偽から出た真   作:白雪桜

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第二十五話 誤った選択

 ――駆ける、駆ける。森の中を、“朔良”はひたすら瞬歩で駆ける。

 纏うのは死覇装に似ているものの作りの違う、黒い狩衣に藍色の帯。ただいつも結い上げている髪はまっすぐ下ろされ、桜をかたどったリボンもない。

 

 それもその筈、この身体は“朔良”のものではない。“珠水”のものだ。

 

「っ……」

 

 くらっ、と一瞬視界が揺らぎ、僅かにふらついた足を踏ん張る。軽く息を吐き出して、再び走り出す。

 

『朔良』

『……珠水か』

『“それ”はあくまで私の身体です。いくら霊圧と魂が同じとは言え、貴女のものではありません。くれぐれも無茶はなさらぬよう』

『判っているよ』

『いいえ判っていません。貴女の姿を模した私本体の姿ですが、“それ”は“刀そのもの”なのですよ。普段通りの動きができるとはいえ、斬られれば欠けて折れます』

『そうなったら私の意識も危険だ、って言いたいんだろう? 判ってる。それより私の“本体”の方は?』

『……今の所は問題ありません。自室に入ってくる者も居ませんし』

『そうか。“双体遊離”を使っている時は動けないからな』

『重ねて言いますが、無茶はなりません。こうしている間も、貴女の霊力と精神力はどんどん削られているのですよ』

『それが判っているのなら、悪いが会話を終わりにしてもらえないか。集中が乱れる』

『……失礼します』

 

 “彼女”の声が聞こえなくなったところで、意識を現実に戻す。

 

(……霊圧が近い)

 

 仮にも隠密機動に所属し、しかもその長に五十年間育てられてきた朔良だ。自分の霊圧、気配、足音を消すなどお手の物。草木に隠れ、警戒を高めながら近付く。

 

(――! なに、これ)

 

 霊圧が変わった――否、変わっていく。上昇ならばともかくこんなことは初めてだ。

 

(何だろう……まるで……死神と虚が……混ざったような……)

 

 しかもこれは、ひよ里の霊圧。彼女の傍に平子達の霊圧もあるが不安が募る。

 一体何が起こっているのか。知りたい衝動を抑え、走りを歩みに変えて森の中を慎重に進む。

 あと少し――

 

(!? 真子さんの霊圧が乱れ――他のみんなも!?)

 

 先程から少しは揺れていた。だが今感じた乱れはそれまでの比ではない。しかも一気に弱まっている。

 もう、すぐそこ。木の陰に身を隠し、向こう側を窺い――

 

 

「……東仙……! なんでや……お前……拳西を……自分とこの隊長を……裏切ったんか……!?」

 

 

 微かに届いた声。

 

 

「裏切ってなどいませんよ」

 

 

 目にした光景。

 

 

「彼は忠実だ。ただ忠実に、僕の命令に従ったに過ぎない」

 

 

 仕事柄研ぎ澄まされた聴力と視力は、余すところなくそれらを拾い、収める。

 

 

「どうか彼を、責めないでやって下さいませんか。――平子隊長(・・・・)

「……藍……染……!」

 

 

 ――故に全てが信じられなかった。

 

 倒れ伏した血塗れの隊長達、ゆらりと立つひよ里の顔を覆う不気味な白い仮面、そこら中に漂う虚のような霊圧、裏切ったという東仙、そして――

 

(ギ、ン)

 

 友人である市丸ギンの存在。

 

(……な、に、してるの)

 

 ただ一つの想像通り(・・・・)は、藍染がこの場に居ること。彼が関わっているかもしれないことを伝える為、こうしてやってきたのだから。

 しかし混乱している頭では状況の把握などできない。霊圧も気配も音もどうにか零さずに済んでいるけれど、それだけだ。身体がまるで動かない。

 理解の追いつかない朔良を置いてきぼりに、彼らの会話は進む。

 

「やっぱし……お前やったんか……」

「気付かれていましたか。流石ですね」

「当たり前やろ……」

「いつから?」

 

 そうだ。いつから。朔良が気付いたのは今夜だ。

 

「オマエが母ちゃんの子宮ン中おる時からや……ッ」

 

 危険だから、監視する為に副隊長に選んだのだという平子の真意に目を見開く。昔から朔良が藍染の所在を気にする度に不服そうな反応を見せていたのはこの為だったのだろうか。

 それに対して告げられた藍染の話は、まさしく朔良が感じていた“違和感”の正体だった。

 

「気付かなかったでしょう? このひと月、あなたの後ろを歩いていたのが、僕ではなかった(・・・・・・・)ということに」

「……な……!?」

 

 ――“敵”にこの世界のあらゆる事象を意のままに誤認させる。それが“鏡花水月”の真の能力――

 

(……完全催眠……だって……?)

 

 平子が掏り替わりに気付けなかったのは、藍染のことを理解していなかったからだと。何も知らないでいてくれたからだと彼は言う。

 

 ――ならば自分は? 今夜になってからだとしても自分が気付けたのは何故だ?

 

 藍染のことは寧ろよく知らない。であるなら思いつく理由は一つ、観察力だ。

 “まねっこ”である朔良は観察力が並外れて高い。そうでなければ他人のこと細かな“物真似”はできない。

 ――“物真似”?

 

 

(……思い……出した)

 

 幼少の頃のことだ。藍染の模倣をした時に身体に走った“感覚”。あれがあったからこそ朔良は藍染のことが判らず苦手としていたのだ。後になって藍染ではない別人を真似ている気が、あるいは人ではない“何か”を真似ている気がしていたと考えた。けれどその頃は今回のような“違和感”と呼べるほどのものではなかった。

 では、あの頃感じていた“感覚”とは何だったのか。

 ――答えは出ている。

 

(――仮面、だ)

 

 偽りの顔、仮面。

 別人のようだと思ったのは、その全てが偽りだったから。

 あの頃朔良が無理に当て嵌めた見解は、外れてはいなかったのだ。

 

「僕には“副隊長にならない”という選択肢もあった」

 

 そうしなかったのは、平子の疑念と警戒心が理想的だったからだと。藍染の方が平子を選んだのだと。話を続けていく藍染に、朔良の心には恐怖しか浮かばない。

 

 そしてそれは、次の光景で増幅した。

 

「……が……ッ!?」

 

 ――漏れ出そうになった声を右手で覆い、噛み殺す。左手で自分の肩を抱き締め、身体の震えを抑える。

 平子の口と目から溢れ出した白いモノ(・・)。液体にも固体にも見えないソレ(・・)は、彼の顔と身体を覆い仮面のような形を成していく。平子だけではない、倒れている皆にも同様の現象が起こった。

 

「……やはり、興奮状態の方が虚化の進行は早いようだね」

 

(……虚、化?)

 

 疑問を感じてる内に、刀を抜いた東仙がひよ里に近付いた。

 

(! 待っ――!)

 

 

「――射殺せ、『神鎗』」

 

 

 ――前触れはなかった。ただ、眼前に迫ってきた刃の切っ先に踏み出そうとしていた身体が反応した。紙一重でかわしたそれは前髪を数本散らして通り抜け、するすると戻っていく。

 

「どうした、ギン」

「なんや気配感じた気がしたんですけど……見てきましょか」

「いや、構わないよ。些細なことだ」

 

 そんな会話が聞こえ、息を詰める。その間に東仙によってひよ里が斬り捨てられた。だというのに、恐怖で固まった身体は動くことを忘れている。

 

「終わりにしましょう、平子隊長」

 

 ――殺される。全員。

 

「あなたは僕を警戒していたが故に手元に置き、警戒していたが故に距離を取った。あなたはその目で見ることで、僕の動きを抑制しようと考えた」

 

 助けなければ。

 

「最後に憶えておくと良い」

 

 でも

 

「目に見える裏切りなど知れている」

 

 どうやって?

 

「本当に恐ろしいのは、目に見えぬ裏切りですよ。平子隊長」

 

 心と身体を蝕む恐怖は

 

「さようなら。あなた達は素晴らしい材料(・・)だった」

 

 自分自身を護ることを選んだ。

 

 

 ――刹那、藍染に斬りかかった影と現れた人物に瞠目する。

 

「何のご用ですか? 浦原隊長、握菱大鬼道長」

 

 その名を聞き姿を見ただけで、僅かながらも安堵する自分が居た。

 

「あかんやん。見つかってもた」

 

 普段通りの、ギンの声。前に出ようとした東仙を藍染が止める。

 

(……きー兄様……鉄おじ様……)

 

 戦闘で負傷した彼らを救助しようとしていた、ぬけぬけとそう告げた藍染に怒りを募らせているのは平子だけだ。朔良には怒りを感じる余裕などなかったし、喜助と鉄斎は冷静だ。

 

「……何故嘘をつくんスか……?」

「嘘? 副隊長が隊長を助けることに何か問題が?」

「違う。ひっかかってるのはそこじゃない」

 

 冷静な、喜助の詰問。

 

「これが“負傷”? 嘘言っちゃいけない。これは、“虚化”だ」

 

 

(……きー……にい、さま……?)

 

 

「……成程。やはり君は、思った通りの男だ」

 

 抜き身の刃、“鏡花水月”が仕舞われる。今夜ここへ来てくれてよかったと、理解できないことを告げながら。

 

「ギン、要。目的は充分果たした。退くよ」

「! 待て、藍染! 話はまだ……」

 

「お避け下され浦原殿ォッ!!」

 

 ――跳ね上がり、収束される鉄裁の霊圧。

 何をするのか瞬時に理解でき――朔良は咄嗟にその場に伏せた。

 

「破道の八十八! 『飛竜撃賊震天雷炮』!!」

 

 鉄裁の掌から放たれた、巨大な青白い光の大砲。仮にも彼から師事を受けてきたのだ、実力は重々知っている。あれを喰らえば、誰であろうと無事では済まない。

 

 ――だからこそ、信じられなかったのだ。

 大鬼道長である彼の鬼道が、詠唱破棄した藍染の『断空』で止められたなど。

 

 ――響く絶叫。びくりと身体を竦ませ、朔良は倒れた平子を見やる。

 

「藍染達のことは後回しにしましょう浦原殿! 今は平子度殿達の処置を!」

「だけど……虚化がここまで進行した状態じゃあ、ここでの処置は……!」

 

 ――思考が追いつかない。

 “兄”は何を知っている?

 

「……浦原殿。貴方はどうやらこのこと(・・・・)について何か知っておいでの様だ……」

 

 平子達を救う“対処法”も、と。

 

「…………知ってます。……賭けのような方法ですが……」

 

 ――霊圧の動きを感じた。鉄栽が何かの鬼道を発動させようとしているのが判る。

 

「今から彼等八人全員を、この状態のまま(・・・・・・・)十二番隊舎へ運びます」

 

 耳に届いた術名は、嘗て一度だけ聞いたことがあるものだった。

 

(……“時間停止”と……“空間転移”……!?)

 

 

“鉄おじ様鉄おじ様!”

“む、どうなさいましたかな朔良殿”

“きー兄様からお借りした鬼道の難しい教本に、「時間停止」と「空間転移」というものがあったのですが、鉄おじ様は使えるのですか?”

“また浦原殿は貴女にそんな物を……よろしいですか朔良殿。確かに私はその術を使えますが、決して使用してはならないのですよ”

“どうしてですか?”

 

 

「どちらも禁術」

 

 幼い頃の記憶。

 

「使用は厳に戒められておるもの」

 

 もし使えば、どんな重罰が下るか判らないと。

 

「故に今より暫しの間、耳と目をお塞ぎ願いたい!」

 

 彼の両の掌に発生した小さな光の柱。それは輝きを増し、直後には横たわる皆とその周囲の地面までもが眩い光を放ち始める。辺りを包み球体のように膨らんだその光は、一瞬で弾け消滅した。

 

 彼等十名、全員と共に。

 

「…………」

 

 伏せたままだった体勢から緩慢な動作で立ち上がった朔良は、茂みからふらりと数歩踏み出した。

 

 幼少の頃より叩き込まれてきた隠密行動。おかげで存在を気取られることはなかった。一瞬ギンに怪しまれたけれど、どうにかかわした。

 だとしても、こうして生きているのも無傷であるのも気付かれなかったことも。

 全てが奇跡。そうとしか言いようがない。

 あの様子では、喜助や鉄裁も朔良の存在に気付いていなかったに違いない。

 

「……っは……!」

 

 詰めていた息を吐き出す。どっと力が抜け、その場に手と膝をついた。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

(……ギ、ン……)

 

 ――信じられなかった。

 

(真子さん……ひよ里ちゃん……リサさん……ハッチさん……)

 

 ここで目にした全てが、信じられないものばかりだった。

 

(六車隊長……久南副隊長……鳳橋隊長……愛川隊長……)

 

 ここで耳にした全てが、信じられないものばかりだった。

 

(きー兄様……鉄おじ様……)

 

「は……あ……っ……!」

 

 

『朔良!』

 

 

 完全な混乱状態に陥りかけ、しかし我に返ることができたのはこの声があってこそだ。

 

「珠……水……」

『落ち着いてください。そしてもう、限界です』

「……わ、かってる……」

 

 “双体遊離”を発動してから二十分近く。時間で言えばそこまで長くはないが、極度の緊張状態が続いていたのだ。既に朔良の精神力はこれでもかというほど削られていた。

 

「……隊、舎に……」

『無茶です! 今すぐ技を解いてください』

「で、も……」

 

 リスクの一つ。今技を解いたなら、斬魄刀はこの場所に置いて行くことになる。抜き身のまま、“彼女”を一人で。

 

『私なら大丈夫ですから』

「……だけど……」

『いずれにせよ、今の貴女にこの身体を動かして隊舎まで帰ることは不可能です』

「そ、れは……」

『お戻りください!』

 

 ――押しのけられる感覚。

 次の瞬間には、隊舎の自室の中央に座っていた。

 馴染んだ光景を前にして、緊張の糸が切れた。

 

 押し寄せてくる疲労感に任せ、どさりとその場に身体を横たえる。

 自然と降りてくる瞼と遠くなる意識の中、思うことは多々あった。けれど、その中で二つだけ。

 

 

 ――“天挺空羅”を使っていれば。

 ――現地で合流すればなどという浅い考え。

 

 

 鬼道は得意だ、天挺空羅で夜一にでも伝えれば良かったのだ。何故そうしなかったか。思いつきもしなかった。

 隊長格の霊圧が消失している現地に、たかが九席が行くなど無謀に過ぎる。何故そうしたのか。

 

 答えは判っている。

 

 “驕り”と“不安”だ。

 

 斬魄刀“珠水”の力を、知らず知らずの内に過信していた。何でも模倣できるから、そして始解の状態でしかないから、きっと大丈夫だという根拠のない自信。

 これまで感じた事のない霊圧。己自身の目で確認しなければ押し潰されそうで、安心したかった。

 

 過信と経験不足から生じた、決定的な過ち。

 

(……一体私は……何を……)

 

 得た事実も伝えられず。

 浅はかな考えで単独行動し。

 意味もなく消耗しただけ。

 

 意識の消えるその瞬間まで、己の判断の甘さを呪った。

 

 

 

 


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