「……おっきい……」
屋敷の前に立った彼女の、第一声はそれだった。
「そうじゃろう。ま、気にするな。直に慣れる」
喜助は何度も遊びに来ているが、それでも使用人たちがズラーーーッと並ぶこの出迎え方は、いつまでたっても慣れない。ならば初見の少女の方は言わずもがな……な筈なのだが。
「ふわぁ……たくさんの人」
若干の緊張は見て取れるものの、萎縮する様子はまるでない。やはり大勢の人を前にするのは舞台で慣れているのだろうか。
二時間ほど前。
「ただし、条件があります」
夜一の弟子になることを承諾した『まねっこ』は、そんなことを言い出した。五大貴族相手に堂々と条件とは、怖いもの知らずなものである。
「言ってみい」
「三食昼寝、おやつ付きで」
「「…………」」
「冗談ですよぅ」
少女はぺろりと舌を出した。
「お仕事のことですよ。毎日とは言いませんから、三日に一回くらいは『まねっこ』としてのお仕事させてほしいです」
「三日に一度か。よかろう」
「それから、できるならたくさんの、いろんな人に会わせてもらいたいです」
「どういうことじゃ?」
「物真似の幅を広げたいんです。たくさんの人に会えば、それだけたくさんの物真似を覚えられる。もっといろんなことができるようになるかもしれない」
「そういうことか。儂もお主の物真似は気に入っとるからの。……よし、面白い所に連れていってやろう。他の五大貴族の家や他隊の隊長の自宅、儂がよく遊びに行く屋敷もいいのう」
それ全部同じ所でしょ、と喜助は内心でつっこむ。
そんなことがあってから、喜助達はまず『まねっこ』の家に行った。準備するものと言っても、彼女が今まで稼いだ分の貯金くらいしかなかったのだが、とにかくそれを持ってから四楓院家に向かい、今こうして居るのである。
門をくぐり屋敷本体の前まで来ると、女中頭の
「お帰りなさいませ夜一様。ようこそおいでくださいました喜助様」
「あー挨拶はよい。それより呉服屋を呼べ。この娘の着物を注文する」
「恐れながら夜一様、そちらのお嬢さんはどのような……」
「流魂街から拾ってきた、『まねっこ』という者じゃ。今日から儂の弟子として、この屋敷に住まわせることにした」
「ま、『まねっこ』でございますか!」
周囲がざわつく。噂に聞いた、何の話だ、あんな小娘が、などなど、あちらこちらで声が聞こえる。
「何じゃ、知っとるのか」
「小耳に挟んだ程度ではございますが……しかし」
「文句は受け付けんぞ。いいから呉服屋を呼べ。それから生活用品の手配も頼む」
流石この屋敷の主と、今更のことながら感心する喜助。異論を唱えさせる間もなく指示を出した夜一は、少女の小さな手を取りさっさと中に入っていく。
手を引かれながら周囲をきょろきょろと落ち着きなく見回す少女に、二人の後ろを歩いている喜助は朗らかに笑い、軽く腰を屈めて口を開いた。
「そんなに珍しいっスか?」
「ここ、今まで見たどのお店よりも大きい……」
「それはそうっスよ。五大貴族のお屋敷っスからね」
「お兄さんはよく来てるんですか?」
「ぶっ!」
噴き出したのは喜助ではなく、先導していた夜一だった。
「お兄さんか……くっくっ。よかったのう、『お兄さん』?」
口元を手で覆い、ぷるぷると肩を震わせる夜一に文句を言いたいところではあったが、名乗っていなかったのも原因と、ひとまず喜助は自己紹介することにした。
「ボクは、浦原喜助。二番隊の五席をやってるっス」
「あ、やっぱり死神さんだったんですね」
「気づいてたんスか?」
「だってさっき、『一席官』って言ってたじゃないですか」
「……何でそんなこと覚えてるんスか」
「やだなぁ、私は『まねっこ』ですよぅ。会話くらい覚えなくてどうするんですか。五席かー……喜助さんも、いろいろ教えてくださいね! 私、たくさんのこと勉強してもっと物真似を覚えたいんです!」
「生憎、ボクも研究とか実験で忙しいので……」
「『いえいえいえ、このくらい夜一サンにとっては大した額じゃないでしょ! 一席官のボクとは比べ物にならないくらいのお金持ってるんスから!』」
「ぶふっ!」
『まねっこ』の口から飛び出したのは喜助の声。しかも、先ほど甘味屋でしていた会話の言葉。
再び笑いのつぼを付かれた夜一が噴き出したが、今度の喜助にはそちらに気を向ける余裕などなかった。
「『ボクに払えなんて殺生っスよ!? 部下にはもう少し優しくしくてもばちは……』」
「ちょ、ちょちょちょ勘弁してください!」
大慌てで『まねっこ』を止めにかかる。何故なら、ここは夜一の屋敷なのだ。妙なことを同じ声、同じ口調で口走られて、使用人達にあらぬ誤解が生じては困る。
「ああもう判りました! ボクも色々教えてあげるっスから! 『まねっこ』サンの物真似の幅が広がるように協力しますから!」
「ありがとうございますー」
にこにこと見上げてくる笑顔は、無邪気そのもの。だというのに、小悪魔に見えて仕方がない。
近いうちこの少女と引き合わせられるであろう五大貴族の少年が再び思い浮かび、先ほど抱いた同情の念が一層強まった。
「この部屋を使うとよい」
「……あれ? 夜一サン、ここって……」
騒ぎが収まったところで着いたのは、日当たりのよい、一人で過ごすには少々広い部屋。喜助は見覚えがあった……と言うか、よく来ている。
「夜一サンの部屋っスよね」
「え?」
「そうじゃ。『まねっこ』はおなごじゃし、まだ幼いからの。儂と同じ部屋で過ごしても何ら問題はあるまい。その方が何かと都合がいいじゃろうしな」
「いいんですか?」
「構わぬと言っておろう」
繋いでいた手を離し、その手をぽん、と小さな頭に乗せる夜一。きょとりと目を瞬かせた少女だったが、すぐににっこりと笑った。
「よろしくお願いします、四楓院様!」
「その『四楓院様』というのはやめてくれんかの。名字は照れる」
「じゃあ、『夜一様』?」
「そうじゃのう。どうせじゃしもっと……」
すると、夜一は目を輝かせにやりと笑った。その笑顔を見て喜助は確信する。ああ、何か悪戯思いついたな、と。
「『お姉様』と呼ぶがよい!」
そういうことか。喜助は呆れ返ってしまった。白哉の、慌てたり怒ったりするところを面白がってからかっている夜一のこと。同じ年頃の少女をからかえば、どんな反応を見せるのか楽しもうと思ったのだろう。『まねっこ』の反応が見たかったのかもしれない。
しかし少女は目を丸くしたものの、何か考えるような仕草を見せた後、再び満面の笑みを浮かべた。
「わかりました! じゃあ『
思わず目が点になった。『お姉様』よりよっぽど親しくなっている気がする。しかしこれは……
「いいのう! ではそう呼べ!」
予想的中。夜一は元々、呼び方などあまり気にしない性質だ。しいて言えば堅苦しい呼び方は苦手、寧ろ親しげに呼ばれることを好む。彼女の立場が立場なだけに、そんな風に呼べる者はごく僅かだが、だからこそ。
からかうことなど忘れたらしい夜一に苦笑していると、少女が振り向き笑顔でこちらを見上げてきた。
嫌な予感が走る。
「それじゃあ、喜助さんは『きー兄様』ですね!」
「は!?」
何でそうなる。相手は子供と、大人げないと、出かかったつっこみを辛うじて呑み込んだ。先程のこともあり、ヘタは打てないと努めて冷静に問いかける。
「えーっと……どうしてっスか?」
「教えてくれる夜一様が姉様なら、同じように教えてくれる喜助さんは兄様です」
「それは……判らなくもない理由ですけど……でも『きー兄様』は……」
「えーじゃあ、『きす兄様』とか? 『すけ兄様』は……」
「『きー』でいいっス『きー』で!」
もっと変な呼称が定着する前に制止にかかった。呼び方に関してはこの際、多少は妥協しようと思う。しかしきょとんとしている少女を見る限り、先ほどとは違って今度は素だったらしい。策士なのやら天然なのやら理解に苦しむところだ。
まあそれは、これから先見ていれば判るだろうと隅に置き、少女の『きー兄様』発言から笑い転げている四楓院家当主に向き直った。
「呼び名と言えば、どうするんスか?」
「くくくっ……何がじゃ?」
「この子の名前っスよ。何か考えてあるんでしょう」
「名前? でも、私の名前は……」
「『まねっこ』というのは通り名、いわばあだ名でしょう? 死神になるかもしれないのなら、ちゃんとした名前を持っていた方がいい。本名を忘れたと言うからには、師になる夜一サンが名付けるのが妥当っス」
「そういうことじゃ。よいか?」
俯いて少し考えている様子の少女だったが、やがて顔を上げふわりと笑った。
「素敵な名前を」
肯定の言葉に夜一は笑い、藍色の髪をくしゃりと撫でた。
「『
さくら、と反復する少女。
「そうじゃ。朔の日の『朔』に、『良い』と書く。『良き朔』じゃ。それと『
「音は悪くないっスね。可愛いですし」
「そうじゃろう。で、姓の方じゃが喜助、お主が決めろ」
「……はい!?」
「何じゃ、文句があるのか」
「いや、文句と言うか……出身地区でも良くないっスか?」
「そんなに名付けるのが嫌か」
「あの、そういう訳じゃ……」
たとえ流魂街出身と言えど、名を持っていない者は少ない。仮に他者に名付けられなくとも自分で決めてしまうからだ。その場合は出身地区を姓にすることがある。だからこそ、この少女のような元々持っていた名を忘れてしまったという事例は珍しいのだ。珍しいというか、少なくとも喜助は聞いたことがない。恐らく夜一も同様だろう。
ふと、視線を感じて夜一に向けていた目線を下げる。
――不満げな、藍色の幼い瞳が見上げてきて。
見なきゃよかったと頭を掻いた。
「……判りましたよ。考えますからちょっと待ってください」
姓とはいえ名付けを断るということは、その相手と深く関わることを断るのと同義。先ほど『教える』と了承したことを覆すようなもの。不満げな表情はそれを、約束を破ることを判っているからなのかもしれなかった。小さな少女にこんな、今にも不貞腐れてしまいそうな顔をされては、喜助も折れるしかない。たとえその少女が自分や四楓院家当主を嵌められるほどの手腕を備えていたとしても、だ。
元々人の名付けとは、相手が誰であれ名誉なこと。この類稀な才を持つ少女と『関わる』ことを決め、喜助は真面目に頭を働かせて考える。下の名が師にちなんだものならば、せっかくなので姓は本人に合ったものをと思う。
(まねっこ……たくさんの人の真似……多様……変化……)
「……どうでしょう、『
「くもい?」
「意味を聞こうかの」
「『まねっこ』サンはいろんな真似が出来るでしょう。『雲』は一定の形を持ってません。千変万化、多種多彩ってことです」
「『居』はなんじゃ?」
「雲そのものはすぐ流されちゃうじゃないっスか。何処に行くかも判らない。そうじゃなくて、どんなに姿が変わっても、決して居なくならない、自分自身を見失わない、ずっとその場所に『居』続ける『雲』。そういう意味を込めてます」
「……お主にしては、随分とまともな名を考えたものじゃな」
「ボ、ボクにしてはって……」
結構ぐっさりと来たのだが夜一は気にしていないようで、少女を再び見下ろした。
「『雲居』と『朔良』。どうじゃ?」
少女は答えない。いつの間にやら、喜助は夜一と並ぶように少女の前に立っていたことに気付いた。――だからこそ。
その藍の瞳が輝いて、嬉々として。
小さな口元が緩やかに弧を描いていたことを、見逃さなかったのだ。
「……決まりじゃな」
夜一はにやりと笑うと、自室に入って文机の引き出しを開け、中から筆と墨、そして上質な紙を一枚取り出した。彼女が墨をすっている間に喜助は少女を促し、同様に部屋に入り夜一の後ろに正座して待つ。
程無くして夜一は筆を取り、それを紙に落とした。
さらさらと紙を滑る音。
それが止むと彼女は筆を置き、うむ、と呟き振り返った。
「では、今日からお主の名は――」
書き上がった紙を手に取り、突き出す夜一。綴られている文字は――
「『雲居朔良』じゃ」