辺境に最も近い、バーリンゲン王国所属のイエルマの街が植物の津波に襲われて崩壊した。見た事も無い未知の植物群が雪崩の様に城壁を乗り越えて襲って来た。
「この世の地獄だ……」
数日前に、エルフ族絡みと思える植物で構成された人型のゴーレムがやって来た。胸の部分に拳大の宝石が埋め込まれており、襲って奪おうとして逆に殲滅させられた。
直接襲った連中は、逃げ出しても追いかけて来て殺された。遠巻きに見ていた連中は半数は見逃されて、イエルマの街に逃げ込もうとしたが住民達が巻き添えを恐れて締め出した。
植物ゴーレム達は、そんな連中を無視して辺境へと歩いて行った。手を出さなければ攻撃はしないのか?だが操作しているだろう術者が居なかったぞ?
「辺境の蛮族共を殺しに行ったのか?そんな連中にちょっかいを掛けてしまったが、見逃されたのか?」
商隊が来なくなって備蓄が少なくなり、配給でなんとか凌いでいる。領主様は既に配下の兵を率いて王都に行ってしまい、残されていた守備隊は植物ゴーレムを襲い全滅した。
宝石に目が眩んだ自警団の連中も遠巻きに様子を伺っていたが、半数は殺されて残りは街から締め出した。あの後で何処に行ったかは分からない。
どうせ野盗にでも身を落としたのだろう。どうしようもない連中だな。欲望に目が眩み、我が身を滅ぼすんだぞ。時勢を読んで行動しないと自滅するんだ。
「ゴーレムだし、噂の同族殺しの英雄気取りの殺戮者が送り込んだんじゃないか?エルフ族とも関りが有るとか何とか?」
僅かな物資を持ち寄り、住人の居なくなった家を壊し木材を集めて中央広場で焚火をして寒さを堪える。最近の夜の冷え込みは異常だ、薄い粥を啜り寒さを堪える。
雑穀と野草に薄い塩味をつけただけの貧しい粥だが、残りの物資を考えたら仕方無い。もう街中を探し回り食べれそうな物は全て搔き集めた。
後は街の外に調達に行くしかないのだが、外は飢えた野盗共がうようよ居るので危険過ぎる。領主様が寄越してくれる救援部隊を待つのが正解だ。
危険を犯してまで、自分で何かをするのは愚か者の行動だ。賢い者は耐え忍んで待つ事を選択する。
「いや、妖狼族を全滅間際まで追い詰めて強制支配したんじゃなかったか?妖狼族はエルフ族と通じているから、その縁を使ったのかもな?」
貧相な身体つきの連中だったが、野性味溢れる美しい女共だった。くそっ!あの餓鬼は、妖狼族の女共を好き勝手しているのか!羨まけしからん。俺達にも分けろ。
「噂では、魔牛族の連中にもちょっかいをかけたらしいな。元宮廷魔術師筆頭様の愛妾を奪って、王都の守備隊を壊滅させたらしいし。どうせ恐怖で言う事を聞かせているんだろ?」
「野蛮な餓鬼だな。パゥルム女王も色々と諫めたらしいが、宗主国の重鎮だからと完全無視だったそうだぜ」
魔牛族もだと?あの豊満な胸を持つ淫靡な女達まで独り占めだと?餓鬼の癖に、どれだけ性欲が強いんだ?怒りで薄い粥の味が全く感じられなくなった。
嗚呼、最近の唯一の楽しみの食事が無駄になってしまったぞ。どうしてくれる?今は一日に二食しか食べられないんだぞ。明日の朝まで、何も口に入れられないんだ。
盗み食いするか?それとも非常用に盗んで隠しておいた食料を食べるか?いや、あれは最後の最後まで残しておかないと駄目だ。
自分だけ助かる為の最終手段だからな。
「どちらにしても、またエムデン王国の連中の所為で、俺達が苦労させられるのかよ」
「本当にな。補償と賠償が積みあがるな。その前に謝罪、誠意を見せて貰わなければ絶対に許さないぜ」
「妖狼族と魔牛族の女共は全員貰うとして、この鄙びた街を捨てて新しい街を貰おう。それ位の誠意を見せないと許せないぞ」
ふむ、新しい街で奴隷にした美しい妖狼族と魔牛族の女共と淫靡な生活に耽る位の事をさせて貰って、漸く今回の件は許すか。心が広すぎると思うが、謙虚さは必要だろう。
だが過去の清算は未だだし、残りも保障と賠償はして貰う。無税は当たり前で、毎年生活する為の費用も全額負担して貰おう。妥協し過ぎと思うが、慈悲の心は必要だよな。
新しい街、新しい家と女達。不自由のない贅沢三昧の暮らし。それを保証して貰って、漸く罪を許す余裕が出来るってものだ。『衣食を足りて礼節を知る』だな。
俺は博識だから、衣食を用意して貰って漸く相手の礼節を受け入れるって事だな。
「あの王都の方から来たとか言っていた女だが、逃がして良かったのか?」
「モンテローザとか言ったよな。あの女の話には納得する部分が多かった。特にエムデン王国に対しての保障や賠償の件は、俺達が未だ優し過ぎた事を知れたのは良かった」
少し窶れて薄汚れていたが美しい女だった。彼女の話を聞いて、エムデン王国への悪感情が不思議と爆発的に膨れ上がった。元々良くは思って居なかったが、今は絶対許すまじだ。
国にも見捨てられた哀れな女、珍しく襲いたいという性欲よりも同情心が沸き上がった。俺は慈悲深いから、悲惨な境遇に同情したのだろう。
本当にエムデン王国と言う国は愚かな国だな。宗主国だと言っても属国にした俺達よりも下なのに思い上がりも甚だしい。
嗚呼、そうか!
エムデン王国はバーリンゲン王国に多大な負債があり補償と賠償を払う義務が有るが、対外的な面子を保つために属国にして金銭や援助を行う事にしたいのか!
「もう少しだけ耐えれば、薔薇色の未来が訪れるな!」
「まったくだ。領主様も早く救援部隊を寄越せってんだよ」
「貴族様は対面ばかり気にして迅速な行動が出来ないから仕方無いけど、俺達の我慢にも限度が有るよな」
俺達は、あと半月は何とか待てる。俺は隠した食料で、もう半月は待てる。流石に一ヶ月もあれば無能な貴族様でも救援部隊を寄越すだろう。
「ん?なぁ、変な音がしないか?」
「え?そう言えば僅かに地面が揺れているような……地震か?」
思わず立上り周囲を見回す。同じように焚火を囲む数名単位の集まりが幾つか居るが、奴等が原因ではないな。同じ様に周囲を伺っている。中には慌てて家の中に逃げ込む奴も居る。
慌てるな、落ち着け。微弱な揺れは続いているし変な音も聞こえだした。ギシギシ?ミシミシ?何だ、この音は?縄を綯(なう)う時の繊維の擦れ合う様な音が辺境の方から聞こえてくる。
蛮族共が襲って来たのか?思わず近くに置いておいた短槍を掴んで構える。他の連中も異常を感じて、各々が武器を手に取って周囲を見回す。
「落ち着け。見張りは居ないが城壁は固く閉ざしている。簡単に侵入など出来ない筈だ」
人手不足だし、こんな状況で真面目に見張りをする奴など居ないから城門は固く閉ざしたままにしている。てか開かない様に閂を壊してある。簡単には直せないし、壊そうとすれば音で分かる。
この広場は街の中央に有り四方を見渡せる。仮に城壁をよじ登って侵入しても、ここを襲って来るならば途中で姿が見える。月明かりが頼りだが見えない程、暗くは無い。
ん?揺れが大きくなってきている?短槍を杖代わりにしないと立っているのもやっとな状態だ。くそっ、大地震かよ。弱り目に祟り目だぞ。短槍を抱え込み、その場に座り込んで揺れに耐える。
「違う、地震じゃない」
突然、物凄い破壊音が聞こえた。その直ぐ後にパラパラと小石が降って来て顔に当たる。もうもうと沸き上がる土煙、広場に繋がる道からも煙が押し寄せて来る。
「何だ?何が起こっているんだ?」
メリメリと材木を捩じ切る様な音が響き渡り、広場の至る所に家の残材と思われる物が降り注ぐ。なにか大きな物が城壁にぶつかり粉砕し、その勢いで家屋を薙ぎ払って近付いてくる。
伝説の巨大な魔獣、『ベヒーモス』がイエルマの街に襲って来たのか?そう考えてしまい、頭を振るって馬鹿な妄想を弾き飛ばす。そんな夢物語な訳が有るはずが無いじゃないか。
良く分からないが自然災害だ。噴火とか竜巻とか、或いは神の裁きとか?馬鹿な、裁かれるのは俺達じゃなくて、悪逆非情なエムデン王国の連中の方だろ!
「前を見ろ。何だ?緑色の何かが盛り上がって押し寄せて来るぞっ!」
見えていた住居が床から持ち上がる様に上空に吹き飛ばされた。その原因は緑色のウネウネと気持ち悪く蠢くナニかだ。
住居を吹き飛ばし障害物が無くなったせいか少しだけ動きが緩やかになったので、焚火の明かりに照らされた蠢くナニかの正体が分かった。
人の腕程の太さの弦が幾重にも絡んだ、子供がふざけて編んだ珍妙な編み物みたいな巨大な弦の集合体。蠢くモノの正体は、この悪夢の正体は……
植物だ。意思を持った動きをする、植物の集合体が襲って来たんだ。エルフの野郎共の仕業、イエルマの街は見逃してくれたんじゃなかったのか!
「この世の地獄だ……」
ゆっくりと蠢きながら近付いてくる巨大な植物のうねりに腰が抜けてへたり込んでしまう。手放した短槍が、カラカラと乾いた音を立てて転がっていく。
エルフ共め。俺達人間全てを滅ぼすつもりなんだ。亜人共を甘やかすから、こんな事になるんだ。早く滅ぼしておけば、こんな事にならなかったんだ。
馬鹿な貴族共が奴等の容姿に目が眩んで、俺達よりも優遇するからつけ上がって馬鹿な事をするんだ。少しばかり魔法が得意でも、数が少ないのだから物量で押し込めば勝てたんだ。
「この化け物め。燃えてしまえっ!」
「あっ馬鹿止めろ。刺激するな」
恐怖に耐えかねた馬鹿者が焚火から火のついた薪を掴んで投げ込んでしまった。燃える薪に怯んだのか?少しだけ動きが止まったが、直ぐに揉まれて火の消えた薪が吐き出された。
それを見て、少しでも効果が有ると勘違いした馬鹿者共が一斉に火のついた薪を投げ込み始めた。馬鹿野郎、敵対する意思を示せば反撃されるのは分かり切っているだろう!
力の抜けた下半身に喝を入れて何とか起き上がり、馬鹿騒ぎしている連中を尻目に反対方向に駆け出す。百本程度の火のついた薪で、城壁や家屋を圧し潰す植物の塊が負けるかよ!
走り出して数秒後、物凄い圧を感じて振り返れば津波の様に大きく盛り上がった緑色のナニかに飲み込まれる馬鹿共が見えた。
一瞬で少し前まで話していた連中が全滅した。不味い不味い不味い、次は俺の番だ。奴等は俺を死んだ連中と区別はしてない筈だ。
しているなら最初に植物ゴーレムを襲った時に遠巻きに見ていた連中まで襲わない。半数は見逃されたと思っていたが、後から殲滅させる為に戻ってきたじゃないか。
振り向いた体勢のまま身体が恐怖で動かない。泣き笑いみたいな、涙が溢れるが口からは乾いた『あは、あはは、あははは……』という笑い声しか出ない。
緑のナニかは取り込んだ元仲間達を磨り潰す様に蠢いている。実際に中で潰されているのだろう。呻き声や嫌な圧縮音が聞こえた様な気がした。
「あはっ、あはは……何なんだよ。俺達は何も悪くないのに、何故こんな目に遭わないと駄目なんだ?これも全て、エムデン王国が……」
ゆっくりと山の様に盛り上がる緑のナニか、高さは20mを越えていそうだと恐怖心に塗り潰される心の中の僅かに冷静さを保っている部分が絶望状況を認知させる。
まだ大きく膨らんでいる。隙間から零れ落ちる、仲間だった者達の残骸。馬鹿な連中が攻撃さえしなければ、穏便に逃げられたのに手を出せば反撃されるのは当たり前だろ。
ああ、未だ一部でも冷静な部分が有る事が憎まれる。恐怖で意識を失えば、こんな絶望を長々と味わう事も無かったのに精神的にタフだった自分が本当に恨めしい。
「エムデン王国が、エムデン王国の所為でこんな事に……未だ謝罪も保障も賠償も……あはは、ふざけるなよ。お前達の所為で……」
首を曲げても見上げられない程に大きくせり上がったナニかが圧し潰す様に迫ってくる。所々に赤い宝玉が埋まっている。やはりコレは植物ゴーレムが関わっているのか。
俺達を許して無かった。嫌らしく執念深い事だな。最初から殺すつもりならば、時間を掛けずにさっさと殺してくれれば良いのに、性根の腐ったエルフ族の考える事だな。
呆然と見上げていたナニかが、ゆっくりと視界の全てを埋め尽くす緑色の巨大なナニかが、津波の様に襲って来て飲み込まれたのが最後、エムデン王国への恨み言を言い切る前に意識が遠のく。
最後に、自分は故郷の森の一部となる。そんな思いが漠然と浮かんだのが不思議だ……