「……ここ、何処だろう」
『朔良』はぽつりと呟いた。
話は早朝に遡る。
「起きてください、夜姉様」
『まねっこ』が四楓院夜一に引き取られてから――『雲居朔良』となってから、十日。『朔良』は隣の布団で寝ているこの屋敷の当主を布団ごとゆさゆさと揺らした。共に過ごして判ったことだが、彼女は朝が弱いらしい。低血圧には見えないというのに、何故だ。
ともあれ、夜一を起こすことは『朔良』の日課になりつつあった。揺さぶっても起きない時は、ぺしぺしと頭を叩く。それでも起きなければ最後の手段、『まねっこ』としての本領を発揮する。
「『コケコッコーー!』」
耳元でニワトリの真似をすれば必ず飛び起きる。ぶつからないようこちらも素早くかわさなければならないのが難点だが。
「おはようございます夜姉様」
「……おはよう。お主……やはりこの起こし方はどうかと思うのじゃが」
「えーでも遅刻しちゃいますよ?」
「昨夜は書類を持って帰って仕上げたのじゃ。少しくらい寝坊させろ」
「でもそれって、急がないといけないお仕事だったからなんですよね。遅れていいんですか?」
「…………」
「夜姉様?」
「……朝飯じゃ。行くぞ、朔良」
いきなり話を変えた夜一に怪訝な顔を向けるものの、お腹も空いていたので貰った着物にさっさと袖を通す。
『朔良』と呼ばれるのにはようやく慣れてきた。屋敷の決まり事も覚え、今はいろいろな作法を学ぶことに奮闘中だ。
朝食の時、夜一は今日はどうするのかと聞いてくる。
「お琴を教えてもらいます。あと、きー兄様から借りた本の続きを読もうかと」
「熱心なことじゃな」
三日前、喜助が時間を見つけて訪ねてくれた時に借りたもの。それは鬼道の本で、詠唱や霊力の編み方などの基本が書かれた初心者用だった。喜助曰く、朔良は見たもの聞いたものを再現する記憶力と表現力は素晴らしいが、それ自体に関しての知識は乏しいとのこと。最低限の知識は付けておくべきだ、とも。
彼の意見を素直に受け入れ、朔良はまず鬼道の勉強を始めたのだ。
「今日は早めに帰ることにするからの、明日また料亭で披露する予定の物真似を見せてくれ」
「はい! 腕によりをかけて磨きます!」
「……使いどころ間違っとる上になんか変じゃぞ」
苦笑し、わしゃわしゃと朔良の頭を撫でてから出かけた夜一。門から手を振って見送った朔良は同じく見送りに来ていた使用人たちにも手を振ってから、本を読む為部屋に戻った。
「……ありゃ?」
文机の上に置いてあった本を手に取ろうとして、その隣にある紙の束に気付いた。じっとそれを見ていたが、綴られている文字にふと思い至ることがあった。これは、もしや。
「昨日夜姉様が仕上げてた書類じゃ……」
そういえば彼女が「終わった終わった」と言った後、そのまま机の上に放置していたような気がする。墨を乾かす為だったのかもしれないが、忘れてしまうとは。『隠密機動』という文字があったのでそれと気付けたものの、どうしたものだろうか。
「うーーーん……」
どうしたものかなどと思いながら、朔良は選択肢が一つしかないことを判っていた。と言うより、他に選択肢があったとしてもそちらを選ぶ気はなかった。
それを実行する為、書類を抱えて女中頭である月代の元へと走っていった。
駄目だと言われたが粘り倒し、二番隊までの道順を教えてもらう。口頭だが記憶するのは得意だ、問題はない。大事な書類なので風呂敷で包んでもらい、両腕でしっかりと抱える。
かくして重要書類を届けるという、初めてのおつかいにしては少々風変わりな仕事を開始した。
最初はよかったのだ。聞いた通りの道順で、教わった通りに角を曲がる。ただ急いで小走りでいた為か、ベタなことに曲がり角で人にぶつかってしまった。
「わっ!」
「ってえな、何処見て歩いてんだこのガキ!」
尻餅をついた所に上から降ってくる罵声。見上げると、死覇装を着た三人のガラの悪そうな男たちに見下ろされていた。
「えと、ごめんなさい。急いでて……」
「それで済むか。何番隊だコラ」
「おいおい熱くなるなよ。まだガキだぜ」
「つーか、こいつ死覇装じゃねえぞ? 死神じゃねえんじゃねえか?」
「あ? じゃあ何だ、どっかの貴族のガキか?」
「瀞霊廷に居るってことはそうだろ」
「はっ、お姫サマかよ」
何やら不穏な空気を感じたので、さっと立ち上がりその場から逃げ出した。絡まれるのはごめんだ。とにかく走り、追ってくる気配がないと判ると歩きに戻って息を吐いた。
はたと気づく。
「……ここ、何処だろう」
そして冒頭に至るわけである。
「うーーー……」
周りを見ても少し歩いてみても壁、壁、壁と、同じような景色ばかり。こう目印がないとどちらから来たのか全く判らない。屋敷に戻ることができればいいのだが、生憎その道も判らない。そのうち書類を忘れたことに気付いた夜一が探しに来てくれるとは思うが、それでは届けに出た意味がない。寧ろ探してもらう分迷惑を掛けてしまう。
(どうしよう)
流石に途方に暮れて右往左往していると、背後から長身の影がかかった。
「何しとるんや、お嬢ちゃん? こないな所で」
同時に降りてきた声にばっと振り返る。逆光でよくは見えないが、背の高い男に見下ろされていることは判った。先程のこともあり思わず後ずさると、その人物の後ろから別の男の声が聞こえた。
「駄目ですよ隊長、そんな風に見下ろしたりしたら。怯えてるじゃありませんか」
「やかましなあ。黙っとけ」
「でもその位置からだと、逆光でその子には隊長の顔見えてないと思うんですが」
「…………」
すると目の前に居た男はしゃがみ込み、目線を合わせてきた。そうしてようやく、朔良は相手の姿を認識することが出来た。
長い金髪、死覇装の上には白い隊長羽織。
「……隊長さん」
「せや。君は何処の隊の子や?」
「隊長、よく見てください。この子死覇装じゃないですよ」
「あ、ホンマや。せやったら何で……貴族の子か?」
「でしょうね。身内に死神が居て、何か用事があって会いに来たのでは?」
「そうなんか?」
話が勝手に進んでいるし若干違うところもあるが、『身内の死神に用がある』というのはあながち間違っていないので頷いておく。
同じ屋根の下で過ごしているとはいえ一度も稽古を付けてもらっていない師を、『身内』と呼んでいいのかどうかは判断しかねるが。
ふと、後ろに居た男が目の前の『隊長』と並ぶように進み出て、朔良と目線を合わせるように腰を折った。隊長と一緒に居るので恐らく副官、茶髪に眼鏡をかけた温和そうな若い男だ。
しかし何処か――
「隊舎の場所は判るかい?」
「え、と……判んなくなっちゃいました……」
「何番隊や?」
「二番隊です」
「何や、そう遠くないやないか。連れてったるわ」
「え」
「おや、珍しいですね。隊長が人助けなんて」
「どういう意味やこら。迷子の女の子ほっといたら後味悪いやろ」
「あの、道教えてくれたら私大丈夫ですから」
「ええからええから。ついてきい」
困惑気味に言った言葉をさらりと流して歩き出した『隊長』に、眼鏡の『副隊長』がついていく。立ち往生している訳にもいかず、躊躇いがちに後を追いかけた。
「着いたで。ここや」
『二』という一文字が書かれた大きな扉。建物はまだ小さい朔良には規格外の大きさだ。
「そう言えば君の家族の名前は? 階級とか判るかい?」
「えーっと……」
考えるよう俯かせた顔に、悪戯っ気のある笑みが浮かぶ。どうせなら面白くしてやれと、朔良の
「『儂じゃ』」
「ん? 夜一?」
きょろきょろとあたりを見回す『隊長』だが、彼女の姿が見えないことに疑問を持ったらしい。副官に訊ねた。
「なあ、今夜一の声せえへんかったか?」
「ええ、確かに聞こえましたが……」
「『ここじゃここ』」
「何や、ここじゃ判らんわ。姿見せいや」
「一体何処に隠れておいでですか?」
「『ここじゃと言うとる』」
「せやから――」
「『ここじゃっ!』」
少し声を張り上げれば、二人はぴたりと動きを止めた。こちらを見下ろしてくる驚いた目が面白い。
「……えーと……なあ、惣右介。聞き間違いか? それとも俺は目か耳でもおかしゅうなったんか?」
「……そのどれでもないと思います。僕も同じですから」
「……せやったらどないしてこの子の口から夜一の声が聞こえるんや!?」
予想以上の反応にくすくすと笑う。やはり誰かの驚く顔を見るのは面白い。しかしあからさまに混乱している『隊長』と違い、『副隊長』は呆気に取られてはいるものの何事か考えているような表情だ。それが何となく不満だったので、もう一捻りしようかと口を開く。
バンッ
「あ」
「……やはりお主か」
朔良の口より先に隊舎の門が開いた。仁王立ちで呆れたような声を出しながら見下ろしてくるのは。
「夜姉様!」
「霊圧を感じたからよもやと思ったが……何をやっとるんじゃ、朔良」
言われて思い出す。すっかり忘れていた。にぱ、と笑って風呂敷に包んだ書類を差し出した。
「忘れ物です!」
「うん? 何じゃ……っておお!?」
「……もしかして今気付いたんですか?」
包みを開いてやたらと驚いているので、まさかと思い訊ねてみた。夜一が屋敷を出てから結構時間が経っていて、忘れたことに気付いた彼女と入れ違いになるのではとひやひやしていたくらいなのだが。夜一は一瞬固まったものの問いには答えず、屈み込んで朔良の頭を撫でた。
「わざわざすまんのう。ご褒美に後で甘味を食わせてやろうな」
「ホントですか!? 嬉しいっ」
「しかし何故平子、藍染と一緒なんじゃ? 屋敷の者が居らんということは一人で来たのじゃろ?」
「はいっ。道は覚えていたのですが途中で変な人たちに絡まれてしまい、走って逃げて迷ったところをこちらのおふたりに助けてもらいましたっ」
「そうか。すまんのお主ら。世話になった」
そう言った夜一に促され一緒に隊舎に入ろうとすると、彼女の登場から呆けていた『隊長』が素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ、ちょちょちょちょお待て夜一! いくつかツッコませろや! オマエ妹おったんか!?」
「ん? 朔良は妹ではないぞ。この前流魂街から拾って来たんじゃ」
「は……?」
「四楓院隊長、ひょっとしてその子は今噂になっている『まねっこ』ですか?」
「お、よく知っとるの藍染。何故判ったんじゃ?」
「いえ、四楓院隊長と全く同じ声を出していたものですから」
「……お主、何を言った?」
「え? えーと……てへっ」
ぺろりと舌を出し自分の頭を自分の拳でこつんと叩いてみせると、夜一はあからさまに溜息をついた。
会話について来れていないのは一名。
「どういうことや。何やその『まねっこ』言うんは」
「平子、お主知らんのか? 『まねっこ』は今話題の芸達者じゃ。他人の声や口調を完璧に模倣し、自分で言葉や会話を作ってしまう。姿を見なければ本人と間違えてしまうほどにの。流魂街から瀞霊廷にまで広まっとる噂じゃぞ」
「そう言う夜姉様も観に来るまでしらなかったんですよね。きー兄様にひっぱられてきて」
「……ま、まあさておきじゃ」
コホン、とばつが悪そうに咳払いをした夜一は、平子、藍染と呼んだ二人に向き直る。
「こやつは『まねっこ』こと雲居朔良。さっきも言ったが儂が引き取って面倒を見ておる」
「雲居朔良ですっ。おふたりのお名前をうかがってもいいですかっ?」
「あ、ああ、俺は平子真子。五番隊隊長や」
「同じく副隊長の藍染惣右介。よろしく朔良ちゃん」
「よろしくお願いします! 明日舞台もあるのでぜひ観にきてくださいっ!」
「こら、何売り込んどる。商魂は変わらんのう」
呆れたような台詞とは裏腹に、夜一の表情はとても楽しげだ。それが何だか嬉しくて、笑みが収まらない。
にこにこしていると、ひょいと肩に乗せられた。
「まあ、少々変わったところはあるが良い子じゃ。護廷で会ったら仲良くしてやってくれ」
そのまま彼女が踵を返したので、朔良は身体を捻り「バイバイ」と肩越しに手を振る。
二人とも振り返してくれたが、扉が閉まる直前平子の
「……護廷?」
という疑問の呟きが聞こえた。……ような気がする。
白雪桜です。連日投稿に成功しましたー。