偽から出た真   作:白雪桜

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第四十六話 閑話~頑固な主と魂の誓い

 ずっと傍で見ていた“自分”だからこそ判る。

 “雲居朔良”と名付けられた“この人”は、強くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 ――夜の帳が下りた頃。西流魂街へ足を運んだ“この人”は、天に向かって立つ巨大な砲台の前に座る人物の背に声をかけた。

 

「……こんばんは、(くー)さん」

「……おう。そろそろ来ると思ってたぜ」

 

 手酌で一人酒を飲む、男勝りなその女性の名は志波空鶴。朔良の恩人である志波海燕の実妹だ。朔良が四楓院夜一に拾われた頃から今でも交流が続いている。ちなみにもう一人志波岩鷲という弟も居るがまだ幼く、会ったことはほとんどない。

 しかしその兄海燕が殉職した“雨の日”から幾日。

 “この人”――朔良が、此処志波の屋敷を訪れるのは初めてだった。

 

「……ご無沙汰です」

「前置きは要らねえぜ。浮竹から全部聞いてる」

「……今回のことは、本当に」

「詫びも要らねえ」

 

 謝罪を切るように遮った空鶴に、“この人”は俯き加減だった顔を上げた。

 

「空さん……?」

「オメーに謝られる筋合いはねえ」

「……でも、海燕さんを斬ったのは私の……直属の部下です」

「オメーはその場に居なかったんだろ。居たのは浮竹で、オメーも含めた全員の上官だ。もうアイツから上官(うえ)としての詫びはもらってんだ。だから要らねえ。欲しいとすりゃ……」

 

 そこで彼女が口を噤んだのは“この人”を思ってのことだろう。海燕を斬ったのは朽木ルキア。その本人から謝罪の言葉が欲しいと思うのは身内として当然で、しかし面と向かって“この人”にぶつけられる訳も無い。朔良にとってルキアは部下であると同時に、最愛の想い人の妹なのだから。

 

「……ありがとうございます」

「いや……それとお前、もうここへは来ねえ方がいいぜ」

「え?」

「岩鷲のことは知ってんだろ。アイツ、すっかり死神嫌いになっちまった。何せ血塗れの兄貴を連れてきた死神を最初に見たのがアイツだったからな」

 

 その際、ルキアは「自分が殺した」と言ったらしい。それはトラウマと言うか、恨まれても仕方ないかもしれない。幼いなら尚更に。

 ここに来て岩鷲に会えば辛い目に遭う、空鶴はそう言っているのだろう。

 

「……偶には来ますよ。海燕さんのことは関係なく、空さんに会いに」

「朔良、あのなあ……」

「岩鷲くんが居ない時を見計らって」

 

 “この人”の霊圧知覚は護廷隊一。

 

「……勝手にしやがれ」

「……すみません」

「謝るんじゃねえ」

 

 空鶴の声がほっとしているように聞こえるのは、きっと気のせいではないだろう。

 

 長居するのも悪いと踵を返した朔良に、彼女が最後の声を掛けた。……いや、声を掛けたとは言えない。

 

「こいつは俺の独り言だ。もし兄貴を殺した奴から直接詫びが聞けたなら、全部チャラにする。俺はそう決めてる」

 

 これはあくまで、大きな“独り言”なのだから。

 

 

 

 * * * 

 

 

 

 ――後日、十三番隊鬼道演習場。

 

「破道の三十三、『蒼火堕』!」

 

 遠く離れた的を狙って鬼道を放つのは朔良――

 

「……駄目だ、霊力がまだまだ安定していない」

 

 ――の部下、ルキア。

 詠唱破棄の特訓中だ。

 

「集中が足りていないな。気になることでもあるのか?」

「……いえ……そのようなことは……」

 

 “自分”から見ても足りないように感じる。理由は言わずもがな。

 

「……海燕さんのことをまだ引きずっているんだな。当然と言えば当然か」

 

 ……まさか“この人”がここまではっきり口にするとは予想外だったが。

 

「気にするな、なんて気休めを言うつもりはない。理由がどうあれ、きみがあの人を手に掛けたのは事実だからね」

 

 一瞬で真っ青になってしまったルキアは固まったまま、ただ“この人”の話を聞いて……否、聞くしかできないようだ。

 

「けどそれを、きみも含めて助けられなかったのは私と隊長だ。私達にきみを責める権利はないし、そのつもりもない」

 

 猫を思わせる形の紫紺の双眸が大きく見開かれる。

 

「自分を無理に許す必要はない。そう思える時が来るまで、抱えていていい。でも覚えておいてくれ」

 

 ルキアが望んでいる言葉が“この人”に判ったのは、きっと。

 

「その重荷はきみ一人で抱えているんじゃない。私も隊長も、みんな一緒だ。悲しい気持ちも苦しい気持ちも、抱え込まずにちゃんと分けるように」

 

 そうでき(分けられ)ない大き過ぎる重荷を、自分自身が背負っているが故なのだろう。

 

 

 

 * * * 

 

 

 

 ――技術開発局、局長室。

 

「マユリさーん。居ますかー?」

 

 十二番隊と技局のトップである涅マユリに対してこんな軽い話し方ができるのは、現隊長格を除けばほとんどいない。それこそ“この人”朔良と“あの夜”に尸魂界を追われた何人かくらいだ。

 

「なんだ雲居かネ……。一体何の用だネ。私は忙しいんだヨ。被検体か研究材料になるつもりがないならさっさと出て行ってくれたまえヨ」

「いえ、先日お渡しした特殊な虚のデータ、どうなったかと思いまして」

 

 危険な台詞をあっさり流せて本題を切り出せるのは、付き合いの長さと朔良自身の性格故だろう。

 そう、本題とは“雨の日”に海燕を乗っ取った、あの虚の調査である。何も無いよりは、そしてせめて何か成果をと、“この人”はあの場に残っていた彼の血を持ち返り、マユリに頼んでいたのだ。

 

「ふん、あの程度の血液サンプルでそう大したことは判り得ないネ」

「そうですか、あれだけあっても何も判らないんですか」

「何もとは言っていないヨ! 私にかかればその程度造作も無い!」

「じゃあ判ったこと教えてください」

「珍しい虚のサンプル提供には感謝するが、そこまで君に教える義理はないネ」

「それは残念ですね。せっかく夕様と話し合って引き出してきた十三隊への援助資金を十二番隊にお譲りしようと思っていたのですが……まあ四楓院家からすれば(・・・・・・・・・)微々たる額ですしね。要らないのであれば仕方ありません、やはりこれは我が十三番隊に」

「何でも聞いてくれたまえヨ!」

 

 “微々たる額”も“四楓院家からすれば”が付けばお金が欲しい人にはかなり効果的。

 そして技術開発局は研究・実験の為に資金は幾らあっても足りないことを、伊達に長く付き合ってきている訳ではない朔良はよくご存じだ。

 

 

 

 * * * 

 

 

 

「阿近くん」

「あ、お疲れ様っす朔良さん」

 

 マユリを訪ねたその足で、“この人”は技局内に居るもう一人の昔馴染みの所へ顔を出した。

 

「何の用っすか?」

「用事があるって判るのか」

「あんたが俺訪ねてくるって言ったら何かある時でしょーよ」

「そうだっけ?」

「そうっすよ」

「まあいいや。相談なんだが、霊圧や霊力を制限する器具は作れるか?」

 

 ……その言い方は流石に唐突過ぎると思う。

 ぽかんと阿呆みたいに口を開けた阿近を責めることはできない。

 

「………………は?」

「ほら、剣八さんは眼帯をしてるだろう? まああの眼帯(アレ)は化け物だけどな。あそこまで強力じゃなくて、ある程度抑えられる物が欲しいんだ」

 

 朔良が少し説明を付け加えると、彼もようやく我に返ったらしい。

 

「あー……限定霊印みたいにっすか?」

「そんな感じだ」

「……一体何を企んでるんです?」

「企むだなんて人聞きの悪い」

「だってそうじゃないっすか。更木隊長じゃあるまいし……あんたにそんなもの必要ないでしょう。理由は何です?」

「あ、知りたい? よしよし判った。そこまでの覚悟があるなら是非とも教えて」

「やっぱいいです」

「え、知りたくないのか? 遠慮しなくていいぞ」

「結構です。えげつないあんたが言うとやばそうっすから」

 

 ……いい勘をしている。と言うか何気に的を射ている。

 がしかし、とにかく作る気にはなったようで、彼はメモ用紙を取り出した。

 

「で、どういう形がいいとかあります?」

「着物の上から隠せて目立たないのが……ああ、二の腕辺りに嵌められる腕輪なんかがいいな」

「了解です。霊圧と霊力の高さはどのくらいに抑えるのが希望っすか?」

「三、四席程度が妥当かな」

「……あんた、今六席っすよね」

「うん」

「……どれだけあるんですか」

 

 その疑問兼つっこみは正しい。

 それにも“この人”はペースを崩すことなくさらりと答える。

 

「百聞は一見に如かずだろう?」

「……それもそうっすね。今から始めます?」

「早い方がいいからな」

「判りました。それじゃ調べるんでこっちの部屋来て下さい」

 

 ……この後朔良が霊圧測定の為の部屋を大きく揺らすこととなり阿近を驚かせたのは別の話なのだが。

 測定用と言うだけあって、部屋は壊れず外にも霊圧が漏れなかったのは見事だと思った。

 

 

 

 * * * 

 

 

 

 ――あっという間に時は飛ぶ。

 

「お話とは何でしょうか十兄様」

 

 兄妹弟子二人が雨乾堂にて、真面目な顔で膝を突き合わせている。

 朔良を始め浮竹等が、十三番隊に彼等――海燕や都等が居ないことが自然となり、しばらく経つ。それはつまり、慣れてしまうだけの時間があの“雨の日”から経ってしまったということでもあり。呼び出された理由には、“この人”にも“自分”にも心当たりがあった。

 

「……朔良」

「はい」

「もう半年以上過ぎた」

「……はい」

「三席は清音と仙太郎を一緒に上げることで埋まった。だがまだ副隊長、四席、五席が空いている」

 

 予想通りの話題である。朔良の顔が更に引き締まった。

 

「俺が二人だけを昇進させて、お前を何故動かさずにいたか判るか? はっきり言ってあの二人より強いにも拘わらず。……いや、お前のことだからきっと察しは付いている筈だ」

「…………」

「海燕の存在は大きかったからな、すぐに勧めることはできなかった。だがもういい頃だろう」

 

 同じ“この人”の兄弟子である京楽の溺愛ぶりと並ぶとどうも霞みがちではあるが、浮竹の気遣いは彼以上のものがある。ずっと傍に居た“自分”がそう感じるのだから間違いない。

 この“推薦”の時期も、配慮の上でのことなのだろう。

 

「……朔良」

 

 真摯な瞳は本当に真っ直ぐで。

 続く言葉も、想像できる。

 

「十三番隊の副隊長に、俺の副官になって欲しい。海燕の後を継いでくれないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

『頑固ですね、貴女も』

「それは何を指してだ?」

 

 “自分”の発言に“この人”は飄々と返す。

 

 はらはらと舞い散る大きな一本桜の太い枝に腰掛け、組んだ脚の上で頬杖を突く朔良。その様を地から見上げながら、言葉を繋げた。

 

『どれもこれも、ですよ』

「ほう、例えば?」

『志波空鶴の言葉に甘えればよろしいのに。志波岩鷲に会ったら嫌われますよ』

「言ったろ、会わないようにするさ」

『朽木ルキアも、朽木緋真の実妹だからと気に掛け過ぎです』

「部下を可愛がって何が悪い」

『そもそも涅マユリに頼んだ霊子調査は貴女がすべきことではないでしょう』

「私が知りたいからやった、それだけだ」

『霊圧制御の器具は必要なのですか?』

「必要だから頼んだんだよ」

『……副隊長昇進のことも、です』

 

 明後日の方向を向いていた“この人”は、そこで漸くこちらを見た。一見すると無表情だが、藍色の――“自分”が模する瞳には確かな感情が在る。

 

「判ってたんじゃないのか?」

 

 そう、“この人”が副隊長昇進の話を受け入れないだろうことは、“自分”には判っていた。

 

 

 “申し訳ありません、お断り致します”

 

 

 朔良がはっきりと告げた時、浮竹は僅かな驚きと落胆と、思った通りと言いたげな反応を見せた。

 

『貴女が受けないこと、予想していましたね』

「まあこれまでも散々辞退してきたからな。少なくとも今は三席以上になるつもりはない」

『だからもう一つの話は受けたのですね』

「うん、まあ……」

 

 

 “なら……一番隊の四席はどうだ?”

 

 

 ……浮竹のこの台詞には流石に驚いた。不覚だけれど。

 

「……まさか重爺様が私を一番隊に寄越せと言うなんて思わなかった」

『師弟であることを考えると順当かもしれませんが、些か突然でしたね』

「でも流石だよ。一番隊なら長次郎様が副隊長。沖牙三席だって凄い古参の方だから降ろせないし、そのまま昇進することはあり得ない。重爺様、私が三席以上にはなりたくないってことも察してくれたんだな。理由も知らないのに」

 

 理由は、藍染達が居るから。

 立場が上がれば上がるほど隊長である彼らと会う機会は多くなる。必要以上の接触は避けたいところだ。

 それに何かしら大きな事件が起こった時、副隊長は案外自由に動けないのだ。隊長の身辺警護か、逆に代理で隊を任されることもある。三席も同様で、隊長、副隊長が不在の場合は隊の指揮を一任される。だが四席以下ならばその役目が回ってくることはまずない。

 

 藍染達の正体が明かされた時、必ず混乱が起こる。そして今、尸魂界で彼等の真実を知っているのは“この人”と“自分”だけ。その際に単独で動けなくなっては困ると朔良は考えているのだ。

 

「理解していたつもりだったけど甘かった。今回のことで改めて痛感したよ。あの男を相手取るのに、警戒し過ぎてもし過ぎることはない」

 

 だから徹底することにしたのだろう。霊圧制御もその一環、本来の実力を隠す為のもの。藍染達に対してだけではない。死神の世界は実力主義、そこに霊圧の大きさは深く関わってくる。何故三席以上の地位に就かないのか、他の死神達から怪しまれる要素を少しでも削る意味もある。

 

『と言うか、何故(なにゆえ)阿近に? 涅マユリでは?』

「マユリさんへ安全に(・・・)頼みごとをするための手札は取っておいた方がいい。それにあの人はうっかり口滑らしそうだけど、阿近くんなら絶対言わないだろうし。今回の場合なら調査はより詳しく知りたいからマユリさん、器具は秘密を守って欲しいから阿近くんがいいと判断したまでさ」

 

 確かに、マユリでは見返りに何を求められるか判ったものではない。如何に四楓院家が大金持ちと言えど、当主補佐である朔良が私事でそうそう金を浪費していい訳もない。どんなに夕四郎が“この人”を信頼していたとしても……いや、だからこそだ。

 

「いざという時力になってもらいたいからな。いつ何が起こるか……」

 

 ――ふと、思う。

 

『強くなりましたね』

「……は?」

 

 いきなり何だと疑問顔の“この人”、笑顔の“自分”。――違う表情の同じ、顔。

 

『そうではありませんか。六十年前の“あの夜”から何日かは、目も当てられない程の追い込まれようでしたのに』

「……おい、酷いぞ」

『事実でしょう。……ですが』

 

 “自分”の住処でもあるこの世界、“この人”の心を見渡す。

 

 “あの夜”の時。

 大きく立派であった一本桜の木は、自責の念で自ら枯れようとしていた。

 木が立つ小島の周囲に広がる鏡の湖面は、悲嘆に暗く深く黒ずんでいた。

 

 しかし現在(いま)

 木は美しい桜吹雪を散らしている。桜は咲き誇った後、一度散ってからまた次の花を咲かす。風に舞うこの花弁は、“この人”が前に進んでいることに他ならない。

 湖もまた本来の輝きを取り戻した。桜を木を花が舞う様までを鮮明に映し出す。以前よりも澄んだ湖面は、“この人”の心が真っ直ぐに成長したことに他ならない。

 

『“あの夜”の絶望からは他者に支えられ立ち上がりました。しかし“雨の日”は、貴女自身の力で乗り越えています。強くなったと言う以外に何がありましょう』

「……そんな一直線に褒めないでくれよ……」

 

 恋をして。失恋して。親しい人を失って。多くの部下を持って。

 様々な経験が、朔良の心を育てたのだ。

 

「……珠水」

 

 名を呼ばれた。“この人”に――大切な主に。

 

「今、お前に誓わせてくれないか。願掛けでもあるんだが」

『誓い、ですか?』

「ああ。お前は私の魂だから」

 

 自分自身の魂に誓いたい――その望みを断る理由は、無い。

 

『勿論です』

 

 だからそう答えれば、主は嬉しそうに笑ってくれた。きっとどちらも鏡に映ったようにそっくりな表情をしていることだろう。

 ふわりと音もなく木から降り立った朔良は、正面から真っ直ぐこちらを見据えてきた。

 

「珠水、私と一緒にもっと強くなって欲しい」

 

 “強くなりたい”のではなく“一緒に強くなって欲しい”。その言葉がどんなに嬉しいことか。

 

『喜んで』

 

 “自分”の応えに微笑む主。

 ふっと眼を伏せ静かな、しかし力と意志の籠もった声を出した。

 

「一度目……“あの夜”は無力だった」

 

 心が。

 

「二度目……“雨の日”は間に合わなかった」

 

 魂が。

 

「……次は、止める。何があっても」

 

 直に、響く。

 

「涙は……泣くことは大切だ。心を癒す上で必要な時もある。でもそれは敵の前、あるいは他人の前では弱さになることもある。――だから」

 

 その弱さは、この『珠水』が支えよう。

 

「この場で誓う。もう決して人に涙は見せないと」

 

 その涙は、この『珠水』が受け止めよう。

 

「藍染達の真実が白日の下に曝される、その日まで」

 

 いつだって傍に居る。我が愛らしき主の為に。

 

 

 ――私は貴女の斬魄刀なのだから。

 

 

 

 


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