ミス・グレンジャー、3回引っくり返せばよいじゃろう。幸運を祈る」
「幸運を祈る?」
ダンブルドアがドアを閉めたあとで、ハリーはくり返した。ドアにカギがかかる音がした。
「3回引っくり返すって、なんのことだろう。ハーマイオニー、なんのことかわかるかい?」
「ええ、わかるわ。それよりハリー、アルテシアがいたほうがいいと思う? 誘いに行く? あたしも、そのほうが心強いことは間違いないんだけど」
「え? でもあいつは寝てるってダンブルドアが」
「だから、起きているときに誘いにいくのよ。たしか防衛術の試験のときなのよね。あのときは、たしか。ええと、そうね。いいわ、14回でやってみましょう。ダメだったらそれまでのことよ」
ハーマイオニーは、何を言っているのか。ハリーには、さっぱりわからなかった。そのハリーの前で、ハーマイオニーはローブの襟のあたりから、細長い金の鎖を引っ張り出した。そしてその先についていた砂時計を、引っくり返していく。