「いまの、聞いたわよね。どっちからでもいいわ。なにか、意見を聞かせて」
三本の箒の店内、その片隅のテーブル席にハリー、ロン、ハーマイオニーの3人が座っていた。3人は、ほんのすこしまえに、すぐには信じられないようなとんでもない話を聞いたばかりだった。マクゴナガルとフリットウィック、それに魔法大臣のファッジが、すぐ横のテーブルで話していた。それを聞いてしまったのだ。
ちなみにハリーがここにいるのは、もちろん学校を抜け出してきたからである。それほどハリーにとって、ホグズミードが魅力的だったということだろう。ロンの兄であるウィーズリー家の双子によれば、秘密の抜け道は全部で7本あるらしい。そのうち、学校側に見つかっているものなどをのぞいた2本が使用可能。ただ、そのうちの1本は入り口に『あばれ柳』の木が植えられており、それさえなければという条件付きだ。残る1本は、ホグズミードのハニーデュークス菓子店の地下室につながっている。ハリーは、その抜け道を教えてもらい、そこを通ってホグズミードに来ているのだ。
「ハリー、あなたにはショックでしょうけど、ここはよく考えるべきよ」
「なにを、なにを考えろって。ぼくの両親が親友の裏切りで死んだという事実を、まさか、なかったことにしろなんて言わないよね」
「もちろんよ。そんなことを言うつもりなんてないわ。あたしが言いたいのは、軽はずみな行為はつつしむべきだってことよ」
明らかにハリーは不満顔だ。それがハーマイオニーにもわかったが、ここははっきりと言っておく必要がある。
「つまり、ハリー。ブラックに仕返ししようとか、対決しようとか、そんなことを考えちゃいけないってことなの。それは、魔法省がやってくれるわ。吸魂鬼がブラックを捕まえるはずだもの」
「うん。それはそうだ。ムダに近づく必要なんてないぞ、ハリー。あいつは、キミを探してるんだ。なのにあいつの前に、わざわざキミのほうから現れてやる必要なんてどこにもないんだ。そうだろ? どうせあいつは、すぐにアズカバンに戻されるさ」
ハリーは、2人を見た。そして静かに、つぶやくように言った。
「吸魂鬼がぼくに近づいたとき、ぼくが何を見たか、何を聞いたか、知ってるかい?」
もちろんそれは、ハリーだけが知ること。ロンとハーマイオニーは、首を横に振るしかない。
「母さんの声だ。泣きながら、ヴォルデモートに命乞いをするんだ。ぼくを助けてくれってね。殺されるときの声だぞ。しかもそうなったのは、信じていた親友の裏切りのためだったんだ。なのに、それを忘れることなんてできるもんか」
「でも、でも、ハリー。とにかく今は、ブラックが捕まるのを待つべきなのよ。ブラックはあなたを狙っている。ロンも言ったように、そのブラックの前にわざわざ出て行くことはないのよ」
「そうだぞ、ハリー。どうせあいつは、すぐに捕まる。そして、ふさわしい罰を受けるんだ」
その、ふさわしい罰とはなにか。魔法使いにとっての罰は、吸魂鬼が支配するアズカバンに収容されること。だがブラックは、そこから逃げ出してみせた。脱獄不可能とされる場所から、逃げ出しているのだ。もう一度捕まえてアズカバンに入れたとしても、それがどれほどの罰になるというのか。
しかし、だからといって自分に何ができるだろう。ハリーに、その答えはなかった。どうしたいのか、なにをするべきか、自分に問いかけてみても答えが返ってこないのだ。
「いいよ、わかったよ。ぼくからはブラックのことには関わらない。それでいいんだよね」
「え? ええ、そうね。そうするべきよ」
だがもし、ブラックが目の前に現れたら。そのときは、どうするだろう。それをハリーは、考えないことにした。実際にブラックと会ったときどうするかなんて、そのときにならなければわからない。
ハリーのことは、ひとまず落ち着いた。ハリーとハーマイオニーは、まだジョッキに残っていたバタービールに口をつける。そんな2人を見ながら、ロンは迷っていた。気になることがあるのだ。だがいま、そのことを言ってもいいのかどうか。
「なによ、ロン。言いたいことがあるのなら、言いなさい。どうせ、アルテシアのことなんでしょうけど」
「ああ、いや。そうかもしれないけど、ファッジの言ってたことが気になるんだ。ボクの聞き違いかなぁ、吸魂鬼を捕まえたとか言ってたよね? どうやって捕まえるんだろう。妙な玉って、なんだと思う?」
魔法大臣のファッジが言っていた、グリフィンドールの女子生徒。3人とも、それがアルテシアだろうと思っている。ほかに、そんな生徒がいるはずがない。
「そういえば、2人に言ってなかったことがあるんだ」
バタービールのジョッキをテーブルに置き、ハリーが身を乗り出す。いったい、何を。3人の目が合い、頭を寄せ合う。
「アルテシアはいま、魔法を禁止されてる。きっとマクゴナガルがそうしたんだ」
「そんなバカな。魔法を禁止って、なんのために。なにかの罰か。あいつが、罰をうけるようなことするもんか」
「待ちなさい、ロン。ハリーの話はこれからよ。とにかく、聞きなさい」
そう言ってロンをたしなめたものの、ハーマイオニーも驚いていることは確かだ。
「もちろん、その理由も、聞いた。ルーピン先生のところで会ったんだ」
「理由って、なんだよ」
「あいつ、魔法を使うと体調を悪くするらしいんだ。それが原因だって言ってた。医務室で寝込んだこともあるらしいんだ。だから、マクゴナガルは禁じた」
「うそ、そんなことってあるの。授業では、ふつうに魔法を使ってるじゃない。何度も見たことあるわ」
「ぼくだってそうだ。きっと、そんな魔法は大丈夫なんだ。でも、あいつは大きな魔法って言ってたけど、たとえば吸魂鬼を捕まえるような、そんな魔法だと、意識をなくしたりするんだよ」
その実例としてハリーは、ホグワーツ特急に吸魂鬼が乗り込んできたときのことをあげた。あのとき気絶したのは、ハリーだけではない。もう1人いたと、ルーピンが言っていたのだ。
「そのとき気絶したのが、アルテシアだっていうのね」
「そうだと思う。ハーマイオニー、覚えてるよね。学校に着いて、キミとぼくは、マクゴナガルのところに呼ばれた。そこにマダム・ポンフリーが来て、ぼくはそこで診察を受けたんだ。普通なら、医務室行きだろ」
「たしかに、そうね。そのときは妙だとか思わなかったけど」
「アルテシアが先に医務室にいたとか、なにかそんな理由があったからだと思う。気づかないだけで、こんなことはほかにも何度かあったのかもしれない」
どれがそうだと、例をあげることはできないが、そんなことはあったはずだ。ハリーは、そう思っていた。
「じゃあ、マクゴナガルが魔法を禁じたのは、アルテシアが身体を壊してしまわないようにってこと? そういうことよね」
「だと思うよ。でもあいつ、吸魂鬼を捕まえるなんて、なんでそんなことができるんだろう」
「それは、あれだよ。クリミアーナ家の歴史ってやつだと思うな」
ロンとしては、なにげない言葉だったのかもしれないが、さすがにハーマイオニーは、簡単に聞き流すようなことはしなかった。
「ロン、それってどういうこと? ちゃんと説明して」
「え? な、なんだって」
「いいから、その意味を説明しなさい。クリミアーナ家の歴史って、どういうこと?」
さすがに、ロンは戸惑った。だが、適当にそう言ったわけではなかった。ちゃんと考えがあってのこと。
「クリミアーナは、長い歴史のある家だろ。あいつの先祖の誰かが、そんな魔法を考えだしてたとしても、おかしなことじゃないさ。きっとあいつの魔法書には書いてあるんだよ。だったら、あいつにもその魔法が使えるはずさ」
「ああ、なるほど。魔法書、か」
自分の説明がハーマイオニーを納得させたことは、ロンには、思わぬ喜びであった。こんなことは、初めての経験だった。
※
「ようこそ、コーネリウス。約束の時間には少し早いが、なに、気にすることはない。紅茶の用意が、ちょうどできたところじゃよ」
「ほう、それは嬉しい。ダンブルドアみずから紅茶を入れてくるなど、めずらしいこともあるものだ」
それが、あいさつの代わりとなったようだ。2人は、テーブルを挟んで席に着く。マクゴナガルも、その横に腰を下ろす。そこではじめて、ダンブルドアが、マクゴナガルに目をむけた。
「ああ、マクゴナガル先生には、わしが一緒に来て貰ったんだよ。そう、怖い顔をしなさんな」
「いやいや、わしはなにも、いやがったりしておるわけではないぞ。じゃが今日は、休暇中の吸魂鬼の配備についての打ち合わせなのじゃから、2人でも十分じゃと思うての」
「それはその通り。そのことは、この書類にまとめてあるから、目を通してもらえばいい。異論があれば、もちろんお聞きするがね」
「ふむ。では、みせてもらうが、そのほかにも話があるということじゃな」
書類を受け取り、ぱらぱらとめくっていく。休暇中といえど、ホグワーツの敷地内に吸魂鬼が立ち入ることさえなければ、とりあえず反対する理由はない。
「ふむ、よいじゃろう。じゃがそろそろ、吸魂鬼の引き上げを考えてもよいのではないかのう。そういうわけにはいかんのかね」
「それは無理だよ、ダンブルドア。シリウス・ブラックが捕まらぬ限りはね」
「で、マクゴナガル先生を呼んで、なんの話をしようというのかね」
「実は、お聞きしたいことがあるのだよ。いつぞや、あなたにもらったこの玉だがね」
そう言って取り出したのは、アルテシアがホグワーツ特急で吸魂鬼を捕らえたという、直径5センチほどの玉。
「おう、これは。これが、どうしたのいうのじゃね」
「これを、壊したいのだよ、ダンブルドア。どうすればいい」
「壊す、じゃと。なんのために。見ていても美しいし、このままでいいのではないかね」
「そうなのだが、実は、吸魂鬼どもにこの存在が知れてしまってな。持ち歩いていたのがまずかった」
「それはまた。じゃが、このなかで吸魂鬼が生きておるとでもいうのかね。もう、ずいぶんと日が経っておるが」
吸魂鬼が捕らえられたのは、9月。そして今は、12月。吸魂鬼というものは、こんな状態でも生きていられるものなのだろうか。
「そんなこと、わしにはわからんよ。生きているとは思えんが、やつらはこの玉を渡せと言うのだ。渡せというからには、渡せばすむことだ。実際、魔法省内にも渡してしまえという声があってね」
「じゃが、そうはしなかったということか。なぜじゃね?」
「なぜ、だと。ダンブルドア、それを本気で言っておるのかね。ああいや、すまん。ちょっと、興奮した」
何を、そんなに。ダンブルドアは、そう思ったようだ。ファッジが、一息つこうと紅茶を飲むのを、ただ見ているだけ。マクゴナガルは、からとなったファッジのカップにティーポットで紅茶を注いだ。
「では、ダンブルドア。確認だが、これを渡しても問題はないのだな。わしは、いっそのこと壊してしまおうと思ったのだが、渡してもよいのだな」
「かまわんじゃろう。魔法省が不要なのであればの」
それでも、いくらか不安はあったのだろう。ダンブルドアは、マクゴナガルへと目をむけた。だがマクゴナガルは、なにも言わない。紅茶へと手を伸ばしただけだ。
「では、そうさせてもらおう。これで問題は解決だ。いや、ほっとした。お嬢さんにも話を聞かねばと思っていたが、その必要もないな。ダンブルドア、これで失礼するよ」
そう言って、紅茶に手を伸ばす。それを飲み干してから帰るつもりなのだろう。だが、ダンブルドアが引き留める。
「まあ、お待ちなさい。マクゴナガル先生、アルテシア嬢を呼んできてくださらんか。いちおう、話は聞いておこう」
「やはり気になるかね。よいとも、お嬢さんの意見も聞いてから決めるとしよう」
それを聞き、マクゴナガルは校長室を出た。
※
マクゴナガルは、校舎を出て湖へと行くつもりだった。今日は雪も降る寒い日だが、アルテシアは、外にいるのに違いない。マクゴナガルはそう思っていた。
もちろん、談話室は調べた。3年生以上のほとんどがホグズミードに行っており、いつもよりひっそりとしていたが、そこにアルテシアの姿はなかった。これは、マクゴナガルの予想どおり。パチル姉妹はホグズミードなので、談話室にいるよりも、もう1人の友人であるスリザリンの下級生と一緒にいる可能性が高いのだ。
あるいは、外ではなくどこかの空き教室にでも入り込んでいるのかもしれないが、その場合はあきらめるしかない。1つ1つ教室を確かめていくのは、現実的ではない。
だが、その心配は無用だった。大広間の前へと来たところで、玄関ホールのほうから歩いてくるアルテシアとソフィアの姿を見つけたのだ。どうやら、外にいたということで間違いなさそうだ。
「アルテシア、ちょっと来なさい。校長がお呼びです」
ソフィアも一緒にいたのだが、かまわずに声をかける。3人は、大広間の前で一緒になる。
「あの、わたしはこれで寮に戻ります。失礼します、マクゴナガル先生」
「ごめんなさいね。あなたはたしか、スリザリンの2年生でしたね」
「はい、ルミアーナ家のソフィアです。変身術の授業は、とても興味深いです。では」
ソフィアが行ってしまうと、マクゴナガルはアルテシアを連れて、なぜか大広間へと入っていき、長テーブルの前にすわる。そのテーブルがグリフィンドールのものであったのは、当然というべきか。
「先生、校長室に行かなくていいんですか」
「かまいません。そんなことより、あなたと話をするほうが大切です。恥ずかしながら、いままで考えもしませんでした」
「あの、なにをでしょうか」
いくらかの不安を感じつつ、アルテシアは、マクゴナガルの向かい側へと座った。
「アルテシア、耳ふさぎの魔法をかけておいてください」
「え?」
「その魔法を使うなとは言ってないはずです。この話は、誰にも聞かれたくないのです。さあ」
「は、はい。わかりました」
パチンと、指を鳴らす。大広間には誰もいなかったのだが、念のためということだろう。これで普通に話をしていても、他の人に会話を聞かれる心配はない。ちなみにこの魔法は、アルテシアの体調に影響はしないようだ。
「そうそう、さきほどのソフィアという生徒ですが、一度、わたしの部屋に連れてきなさい。時間に余裕のあるときに」
「ええと、そういうことなら、いまがちょうどいいんじゃないでしょうか。明日から学校はお休みになりますから」
「いえ。今はダメですよ。校長先生がお待ちですからね。それに、魔法省大臣のコーネリウス・ファッジも来ています」
「あ、そうか」
それを忘れていた、といったところか。だがそうであれば、ここで話なんかしていてよいのか。だが、マクゴナガルを見る限りにおいては、いまこのときが優先であるらしい。
「あなたが吸魂鬼を捕まえたときの『にじいろ』の玉のことですが、もちろん覚えていますね」
「はい。でもあれは、校長先生がお持ちのはずでは」
「いまは、魔法省へと渡され、ファッジ大臣の手にあります。それで『にじいろ』なのですが、あの玉を調べられることで、なにか不都合なことがおこるのではないかと、不安になったのです」
「あれを、調べる、ですか」
マクゴナガルは、そんなことを考えていたらしい。校長室でファッジが、吸魂鬼に玉を渡すことをためらっていた。それを見て、マクゴナガルはこのことを考えたのだ。
「どんなことでもいい。ほんのわずかでも、なにか気になることがあるのなら言いなさい。おそらくダンブルドアは、さまざまに調べるはずです」
「でもあれは、ただの入れ物ですよ。あれを調べて、なにかがわかるとか、そういうことはないと思うんですけど」
「入れ物?」
「そうです。大事なものを保管しておくとか、誰かに預けるとか。中身を守らせることもできます。大きさも変えられますから、たとえばマクゴナガル先生を包み込んで敵の攻撃から守るとか。説明ヘタなんで、わかりにくいですよね」
「いえ、そんなことはありませんよ。よくわかりました」
そのときマクゴナガルは、秘密の部屋でのことを思い出していた。ハリー・ポッターは、赤や青の光を見たと言っていた。おそらくは、そのこと。アルテシアは、あの『にじいろ』でハリーを包み込み、バジリスクの脅威から守ったのだ。あれが入れ物だというならば、問題は中に何が入ってるのか、ということになる。それを知ることはできるのだろうか。
「もう1つ、聞きます。あの玉の中に入れられたものを、外から知ることはできますか」
「壊さずに、ということですか」
「そうですが、壊すことができるのなら、壊すとどうなるのかも知りたいですね」
そういえば、ファッジは言っていた。あの玉をどうすれば壊せるのか、と。マクゴナガルは、チラとそんなことも考えた。
「壊せば、なかのものを取り出せます。壊れないように作れば、簡単には壊せないと思いますけど」
「吸魂鬼を捕らえた玉はどうです、あれは壊せるのですか?」
「あれは、たぶん壊せないです。だってあのとき、すごく怖かったんです。だから絶対に出てこられないようにしたんじゃないかと思います。よく覚えてませんけど」
「なるほど」
では、あの玉は吸魂鬼に渡しても問題はない。マクゴナガルはそう結論づけた。だが、玉はもう1つあるのだ。あの中には、なにが入っているのか。むしろ、問題なのはこちらの玉のほうだ。
「あの玉には、魔法を入れておくことは可能なのですか。クリミアーナの魔法を、別の人に渡すためにです」
「ええと、単に魔法が使えればいいのであれば、特定の魔法を入れておくことはできますよ。やってみてもいいですか」
「それが約束に反しないのであれば」
「でも、学校は明日までです。クリスマスの休暇になりますから、ベッドに入ることになったとしても」
「そういうことなら、許可はしません。どういうことなのか、あなたの考えたことを話すだけにしなさい」
言葉で説明するのがむずかしい。実際に見てもらったほうが早い。そういうことは、あるものだ。だから実演しようとしたのだろうが、マクゴナガルは、それを許可しなかった。
「でも、先生。わたしは説明がヘタなので、わかりにくいですよ。実際に見てもらったほうがいいと思うんですが」
「あなたは教師ではないのですから、それも仕方がありません。わたしが理解すればいいだけのこと。とにかく、話しなさい」
それでも食い下がってみたものの、マクゴナガルは折れてくれない。こうなれば、あきらめるしかない。苦手だが、言葉での説明ということになる。それをアルテシアは負担に思うのかもしれないが、マクゴナガルのほうは、これまでアルテシアの説明がまったくの意味不明だった、という経験を持ってはいなかった。
「ええと、たとえばこの部屋を一瞬で真っ暗にするとします。その魔法に必要な魔法力を『にじいろ』で包み込むんです。魔法として形になる前の状態で保存しておくような感じです。あとは、必要なときに『にじいろ』を割るだけ。そうすれば、この部屋は真っ暗です」
「つまり、あなたの使う魔法を、あの玉の中に入れておくことができるということですね。そしてそれを取り出せば、魔法が実行されることになる」
「そうです。そういうことです。1回限りですけど」
魔法族の例でいえば、杖を構えてエクスペリアームス(Expelliarmus:武器よ去れ)などと呪文を叫んだ瞬間、つまり魔法を使った瞬間の状態を玉の中に保存するのだ。玉の中では魔法が発動された状態が維持されており、玉が割られたとき、実際に効力を発揮するというイメージだ。
「そうなると、あの玉の中には、魔法力そのものを入れておける、ということになりますね。いわば魔法書のように」
「そうですけど、魔法は、繰り返し何度も読んで身につけるものです。魔法書の代わりをさせようっていうのは…… あ、そうか」
しゃべっている途中で、何を思いついたのか。だがアルテシアは、なおも考え込んでいるようだ。そんなアルテシアを、マクゴナガルはじっと見守る。そして。
「言っておきますが、あなたの考えたことを話すだけですよ。実際にはやってみなくてよろしい」
「わかってます。だけど、こうすればできるんじゃないかと思います。もちろんその人は、クリミアーナの魔法書でずっと勉強をしていなくてはなりません。つまり、必要な知識は身につけた。でも、部分的に魔法力が欠けているとしたら」
「なんですって、欠けている?」
「魔法を使うのに必要な知識はある。でも、魔法力が不足している。その人は、そんなおかしな魔女になる…… あ、それって、もしかして、わたし? まさか、そんな。いったい誰が、そんなこと」
どういうことなのか。マクゴナガルも、さすがに慌てたようだ。アルテシアの腕をつかみ、ゆすってみせる。
「アルテシア、なにがどうしたというのです。何に気がついたのです?」
「ああ、すみません先生。きっと、わたしの気のせいに決まってます」
「なにがです? ちゃんと話しなさい」
「わたしが考えたのは、魔法書にあるはずの魔法力を、持ち出したのではないかということです。そんなこと、どうすればできるのかわかりません。でも、その魔法力をなにかで使うため、そのために持ち出されているのだとしたら。まさか、あの人がそれを……」
アルテシアが、何を思いついたのか。どうやらマクゴナガルも、ようやくその内容を察したらしい。じっと考え込むアルテシアを前にして、2度深呼吸をくり返してみせた。
「わかりました、アルテシア。おおよそですが、理解しました。いちおう言っておきますが、もうそのことは考えなくてもよろしい。気にはなるでしょうが、これで終わりとしましょう。校長室へ行かねばなりません」
「わかりました。でも先生、このことはもう少し調べてみます。どこかに答えがあるはずです」
マクゴナガルは、なにも言わなかった。彼女のみる限り、アルテシアのようすがいつもと変わらなかったからである。たったいま気づいたことによる、おかしな影響はない。そう判断できるのだから、とくになにも言わなくてもいい。そういうことだろう。
そして、校長室へとむかう、その途中。
「そうそう、思い出しました。あなたが休暇中にホグズミードへ行くという件ですが」
「あ、はい」
「どうせ、パチル姉妹が戻ってきたらあなたに言うのでしょうが、あなたを探していたという女性とは会えませんでした。おそらくはもう、ホグズミードにはいませんよ」
「え?」
「その女性の家も、パチル姉妹の知るそれではなくなっていました。あなたが行っても同じだろうと思いますね」
なぜ、そうなったのか。そのことの原因について、マクゴナガルには1つの考えがある。だがそれを、いまアルテシアに言うわけにはいかなかった。言えば、ダンブルドアとの間に大きな溝ができることになる。きっと、そうなる。マクゴナガルには、その確信があった。だがそれが、よいことであるはずがない。それにもちろん、可能性の話でしかない。
「ですから、休暇中のホグズミード行きはやめておいたらどうですか。ダンブルドアに認めさせてから、堂々と行くのです。そうするのがいいと思いますよ」
「わかりました。そういうことなら、それでかまいません」
そのことで、アルテシアに気落ちしたようなようすはみられない。マクゴナガルとしては、ほっと一息といったところだろう。もともとアルテシアは、さほどホグズミードに興味を持ってはいなかったのだ。
校長室では、ダンブルドアとファッジが、疲れたようすで椅子に座っていた。待ちくたびれたといったところだろう。紅茶は、とうにからとなっているようだ。もちろん、ティーポットもそうなのだろう。
「遅れてすみません。なかなか、この子が見つからなかったものですから」
「いやいや、べつにかまわんよ。それで、あの玉のことなのだが」
「ファッジ大臣。ここへ来る途中に聞いてみましたが、その玉は、そう簡単には壊せないそうですよ。だから、吸魂鬼が要求するのなら渡してしまうのがいいのではないでしょうか」
「そうかね。渡しても、なにも問題はないということか。お嬢さん、そういうことでいいんだね」
アルテシアは、笑顔でうなずいてみせた。そして、テーブルへと近づいていく。テーブルの上には、あの玉が置かれている。その玉を、じっと見る。
「どうしたね、お嬢さん」
「吸魂鬼は、仲間のことがわかるんでしょうか。この中に、吸魂鬼がいるとわかっているのでしょうか」
「そうだろうと思うがね。だから欲しがるのだろう。すまんね、持ち歩いてさえいなければ気づかれなかったろうにな」
「アルテシア、もういいですよ、寮に戻りなさい。校長、それに大臣、もうよろしいですよね」
「そうだな。かまわんよ。いいだろう、ダンブルドア」
もちろん、ダンブルドアも同意した。だが、最後に一言、付け加えるように言った。
「じゃが、これで吸魂鬼たちに恨みを買うことになるかもしれんのう」
その可能性はたしかにあるが、そんな心配はいらぬよと、ファッジは笑い飛ばす。だがアルテシアには、とてもそんなことはできなかった。まるで刺さったトゲのように、その言葉はアルテシアの心の中に残ることになる。