異世界で 上前はねて 生きていく (詠み人知らず)   作:岸若まみず

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もしかしたらこれも前後編になるかも……


第97話 冬来たり 巨人歩いて 子は喋る

冷たい風が足元をぴゅうぴゅうと吹き抜け、思わず内股になってしまうような寒さの今日この頃。

 

赤子は着膨れして真ん丸なボールのようになり、コートも着ずに外に出ようとしたうちの奥さんは慌てたミオン婆に呼び止められていた。

 

トルキイバに、今年も寒い寒い冬がやって来たのだ。

 

夏から秋の間は俺も仕事に野球に畜産にと忙しくしていたのだが、その間で個人的にビッグニュースと言えるものは二つしかなかった。

 

一つ目は、俺の敬愛する劇作家のメジアス氏から劇の台本が届いたことだ。

 

夏半ばから始まった手紙での彼への台本の発注は、細かなすり合わせをしながら夏の終りまで続いたのだが……打ち合わせが終わってすぐの秋の初めにはもう分厚い台本が届いていて心底驚いた。

 

彼曰く「女だけの劇団という素晴らしい発想に、思わず筆が乗ってしまった」らしい。

 

俺の方もすぐに彼に料金を送金した。

 

別に特急で頼んでいたというわけじゃないが、単純に嬉しかったので特急料金も割増して払った。

 

劇の内容も女性が主人公の華やかな冒険活劇で、素晴らしいものだ。

 

はっきり言って内容がどうあれ、彼が自分の劇場のために一本書いてくれたというだけで、俺にとっては万金の価値があったのだが……

 

そこに内容が伴っているのならば、こんなに嬉しい事はないというもの。

 

台本の写しを役者の人数分取って劇団長のシィロに渡した後は、原本は自宅の耐火金庫へと厳重に保管してある。

 

金だけでは手に入れることのできない、正真正銘の宝物なのだ。

 

ゆくゆくは劇場ごとノアかラクスに継承したいものだが……この子供達が演劇好きに育たなかったら雑に扱われて紛失なんて事にもなりかねないのが怖いところだ。

 

俺は「どうか演劇好きに育ってくれ」という念を込めて、よちよち歩きで一生懸命道を進んでいくぷにぷにのノアの手をギュッと握った。

 

 

「おっかぁ!」

 

 

すると彼は輝くような笑顔で俺の方を向き、最近唯一話せるようになったその言葉で話しかけてくれた。

 

ちなみにお父さんとはまだ言えないから、俺もローラさんもミオン婆さんも全員おっかぁだ。

 

しょうがないよね、赤ちゃんなんだから。

 

もちろん、二つ目のビッグニュースはノアとラクスが喋れるようになったことだ。

 

ノアは「おっかぁ」だがラクスは「ばぁ」だった。

 

これにはミオン婆さんも大喜びで、見たこともないようなだらしない顔で子供達の靴下を編んでいた。

 

血縁者以外にも自分の子供の成長を喜んでくれる人がいるということは、単純に嬉しいことだ。

 

しょうがないから最初の言葉は譲っておいてあげよう。

 

最近毎晩眠る双子の耳元で吹き込んでいるから、次の言葉は「おっとぅ」だろうがな。

 

 

そんな一家が今日向かっているのは、野球場だ。

 

夏にお義兄さんから「ザルクド流に勝て!」と無茶振りされてから、貴族リーグ最底辺チームだったスレイラ白光線団(ホワイトビームス)は必死こいて練習をして、そりゃあもうめちゃくちゃに頑張った。

 

お義兄さんの送り込んできた部下の人も、秋の終わりぐらいになると肩の骨が疲労骨折するまでボールを投げ込んでたからな。

 

俺が再生魔法をかけたらまたすぐ練習に戻っちゃうんだから、軍人さんの忍耐ってのは凄いもんだと感心したものだ。

 

そんな軍人さん達の頑張りもあり、リーグ最下位を抜け出しザルクド流にも一勝を果たした今季の貴族リーグ。

 

その最終戦が、まさに今日野球場で行われているのだった。

 

我々スレイラ白光線団(ホワイトビームス)は今年度の試合を数日前に全て終えていたので、各々の礼服で野球場へと集まるだけでいいから気楽な身分だな。

 

最終戦の後のリーグ閉会式が終わったら打ち上げに行くから、みんなに顔を覚えてもらうためにも子供達を連れてきたのだ。

 

子供は親に会わせてもらった大人の顔を忘れてしまうが、大人の方は結構覚えているもの。

 

こういう時にまめに顔繋ぎをしとかないとな。

 

 

 

結局野球場に行く途中で疲れてしまったノアとラクスを乳母車に乗せ、それをえっちらおっちら押してようやく辿り着いた野球場は……

 

もう、人の海という言葉がふさわしい場所だった。

 

人、人、人、トルキイバ中の人がみんな来てるんじゃないかってぐらいに人がいて大変な状況だ。

 

屋根があったら天井に雲が出てたんじゃないだろうか?

 

さすがに今日はとてもじゃないが貴族達もVIP席に入り切れず、平民たちと一緒に一般観客席に座っているようだ。

 

閉会式があるから軍人が軍服で、平民の選手がちょっと小洒落たドレスやジャケットを着ているのはわかるのだが……なぜか普通の観客達も普段よりパリッとした服装や髪型で集まっているようで、全体にソワソワとした空気が漂っていた。

 

ま、しょうがないか、今日は特別な日だ。

 

第一回目の貴族リーグの最終順位が発表される……トルキイバの野球史に残る、記念すべき日なんだからな。

 

あと、チームのリーグ順位で賭けていた連中にとっては今年最後の大博打の結果発表でもあるのだ、気合が入って当然なのかもしれない。

 

人混みを掻き分けてスレイラ白光線団の面々と合流した俺達は、生姜入りのホットエールを飲みながら試合の行末を見守った。

 

栄えある最終戦を務めたスノア家チームと魔導学園チームはちょっとだけ予定時間をオーバーして試合を終え、客席からは歓喜の声と悲鳴と嗚咽が同時に上がったのだった。

 

意気揚々と賭け券の払い戻しに向かう人達と、年が越せねぇよと項垂れる人達をかき分けるようにして移動し……我々のチームはグラウンドへと足を踏み入れた。

 

俺とローラさんはノアとラクスを抱いたままだ。

 

事前の取り決めで家族を連れてきてもいいと決まっていたからか、他のチームの人達もバッチリと着飾らせた子供なんかを連れてきているようだった。

 

まぁ、プロスポーツでもないしね、こんぐらい緩いぐらいの方がお祭り感あっていいや。

 

 

『これより、野球選手会会長であられます、エストマ・セラン様より閉会のお言葉があります。皆様、お静かに願います』

 

 

魔法で浮かせてグラウンドの真ん中へと持ってこられたお立ち台、その隣に立った司会進行役がそうアナウンスをし、野球のユニフォームを着たままのエストマ翁に拡声造魔を手渡して下がっていく。

 

バアっとグラウンド中から起こった拍手に迎えられるようにして、エストマ翁はゆっくりとお立ち台の上に上がってきた。

 

 

『うむ、うむ』

 

 

彼はしきりに頷きながら集まった選手関係者をぐるっと見回し、拍手が止むのを待ってから、ことさらゆっくりと話し始めた。

 

 

『皆の者、春から始まったこの貴族リーグを正々堂々とよく戦った。これより順位の発表を致すが、異議のある者はこの場で即座に名乗り上げい。たとえ後になってあの時実はああだったなどと申しても、その言葉からは大義は消えておる。そういう事が昔もあってな……よいか、あれは儂が四十の頃、可愛がっておった部下が……』

 

 

はぁ~と、周りの学園卒業者の口から静かにため息が漏れる。

 

エストマ翁が昔の話をし始めると、とにかく長いのだ。

 

子供達には厚着をさせてきてよかった……

 

俺は腕の中で眠る、ずしっと重たいノアを揺すりながら顔の筋肉だけは真剣に見えるように固め、心を彼方へと飛ばしたのだった……

 

 

仕事の段取りの事を考えながらなんとなくで聞いていた話ではあるが、今年の優勝はトルキイバ領主であるスノア家のチームだったらしい。

 

ちなみにうちのチームの最終成績は下から三番。

 

途中までずーっと最下位だったって事を考えると、まぁまぁ健闘したって方だろう。

 

お義兄さんが送ってくれた人員がしっかり仕事をしてくれたんだな、教育役に付けたうちの人間達にもきちんとボーナスをあげないとね。

 

エールかけをして優勝を祝っているスノア家をつまらなそうに見つめるローラさんはちょっと不満気だけど、来年また頑張ればいいじゃない、野球なら何回でも挑戦できるんだからさ。

 

しかし、やはり彼女にとっては今年の順位は悔しい結果だったようで……

 

この後に行われた打ち上げでは、普段クールなローラさんにしては珍しく大いにお酒を飲み、しきりに来年のリベンジを口にしていたのだった。

 

いいよいいよ、いくらでも付き合うよ。

 

俺のキャッチャーで良かったらね。

 

 

 

 

一昨年に発足し、去年正式にうちの兄へと運営が委託されたシェンカー通りの土竜神殿のお祭り、それが今年も開催されようとしていた。

 

去年はほとんどお任せノータッチだったが、今年は俺もちょっとだけ参加する事にした。

 

つっても、去年やたらと盛り上がったボクシング大会に参加したり、ステージで出し物をしたりするわけじゃない。

 

やるのはお店、食べ物を売る屋台だ。

 

今年の俺には、どうしてもトルキイバの人達に味わってほしい食材があったのだ。

 

 

「ご主人様、シーリィさん、お疲れさまです……これ、何ですか?」

 

「おおピクルス、これはハヤシライスだよ」

 

「ハヤシ……ライス? どういう料理ですか?」

 

「トマト風味のシチューをお米の上にかけた料理よ」

 

 

ピクルスがそう尋ねるのに、ハヤシライスの鍋をかき混ぜていたシェンカー家の料理長であるピンクの髪のシーリィがそう答えた。

 

そう、米だ。

 

シェンカー通りのマンションの屋上で、たっぷりの日光と水と、人類最高レベルの強化魔法と再生魔法を浴びて育った米は、秋が来る頃には大変な事になっていた。

 

稲の高さは俺の背丈の二倍ほどに伸び上がり、それだというのにはちきれんばかりに実を付けた稲穂は水面に付かんばかりに垂れ下がり……

 

慌てて支柱を入れたり田んぼを深くしたりと必死こいて対策をして、田んぼの責任者であったイスカが泣きべそをかくぐらいの苦難を乗り越え、ようやく収穫の時を迎えることができたのだった。

 

その収穫もえらく大変だった。

 

馬鹿みたいなサイズ感の稲を、まるで木でも切るかのようにノコギリで切り倒し、干す場所もないからマンションとマンションの間に(つな)を張ってそこにひっかけて干した。

 

手伝いに来てくれたうちの次兄の嫁、リナリナ義姉さんも「こんなの米じゃないよ!」と文句たらたらだった。

 

俺だってこんな米見たことねーよ!

 

と言いたくなる気持ちを抑え込み、奴隷たちを動員して巨大な箒の先のような稲穂から必死に稲籾を外し、来年使う種籾の選別から脱穀、精米まで、かなりの苦労を強いられた。

 

ちなみに魔法を使わずに作った米は、魔法米に日光を遮られたのか栄養を吸い取られたのか、見事に全てが枯れてしまっていた。

 

農業ってのは大変だ……

 

こんなヤバい米を作っている農家はそうないだろうが、それでも大変な事には変わりないだろう。

 

なにはともかく、そうしてついに手に入った米は、当然の事ながらとても一人で食べ切ることなど到底できない量だったのだ。

 

精米した米は希望する奴隷には配り、ちょっと嫌そうなリナリナ義姉さんにも押し付け、自分で食べる分も確保したが……それでもなお余る。

 

そういう状況ならば、米食文化の啓蒙だってできるじゃないかということで、今日俺はこのハヤシライス屋台を出していたのだった。

 

 

「こ、米ですか……」

 

「前に食わせた奴とは味付けが随分違うぞ、今回の料理はシーリィが作ったんだしな」

 

「おいしいよ」

 

「はぁ、シーリィさんが、それじゃあ……頂きます」

 

 

どうやら前回食べた不味い炊き込みご飯の味の記憶よりもシーリィへの信頼が勝ったらしく、ピクルスはおずおずと小銭を取り出した。

 

俺がお釜から木皿に山盛りに米を盛り付けると、シーリィはその上から熱々のハヤシライスをたっぷりとかける。

 

茶褐色のそれの中にはトルキイバで一般的な食肉である魔物の猪肉がゴロゴロと入っており、かなり豪華な見た目になっていた。

 

甘酸っぱい匂いがふわっと広がり、ピクルスがごくりと喉を鳴らすのが聞こえた。

 

ぶっちゃけ米の方はあんまり甘さがなくて大味なんだけど、シーリィの作ったハヤシは美味いからな、ハヤシライスとしてはかなり自信ありだ。

 

 

「はいどうぞ」

 

「あ、いただきます……」

 

 

皿を受け取ったピクルスは、スプーンで少なめにすくったハヤシライスを恐る恐る口に運ぶ。

 

一口目は不安そうに口に入れ、二口目では不思議そうにハヤシを眺め、三口目にはニコッと笑顔になった。

 

 

「これ、おいしいです!」

 

「だろう?」

 

「お口に合って良かったぁ」

 

 

今日のお祭りは土竜神殿の祭り、言わばその加護を受けるピクルスのお祭りでもあるのだ。

 

そんな主役のピクルスが美味しいと言ってくれるならば、他の客にも大ウケ間違いなしだろう。

 

実際、ニコニコしながらハヤシライスをパクついているのを見て、寄ってきてくれた人がいた。

 

両手一杯に食べ物を抱えた屋台荒らし、鱗人族のメンチだ。

 

 

「ご主人様、お疲れさまです! ピクルスの食べているこの料理は何ですか?」

 

「ああメンチ、これはハヤシライスだよ」

 

「ハヤシライス? 聞いたことはありませんが……ひとまず一杯頂きたい」

 

 

話をしながらも、彼女の手からはどんどん料理が消えていく。

 

鱗人族はよく食う人が多いけど、こいつはちょっと別枠だよな。

 

 

「メンチ、大盛りにする?」

 

「とりあえず、ピクルスと同じぐらいでお願いします」

 

「それを大盛りって言うんだよ……」

 

 

呆れつつも、しっかりと盛ってやる。

 

メンチは前回の大失敗炊き込みご飯だって、うまいうまいって食べてくれたしな。

 

 

「ピクルス何食べてんの~? あ、ご主人様! お疲れさまです!」

 

「いい匂いする~」

 

「なになにそれ? シチュー?」

 

 

ピクルスの姿を見て、他の女の子達も寄ってきてくれたらしい。

 

女性が多くなって一気に店の前が華やいだ。

 

 

「ご主人様~私達にもくださ~い!」

 

「量はピクルスちゃんの三分の一ぐらいで……」

 

「はいよ」

 

 

そうしてキャピキャピした若い衆が集まっていると、男達も寄ってくるというもの。

 

屋台の周りには着実に人だかりができ始めていた。

 

 

「よおピクルス~何食ってんだ~?」

 

「ケニヨン久しぶりだべ、これ、ご主人様が作った料理でハヤシライスっち言うんよ~」

 

「ほーっ! うまそうじゃないの、酒ばっかりってのもなんだし、俺らも軽く入れとくか」

 

「サワディさん、俺らにも一杯づつ!」

 

「はいはい」

 

 

ピクルスの友達の酔っ払い達にもハヤシを盛ってやる。

 

 

「サワディ様、これ美味しいです!」

 

「ちょっと酸っぱいけどいけるいける」

 

「酒には合わねぇなこりゃ」

 

 

しかしさっきの女達も、このオッサン達も、誰も米の存在を気にしていない。

 

新種の押し麦かもち麦ぐらいに思ってるのかな?

 

まぁ今回の超強化米の栽培成功で「貴重なものなんだぞ!」って念を押すほどには貴重じゃなくなったから、別にいいんだけどさ。

 

これからもちょくちょくこうやって米料理を啓蒙していければいいかな。

 

結局、この日のハヤシライス屋台は大盛況に終わり。

 

ボクシング大会が始まるまでには全てなくなり、個人的には大満足の結果だったのだが……

 

ハヤシライスがこの先のトルキイバでライスぬき(・・・・・)でごちそうとして広まっていくとは、俺も流石に予想すらできていなかったのだった。

 

 

 

 

ゴールさえきちんと存在していれば、どんなに難しい仕事にも必ず終わりが来るものだ。

 

どんなに遠い場所だって、地続きでさえあれば歩き続ければいつかはたどり着く。

 

たとえそれが誰も作ったことのない物であろうと、作り続ければいつかは完成する。

 

そういうものだ、そういうものなのだ。

 

だが、それがわかっていてもなお……実際に完成した全高百メートルの時計塔級蜘蛛女(アラクネ)型造魔は、とても自分が主導して人の手で作ったものとは思えないほど、異質な存在感を放っていた。

 

ただでさえ低い建物だらけのこの地域、近くで見上げると首を痛めそうなほど背の高いその造魔は、きっと隣町のトルクスやルエフマからも見えていることだろう。

 

太陽光をびかびかと反射する光沢ある外骨格は、その成り立ちと同じくどこまでも不自然で、どんな自然の中にあっても浮き上がって見えるに違いない。

 

かっこいいと思うか不気味だと思うかは人それぞれだろうが、俺からすれば巨大ロボット、正直かっこいいと思っている。

 

だがしかし、この世界の人からすれば突然変異の超巨獣に見えるだろう。

 

そのため無用な混乱を招かぬよう、彼女(アラクネ)の背中と胸にはでかでかとクラウニアの紋章が刻み込まれていた。

 

そしてそんな彼女から離れた場所に作られた高台の視察席に陸軍の高官達が座る中、時計塔級超巨大造魔の起動実験が始められたのだった。

 

視察席から何メートルか離れた場所に作られた仮設の操縦席には、俺とマリノ教授、そしてうちの嫁さんの兄であるアレックス・スレイラ少将が座っている。

 

レバーだらけの操縦席には時計塔級から伸びた長ーいケーブルが接続されていて、なんともアナログな感じだった。

 

 

「では、起動実験を始めろ」

 

「かしこまりました、スレイラ少将。サワディ君、始めようか」

 

「了解しました、進路の安全はどうか?」

 

『スレイラ准教授、時計塔級の周り及び前方の人員の撤収は終わっています』

 

 

俺が手元のマイクに向かって問いかけると、時計塔級の周りの安全確認を担当している学生からそう返事が返ってきた。

 

この造魔通信はシェンカー通りの放送設備を応用した連絡設備で、ガッツリ有線回線の原始的なものだ。

 

 

「魔結晶、供給開始します」

 

「供給開始よし!」

 

「供給開始」

 

 

手元のレバーを倒す。

 

レバーのついた機械の先から伸びているケーブルは一旦空へと向かい、途中魔法で宙に浮かされている巨大なドラムを経由して、造魔の背中の魔結晶供給装置へと繋がっている。

 

そこから魔結晶が供給され、巨大な造魔に火が入る。

 

 

「起動姿勢に入ります」

 

「起動姿勢よし!」

 

 

下半身部の上下操作レバーを操作すると、蜘蛛部分の腹をべったりと付けて着地していた彼女は八本の足をぐっと伸ばして立ち上がった。

 

おぉ……と背後の視察席から驚きの声が上がる。

 

 

「腕部、動作確認します」

 

「腕部動作確認よし!」

 

「動作確認開始」

 

 

俺が幾本かのレバーを同時に操作すると、巨大造魔の右腕の肘が上がり、肩をぐるぐると回す。

 

離れた場所から見ているのに、思っていたよりもはるかに迫力がある。

 

 

「マリノ教授、指の操縦をお願いします」

 

「うん」

 

 

俺がレバー操作で造魔の両腕を空に向けて突き上げると、マリノ教授が木製のごっついロボットアームのようなものに手を入れた。

 

さすがに指の操作をレバーでやるのはつらいから、細かい指先の操作は人間の手の動きに造魔の手の動きを追随させる形で動かすことになったのだ。

 

他の部分もそうしようかという意見も出たが……

 

このでっかい時計塔級造魔の用途は、もっともっとデカい都市級造魔を作るための建設機械なのだ。

 

建設機械のアームが人間の腕に追随して機敏にフラフラ動いたりしたら、それはもう絶対に事故が起きること間違いなしだろう。

 

兵器として用いるならそれでいいんだろうけどね。

 

 

「指の操縦を開始します」

 

 

マリノ教授が両手の指を開くと、時計塔級の手もバッと開いた。

 

小指から親指までを折りたたんでいくと、時計塔級の手も同じように動く。

 

後ろで見ている高官の方達から、なぜか拍手が起こった。

 

いや、わかるけどね……

 

あんなでっかいものが人間の思い通りに動くとなると、たしかに不思議と感動するものだ。

 

 

「腕を戻して」

 

「了解!」

 

 

マリノ教授の言葉で俺はレバーを操作し、造魔の腕をダランと下に垂れさせた。

 

 

「歩行試験、開始します。五歩前進」

 

「五歩前進よし!」

 

「歩行開始」

 

 

足部分は上半身ほど細かい制御を組んでいない、方向転換と前後移動ぐらいだ。

 

自動でバランスを取るように制御回路を組んではいるが、逆にバランスを崩す事はできないようにしてある。

 

これはある種の保護装置だ、操作する人間に完璧を求めるには、この時計塔級は大きくて重すぎるからな。

 

下半身の前後進用レバーを動かすと、八本ある足のうち四本が持ち上がり、前に出る。

 

ズゥゥゥゥゥン……という大きな音がして、また別の四本の足が持ち上がって、前に出た。

 

一歩づつ……と言っていいのかはわからないが、着実に時計塔級が前へと進んでいく。

 

後ろの高官の方達がまた拍手かなにかしているようだが、百メートル以上離れているあの造魔の足音がうるさくて断続的にしか聞こえてこない。

 

 

「歩行試験完了」

 

「歩行試験完了よし!」

 

「進路の様子はどうか?」

 

『異常なし、地面も陥没なしです』

 

 

造魔通信で安全確認をする事も怠らない。

 

ちょっとした高台にしてあるとはいえ、視察席からは巨大な時計塔級の周りを見渡すことはできないからな。

 

あんなものの足元に行く馬鹿が死んでも自業自得だとは思うが、自業自得で済まないのが貴族の世界というもの、対策はしておくに限る。

 

 

「足元も被害なし、右に旋回します」

 

「右に旋回よし!」

 

 

下半身の旋回用レバーを右に倒すと、時計塔級の足が四本づつ持ち上がって動く。

 

やっぱり蜘蛛の八本足はいいな、安定する。

 

前世のアニメなんかでは二足歩行ロボがよく出てきたけど、なんで転んだら自重でぶっ壊れかねない巨大ロボットをわざわざ二足歩行にしてたんだろうか……

 

まぁ、人型ロボットがかっこいいってことは間違いないんだろうけどさ。

 

 

「旋回終了、左に旋回します」

 

「左に旋回よし!」

 

 

左回りも右回りもやってる事は一緒だ、旋回テストはサクッと終わり。

 

後は後退させて全体チェックをやるだけだ。

 

 

「五歩後進し、造魔の位置を戻します」

 

「五歩後進よし!」

 

 

凄い音を立てながら、時計塔級はゆっくりと元の位置へと戻っていく。

 

よし、これで終わりだ。

 

時計塔級を停止させた俺がマリノ教授の方を向くと、彼はゆっくりと深く頷いた。

 

 

「スレイラ少将、よろしいですか?」

 

「こちらは問題なしだ」

 

「起動試験を終了せよ!」

 

「起動試験終了、了解! 待機姿勢に入ります」

 

「待機姿勢、了解!」

 

 

下半身の上下操作レバーを操作すると、起動する前と同じように時計塔級は腹をぺたりと地面に付けて停止した。

 

 

「魔結晶供給停止」

 

「魔結晶供給停止、了解!」

 

 

ガッコンと、少し固めになっている魔結晶供給装置のレバーを動かす。

 

もう五時間程すれば、時計塔級造魔は体内の魔結晶を全て消費して機能を停止させるだろう。

 

これにて軍高官向けの起動試験は終了だ。

 

 

「起動試験終了しました」

 

「起動試験終了よし!」

 

『起動実験終了よし了解! こちらも異常なしです』

 

「異常なし、よし!」

 

 

操作盤に安全装置をかけた俺とお義兄さんとマリノ教授が三人で視察席の高官の方々の方へと向かうと、大きな拍手が起こった。

 

元少将中将は当たり前、現役の元帥まで来ている。

 

密偵達の大騒ぎっぷりからなんとなくは分かっていたわけだが……こうやって実際に凄い勲章を付けた軍のお偉いさん達が査察に来ているのを見ると、超巨大造魔建造計画っていうのは結構注目されてたんだなぁということがようやく実感できた。

 

つくづく、失敗しないでよかったよ。

 

都市級はこの時計塔級のサイズを拡大するだけなわけだし、ちょっと肩の荷が降りた気分だ。

 

 

「素晴らしい兵器だ、大きいということはそれだけで素晴らしい」

 

「いやいや問題は積載量でしょう、大量の魔結晶を使うんですから、魔導馬車よりは効率が良くないと……」

 

「魔導馬車に山越えができるか! あれならば小川ぐらいはひと跨ぎ、山だって越えられるかもしれん、戦略が変わるぞ!」

 

「足の周りに幕を張れば簡易的な本営にも使える、出力次第ではあるが戦車を引かせてはどうか? 戦車の輸送のために列車の線路を引く必要がなくなるというのは大きい」

 

 

まだ試作一号機が歩いただけだというのに、高官の方々はもう戦争に使う方法を考えているらしい。

 

まぁ軍事国家にとって戦争よりも大切な事はないか。

 

 

「各々方、そういう検討は持ち帰ってして頂きたいですな。まずは予定通りに事を進めさせて頂いてよろしいか?」

 

 

お義兄さんがそう言うと、高官の方々のおしゃべりはピタッと止まった。

 

 

「ではまず性能についてですが、これは試作一号機であり、二号機制作の補助の役割があるため正確な性能試験が難しい状況です。まずはそこをご承知おき頂きたい」

 

 

高官達から無言の頷きが返ってくると、お義兄さんも頷きを返して続けた。

 

 

「まず起動時間ですが、ひとまず今背中に付いている大きさの魔結晶供給装置を満タンにしておけば丸五日は起動状態でいられるようです。そうだな? 准教授」

 

「事実です。何せ完成が一週間と少し前の事ですので、あまり試験もできていないのが心苦しいのですが……動作試験程度の負荷と起動状態における魔結晶消費では、五日間と三時間の起動を確認しました」

 

 

数名の軍人が俺の言葉を必死にメモを取っているのが見えたが、全員が佐官だった。

 

佐官がペーペー扱いでメモ取らされる現場って嫌だなぁ……

 

 

「次に積載力ですが……」

 

 

結局この後説明と質問が延々と繰り返され、それどころか元帥閣下を含んだ数名の将官の操作体験会までもが行われ……

 

朝に始まった起動試験も終わったのは完全に日が沈んだ後で……

 

その後行われた懇親会と言う名の政治合戦に巻き込まれた俺とマリノ教授が解放された頃には、もう時間は夜も夜中。

 

憔悴しきった政治下手の二人の手には、なぜか三つの師団からの時計塔級の注文書がしっかりと握らされていたのだった……




高さ百メートルの時計塔級のデカさがピンと来ない人もいるかもしれませんので、色んなものと比較しておきます。
まず、ガンダムの五倍。
初代ゴジラ、ウルトラマン、ウォール・マリアの二倍。
牛久大仏やシン・ゴジラとはがっぷり四つに組めるサイズです。
それでも東京タワーの三分の一ですけど。

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