連絡は突然だった。
「――卯ノ花!」
これほど焦っているのもいつぶりか。頭の隅にいる妙に冷静な自分がそんなことを思う。
得意の瞬歩を連用して四番隊へ向かい、遠慮も何もなく目的の人物が居る部屋に駆け込む。
「まあ。お早いお着きでしたね、四楓院隊長」
「そんなことはどうでもよい、朔良は……!」
「まずは落ち着いてください、貴女らしくもない。朔良さんならこちらですよ」
いつもの穏やかな微笑みを浮かべる卯ノ花に、夜一は少しばかり安堵した。彼女は事態が悪く重い時は、決まって険しい表情をするからだ。普段と変わらず微笑む余裕があるのならば、切羽詰まった状況ではないのだろう。
広い治療室の奥、寝台に横たわるのは最愛の弟子。
――現世に送った五名の調査隊が、大虚発生現場に出くわしたという知らせを受けたのは数分前だ。よりにもよって、今回が初任務の朔良が独断で救援要請をしたらしい。本来なら班長がすべきことで、何をやっていたのかと言いたいもののそれは後回しである。
救援指令が出たのは六番隊、隊長副隊長の二名。しかし蒼純は身体の調子が悪く、銀嶺の判断で三席の白哉を代わりに連れて行ったそうだ。その後の詳しい説明はまだだが、調査に行った部下達は大した傷は負っていないと聞いている。
一人、朔良を除いては。
「……容態はどうなのじゃ?」
「左肩に大きな噛み傷がありました。恐らく虚に噛まれたものでしょうが、骨には届いていません。出血も思ったより少なかったようですし、命に別状はありません」
「気を失って倒れたと聞いたのじゃが……」
「霊力の使いすぎです。救援が来たことで気が抜けた、というのもあるでしょうね。ただ、やはり噛まれたことは良くありませんですので、精密検査も兼ねて数日は入院させた方がいいでしょう」
「お主が言うのならばそうしよう。仕事の方は問題ない」
話している内に気持ちも落ち着き、詰めていた息を吐く。しかしまさか、大虚に遭遇するなどとは想像だにしなかった。よく生きて帰ってきてくれたと思う。
大虚の発生という事態が事態なだけに、今回の件は地獄蝶で隊長格全員に報告されているらしい。任務に出ていたのが二番隊隊士ということで、夜一に真っ先に伝わり飛んでこれたわけだが、そろそろやって来そうなものだ。
……どたどたと廊下を走る音がして数秒後。
「朔良ちゃん!」
やっぱり来た。
「京楽隊長お静かに。今朔良さんは眠っているのですよ」
「ええ!? 意識ないの!? 大丈――」
「京楽隊長。―― お 静 か に 」
「……はい」
……相変わらず卯ノ花の笑顔は怖い。夜一ですら尻込みしてしまうほどだ。さりげなく少し距離を取っていると、次々と近付いてくる足音が聞こえた。どれも結構、急いでいる。そして京楽が開けっ放しにしていた扉からいくつもの顔が現れた。
「邪魔すんで!」
「邪魔すんなら帰れやハゲ! どかんかい!」
「何やとコラ!」
「朔良大丈夫っスか!?」
「騒がしいな、これは入ってもいいのか?」
「落ち着いてからの方がいいと思うっすよ隊長」
「皆さん朔良さんのお見舞いですね。お優しいのは結構ですが……ここは仮にも病室ですので……
『……はい』
全隊に一人ずつ卯ノ花が居れば問題事を起こす輩は居なくなりそうだ。
いやいや現実逃避している場合ではなくて。
「ところで卯ノ花隊長、朔良ちゃんの容態は?」
即刻立ち直って聞ける浮竹は流石だ。いやそもそも彼は騒いでいないが。
「ひとまず安定しています。命に別状もありません」
「数日検査入院が必要なだけらしいぞ」
「そうか、良かった」
「ホント良かったっすよ。隊長自分の身体の調子悪いくせに、知らせ聞くなり飛び出しちまうんすから」
「そう言う海燕だって酷く焦ってたじゃないか」
「なんや、喜助なんかもっと酷いで。動揺して持ってた容器落として割りよった」
「ちょっ、ひよ里サン!」
「なら俺んトコが一番冷静やな。俺も急いで来たけど惣右介に残っとくよう指示出したで。隊長と副隊長が両方来る必要ないしな」
「それを言うならボクだって」
「あんたはどうせ一人でサボっとる最中やったんやろ。俺とはちゃうわ」
「…………」
各々状況は違えど急ぎ駆けつけたこと自体は同じらしい。そうでなければこんなに早く、何人もの隊長格が集まる訳もないのだけれど。
しかしまだ、肝心な人物が来ていない。今は恐らく総隊長に報告に行っているのであろう、朔良をここに連れ帰った二人が。
「病室というのに、随分賑やかじゃな」
「まったくです」
噂をすれば(してない)なんとやら。
「銀嶺殿に……やはり白哉坊も一緒か」
「……文句でもあるのか」
「いや、寧ろ説明を貰いたいと思っておったところじゃ」
「あ、同感っス。って言うか、皆サンそうっスよね」
夜一と喜助の言葉に頷く面々。……改めて考えてみると相当の面子である。二、四、五、六、八番隊隊長に、十二、十三番隊隊長副隊長が集まっているのだ。ついでに六番隊は三席も。
「……四楓院夜一。貴様今何か妙なことを考えなかったか」
「気のせいじゃろ」
成長するにつれて鋭くなっていると思う。まだまだひよっこだが。
「さて、話すとするかの。総隊長への報告も終わったことじゃし。何処まで聞いておるのじゃ?」
「朔良ちゃんたち調査隊が大虚に遭遇して、あんたら六番隊が救援に行ったってとこまでやな。あとはこの
「くらいやとは何やくらいやとは! 朔良が怪我したんは
「あーうるっさいわ! 引っ掻き回すなや!」
「何やと!」
「まあまあ、平子隊長もひよ里ちゃんも落ち着いてよ。それで朽木隊長、これの続きは?」
「うむ。結論から言えば、朔良が一人で大虚を倒したのう」
…………。
……………………。
…………………………………………!!?
『っは……!?』
「 お 静 か に 」
『…………』
ほぼ全員絶叫しそうになり、ほぼ全員一斉に口を閉ざした。って言うか何回やるんだこのネタ。
まあつっこみはさておき。
「一体何があったのじゃ?」
「そうだよねえ。朔良ちゃんの実力はここに居るみんなが知るところだけど、いくら何でも初実戦で大虚はねえ――」
京楽の次の言葉で、皆の顔色が変わった。
「――始解もなしじゃ、敵いっこないよ」
――『始解もなしでは敵わない』――。
では『始解があれば』――?
「……ちょっと待て。もしかして朔良ちゃん」
「うむ。どうやら彼女は、己の斬魄刀の名を聞けたようじゃ」
“聞けないんですよ名前がーっ!”
つい先日、愚痴っていたことを思い出す。背中を丸めて小さくなって、白哉に追いつけないとぼやいていた弟子の姿を。
「やはりそうだったのですね」
「やはりって、どういうことっスか卯ノ花隊長?」
「朽木三席が朔良さんをこちらに運び込んだ時、彼女の斬魄刀も一緒に持ってきました。鍔の形が変化していたので、もしやと思ったのですよ」
「斬魄刀じゃと?」
「はい。こちらです」
壁際に立て掛けてあった一振りの刀。手渡され確認してみれば、なるほど鍔の形状が違う。中心から開いた六つ桜の紋が特徴的だ。柄は朔良の髪や瞳のような藍色、鞘は黒一色になっている。
「ああやっぱりねえ。それ朔良ちゃんの斬魄刀だったんだ」
「気がついていたのか京楽」
「まあねえ、見慣れない形だったし。確信したのはこの子が大虚倒したって聞いた時だけど」
「相変わらず勘がええなあんたは。で? どないな刀やったんや?」
「それについては……白哉」
「はい」
後ろに控えていた白哉が前に出てくる。これには皆首を傾げた。何故ここで説明を交代するのだろう。『白哉だから』という理由なのか。好敵手とか幼馴染みとか、その他諸々の事情か。
「何でここで白哉なんすか? 朽木隊長が話してもいいんじゃ……」
「朔良の始解を直に見たのは白哉じゃからの。私よりも此奴の方が適任と判断したまでじゃ」
「? ってことは……朽木隊長は朔良の始解見てへんの?」
「ふむ……見たと言えば見たが、見ていないと言えば見ていないのう」
「はあ? 何やねんそれ」
「おい猿柿、隊長相手にそんな言葉遣いねえぞ」
「やっかましいわ。今はそんなことどうでもええねん」
「てめ、そんなことって……」
口喧嘩しながらも声を抑えている辺り、
とはいえ話が進まない。それぞれの隊長が仲裁に入り収めた。
「それで、白哉君。朔良の斬魄刀はどんなものなんスか?」
「私も間近で見ただけですので、詳しいことはまだ判りません。名前も聞いておりません。ただ私の知る限りでは、他に例を見ない能力です」
「随分はっきり言うな……」
「気になるねえ」
「朽木三席、貴方の見たままと見解で構いません。教えてくださいますか?」
「はい。まず最初に目にした時ですが、志波副隊長の捩花と同じ形状をしていました」
「は? それって形が三叉槍ってことかよ?」
「いいえそうではなく……」
「全く同じ姿、『捩花』そのものだった、と?」
「……はい」
場がどよめいた。京楽に言葉を取られたにも拘わらず、素直に肯定した白哉を珍しいと思いつつ、危険な可能性に思考を巡らせる。
同じ斬魄刀は、二振り存在してはならない。仮に二振り在った場合、その一方の持ち主は処刑される決まりになっている。持ち主同士が殺し合い、より強い方が生き残るのだ。それは尸魂界の掟。
――故に、もし『捩花』が二振り存在するのだとすれば――
「……恐らく、朔良の斬魄刀は『捩花』ではありません」
避けたい仮定を否定してくれる声。真っ先に反応したのはやはり当事者の海燕だった。
「何でそう言いきれるんだ? 根拠は何だ?」
「第一に、鍔の形が全く違います。双子の斬魄刀ならば鍔も似ている筈です」
「あ、それはそうっスね」
「第二に、『捩花』はあくまでも『私が』『最初に』見た姿です」
強調された言葉。そこに含まれた意味は。
「朔良が気を失って始解が解ける時、一瞬ですが『捩花』とは全く違う姿に変化しました。全体的な形そのものは通常の刀でしたが、その刀身はまるで水晶のようなものへと」
全員の視線が、夜一の手の中にある斬魄刀へと注がれる。
卍解を除けば、始解した斬魄刀が複数の姿を成すなど聞いたことがない。しかし白哉の話からすると、朔良の始解は形状を変化させられるらしい。それも他人の始解に。
有り得ない、信じられないと言いきれそうなものだが、それができない理由がこの場に居る者達には在った。
持ち主の特徴や性格などが、斬魄刀の能力に反映されることは少なくない。
そしてこの斬魄刀の持ち主は雲居朔良――『まねっこ』だ。その実力は今も健在。
「……まさか……他人の斬魄刀を『真似る』斬魄刀か……?」
「まだ確かなことは言えぬが、総隊長も同じ見解だそうじゃ」
半信半疑の浮竹の呟きに銀嶺が答え、沈黙が落ちた。
もし本当にその見解通りであるならば、朔良はとてつもない力を持った斬魄刀を手にしたことになる。
始解ができるだけで死神の力は跳ね上がる。その始解をいくつも扱えるとなると、まさに驚異だ。まだそうと決まったわけでもないし詳しいことも何も判らないのだが、可能性は高い。
眠る愛弟子の表情はあどけなく、夜一からすればまだまだ幼い。年齢にしては小柄な身体、精神的にも成長しきれていない筈だ。
それが突然得た強大な力を、果たして扱いきれるのだろうか。
(朔良……)
「…………ん……ぅ……」
「! 朔良?」
名を呼び、傍に寄る。意識が戻ったかと思ったが、身じろいだだけで眠ったままだ。その口から寝言が零れた。
「……海燕……さん……」
『!』
場の全ての視線を一身に受けた彼は、そっと朔良の寝台へと歩み寄る。止める者はいない。白哉だけは、意外そうに目を丸めていたが。
夜一も一歩下がって通る道を空け、海燕が更に近付いた瞬間――
「……男の嫉妬は……見苦しいですよ……ぐぅ」
「どんな夢見てやがんだこのガキーーっ!!」
……本日一番の大声、雲居朔良の寝言に対する志波海燕のつっこみ。
寝ている最中でありながら神妙な空気を吹き飛ばした朔良に、場が和んだ。
……四番隊隊長の静かな雷が落ちたが。