「流魂街の変死事件?」
「せや。うちの隊長が言うとってん」
申の刻、瀞霊廷の甘味屋。ギンの口から出た話に目を丸くした。内容が内容なだけに苺大福を食べる手を止める。
「それってどういうものなの?」
「何でもひと月くらい前から、原因不明の流魂街の住人が消える事件が続いとるんやと。服だけ残して跡形もなく消えるっちゅう話やで。今九番隊が調べとる」
「? 死んだら服も一緒に消えるでしょ? 何で残るの?」
「平子隊長が言うには死んだんやのうて、生きたまま人の形を保てんようになって消滅した、としか考えられへんのやって」
「難しいね。意外と難しいこと考えるんだね真子さん」
「何気に酷いな君……。あ、でもそういえばコレ、四番隊長さんの言葉そのまま言うてるだけやって言うとったかなあ」
「ダメじゃん」
おやつ再開。
「あ、でもひと月くらい前って言うと……」
「ん? 何や?」
「ううん何でもない。ごちそうさまー」
空いた最後の皿を積み重ね、席を立つ。背を向けてすたすたと歩き出し
「……朔良ちゃん、二十二皿全部奢るんはいくらボクでも」
「『こらギン! いっちょまえに逢引かいな?』」
「え、平子隊長? ……って、あれ?」
シュン。
瞬歩と物真似が得意って素晴らしい。
「ひと月前からの変死事件、かあ……」
ギンから聞いたのが重要だ。でなければ『ひと月前』という点で連想することもなかった。彼の手前口に出すことはなかったが――
(藍染副隊長の違和感も、ひと月前くらいからだったよなあ)
元々朔良は藍染に対して不可解な『感覚』を抱いていた。それがひと月ほど前から強さを増している。初めの頃は「ん?」と首を傾げる程度の小さなものだったが、ここ数日でははっきりとした『違和感』を覚えるようになったのだ。そのせいで自然と彼に会うこと自体を避けてしまっている。
とはいえ表情や態度に出したり、誰かに話すこともない。ましてや彼の部下であるギンに「なんだか君の上官変」などと言える訳がない。平子も然り、だ。他の隊長達にも通すような話じゃないと思う。
(……あ、白哉に話してみようか)
彼は六番隊第三席だ。昇進したとはいえ九席の朔良より地位は高い。
まあ、そんなこと関係なしに幼馴染みとして話すのはいいかもしれない。
(……幼馴染み……)
想いは、隠すと決めた。自分は流魂街出身、白哉は貴族。本来なら幼馴染になる筈もなかった間柄だ。彼と同じ貴族の夜一に拾われることがなければ。
彼もまた、自分を『そういう』風には見ていない。しかしどうにもやりきれないところがあるのは否めない。
「……やっぱりやめとこ」
「何をじゃ?」
「うわっひゃあっ!?」
馴染み過ぎた霊圧は自然と意識の外に追い出してしまうことがある。今はまさにそれだ。
「よ、夜姉様! おどかさないでください!」
「何じゃ、これくらいで。幼い頃の度胸は何処へ行ったのじゃ?」
「……『よし朔良、今日の晩飯の後にはお主の好きな店の和菓子を欲しいだけ食わせ』」
「すまん前言撤回じゃ。お主の度胸は変わっておらん」
ふふんと胸を張る。夜一に拾われる前はこれで生きてきたのだ、まだまだ衰えは見せない。はめるし脅迫だってする。……相手は、選ぶが。
「って、夜姉様ここで何してるんですか」
「儂が瀞霊廷内を散歩していてはおかしいかのう?」
「あんまり見ませんね。この時間は大抵軍団長室でお菓子食べてるじゃないですか。そうじゃなきゃ白哉をからかってるとか」
「本当にお主は遠慮がないのう。実はお主を探しに来たのじゃ」
「はい?」
朔良はちゃんと一人で帰ることができる。それなのにわざわざ探しに来たということは、何か重要な案件でも――
「
流翠庵。朔良一番のお気に入りの菓子屋。
「いただきます」
ご機嫌で隊舎に戻ってお菓子を食べて、軍団長室で談笑して。
――数時間後、至福のひと時は唐突に終わりを告げた。
――ガンガンガンガンガン!
「「!」」
響く警鐘。同時に流れる緊急放送。
≪緊急招集! 緊急招集! 各隊隊長は即時一番隊舎に集合願います! 九番隊に異常事態! 九番隊隊長六車拳西、及び副隊長久南白の霊圧反応消失! それにより緊急の――≫
「朔良、六車と久南の霊圧は?」
言われるまでもなく探っている。霊圧探知の精度と速度にかけては既に夜一も、他の隊長達をも上回っている自信があった。
――そして、青褪める。
「……感じ、られません……でも」
「どうした?」
「……虚……みたいな霊圧があります……。あと……近くにひよ里ちゃんが……」
「判った。お主はここに居ろ。隊舎の外に出るでないぞ」
「でも夜姉様……」
「良いな」
ぽんと頭に手が乗り撫でられたかと思うと、次の瞬間には彼女の霊圧はこの場から去っていた。
≪繰り返します! 緊急招集です! 各隊隊長は即時――≫
(夜姉様……)
ぎゅ、と胸元を握り締める。
隊長達の緊急招集がかかったということは、緊急隊首会が開かれるという意味だ。つまり、この案件はそれだけ大変な事件になっているのである。それも隊長副隊長の霊圧同時消失となれば、隊長格が何名も選出されるだろう。任せておけば何も案ずることはない。
(そう、だよ)
心配は要らない。
(隊長達が出るんだ)
案ずる、ことはない。
(大丈夫……)
ならば
この、言いようのない不安感は
何 だ ?
「――っ!」
胸を侵す感覚に耐え切れなくなり、夜一の言いつけに構わず部屋を飛び出した。
瞬歩は敢えて、使わない。走った方が、不安は拭われる気がした。
――どれくらい駆け回ったのだろうか。息が上がっていることから、結構な距離を相当な速さで走っていたのではないかと思う。
立ち止まり、どうにか呼吸を整えて顔を上げた。
「あ……五番隊……」
いつの間にか他隊の隊舎の前まで来てしまっていたらしい。これでは完全に不審者だ。……朔良は若い娘なので、まだいいとしても。
「……何やってるんだろ……」
挙動不審にもほどがある。自分が慌てたところでどうにもならないというのに。
幾分か冷静になってふと視線を上げた先、視界の端に見知った人物を見つけた。
(……げ、藍染副隊長)
内心とても失礼な反応をしてしまい焦ったが、彼はこちらには気付いていないらしい。そのことに安堵しつつ遠巻きのまま眺めてみる。
どうやら書籍を運んでいるようだ。腕に三冊も抱えている。一番上の表紙しか見えないけれど、隊士の入隊記録と書かれている。……視力はいくらだなどという質問は受け付けない。
と、現実逃避をしてしまったが、やはり彼から感じる違和感は拭えない。
一体なんだというのだろうか。そもそもどういう違和感なのだ。物真似をすると妙な感覚がしていたのは昔からずっとだ。このひと月で何が変わったと――
(……変わっ、た?)
彼の姿を、じっと見つめる。何が違うのか、何が変わったのか。その答えを知る為に、自他共に認める類稀な観察力を全開にする。
――これまで、目を背け続けてきたこと。今この時知らなければならないと、頭の何処かで確信していたのかもしれない。
(……あの、人は)
『あれ』は
あの『藍染惣右介』は
『誰』
だ
?
――全身に悪寒が走った。
感じていた『違い』。
見つけた『違和感』の正体。
理屈も理由も判らないし原因を想像することすらできないけれど――確信した。
『別人』。答えはこれだ。
姿は同じだが『あれ』は『藍染惣右介』ではない。
――急に頭が回転を始める。
ひと月前からの変死事件。
同じ頃から感じていた藍染惣介への違和感。
調査が入るなり悪化した事態。
掏り替わっていた『別人』。
――仮説を立てれば、全てが繋がる。
もしも
もしも『彼』が
他の誰の目をも晦ます力を持っているとするなら
『別人』と掏り替わることのできる力があるなら
この状況は。
この事件は。
「――っ!!」
――知らせなくては。一人でどうこうできる問題ではない。自分の力を過信するほど馬鹿な頭をしているつもりはない。
しかしこの仮説が正しいとするならば事は一刻を争う。霊圧を探ると、既に数名の隊長格が流魂街へ向かっているのが判った。隊首会は終了、となると総隊長や他の隊長格に話を通す時間はない。
間違いなく『彼』は現地に居る。少なくとも警鐘が鳴った時にはもう居た筈。報告する暇はない、それなら。
(直接、行くしかない)
自分もまた現場に乗り込み、前線に出ている隊長達に直に伝えて判断を委ねる。これしか手はないだろう。
そう思って足を踏み出した矢先、
「――朔良殿!」
――厄介な人物に捕まった。
「そ、砕蜂さん!」
「こんな時に何をなさっているのですか!」
「ま、待ってください! 今はそれどころじゃ……!」
「問答無用です! 夜一様の命です、貴女を連れ戻し決して自室より出さぬようにと!」
「っ!」
抜け出したことがばれたらしい。わざわざ砕蜂を寄越したのは、彼女の真面目さと強引さをよく理解してのことだろう。
朔良よりも砕蜂の方が些か背が高い。そして何より朔良は夜一や砕蜂と比べると、純粋な『力』という意味では非力だった。腕力は彼女達の方が上。がっしと腕を掴まれかつぎあげられてしまっては為す術もない。結果、即座に隊舎の自室に放り込まれてしまった。
「よろしいですね! 一歩もこの部屋から出てはなりませんよ!」
「ちょ、砕蜂さん! 話を」
ぴしゃりと襖が閉められる。取り付く島もないとはこのことか。
しかし呑気なことを言っている場合ではない。一刻も早くこの状況を打破しなければならない。
地獄蝶を飛ばす―― 一羽も手元にいない。
夜一に言伝する――この部屋から出られない。
何とか抜け出す――霊圧が消えれば有無を言わさず連れ戻される。
「……そうだ」
在った。一つだけ。
腰に差した刀に手をやり、躊躇なく引き抜く。
「応じろ、『珠水』」
コォン、という音と共に変化する刀身。身体の正面で真横に据え、空いた手で刃に触れて呼びかける。音として口からは発さず、心の声で。
『珠水』
『この状況で貴女が何を考えるのか、察しているつもりです』
『……流石だね』
『ですが賛同できません』
判っていたことだ。絶対に珠水は反対する。何せ今からやろうとしていることは、まだ覚えたての未完成な技なのだ。
『でも
『
『それは、そうだけど』
『現場に行っているのは隊長達です。普通に考えれば……』
『珠水』
一言、名を呼んで遮る。自らの考えを告げる為に。
『私は、
――『副隊長』が誰にも、隊長格にも気取られることなく掏り替わることが出来た。
これが『普通』と言えようか。
『胸騒ぎも収まらないこの状況で、じっとしていることなんてできない』
『…………』
『その為にはお前の力が必要なんだ』
『……しかし、後で貴女の身体が――』
『珠水』
再び名を呼ぶ。魂の半身なのだ、気遣ってくれる『彼女』の気持ちは理解している。
けれど、それでも。
『お願いだ』
譲れない。
『……判りました』
『無理を言って済まない』
『自覚があるなら、これ以上の無茶はしないでください』
『善処するよ』
『……あまり信用できませんね』
やれやれ仕方ない、といった気配がひしひしと伝わってくる。それに苦笑しながら、トン、とその場に斬魄刀を軽く突き立てた。
「『双体遊離』」
そっと抑えるように指を柄に二本当て、呟く。
――コオォン、と。始解の時と同じ音がより長く響き、刀が白く発光を始めた。やがて刀の形状も見えなくなるほど光は真っ白になり、膨らんでいく。光は人一人ほどの大きさになってようやく止まった。
――収まった光の中から現れたもの。
それは目を閉ざして片膝をつく、朔良に瓜二つな一人の少女だった。