小一時間、ミシェスと雑談して報酬を貰ってからシルバーは喫茶店に入った。喫茶店といっても、昨夜の酒場である。昼間は茶屋として兼業しているらしい。
流石に昼間からロイターは居まい。彼女はカウンター席に座り紅茶を頼んだ。
灰皿をカウンターから取り、煙草に火を付けて昼食を摂るか考えている。
賑やかな時間が流れる中、突然、店に居る客の半数近い人数が入口の方を向き始めた。
何事かと思いシルバーが振り向くと白い道士服を着た、床まで届きそうな黒く波打つ長髪の男が立っている。
悍ましい触手は背後に無いものの、見覚えのある顔だ。すかさずシルバーは銃を撃つ。一発、二発、三発、四発。3秒もかかっていない。薬莢が音を立てて落ちる。
騒然とする空間で彼女は満足げにカップを傾け、ニヤリとした。
あの世への出発を台無しにしたあの男が憎い。しかしこれで復讐心は満たされた。妙な呪いも解けるはず。
全てが急所に当たり、男は倒れる。誰しもがそう思っていた。
「まさか、出会い頭に撃たれるとは思ってなかった。」
そのはずだったが、男には銃痕すらついていない。
水面に波紋を作りながら小石が沈むかのように、文字通り弾丸は彼の皮膚をすり抜け、体内を沈んでいったのだ。
「ああ、でもこの弾丸すら愛おしい。」
彼ははにかみ気味に微笑み、シルバーに歩み寄った。
右手を開くと、撃ったはずの4つの弾丸が掌にあった。奇術の類いだろうか。そして大事そうに右手を握り締めた。
予想外の反応に口元から煙草が落ちる。
「はっ?冗談だろ?気が狂っとる。」
驚きと恐怖で彼女の眉間に皺がより、瞳孔が開く。
逃げるか、どうするか。トラウマが呼び起こされ、この場を動けなかった。
よかった、死人は出なかったんだと言わんばかりに、騒然としていた空間は元に戻り食器の音や話し声で埋め尽くされた。
黒髪の男は落ちた吸殻を拾って灰皿に入れた。
瞳はじっとシルバーを見つめている。
彼はティリス周辺ではあまり見慣れないタイプの容姿だった。
異国情緒漂う純白の道士服が、細い体によく似合っている。
眉は優美な弧を描き、聡明な切れ長の目、特に琥珀色の瞳は慈愛に満ち溢れている。
耳は長く、尖っていて人外だという事がよく分かる。端正でどことなく東洋的な雰囲気だ。
「隣、いいかな?」
黒髪は柔和な表情を浮かべて言った。
「来るな、化け物。」
その一方で声は震え、銀髪の表情は引き攣っている。
恐怖が彼女を支配した。
「そう怖がらないで。私は君に悪さをしに来たわけじゃない。それに、君とは何回も会っているのにまだ名前すらお互いに知らない。」
彼はシルバーの隣に座り、ミルクティーを注文した。
「私の名はネーレウス。前は魔王やら色々やっていたけど、今はただのご隠居さんだ。いくら術式を掛ける為とはいえ、あの時は不躾な事をしてすまなかった。」
長髪の男、ネーレウスはミルクティーに砂糖を大量に入れ、掻き混ぜた。
「何回も会っている?」
シルバーは動揺を隠しつつ、いぶかしげな顔をした。つまり前にも会っている?他にも疑問はあった。あの牢獄を覆うほどの触手をどこにやったのか。何故銀髪にしたのか。
まだ得体の知れない恐怖は残るものの緊張は解け始めている。まるで、昔からの友人に会ったかの様に。
「覚えていないのも無理はないか。もう20年近く前だからね。それは置いといて、君について知りたい。」
シルバーはだんまりを決めはじめた。なぜこの男に自分の事を話さなければならないのか。
しかし、無言の空気に耐えかねて煙草を吸い始めた。
「話したくないなら、無理には語らせない。私達には時間が沢山ある。いつか気が向いたらでいい。」
どことなく含みのある顔だ。
「あの名状しがたき悍ましい物はどうした?」
「ああ、アレなら四次元ポケットの魔法を使って仕舞ってある。」
四次元ポケットとは大きさや個数に関係なく、300種類までのアイテムを収納できる魔法だ。
「それにしても、あの後、本当に君のことを心配したんだ。予想よりも遥かに早く死を迎えようとしていて、暗い不潔な独房で絶望と憎悪にまみれていたから。」
儚さすら同時に感じたけどね。素晴らしく綺麗だった。ネーレウスは続けた。
「なぜ私が死ぬ事がわかった?」
シルバーの眉間にますます皺が寄った。
「君の魂そのものに何千年も前に呪いをかけたからね。君が転生した時と現世を去る時に私が現れる様に。」
シルバーは溜息をつく。どういう事だ。この男は何を考えている?彼女は苛立ち、混乱していた。
「わけのわからない事を言うな。」
ネーレウスは額に銃口を突き付けられた。しかし、彼は驚きもしない。
「そう、怒らないで。ごめんね。」
謝罪は彼女の神経を更に逆撫でする結果になり、くぐもった銃声が鳴る。
最早、日常茶飯事であるかのように店内の客は振り向きもしない。
「私には無駄なのに。弾が勿体無いよ。」
掌に弾丸を移動させ、彼女に返そうとした。
その行動にますます苛立ち、シルバーは煙草を指で叩き始める。
「いらねえよ!最後に質問だ。どうしてあの後、貨物船なんかに送り込んだ?」
低い声で問いかけ、煙をネーレウスに吹き掛けるも嫌なそう顔もしない。慣れているらしい。
「それは、運命だったからだ。抗わない方がいい運命もある。不幸にも君は物語の主人公になってしまった。」
「それに、あの時、君に会う前に天ぷらを揚げていたんだ。火を止めるのを忘れてしまって、刻一刻、はじけ魚の身は固くなりつつあるからね。」
この台詞は余計にシルバーを混乱させた。何で天ぷらなんか揚げてるんだ、コイツ。
彼女は煙草を噛み潰した。苛立ちはクライマックスを迎え、灰皿を思いっきりネーレウスに投げつける。
灰皿が胸元に吸い込まれるように沈み、中身は舞ってミルクティーのカップに入り、白い服を灰まみれにした。
彼の胸倉を掴み、脅すように言った。
「とにかく、二度と私に関わるな。そして呪いを解け。」
「ああ、ごめんよお嬢ちゃん。今は嫌っていて構わないからどうか許して。」
シルバーは返事もせず足早に店を去っていった。依頼の報告もすっかり忘れて。
ネーレウスは悲しそうな顔をして溜息をついた。
今は嫌われていても、問題無い。言った通り私達には時間がそれこそ、この大地が尽きて滅亡するまでの時間よりもある。呪いにより彼女はもう死ぬ事も老いる事もないのだから。私を好きにならざるを得ない。 それにしても呪い解く以外に、どうやったら機嫌を戻してくれるだろうか。
ネーレウスはそう思いながら灰屑入りのミルクティーに目線をやった。
しかし灰屑がヒントをくれるはずもなかった。