異世界で 上前はねて 生きていく (詠み人知らず)   作:岸若まみず

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めちゃくちゃ長くなったので前中後に分かれました。
一応読まなくても話の本筋には支障がないようにしますので……


第109話 いい男 探して駄目なら 育てちゃえ 中編

「あーっ!」っという叫び声の後に、グワッシャーン! と朝の調理場にデカい音が響き渡る。

 

忙しく手を動かす調理人達はその音を聞いても、誰一人見向きすらしなかった。

 

ディーゴ(・・・・)が来てから一週間、そんな風景はもうすっかり日常と化していたからだ。

 

 

「どうしたの? ディーゴ」

 

「すいません師匠……小麦粉の袋が破れて倉庫が粉まみれに……」

 

「外で粉落としてから、箒持ってきて掃除して」

 

「は、はい……」

 

 

なんというか、彼は料理人として……というだいぶ前の時点で、致命的なまでにぶきっちょな男だった。

 

毎日毎日皿を割り、粉をぶちまけ、皮むきの包丁で指を切り、砂糖と塩を間違えた。

 

まるで失敗の例題集でも解いているかのように流れるように失敗を重ねる彼に、調理場の面々の浮ついた気持ちはザルにあげたペペロンチーノのように冷め……

 

今はみんなもう、完全に彼をいい男(・・・)ではなく一人の追い回し(ニュービー)として扱っていた。

 

 

「シーリィさん、ディーゴはこのままやってたら十年はいることになるんじゃないですか?」

 

 

床に白く残るディーゴの足跡を親指でさして、副料理長のチドルはなんとも言えない顔でそう言った。

 

 

「でも今のままじゃお店を切り盛りする以前の問題でしょう」

 

「ご主人さまは何て言ってんですか?」

 

「できたら春の終わりまでにって」

 

「ひぇーっ、そんなん無理でしょ」

 

 

肩をすくめて背を向けたチドルの尻をペンと叩いて、私はため息をついた。

 

 

「……たしかに、今のままじゃ十年かかっちゃうわね」

 

 

茶色い頭を真っ白にして箒を持って帰ってきたディーゴの顔を見ながら、私は頭の中で計画を練り直したのだった。

 

 

 

十七歳でここに売られてきた時、私はちょっと料理ができるだけのずぶの素人だった。

 

そんな自分がハントと共に突然料理人にされてからは、まさに怒涛の日々だった。

 

眠い目を擦りながら毎朝毎朝市場に行き、何度も失敗しながらも必死で仕入れを覚え、飢えた狼のような冒険者組の腹を満たすために無我夢中で料理をした。

 

ご主人さまの思いつきで新しい料理を作れと言われれば、毎晩夜遅くまで調理場に籠もり。

 

わけのわからない食材を渡されては、顔にできる吹き出物に泣きつつ調理と試食を繰り返した。

 

そうして気づけば、こんなでっかい本部の調理場の総料理長。

 

思えば遠くへ来たものだ。

 

……とにかく、自分自身がやってきたからこそわかっている事がある。

 

できないのならば、数をこなすしかないのだ!

 

 

「というわけで、ディーゴには今日から毎晩居残りで特訓をしてもらいます」

 

「はいっ! 師匠、よろしくおねがいします!」

 

 

うっ、眩しい……!

 

私はこちらにキラキラした目を向けるディーゴに鷹揚に頷き、芋の籠を指さした。

 

 

「まずは包丁の扱いから! 今日から毎晩、芋をひと籠剥いてから帰るように! あ、芽は絶対に取ってね」

 

「はいっ!」

 

「それが終わっても時間が余るようになったら、次の事を教えます」

 

「頑張ります!」

 

 

まずは安い芋で、包丁の扱いから学ばせる。

 

料理人が包丁で怪我をしているようじゃあ何にもならないものね。

 

まあ、うちなら最悪指を切り落としても、生やして貰えるから気は楽だけど……

 

 

「…………」

 

 

必死に芋と戦うディーゴの隣で、私はご主人さまから言われている飴を作り始める。

 

ブクブクと飴を炊く音が響く横で、ショリショリと芋の皮を剥く音が聞こえる。

 

口説き文句どころか、ほとんど会話もない。

 

なんとも色気のない男女の夜が、ゆっくりと更けていくのだった。

 

 

 

 

「師匠、これはどうですか?」

 

「うーん、もっとずっしりした物の方がいいかな。玉ねぎはね、丸くて硬くて重いやつが腐りにくいの」

 

「丸くて硬くて重い、ですか……」

 

 

春とはいえまだまだ寒い朝の市場で、私はディーゴに野菜選びの基本を教えていた。

 

料理屋の店主というのは、料理だけできればいいというわけじゃあない。

 

料理の味はもちろん、食材、衛生、店員たちの人間関係、全てに責任を持つのが店主というもの。

 

彼は今のところ、まだまだ料理で手一杯だけど……

 

こういう事も教えていかないと、いつまで経っても開店できないからね。

 

 

「いい、お店を持ったら食材の管理は店主の責任なんだから。ちゃんと覚えておいてね」

 

「責任……そうですね」

 

 

ディーゴはなんだか神妙な顔でそう答えて、両手に持った玉ねぎに視線を向けた。

 

 

「師匠、右の方がいい感じだと思うんですけど」

 

「この二つは両方駄目ね」

 

 

私は彼から受け取った玉ねぎを元あった木箱へそっと戻す。

 

いい感じの玉ねぎを一つ選び、ディーゴに渡そうとしたところで彼の手に目が行く。

 

彼の右手の人差し指には、ぷくりと小さいコブのようなものができていた。

 

指で押してみると柔らかい、どうやら水ぶくれのようだった。

 

 

「ディーゴ、タコができかけてるわ。頑張ってるのね」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

彼はなんだか照れた様子で、小指で鼻の下をかいた。

 

要領は悪いんだけど……やる気はあるのよね、やる気は。

 

伸びる下地はあるのよ、あとはどうやって育てるか……

 

 

「あの、師匠……」

 

「何かしら?」

 

「その、手が……」

 

 

「あら」と声を出して、私は握りっぱなしだった彼の手を離した。

 

そういうつもりじゃなかったのに、なんだか急に顔が火照ってきた気がする。

 

ディーゴの顔も、ちょっと赤くなっているように見えた。

 

 

「いやぁ、シーリィちゃんもなかなか隅に置けねぇなぁ……」

 

 

こっちを見ていた青物屋の店主のおじさんが、いやらしい顔でニヤニヤと笑いながらそう言った。

 

違うから! これは料理人教育の一環ですから!

 

私は手早く買い物を済ませて、ニヤつくおじさんから逃げ出すようにその場を後にしたのだった。

 

 

 

そんな仕入れの指導を何度かしているうちに、ディーゴは何も言われなくても私の仕入れについてくるようになった。

 

いや、正確に言うと仕入れだけではなく、朝の一番始めから調理場にいるようになったのだ。

 

夜は私と一番最後まで練習し、朝は一番早く来て掃除からやる。

 

追い回しとしては正しい扱いなのかもしれないけれど、よそから預かった人にここまでやらせていいのかしら?

 

 

「いいんですよ。僕今楽しいんです」

 

 

まだ人もまばらな早朝の調理場で、チャオの隣で傷だらけの手で芋を剥いていたディーゴが言った。

 

毎日毎日怪我をしながら芋を剥いていれば、本当に不器用な彼でも流石に慣れたらしい。

 

ここ数日は彼の左手に包帯が巻かれているのを見なくなっていた。

 

 

「それならいいんだけど」

 

「やる気があるのはいい事だよな」

 

 

私とチャオからそう言われ、彼はニッと歯を出して笑った。

 

 

「最近は家でもサラダを出して褒められたりしてるんですよ。やっと料理ができるようになってきたんです」

 

「サラダで褒められるって……ディーゴあなた、今までどういう料理してきたの?」

 

「あー……それはその、お湯をかけるペペロンチーノを作ったり……」

 

 

それってうちで売ってる即席麺じゃないの。

 

なるほど、できないできないとは思ってたけど、本当にズブの素人だったのね。

 

 

「お前さ、そんなんは料理って言わねぇの」

 

「一応、一緒にソーセージを焼いて上にのせたりしてたんですよ」

 

「今日びは野営中の冒険者だって、もうちょっと手の込んだもん食ってるよ」

 

「ねぇねぇ、即席麺を作ったのって私だって知ってた?」

 

「えっ! そうなんですか!? 凄い! 師匠ってほんとに凄い人なんですね!」

 

 

目をキラキラ輝かせてこちらを見つめるディーゴの称賛が、なんだかくすぐったい。

 

正確にはハントと一緒に作ったんだけど、まぁいいでしょ。

 

酒場で女の子に「俺って凄いんだぜ」と絡むおじさんの気持ちが、ちょっとだけわかった気がしたかも。

 

 

「しかしディーゴよぉ、お前もなかなかカッコのつく手になってきたじゃねぇか」

 

「そうですか?」

 

 

チャオに言われて、ディーゴは傷だらけでマメのできた自分の手をしげしげと眺めた。

 

 

「そういえば、師匠や先輩たちの手って綺麗ですよね。みなさん修行中に怪我なんかはされなかったんですか?」

 

「そりゃああたしらも最初は怪我したさ。ざっくり指切って血まみれになった事もある」

 

「え、どの指ですか? 全然……」

 

 

ディーゴは不思議そうにチャオの手を覗き込んでるけど、そうじゃないのよね。

 

 

「おいおいお前さ、ここの頭を誰だと思ってんだよ」

 

「うちは怪我してもすぐ治して貰えるからね」

 

「あ、サワディさんの再生魔法ですか、そりゃそうか」

 

 

チャオはなんだか得意げな顔で手をぴらぴらと振り「うちのご主人はすげぇのさ」と笑った。

 

 

 

いくら不器用なディーゴでも、朝から晩までずっと練習していれば包丁の扱いぐらいは様になってくるもので……

 

街の人みんながコートを脱ぎ終わった頃になると、夜の居残り練習会はもう煮炊きの練習に入っていた。

 

もちろん本来なら、とても煮炊きを勉強させるような段階じゃないんだけれど……

 

とにかく春の終わりまでには一通りの事ができるようになっていないと、彼も私も顔が立たない人がいるという事情からの階段飛ばしだった。

 

 

「いい、強火にしたからって調理時間が短くなるわけじゃないから、必ず手順を守るように」

 

「はいっ!」

 

 

肉と野菜から出汁を取る練習をする彼の隣で、私は私で飴を炊く。

 

実のところ、私の『頭の良くなる飴』作りはなかなかに難航していた。

 

普通炊いてから冷やせば固まるはずの飴が、どうやっても固まらないのだ。

 

サワディ様から預かった砂糖の量を変えても駄目、急速に冷やしても駄目、冷やす時間を増やしても、普通の砂糖を足しても、どうしても飴は固まらなかった。

 

どうしたもんかと眉根を寄せながら飴を炊いていると、そんな私をじっと見つめる視線がある事に気がついた。

 

二人しかいない調理場で、視線を送ってくるのは一人しかいない。

 

 

「どうしたの、ディーゴ?」

 

「…………」

 

 

ディーゴは何か言いたげにちょっとはにかんで、二、三度視線を彷徨わせてから口を開いた。

 

 

「師匠は……何も聞かないんですね」

 

「ん? 何が?」

 

「僕が全然料理できないのに、店を持つとか言ってる事とか……です」

 

 

なんだか複雑そうな顔で自嘲気味にそう言う彼に、私は飴を炊きながらこう問い返した。

 

 

「ディーゴはそれを聞いてほしいの?」

 

「そう……かもしれません」

 

 

へらで飴をかき混ぜながら、私は彼の目を見て聞いた。

 

 

「じゃあ、なんで店持つ事になったの?」

 

「実は僕……あの家の子供なんです。布屋の跡は上の兄が継ぐ事になっているので、僕はその補佐としてずっと家の仕事を手伝ってきました」

 

「そうだったんだ」

 

 

礼儀正しいし、身なりもきっちりしてるから普通の家の子じゃないと思ってたけど、バータ氏の子供だったのね。

 

だから最初に出張料理に行った時も家にいたんだ。

 

 

「でも僕、本当は布の商売じゃなくて料理がやりたかったんです。美味しい料理をかっこよく作って、どんな人でもぱあっと明るい気持ちにできるような凄い料理人になりたかったんです」

 

 

ぽつぽつと呟くように話しながら、ディーゴは鍋の中をかき混ぜ続ける。

 

 

「それで去年、勘当を覚悟で父に直談判したら……父は是非やりなさいと言ってくれまして。修行先まで手配してくれたんですけど……」

 

「けど……?」

 

「師匠もおわかりの事と思いますが……僕、どうしようもなく不器用で、修行先でもなんにもできなくて。向いてないよって、すぐに追い出されちゃいました……」

 

 

頭の中に、うちに来たばかりのディーゴの姿が蘇る……

 

たしかに、あの調子だと普通の店では面倒見切れないかもしれないわね。

 

 

「それからどうしてたの?」

 

「どうしても夢を諦められなくて、色んな店に頼み込んで修行をさせてもらっていたんですけど。どこも一日か二日で……」

 

 

まぁ、どこも慈善事業で弟子を取っているわけじゃないものね。

 

時間を割いて育てればきちんと使い物になると思うから弟子にするわけで、向いてないけど育ててみようなんて余裕がある店はほとんどない。

 

長い目で見るっていうのは、うちみたいにでっかい組織の支えがあって、初めてできる事なのかもしれないわね……

 

 

「だから僕、今こうしてちゃんとした料理を教えて貰えている事が夢みたいなんです」

 

 

ディーゴはそう言って鍋を指さして、歯を見せて笑った。

 

料理っていうか、ハヤシライスの下拵えの工程の一つなんだけど……

 

この出汁だって具材を足したらスープになるし、そういう事でもいいか。

 

 

「それ、完成したら家に持って帰って家族に食べさせてあげなよ」

 

「はいっ!」

 

 

料理ができて夢みたい、かぁ。

 

やっぱり、可愛いとこあるじゃない。

 

暖かな師弟の夜は、甘ったるい飴の香りとともに更けていったのだった。


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