――今やこちらの方でいる時間の方が長くなってしまった黒猫姿で、夜一は月を見上げた。
死神代行、黒崎一護。
彼等を連れ、久しぶりに尸魂界に帰ってきた。その最初の晩である。思うことは沢山あった。
「なーに感傷に浸ってんだ?」
「……空鶴」
先程まで死んだ兄と酒を酌み交わしていた筈の旧友は、夜一の隣にきてどっかと座った。
「どうだ? お前も一献」
「儂はいい。呑みたい気分ではないからの」
「そうかよ。俺は呑むぜ」
勢いよく杯を呷る空鶴を横目にしながら夜一は思いを馳せる。
――真っ先に浮かぶのは、置いてきてしまった愛弟子の顔。
「朔良なら元気でやってるぜ」
まるでこちらの思考を呼んだかのように紡がれた名に、一瞬固まり再び彼女を見遣った。
「……何?」
「とぼけんなって。気にしてたんだろ。百年間ずっとな」
「…………」
短気で豪胆なくせに、こういうところは結構鋭い。
「お前らが居なくなってしばらくは沈んでたらしいが……元はしっかりしたヤツだからな。立ち直ったし、成長してる。心も身体もな。子どもの頃から可愛い顔してたけどな、やっぱり綺麗になってるぜ? 普段は真面目で優しいってこともあって人気も高いそうだ」
「……綺麗になっておるのは知っておる」
「ん?」
「二十年程前、現世に来たあの子を見た。背は低いが、すっかり美人じゃったな」
「何だよ見たのか。会わなかったのかよ?」
「……会える筈なかろう」
経緯や理由はどうあれ、自分達は彼女を置き去りにしたのだ。それも追ってこようとした意志を切り捨てて。……恐らくは必死の思いで追いかけてきた朔良を殴って気絶させた時のことは、百年以上経った今でも鮮明に思い出せる。自分達の事情に巻き込まない為やむをえずとはいえ、胸が痛かった。しかしきっと、彼女の痛みはそれより酷かったはずだ。
(……不甲斐ない)
元々朔良を――“まねっこ”を拾い育てることを決めたのは、自分だというのに。結局は傷付けてしまった。どんな顔をして会えるというのだろうか。
「あいつだって会いたがってるぜ?」
「……どうかのう」
「何だよ、らしくもなく弱気じゃねえか。オメー朔良のことになるとそうだよな。知ってんだろ、賢い娘だぜあいつは」
「…………」
「お前や浦原が自分を巻き込みたくなかったんだっつーことくらい、判るに決まってんじゃねえか」
「……それはそうじゃろうが……」
「あいつがお前らに抱いていたのは“親愛”の気持ちだ。それがあのくらいのことで恨みや憎しみになりはしねえよ。心配したり怒ったりはしてるだろうがな」
「……そうかのう……」
「……時々だけどな、此処に来るんだ」
自然と俯きがちになっていた顔を反射的に上げた。
「お前らの話をするんだ。昔の話をな。しかもすっげえ楽しそうに」
「……!」
「瀞霊廷じゃ、裏切り者扱いになってるお前らの話はしにくいからな。何の気兼ねもなく話せるのは多分俺だけなんだろうぜ」
……それは、希望の言葉だ。
置き去りにして、恨まれても仕方ない――そう思っていたのだけれど。
まだ、慕ってくれているのだろうか。
また、姉と呼んでくれるのだろうか。
“夜姉様!”
あの、お日様のような笑顔を向けてもらえるのだろうか。
「……会いたいのう」
「素直にそう言っときゃいいんだよ」
不安が全て拭えたわけではないが、少しだけ楽しみかもしれない。
……砕蜂と穏やかな再会は恐らく無理だと思うが。彼女の場合、抱いていたのは“忠誠心”。“親愛”の朔良とは訳が違う。一度思い切りぶつかる必要があるだろう。精神的というだけでなく、物理的にも。
それはここで考え込んでも仕方のないこと。今は純粋に愛弟子のことが知りたい。
「あの子は今一番隊の四席に居るそうじゃな」
「お、知ってんのか。流石だな」
「それくらいはの。しかし随分前から全く昇進しておらんようじゃが、どういうことか聞いておるか?」
「あーそうだな。色々おかしいらしいんだが」
「おかしい?」
「ああ。俺も詳しくは知らねえが浮竹からの話によると、斬拳走鬼の技術自体はかなりのレベルだそうだ。剣術だけはいまいちだが、他は達人級だってな。現副隊長らと比べてみても劣らねえし、卍解さえできりゃ隊長になれるんじゃねえかって言われてたんだと」
「それが何故四席止まりなのじゃ」
当然の疑問を口にすれば、空鶴は少し悩むように頭をがしがしと掻いた。
「自分でな、昇進の話全部断ってんだとよ」
「は?」
「お前らが居なくなった後、色んな隊から勧誘があったらしい。多くが昇進で、けどほとんど蹴っちまってる。副隊長の誘いなんざ何回も出たそうだぜ」
「おお、流石儂の弟子じゃな。……て、受けておらんのか」
「ああ。今の四席だってかなり時間を掛けて就いた席次だ。昇進を受けねえ詳しい理由は誰にも話さねえから誰も知らん。ただ、霊圧が上がってねえ。ここ数十年ほとんど成長してなくてな、まるで止まっちまってるみてえなんだ。で、あいつのことよく知らねえ連中は、それが昇進を断り続ける理由なんじゃねえかって思ってるらしい」
つまり、多くの隊士達の認識はそうだということ。しかし空鶴がここでわざわざ言うからには――
「何か、別の訳があるのじゃな?」
「多分な。大体それじゃ時期が合わねえし。朔良の霊圧が上がらなくなったのは数十年前からで、昇進断ってんのは百年前からずっとだぜ?」
百年前。夜一達のことも丁度そのくらいの時期だ。何か、関連性があるのだろうか。
あるとしても、一体何なのか。
どう転ぶにせよ会わなくては、訊かなくてはならない。
そして百年前のあの日から、夜一達のことをどう思っていたのかも。今でも慕ってくれているという空鶴の言葉を信じていない訳ではないが、やはり本人から直接聞きたい。
そして何より、自分も大切に思っているのだということを伝えたい。
――最初出会った時は、ただ単に気に入っただけ。
けれどいつしか愛しく思うようになったのである。
それこそ、我が子のように。
「……上手く話せるかのう」
「ホント弱気だな。んな心配してんじゃねえよ。っつうか、あのガキどもに朔良のこと言っといた方がいいんじゃねえか? 霊圧知覚であいつ以上に長けた奴はいねえぜ」
「ふむ、それもそうじゃな」
話が一段落した丁度その時――志波邸が揺れた。
「!」
「何だ!?」
馬鹿でかい霊圧が、一気に膨れ上がっていく感覚。屋敷の真下――地下からだ。
……今この屋敷に居る人物の中で、これほど暴発的に霊圧が跳ね上がる人物など一人しかいない。
「……一護じゃな」
「あの野郎……一体何してやがんだ!?」
慌てて霊圧の根源の所へ向かう空鶴とは逆に、夜一はじっとその場を動かなかった。彼女が行くなら大丈夫だろうし、一護は現世でも何度か霊圧を暴走させたことがある。半ば想定内の出来事であった。
――結局、霊珠核を爆発させてしまったらしい一護は。
原因を作ったらしい岩鷲共々、空鶴の雷に打たれたということで。
その後は何事もなく、夜は更けていった。
――翌朝。
自慢のしっぽを何故か鷲掴みにしたまま眠って曲げたくせにそのことを忘れている一護の馬鹿に睨みを利かせ。
しっぽを曲げた意趣返しとばかりに易々と霊珠核を作って見せて一護を落ち込ませた後。……ちなみに岩鷲も一緒に行くことになったのだがそれはさておき。
途中で寝てしまった一護の為に言わず終いになっていた、“伝えなければならないこと”をここで話すことにする。
「行く前にあとひとつ、お主らに言っておかねばならんことがある」
「何だよ夜一さん。こんなギリギリになって」
「だから、君が途中で寝たから遅くなったんだろ」
「あーそうか」
石田からつっこまれて納得した一護に少々イラッと来た。が、時間もない。
ここは大人として、大人の対応をするとしよう。
「よいか、お主ら。万が一雲居朔良という名の死神に会ったら、絶対に戦うな」
――彼女のことを話す必要があるのだから。
「くもいさくら? 何だよそいつ」
「何者なんですか?」
「……そんなに強いのか」
「桜ってことは……女の子かなあ?」
織姫だけは少しずれたコメントだったが、概ね予想通りの反応だ。
「桜ではない。良き朔の日と書いて朔良、一番隊第四席じゃ。隊の中で上から数えて四番目の実力ということになるが……」
「何だよ、それくらいなら平気じゃねえか。隊長副隊長でもあるまいし……」
「話は最後まで聞かんか一護! 確かに席次そのものは四席じゃが、此奴の強さは副隊長クラスじゃ」
「「「「!」」」」
「しかし此奴の場合、重要なのは強さではない。霊圧を察知する能力が恐ろしく高いのじゃ」
「それなら僕も自信ありますけど……」
「レベルが違う」
「なっ!?」
ガーン、とショックを受けている石田に付き合っている暇はない。
「一度直接会った相手は二度と忘れん。そして集中し時間を掛ければ、瀞霊廷の全域近くまで探知の範囲を広げることもできる。無論、殺気石で覆われた場所や霊圧を封じられている者は感じ取れんがの。それでも瀞霊廷で霊圧知覚において、此奴の右に出る者は居らん」
この言葉には、流石に感じるものがあったらしい。全員の顔つきが変わった。
「おまけに瞬歩と鬼道の達人で、頭の回転も速い。遭遇したならば間違いなく逃げられん。勝てるかどうかも判らん。じゃから逃げるな、戦うな」
戦って欲しくないという思いもあるが、言ったことは事実。そして対策はひとつだけ。
「戦わず……儂と喜助の名を出せ。少なくとも殺されはせん」
彼女の中に、まだ自分達が居るのなら。
「え……知り合いなんですか?」
「……まあのう。もしかすると見逃してくれるやもしれんな」
「何だよそんな奴がいんなら最初から……いでえ!」
「ウルセーぞ岩鷲。ま、大丈夫だとは思うが、それでも駄目だったら俺の名前も出して構わねえ。あいつならそれで察してくれるだろ」
「空鶴さんも知ってるのかよ?」
「ああ。藍色の髪と眼、それに両腕の手首から肘までに巻きつけた白い布が特徴的だ。背は低いが、誰が見てもとびっきりの可愛い娘だぜ」
……一見さっぱりしているが、その実空鶴も朔良を可愛がっていたりするのが明るみに出た。
「とにかく、そういうわけじゃ。雲居朔良の力は侵入する側からすると厄介過ぎる。無駄な力は浪費するな」
「でもよー、パパっと片付けちまえば……」
「……何か、言ったか?」
「…………いえ、何も言ってません……」
不用意な発言をした一護を今度は殺気を込めて睨みつけてやれば、あっさり引いた。他愛ない。
「よし!」
空鶴が塔にも見える巨大な花火台“花鶴大砲”を拳で叩けば、渦を巻くように穴が――入り口が開いた。
「中に入れてめえら! 始めるぞ!」
――すとん、と屋根に着地する。
霊子の砲弾が溶けてバラバラに飛ばされたが、どうにか全員瀞霊廷に突入はできた。夜一は一人になってしまったものの、隠密行動をするならこちらの方が好都合かもしれない。
……朔良に会うなら、特に。
(もう察しておるじゃろうな……)
“花鶴大砲”を彼女が知らぬ訳もない。であれば夜一や喜助が関わっていることも、霊圧を探って誰がこちらに来ているのかも判る筈。自分も霊圧を消せるが、彼女の知覚精度はそれ以上と聞いている。
厳密には少し違うそうだが……今はいい。とにかく皆と合流することが先決である。
それに藍染達のこともある。
一護達には一切明かしていないけれど、ルキアの処刑に藍染達が絡んでいるのはほぼ間違いない。喜助のお墨付きだ。
(……まったく性質が悪いのう)
自分も、そして喜助も。重大な秘密は何ひとつとして教えず、まだ十代半ばの少年少女を戦地へ送ったのだから。しかも多少力をつけただけの人間達。一護は血筋的にも恐ろしい才を秘めてはいるが、それでもあくまで人間の子どもだ。
(じゃが、だからこそ)
自分が付いてきたのである。護る為、鍛える為、そして死なせない為に。
……それにしてももう騒動が広まっているようだ。
騒いでいるのは主に十一番隊だろう。あそこは喧嘩に命を掛けた、血の気の多い連中の集まりだから。
それに。
「……更木の霊圧を感じる。奴が動いておるのか」
石田と織姫――特に石田は状況が見える。チャドもあれで冷静だ。岩鷲はきっと戦う相手を選ぶ。
問題は一護。自信があるのは悪いことではないのだが相手の力量が見えない傾向がある。やはり少々心配だ。そして突入メンバーの中で夜一を除けば一番強い。更木剣八に狙われるのは彼に違いない。
「……一護、気を付けろ」
愛弟子の協力を受けるまで、あと少し。