――朽木の、家。
雲居朔良は呆れと怒りが半々といった表情で、幼馴染みの男と膝を突き合わせていた。
「……あのさぁ白哉、私お前に言ったよね? 結婚する前」
「…………」
「想い人に他の女の話してどうするんだよって」
「……しかし」
「お前が口下手で女性との会話に不得手なのは知ってるよ。自覚があるのはいいことだ。けどあれからどれだけ経ったと思ってるんだ? まだ判ってないのかお前は」
「…………」
「あの、朔良さん。もうそれくらいで。それに私、朔良さんのお話を聞くのは大好きですから」
「……はあ。ほんと、きみはできた妻だよ緋真」
出たのは溜め息。廊下から室内を窺っていた彼女を呼ぶ。
「そこ冷えるだろ、入りなよ」
「では失礼しまして」
にこりと微笑む友人はとても綺麗だ。
――そう、友人。
緋真と出会ってから既に一年が経過していた。
発端は、白哉と緋真が結ばれてひと月も経たない頃だった。
「白哉、まだ帰ってないの?」
彼が式を挙げて以来遠のいていた朽木邸に、いつまでも顔を出さないのもどうだろうかと訪ねた仕事帰り。当主となった彼の不在を告げられた。
「はい。どうもお忙しいようで」
「新婚のくせに何考えてるんだか。じゃあ緋真さんは?」
「奥方様は外出中でいらっしゃいます」
「え、身体弱いって言ってなかったかい? 誰か付けてるの?」
「いえ、お一人で。いつも頑なに拒まれて……」
「は? 駄目だろうそれは。……って、いつも? 行き先は?」
「その……流魂街へ……」
「はああ!? もっと駄目だろ! 危ないじゃないか! まったく……どの方角なんだ?」
「南ですが……朔良お嬢様どちらへ!?」
「南流魂街だ。知った以上放っておけないよ」
緋真にとっては余計なお節介かもしれない。それに最近までその流魂街に居たのだから、どんな場所かは熟知しているだろう。が、何かあれば白哉が悲しむに決まっている訳で。
(私も大概お人好しだよね……)
何はともあれ瞬歩を駆使し朱洼門を通り、やってきた南流魂街。
緋真にも弱いながら霊圧がある。一度目を閉じ、自他共に認める高い霊圧感知能力で探していく。
(……見つけた。けど、結構距離あるな……)
朔良にしてみれば大した距離ではないが、瞬歩もできない女性が歩いていくには少々遠そうだ。
思えば何故彼女が流魂街に足を向けたのか、理由も知らない。とにかく行ってみるしかないだろう。得意の瞬歩で一気に近付く。
「……っと、居た」
上品で落ち着いた色合いの着物を纏った後ろ姿。建物に寄り掛かっている所を見ると、具合でも悪くなったのだろうか。取り敢えず背後ではなく横から近付く。
「緋真さん」
「……え、朔良様……!? どうしてここに……?」
「ああゴメン、驚かせるつもりはなかったんだけど。朽木家を訪ねたら、きみが南流魂街に行ってるって聞いたんだ。気分、悪いのかい?」
「いえ……大丈夫です」
そうは言いつつも緋真の顔色は芳しくない。背中に右手を添え、左手を彼女の胸の前にかざして掌に霊圧を込めた。
「! あの、朔良様……?」
「四番隊は補給・救護専門。私はその隊に四十年以上在籍していたんだ。しかも上級の方。白哉から聞かなかったかい?」
「それは……存じておりますが」
「じゃあ隠すなよ。調子が悪いなら悪いって言えばいい」
「ですが、貴女はもう四番隊の方ではないのでは?」
「……それも、白哉から?」
「? はい」
「(何考えてるんだあいつは……)……だからと言って能力が消えるわけでもなし、目の前に居る病人を放っておけるわけでもなし。異動したのは本当につい最近だからね、衰えてることもない」
治癒鬼道で少しは楽になったらしく、顔色も良くなった。白哉にはまた忠告してやらねばと思いつつ、周囲を見回す。
「しかし、何でまた流魂街に? 聞いた限りだと初めてじゃないみたいだけど」
「ええ、その……探しているのです」
「探す? 何を?」
当然の疑問の筈なのだが、問えば緋真の表情が何処か遠くを見るような切なげなものへと変わった。まずいことを訊いたかと、言いたくないなら言わなくていいと告げる前に、ぽつりと。
「……妹を」
――やはり下手に訊ねるべきことではなかったように思う。
「……ゴメン、悪いこと訊いたね」
「いいえ、そのようなことはありませんよ。朔良様ですし」
「私?」
「白哉様がとても信頼なさっているご友人なのでしょう?」
……まあ確かにそうなのだが。
「そう言ってくれると助かるけどね……。取り敢えず屋敷に戻ろうか。もうすぐ白哉も帰ってくるだろうし」
「ですが……」
「事情はよく判らない。でも調子もあまり良くはないんだろ? 白哉の奴を心配させないであげてくれ」
そう言ってやれば、少々の逡巡の後こくりと頷いてくれた。ほっとして彼女の前に背中を向けてしゃがみ込む。
「? あの……」
「背負っていく。乗って」
「え」
「歩いて行かせるワケにもいかないよ。大丈夫、私見た目ほど非力じゃないからさ」
これまた先ほどより長い逡巡の後に了承してくれた彼女を背負い、朔良は少し遅めの瞬歩で朽木邸へと走ったのだった。
――そう、それがきっかけ。
“私のことは「朔良」でいいよ”
“では、「朔良さん」と”
“ん、まあいいか”
“私のことも、どうか「緋真」とお呼びくださいませ”
“判った。改めてよろしく、緋真”
白哉への想いが、消えて無くなったわけではない。
“桜がお好きなのですか?”
“一番はね。緋真は?”
“桜も好きですが……私は、梅の方が好きです”
“良いじゃないか”
これまでの彼との関係を壊したくない、そんな思いもあった。
“あいつの好みの味なら、こっち使った方がいいね”
“そうなのですか?”
“うん、白哉は辛党だから。で、辛味をより美味しく引き出すのが……”
“ああ成る程!”
けれどそのこと自体は関係なく――
“ありがとうございます、朔良さん”
――緋真という人物に惹かれたのだ。
「……じゃあ、そろそろ私はお暇するよ」
「もう帰ってしまわれるのですか?」
「うん。折角の白哉の非番、夫婦水入らずで過ごしなよ」
「まあ……そのような……」
「何今更照れてるのさ……」
やれやれと肩を竦める。
緋真はとても大人しく淑やかな女性だ。それでいて芯は強く、どこか気品のようなものも漂っている。流魂街出身と聞かなければ良家の子女かと思うくらいで、人当たりも良く聞き上手。元より緋真に対してそう悪い印象を抱いていなかった朔良だが、同性の自分ですら素敵な女性だと感じたのだ。知れば知るほど白哉が惚れたのも判る気がした。そして同時に、良き友になれるとも。
「でしたらお見送りします」
「聞いてなかったの? 二人で居なって」
「けれど……」
「よい、緋真。私が見送る。お前はここで少し待っていろ」
「おい白哉、お前まで……」
「仕事のことで相談がある」
「……まったく、仕方ないな。また来るよ緋真」
「お気を付けてお帰り下さいませ」
白哉と並んで退室し、いくつかの部屋の前を過ぎた辺りで口を開いた。
「相談って、隊首試験のことか?」
「……話が早いな」
「銀嶺爺様から聞いた。そろそろ受けるんだろ」
「ああ。随分と延びてしまったが」
「それは仕方ないさ。朽木家当主就任と、緋真との結婚の時期が近かったんだから。落ち着くまではって銀嶺爺様に延ばしてもらってたんじゃないか」
瀞霊廷ではただでさえ注目を浴びやすい大貴族。新当主就任、そして結婚などがあれば貴族間では大騒ぎになるわけで。しかも奥方になるのは流魂街出身の女性だ。四大貴族とはいえ、いや四大貴族だからこそ、周りの貴族達に白い目で見られることも少なくない。無論、朽木の関係者達からも。
「その件では世話になった」
「大したことはしてないよ」
「いや、あれは助かった」
白哉を始め銀嶺や蒼純ともずっと付き合ってきた朔良は、朽木家の臣下や使用人達からも信頼を得ていたりする。そしてその“発言力”は、当主である白哉をも
“ふぅん……当主の決定に逆らうなんて、皆さんは案外命知らずなんですね?”
――猛反対するその場に乗り込んでとても端的な“正論の刃”と鮮やかな笑顔、ついでに殺気を滲ませた霊圧とで反対する家の者達を黙らせたのだ。
本来発言の権利もない朔良だが、実力はあり人望も厚い。そして人とは都合の悪い正論を突き付けられると、口を閉ざすか濁らせるかする生き物である。そういう意味では、口下手な白哉より朔良の方が上だった。
緋真を初めて流魂街へ迎えに行ってからはちょくちょく朽木家に顔を出し、彼女の相手をしている。同じ流魂街出身、それでいて幼少期から大貴族の中で育った朔良だ、教えられることは多いし相談役にはうってつけ。そういう意味では誰より緋真の心情を理解できる者かもしれない。
「お前には感謝している。おかげであれも朽木家に馴染み、身体の調子もさほど悪くない」
「そんなことないよ。結局の所、頑張ったのは緋真自身だ」
「それでも、礼を言う」
「あーはいはい。話ずれてるよ」
脱線してきた為修正を計る。彼も気付いたようで一つ頷き再開させる。
「隊首試験を受け合格すれば、私は隊長に就任する。今よりも多忙になるだろう」
「まあそうだろうね」
「なれば、今より緋真と共に居られる時間が減ることは間違いない」
「そりゃ最初はね」
「お前にはその分あれに……気を配ってやってもらいたいのだが……」
ほんの少し、目を見開く。つまり自分の代わりに今以上に気を回して欲しい、ということ。
「何馬鹿言ってるんだよ。お前ってそういうトコほんっと馬鹿だな。馬鹿白哉だ馬鹿白哉」
「…………」
「そんな当たり前のこと、わざわざ頼むなよ。言われるまでもないだろ」
意外だったのか、今度は白哉の方が少し目を見開いた。恐る恐る――親しい者にしか判らないような調子だが――聞き返してくる。
「……よいのか?」
「何を今更。ここまで巻き込んでおいてよく言うよ」
「それは……」
「いいか? 私とお前は幼馴染み、私と緋真は友達。困ってたら助けるのは当然のことだ。私達の付き合いじゃないか、ちゃんと世話焼かせなよ。……妹さんのこともね」
緋真の実の妹。棄てて逃げたと、今は悔いて探しているのだと聞いたのは、二度目に彼女を迎えに行った時。以来、朔良も手を貸し、可能な限りは共に流魂街へ出向いて探していた。
「……済まぬ」
「謝るな馬鹿」
「……礼を言う」
「……ま、謝られるよりいいか」
「……朔良」
「ん?」
「……五度も馬鹿と言わなくとも……」
「何だ数えてたのか」
けらけらと笑ってやれば、目に見えてがっくりと――親しい者にしか(以下略)――肩を落とした。
「じゃあね白哉」
「いつでも来い」
そうこうしている内に玄関へ辿り着いていた。見上げると首が痛くなるほど巨大な門をくぐり歩いていく。
――長い道を進みようやく角を曲がった辺りで、足を止めた。
「……そこで何をなさっておいでですか?」
何処へともなく、声をかける。それで充分。
「……気ぃ付いてたん? 流石やね朔良ちゃん」
振り向けば、朽木邸とは反対側の角向こうからゆらりと現れる人影がある。
「市ま――」
「ギンでええて、言うとるやろ」
現五番隊副隊長市丸ギン。朔良にとっては藍染に次いで警戒しなくてはならない相手であり、表面上の友だ。
「……何故貴方がこのような場所に?」
「いややなあ、友達の様子くらい見に来てもええやないの」
「覗き見ですか。あまりいい趣味とは思えませんね」
「酷い言われようやね。ボクは君のこと心配しとるんに」
「その言葉が何処まで真実なのか測りかねますが」
実際の所、朔良はギンのことを心底嫌っている訳ではない。友としての親しみがあるからこそ、許せないと思うだけで。しかし同時にとても、正直なことを言えば藍染以上にやりにくい。常に仮面を被って接してくる藍染とは違い、ギンは時折素に近いと思われる表情を見せる。それがもっとやりにくくさせているのだ。
「緋真さんいうたっけ? 六番隊副隊長さんの奥さん」
「……貴方には関係ありません」
「そないな冷たいこと言わんといてや。君の大事なお友達なんやろ?」
「……それが何ですか」
相変わらず掴めない表情。思えば、初めて店で会った時からそうだった。
「いやなーに……君も大概お人好しや思うてなあ」
「お人好し?」
何を考えているのかまるで読めない。
「好きな男の恋、進んで応援できる
こうやって“近付いてくる”目的が何なのか、全く判らないのだ。
「まして結婚した後も色々協力する
「何を仰りたいのですか」
――だからと言って、呑まれる訳にはいかない。判らないなら判らないなりに立ち向かう。自分は“独り”なのだから。
「そこまで必死になる必要、あるん?」
「意味が判りませんね。私は彼女と友達になりたいと思ったから友達になった。力になりたいと思ったから力になった。それではいけないのですか」
「そうは言うてへんけど……」
「けど、何ですか? お話がそれだけでしたら失礼します。この後予定がありますので」
くるりと背を向け歩き出す――聞こえた言の葉にぴたりと止まってしまった。
「そないな綺麗な藍色の髪、切ってしもうて。いくらか伸びたけど勿体ないわ」
――髪。思わず手をやる。
そう、ずっと伸ばしていた長い髪を、白哉と緋真が結婚した翌日にばっさり切り落としたのだ。何をベタな、馬鹿なことをと言われても、これは朔良にとって一種のけじめであった。
腰近くまであった髪は肩にかからないほど短くなり、一年経った今ようやく再び結える長さになってきている。
以来“散らない桜”は、ずっと手首に巻き付けていた。
「……何が言いたい」
「お、口調戻ってくれたね。嬉しいわ」
「……! 私は何が言いたいと――」
「ボクは君に無理してほしくないだけや」
瞬歩。けれど彼は正面ではなく隣に来て、すれ違うように一言。
「ボクと君は、似とるとこあるから」
「――! っギ――」
その名を紡ごうと振り返った瞬間、姿は掻き消える。追うことはできるが、何を言えばいいのかも判らない。
(……ギン)
「お、いたいた! おーい朔良!」
「! 海燕さん?」
別方向の道から掛かった声に振り向けば、駆けてくる海燕の姿がある。驚いて立ち尽くしている内に、彼は目の前まで来てにかっと笑った。
「やっぱりまだ朽木邸の近くに居たんだな」
「あの、どうしてここに?」
「浮竹隊長が心配してんだよ、お前が無理してんじゃねえかってな。俺も今日は早く仕事が終わったから、ちょっと様子見に来たんだ」
「心配……?」
「ああ。その……あれから一年だろ。いろいろ気にしてんじゃねえかと思って」
目を見開く。寝耳に水だ。
「……海燕さんも?」
「あ? 当然だろ。勿論都や京楽隊長や卯ノ花隊長、志波隊長に総隊長だって気にしてんぞ。朽木隊長もな。砕蜂隊長は……相変わらず気が付いてねえみたいだけどな。その方がいいだろうが」
自然にわしゃわしゃと頭を撫でてくれる掌が温かい。
「それにオメーは……他にもでかいもん抱えてるみたいだしな」
びくり、と。反射で震えた身体に、彼は気付かないふりをしてくれた。
「無理に聞こうとは思わねえけどよ……」
降ってくる声が、じんわりと染み入る。
「何でも言えよ。俺で力になれることがあるんなら、遠慮なんてするんじゃねえ。俺とオメーの付き合いなんだからな」
――それは、先ほど朔良が白哉にも言ったことだ。
(力に……なる……)
「――海燕さん」
“あの夜”の出来事は、誰にも明かせない。
「それなら一つ、貴方にお願いがあります」
であるなら別の形で、その言葉に甘えよう。
「私に力を貸して下さい」
“もっと強くなる”、その為に。
「……これまたでっけえ“遊び場”だな……知らなかったぜ」
「修業の内容に関してもですけど。ここのこと誰かに話したら、この前遊郭に行ってお姐さんに迫られたこと都さんに話しますから」
「何でんなこと知ってんだ!?」
「『いやあ~海燕くんってモテるんだよ』」
「『羨ましいくらいにな!』」
「ちょっ……京楽隊長志波隊長……! 秘密だって言ったじゃないっすかー!」
“物真似”で誰かを