偽から出た真   作:白雪桜

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第十一話 散らない桜

 朽木邸の庭。今日も今日とて、白哉は木刀を振るっていた。

 

「精が出るのう、白哉」

「爺様!」

 

 背後、少し離れた所に立っていたのは祖父だった。今日祖父は非番で、朝から屋敷に居る。ちなみにもうすぐ昼の時間だ。

 

「白哉、鍛錬はそれくらいにせぬか? お前に客が来ておる」

「客?」

 

 祖父に客と言われて、思いつくのはあの化け猫だ。できれば会いたくない白哉はひっそりと溜息をつく。

 

「申し訳ありませんが爺様、急ぎの用でなければ引き取るようお伝えしてくださいませんか」

「そうか、それは残念じゃな。せっかく朔良が昼餉を白哉と共にと一人で訪ねて来たんじゃがのう。仕方あるまい、私が代わりに……」

「じ、爺様! そろそろ休憩にしようと思っていましたので、今すぐ参ります!」

 

 『朔良』『共に』『一人』『代わり』といった言葉に過剰に反応してしまったことは自覚している。ついでに矛盾したことを言った自覚も。しかしまあ、今の白哉にとっては些細な問題だった。

 木刀を握ったまま瞬歩で駆け出す。その場から去る寸前に彼女の居場所を教えてくれた祖父に感謝した。笑っているように見えたのは疑問だが。

 

「朔良!」

「あ、白哉ー!」

 

 教えられた客間に彼女は居た。と言っても部屋の中ではなく、客間の前の縁側に腰かけている。こちらを見てぱっと顔を綻ばせる様が可愛らしい。

 

「ど、どうしたのだ? いきなり昼を共にとは。それに爺様に言伝するのも」

 

 半年以上の付き合いになるが、彼女は一緒に食事をしようと言う時は大抵前日までに断りを入れる。それに朽木家に来たら真っ先に白哉の所に飛んでくるのが常なのだ。

 

「迷惑?」

「そ、そんなことはない! ただ、珍しくてだな……」

「良かった! 今日ね、新しい護衛さんに会ったんだっ。少し一緒にいたんだけどあんまり長いと、初日だしお仕事邪魔しちゃうと思って。烈さんにも言われたし。でも近くにいると遊びたくなっちゃうし、途中でやめて白哉のトコきたの。そしたらたまたま銀嶺爺様に会ってね。急にお昼お願いすることになっちゃったし、お許しもらったんだ」

 

 ……まったく、幼いのに妙な所で気を使う少女である。父と祖父曰く、彼女は滅多なことがない限り仕事を邪魔することはないそうだ。天然でマイペースであるのに、きっちり礼儀をわきまえている辺りしっかりしていると思う。実力も師が師なだけにか、この歳にしては申し分ないと周囲の大人達は言っていた。その割には菓子が絡むと、遠慮なく目を輝かせるという子供らしい一面もある。

 自分もまだ子供なのだがそれはさておき。

 

「昼を食べたら、今日はどうするのだ?」

「夕方までいていい? 夜姉様も兄様達も重爺様も、確か海燕さんも今日はお仕事だったから」

「勿論だ」

「ありがとっ!」

 

 太陽のような明るい笑みに、つられてこちらまで笑顔になる。

 このまま談笑を続けていたかったが、白哉は鍛錬の直後で汗だくだ。彼女に指摘され手を洗いついでに着替えてこいと告げられて、思わず赤くなり瞬歩で自室へと駆け戻った。

 戻って来ると既に二人分の昼餉の膳が用意されており、その一つを前に朔良が礼儀正しく正座していた。

 

「遅いよ白哉ー。食べようっ?」

「ああ」

 

 向かい合わせで箸を進めつつ、雑談に花を咲かせる。内容はもっぱら護隊のことだ。白哉も何度か足を運んだことはあったが、それも数える程度。彼女のように死神になっていない者が毎日のように入り浸っているのは非常に珍しい。と言うか前例がないように思う。少なくとも白哉は聞いたことがない。

 

「真子さんね、私が『平子隊長』って呼ぶとなんでか慌てるの。でもそれ面白いのっ」

「そうなのか」

「十兄様はー、会ったら絶対おかしくれるから好きっ」

「……そうか。朔良は菓子が好きだものな」

「うん。あと烈さんはとってもあったかくて優しい。あ、でもこの前十一番隊の人たちが暴れてた時はすっごく怖かったなあ……」

「言っていたな、前にも」

 

 おしゃべりな少女だ、話題は尽きない。しかし話の節々に『好き』という言葉が出てくる度、いちいち心臓が跳ねるのはどうにかならないだろうか。楽しいもの、面白いもののことばかり話すので、必然的に『好き』の回数も増える。他の者の時は何もないのに、彼女が言うと何故かどきどきするのだ。そうでなくとも、朔良の笑顔を見ると胸が高鳴ってしまうというのに。初めて会った時からずっと。

 それに彼女が他の男のことを『好き』と言うと何故かもやもやした気分になるのだ。まるで胸の中に黒雲が広がるような。彼女の笑顔を見ると、その気持ちも薄れて消えていくのだけれど。

 朔良は、他とどう違うのだろうか。

 

「ごちそーさまでしたっ」

「ご馳走様」

 

 食べ終わるなり、朔良は草履を履いて庭へ飛び出した。もはやいつものことなので慌てることなくその後を追う。

 

「見て見て白哉! キレーなもみじ! あ、こっちはイチョウっ」

 

 木々が色づき始めた頃、紅葉(こうよう)の景色が楽しみだと言っていた彼女。美しくなり出した庭を走り回っては、笑顔を溢れさせている。

 

「って、白哉は見飽きてるかー」

「いいや、そんなことはない」

 

 少し残念そうに言ったことを否定してやれば、瞬く間に満面の笑みが戻る。秋の彩りの中はしゃぐ彼女はしかし、突然ぴたりと動きを止めた。

 

「朔良、どうし……」

 

 追いついて理由に気付く。足を止め見上げていたのは春の終わりに散った桜の木。植物が好きな彼女が特に好んで愛でていたものだった。

 隣に立ちその横顔を窺うと、想像以上に切なさを宿していて。

 

「……また咲くよね」

「ああ」

「でも、また散るよね」

「…………」

「で、また咲くんだよね。……でもきっと、咲かなくなる」

 

 きゅっと眉根が寄せられる。悲しげで寂しげで今にも泣いてしまいそうで。初めて逢った時も、似たような表情をしていた瞬間があったけれど。

 

「……最後は、全部散っちゃうよ」

 

 ――やはり、似合わない。

 改めて思った時、『今』だと直感した。

 

「……って、ごめんねっ! 急に変な話しちゃって。なーんか咲いてない桜の木見てたら、散ってた時思い出しちゃってさ。今更だよねっ」

「…………」

「……あの! 気にしな」

「ここに居ろ」

「え」

「すぐ戻る」

 

 固まった彼女を残し、再び瞬歩で自室へ駆ける。戸棚の引き出しから小さな箱と一つの小物を取り出すと、即座に彼女の元へ戻った。

 

「これを」

 

 すっと箱を差し出す。彼女は状況が理解できないらしく、目を白黒させつつ白哉の顔と箱に視線を行ったり来たりさせている。

 

「そなたに」

「え、あの」

「受け取ってくれ」

 

 困惑しながらおずおずと手を伸ばす様は、普段の彼女からは想像もできないほどしおらしい。訊ねるように見上げてきたので、軽く頷いて促す。……上目遣いにどきりとした。

 小さく音を立てて開けられた箱。丸い藍色の瞳が、更に丸く見開かれた。

 

 

「……髪紐……?」

 

 

 白を基調にした、髪紐と言うよりはリボンだった。中央から両端にかけてうっすらと桜色のグラデーションがかかっており、その先には五花の桜が濃い色で描かれている。装飾品はなく、とてもシンプルなデザインだ。

 

「白哉、あの、これ」

「せ、先日偶然見つけたのだ」

 

 嘘だった。半年近く前丁度桜が散り終わる頃、わざわざ小物屋に行って探した。彼女に合いそうなものを。

 

「その、柄が桜なのでな。今の時期に渡すのはどうかと思っていたのだが」

 

 これも嘘。本当はいつ渡せばいいのか判らず、ずっと足踏みしていただけ。

 

「な、なんで」

「……そなたは桜が好きだろう」

「う、うん」

「だが、散るのが悲しい」

「そう、だけど」

 

 困惑した表情を浮かべる彼女の手の中にあるそれを、そっと指差す。

 

「その桜ならば、散らぬ」

 

 瞳が大きくなる。驚いたのは判ったが、構わず言葉を続けた。

 

「その桜なら、散ることなくにずっとそなたの傍にいる」

 

 呆然と固まってしまっている彼女の手からリボンを取り、後ろに回った。慌てて振り向こうとした彼女を制し、藍色の髪に一緒に持ってきていた櫛を通す。出会った時肩につく程度しかなかった髪は、結べるくらいの長さになっていた。結べると言っても白哉のように一纏めにして高く結えるほど長くはない。故に白哉は、顔の両脇から一房ずつ掴み後ろで結んだ。二振りの布の先で、桜の模様がひらりと揺れる。

 

「似合う」

 

 今度こそ振り返った朔良は、そっと髪に手をやった。窺うようにこちらを見つめてくる。戸惑う瞳はそのままで。

 

「そなたは、笑っている方が良い」

 

 驚きに染まる顔は、この短時間で何度見たことだろうか。やがてその表情がふわりと緩み、いつもの太陽のような――

 

 

「ありがとう。白哉大好きっ!」

 

 

 ――笑顔が目に入った瞬間、すぐに視界から消えた。それが、抱きつかれたからだと知るのには数秒要した。

 

 

『大好き』

 

 

 彼女を前にすると、いつも胸が高鳴った。笑顔を見た時は特に。

 けれど今。その言葉を聞いて、彼女の温もりを感じて。心臓の暴れようはこれまでの比ではない。

 

 

『大好き』

 

 

 もう一度、頭の中で声が響く。抱きつく彼女の肩に手を置き、やっと思い至った。

 

(そうか、私は)

 

 自覚して、これまで持て余していた自分の感情がすとんと腑に落ちた。高鳴る鼓動も黒雲のような気持ちも笑顔を見たいという願いも、全て。

 

 

 ――恋を、していたからだと。

 

 

 


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