異世界で 上前はねて 生きていく (詠み人知らず) 作:岸若まみず
マジカル・シェンカー・グループの本部前を警備する奴隷達をびっくりさせながら到着した俺達は、さっそく調理担当のシーリィとハントを捕まえて調理場へと移動した。
ちなみに例の
魔結晶プラントの事はいずれはローラさんにも話さなきゃいけないのかもしれないが、できたらこのまま墓まで持っていきたい気持ちもある。
複雑なんだよな、揺れる男心なんだ。
「夏に食べると嬉しい爽やかな食べ物ですか、薄切りの豚を茹でてサラダに乗せるだけでいいんですか?」
「とりあえず私はそのソーメン?ペペロンチーノを作ってみますね、卵を入れないんですよね?」
「頼むぞ」
うちの主要な奴隷達には一応ローラさんは紹介してあるんだが、やはり緊張してまともに喋れなくなるような子も多い。
シーリィとハントは奴隷商での教育がしっかりしているのか、主人の俺以外の顔色をうかがうことはしない。
やはり人は教育が大事なんだよな。
この二人には将来的には奴隷への基本的な教育をやってもらいたいなぁ。
ピンク髪の踊り子シーリィがお湯を沸かし始めるのを見ながら、俺は麺つゆ作りを始める。
オイルドレッシングに関しては結構種類も多くて充実してるから、冷しゃぶの味付けは既存のものでもオッケーなのだ。
乾燥昆布と干鰯を水の入った鍋にざっと開け、お湯を沸かしていく。
こういう時、水から茹でるのかお湯に入れるのかで結構違いが大きいらしいんだけど、それは後々誰かに検証してもらえばいいだろう。
「干し海藻と干鰯を水に入れて茹でる……と」
ローラさんは俺の横で手順をメモしてくれている。
ありがたい限りだ。
水が沸騰してきたら、しばらく待つ。
前世の実家で祖母がこんな感じで味噌汁を作っていたような……気がする。
麺つゆの出汁も味噌汁の出汁も、仕組みは一緒だろ、多分だけど。
「ご主人様、豚が茹で上がりました」
「おお、じゃあ氷を出すから冷やそう」
「冷やすんですか」
俺がひしゃくで水をすくい、魔法を使いながら皿の上に注ぐと、皿の上にはカラコロ音を立てながら氷が溜まっていく。
シーリィはその上に肉を一枚づつ並べ始めた。
冷やすのってこんな感じで良かったんだっけ……?
まぁ違っても、そのうちにレシピは改良されていくだろう。
「君、これじゃあ魔法使い以外は作れないんじゃないのかい?」
「あっ……」
しげしげと氷を見つめていたローラさんの言葉は、とことん本質をついていた。
そうだよ、氷使ったら料理長が作れねえじゃん。
いやいや、待てよ、なにか方法があるはずだ。
「いや、製氷の魔具とか……」
「うちの家ならそれでもいいかもね」
ローラさんは俺の頭を優しく撫でた。
たしかにうちには金があるから魔具を使っても大丈夫だが、これをよそで作ろうとすると大変高価な料理になってしまうだろう。
氷を使って冷やすのは素麺も一緒だ。
どうも両方、貴族の道楽料理になってしまいそうだ。
フロンガスもコンプレッサーもないこの世界では、夏に冷たいっていうのは高いってことなんだよな。
まぁ、俺が食う分には問題ないのが救いだ。
解決は後回しにしてしまおう。
冷やすといえば、料理と同様に家の冷房も難しい問題なんだ。
俺達が魔法で冷やしたっていいが、すぐに冷えすぎて家中に霜が降りるだろう。
魔法ってのは撃ったら撃ちっぱなしの弾丸みたいなもんで、持続的なコントロールは困難を極めるんだよね。
もちろん冷房の魔具もあるが、普及はしていない。
貴族でも躊躇するようなコスパってことだ。
そんな事を考えている間に、肉は冷えたらしい。
キャベツと大根のサラダに載せて、オイルドレッシングをかける。
豚しゃぶサラダの完成だ。
箸で肉とサラダを一緒に掴んで口に放り込むと、口の中が冷たくって気持ちがいい。
ドレッシングに混ぜられたすりごまの香りと、砂糖と香辛料の織りなす複雑な風味が豚肉によく合っている。
シャキシャキの野菜の歯ごたえも涼しげでいい。
これならいくらでも食べられそうだ。
「これ、いいじゃないか」
豚しゃぶサラダを試食したローラさんも、ニコニコ笑顔で指を立てている。
まぁこれは安牌だよな。
「冷たくて美味しいです」
シーリィも気に入ったようだ。
とりあえず片方のメニューだけでも成功して良かったよ。
ん?
何者かに足を引っ張られた。
下を向くと、右足に緑のゴリラがしがみついていて、ハントのいる作業場の方を指さしている。
どうやら素麺も形になったようだな。
ゴリラと共に向かうと、緑髪の詩人ハントはメガネを曇らせながら生地を伸ばしていた。
そんな彼女の元にナックルウォーキングで機敏に近づいていく小さなゴリラ。
シュールな光景だ。
「ああ、お使いありがとう、ジーン」
「ウホッ」
感謝の言葉への返事に、彼女の白い足にしがみついて親愛の情を示すゴリラ。
うーん、笑っちゃいけないんだけど笑えてくる……
「ご主人様、硬さを見てくださりますか?」
「えっ?あ、ああ、硬さね」
さすがにあのゴリラを自分で作っといて笑うのは悪いよな。
硬さ、硬さね……
「わかんないからこのまま作っちゃって」
「はぁ、それじゃあこのまま切りますね」
硬さなんかわかるわけがなかった。
だいたい俺、乾麺しか食ったことないんだよね。
くりくりの目で手をふるゴリラに見送られ、煮立った鍋の前に戻った俺は、とりあえず中の具を全部捨てた。
少しだけ出汁をすくって味をみてみるが、単なる薄い塩味だ。
全くわからん。
これでいいのか?
……とにかくやってみるしかないか。
とりあえず出汁をいくつかのカップに同量注ぎ、魚醤と白ワインと砂糖の量を変えながら何種類か作ってみる。
まずは出汁強めでその他が弱めのカップから味見してみよう。
薄い、しかし美味い。
思わず飲み干してしまった。
うぇ……飲み干すとさすがに辛いな。
醤油の代わりに魚醤な時点で味のテイストは全く違うんだが、なんか記憶の中の麺つゆにうっすら近くて普通に感動した。
次、出汁とその他が半々のカップ。
これは濃すぎる。
魚醤汁だ。
どうもかなり薄味の方がいいようだな。
「私はこっちの濃い方が味がはっきりしていて好きかな」
「私もそうですね。最初のはちょっとぼんやりしているというか、ペペロンチーノのソースとしては……」
だが、一応味見してもらったこの世界のネイティブたる二人は濃い味の方が好きだったらしい……
カルチャーショック……いや、元日本人の味覚が繊細すぎるのか。
結局薄味と濃い味の両方を作ることにした。
鍋を分けて麺つゆを煮立てていると、ハントがパスタマシーンにかけた素麺を運んできた。
鍋に湯を沸かすように言って、俺は麺つゆを冷まし始める。
やはり麺つゆも冷蔵庫でキンキンに冷やしたほうが美味いからな。
魔法で出した氷の上に麺つゆの入った鍋を置くと、素麺の鍋に移動する。
素麺は茹で時間が短いんだ。
最初は多少なりとも経験のある俺がやった方が、失敗がなくていいだろう。
お湯がグラグラ来たところに、生の素麺をドサッと投入する。
心の中で一分間を計り。
電光石火の箸捌きで一筋の素麺をすくい上げ、口に入れた!
…………うん?
……うん、うどんだ。
そうか、パスタマシーンだとこんなに麺が太かったのか……
「これは爽やかでいいね」
「喉越しがいいですね、このつゆも美味しいです」
「ちょっと柔いですけど、冷たいと逆にそれがいいですね」
とはいえ、うどんは大好評だった。
やはり濃い味のつゆの方がみんなの口には合ったようで、ローラさんもシーリィもハントも嬉しそうに冷やしうどんをズルズルいっている。
まぁ大成功っちゃ大成功なんだけど……
完全に素麺腹だったところにいきなりうどんが来たので、俺自身はいまいち釈然としない感じだった。
「もっと太く切って、卵を落として出汁と魚醤を混ぜたのをぶっかけると美味しいよ」
「そうなのかい?それは食べてみたいな」
「まだ生地が残ってるので、すぐに切ってきます!」
「私はお湯を沸かしますね」
ぶっかけうどんも大人気だった。
生の卵は菌を殺す魔法がないと食べられないから、実質これも魔法使い専用メニューかな。
「さっきの麺つゆをお湯で引き伸ばした、あったかいつゆに入れて食べるのも美味しいよ」
「なんだって?それもぜひ頂きたいな」
「それじゃあ茹でますね」
「ご主人様、つゆの作り方を教えてください」
せっかく体を冷やしたのに、結局真夏にかけうどんを堪能してしまった。
まぁ無理もない。
出汁とうどんが合わさって、まずいわけがないのだ。
「ご主人様、これは屋台でも出したら当たると思いますよ」
「ぜひ太麺のパスタマシーンを作って、世の中に広めましょう!」
「うんうん、これならうちの料理長も喜んで作ると思うよ」
「まぁ、口に合ったようで良かったよ」
「
……ん?ソーメン?
あっ、やべっ!!
この太さだと素麺じゃないんだ!
うどんなんだって!!
危うくペペロンチーノの二の舞になるところだったのを、俺はうどんが伸びるぐらい丁寧な説明でなんとか回避したのだった。