「ダンブルドア校長が亡くなりました。それから、けが人が数名出ているのですが……」
医務室から出てきたマクゴナガルが告げたのは、部屋の外で待っていたパチル姉妹だ。この夜、ホグワーツを襲った騒動がようやくにして落ち着きを見せたあと、負傷して医務室に運ばれた数人を見舞ってきたところである。
「幸いにも、マダム・ポンフリーの手に負えないような状態の人はいません」
「アルがいれば、そんなことにもならなかったんでしょうけど。でも、トンクスさんたちが来てくれてよかったです」
「それに、あなたたちもいましたからね。その力も大きかった。わたしはそう思っていますよ」
マクゴナガルとパチル姉妹とが、連れ立って歩いていく。向かう先は、とりあえず校長室。ダンブルドアが亡くなった今、副校長であるマクゴナガルには、校長室を守る義務がある。
そう、ダンブルドアは死んだのだ。この夜、ホグワーツに大挙して押しかけてきたデス・イーターたちとの騒動のさなか、命を落とした。それで間違いないのだが、マクゴナガルにはいくつか気になる点が残った。
ダンブルドアは今夜、ハリーを連れ学校の外へと出かけている。そして、デス・イーターたちによるホグワーツ襲撃。そこにトンクスなど闇祓いの者たちが駆けつけ、不死鳥の騎士団のメンバーなどが続いて大騒動となった。デス・イーターは撃退したものの、あのヴォルデモートまでもが姿をみせるという混乱のさなかにダンブルドアが命を落とした、というわけである。
それが、この夜にホグワーツで起こったことのあらましとなるが、ダンブルドアの外出目的はなにか。デス・イーターは、その留守を狙っていたのだろうか。
ダンブルドアの行動に関しては、同行したハリーが説明を拒否している。そのため真相は不明だが、アルテシア、ソフィア、ティアラから聞いた話や、その他で見聞きしたことなどを合わせて考えれば、マクゴナガルにはある程度の予測はついた。分霊箱に関することで間違いない。間違いなくダンブルドアは、分霊箱を探しているのだ。
分霊箱がある限り、ヴォルデモートが死ぬことはない。実際に彼は復活してみせたのであり、そんなヴォルデモートを滅ぼすには、すべての分霊箱を処分する必要がある。ダンブルドアはそんなことを考えたのだろうと、マクゴナガルは推察。それをハリーに引き継がせる腹積もりなのだ。今夜彼を同行させたのは、その一環とみて間違いない。
と、いうことは……
「先生。アルテシアなんですけど」
「え?」
結論に行き着こうとしていた考えが、不意に引き戻される。ちょうど、目的地である校長室へと続くガーゴイルの像が見えてきたところだ。
「アルテシアからは、まだ連絡がありません。あたしたち寮に戻ってますけど、ソフィアが何か言ってきたら、すぐに知らせに来ますね」
「ああ、そうですね」
ここでパチル姉妹が、戻っていく。さすがに今は、校長室へと連れて行く訳にはいかない。言われなくとも、姉妹のほうでもそれは分かっているようだ。2人を見送ったマクゴナガルが、ゆっくりと校長室への螺旋階段を上る。
それにしても。
今夜は、アルテシアもホグワーツにはいなかったのだ。デス・イーターたちの襲撃は、その留守を狙ってのことだとするのは考えすぎだろうか。デス・イーターたちは、今夜アルテシアがヴォルデモートの元を訪れることを承知していたはずなのだ。ホグワーツ敷地内への侵入経路もわかっていないし、不明な点はいくつもある。
校長室のなかは、いつもと変わりがなかった。ただ、不死鳥の止まり木は空っぽになっていてフォークスの姿はなく、壁面の歴代校長の肖像画が1枚増えていた。その新しい肖像画のなかで、ダンブルドアが穏やかで和やかな表情を浮かべてまどろんでいた。寝ているようだ。肖像画のダンブルドアも、そのうち他の肖像画のようにしゃべり出すのだろう。
「ミネルバ、もうじき魔法大臣がやってくるぞ。魔法省から『姿くらまし』するのを確認した」
マクゴナガルがぼんやりと肖像画を眺めていると、その列の中から声がした。歴代校長の1人、エバラードの声だ。彼はホグワーツだけではなく魔法省にも自身の肖像画があるため、自在に行き来することができる。そこで見てきたらしい。
「ありがとう、エバラード」
そう言って、軽くため息。どうやら気が重いらしいが、こうなってしまったからには、魔法省の役人との話し合いは避けられない。後任の校長をどうするかや、学校の存続に関する話題も出るだろう。ともあれ、寮監たちを集合させておかねば。
マクゴナガルの思いがそこに至ったとき、ドアをノックする音がして、スプラウト、フリットウィック、スラグホーンが姿をみせた。
「ああ、皆さん。間もなく、魔法省から人がやってきます。それまでに、少しお話しできますか? 今後のホグワーツについてどうするのがよいか」
3人ともにそのつもりであったらしい。話し合いの必要性を感じたのはマクゴナガルだけではなかったということだ。スリザリンの寮監はスネイプなのだが、その代理としてスラグホーンということになる。
3人が、それぞれに椅子に座った。
「皆さん、間もなく魔法省から人がやってきます。今夜、なにがあったのか。後任の校長をどうするか、来年度からの学校をどうするか。魔法省とはそんな話になると思います。ご自分の意見をまとめておかれたほうがよいと思いますね」
少し早口になってしまうのは、仕方のないところか。他の寮監たちもうなずいてみせた。
「ダンブルドアならば、間違いなく学校の存続を主張なさるところでしょう」
そう言ったのは、スプラウト。その意見に反対するものは誰もいなかった。だからといって、ではそうしましょうと決めてしまえるようなことではない。魔法省の方針や学校の理事との話し合いが前提、ということになる。
「しかし、ミネルバ。今はあなたが校長なのです。まずは、あなたの意見から伺いましょう」
「そのとおりです。もちろん、ダンブルドアの考えを受け継がねばならないということはない。あなた自身の考えでよいのです」
スプラウトに続いてフリットウィックも、まずはマクゴナガルの意見が軸になると主張。マクゴナガルは、黙ったままのスラグホーンを見た。スラグホーンは軽くうなずいてみせる。
「そうしてください。わたしの意見は、そのあとで述べましょう」
「そうですか」
魔法省が来るまで、さほど時間があるわけではない。あるいは決定事項だけを伝えに来るのかもしれないが、学校側の意見をまとめておく必要はあるだろう。
「わたしは、学校は存続させたいと思っています。今学期、残る数日はしかたがないにせよ、新学期からはいつもどおりに再開させたい。そうしなければいけないと思っているのです」
「その理由、お聞きしても?」
フリットウィックの言葉に、ゆっくりとうなずくマクゴナガル。
「仮にホグワーツが閉鎖されたとします。すると、どうなるでしょうか。そうなればもう、こちらへ戻ってはこれなくなる。おそらく、そうなるのです。それが魔法界にとって、どれほどの痛手となるか。極めて大きな損失であることは間違いありません」
「それは、ミネルバ。それって、もしかしなくてもあの子のことなんだろう?」
スプラウトの問いに答えようとしたとき、ドアをノックする音がした。すぐにドアが開き、グスグスと涙ぐみ、目を真っ赤にしたハグリッドが入ってくる。
「済ませましただ、マクゴナガル先生。ちゃんとしました。整えましたです、ハイ。いつでも葬儀ができます」
「ああ、ありがとうハグリッド」
「それから、魔法大臣をお連れしましたです。大臣も、ダンブルドアの冥福を祈ってくれたです」
ハグリッドの大きな身体に隠れていたが、その後ろに、確かに魔法大臣のルーファス・スクリムジョールがいた。
※
スピナーズ・エンドと呼ばれる、さびれた路地。近くには廃墟となった工場があるくらいで、あと、せいぜいがうす汚れた水が流れる川くらい。
そんな場所を、セブルス・スネイプが歩いていた。この袋小路の一番奥にある家が、スネイプの実家なのである。その家のドアを開けると、薄暗く、陰気な感じのする部屋がある。黒ばかりの、他に色のないモノトーンの部屋。そこでスネイプが、すり切れたソファーと古ぼけた肘掛椅子などを見回していると、ドアをノックする音が聞こえた。いつものスネイプであれば、あるいは無視したかもしれない。来客などあるはずがないからだ。だがこのときは、なにかしら予感があったのだろう。スタスタと歩き、ドアを開けた。
「やはりおまえか。ともあれ、なぜ、と聞いておかねばならんな」
「そのなぜには、いくつも意味がありそうですね」
ふっ、とスネイプが唇を歪ませた。そして、部屋の中へと招き入れる。訪問客は、アルテシアだった。
「そうだな。3つほどの意味を込めたつもりだが、そんなことはいい。たしか吾輩は、クリミアーナへ戻れと言っておいたはずだ」
「それなのに、なぜ、ここに来たのか。それが1つめ、なんですね」
そう言って微笑むアルテシア。いつもどおりのその笑顔に、スネイプがため息をついた。
「のんきで結構なことだが、自分の置かれた状況を分かっているのか。まさか、帝王の許しを得て屋敷を抜け出したわけではあるまい。これでおまえは、敵であると認識されたことになる。付け狙われるぞ」
「ええと、そこまで考えてませんでした」
「なんとなんと。全くの考えなしであったとは。あきれるばかりだ」
それでも、アルテシアの笑顔は途切れなかった。
「でも、先生。きっと、大丈夫ですよ。先生が逃がした、というお話にはなっていませんから」
「ばかもの。吾輩のことより、おまえだ。おまえを無事にクリミアーナへ帰すと約束したからこそ、マクゴナガルはおまえを連れ出す許可を出したのだ。忘れたか」
「いいえ。でも、先生。お聞きしたいことがあるんです」
「なんだ。吾輩は忙しい。そのうちクリミアーナへ行くことになる。そのときにしろ」
あからさまに拒否するスネイプだが、アルテシアのほうも引き下がるつもりはないらしい。スネイプにかまわず、質問する。
「ダンブルドア校長が死んだと、さきほど。命を奪ったのは、先生ですか」
「だったら、なんだ。吾輩を軽蔑するのか。ずいぶんと今更、だな」
そんな機会は、いくらでもあったはずだとスネイプは言う。グリフィンドールの生徒であれば、それが当然なのだと。
「ホグワーツで、なにかあったんですよね。教えてください、先生。ホグワーツはどうなりましたか。これからどうなりますか?」
「面倒だ。他の者に聞け」
「もちろんパチル姉妹や、マクゴナガル先生にも聞きます。でも、スネイプ先生からも聞いておきたいんです」
スネイプとアルテシアの視線がぶつかる。なんのために? 無言でそう問いかけるスネイプに、アルテシアが軽くうなずいて見せた。
「もちろん、必要だからです」
だから、なんのために? なおも、スネイプの視線はアルテシアに向けられたままだ。そんな時間がどれだけ続いたのだろう。ほんの数秒か、あるいは数分か。
スネイプが、軽く左右に首を振った。
「よかろう、話してやる」
※
ホグワーツにとってのもっとも長い夜。そう称されてもおかしくはない夜が明けた。その朝に、マクゴナガルは大広間に集まった生徒たちの前に立った。昨夜のこと、そしてこれからのことを説明するためである。
「皆さん、お静かに」
その一言で、ざわついていた大広間が一気に静かになる。誰もが私語を止め、マクゴナガルの言葉を待った。
「昨夜に何があったのか、それを知らない生徒はいないでしょう。その説明は省略し、これからのことについて話をします」
マクゴナガルが、ゆっくりと大広間のなかを見回していく。昨夜の経過については、ある程度の承知がされているのだろう。誰からも異論はでてこない。ならばと、マクゴナガルは話を進めていくことにした。昨夜の騒動は、デス・イーターたちのホグワーツへの侵入を許してしまったことに始まり、ダンブルドアが命を落として終わった。その結果を受けての魔法省の判断を、生徒たちに伝えなければならないのだ。
「昨夜、魔法大臣と話し合いの場を持ちました。ホグワーツ理事会の意向についてはこれからのこととなりますが、少なくとも」
もう一度、マクゴナガルは大広間のなかを見回していく。私語などは一切ない。誰もが、マクゴナガルに注目していた。
「今学期、残りの授業はすべて中止となります。試験は延期。ホグワーツ特急もすぐに手配され、皆さんには自宅へと戻っていただくことになります」
「先生、ダンブルドアの葬儀はどうなりますか?」
そう言ったのは、ハリーだった。皆の注目が集まる中で、ハリーにさらに続ける。
「葬儀が終わるまで、生徒を家に帰すべきではないと思います。みんなもきっと、同じ気持ちのはずです」
「そうですね」
発言は、再びマクゴナガルへと戻る。
「問題は、場所をどうするかでした。ダンブルドアがホグワーツに眠ることを望んでおられたのは周知の事実ですが、歴代校長に照らしてみても、そのような例はありません」
「けんど、ダンブルドア校長ほどこの学校に尽くしなすった先生は、ほかに誰もいねえです」
「そうですとも。ホグワーツこそ、ダンブルドアの最後の安息の地になるべきなのです」
ハグリッドの声。そして、フリットウィック。マクゴナガルが、ゆっくりとうなずいた。
「そう、そのとおり。魔法省との話し合いの場でもそのような話となり、そのことを了承してもらいました。ですが」
葬儀には参加せず、すぐに家に帰ること。それが基本だとマクゴナガルは言った。まずは生徒を家に帰すことが魔法省の基本方針となっており、それを支持すると言ったのである。
「ダンブルドアの葬儀は、明日10時より校庭にて行います。参加者は葬儀終了1時間後に発車するホグワーツ特急に乗っていただきます。参加しない生徒は、今日のうちに家族に迎えに来てもらうなどして帰宅してもらいます。ホグワーツ特急の手配が間に合わないからです」
連日の手配が難しいのは、間違いのないところ。ならば、先にホグワーツ特急を走らせて葬儀参加者を後に残すよりは、葬儀終了に合わせた方がよいという判断である。
実際、葬儀参加者は多いと予想されたし、すぐの帰宅を希望する人の生徒の何人かは、このときまでに両親に付き添われるなどして帰宅している。ちなみに双子のパチル姉妹は、すでにホグワーツにはいない。
※
「それで、分霊箱は見つかったのか?」
「いや」
ハリーの否定に、ロンはあからさまにがっかりしてみせた。
「なんてこった。ダンブルドアが犠牲になったようなものなのに、見つけられなかったっていうのか?」
「違う。ちゃんとあったんだ。スリザリンのロケットだよ。でも、わからないんだ。分霊箱じゃないかもしれないんだ」
「ちゃんとあったのに分霊箱じゃないって?」
そう言われても、ロンとハーマイオニーはきょとんとした顔を見せることしかできなかった。
「スリザリンのロケットが分霊箱なのは間違いないんだ。けど、昨日見つけたのがそうなのかは、わからない。ダンブルドアはこのことを知らないし、もう聞くこともできない」
大広間での朝食を終えた後、ハリーはロン、ハーマイオニーと連れだって、湖の畔を歩いていた。昨夜のこと、あれは本当に起こったことなのだろうか。ただの悪い夢だったんじゃないのか。そんな思いを抱きながら。
「どういうことなの」
「見つけたのはこれだよ」
ハリーが見せたのは、表にヘビを模した「S」の文字が緑の石ではめ込まれたロケット。それを、ハーマイオニーが手に取った。
「開けてみろよ」
それを開くと、内側には文字が刻み込まれていた。
『このロケットに、ご自分の大切なモノを保管された方へ。
R.A.B から聞いていましたが、このような手段は感心しません。
今後のことを思うと、むしろ困ってしまうようなことなのです。
よって、これを見逃すようなことなどすべきではないと判断。
虹色の容器のなかへと処分させていただきました。
R.A.B にも了解を得ていますので、悪しからず。
ガラティア』
「こ、これって」
「どう思う、ハーマイオニー」
「わからない、わからないけど、ハリー。でも、これって」
「アルテシアに見せるべきだ。ぼく、そう思うな」
ハリーとしても、そうすることは考えた。だがハリーの頭の中では、それが難しいだろうという判断がされている。なぜならハリーは、アルテシアの協力を拒んでいる。状況が変わったとはいえ、それはハリー自身の都合でしかないのだから、今さら力を貸してくれとは言えないし、手伝ってもらえるはずもないと考えているのだ。
「確かにダンブルドアは、アルテシアと協力しろって言った。でも、もう無理だろ。だってぼくは……」
「ええ、そうね。あなたは、アルテシアを危険なことに巻き込みたくはない。でもね、ちゃんと事情を説明するべきよ。そうしないと、分霊箱のことは解決しない。きっと力を貸してくれると思うわ。すべて事情を説明すればね」
「それはダメなんだ、ハーマイオニー。ダンブルドアは、誰にも話すなって言ったんだ」
「それでも、アルテシアには見せるべきだぜ、兄弟。だってダンブルドアは、ロケットがこういうことになってるとは知らなかったはずだ」
たしかに、ロケットがどうなっているのかは知らなかっただろう。実際に手にして、初めて分かることに違いないからだ。ダンブルドアと一緒に出かけた、分霊箱探しの冒険。あれを、意味のない冒険にはしたくないとハリーは考える。
「もしかすると、R.A.B ってブラック家の人かもしれないな。こっちの人は、たぶんガラガラさんだよな」
「でしょうね。でもこれ、すごく気になるわね」
誰なんだよ、それ? ただハリーは、そう思っただけだった。なぜブラック家が出てくるのか、まったくわからない。ロンやハーマイオニーが何を気にしているのか知らないが、ハリーは、R.A.B には何の興味も感じていなかった。それよりも、ダンブルドアが学校を去ったこと。そのことだけが、ただひたすらに残念だった。
「ハリー、たぶん忘れてるんだと思うけど、スリザリンのロケットは2つあることになるのよ」
「えっ!?」
「そうだよな。どっちかがニセモノってことなんだろうけど」
2人が何を言っているのか。ハリーは、まったく理解できないといった目で、2人の顔を交互に見た。
※
「聞いてくださいな、双子さんたち」
そう言ったのは、パルマ。双子とは、もちろんパチル姉妹のことである。外見がそっくりであるためか、いまだに2人の見分けがつかないパルマは、いつもそのように呼んでいるのだ。
場所は、クリミアーナ家の食堂。じきに昼食の時間となろうとする頃、パチル姉妹がクリミアーナ家を訪ねてきたのである。それを出迎えたパルマが、双子を応接間ではなく食堂へと通し、お茶の用意をしているところである。
「あの、パルマさん。アルテシア、戻ってきてるんですよね?」
パルマには見分けがつかないようだが、質問したのはパドマである。パーバティのほうは、出されたお茶を一口飲んだところ。
「ええ、戻ってきましたですよ。夜が明けてからですけどね」
「そうですか。大丈夫だってわかってはいたんですけど。でも、やっぱり心配で。よかったです」
「ですけど、双子さんたち。驚くじゃありませんか。お嬢さまは外泊なすったんですよ」
パーバティとバドマが、顔を見合わせる。そして、軽く笑い合った。アルテシアが外泊したのは間違いない。でもそれは……
「なんですね、お嬢さんたち。笑ったりして」
「ごめんなさい、パルマさん。でもアルテシアが泊まったのはルミアーナ家ですから」
「ルミアーナ? そこってのはスピナーズ・エンドってところにあるんですかね。違うでしょうよ」
「えっ、スピナーズ・エンド?」
パチル姉妹にとっては、初めて聞く名称であったようだ。その疑問の表情に答えを返すのは、散歩を切り上げて戻ってきたアルテシアだった。
「スピナーズ・エンドって、スネイプ先生のご自宅がある路地のことよ。ルミアーナ家とは関係ないわ」
「アル!」
この日の朝にクリミアーナ家に帰ってきたアルテシアは、パルマにざっと状況を説明したあとで森への散歩に出かけていた。ただクリミアーナ家に来客があったりした場合、アルテシアにはそれが分かるようになっている。そのおかげで、すぐに戻ってこれたというわけである。ちなみにパルマは、結果としてアルテシアが男性宅に外泊したことになるのが気に入らないらしい。
「でも、よかった。どこもケガとかなさそうね」
「そりゃそうよ。万が一にもそんなことがないようにってことだったでしょう」
「そうだけどさ」
それでも、心配だったということだろう。なにしろ、名前を言ってはいけないあの人のところへと行ったのだ。部下であるデス・イーターがどれほどいるのかも予想できなかった。何事にも準備が必要、何が起こるかもしれない場所に行くのであるからこそ、あらゆる危険を回避できる方法を取ることとし、まずはルミアーナ家へと向かったのである。そこで自分の居所を確保し、自分の姿だけを投影するような形をとってヴォルデモートのところへ行ったのである。たとえば2年生のとき、秘密の部屋へと向かったときと同様の光の魔術である。実体がそこにはないため、万が一のことが起こるはずもないということになるのだ。
「でも、なんでスネイプ先生の家に行くことになったの? すぐにクリミアーナに戻る予定だったはずでしょ」
パドマがそう言った瞬間、パルマの瞳がキラッと輝いた。誰も気づかなかったようだが、その答えがパルマには気になるということだろう。アルテシアが椅子に座り、その前にパルマがお気に入りの飲み物を置く。
「ホグワーツで何があったのか、それを聞いておこうと思ったの。いろんなこと、ちゃんと知っておかないと、後で困ることになるかもしれないでしょ」
「あの、あのね、アルテシア。校長先生をスネイプ先生がね、その、本当かどうか確認できなかったんだけど、そんな噂があるの。何か聞いた?」
その言い方では、なにがどうしたのか、まったく分からない。パドマにしては珍しい言い方に、アルテシアは苦笑する。ただ、言いたいことは分かる。
「校長先生に頼まれてしたこと、だそうよ。呪いで死ぬことになるまえに、スネイプ先生の手でそうするようにと約束ができていたらしいわ」
「呪い?」
「そう、呪い。校長先生の右腕が黒っぽくしなびた感じになっていたの、覚えてない? あれは呪いのため。例のあの人が仕掛けた分霊箱を保護する呪いを受けてしまって、なんとか対処はしたけれど数ヶ月、せいぜいが1年の命だったそうよ」
分霊箱に関することは、パチル姉妹も知っている。それが、ヴォルデモート復活の要因であることも。だが、呪いを受けるというのがよく分からないらしい。アルテシアが、そのことを説明していく。
自身の魂を引き裂き、その断片を魔法に関わる何かに保管したもの、それが分霊箱である。その分割された魂が無事であるかぎり、その人物は生き延びることができる。ヴォルデモート卿が復活したときのように何らかの蘇生魔法を使う必要があるにせよ、不死の存在となれるのだ。だがもちろん、保管された魂が無事であることが大前提。強力な呪いは、その前提を担保するためのもの。
「なるほど。分霊箱そのものを守らなきゃいけないから、当然、それなりの対策もされてるってことになるのか」
アルテシアが、ゆっくりとうなずく。そして。
「ゴーントの指輪。スネイプ先生はそうおっしゃってたけど、校長先生は、その指輪を無防備なままで指にはめてしまった。だから、簡単に呪いにかかったのよ。なんとか腕だけにとどめることはできても、それ以上はどうしようもなかった」
「まさか校長先生、呪いがかけられてること……」
「知っていたでしょうね。だけど、指輪に使われていた『蘇りの石』の魅力には勝てなかった。その石は、死んだ人の魂を呼ぶことができるそうよ。誰と話がしたかったのかまでは分からないけど、そのとき校長先生の頭の中では、呪いのことはすっかり消えていたんだと思う」
その結果、呪いにかかってしまったという訳である。ダンブルドアはその後、呪いによって自身の命がつきようとする寸前に命を奪うようにとスネイプに指示を出している。その指示をスネイプが実行したということになるのだが、そのことがアルテシアはどうにもすっきりしないという。
「命を落とすことは避けられない。でも、呪いで、というわけにはいかなかったんでしょうね。誰か人の手によって死ぬ必要があった。だからスネイプ先生に命令した」
「でも、命を奪えって命令だよ。そんなこと、本当に実行するなんて……」
「変だよね。でも何か、理由があるのよ。そうするだけの理由がね」
「そのこと、先生は何か言ってた?」
アルテシアは、ゆっくりと首を横に振る。ただ指示通りにしろと言われただけで、そうすることの意味についてダンブルドアから説明はなかったらしい。ダンブルドアは秘密主義なところがある。必要なこと以外は簡単には話さない。だがたとえ意味不明であろうとも、スネイプにはダンブルドアの指示に従うだけの理由があるようだ。その理由については、話すつもりはないとスネイプは言ったらしい。
「そのこと、ポッターたちは知ってるのかしらね」
「知らないとしたら、きっとスネイプ先生を恨んでるでしょうね。ポッターはダンブルドアを慕ってたから」
「そんな生徒は多いよね。ね、これからどうなるのかな」
表面的な事実だけを見るならば、当然そうなるだろう。おそらくは、ほとんどの人がそう思っているのだ。だけど。
「けどさ、アル。結局、理由は分からないんでしょ。それでもスネイプ先生がおっしゃってたこと、信用するの?」
ダンブルドアの言い分は、何も聞いていない。両方ではなく片方だけで判断していいのか。パーバティが言うのはそういうこと。それに対してアルテシアは、軽く微笑んで見せた。
「ええ。わたしが魔法界に足を踏み入れてから6年くらいかな。その間にわたしが見たこと、聞いたこと。それしか判断する材料がないけど、信じていいんじゃないかしら」
「そうだね。あたしもそう思うかな。でも、これからどうするの? あの人と会って、どうだったの?」
パドマの質問に、アルテシアは軽く微笑みながら、用意されていた飲み物に手を伸ばした。そして、一口だけ飲む。
アルテシアには、ヴォルデモート卿に会う必要があった。話をする必要があった。はっきりとさせなければならなかったのだ。ルミアーナ家との関わり、クリミアーナの魔法との関わり、そして、自分との関わりを。
情報が必要だったのだ。何もかもがはっきりとしなければ、今後のことが決められない。これからのことを決めるためには、当然そうしなければならなかった。必要なことだったのだ。
「わたしは、アルテシア。クリミアーナのアルテシア。わたしの大事なものに手出しはさせない。大切なものは、必ず守ってみせる」
その決意にも似た言葉を聞いて、パチル姉妹は顔を見合わせた。
「じゃあ、アル」
「とりあえず、ホグワーツをどうするかだけど。もうじき、ソフィアがティアラを連れてくるでしょう」
みんなで相談しましょうと、アルテシアはそう言って、カップに残ったお茶を一気に飲み干した。
スリザリンのロケットは2つある、とはハーマイオニーの言葉ですが、このときのハリー同様、お忘れの読者の方は多いと思います。
それもすべて、物語の進め方の遅さなど、作者のせいであることは明らかでしょうね。
スリザリンのロケットは、魔法省が引き継いだ、ガラティアの遺品の中にありました。ダンブルドアはそのことを知っており、それを個人教授のときハリーに話しているのです。ハリーはもちろん、そのことをハーマイオニーとロンにも告げています。
さて、次回はいよいよ、6年目の終わり。ダンブルドアの葬儀などを。
ではまた。