武神、川神百代には義妹である川神一子以外に血を分けた実の姉と弟がいる。
姉の名は川神千李。外見は百代との差異はあまりなく、違うところをあげるとすれば、前髪のクロスがないことと、胸のふくらみの僅かな違い、身長が若干高いと言ったところだろう。これぐらいであれば、双子の僅かな差異として得に誰も気にも留めない。
しかし、身体的特徴以上に千李と百代が決定的に違うところがある。
彼女――川神千李は最強と謳われる百代を凌駕する力を持っている。幼き頃よりその強さは遺憾なく発揮されれ、彼女は「鬼神」と呼ばれ恐れられていた。
だが、強すぎる力を手にした千李はその危険性から湘南、極楽院にて幼少期完全隔離されていた。
現在では、力の使い方を学び、理解できたためか幼少期よりも遥かに丸くなったものの、鬼神の力は未だ健在のようである。
弟の名は川神十夜。かつては容姿端麗であり、武道の才や仲間にも恵まれていた。ある意味千李とは対照的な幼少期を過ごした少年である。
けれど、幼少期のある事件がきっかけで、一時期引きこもりと化してしまっていた。一子が養子に来てからは何とか引きこもりも緩和され、学校にもちゃんと通うにようになった。
彼には一番上の姉、千李との思い出が多くなく、最初千李が湘南から帰ってきたときは首をかしげ「この人誰?」といった状態だったらしい。千李自身その反応に地面に四つん這いになり、ショックを受けていたとのことだ。
現在では川神学園に入学を希望しており、日々勉強をしている。
これから始まるのはこんな対照的な二人が織り成すあったかもしれない物語。
2009年4月。桜が咲き誇り、新しい生活が始まる季節。
ここ川神学園でも厳粛な空気の中入学式が執り行われ、無事入学式が終了し、現在はそれぞれ各教室に移動中だ。既に打ち解け合っている生徒もいるのか、ちらほらとグループが形成されつつある。
だがそんな彼等の若干後ろに、一人で歩く十夜の姿があった。ボサボサだった髪もそれなりに切りそろえられ、パッと見はとても友好的な雰囲気が漂っているが、彼には一つ対人関係においてもっとも大切なものが欠落していた。
……どうやって話しかければいいんだっけ……?
彼は重度の人見知りなのだ。幼少の時はそんなことはなかったのだが、ある事件がきっかけでこのようになってしまった。
入学式の前から時折話しかけてくれた子はいたのだが、どうにも話がつながらず、現在に至る。
すると、前のほうで見知った顔ぶれがいるのに十夜は気付いた。
「十夜、どうだ?」
「どうもこうも、もう帰りたい気分だよ。早く終わんないかな……」
幼馴染である直江大和の声に十夜は目を曇らせながら落胆する。それを見ていた姉の川神一子が口を開く。
「十夜よく聞いて、こういうのは勢いだってば! 当たって砕けろよ!」
「いやワン子、砕けちゃダメでしょ!?」
「あれ? 違ったっけ?」
自分の意見にツッコミを入れた師岡卓也の問いに一子はキョトンとする。それに皆が苦笑いしているところで、椎名京が口を開く。
「まぁ友達ができなくても何とか生きてはいけるし」
「オイコラやめろ。ダークサイドに十夜を引き込むな」
「えー。ある意味こっちのほうが気楽ではあるのに」
京のダークな意見に大和がげんなりしつつ注意を促す。
「なんなら十夜。俺様の考えた女子とのコミュニケーション方法を伝授して――」
「結構です」
自らの筋肉を強調するようなポーズをとりながら島津岳人がドヤ顔で言って来るが、十夜は華麗にそれをスルーした。
「まぁガクトの役に立たないコミュニケーション方法は置いとくとして……。そこまで焦らなくてもいいのかもしれないな、自分のペースで作っていけばいいだろうし。あ、でもそうなると姉さんがネックになってくるのか」
大和は顎に手を当てつつ、小さく溜息をつく。
「あれ? そういえば姉貴とキャップは?」
「お姉様ならじーちゃんに呼ばれてどっか行っちゃったわ。キャップは朝からいなかったから旅にでも行ってるんじゃない?」
「ふーん……」
「とりあえずは、暫く様子見しよう。もしかしたら十夜と似たような感じの子もいるかもしれないし」
大和がそこまで言ったところで校庭のほうに突風が吹き荒れ、砂埃と桜が舞う。突風の大きさは窓を揺らすほどだった。この季節にしては珍しい大きな突風に、十夜や大和達を含めた川神学園の生徒全員が校庭に目を向ける。
すると、突風はスッと止み、辺りに静けさがはびこる。
だが、その静けさは次の瞬間破られた。
突如として先ほどまでの突風とは比べ物にならない暴風が吹き荒れたのだ。校舎の中にいてもそのすさまじさはわかり、十夜達の前方では短い悲鳴を上げる女生徒もいたほどだ。
「うおっ!? すっげ……。てかこれやばくねぇか?」
「いや、竜巻ではなさそうだけど……」
岳人の驚きの声に大和が冷静に判断する。しかし、十夜はその暴風とともに、地上に降り立つ人影が見えた。
……なんだ? 今の?
目がいい京のならば見えていたのではと京を見やるも彼女は興味なさそうにしている。
すると、またしても窓が大きく揺れた。
同時に先ほどまで吹き荒れていた暴風も止み、校庭には僅かな砂埃が待っているのみとなっていた。
「あっ!!」
校庭の中心を見た一子が驚きの声を上げた。一子の声に触発され、皆が一斉に校庭を見ると、そこには一人の人物がたたずんでした。
長い黒髪をポニーテールに結い、川神学園の女生徒の制服を百代のように羽織った胸のふくよかな女生徒がそこには立っていた。
女生徒は大きく伸びをしている。
「まさかっ……!?」
「千李、姉さん?」
十夜の驚愕の声に続くように大和がその人物の名前を呼ぶ。
彼女こそ川神姉妹の長女、川神千李。十夜の悩みの種の一つの人物だ。
「なんでいきなり帰ってきてんだ千姉は……」
十夜は頭を抱え壁に背を押し付ける。
が、
その手を一子が引き駆け出した。
「ちょっ!?」
「さっさと千姉様に会いに行くわよ十夜!! 1年ぶりなんだから!!」
「えー……」
十夜のげんなりとした声に耳もくれず、一子は十夜とともに校庭へ駆けて行った。その姿を見送りつつ、他のメンバーも小走りに校庭へと向かった。
校庭に立つ千李はジャリッとした砂の食感に顔を歪ませる。
「うげぇ……ジャリジャリする……。やっぱりあんな風に降りてくるんじゃなかった」
口の中に残る砂の感覚に顔をしかめつつ、千李は持っていたリュックからペットボトルを取り出し、中に入っていた水を口に含むと軽くすすぎ、吐き出す。
「うん、すっきり」
だが、満足げな顔でいる千李の後ろに突如として大きな影が躍り出た。その影は千李の後頭部を捕らえ、鋭い蹴りを放つ。
しかし、その蹴りは千李の後頭部に当たることはなく、空を切った。
千李は体を反転させ、蹴りを放った張本人に対峙する。
「いきなり蹴りかかって来るとは随分と物騒じゃない。百代」
「ハッ、姉さんだからやることだ。普通のヤツにやるわけないだろ?」
千李と対峙するのは、千李と瓜二つの少女。武神と謳われる千李の妹川神百代だ。百代は千李との再会に心底嬉しいようで、顔がにやけてしまっている。
「そういうわけで姉さん、早速死合いをしようじゃないか」
「何がそういうわけでよ。今はいやよ、また今度ね」
「えー、姉さんのけちー!」
「けちで結構。まったく、アンタも少しは自制しなさいよ」
千李は呆れ顔で、膨れる百代を嗜める。
「それにしてもじゃ、もう少し静かに来ることはできんのか千李や」
「あら、ジジイ。お久しぶり」
声のしたほうに千李が目を向けると、千李たちの祖父、川神鉄心が嘆息気味で千李を見上げていた。
「いやー、多少なりインパクトを与えたほうがいいかなーって思ったらこんな感じになっちゃって」
「まぁその辺はどうでもいいが。多少は被害を考えろ、危うく電線が切れるところじゃったぞ?」
「はいはい、今度からそうするわよ。そういえば今日入学式だっけ?」
「そうじゃ、十夜も今日入学じゃぞ」
十夜、という名前を聞いた瞬間、千李が小さく笑う。すると、校舎の方から、
「千姉様ー!!」
一子と一子に引きずられるようにしてやってきた十夜が見えた。千李はリュックを降ろし、ちょっとだけ態勢を低くする。
ほぼ同時に、一子が千李の胸に飛び込んできた。因みに十夜は途中で投げ出された。
千李は飛び込んできた一子をその胸に抱きこむと、優しく頭を撫でる。
「1年ぶりね一子。元気そうで何よりよ」
「うん!」
一子は弾けるような笑顔を千李に見せ、喜びをあらわにする。そんな一子の抱き心地を確かめ終え、千李は弟である十夜の元に行くと、
「十夜も久しぶりね。元気にやってた?」
「う、うん。元気だったよ。千姉も元気そうじゃん」
「そう? これでも旅疲れ中なんだけどね」
「姉貴の蹴りをあんな風に避けてみせたのに疲れてるなんて見えないって」
十夜は肩をすくめつつ、千李の行動について苦笑を浮かべる。千李もまたそれに笑いあうが、どこか二人の空気はぎこちない。
実際、幼少期の頃に千李がいなかったことと、十夜の身に起きた事件のせいで、二人の関係はそこまで良好というわけではない。むしろ今のこの状況は多少なり改善された方なのだ。
「まぁ……入学おめでとう」
「うん、ありがとう」
「ストーップ!! 何で相変わらずそんなにぎこちないの!?」
二人のぎこちなさに嫌気がさしたのか、一子が二人の間に割って入る。
「いや……なんていうかねぇ?」
「ちょっとまだ慣れないって言うか」
二人は互いに目配せをしながら、嘆息する。
「なんでそんな時だけ気があってるの……」
「「いやぁ~」」
二人は見事にかぶった動きを見せながら頭をかく。すると、少し遅れて風間ファミリーの面々がやって来た。
そして大和は開口一番、
「やっぱりこうなったか……」
呆れ声を出しながら苦笑いを浮かべていた。
「あら大和。おひさー」
「うん、久しぶり。相変わらず十夜とはぎこちないみたいだね」
「うっ……!」
大和にいたい所を突かれ、千李は顔を引きつらせる。実際のところ千李だって十夜とは仲良くしたいのだが、どうにもうまくいかないのだ。
「ま、まぁまだまだ時間はあるし!」
「けど今のままだとどう考えても無理じゃない?」
「そうよねぇ……」
心底残念そうな声を漏らす千李は十夜を見つめる。すると、十夜も千李の視線に気付いたのかそちらを見やると、気まずそうにに目を伏せる。
「はぁ……」
千李は溜息を漏らすが、そこへ鉄心が、
「ホレ、積もる話があるのもわかるがそろそろ皆教室に戻れ」
鉄心に促され、皆それぞれ教室に戻っていく。
「「はぁ……」」
けれど、その道中で千李と十夜の溜息は見事にかぶった。
入学式の後の諸々の連絡事項などが終わり、自宅である川神院へと帰ってきた十夜は自室に入ると、大きく溜息をついた。
「このままじゃいけないってことは分かってるんだけど、どうにも千姉には慣れない。嫌いじゃないんだけどなぁ」
布団の上に突っ伏しながら十夜は呟く。
十夜自身千李に対して負い目があるわけではない。対して千李も十夜に何かした訳でもない。
「俺が一方的に拒絶してるから悪いとは思うんだけど……。どうしたもんだろ……」
十夜が千李を拒絶してしまうのは幼少期のある事件が理由だ。事件の詳細については追々説明するとして、様はその事件が理由で十夜は湘南から帰ってきた千李を条件反射で拒絶してしまうのだ。
現在は幾分か緩和されているものの、それでも朝のようになってしまうことはしばしばだ。
「このままじゃ……いけないんだよなぁ」
ゴロンと仰向けになりながら十夜は天井を見上げる。再度大きな溜息をつきながら十夜は瞼を閉じた。
時を同じくして、千李もまた変態の橋近くの川原にて、体育座りで水面を眺めていた。時折吹く風はまだ肌寒さを感じさせる。
「……はぁ」
けれども千李にはそんなこと関係ないようで、先ほどからずっと溜息ばかりをついている。偶に千李の後ろを通り過ぎる生徒達が声をかけようとするものの、千李から出されるどんよりとした空気を感じ取り、皆そそくさと帰っていってしまう。
……前々からぎこちないのはしょうがないと思ってたけど、そろそろ何とかしたいわね。
「でもどおすりゃいいっていうのよー」
仰向けに倒れ千李は数回地面を転がってみる。だが、そんなことで答えが見つかるはずもなく、ただただ時間が過ぎていくだけである。
すると、転がっていた千李がピタリと止まり上体を起こしながら光の宿っていない眼のまま、
「……いっその事十夜の記憶をリセットして」
「何を危険なこと言ってるのさ……」
「ん? なんだ、大和か」
「なんだって……。まぁいいか、それより随分十夜のことで悩んでるみたいだね」
大和は千李の隣に腰を降ろしながら告げる大和は小さく溜息をついている。
「そうねぇ。十夜が小学生のころに、どっかの! 誰かさんが! 余計な! ことを言わなければこんなことにはならなかったのかもねー……」
所々を強調しながら千李が言うと、大和はバツが悪そうな顔をする。
実際のところ、十夜がああなったのには大和もまた大きく関係しているのだ。
「それに関しては……すいませんでした」
「今更アンタを責めたって仕方ないし頭なんか下げなくていいわよー。でも、そうね、大和にはもう少し私達の姉弟仲が向上するように手伝って欲しいところね」
「確かに元はといえば俺も悪いから手伝うことには協力するけどさ。具体的にはどうするの?」
「んー……。わからない。それについては、また後で話しましょう。とりあえず今日は秘密基地にでも行こうかしらね」
「じゃあ俺も付き合うよ」
大和は頷きながら千李に言う。
それを聞き千李は立ち上がると大きく伸びをして、枕代わりにしていたリュックを肩に担ぐ。大和もそれに続くように腰を上げ、立ち上がる。
「じゃあ、行きましょうかね」
「そうだね。千李姉さん」
二人は並んで秘密基地へ歩き出した。
「……んぁ?」
十夜はふと目を覚まし、目を数回擦りながら、携帯の画面を見る。時刻は午後4時半、空も夕焼けが綺麗な時間だ。
「結構寝てたかな、やっぱり今日の3時くらいまでゲームやってたのが間違いだったか。……ってうわめっちゃ寝汗かいてるし、ちょっと飯前にシャワー浴びてこよ」
十夜の上半身を見ると確かにシャツが肌に張り付いていた。
「変な夢でも見てたかなー、ああくそっ! 覚えてねぇや」
毒づきながらも、脱衣所の前に到着した。そして勢いよく扉を開ける。だが、誰もいないと思ってあけた脱衣所の中には、
「……」
髪を濡らし、ほぼ一糸纏わぬ姿で体を拭いている千李の姿だった。千李も突然の十夜の登場に口をぽかんと半開きにした状態で固まってしまっている。
だが、十夜はその身体を一瞬だが凝視してしまった。ぺたりと千李の背中に張り付いた濡れた髪。そして自己主張の激しすぎる双丘。辛うじてタオルがかかり、大事なところは見えていないものの、思春期の男子にとってはすさまじい破壊力を持ったものがそこにはあった。
すると、口を半開きにしていた千李が、
「えっと……十夜? ちょっと後ろ向いてもらえると姉さん嬉しいんだけど?」
「え……、あ、いやっ!? ゴ、ゴメン!! 千姉!! まさか入ってるなんて思わなくって!!」
十夜は言われて我に返ったように後ろを向く。背後では、千李が身体を吹く音が静かに聞こえる。あまりにも周りが静かなためか、その音が異常にに大きく聞こえる。
「よしっと、十夜。こっち向いても大丈夫よ」
千李が告げると、十夜は恐る恐るといった感じで振り向いた。そこには部屋着に着替えた千李が腰に手を当てた状態ではにかんでいた。
「いやー……、お互いびっくりしたわねー。私ももう少し気をつけるべきだったわ」
「あの、さ。千姉は……怒ってないわけ?」
「何を怒ることがあるの?」
「いや、だってさ。俺に裸……ほぼ裸を見られたんだよ? なんかその……嫌な気とかしないの?」
裸体を見たことについていまだに気にしているのか、十夜は俯いてしまっている。そんな十夜の姿に千李は小さく笑うと俯く彼の頭に優しく手を置いて、くしゃくしゃと撫でる。
「気にしなくていいわよ。だって私達、姉弟でしょ? 弟に見られたからってあんたの事が嫌いになんてならないわよ」
「……」
「まっ、恥ずかしいことは恥ずかしかったけどね」
ちょっとだけ顔を赤らめながら頬をかく千李は明後日の方向を向いている。
「あ、お風呂使うんだったわね。夕飯の時間になる前にさっさと済ませちゃいなさい」
「う、うん」
千李は話題を変えるように、十夜を脱衣所に押し込む。
「じゃあ、ごゆっくりー」
それだけ言うと、千李は脱衣所の扉をゆっくりとしめる。すると、その扉が完全に閉めきる前に十夜が声を上げた。
「千姉っ!! 俺っ……別に千姉のこと嫌いじゃないから」
「……。ありがとう十夜」
十夜の告白に小さく笑みを浮かべ、千李は扉を閉め切った。
その日の夜中。
千李と十夜はそれぞれの部屋で布団に入り、それなりに満足げな表情を浮かべていた。
「「……とりあえずは、一歩前進、かな」」
違う所に居ると言うのに見事にハモった二人の呟きだった。